もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2019年09月30日(月) 月末の増税準備

明日から増税ですね〜



上がった税金分
確りまともに使われないのが確定しているのにね〜(汗)



ま〜
それは置いておいて


かなり前から10月から税金が上がるよ!ってネットでもTVでも
どこでも言っていたのに・・・・・・・・・





直前で買い物に走るアホの如何に多い事か(汗)


スーパー、薬局で長蛇の列・・・
ま〜日持ちしないものは直前でってのは分らんでもないが
それにしても日用品の2%の増税でヒーヒー言うなら
ライフスタイル自体を見直せよって感じだし
家電だの定期券だの大物に関しては、その2%がかなりの額に
なるので分かるが・・・・それでも直前の30日に動き出すって
時点で何やってんだかと思う(汗)



で、ガソリン
今日入れても昨日入れても大して変わらんだろ!?
夕方過ぎから続々並び出して、無駄に店の外まで渋滞(汗)

で、店員に「まだか!?」とか
「前の車が横入りした!」とか・・・・・

もうね
アホかと!
並んでいる間、自分の計画性の無さとアホさ加減を黙って
見つめ直してろ!!(怒)



更に、閉店後
「明日からの増税に備えてPOSSのシステムのVerUPを
しておいて下さい」って夕方になって本社から連絡があり
一緒に送られてきたマニュアルが・・・・メッチャ厚い(涙)


この前は発電機の入れ替えで深夜まで
一昨日はスタッフミーティングが夜からあって終わってから
閉店作業で深夜まで

・・・・今日も深夜コース確定か〜(涙)



もうさ
国の都合で増税するなら、それに付随する手間は各店舗に
公務員がやって来て全部公務員がやれ!!!


あ〜ただでさえ面倒な月末の閉店作業なのによ〜(涙)



2019年09月28日(土) 奇跡のラーメン屋

今日、出勤して早々に
長期間、法人に出していた車を回収しに
1台の車に乗ってしゅんたを引き連れて海老名へ

その足で回収した車で2台に分乗して藤沢の山奥へ


別件で最初に乗って来た1台目の車を保険代車で
ディーラーへ納車して、先程回収してきた2台目に乗って
店へと戻ります。

一気に2件、面倒な案件が片付いて良かった〜(笑)




で、帰り道
味噌で有名なラーメン屋の前を通過時に
「最近、この店に立ち寄ってないな〜」と呟くと
「え!行っちゃいますか!?」と最近、俺がどんなノリを
求めているか理解してきたしゅんたがイイ感じだ(笑)

で、店に戻って留守番していたクロに
「今夜暇?暇だべ??暇って言って」と相談


「何か良く分かりませんがOKです!」と即答
・・・こいつも育ってきたな(笑)


で、急遽今夜ラーメンを食いに行く事に!


今日は休みの大にも声を掛けてみようとクロに連絡を頼みます。



クロ「大、今日は用事があって無理みたいです」
マジか〜
来れないのも可哀そうだし別の日にするか?
クロ「あいつデートです!女といます!!」
よし今日行こう
しゅんた「絶対に今日行くべきですね」

最近巷で流行のオトナ気も容赦も無いスタイルです。




クロは夕方まで
しゅんたは21時までの勤務だったので、各自一時解散して
22時に店に集合に!


22時前にやって来た2人にも閉店作業を手伝って貰い
最短で22:30過ぎに閉店業務を終えて店を離脱!
俺の車に乗り込んで昼間に通った道を逆走してラーメン屋を
目指します♪



ラーメン屋に入って、何か視線を感じるなと思っていたら
後ろから「・・・・・・・・ジャック?」



俺をこの名で呼ぶのは!?







一人!?

マジで??
何で??
どうしてここに!

まさかの中学時代の同級生と遭遇(笑)


俺は2年振り位にこの店に来て
一人も1年振り位にこの店に来たらしく
そもそも一人と会うのも一昨年の忘年会以来


すげー確率だ(笑)


先に食い終わった一人と別れ、俺らもガッツリと食いました♪
ま〜何時も通りに若者たちよりオッサンが一番ガッツリ
食ってますが・・・夜中に!!(滝汗)


ま〜ドンマイ♪(マテ)


食後、車内で話しながら帰ったら話が盛り上がり過ぎて
終わらずに駐車場で結構話してしまった為、解散が予定よりも
だいぶ遅くなりましたが・・・クロは明日も朝から仕事だっけ?


頑張れ!(苦笑)


近場のファミレスを制覇しつつラーメン屋巡りを並行して
行うのも悪くないなと思いました。

次回も素晴らしいサプライズに期待したいです(笑)



2019年09月24日(火) 第15期上〆会

本日は毎年恒例の上半期の〆会です!

久しぶりに『横浜』での飲み会です♪





ま〜メンツは全然集まらずに・・・って感じだったので
集合も遅めの19時


最初は俺とキタイ
仕事後にクラウザーの3人の予定だったのですが
まさかのMICHELが大逆転で仕事が早く終わり
参加に!!

「今から行くわ!」と連絡を貰ったものの・・・・


どうせ集合遅いしな〜と油断していて俺が遅刻最中(汗)


定刻に着いていたキタイとMICHELで先に
開始して貰います(苦笑)


19:20
俺、参上!!(ヲ)






取り敢えず、駆け付け1杯で乾杯♪


まず会話は
「お前、マジであの台風の中でよく五島に行ったよな〜」
「先輩、本当にあの日に五島に行ったんですか!?」

えぇ
行きましたが何か?(過去日記参照)
メッチャ大変だったけどな!!(涙)



20時過ぎにクラウザーもやって来て
これで全員集合!
4人ですが、盛り上がっていきましょう!!

旅の移動手段で車がスタンダードで
飛行機もたくさん乗ったし、最近船にもいっぱい乗っている。
後は電車の旅か・・・・・ヘリか!?とか
MICHELとクラウザーの2人で行った
温泉旅行の話や、クラウザーのキャバクラ暴走事件の話など
馬鹿話で盛り上がっていたら

MICHELから
「最近、遊べてない!旅に行きたい!!休み合わせて行くぞ!」と
熱い決意表明が!!

「俺も!E.Tと旅先でチェケラッチョしたい!!!」
byクラウザー


う〜ん
近いようで違う(苦笑)
でも熱意は凄い籠ってる
もうね、ドロドロしつつキラキラしてる(ヲ)


ま〜そんな話をしつつ、前期の反省と
後期の予定の確認。
来期の要望など話し合いつつ、何時もより少し早めの
23時頃に解散・・・

横浜駅でクラウザーと別れて3人で相鉄線で帰路につきます。
電車内でも3人で今後行きたい場所とか、何時かは乗ってみたい
夜行寝台列車!とか学生みたいな話をしつつ帰りました(笑)



今期で・・・・15期
その15期も半分が終わりました(汗)
相変わらず時の流れはビックリするくらい早いですが
負けないように遊び続けて行こうともいます!!

