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谷口 令のハッピーダイアリー  
もうひとつのお誕生日 2002年04月29日(月)

やさしい声


忘れることができない、今から15年前のこの日。
私の乗っていた車が、10m下の川に
転落したのです。

ゴールデンウィークまっさかり。。。
場所は丹沢。

そのとき、もう一人の私が
体から飛び出し、木の上に浮かんで
事故の一部始終を見ていました。

しばらくして、やさしい声が聞こえました。
『あなたにとって、こちらにくるのは
 まだ早いから戻りなさい』

その言葉を聞き終わると
衝撃でぺっちゃんこになった車の中で
気がついたのです。

やっとの思いで車から這い出した
私の顔は破けてめちゃめちゃでした。

でも、そのショックや痛みよりも
こうして戻ってこられた不思議な感覚で
胸がいっぱいでした。

あれから15年、
事故の後の人生が一転。

戻ってきた目的がわかってきたのです。
この世に戻ってきた目的。。。
それは、人に夢や希望を与えること。

時々、忘れそうになると鼻の下の傷がうずきます。

今日は偶然、素敵なご家族に
最高のランチとおいしいケーキをプレゼントしていただきました。

こんなチャンスもすべて宇宙の手配?
谷口 令のハッピーダイアリー  
地鎮祭 2002年04月25日(木)

地鎮祭


家の建築にかかわっていると
地鎮祭の日を選ぶことがあります。

家を建てる前に行われる地鎮祭とは
本来、活きている土地を鎮めること。

すべて、自然のものには神が宿っているという
日本人古来の考えそのものです。

そして、これから着工する建物に対して
施主、設計者、施工業者が一緒に安全を祈願して、
みんなの気持ちをひとつにするのです。

地鎮祭は何度参列しても感慨深いものがあります。

これから建てる家の家相を
設計者と何度も何度も話し合いを持ちます。

いつも思うのですが、
『吉相の家』というのは
設計の段階からもうその効果が出てくるのです。

今、設計中のIさんの家は
お年頃のお嬢さんの部屋を
完全に(巽)東南に設計をしたのです。

そう素敵な結婚をするために!

するとどうでしょう!
なんと、設計中に素晴らしい彼に出会ってしまったのです。

今度は、お嬢さんの結婚式の日取りを選ぶことに!
谷口 令のハッピーダイアリー  
山下達郎さん 2002年04月19日(金)

幸せ


山下達郎さんのコンサートに行きました。

今年で音楽活動25年。
50歳になるそうです。
私と同じ年代。。。

達郎さんはステージからこう言いました。

「こんな時代、
 大好きなことをやっている僕は、
 なんて幸せなんだろう。。

 でも、20代は本当に大変でした。
 歌を出しても出しても売れなくて
 廊下ですれ違ったプロデューサーに
 『お前、まだここにいるの』と言われて
 どんなに悔しかったことか。

 今でもその人の顔は忘れない。。。」


そう、あの山下達郎さんにも
そんな時代があったのですね。

50歳になったとき
『今の私って最高に幸せ!』
って言えるのは
20〜30代の闇を抜け出してきたから!
谷口 令のハッピーダイアリー  
引きこもりの青年 2002年04月17日(水)

メッセージ


私が感動したのは、
青年が引きこもりから抜け出した後の
自分の人生を見つけていく過程でした。

『引きこもっていた、僕にしかできないことがある』
あの混沌とした辛い5年間。
全てを消化した自分にしかできないこと。。。

彼はそれから猛勉強をはじめ、
一浪して4つの大学の医学部に受かったそうです。

そして彼が選んだのは
精神科が充実している佐賀大学。

その入学式で晴れやかに笑う彼とお母さん。
お母さんはこう言いました。

『人生に無駄なことなんか、なんにもないんですね。
 引きこもっていたことだって
 このためだったような気がします』

そして、引きこもっている人への
彼からのメッセージ。

『生き方なんて、数え切れないくらい何通りもあるんです。
 必ずその中に、笑顔や希望を見つけられる。。』
谷口 令のハッピーダイアリー  
たくさんのメッセージ 2002年04月16日(火)

メッセージ


毎日が、何気なく過ぎていっているけれど
実はその中に
『気づいてください!』
というメッセージがたくさんあるのです。

今日の流れも、すべてが必然でした。

たまたま逗子の披露山のレストランに
ご招待していただいた帰りのこと。

新鮮な魚をたくさん買ってしまって
これでは家に帰るしかない。
いろいろな予定はすべてキャンセルです

家に帰り、ふとテレビのスイッチを入れると
ニュースは
『5年間 引きこもっていた青年』の話。

5年間、自分の部屋の中だけで外の世界と遮断された生活。
壁には「ハヤクシニタイ」の文字。

その青年をある人が、明るい太陽の下に
連れ出したのです。

青年は、心が回復していく中で、
自分の存在をやっと肯定することができたとき
こう叫びたかったそうです。

『お母さん、この世に生んでくれてありがとう』って。

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