モリハルゆ記

2005年02月23日(水) 確定申告

 確定申告してきた。年収2,000万円超えてしまい、さらに今回は山林を処分したんで不動産収入もあったからというのではなく、私は自分で青色申告しなくちゃならんお仕事に従事しているからだ。仕事仲間の連中は面倒くさいらしく、確定申告あんまり好きではないみたいだが、私はけっこう好きだな。
  

 何故かというと、税務署で働かれている方達の対応が素晴らしいというのがまずある。全然『お役所』っぽくない。お茶こそ出ないが「お忙しいところわざわざお越しいただきありがとうございます。」という態度が署員の皆さんからにじみ出ている。そこら辺の民間サービス業より遙かに対応がイイ。

 私はどんなに美味いモノ食べさせてくれるところでも、店員さんの対応が「???」のトコにはリピートしないという、とっても器が小さい人間である。これまで土浦、川越、杉並と3ヶ所経験しているが、税務署チェーン店の顧客(納税者)対応力、私の中での順位は『和民』といい勝負の上位にランクされている。

 あと、数字を足したり、割ったりしてまとめあげ、それを加工するという作業が好きだ。数字は式によって決まった値しか出てこないけど、それを表現の仕方でイロイロな姿に変えて伝えることができるんだな。確定申告の数字は、1年間の売り上げ、銀行口座の通帳、飲み屋の領収書などに記載されているモノをプロデュースしていくモノだ。過小申告とか脱税するためというのではなく、考え方やり方によってはけっこう違うモノに仕上がる。だから面白い。

 それでは税務署のみなさん、何ヶ月後かに調査とかでお会いするのではなく、来年またこの時期、笑顔でお会いしましょうね(^^)/~~~



2005年02月17日(木) 遍歴

 携帯電話の機種変更をした。私に連れ添う、七代目携帯電話である。「女房と携帯電話は新しい方がイイ」と、昔からよく言われるが、なるほど七代目の携子ちゃん、ウツクシイ〜! So beautiful!携子ちゃんの液晶画面、とっても肌理が細かくしっとりしている(感じだ)!ボタンを押すと、まだ初々しいせいか反応がよく、押し返してくるような弾力がある!そしてアソコの機能がこれまた凄い!


デジカメ機能の画質、195万画素だ。

 私はこう見えても46歳のオッサンだ。次々にタイプの違う子と付き合うには、いささかまいってしまう年代になってしまった。そりゃ昔、やんちゃだった頃はひどいコトもしたもんだ。

 初体験はPHSのP子ちゃんだった。私は経験不足だったので、P子ちゃんに携子ちゃんの真似を強要するという無理難題を押しつけ、よく圏外にされてしまった。そんなとき、ファミリー・レストランの会計で引いたくじで『Jフォン』の携子ちゃんが当たると、さっさとP子ちゃんを捨ててしまった。その携子ちゃんも1年くらいで、「オマエのために新しいバッテリーを買うのなら、ピチピチのに代えるわ!」と3代目携子ちゃんに切り替えてしまう。

 そうこうしているうち、私は転職をする。ステップアップを夢見ていたので、『NTT DoCoMo』のブランドバリューを手に入れたくなってしまった。良くわかんなかったが、『i-mode』というのが付いてくるではないか。「これだよ俺をビッグにするのは」と、P500iの携子ちゃんをビッグカメラのポイントで手に入れた。だが、ここから私が携子ちゃんに縛られる時代が続くとは、夢にも思わなかった。

 一度P系に慣れてしまったので逃れられなくなってしまったのだ。娘のP502i、妹のP203iそして今回いとこのP506iCだ。メールの文字変換方法、各種機能の配列、ACアダプターの共用などから、無理して新しい子に触手をのばすことが出来なくなってしまった。

 ま、でもいいさ。今度の携子ちゃんとしみじみ仲良くやっていこうっと!


 



2005年02月14日(月) バレンタインデー

 この日の存在を知ったのは小学校6年生のときだ。「2月14日は女の子が好きな男の子にチョコレートをあげるみたいだ(*^_^*)」自分のお父さん、お母さんからもらうのではなく、家族以外の女の子、異性からもらえるかもしれないというコトに、心臓がバクバクした記憶がある。

 「誰が僕にくれるんだろう?」・・・結果、誰もくれませんでした。背がひょろっとして浅黒く左利きでバカ笑いしないちょっと不良っぽい(といっても小学生なんでたかがしれているけど)男の子が、ほぼクラス全員の女の子からチョコをもらったという事実を知った2月15日、「真面目だけでは世の中ダメなんだな」と悟った。

 中学2年生のとき、私はけっこう人気あると自分で思っていた。クラス委員だし、勉強、スポーツもソコソコだったし、ビートルズとか洋モノも聴いていたしね。当時流行っていたマンガ『愛と誠』の誠のように、ガクランの下に紺のハイネック着たりして、ちょっと不良っぽくなれたと思う。(真面目な生徒は白いYシャツね)そんな年の2月14日、教室の私の机に何か入っているのを見つけた。紙袋の中にはセーターが入っていた。そんな厚い毛糸ではなく、ガクランの下にも着られるアーガイル柄のセーターだった。「誰からだろう?」手紙とかくれた女の子を特定するものが何も入っていなかった。