ま〜
当面の目標は飲み会参加10人です!
今期の下半期で達成出来る事を切に願います(涙)

それでは今日もお疲れ様でした〜



2019年09月20日(金) 目の使い方☆

うちの店のアルバイト

ちょくちょく日記に出てくる野郎3人(過去日記参照)
以外に女の子が1人います。
N尾ちゃん

若干天然入ってますがいい子です♪
若干天然入ってますが(苦笑)




今日も店は混雑していて
整備も予定がギッシリなところに飛び込みだの
クレーム処理だの追加で入って来ててんてこ舞い状態(汗)


そんな中、その子が接客していた作業待ちの客が
「今持ってるドラレコを序に付けてくれ」と

ついでに出来る作業じゃねーよ!
少し考えれば分かるだろ?アホなの!?って感じです♪

ま〜アルバイトに↑そう言って断れ!とは
流石に言えないので(マテ)
「メカにやってくれるか聞いてみて?」とメカに丸投げ☆

「その時、上目遣いで可愛く聞いてみるんだよ」と
アドバイス!


「わかりました〜!」と元気にピットへ走っていくN尾ちゃん


「ダメでした〜今日は無理って言われました〜」と即帰って
来ました(汗)

「そっか〜(ま〜そうだわな(苦笑))ちゃんと
可愛くお願いした?」


「はい!上から目線で言ってもダメでした〜!」



それだ!
原因はきっとそれ

目の使い方が間違ってる(汗)



2019年09月19日(木) 6連勤後に癒しが!

夏休みを無理くり取った反動で6連勤

そんな6連勤が終わり、ミッキーも鬼の連勤&休日出勤を
乗り越えて休みが合ったので・・・・

何処かへ行こうかと案もあったのですが
前日、残業で遅くまで仕事確定だったり
取り敢えず、久しぶりにゆっくり寝たい!って事で
昼から町田で合流してマッタリ酒でも飲む事に♪



昼過ぎに起きて、家の事を片付けてから
駅前の床屋で髪切って・・・・・
職場からガンガン電話がかかってくる〜

電話で応対しながら一旦帰宅して洗濯していったものを
干してから町田へ

先に着いていたミッキーと合流して、取り敢えず飯!
最近オープンした辛系のパスタ専門店に入ってみて
ガッツリ大盛り食いました!
辛さの追加トッピングはしませんでしたが、普通の辛さだと
俺にとっては普通レベルで辛くも無かったので
次はもう少し辛くしてみようかな?と思案中・・・

で、食後は本屋〜ブックオフとはしごしてから
16:30に最近お気に入りの海鮮系の居酒屋(過去日記参照)へ
GO!!


18時まではハッピーアワータイムで飲み物が半額なので
1杯180円と言う驚きの幸せでジャンジャン飲みまくります♪
焼きサバも美味し!
刺身も美味し!!
何だかんだで20時過ぎまで飲み続けて
お会計は1人頭¥5000

・・・・・ハッピーアワーじゃなかったら結構危ない金額に
なっていたな(汗)


その後はまっすぐ帰るにはまだ早すぎたのでヨドバシに
行ってガンプラ見たり、新作ゲームを見たりしてから
健全に22時前には解散して帰宅しました!!

いや〜
出来れば日帰りで温泉とか行きたかったけど
・・・・流石に疲れが溜まってるね〜お互い(涙)

ま〜俺らももうオッサンですけど、仕事に負けずに頑張って
遊び続けましょうや★



2019年09月12日(木) 激動の九州4 福江島

さ〜
今日でこの大旅行も最終日!

最終日にして初めてユックリ出来る朝です(涙)


今日は夕方の飛行機の時間まで福江島をマッタリを
周るのみ!!
素晴らしきかなスローライフ!(ヲ)


10時にチェックアウトを済ませて出発♪

まず訪れたのは『明星院』
明星院は、五島家代々の祈願所で現在の本堂は第28代盛運公が
安永七年(1778年)に建立したものです。
五島においては真言宗の本山であり、寺としては五島最古の歴史を
持っています。
本堂格子天井の花鳥の絵は異国の花鳥と思われる絵が多く、狩野永徳の
高弟大坪玄能筆と伝えられています。
弘法大師が唐からの帰途参籠された院内には、鎌倉室町時代の仏像仏具
が多く、中には重要文化財に相当する逸品もあります。
過去にも訪れた場所ですが(過去日記参照)、いい場所だったので
再来です!


続いては『鎧瀬溶岩海岸』
鬼岳火山から流出した溶岩に海が覆って出来た海岸で、約7kmに
わたって広がっています。
ここは年中温暖で、亜熱帯植物が繁殖し、情熱的な花木が咲き美しい
景観を呈しています。
永正四年(1507年)16代領主囲公が妹婿玉浦納の反逆にあい、
馬で逃れたがこの地で鐙が切れ、漁船で黒島に落ち延びたが反逆党が
追ってきたため自刃。
以来この地を鐙瀬と呼ぶようになったと伝えられています。

そんな溶岩のゴツゴツとした海岸を進み『勘次ヶ城』へ
やって来ました。
「山崎の石塁」とも呼ばれ、今から150年程前に大工の勘次が
河童と築いた石の城という説や、大きな施設でのぞき穴などがある事
から倭寇のアジトとして築城されたという説があります。
迷路のような石積みが巡らされ、その延長は180mに及びます。
全体像が把握しずらいのでミニチュアがすぐ近くに作られているので
それで把握。

・・・それよりも海を見つめる様に建つ巨大なオッサン2人の
像がインパクトあり過ぎて、全部持って行かれました(汗)


そんなオッサン像に見送られて?島内を西へと進み
『井持浦教会』へ到着。
かつて大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で
働せたという地区です。
1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年に
コンクリート造の現教会となりました。
当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は1891年、バチカンに
ルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の
奇岩・珍石を集め、1899年に日本で最初のルルドを作りました。
この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地と
なっています。

更に西へ西へと進み、日本の西にある福江島の西
『大瀬崎灯台』へやって来ました!
明治12年12月15日に初点灯。
英国人R・プラトンの設計と言われています。

現在のものは昭和46年に改築したもので、光力は3700カンデラ
光達距離は約22kmにもおよぶ日本屈指の灯台です。
初代灯台の一部は東京・お台場の船の科学館に展示されて
いるそうですが、現在は公開中止中との事(涙)

また、展望台から望む白亜の灯台と東シナ海に沈む夕陽は絶景として
有名で、近くには故北村西望(人間国宝)作の祷りの女神像があります。

灯台が立つ大瀬崎断崖は西海国立公園の特別地域に指定されています。
流石に灯台まで行くにはハードな勾配の素敵な道を往復1時間近く
歩かなくてはならないので展望台から見学!(笑)

