☆ Moekyonta Diary ☆
moekyon



 7分咲きの枝垂れ桜

今日は天気もよく暖かくてやっと春らしい陽気。
この辺の桜は開花までもう少しという感じだけど
南のほうへ向かうとだいぶ咲いているらしい。

今日はちょっと南に向かって公園に行ってみようか
と3人連れて行ってみた。
去年ケータの遠足で行った、長い滑り台のある公園。
遠足は5月なので、桜の花は終わってさくらんぼに
なってるので、咲き始めに来るのは初めて。
思ってた以上にたくさん桜の木があった。

ソメイヨシノはまだ3分咲きぐらいだったけど
枝垂桜が7分咲きくらいで見事。
満開じゃなくて、少しつぼみがあるくらいが
かえって美しい。
携帯で撮ろうと思ったら2枚撮ったところで
バッテリーが足りなくなっちゃった。

そう思ってたら、写真を撮ってるおじいさんがいて
思い切って、声をかけてみた。
そしたら、気前よく撮ってくれて子供達も一緒に
写してくれて、住所を教えて送ってもらうことにした。
結構遠くから来てる人だったよ。
1800枚も撮れるデジタル一眼レフなので、いくらでも
撮れるんだってたくさん撮ってくれた。
USBで送ってくれるって。楽しみ。

3月最後の日、ちょっといいことあったな。








4/3に届きました♪ありがとう!


2009年03月31日(火)



 車屋さんの近くにボーリング場

昨日、自転車屋さんに頼んで椅子の高さをそれぞれ
低くしたので、モエカには大人用の、ケータは
キティちゃんの補助付きのに乗せてみたら、結構
漕げて、たのしくて家の前を行ったり来たりしてた。

今日は車屋さんへ行ってタイヤの注文してきた。
走行距離はそれほどでもないけど7年も使ったので
だいぶ減ってたし。

その車やさんの近くにボーリング場があって、
それを見つけたケータ、案の定やりたい!

仕方ないねえ春休みどこにも連れてってあげられないし
とーちゃんが休みの日は今日だけだから、行くか。

と、1ゲームだけやって(それでも私は疲れた)
気が済んだようなので、買い物して帰りました。



2009年03月29日(日)



 自転車をシフトしよう

だいぶ暖かくなってきて、子供達も外で遊ぶように。

ケータが三輪車に乗るというので出してやったけど
もはや体のほうが大きいので漕げず足で蹴って進む。

キョチも補助付きのキティちゃんのに乗せたら
ひざがハンドルにぶつかってキビシイ。
もはやこの自転車では小さすぎ。
姉ちゃんの補助なしで練習させてみた。

椅子を一番下まで下げて練習して、元に戻そうと
したら、こんどは椅子が上がらなくなってしまった。
汗かいて戻そうとしたけど無理で、自転車屋さんに
行って、部品を交換してもらった。

そこで考えた。
キョウカのキティちゃん自転車をケータに、
モエカの青い補助なしをキョウカに、そして
私の乗ってる大人用のを椅子を下げてモエカのにしよう。
私は、じいさんの乗ってた電動自転車使わせてもらう。

キョウカは補助なしで練習だよ!


2009年03月28日(土)



 午前様はいいけれど

今日はとーちゃん送別会だとかで午前さま。
帰ってきたの3時だよ!タクシー代高いでしょ!
何件もはしごだって。つきあいで仕方ないらしいけど。

それよりも、何も連絡なしで帰りが遅いと
前はあんまり気にならなかったけど
さすがにじいさんのことがあってから、いつ何が
あるかわかんないので心配になるよ。
今いなくなるとホント困る。
この頃やってたいろんな手続きする自信もないし。

その癖、今知られたら困る秘密もあるらしい。
頼みますよぉ〜〜




2009年03月27日(金)



 春休みでランチは満員

今日も子供達といっぱい遊んだ。

ばあちゃんが姉さんとお湯に行く、というので
温泉まで送っていって、今日から春休みになった子供達と
公園へ行ったのだけど、風が冷たくて見てるのはつらい!