 翌2月15日、ガクランの下に着て登校した。袖口とか胸のボタンとボタンの隙間からチラっと見えるから、くれた女の子が「喜んでくれるだろう」と、浅はかにも考えたワケだ。早速2〜3人の女の子グループから声掛けられた。「モリくん、学生服の下に着ているセーター、ちょっと見せてくれないっ!」その瞬間、すべてを悟った。「このセーターの宛先は僕じゃない!」その日、誰が何と言おうともガクランを脱がなかった。そして、帰宅後、そのセーターは我が家の押入の奥に永遠に封印された。

 46歳の今、奥さんからチョコのみならず、牛肉とワインももらった。昨日、2月13日、バレンタインデー・イブだけど、すき焼きパーティーを家でおこなった。

     

 ご飯食べずに、牛肉とワインだけでお腹一杯!やっと落ち着いたバレンタインデーになりました。



2005年02月05日(土) 社保不完備

 一昨日の夜からスギ花粉の薬を飲み始めた。飲み始めの頃、強烈に「ボ〜」っとなる。昨日は朝一番から顧客である社長と会う予定だったが、朝、どうしても寝床から離れられず遅刻してしまい、その社長に「ドッカ〜ン#」と怒られてしまった。だが、「ボ〜」っとしていたので全然平気だった。恐るべし薬の効果!

 話しは変わって、今日、お仕事が「パチンコ」のお客様からご契約をいただいた。その手続きのためご自宅に伺い、液晶大画面テレビを家電量販店以外で初めて拝見した。スッゴイ画質がキレイだ。上戸彩の毛穴が見えた。

 その方は大学を卒業し、コンピューター関連の会社を経てパチプロへ転職した。パチンコすることで生計をたてているわけだが、その業界でも有名らしくパチンコ雑誌に寄稿もしているそうだ。年収は同年代平均の倍はあるんじゃないかな。

 モリハルも高校、浪人時代にパチンコとかアレンジボール、雀球、麻雀とかをよくやった。その頃ギャンブルに夢中だったが、大学に入ってからは車とかスキー、テニスなど女性うけするモノに興味が移ってしまい、賭事は宝くじ以外やらなくなってしまった。月日は流れ今の時代、パチンコはギャンブルじゃないみたいだ。

 確立の期待値って中学だか高校で学んだが、パチンコはその実践だそうだ。期待値に見合った額を投資して利益を回収する。同業者、インターネット等を駆使してパチンコ店の情報を収集する。それを分析し、一人では限度があるので、バイトを時給いくらかで雇って投資するそうだ。まさにこれはギャンブルではなくビジネスだね。

 だがそのお仕事、社会保険完備ではないみたいなので、けっこう大きなご契約をいただきました。



2005年02月01日(火) 典型的旅

 先週末、熱海へ行って来た。

 

 旅行といったら、昔から熱海と相場は決まっている。3年目の新妻と、去年末購入なので2年目に突入する新車と一緒に行ったのは、会社の保養所だ。

 

 我々以外に二家族来ていると知ったのは夕食の時だ。隣の部屋で宿泊するご家族は、20代後半〜30代前半とおぼしきご夫婦と3歳になるお嬢さんご一家だった。すき焼きをつついている最中、そのお嬢さん、○○○ちゃん、とても我々のことが気になるらしい。ニコニコして近づき、習いたてのバレエを披露してくれる。お礼に私は、親指が『ポンッ!』と抜ける40年来の技を披露した。この年代のお嬢さんは、ツボにはまると笑いが止まらないみたいで、何度もアンコールを要求される。私の親指は30回くらい抜けたと思う。

 

 熱海港が一望できる東向きの窓は、朝日が眩しい。夜中何度も起きてしまったので、目がショボショボする。隣りの○○○ちゃん、夜中に指が抜ける夢でも見たのか、何度も激しい夜泣きをしたので、その度に私も起きてしまった。旅した時の朝飯は、寝不足でも大量に食べられるから不思議である。ご飯おかわりして完食した我々はMOA美術館へ向かった。

 MOA美術館は、な・なんと創立者岡田茂吉氏の略 Mokichi Okada Association の略であった。名前の由来でたまげたが、運良く、展示期間は毎年この時期だけみたいである国宝の尾形光琳作『紅白梅図屏風』が見れた。尾形光琳が住んでいた住宅が再現しており、それを拝観しながら抹茶まで堪能してしまった。お茶屋さんの着物着た綺麗な店員さんに「写真撮影はご遠慮ください。」と言われる直前に撮影したのがこのお菓子だ。
 
 

 この後、18歳未満入館禁止の『熱海秘宝館』へ移動した。割引券使ってお一人様1,500円の入場料であった。30年前に行ったら腰が抜けたであろう。46歳の今、乾いた笑いが起きた。ウン笑えた(^O^)

 この時期、やはり梅である。華やかで国民的行事である桜の花見、その前には梅がいる。『熱海梅祭り』にこれまた運良く遭遇した。『ミス熱海梅祭り』を応援する『ミス郡山』もいらっしゃっていた。彼女達を見て思った、「TVに出る芸能人はキレイでスタイルいいんだな。」と。

 


 旅のお土産は『鈴廣の蒲鉾』だ。ところが、小田原厚木道路入り口近くにある『鈴廣』のお店は、団体おばちゃんに占拠されていた。蒲鉾の『試食』が追加されると大きなおばちゃん津波が押し寄せる。恐ろしい・・・!なんとか津波をかき分け、『わさび漬け』と『蒲鉾』を確保し、避難できた。

 あ〜1泊2日、楽しい旅ができたなぁ〜!さて、次はどこに行こうかな!
  


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