登りに登った山道を降りて、
弘法大師・空海が帰朝の途、大宝の浜に上陸し暫くここに滞在した
事から「西の高野山」と呼ばれている『大宝寺』を参拝。
大宝元年(701年)震旦の国(現在の中国)より三論宗の祖師、
道融和尚が来朝し弥勒山観音院大宝寺を開創。
また、第41代持統天皇の勅願寺でもあります。
その後大同元年(806年)、空海が帰朝の途、この地に滞在し
大宝寺において本邦初めての真言密教の講莚を行い、三論宗を
真言宗に改宗。
室町時代の涅槃図、我が国最古の大般若経、凡鐘、日本三大秘仏の
聖観音像、左甚五郎作と伝えられる猿の彫刻がある軽い気持ちで
立ち寄ったら何気に凄いお寺でした(苦笑)

で、日本初のルルドのある教会を見て、西の高野山と呼ばれる
お寺を見て・・・その後に立ち寄った店

昼飯を食う為に立ち寄った訳ですが・・・



店の名前が「パンドラ」




もうね
節操が無いです(汗)


名物のウツボを使った料理が推しだったので
普通に親子丼とウツボの天ぷらを注文して食いました!
久しぶりにウツボを食いましたが皮の弾力と身のフワフワが
美味しかったですね♪


食後、福江島の西にある温泉『荒川温泉』へ向かいます!
五島列島の福江島西部の荒川港に位置する温泉地。
「地域福祉センター荒川温泉」にて日帰り入浴です♪
泉質は目の前が海なので勿論塩化物泉!

露天風呂ではないですが、ガラス窓の目の前が海で
開いた窓から潮騒が絶えず聞こえて・・・
やや熱めの湯が体に染み渡ります(涙)



風呂上り、水分補給をしつつ
『みみらくのしま』と呼ばれる場所へやって来ました。
五島市には、文化庁から認定された日本遺産
「国境の島 壱岐・対馬・五島〜古代からの架け橋〜」の
構成資産が3ヶ所あります。
今日、1発目に行った
・明星院本堂
そしてここ
・三井楽(みみらくのしま)

で、次に行く予定の
・白石のともづな石

三井楽(みみらくのしま)は、五島市三井楽町の海岸域及び海域で
空海と遣唐使ゆかりの地としても知られ辞本涯、柏崎、高崎高原、
長崎鼻などがあります。

もうね
風が強くて最果ての海!って感じがして凄かったです(笑)

で、次は予定通り『ともづな石』を見学。
岐宿町白石は遣唐使船最後の寄泊地。
第16次遣唐使船(804年)には、空海や最澄も乗っていました。

この石は遣唐使たちが船の修理や食料補給、風待ちをする為に港に
入った際、とも綱を結わえたと云われています。
遣唐使たちの命をかけた偉業を讃え、地元では小さな祠を建てて
漁業、海上安全の神としてこの石を祀っています。

そろそろ福江島も1周ですが、最後に『水ノ浦教会』を
見学しまし。
水ノ浦の信徒は、五島と大村の藩の政策による1797年の
外海(大野・牧野・神ノ浦)5人の男性とその妻子の移住に
はじまると伝えられています。
1880年に最初の教会が建築されましたが老朽化にともない、
奥の土手を削って広げ、1938年に鉄川与助設計施工の木造の
優美な現教会に改築されました。
ロマネスク、ゴシック、和風建築が混合した白亜の美しい教会で、
木造教会堂としては最大の規模を誇り、尖塔が高く聳える光景は
絵になる美しさです。
高台にはヨハネ五島(26聖人の内の五島出身者)の像や、
弾圧時代の牢跡もあります。


島の1周を終えましたが、まだ時間に余裕があったので
観光案内所に車を停めて『五島藩武家屋敷』を散策しました♪
石田城近くに、ほとんどそのままに当時のたたずまいを残している
武家屋敷通りがあります。
城を思わせる石垣塀は、こぼれ石と称される丸い小石を積み重ね、
その両端を蒲鉾型の石で止めて作られており外敵を防ぐ為に、
このこぼれ石を用いたといわれています。

ここは前に来た時は朝、歩いて見学したので(過去日記参照)
今日は夕方だったので全く違った風景が楽しめました♪


流石にこれ以上は観光するのは難しかったので
少し早めでしたがレンタカーを返して、レンタカー屋の人に
『福江空港』へと送って貰いました。

福江空港を19:00発の便だったので
何も無い空港内で只管持って行った本を読んで時間を潰します(汗)
携帯の充電スポットは無かったのですが、係の人がカウンターで
預かって充電してくれたので有難かったです!

少しだけ土産を買い足したりしてから搭乗手続きを済ませて
五島列島を離れます!
さらば五島!!




・・・・・でも直行では帰れないんですよね〜
そもそも福江空港はANAしか使えないのですが、羽田への
直行便は本数が激少なくて、泣く泣く『福岡空港』を経由して
帰ります(涙)
19:40に福岡空港に着

福岡空港から次の便までの間、取り敢えず折角の福岡なので
空港内で博多ラーメンを食いました(笑)

福岡空港を20:50に出発して「羽田空港」へは22:30に到着!






いや〜
未だかつてない程の激動の大旅行でした(汗)
ま〜その分、思い出もひとしおですが(苦笑)

さて
次回来年の大旅行は・・・・・・


もっと西へ南へ行くぞ〜!って事で
石垣島〜西表島です☆

沖縄本島よりも西へ行きます!
間の宮古島は普通に1泊で行く予定です。


ま〜何はともあれ、今回は本当に本当にお疲れ様でした(涙)



2019年09月11日(水) 激動の九州3 奈留島 久賀島

朝、起床・・・

本日も晴天なり♪




朝起きて、昨日買ったコンビニ飯の残りを部屋の冷蔵庫から
出してサクッと食ってから出発!

車で目の前の「福江港」へ

今日も島を巡ります。

まずは乗船手続きを済ませてフェリーの乗船待場で
車内で待機!
五島旅客船にて福江港を8:05発のフェリーに乗って

昨日行った若松島のお隣りの奈留島を目指します。

1時間弱のあっと言う間船旅を終えて8:50に
奈留島の玄関『奈留港』へ到着です。

まずは予約していた世界遺産の教会を目指して
島の奥地、緑豊かな島の道を進みます!

