もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2017年09月30日(土) 関西支部(笑)

仕事中、ユースケからラインが




同時に翼からメールが




「「今、大阪で(ユースケ君と)(翼と)呑んでます!」」





何で!?




ユースケ
俺の小学校の同級生
地元は横浜


俺の高校の同級生
地元は茅ケ崎


接点
大学時代からの飲み会とキャンプ
って言っても10回会ってるかってレベルだよ?


ユースケは大阪在住が長い、翼もこの前同級生の訃報を教えて
くれた時(過去日記参照)に今は大阪にいるのは聞いてたけど
それが横浜で帰省中で皆で呑んでます!って言うなら分かるが
大阪で2人で呑んでるって、状況が面白過ぎる(笑)

何でも俺に連絡を取る時に使った翼→ユースケのmixi経由が
まだ健在で、たまたま休みが被って飲む事になったそうです♪


いや〜
縁って本当に面白い!

是非今後も2人で関西支部を盛り上げ続けて
此方が遠征した時に合流して欲しいですね☆

って言うか、こっちに帰省する時は示し合わせて一緒に帰って来い
そっちの方が集まって飲む手間が省けるから(ヲ)



2017年09月26日(火) 赤蕎麦の花の咲く頃に

今日は長野へ!
去年は普通の蕎麦の花を見に行ったので(過去日記参照)
今年は赤蕎麦の花を見に行きます(笑)


メンツは俺、老ちゃん、ミッキーと久しぶりに揃った鉄板三人衆!!

0:30に伊勢原駅で合流し、圏央道を使って好調に進みます。
もうすぐ10月だっていうのにミッキーが半袖短パン、サンダル
スタイルで攻め攻めです(笑)

行くの長野だよ??

ま〜ミッキーなんで平気でしょう(笑)


明け方、最寄りのPAで仮眠をとります。


・・・・・・・・・・・・・暑い
前回、9月の頭にキタイと長野北部に行った時(過去日記参照)よりは
マシとは言え朝から暑い(汗)

暑くて予想外に早く起きてしまいました
ミッキーに運転を代わって貰い再出発。
まずは『御射鹿池』へとやって来ました。
御射鹿池は東山魁夷の「緑響く」のモチーフとして有名な池。
御射鹿池はAQUOSのCMでも使用された事で有名になった
人工池です。
横谷渓谷は奥蓼科温泉郷に代表される、酸性の冷鉱泉の影響と
1100mの高地に由来する冷害に苦しんできた土地でして・・・
その冷害を何とかすべく1933年(昭和8年)にため池として
御射鹿池が完成しました。
流れ込む冷たい水を留め、温めることによって農業用水として使用
できるようになったとさ。
しかし、池の水が酸性が強いため魚などは生息出来ません。
ま〜そのおかげで池が綺麗なのですけどね(苦笑)
「御射鹿池」の名は、諏訪大社に伝わる神に捧げるための鹿を射ると
いう神事、御射山御狩神事にその名前の由来があると云われています。


さて
朝から美しいものを見た後は
諏訪湖よりも南へと移動して南信州方面へ1時間弱移動

やって来たのは『赤そばの里』
見渡すかぎりの、ルビーの絨毯。
赤そばの里は、日本でも珍しい赤そばの花が東京ドームほどもある
広大な畑一面に咲き誇る珍しい場所です。

・・・去年は普通の白いそばの花を見に行ったので(過去日記参照)
今年は赤です♪

赤いそばは元々日本には存在しておらず、1987年にヒマラヤの
標高3800mのところから、赤い花の咲くそばを日本に持ち帰り、
信州大学の故氏原暉男名誉教授がタカノ株式会社(宮田村)と
共同で開発して真紅の花を作り、それを高嶺ルビーと名付けました。

その後、長期にわたり品種改良をかさね、2011年にさらに赤みを
増した「高嶺ルビー2011」が誕生しました!

満開・・・にはやや足らずでしたが、それでも8部咲きくらいは
咲いていて暑いくらいの晴天で青空と周りを囲む山々の風景に赤い花が
絨毯のように敷き詰められている景色は素晴らしいの一言!

普通の白いそばの花は結構独特な匂いがきつかったのですが、
そう言えば赤そばは全然匂いがしなかったな〜

さて、赤そばは花を楽しむばかりではなく、味も良いらしく、
まさに見て楽しみ味わうといったところでしょうか♪
入り口には赤・白の2色のそばが食べられるそば処があり、勿論
食べてきました!