それで、お昼はバイキングに行こうということにして
車で40分ほどの大きなお店まで行ったら11時半なのに
満席で10グループほど待ってた。
平日だというのに、春休みおそるべし。

結局食べ始めたのは12時20分くらいかなあ。
子供達は待ってる間、外で遊んでいた。
食べるものも、そんなに食べられないのに
持ってきたものは食べなくちゃ、と結構お腹いっぱい。

そのあとは、近くの温泉へ。
腹いっぱいで入るのはほんとはよくないんだけどね。
でも気持ちよかった。
3時頃までゆっくりのんびり。

一日遊んで夜はぐっすり。

2009年03月26日(木)



 保育園の卒園式2009

今日は保育園の卒園式。
早いもんだねえ。キョウカが卒園してもう一年か。

ひよこの最後の仕事で、駐車場整理係だったけど
今日は朝から雨で肌寒く、せっかくきれいな服を
来た卒園児や保護者もかわいそう。
1時間くらい立ってたらすっかり冷えた。

卒園式は自分の子でなくても、じ〜んとしちゃう。
必ず歌う卒園の歌があって、それを聞くと
泣けちゃうんだよねえ。

あと2年でケータも卒園。
保護者の中で一番長い人がだいたい最後の言葉を
言うのだけど、年少の親の中では私かもう一人が
上の子を含めて長いので、もしかしたら言わなくちゃ
ならないのかな…何を言おうかな〜
なんて今から考えてたりして。

在園児の発表はポニョの踊りがかわいかったよ♪

2009年03月25日(水)



 粗品とはいえないプレゼント

今日は春休みの貴重な日曜なので、子供達と買い物へ。

モエカがケータくらいの頃「ママいっしょにつくって」
というデザートを作る番組に出演したのだけど
そのスポンサーの食品会社から絵葉書が届いていた。
「その後お元気ですか。ガーデンにも遊びにきてください。
 粗品をさしあげます」
とあった。テレビでたのはもう6年前なのに
さすが好調な会社は違うよ。
そこの社長がテレビに出てる、って実家の父が
わざわざ電話で教えてくれた。

それで、そこに粗品をいただきに行ってきました。
久しぶりに行ったらリニューアルして商品も増えていた。
お客さんも、観光客含めてすごい混んでいた。

粗品だけもらうのも申し訳ないので
ちょっとスープの素とドレッシングも買ったりして。
そしたら、新商品も入った「粗品」とはいえない
たくさんの試供品をはがきと引き換えに渡してくれた。
さすが!気前がいい!
でも、商品の値段は結構高いんだよねえ〜〜





2009年03月22日(日)



 こんどの帰省はロケ地巡り

3月18日に映画「おくりびと」のDVDが発売になった。
アマゾンで予約していたので17日には届いて、
とーちゃんは18日から19日、泊まりで出張だったので
その行き帰りに2回も見たんだって。
私も19日の夜に見た。

なんかこの間うちであったことがシンクロしたり
実家のまわりのロケ地がでてきたりで、ストーリー
以外の部分でなつかしいやらせつないやら、
今まで経験のない特別な不思議な感じで見た。

先に2回も見てるとーちゃんが隣で「次は泣くよ!」
っていうのが興ざめで冷静だったりしたけど
最後のシーンは、さすがに父親と別れだったので
自分とだぶったりして泣けた。じいさんのことが
なければ、また違ったかもしれない。

特別付録映像でメイキングも入っていて、実家近くで
収録してるところもあったりしておもしろかった。
とーちゃんはかなりはまってしまったようで
ネットでロケ地をくわしく調べたりして、こんど
帰省した時はロケ地めぐりしよう、って。

私も、あんなにひっそり建ってた「NKエージェント」
が、照明をあてられてどんなふうになってるのか
見たい気がする。

2009年03月21日(土)



 初彼岸だけど

今日は当番医で午前中は仕事だった。
1月2月と違ってインフルエンザっぽい人も減って
あまり忙しくなかった。

うちは初彼岸なので、休んだほうがいいかなと
思ったんだけど、そんなにお酒や料理をだしたり
おおげさなことはしないので大丈夫とのことで
ばあさんととーちゃんがいるからよかった。
午前中結構お客さんが来たって。