やって来たのは『カトリック江上教会』
江上天主堂の歴史は、1881年(明治14年)西彼杵郡などより
移住した4家族が洗礼を受けた事が始まりと云われています。
現教会は、1918年、40〜50戸あまりの信徒が共同し、
キビナゴの地引網で得た資金で建てられました。
日本における教会建築の父・鉄川与助に依頼し、設計施工。
クリーム色の外壁や水色の窓枠がアクセントの、今では少ない
木造建築の素朴な教会です。
コウモリが羽を広げたような天井は賛美歌の声を美しく響かせる為
のもので、柱に描かれた文様や光を巧みに操る技法など、文化財と
しても価値の高い建築様式です。
また、手描きの木目の柱や花の絵の窓ガラスが資金難の中でも
出来る限り素晴らしい教会を造ろうとした信徒の苦労の見る事が
出来ます!


奥地から港まで戻り道で『奈留教会』へも立ち寄りました。
奈留島の中心地にある、広い敷地内に建つ白くて美しい教会で
江戸時代末期、大村藩から移住した潜伏キリシタンたちは、
奈留地区の葛島をはじめ島内各地に分かれて住み、開墾に従事しながら
小さな集落を形成していきました。
1868年(明治元)の五島崩れの翌年、葛島の信徒12戸が役所に
呼び出され、当時の頭取(郷長)ら3人が算木責めの拷問を
うけましたが、奈留島ではこれ以上の迫害は伝えられていません。

1873年(明治6年)に禁教が解かれ、五島各地に教会が次々に
建てられましたが、その頃の奈留島と周辺地区には葛島と江上の
2教会しかありませんでした。
最初の奈留教会は、建設資金の大部分を宿輪集落の信徒たちが負担し、
上五島青方の大工に依頼して1926年(大正15年)現在地に
完成しました。
その後拡張工事もおこなわれましたが、1959年(昭和34年)
台風時には持ちこたえることができないとの判断がなされ、信徒の
手で解体されました。
現教会は1961年(昭和36年)に建設着工し、同年12月に
祝別、献堂されました。
奈留教会史に残る出来事のひとつは、1973年(昭和48年)3月
に葛島の島民が集団で樫木山地区へ移転し、信徒の全員が奈留教会の
所属になったことです。
離島のさらに離島である葛島での生活の維持が困難になったためでした。
葛島は奈留島地区のなかで大村藩の潜伏キリシタンの移住がもっとも
早くおこなわれ、百数十年間にわたり熱心な信仰の歴史が刻まれた
島ですが、この集団移転により葛島教会は廃堂となりました。


その他にも嘗て歌手のユーミンがラジオパーソナリティーを
務めていた番組に「うちの高校、校歌が無いから作って!」と
投稿したら本当にユーミン本人が校歌を作ってプレゼントしてくれた
高校へ行ったり(校歌の碑があり見たかったのですが、校内にあり
許可を取るのが面倒だったのでパスしました(汗))
港を通り過ぎて更に海側へ移動して『舅ヶ島』と呼ばれる
景勝地へ行ったりしました!
奈留島南端の舅ヶ島海岸は、約500mにもおよぶ玉砂利が集積した
磯浜で夏は海水浴場として賑わいます。
浜の南端より砂岩の岩盤が沖の小島にむかって長く延びており、
奈留の絶景ポイントとして有名との事ですが、有名なだけあって
素晴らしい景色が堪能出来ました!
船の時間までゆっくりと缶ジュース片手に絶景を眺めながら
夏休み時間を過ごします♪


奈留島を11:30の船に乗って福江港へ戻ります。

12:15に港に着いて、次の乗船手続き!(ヲ)


次の船を待つ間に、福江港にある『常灯鼻』へ
歩いて行って見学して時間潰し(笑)
常灯鼻は第30代藩主五島盛成公が福江城を築く際に城の
北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため
築かせたものといわれています。
防波堤としての役割のほか、灯台としての役目も持っていました。
福江城の築城にあたった石工は滋賀県の大津の集団であると
されており、常灯鼻も同じ石工によって造られたと考えられています。
石工技術の発達した江戸末期の造りだけあって、160年経った
今でも激しい波や風に耐え、出入りの船舶を見守り続けています。

過去に来た時にも見学したので懐かしかったです♪(過去日記参照)


見学中に通り雨に降られましたが、空が晴れているので
絶対にすぐに止むので気にもせずにノー傘でGO☆

港の立ち食いうどん屋で五島うどんを
(冷)(温)両方食って腹ごしらえして準備OK!

さ〜次は木口汽船の船に乗って福江港を13:35に出発して
奈留島と福江島の間にある久賀島へ!
五島列島と呼ばれる五島
中通島、若松島、福江島、奈留島そして最後の久賀島です!

久賀島へは14:09に到着。
島で唯一の港の割には小さな小さな港
『田浦港』で下船して観光開始です!!!


島の奥まで車で移動して、山奥の少し開けた場所に車を停めて
後は徒歩で山道をGO!

結構ハードな山道とガイドブックに書いてありましたが
我々からしたら・・・・・この程度で?と言う感じの山道を
サクサク進み、ま〜途中何箇所かで泥濘が酷くてマジで何度か
コケそうになりましたが(汗)
山を越えて山向こうの海まで出て到着したのが
『旧五輪教会堂』
1881年建立の旧浜脇教会が1931年の建替えの時、五輪地区
に移築されました。
この旧教会が老朽化で解体される寸前、島内の仏教徒の助言に
よって価値が再確認され、五島市に移譲される事になり文化財
として保存されました。
この地区は久賀島の中でいまだに直接車で行く事が出来ない
陸の孤島。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の
構成資産「久賀島の集落」に建つ教会です。

ま〜ガイドツアーによっては目の前の桟橋まで船で連れて
来てくれるそうですが(苦笑)


旧教会堂とその横に建てられた現在使用されている教会堂の2つを
係の人に説明を受けながら見学しました。


再び山道を戻り車に乗り込んで島の他の観光を続けます。

お次は『牢屋の窄』へ
久賀島には、浜脇教会と4つの巡回教会がありましたが、人口減少
で永里・赤仁田・細石流を統合し「五島崩れ」から100年経った
1969年、発電所の施設を利用した記念聖堂を建立しました。
1984年に、牢屋の窄殉教事件のあった地に移転のうえ聖堂を
新築しました。

そもそも牢屋の窄って何?って話ですが・・・・・拷問です(汗)

聖堂内部は、中央部12畳分が灰色の絨毯で色分けされています。
これは約200名の信徒たちが8ヶ月もの間押し込められた
牢屋の広さがひと目でわかるようになっています(汗)

正面にある塔「信仰之礎」には、入牢させられたキリシタンたち
190人の霊名と名前が刻まれています。


港へ戻る前に『浜脇教会』へも立ち寄りました。
港からの道を通ると、まず目に飛び込む三角の鐘塔が特徴の教会。
最初の浜脇教会は、久賀の地で迫害を乗り越えた信徒たちによって
1881年に建立されました。
木造の教会は、潮風にさらされて傷みが激しく、増え続ける信徒の
数に対応できなくなり新築することになり、旧教会は五輪地区に
移築して(現旧五輪教会堂)、1931年現教会を建立しました。
カトリック信徒以外からの寄付もあったという、五島で最初の
コンクリート造教会です。

港の前に建つ『田浦神社』の前に車を停めて船の時間まで
仮眠・・・・

って言うか、携帯は電波が届いていないのでゲームも出来ずに
寝るしかない(涙)
それにしても神社の案内板が無く、全く詳細が不明な神社です(汗)

暑くてきつかったので少し離れたところにある自販機へ
行き、ジュースを購入。

¥160のペットボトルを買うのに¥200を投入

チャリンチャリンチャリンチャリンと4つ硬貨が落ちてくる音が
聞こえて、ジュースとお釣りを取ると・・・・



ヤバい!

