今迄。そしてこれから。



 グアムと日本人

「グアムと日本人」山口誠著(岩波書店)
を読みました。



島を支える二本柱が「観光」と「軍用地」。
青い海に白い砂浜をうたい、日系の設備が整ったホテルがずらりと並ぶ。
その楽園のイメージからはかつてその地で血が流れたという事実は、見えにくい。
経済の主軸が観光であり、軍用地で生計を立てる人も少なくない。
その為、自立の道は困難であり、外部の要因で大きく島が左右される、南国の島。

どこかに酷使しているという思いを、無視できなかった。
沖縄に、ひどく似ている。

グアムはかつて、日本に占領されていた時代があった。
「大宮島」と名づけられたその島で、日本兵がグアムの人々を虐殺した事実がある。
「大宮島」の日本軍のために造られた飛行場は、その後日本本土を爆撃する米軍の滑走路なり、ベトナムへ向かう米軍機が飛び立ち、現在はグアム国際空港として、年間100万人もの日本人観光客が利用している。

見晴らしのよい場所に隣接するトーチカと挙式上。
どちらも日本人が造ったものだ。しかしトーチカをただの岩と見るか、米軍を狙う大砲の台と見るか。
「大宮島」の記憶のない日本人の目には、トーチカはただの岩にしか映らないだろう。
日本人の死刑囚が収容されていた戦犯収容所の跡地には、日本人新婚用のチャペルが建てられ、新婚夫婦が列をなして式をあげる。


戦後日本を主とする観光業を主軸にした島での現地住民の生活は、決して良質ではない。
純粋な島の住人たちが島をすて、労働力として投入されるフィリピン人を主とした移民が増加をたどる。
その労働力の主たる吸収場所は、日本を代表する観光ホテルだ。

チャモロの人々がいなくなり、移民が増える、商品化された観光の島。
そこに文化の継承はない。
いったい誰がそのような島にしたのか。
私たちは考えるべきだ。


要は、アメリカ本国からきたアメリカ人が、沖縄に遊びに来て、一流の観光ホテルに泊まり、海で遊び、那覇でショッピングをして帰る。
商品化された観光には、辺野古のフェンスに結ばれたメッセージも、大学に落ちたヘリコプターの脅威も届かないかもしれない。
グアムと日本人の関係は、それと同じようなことだと思う。

沖縄県民からしてみれば、沖縄の自然を楽しむのは歓迎だけれど、その地でかつて何が起こっていたのかくらい、知っておいてもらいたいと思うだろう。

観光を否定するわけでは決してない。
海を楽しむのも、その島を楽しむという意味では間違っていない。
旅に非日常を求め、楽園を満喫するのを否定するわけでもない。
けれど、その楽園は、いったい誰が作り上げたものなのか。知らずにいた自分が恥ずかしい。
過去に何があったのか、それが今どのような形で跡を残しているのかを何も知らずに、現在に平和を求めるなんて、そんな無責任なことはできない。

中身が殻っぽになりつつある島で、いったい何が起きているのか。



2008年04月25日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加