それにしても葬式から忌中見舞い、初彼岸と続いて
来月には四十九日で、来てくれる人も何度も大変だろう。
でも親戚になにかあれば、こんどはうちが行かなくては
ならないんだからなぁ。お互い様だけど。



2009年03月20日(金)



 充実した春休み初日

今日は充実していい一日だった。

今日から姉ちゃんたちが休みなので、どこか行こうか
という話になったら、ケータも行かないわけには
いかない、ので保育園をずる休みしちゃった。

朝、お墓参りに行って昼までどこにも行かなかったが
急に思いついて、学校に電話してモエカの担任の
先生にあいさつをしにいくことにした。
4組の担任の先生も転勤なんだけど、実はケータが
お腹にいる時に一緒にマタニティスイミングしてた
お友達だったので、一緒にあいさつしてきた。
じいちゃんが彫った小さい木彫りを記念に渡して。
作ったものをあげるのも好きだったので怒らないよね。

午後からは、モエカのリクエストでドラえもん映画。
私はあんまり興味なかったんだけど…

初めて行く映画館は、それはそれは古いところで
私の実家のつぶれた映画館と同じくらいか
もっと昔からの建物のような、古びたにおいがした。
子供達も、最近の映画館しか行ったことがないので
最初は怖がっていた。
見る人も、親子が4組、うちを含めて10人くらい。
春休み初日だというのに。
内容は…う〜ん、まあまあかな。
子供達は喜んでくれてよかった。

それから今日は、妹の誕生日。
おめでと〜!30代最後の一年を楽しく過ごしてねん。


2009年03月19日(木)



 

今日は、小学校の卒業式。
明日からは春休みである。

昼休みに家にいたら子供達が通知表をもらって
帰ってきた。それからたくさんのお便り。
忌引きを除けばモエカは欠席2日キョチは1日で精勤だって。
えらいね、よくがんばった。成績もまあまあ。

モエカ達の担任の先生は、転勤だそうだ。
まる6年になるから、そろそろかも…って予想は
してたけど、いい先生だったから寂しい。
クラス替えになるから来年も受け持つとは限らないけど。

送別会とかしないのかクラス役員さんにメールで
聞いたら、学年のPTA会の申し合わせでクラスごと
にはやらないことになってるんだって。

先月28日のクラスレクは急遽行けなかったので
27日の最後の参観日以来、先生とは会ってない。
なんかこのままお別れになるのもさみしいなあ。


2009年03月18日(水)



 つがいを亡くした喪失感

今日はキョチのヤマハの英語なので、夕方迎えに行ったら
「キョウカさん、今日来てませんよ」
えっ!?

そういえば、今日はばあちゃんが疲れている様子だった
ので、歩いていくの大変だったら英語行かなくていいよ、
と言ってきたのだった。そう言ったけどもしかしたら
行ったかもしれないと思ってよってみた。
結局お客さんが夕方来たりして、行けなかったんだって。

仕方ないよね。
つがいの一羽がいなくなったみたいに
急に一人になった喪失感っていうのは
私には想像を超えるものがあるだろう。
ずっと人が来たりして気丈にふるまっているけど
一人になったら、寂しくなるだろうなあ…

時々寂しそうな顔でぼーっとしてる時がある。
子供達が騒いでる時は笑っているけどね。


2009年03月17日(火)



 季節の変わり目は

季節の変わり目、特に冬から暖かくなり始める頃は
亡くなる人が多い、とは前から言われているけれど
今年こそ実感した年はない。

自分ちがそうなるとは思わなかったが、義父が亡くなる
前から、近所や知人周辺で義理が続き、亡くなった後も
とーちゃんの忌引中に、香典をいただいた方の奥さんが
亡くなったというメールが入った。
親や祖父母ならまだしも、私たちと年齢の近い人である。
子供もまだ小中学生だという。
うち以上に本人も家族も、周りもつらいだろう。
後で聞いたのだけど、乳がんで告知もされていたんだって。

自分だっていつ何があるかわからないけど
親や子供を悲しませることになったら困る。
今年は子宮がん検診とマンモグラフィー受けよう!