俺、神に選ばれたかもしれん!!


¥200入れて¥160の物を買ったのに


お釣りで¥400返って来た!!!(爆)




新世紀のメシアになる日も近いかもしれない・・・




地味にテンションが上がるイベントもありつつ
17:20。
やっと来た船に乗って久賀島を出港・・・

戻りの港は船の時間の関係で福江港ではなく、福江よりも北にある
『奥浦港』へ17:39に到着して福江島に戻って来ました。


港の近所だったので、前回も立ち寄った『堂崎教会』を
見て来ました!(過去日記参照)
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて
フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ
布教にあたり、1879年にマルマン神父によって五島における
最初の天主堂(木造)が建てられました。

その後着任したペルー神父によって1908年に、現在の
レンガ造りの教会堂が完成しました。
建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で
色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されて
いて1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。

ま〜もう夕方だったので中は見れませんでしたが
外からレンガ造りの教会と入り江の風景を堪能してきました♪


後は真っ直ぐに福江の町へと戻り、コンビニやスーパーに
立ち寄って晩飯を買い込んで部屋に戻ってこの旅最後の夜を
質素に?昨日買って残っている酒や肴を全部出して
老ちゃんとこの旅の苦労を語り明かします(泣笑)


さ〜明日で最終日!
明日は福江島の観光のみなので、この旅で初めて朝がゆっくり
出来ます(苦笑)

明日も天気は良さそうなのでラストスパートで頑張るぞー!

続く



2019年09月10日(火) 激動の九州2 中通島 若松島

朝、起床
って言うか、昨夜布団に入ったところから記憶が無く
気が付いたら朝って感じです(苦笑)


本日は晴天なり!
老ちゃんから「長崎港から船に乗りました」とメールも
来ているのでお互い無事に起きれて何よりです(笑)


サクッとチェックアウトを済ませて老ちゃんを迎えに
『有川港』へ向かいます。

船の到着前に着いたので、駐車場に車を停めて
この後の観光の調整や港の観光案内などを見て回りました。


港内の観光案内所や展示されている島由来の品々などを見ながら
船の到着を待ちます・・・


9時半過ぎ
到着した老ちゃんと
開口一番



「お疲れ様です」

お互いな!(涙)



取り敢えず、事前予約が必要で昨日、今日へ変更して更に先ほど
時間の変更をかけた世界遺産の教会へ行く前に、港の目の前にある
『海童神社』を参拝します。
鯨のアゴ骨の鳥居で有名な海童神社は、3年続けて決まった日に
海で溺れ死ぬ者があり、神社の信託により石祠を建てて祭り、
即席の「にわか芝居」などを奉納したのがはじまりと云われています。

旅の安全・・・って言うか、これ以上のトラブルが無い様に確りと
クジラ様にお祈りいたします(苦笑)


さてさて車に乗り込んで島を東へ移動

やって来ましたよ『頭ケ島天主堂』
世界遺産の教会です!
戦国時代、五島を支配した宇久純定がキリスト教布教を認め、
一時は2000人の信者がいたとされる五島。
しかし、幕府の禁教令で、キリシタンは途絶えました。

江戸時代後期の1797年、五島藩が大村藩に荒地開墾要員の移住を
要請したことをきっかけに、外海から潜伏キリシタンが海を渡り、
五島各地には再びキリシタン集落が出来ました。

上五島に属する頭ヶ島は、1859年頃から入植が始まり、役人の
目もあまり届かないことから、潜伏キリシタンが増え1867年
以降、上五島には長崎から密かに外国人神父が訪れるようになりますが、
翌年にはキリシタン弾圧「五島崩れ」が起きます。
頭ヶ島でも主だった信者が拷問を受け、島民全員が島を一時脱出した
そうです。
今では橋が架かり地続きになっています。
集落へは車両の立ち入りが禁止されているので、現在は閉鎖された
上五島空港へ車を停めて、そこから見学センターのバスで集落まで
送って貰います。

頭ヶ島には1887年に木造教会が建てられ、1919年に現在の
石造り教会が完成します。
鉄川与助の設計施工で、近くの島から切り出した石を、信者らが
船で運び組み立てました。
内部は船底のような折上天井で、随所にツバキをモチーフにした
花柄文様があしらわれ、「花の御堂」の愛称でも呼ばれています。
珍しい石造で重厚な外観を持ち、華やいだ内部が特徴的な教会として
2001年に国の重要文化財に指定されました。

こんな9月の平日に午後の見学予約が一切取れずにギリギリ
空いていた10:30の予約で見学出来ましたが、何故?と
思っていたら案内のお爺さんが教えてくれました。


これから教皇が来てここでミサやるってよ♪


マジで!?
そりゃあ一般人の見学なんて受けてる場合じゃないか(汗)

しかし、教皇って単語を日常会話で使う日が来るとは(笑)



教会以外にも墓地や美しい海などを眺めて迎えを待ちます・・・


空港跡まで戻り、再び車に乗り込んで観光再会!
・・・の前に
港の近所にあるお食事処「うどん茶屋 遊麺三昧」にて
上五島の代表的な特産品「五島手延うどん」を食います!!