ミッキーと老ちゃんは赤を
俺は折角なので赤と白を頼んで見比べて食べ比べて来ました(笑)


色は確かに違うが、そこまで赤いわけでもないので見比べないと
赤そばを使っているかを判断するのは難しい(汗)
味も食べ比べれば蕎麦のコシや味、鼻に抜ける香りなど違いがあるが
・・・・・一緒に食べ比べてみないと素人には難しいな(苦笑)


食後、散歩中の大型犬と触れ合い思う存分モフモフして
心も満たせれました♪


飯も食ったし次は風呂だ!と近所の日帰り入浴施設を検索して
『羽広温泉』へ!
平成6年11月に湧出した新しい温泉で「みはらしの湯」と言う
日帰り入浴施設に立ち寄って昼から露天風呂を満喫してきました〜

いや〜幸せ〜〜
折角なので『伊那』のご当地グルメの「ローメン」を食べて
腹は満足・・・・・・

って、いかん!このままだとここで寝てしまう(汗)



え〜時刻は14時ですが帰宅します!(ヲ)



・・・・・・・・・・俺、これから会議(爆)



いや〜会議が後から予定変更になって今日になってさ〜
本当は店長に代わりに出て貰う計画だったのですが、今日の会議は
例のブラックな報告書(過去日記参照)の発表の日で、流石にそれを
他の人間に任す訳にはいかず・・・(涙)


帰り道は順調に進み、圏央道を使って一気に帰ってきました。
2人には申し訳なかったのですが、店への戻りを最優先させて貰い
寒川駅前で解散です!

で、速攻で店に行って着替えて会議の書類を印刷して
17:00からTV会議開始


いや〜テンション下がるね〜
ずっと死んだ魚の目してたよ(ヲ)

真っ黒レポートを発表中、内情を知っている平塚のTeemeさん
から「クオリティー無駄に高過ぎて笑える」とラインが来ました(笑)


最後は超、ドタバタしましたがそれでも赤そばの花も見れたし、
食えたし(笑)
日帰りイベントとしてはマズマズだったのではないでしょうか!

・・・・次回はもっと時間に余裕を持てるように、予定が後から
被っても会議は不参加の方向で(マテ)


それでは今回もお疲れ様でした。




>ミッキー&老ちゃん
ドタバタになってしまってゴメンネ



2017年09月22日(金) 不思議な3人組

今日は昼に起きて、夕方から元マネージャーのOさんと
Oさんに前に連れて行って貰った市が尾の焼き鳥屋に
連れて行って貰う予定♪


で、それに常連のKさん(一緒にカラオケやった)
(過去日記参照)も参加する事になり、元マネージャー、常連様と
不思議なメンツで呑みです!(笑)


19時に市が尾駅集合だったので、その前にKさんに頼まれていた
アニメを渡すのに、イチイチUSBメモリーだと面倒なので
外付けのHD買って下さいと言っていたら、先日「宜しくね!」と
2万円預かってしまったので、早々に買いに行く事にします(苦笑)



で、乗った小田急がまさかの渋沢〜秦野で線路への置石で止まると
言うグダグダっぷりです(汗)
10分程無駄に時間をかけて町田に到着。

そしたら、今日は夜まで仕事の予定だったKさんから
町田近所でもう仕事が終わってしまったと連絡が入ったので
町田で合流する事に!

駅前で合流し、その足でヨドバシにGO!!

電気屋のKさん
ヨドバシから受けた仕事で情報の不備で先日酷い目にあったそうで
クレームだそうです(汗)

ま〜俺が同席しても仕方が無いので、良い子でゲームコーナーと
玩具コーナーを周回して待ってます♪




・・・・35歳(ヲ)




で、クレームも終わり、Kさんに預かっていた2万を返して
HDコーナーへ移動
結局、家のTV用に2t
俺へ渡すアニメ用で3tを1個づつ購入し

「突き合せちゃったからポイントは上げるよ!」


マジっすか!?
俺、玩具コーナーをウロウロしていただけですけど(笑)




貰ったポイントを使って
やっと入荷していた「MGプロビデンスガンダム」のノーマルVer
を全額ポイントで購入!!

それを見ていたKさん
「やっぱE.T君は良いな〜!」と何故かご満悦(笑)
勿論俺もご満悦♪(マテ)





市が尾駅まで車で来ていたKさんに乗せて貰い一緒に移動
結構雨が降って来たので助かりました!

駅前の串焼きの店「串蔵」でOさんと合流!