その後もうちの葬儀に来てくれた人の親族や知人に
不幸が続き、香典を二件出した。いただいたうちには
返さなければならないからね。
なんか、連鎖反応じゃないよねえ。


2009年03月16日(月)



 PPKっていうけれど

最近、元気に長生きしてころっと逝くことを
PPK(ピンピンコロリ)って言って理想的な生き方の
ように言われてて、うちのじいさんもそう言われるけど
ちょっと違うような気がする。

確かにあと10年か20年元気で生きて、そうなったなら
理想的だけどねえ。今の75歳はまだ早いよ。

ただ、「死ぬかもしれない」っていうプロセスが
なかったから、悲しみの感情より驚きの感情のほうが
先にあって、後から考えれば病んで長く床に臥すより
お互いにつらい思いをしなくて済んだという気はする。
自分の親だったら違うかなあ。

母方の祖父は11年前、私が結婚してこの地に来てすぐ
倒れて1週間で逝ってしまった。
高齢で危ないからと、親族が集められたが意識はあって
みんな最期にお別れできたって。
私は妊娠中で行けなかったのだけど…

88歳で1週間病んだだけで生ききったじいちゃんは
PPKといってもいい気がする。



2009年03月15日(日)



 忘れていたホワイトデー

なんだか、慌ただしく夢のような2週間だった。

実家から荷物が届いた。
なんだろう今頃?

おとーさんからのホワイトデーのお返しだった。
いろいろあってそんなのすっかり忘れていた。
マドレーヌいろいろ。うれしかったよ。
葬式以降、まんじゅうとかモナカだとか、地味な
和菓子ばかりで少々飽きていたので。
子供達も喜んで食べていた。

ちょっと普通の感覚に戻れた気がした。
ありがとう、父さん。

だんだん日常のペースに戻ってきましたよ。


2009年03月14日(土)



 連絡がつかなくて…

また失敗してしまった。

今日は一日雨が強くて、ケータのお迎えが大変そうだった。
なので、お隣のしいちゃんのママに一緒に連れて帰ってきて
もらうように、電話しておくよ、とばあちゃんに言って
午後の仕事に戻った。

で、携帯に電話したがつながらない。仕方なくメールした。
そしてそのまま仕事に入り、気がついたらもう4時半。
しまった。
しいちゃんのママからメールの返事がきてない。
見たかどうかもわからない。

あわてて家に電話すると、ばあちゃんが少し怒った声で
「隣は今日はお母さん仕事でお父さんが連れてきたよ。
 ケータが一緒じゃなかったんであわてて迎えに行こうと
 したら、俺が行くってお父さんがまた行ってくれたよ。
 連絡つかないって電話してくれればいいのに」
って。

とほほ〜ごめんなさい…
しいちゃんのママはフレックスなので、頼めると思った
のに…今日はたまたま忙しくて電話みる暇もなかったって。

こうなると困るから、ちゃんと連絡ついてから
家に言わないとだめだねえ。


2009年03月13日(金)



 元気なおしゃべりおばさん

昨日から、じいさんの従妹であるにぎやかなおばさんが
来て泊まっていて、今日高速バスのバス停へ送って行った。

元気でよくしゃべるおばさんで、一人でいつまででも
しゃべっている。

実は、葬儀の時は妹さんと海外旅行中で連絡がとれなかった
のだ。ご主人はお葬式には駆けつけてくれた。
知らされたのは、お葬式の翌日。成田空港から家に無事
ついたよって電話をして、聞いたそうだ。
あまりのショックで公衆電話を抱えて泣いたって。

夕べも遅くまでばあさんと話して起きていたようだったが
今朝も早くから起きて、一緒にケータを保育園まで
送って行ってくれた。今日も高速バスで帰ってからまた
予定があるのだという。パワフルなのはいいけど
おばさんも体に気をつけてね。



