HIDEの日記
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2003年11月13日(木) 深夜急行バスデビュー

今日は、HuMAのKんどう先生や、Sまだ先生、Nカノさんらがお疲れさま会を開いてくれた。場所は、神楽坂の料亭。そういうとこってちょっと苦手だけど、以外と堅苦しい店じゃなくて、よかった。途中からOトモさん、Oオノさんも来てくれた。このメンバーは帰国後初めて顔合わせた、ってわけじゃないけど、やっぱ、恐縮しながらもうれしかった。

そして、、、横浜駅に着いた時には、相鉄線の終電は行った後。深夜急行バスを初めて使った!値段は電車の6倍くらいだけど、タクシー使うよりはるかに安い(5分の1くらいかな)。今まで、乗り場が分からなくて使えなかったけど、これから利用回数が増えるのかなぁ。。。ちゃんと電車あるうちに帰るようにしよ。


2003年11月12日(水) J-Phone

昨日からJ-Phoneの人の携帯メールのアドレスが変わったらしい。っていうか一昨日まで、それを知らずにいた。メルアドが変わるって結構大変なこと。しかも全国の数割の人のアドレスが一斉に変わるなんて。っっていうか、J-Phoneユーザー以外にも知らせろよー、J-Phone!

ってことで、さっそくいろんなJ-Phoneユーザーにメールを送ってみたけど、何通か、届かず。どうやら、中部や関西のヒトはまだ変更になっていないらしい。ややこしすぎ!よく混乱が起きなかったなぁ、ちょっと不思議。


2003年11月11日(火) 寒がり1人と1羽

横浜に帰ってきて急激に寒くなってきた。。。ヨルダンにいた間に寒さへの耐性が落ちちゃったみたい。とにかく寒いのがが苦手。うちの鳥も寒さが苦手みたいで、2人(1人と1羽?)で一日中寒い、寒い、と騒いでる。ブルブルブルッ。


2003年11月10日(月) イヤーな予感

朝、病院から大阪へ電車で移動していたら、実家から携帯に「すぐ家に連絡するように」とメッセージが。そして電話をするが、誰も出ず。なんだかこういう時って、すんごいイヤな予感がしちゃう。で、何度もかけ直してやっと母親が電話に出る。昨夜、家に車が突っ込んで、ヒデの車が壊れてしまったということだった。愛車がぶつけられたのはショックだけど、車でよかった、、、とミョーな安心感。

そして家に帰ってきて見てみると、車庫に車が突っ込んできたらしく、車庫の柱がなくなってて、シャッターもすでに取り外された後。車は、思っていたほどはダメージ受けていなくて、さらに安心。


2003年11月09日(日) マラリア

昨日のお酒が残ってる。。。目が真っ赤に充血。二日酔いじゃないけど、ちょっとぐったり。でもとりあえず会場へ。。。

今回の研修はマラリア検査法。顕微鏡覗くの何年ぶりだろ。おそらく中3くらいが最後かな。ってことは約10年ぶりかぁ。最初は「蚊」に関する講義。「へぇ〜」の連続。ずーーーっと顕微鏡覗いてたら、酔っちゃったっぽくて、ちょっとくらくら。やっぱ慣れんことすべきじゃないね。そして最後は、実際に血液を採取してのマラリア判定。さすがに誰も陽性反応出なかったけど、指先を切って、採血して、試薬で判定と本格的な流れ。指先切った時はちょっと痛かったけど、その分面白い研修だった。

そして当然のように、打ち上げ。ほんとここのメンバーは酒好きだから。。。そして2次回はとある病院の院長室。そこでも飲み。当直にヨルダンで一緒だった、Hヤシ先生もいて、7ヶ月ぶりの再会。そのまま病院 の関係者用のベッドでバタン。

以外と病院の関係者用のベッドもしっかりしていて寝られる。これなら、医者としてもやってけるかなぁ、って。やっぱ大変だろうけども。。。


2003年11月08日(土) 再び大阪へ

明日は大阪でJICAの緊急援助隊医療チームの研修があるから、今日からまた関西へ。交通費が半額しか支給されないので、「こだま」なら安く乗れる「プラットこだま」というプランを使って大阪へ。これはこだまの指定席を安くして、空席率を減らすためのJR東海の作戦らしい。正規料金だと14000円くらいなのが、1ドリンクつきで10000円くらい。でも普通に窓口で売ると、正規価格で買った客に失礼だとして、JR東海ツアーズで扱ってる。うーん、一応別会社らしいけど、完璧に系列会社やん!まぁ利用者にしてみりゃ安けりゃいいんだけど。

新横浜から、こだまに乗って、新大阪へ。のぞみやひかりだったら、2時間ちょっとの旅なのに、4時間以上の長旅に。。。しかも指定席も一般のゾーンはがらがら。プラットこだまのゾーンはこみこみ。新大阪までこだまはちょっと辛いなぁ。名古屋あたりまでだったら、そんなに辛くないんだけどもなぁ。多分今回限りかな、大阪行くのにこだま使うのは。

大阪では、例のごとく、明日の参加者たちと飲み会。なぁんか、飲み足りなくて、結局午前3時まで。ま、たまには、いっか。


2003年11月07日(金) 標的

最近、1日中家から一歩も出ない、という生活に発狂しそうになり、夕方散歩に出ることが多い。だいたい自宅周辺を1時間から2時間、うろうろふらふら。よく歩くのが、海軍道路。実家から海軍道路の入口まで約3km。海軍道路はジョギングコースとしても整備されていて2.7km、なので往復約11kmの散歩コース。で、海軍道路の「海軍」は大日本帝国海軍でも海上自衛隊でもなく、U.S. Navyの海軍。この道路はアメリカ海軍上瀬谷通信隊の基地としてベトナム戦争の頃使われていたらしい。今でもちょっとは使われてるのかな。ってことは、テロられても。。。あんまし、警備とかしてなさそうだし、アメリカ軍的にはそぉんな大事な施設じゃないけど、一応れっきとした「アメリカ軍関連施設」だから。周辺は、車はそこそこ通るけど、畑に囲まれて人通りは少ないし、街灯は少ないし、考えてみたら結構危ないところを散歩コースにしてたんだなぁ。。。