腹減った(汗)


ガッツリとうどんを食って、更に美味そうだったので
イカの漬けを単品で注文して・・・


スゲー酒が飲みたくなって後悔(マテ)


いや、普通に美味かったんだけどね(泣笑)


次の目的地への途中で看板を見つけたので
『友住遠見番所跡』へも立ち寄りました。
正保4年(1647年)福江藩によって設けられた遠見番所の一つ。
遠見番所は異国船を発見し長崎奉行所へ伝達するために設けられた
施設です。
友住遠見番所は標高120mの番岳の峰の南側に築かれたと云われ、
案内板にはノロシ場の跡が現存しているとあるが、登っていないので
未確認です(苦笑)


続いてやって来たのは『青砂ヶ浦天主堂』
青砂ヶ浦にいつごろからキリシタンが住んだか不明だそうですが、
1878年頃には初代教会があったと云います。
1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となった記録が
残っているそうです。
1910年建立の現教会は、鉄川与助設計施工によるもので、
信徒が総出でレンガを運びあげた3代目の教会となり、2001年に
国指定重要文化財に登録され、2010年に献堂100周年を
迎えました。

島を北上して行き、上五島の上の細い部分を進みます!
到着したのは『赤ダキ断崖』と呼ばれる標高443mの番嶽と
322mの小番嶽の鞍部に玄武岩質の噴火丘!
火山の地形でホマーテ(臼状火山)に属し、火口は北西に
開いています。
この南側が海蝕で著しく削り取られたところが赤ダキ断崖で
よく成層した火砕屑物の見事な断面を現しています。
地表にも広く分布している赤色のスコリアと山の緑、海の青との
コントラストが素晴らしく、夏に遠くまで来たぞーーー!って
強く思わせてくれます♪
因みに県天然記念物にも指定されています。

お次は『続代官所跡』へ
正平7年 ( 1352年 )に平戸松浦氏は続浜ノ浦郷を
この地域の知行の中心地として定め、代官所を置きました。
以降、続代官所は南北朝時代から約500年間、この地域の行政を
取り仕切っていましたが、明治を迎えて廃止。
しかし、現在でも館の遺構が確りと残っており貴重なものです!

島をぐるりと反時計回りに進み、橋続きの中通島〜若松島〜
漁生浦島〜有福島を通過して日島へ!
有名な『日島の石塔群』を見学です!
中世から近世にかけての古墓群で70基以上の石塔が累々と海辺に並ぶ
風景は圧巻!!!
関西方面の御影石や福井県の若狭方面の日引石など島外から
持ち込まれた石材が多く使われています。
大陸との交易品を運んだ帰りの船にバラスト(船の重し)として
持ち帰ったといわれており、都や大陸と往来した海上交易の拠点で
あったことを物語る史跡です。
これほど規模が大きく、長期的にわたって営まれた墓地は他に例を見ず、
大変貴重な遺跡であり、当時の漁村・漁業基地としての繁栄を偲ぶ
資料として五島史研究のみならず、民俗学的にも重要な遺跡です。
長崎県指定史跡にも指定され、日本遺産
「国境の島 壱岐・対馬・五島〜古代からの架け橋〜」の
構成文化財です。

見学後、その帰り道で通って来た若松島にて『土井ノ浦教会』へ

1915年に旧大曽教会を買い受け、大規模な修理を行って現在に
至っており、港から見ると天を仰ぐように建っている教会です。
外見と違って中は極めて重厚な造りである。教会の隣には
「カリスト記念館」があり、教会や信徒にまつわるものが展示されて
いるそうです。 
・・・教会前のミカエル像がぱっと見、カラス天狗に見えて
焦りました(汗)
長崎の教会にカラス天狗って何だよ!?ってセルフツッコミです(笑)

ご近所にて『極楽寺』を参拝
浄土宗極楽寺の本尊として祀られており、7世紀頃に制作された日本
でも数少ない国の重要文化財に指定された貴重な如来像が祀られて
いる寺でしたので、立ち寄って見ました!
・・・ま〜如来像は見れませんでしたが、寺分を補給です(笑)

再び中通島に戻り『仲ノ浦教会』へ
1925年建立の木造教会は、なくなってしまった久賀島の
細石流教会(鉄川与助設計施工)とよく似た天井や花の装飾が
特徴的です。
教会の目の前に入江があり、水面に教会が写る風景の美しさが 
有名なそうで、今日は天気も良いし風も無く水面も凪いでいるので
奇麗に見れるかも♪と期待して行ったら・・・・

水面に全く教会が写っておらず(汗)
この今日の天候などのコンディションで写らないって
いったいどんな条件なら水面に写るんだよ!!(怒)

若干ムカつきながら(マテ)島の南西部へと進み
『浜串教会』へ
外海地区から安住の地を求めて海を渡った信者がこの地に隠れ住んだ
事が発祥と云われており、1899年の鯨捕獲の利益金を持って
初代の教会を建立。
その後老朽化したことから1966年、海の近くに敷地を求め、
現在地に新教会を建設しました。

近くの港口には希望の聖母像が漁船の航行を見守るように
建っているとの事なので、折角なので見たくて探したのですが
中々見つからず(汗)
教会の先はすぐに行き止まりでその先は海なので見落としは
無いと思うのですが・・・

って、このバカでかい鉄扉開くの?!

普通に重かったけど開いたし(苦笑)


その扉を通り、より海側へ

狭い道を進むと海に突き出た小さな展望台に『希望の聖母像』が
建っていました。
「十字船団」とも称される遠洋まき網の船団の拠点でもある浜串は、
カトリック信徒の集まる漁村です。
漁港の入口近く、海に突き出した岩場の先端に建つマリア像
浜串教会が航海の安全と大漁を願って、1954年に建立し1996年
に建て替えられた優しい表情で海をみつめる純白のマリア像

海辺に建つ純白のマリア像
・・・絵になりますね〜♪

続いてはレンガ造りの教会堂としては珍しい日本的な
格組折上天井をもつ『福見教会』を見学です。
1799年、外海の黒崎からの移住者にはじまる教会とされ、
五島崩れでは迫害を受ける前に福見を離れ、迫害の時代が終わり
以前住んでいた土地に戻って来た時に荒れ果てていた土地を
再び住めるように戻し、1882年に最初の教会を建立
・・・2年後の大風で崩壊(涙)
その後、2代目となる現教会が1913年に建立されました。


15時過ぎ
取り敢えず、何とか無事に予定通り&追加分も全て観光を終える事が
出来たのでレンタカー屋へ戻り、再度お礼を述べてから車を戻して
会計を済ませました。
本当にありがとうございました!
感謝しかないです(涙)

16時
レンタカー屋の人に南の港『奈良尾港』まで送って貰い
18時の船の時間まで待機!


・・・まさかの待合所
エアコン無し!!!(滝汗)
あるにはあるが小さなスポットクーラーのみで
送風口は熾烈な場所取り合戦です(汗)

まだまだ船の時間まではあったので
蒸し暑い中、ただ待つ位ならと港から15分くらい歩いて
『奈良尾神社』へ行って見ました。
奈良尾は慶長年間(1596〜1615)頃
紀州広浦(現在和歌山県広川町)の漁師が、漁業基地として移り住み
栄えた町で、奈良尾神社はその漁民が紀州七社権現の分霊を祀った事
が始まりとされています。
ここは神社よりも参道が有名で、樹齢650年を超えるあこう樹が
神社へ繋がる参道をまたぐようにそびえ、まるで天然の鳥居!!
根っこが二股に分かれ、両足で地面に踏ん張ったような姿をしています。
樹齢650年を超えるあこう樹の下をくぐると長生きできると
伝えられる上五島のパワースポットで高さ25m、幹周り12mで
日本一の大きさを誇ります。
1961年4月27日に国の天然記念物に指定されました。

神社までの行き返りに通ったトンネルの中が一番涼しかったです(笑)



今回は心に余裕のある船旅で(ヲ)
18:20
あっと言う間に福江島の『福江港』へ到着です。

港へ迎えに来てくれたレンタカー屋さんの車で
レンタカー屋へ移動して手続きを済ませて出発!