2009年03月12日(木)



 爺さんが生きた証

高校時代の同級生3人の連名で、ご霊前と菓子が送られてきた。

そういう気を遣わせるから教えないでおこうと思って
いたのだけど、今年のお盆は帰れないし、去年そのうちの
一人のお父さんが亡くなった時は連絡があったので
この間メールしたのだった。
自分の親と配偶者の親という違いはあるけれど
10年同居している家族が亡くなったという穴は大きい。

去年の夏、その友人のお父さんの家に行ってお線香を
あげさせてもらった。
病院で入院している間に描いたスケッチをたくさん
見せてもらった。最後に書いたのは孫の絵だったって。
油絵もたくさん遺されていた。

うちのじいさんもそうだけど、何か作ったり残すものが
ある人はいいね。作ったり描いたりしたものが、どこかで
生きてるから。
うちにも彫ったものがたくさんあるので、親類や
ゆかりのある人には好きなものを持っていってもらう
ことにした。そのほうがじいさんもあの世で喜ぶだろう。
うちの実家にもいろいろあるし、日本中に散らばってる。
見て思い出しもらえれば、生きた証にもなろう。
歴史に残るほどの人間でなくてもね。




2009年03月11日(水)



 じいさんいなくて困ること

じいさんがいなくなって困るのは、車の運転だ。
ばあさんは免許がないため、いつも買物は乗せて
もらっていた。
また、雨の日の保育園の送迎や、火曜日のキョチの
5時半からのヤマハも送ってもらっていた。

これからどうしようねえ…とばあちゃんと相談して
買物は、私が昼休みや日曜などにまとめ買いしたり
ちょっとしたものは近くの店で買いに行くことにした。
送迎はちょっと困る。
キョチのヤマハの場所は車なら5分かかるかかからない
くらいの距離だが、徒歩では15分くらいかかると思う。
でも、ばあさんが歩いて送っていくよ、と言って
くれたので、今日はお願いした。
モエカとケータはその間お留守番してたって。

大丈夫だったよ、と言ってたけどばあちゃん疲れた
様子だった。足も痛いだろうしやっぱりきついかな…
4月からはモエカと同じように6時半からになるので
私が仕事終わってから送っていけるようになる。
だから、今月いっぱい休ませてもいいけど。



2009年03月10日(火)



 相続は面倒だ〜

今日までとーちゃんは休み。
というか、もともとこの日は有休をとることにしてた。
昨日が法事の予定だったので。

相続関係の手続きは本人じゃないとできないので
平日昼家にいる間に、市役所や銀行や郵便局、
あちこち周ったようだった。大変だねえ…

うちの実家でなんかあったらどうしたらいいんだろう!?
どこに何があるんだか、何がなんだかわかるように
してもらいたいんだけど…
さすがに死んだら困るから用意しといてね、とは言えないし

って、日記読んでるからばれるか!!??

妹と私が困らないように、お願いします(^^;;;;;;

2009年03月09日(月)



 今日が法事だったはず

とーちゃんの妹が東京へ帰って行った。
ばあちゃんは娘がいたおかげでずいぶん気持ちが
支えられていたと思うけど、一人になると
さみしいだろうなあ。

食卓の茶碗の数が、総数7つだったんだけど
いよいよ一つ減って、座る場所も変わった。
とーちゃんがじいさんの席に昇格。
これからはこれだけなのだ。

とーちゃん、世帯主だし本当の意味で家長だからねえ。
いろんな責任がかかってくるよね。
名義変更もしなきゃだし、自動引き落としになってた
公共料金の口座変更もしなきゃだしいろいろ面倒〜
でも、少しずつやらないと。

ほんとだったら、今日が大ばあちゃんの七回忌で
親戚が集まって盛り上がったはずなんだけどねえ。
カレンダーには「3/8お寺」と書かれたじいさんの
力強い文字が残ったままだ。

2009年03月08日(日)