2003年11月06日(木) メディアの責任

「群像」という雑誌を探しに、図書館へ。こういう文芸誌は本屋よりも図書館の方が見つけやすい。普段は「この手の雑誌読む人おるん?利用率は?」って言うような雑誌を取り揃えている公立図書館に腹が立つが、「自分の金を払ってまで購入したくない」という雑誌を見たい時には便利かも。そしてしっかり、雑誌コーナーにおいてあった。

なになに、「連日60度の」?おいおい、バグダッドで60度行ったっていう話は聞いたことないぞ。ヨルダンの砂漠で45度越えて「あぢぃー!」ってなってた日にバグダッドで「50度」、という話は聞いたことあるが。この時点で、この青年がセンセーショナルな世界に行ってきたヒーローを演じたがっていることが明らか。あとは似たようなことの繰り返し。

日本人はこういう話に弱いから、だまされちゃうんだろうなぁ。これを鵜呑みにしちゃえば、イラクというとこはとにかく大変なとこ、という遠い世界のイメージになるばかり。そこにだって、人は何千年にも渡って生活してきてるんだから。こういう伝え方を手助けしているメディアにも責任があると思う。ちゃんと裏を取れば、「おかしい」と気付くはずなのに。一般の日本人よりもメディアの方が情報も持ってるのに。

昔、朝日新聞の記者と「言論の自由」をめぐって言い争いをしたことがある。「正確な記事」よりも「売れる記事」を書きたがるメディアには検閲が必要、と言ったら、「お前は『言論の自由』の意味を考えたことがあるのかぁ!」と言われてしまった。自由の裏には責任が付きまとっているのだから、その自由を謳歌したいのなら、その自由によって生じる責任も果たしてもらいたいものだ。1回流れてしまった過った情報は、後日3行の訂正記事を出したことで、清算されるとは思えない。1回植え付けられてしまった情報は、訂正記事くらいじゃ、上書きされないし、それを見落としたら、そのまま過った情報を信じ続けてしまうであろう。だからメディアもそれだけの影響力(破壊力?)を持っているとちゃんと理解し、その力の使い方にもっと慎重になって欲しいとつくづく思う。

あとこの青年がもし、イラクにいた時に殺されていたら、、、日本のメディアは大騒ぎしてたであろう。その結果、NGOなどの活動も制限されるし、大使館も事後処理に追われてしまい、日本のイラク復興支援がそれだけ遅れてしまう。今、イラクで1人の日本人が死ぬことは決して一個人の問題でもないと思う。やっぱり日本人一人一人がメディアにだまされないように、もっと賢くならねば、だなぁ。


2003年11月05日(水) まじ?

エイガさんの日記を読んでいて、自分の目を疑った。え、こんなことがあってもいいの?そんな無責任なことが雑誌で書かれていたの?って。

彼が日記に書いていたのは、講談社の「群像」という雑誌に連載されていた記事について。「ナヲキ」という青年がイラクに行ってきた時のことを、その連載の筆者がインタビューして書かれているらしい。とにかくエイガさんの日記上で抜粋されている部分を読んでいるだけで、ワナワナと怒りが込み上げてきた。そこには、「国連はイラクで何もやってないんだから、テロの標的になって当たり前」などなど。この青年は1ヶ月バグダッドにいたようだが、彼はこういう「危険と言われる地域に行って、帰ってきたヒーロー」を演じたかったんじゃないだろうか。

批判するにはちゃんと全文読んでからすべきだろうから、明日この雑誌を探してみよう。


2003年11月04日(火) お飲物は?

とあるファーストフード店のレジに並んでいた時の出来事。
店員「お飲物は何にいたしましょうか?」
女子高生「ウーロンハイ、、、ん?、いや、ウーロン茶で。」

この会話を耳にした時、周辺はみんな凍り付いてた。きっとこの女子高生にとってはウーロン茶よりもウーロンハイの方が身近な飲み物なんだろうなぁ。恐ろしや、恐ろしや。


2003年11月03日(月) 犬も食わない

うちの母親は陰険で、人の神経を逆撫でするようなことを平気で言う人である。うちの父親は頑固なへそ曲がりである。こんな両親がけんかをしていると子どもはホント、嫌になってくる。ただそんな両親を見ながら、両親の悪い面を受け継いでしまっている自分に気付き、さらにブルーになってくる。。。独り暮らしが7年以上続いた後に、実家暮らしをするのは、ちょっと大変。とっとと独立せねばと焦る焦る。


2003年11月02日(日) ぼんやりと

今日も1日中家にいて、机に向かってた。ホントは、今日模試のはずだったのだが、関西から帰ってきた翌日に申込に行ったら、締め切られてた。。。インターネットで調べたら、予備校の校舎では申し込めるような感じで書いてあったのに、なんか納得いかん。


2003年11月01日(土) たった2ヶ月。されど2ヶ月。

とうとう11月だ。帰国してもう2ヶ月。ヨルダンの砂漠が遠い世界になっちゃったな。。。そろそろ砂漠も寒くなり始めてるのかな。3月の砂漠は夜、ホント寒かった。難民たちはどうしてるんだろう?


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