と言っても、今日は後は宿へ行ってチェックインをするだけです
けどね(笑)

ま〜でも折角なので過去に行った事がありますが『石田城』
くらいは見ておきますかね!(過去日記参照)
石田城は「粟津の戦い」で木曽義仲を討ち取る大功を挙げた
石田為久の居城として知られています。
石田城は幕末期に海防強化の理由により幕府から築城を許された
城であり、幕藩体制下最後の築城となった城です。
現在は学校の敷地部分も多いですが、それでも城門や石橋、水堀
など遺構も多く良い城跡です♪

宿から「到着したはまだですか?」と電話が何度かありましたが
些細な問題でしょう(マテ)


『福江』市内の「民宿かんこう」が今日、明日の宿です!
車を借りたレンタカー屋とは別のレンタカー屋の2階が宿で
レンタカー屋のカウンター隣りの階段から入ります(笑)

チェックアウトを済ませ、嫌になる前に『鬼岳温泉』へ向かいます。
鬼岳のふもとにある滞在型リゾート「五島コンカナ王国」内に
ある天然温泉で褐色の濁り湯が特徴です。
鉄分を含む赤い温泉に浸り、緑の鬼岳、碧い海、碧い空を眺められる
絶好のロケーションが売りの1つらしいですが・・・

街頭も殆ど無い山道を車で登って行き、登り過ぎて山頂まで行って
しまい迷子になりつつも到着(汗)
で、そんな中で入ったので露天風呂からの景色は闇一色!

ま〜風が気持ち良かったので落ち着いてマッタリと入浴です♪

素泊まりプランだったので、帰り道で近所のスーパーやコンビニで
晩飯を買ってから部屋で食いました。

海鮮系を食いたかったのですが、あまりラインナップが無く
・・・・妥協に妥協を重ねて買ったのが

メカブとカニカマ(爆)


海鮮系ですが、何か??



後はやたらと酒の品揃えが良かった薬局で
地酒を購入!

部屋で夜更かししない程度に酒盛りです(笑)



明日からはやっと当初の予定通りに観光です。
やっと取り戻せましたね(泣笑)

ま〜ただ、明日も朝から船を乗り乗り島を2つ巡るので
忙しいですが頑張りましょう!


続く



2019年09月09日(月) 激動の九州1 マジで修羅場

夏休み!
今年は宣言通りに五島列島へ!

明日は午後からの便だったので老ちゃんとは直接空港へ集合に
していたので、0時に家を出て羽田空港へ向かうも
下道は怖かったので高速を使う事に!

東名は横浜青葉で通行止めになっていたので
横浜町田で降りて保土ヶ谷バイパスを使って横浜まで行き
そこから下道で羽田空港を目指します。

雨も風も絶好調で、まだ台風が最接近していないのに
凄い事になってます♪
途中、多摩川の上と羽田空港近所で40km走行で
両手でハンドル持っているのに車体が半車線持っていかれた
りしました(汗)

3時ころ『羽田空港』へ到着して駐車場へIN
運良く柱の風下のスペースを確保できたのでラッキー☆

ま〜それでも凄い風で、防火扉がガンガン開いて音が響いてと
それより凄い風音で・・・寝れるかな?(汗)




結論
普通に寝れました(苦笑)

13時の便に変更していたのですが、万が一に備えて9時に
起床して空港内へ
天気は晴れていたのですが、まだ風は強いですね・・・

空港内は阿鼻叫喚
フライト予定は欠航便の連発やフライト未定状態だらけで
カウンターには長蛇の列

とりあえず俺らが乗る予定の便は・・・・

現状で条件付きか(汗)


まずは腹ごなしと地下へ降りて・・・

マックは荷物が入荷しなかったせいで
ドリンクのみの販売

でも隣のてんやは通常営業(笑)

てんやで飯を食って今日の予定を組みなおします。
ある程度は老ちゃんが昨日の時点で修正してくれているので
その補足とフライトの再確認をした上で、
当初は羽田空〜長崎空港〜福江空港〜船で上五島の予定
でしたが、午後の便だと長崎〜福江の便が取れないので
福江で借りるレンタカーの当初の予定を変更して日程短縮
予約が必須で予約をしておいた世界遺産の教会の見学時間変更
福江から上五島のカーフェリーの往復キャンセル
長崎港から上五島までの高速艇の予約
明後日の上五島から福江の高速艇の予約
上五島でのレンタカーの予約を
絶えずコロコロ変わる搭乗口と出発時間を気にしつつ対応(汗)

で、老ちゃんから連絡があり
「京急が動かなくてどうやっても便の時間に羽田に間に合わない」
・・・・マジで!?とテンパっていると
「まあ適当に行くよ」と男前過ぎる追伸が!(笑)

そこから老ちゃんの分のキャンセル手続きをして
・・・・・・羽田を飛び立ち『長崎空港』へ降り立ったのは
15:40過ぎ!!
無駄に1時間半近く遅れやがった!!!(怒)

長崎空港から高速バスに飛び乗って『長崎港』を目指します。

当初の予定であれば出航の1時間前に着いて、せめて港で飯でも
食う予定だったのに!!

・・・・バスを降りてバス停から港まで猛ダッシュ!!!

あ〜この道、30歳の最初の日にも全力疾走したな〜と
目から汗が・・・(涙)(過去日記参照)




上五島には大きな港が北と南にあります。
明後日は南の港から福江へ向かうのと、南の港へ行く船のほうが
出航時間が早かったので南の港の近所でレンタカーの
予約をしました。



で、目の前で港から大海原へ旅立つ俺が乗る予定だった高速艇・・・

港のカウンターで係員を捕まえて事情を捲し立てて
「何とかならんか!?」と

「北の港行きの船なら最終便が残っていますよ」と
じゃあそれで!
「もう出航しますので急いで!!」・・・・マジ!?

カウンターから船へ「これから飛び込みで1人行きます!」と
無線をとばして貰い、乗船券を買ってカウンターから桟橋を
全力疾走で走り抜け船へと乗船(汗)


もうね
グロッキー(涙)

で、船は海が荒れていてメッチャ揺れる(汗)
その中でレンタカー屋へ連絡を入れて北の港に着く事を伝え
営業時間外でも南の港まで来てくれれば貸してくれると言って
くれたので、島内のバスなどを調べていたら・・・・・

酔った

久しぶりの船酔い(汗)


18:30
フラフラになりながらも上五島の『有川港』へと到着。
当初の予定だったら朝の10時には着いていたのに(怒)

で、港から市街地へは若干距離がある為、船会社のバスで市街地
までは乗せてくれるそうです。
もっと早い時間だったら北と南の港を結ぶ直通の¥0送迎バスも
あったのですが・・・(涙)

バスの運転手に頼み込んで停留所よりも少し奥にあるバスセンター
まで乗せて貰える事になり感謝!!