 後期高齢者になったばかりで

今朝はみんなで墓参りに行って
私は途中で仕事場に向かった。
お墓がちょうど通勤途中にあるので。

今まであまり気にしたことがなかった墓標を
見るようになった。
亡くなった年齢とか書いてあるので。
4歳とかいうのがあって、かわいそうだなーと
思うと、昭和初期だったりして。
その頃は仕方なかったのかもね。

うちのじいさんは、2月27日が75歳の誕生日で
いよいよ後期高齢者だねーなんて言って
ばあちゃんが作った大好きなおいなりさんで
お祝いしたばかりだった。

免許証の入ったカバンにはもみじマークが
用意してあった。

まさか誕生日の翌日に、新しい保険証を使ったきり
最初で最後になるなんて。
あまりにあっけなくて、なかなか実感がわかない。
一週間前の朝は、元気だったのだから。
ある意味、ドラマチックな人生だったよねえ。



2009年03月07日(土)



 共通点は喪主の妻

今日から私は出勤。
土曜日の帰りに急に起きた話だったので
同僚たちもみんな驚いて、大変だったね…って
ねぎらってくれた。

特に昨年11月に同居の義父をおくった10歳上の看護師さん
とは話があって、盛りあがった。
そこのおじいさんは長いこと病んで家で寝ていて
もういつお迎えがきてもおかしくない、って状況だった
ので、覚悟と準備はできていたところは違うけど、
喪主の妻という点で共通点があったので。

この数日に起きたことが大きすぎて、気持ちがすぐに
仕事にスイッチしなかったが、なんとか一日過ごした。

子供達も今日から登校、登園。
慌ただしい日々で疲れたと思います、とそれぞれ
連絡帳に書いて持たせた。
みんな学校や保育園では元気に過ごしたようだ。
3学期ももう少し。
モエカはクラス替えになっちゃうからなるべく行かせたい。


2009年03月06日(金)



 忌明けというしきたり

今日まで子供達は休ませることにした。
私は今日はちょうど木曜休みなので、明日から出勤。
今夜は「忌明け」といって、家族は何もしなくてよくて
親戚がみんなしてくれるんだって。

それはありがたいのだけど、1日からずっとごちそう
というか、揚げ物やお刺身やお酒が続いていて
おいしいものも続くとお腹が疲れてきて、正直
もういいや〜あっさりしたのが食べたい〜
という感じだったのだけど。
これをしないと、普通の生活に戻ってはいけない
んだって。知らなかった。
親戚たちだって毎日続いて大変なのにね。

両親も、3日間ホテルに泊まって今日帰って行った。
毎日毎晩つきあわせて疲れただろうなあ。
父はゆうべも結構飲んでいたし。
母は人と話すのが苦手なので、苦痛だっただろう。
ありがとうね。長い運転もお疲れさまでした。

午後、モエカのクラスの女の子二人ともう一人が
ピンポーン。
「モエカさん大丈夫?」と心配して来てくれた。
優しいねえ。
当の本人は2階でWiiやってたのだけど。

2009年03月05日(木)



 命を削って彫った最後の作品

夕べ降った雪は途中でやんだようで、朝はみぞれだった。
薄暗いうちに家の前を雪かきした。
今までは知らないうちにじいさんがかいていてくれたから
私は楽をしていたんだなあ。

今日はお葬式だというのにこの天気。
喪服のすそが汚れるかも。
その喪服も、初おろし。6年前の大ばあさんの時は
子供が小さいから着なくてもいいって言われて着なかった。
今回は、義理でも親なのでそういうわけにはいかない。
しかも喪主の妻だし。
こんなに早く喪主の妻を務めることになるとは…

お葬式には大勢の人が来てくれた。
寒くて足もとが悪いのに、隣組の駐車場係の人にも
申し訳なかった。
びっくりしたよって信じられない様子で弔問に来る人も
いた。私たちでさえ、不思議である。

じいさんが、最後に完成させた木彫りの作品を遺影の前に
飾った。亡くなる数日前に完成させて、私に見せてくれた。
すごく手の込んだ力作で、すごいですねーと驚くと
満足そうに笑っていた。
じいさんは、そうやって人に見せて驚かせるのが好き
だった。まさか、それが遺作になるとは。
大勢の人に見てもらうことになったけど。
みんなが驚いている顔をどこかで見てるかもしれないね。

命を削って作った作品は、数えきれない。
小さいものを入れたら何百とある。
生き急いで、毎日彫刻等を握っていたのだろうか。

そんなじいさんにつけていただいた戒名は
「彫誉義巧信士」
お寺との打ち合わせで住職の書いたものを初めて見た時
なんていい名前だろうと、じんとした。

寒い中、葬式は無事とり行われた。
親戚が集まってにぎやかにすることが好きだったから
みんなで飲んで食べて、おくってあげたよ。


2009年03月04日(水)



 ほんもののおくりびと

今日は、朝から納棺、そして火葬である。
曇って寒い朝だった。

早い時間から大勢集まってくれた。
葬儀屋さんの指示で、納棺は執り行われた。

映画「おくりびと」は、実家の町で撮られたので
じいさんも、あの酒屋行ったことがあるところかも!
と見たがっていた。
それなのに、本人が「おくられびと」になるなんて…

棺に入れられ、窓から外に運ばれて霊柩車へ。
凍みる朝なのに、近所の人たちが大勢お見送りに
集まっていた。何人か泣いているのが見えて
私も泣けてきた。

火葬場へは直行した。
後で思えば、毎年何より大事にしていた田んぼを
周ってあげればよかったかな。でも今年の田んぼが
気になって成仏できなくなるかな。

形式的な儀式は厳かに執り行われ、粛々と進行した。
でもあの棺がドアの向こうに消える瞬間は嫌なものだ。
隣でばあちゃんが崩れそうで支えてあげた。
本当に逝ってしまった。

注文した料理やお酒が足りなかったかな、と気にしつつ
長いような短いような時間が過ぎた。

じいさんは糖尿だったけど、毎日運動してたし
長く寝てたわけではないので、しっかりしたお骨だった。
焼けてしまうと、悲しみというより不思議な感情となる。
なんともいいようがない無感情な冷静な感じ。
骨壷に入りきらず、押し込まれたのは嫌な感じだったけど。


午後からは意外と余裕があって、実家の両親と子供を
連れて買い物へ。とーちゃんの妹夫婦が泊まったり
してるし夜にもお客さんが来るので、私はご飯のことが
心配で。子供達はそれぞれ欲しいものを買ってもらって
ご機嫌な様子。 私も慌ただしかったけど、その場を
離れて両親と話す時間が持てたので、よかった。

昼から降りだした雪が夜には積もってきた。
今年はほとんど積もらなかったのに、よりによって
今日降らなくてもいいのに。

横浜から車で来てくれた妹夫婦は、途中でチェーンを
買ってつけてきたそうで夜になって到着した。
ごめんね、こんな雪の日に。



2009年03月03日(火)



 心残りがあるとすれば

今日はとりあえず何もない日である。
子供達は、休んで家にいても仕方ないので登園登校させた。
保育園にケータを連れていくと、園長先生が
「びっくりしたよ…ケータくんちに大きいおじいさんが
 いたんだっけ?いないよね? 」と信じられない様子で。

私ととーちゃんは、明日明後日の段取りを決めたり
じいさんの弟おじさんが来て、葬式の役づけ決めをした。

弟おじさんも、一緒に旅行に行ってて目的地まで着いて
から兄の訃報を聞き、タクシーで高速で3時間かけて
戻ってきた。他に旅行に行った人たちも昨日帰ってから
夜に駆けつけてくれたけど、ショックを隠せない様子。
きっと今回の旅行は盛り上がらなかっただろうね…

それから時間もあったので、子供達に着せる服を用意
しなければ、と買い物へ。
もう少し小さければなんでもいいけど、モエカくらいに
なれば、普段着というわけにもいかない。
キョチとケータは、ブレザーがあるからそれでいいけど
モエカにも、卒入園用の上下セットが割引で売ってたので
モノトーンで派手ではないものを買った。
150センチだけど、卒業式に使えるかは微妙。