で、バスセンターにて「南の港へ行くバスはまだありますか?」と
恐る恐る聞くと「最終バスが残ってます」との事!

あ〜〜〜良かった〜〜〜〜
・・・・・って、最終バスって北〜南の最終じゃなくて
島内で走るバスの最終って意味でもあったのね(汗)

30分くらい待ち時間があったので、その間に宿とレンタカー屋と
老ちゃんへ連絡を取り状況報告
全然休めない(汗)


19:20
最終バスに乗り込み、南の港を目指します。

真っ暗な山道と漁港、倉庫街を延々と27km走ります。




予想していたよりも遥かに遠くてオジサンビックリです☆



眠さと疲れで意識が飛びそうになりつつも
空腹で眠れずに唸っている唯一の乗客を乗せたバスは進み
片道1600円も掛けて南の港の近く、レンタカー屋最寄りの
バス停で降ります。

辺りは真っ暗
山道に街灯が1つポツンと灯ります・・・


迎えに来てくれたレンタカー屋さんに
「よく頑張って来てくれましたね〜」と言われました。

もうね
この時間に車を貸してくれる時点で感謝しかないですよ。

レンタカー屋を自宅の敷地内の工場でやっている
レンタカー屋で、時間も時間だったので自宅の方へ
案内されました。

手続き中、襖の奥から子供の声で
「今着いたの!?」「メッチャ可哀そう」と丸聞こえ(笑)

羽田空港のヤバさと飯も食う暇無かったくらいに滅茶苦茶な旅程に
なってしまったと笑いながら言っていたら、奥から
「もう少し早かったら鍋一緒に食べられたのにね」
「何か残ってないかな?」と・・・・・いい子たちだ〜(涙)


で、更に
「ご飯あった!」「おにぎり食べるかな?」
「もっと大きなおにぎりの方が良いよ!」
「昆布あった!」「海苔用意して!」って・・・・

もうね
何か有難くて泣きそうです(涙)

しかも
「夜遅くて大変だからお会計は明日の返却時で良いから」
「島で唯一24Hやっているコンビニまでの地図ね」と

貴方たちは神ですか!?

宿は島の北側でとっていたので、バスで延々通って来た道のりを
鬼の来た道バックでしたが、頂いたおにぎりを食べて頑張りました!
って言うか、このおにりぎりで今日のゴタゴタが全部チャラになる
くらい救われた気がしましたよ(笑)
宿に着く前に教えて貰ったコンビニに立ち寄って
晩飯と飲み物を買い込んで21:00頃
やっと今日の宿「サンセットやがため」へと到着(汗)

宿の人からも「よく来てくれましたね!」と労いの言葉を頂き
チェックイン・・・


部屋に着き、荷物を置いてシャワーを浴びてから
買った飯を食いつつ老ちゃんへ連絡。

どうやら老ちゃんは
動かない京急と大混雑で駅にすら入れないモノレールに見切りを
つけて『東京駅』まで戻り、新幹線で『博多駅』へ
そこから特急で『長崎駅』まで進んだものの、上五島行の船は
既に無かった為、明日朝1番の上五島の有川港行きの船の予約をして
長崎港のホテルにチェックインしたとの事。


お互いお疲れ様です(汗)


ま〜未だ嘗て無い程の激動の初日になりましたが、
何とかなりました!
幸い上五島は2日の予定で組んでいましたが、かなり余裕で時間が
余りまくる予定で組んでいたので、明日1日でダッシュで回れば
リカバー可能ですので不幸中の幸いでした(汗)

まずは明日、老ちゃんと合流する!
そして初日の遅れを取り戻す!!
寝坊しないように流石に0時前に寝ます。

疲れもMAXですからね(泣笑)



続く



2019年09月08日(日) 修羅場の幕開け♪

もうね
ヤバさしかないわ〜(涙)



明日から夏休みをとって毎年恒例の大旅行に行きます!




直前で5連休取っていたのが1日消えて4連休になったぜ!(涙)



で、凹んでいたら序の口だった!!!


台風15号
関東直撃!!!!

ま〜明日の朝には台風は通過するし、行先の九州の方は
台風無関係で晴れているので、朝の飛行機さえ飛べば!!
と思っていたら

仕事中に老ちゃんから
「明日の飛行機、欠航が決まった」と悪夢の連絡が(涙)

どうするにしても中止はしたくないので何とか手段を考えて
行く予定で段取りを組み直す事に



老ちゃんが(マテ)





いや、俺は無理
連休入る前に片付けないといけない案件がヤバい事になっていて、
出勤した段階で普通に今日の帰りは何時になるの?ってレベルなので
調べてられない(汗)

ガイドラインだけ電話で打ち合わせして、後は老ちゃんに
飛行機の便変更やその先の交通手段の確認などをして貰いました。

昼に羽田発の便を追加金無しで確保出来たとの事なので
取り敢えず、明日は九州までは行けます。
その先はレンタカーや船を調整に調整を重ねて何とかルートを
確保して明日に備えます!
老ちゃん、ありがとうな!!


で、夜になり
空模様が怪しくなってきたので、頑張って早く店を閉めて
帰宅。
台風対策と荷物の用意を済ませて0時に家を出発です!

恐らく前日からここまで大荒れな旅は今まで無かったでしょう(汗)
さ〜今年の夏の旅はどうなる!?
乞う御期待!!(ヲ)



2019年09月02日(月) 休みの日と書いて休日

今月の初休日




どうしても外せない納車があり、それだけやる為に
13時に出勤(涙)

2台厚木までレンタカーを回送するので
バイト2名と俺とで1往復で行きます。

で、14時前に戻って来て
実家のご近所さんが車を1台手放すとの事なので
このタイミングに合わせて来て貰い
下取りの手続きを済ませて回収しました。

差し入れでビールを貰ったのですが
俺が炭酸を飲まないのを職場の連中は知っているので、何故か
始まる俺への「暑い中、俺はこんなに頑張った」アピール(汗)


ま〜半分以上は置いて行ってあげるので、それを早い者勝ちで
取り合ってください(邪笑)



何てやっていたら
別案件が急に動き出して急遽段取りを組まなくちゃいけなくなったり
本社から問い合わせの連絡がガンガンきたり・・・・・

20時まで店に居る羽目に(涙)


あ・・・れ・・・?
え・・・・?
今日・・・・・休、休、、日?、??


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