夕方、実家の両親が車で到着。
明日でもいいよ、と言ったのだけど、火葬の前に来て
くれるとのことで、駆けつけてくれた。

ほんとはこんどの土日、ばあさんの七回忌で来る予定で
じいさんが半年も前から計画していて、会えることを
楽しみにしていたのに、こんな形で再会するなんて…
本人も想定外だっただろう。
土曜日は、昼神温泉に泊まる予定だったのに、それも
キャンセル。子供達も楽しみにしていたのに…

夜。
ほんとの身内だけになって、ばあちゃんが
「今日がほんとのお通夜だね」というと
ケータが、
「じいちゃん、もう起きないのかな」といって
泣いた。声もださずに目をこすって泣いていた。

それを見て、私も、とーちゃんも、泣けた。
今まで泣く暇もなかったというか、まだ悲しむ実感が
わかない、というのが正直なところだった。

ケータを本当にかわいがってくれたじいさん。
紙飛行機を折ってくれたね。おもちゃが壊れるとすぐに
電池を替えたり直してくれた。わがままも許してくれた。

木彫りも完成していたし、確定申告もまとめてあったし
なんでも片付いていたけれど、心残りがあるとすれば
ケータが小さすぎるうちに逝ってしまったことだろう。
もう少し、せめてあと10年は生きて欲しかったよ…



2009年03月02日(月)



 じいさん急に逝ってしまった

悲しむなんて感情に浸っている暇はなかった。

だいたい、朝元気で出かけた人が、亡骸になって
帰ってくるなんて、事故にあったようなものだ。

病院で最期の処置をしてもらっている間に、私と
子供達とおじさんが先に帰って、家を片づけた。
座敷には、先週やっと飾った雛段があるのだ。
その前に寝かすわけにもいかないし…

慌ただしく片付けていると、とーちゃんのいとこの
ゆみちゃん一家が駆けつけてくれた。訃報を聞いて
すぐに病院に行ってくれたという。
涙顔のゆみちゃんに、私はとりあえず一緒にこれ
片付けて!と雛段の片付けに追われた。

普段なら丁寧に扱うのだけど、今回はとりあえず
ごめんね!後でちゃんとしまうから。おひな様に
謝って段ボールにつめこんだ。

とーちゃんは電話で近親者に電話しまくり。
病んでいたわけではないので、説明するのも大変。
中には信じてくれなくて、新手の詐欺だと思われた
家もあったらしい。嘘だったらどんなにいいか!

ぞくぞくと聞いた人が集まってきた。
そして6時半頃。 霊柩車が家の前に止まった。
ご近所の人も家の前のガソリンスタンドの人も
それをみて驚いたという。
じいさんの元気な姿をみんな見てたから。

数日前に、とこ屋さんに行ったばかりだったし
何よりお寺の和尚さんに連絡した時。つい2日ばかり
前に、こんどの8日に予定していた七回忌の
打ち合わせに来たばかりだったから、絶句だったって。

何がなんだか身の回りに起きていることが信じられず
頭が追い付かない感じで、実感もわかないまま夜は更け。

明けて3月1日。
お寺や火葬場との打ち合わせの結果、3日が友引なので
葬式はできないから、3日火葬で4日本葬になった。
お通夜は今夜。明日一日あくことになる。

死亡届を私が出しに行った。
日曜で当直の人だったので、少し手間取ったが受理
された。火葬代12000円だって。

昨日知らせられなかった、じいさんの知人や友人にも
朝になって連絡すると、みんなすぐに来てくれた。
誰も信じられない、という様子で。

大人が大勢出入りするので、子供達は2階に行った
まま、ゲームなどをしていた。
祖父の死を目の当たりにした子供達の心のケアは
どうしよう…と思ったが、余裕はなかった。
ショックだが子供達なりに受け止めていたようだ。

葬儀屋さんと通夜ぶるまいや、葬儀の打ち合わせ
などをして、慌ただしい一日だった。







2009年03月01日(日)
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