で、即乾杯☆


Oさん、下戸
Kさん、酒苦手で今日車
・・・・俺一人でガパガパ芋焼酎ロックで呑んでます☆(マテ)


いや!
だって「じゃんじゃん呑んでよ!」って言って貰ったから
断るのも失礼じゃん!!!(ヲ)




で、一番食って
1人で酒飲んで(それも杯数も一番多かった)

割り勘って素敵なシステムですよね〜(マテ)



その後、語り足りずに近所のファミレスへ移動して
「ファミレスでダべる時の礼儀作法ですから!」と
徐に注文した「山盛りポテトフライ」

最初は「今からイモ!?」とか「脂っこいのは、今日はもうね・・・」
とか言っていたのに

俺は少ししか食っていないのに、あっと言う間に皿は空(爆)


だから言ったじゃないですか!(笑)


「いや、ポテトやばいね」
「確かに止まらないね」


で、2皿目を注文(笑)


結局、ファミレスの閉店する0時までダラダラ話して盛り上がって
ました!
・・・勿論2皿目の山盛りポテトフライも完食です(笑)


最後はKさんに家まで車で送って貰えて超助かりました!



いや〜ずっと前から全員顔見知りなメンツでしたが、店の外で
この3人ってのは不思議な感じでしたね〜
ま〜楽しかったので無問題ですけど♪

是非また誘って欲しいです!



2017年09月19日(火) まだまだ続く定例会(笑)

今日も最近毎月続いている定例会
KっちとABちゃんと飲んできました♪

今日の会場は前回に引き続き茅ヶ崎駅前
ABちゃんが18時まで仕事なので、合流のし易さで選びました。


19時集合だったので17時に家を出てバスに乗って伊勢原から
平塚へそこから東海道線で茅ヶ崎へ・・・って面倒臭せーーーー!!!
直線10kmちょいなのに!
車だったら空いていたら30分も掛からないのに
バスの待ち時間を入れて90分も掛かりました(怒)


19時に駅前で2人と合流し、今日は普通にチェーン店の居酒屋で
飲み放題を付けてみました♪


ABちゃんが既に2人目の彼女を分かれていた事が発覚したり
Kっちが昔好きだったのにすれ違ったまま会えなくなった片思いの
相手と再開して向こうから声を掛けられたらしく
若者(ABちゃん)よりも純な事になってるじゃん!!と外野は
無駄に大盛り上がり(笑)
ま〜現状、連絡先を渡したものの返事が無く。
Kっちはベッコリ凹んでますがね(苦笑)


で、この前飲んだ時に
家に引きこもっているKっちに「何処か旅に出ろ!」とあみだ籤で
行先を決めさせた企画があったのですが(ヲ)
その時の引いたあみだ籤は「広島」
何だか本人はこの1か月で結構行く気になっていて旅行サイトとか
見ていてそれなりに広島通っぽくなっていて笑えました(笑)

・・・因みに、その時引かせたあみだ籤
「広島」以外は「トドワラ」「仙台」「金沢」「宿毛」「出雲」
「福岡」「沖永良部島」とイージーとハードが半々くらいの
危険な物でした☆(爆)


ま〜飲み放題を延長したりして終電ギリギリまで飲み
続けてましたね〜
平塚からバスで帰るKっちと茅ヶ崎駅で別れて、俺とABちゃんは
相模線の終電に乗って帰ります。

寒川駅で降りるABちゃんと別れて厚木〜本厚木経由で小田急で
伊勢原へと帰って来ました。


途中、茅ヶ崎からずっと一緒の車両に居てグダグダ俺様自慢が
ウザかった酔っ払い2人組は最後まで一緒でしたが、本厚木駅で
「愛甲石田まで後少しだから寝るな!」と
頑張っていた1人も、本厚木で電車に乗って速攻で堕ちたので
俺が伊勢原で降りる時も2人でスヤスヤ寝てました♪


小田原までの最終なのにね!(邪笑)




しかし、分かっていたが伊勢原〜茅ヶ崎は面倒臭い!!
今日だけで伊勢原〜平塚〜茅ヶ崎〜厚木〜伊勢原って無駄に県中央で
円を描いたぞ!

来月は何処で飲みますかね〜
ま〜3人のシフト次第ですがね(苦笑)



2017年09月15日(金) IT?過疎荘

12日の大雨&雷で我が家のネットがダウン(涙)
12日〜13日の仕事後に頑張ったものの、PCでは無く物理的に
大本が逝った事まで分かってお手上げに(汗)
14日は上〆だったので(過去日記参照)15日の今日も休み
だったので修理に来て貰う事にしました。

生憎と19時のコマしか空いてなかったので、昼間は掃除したり
買い出しをしたりして時間を潰しました。


で、19時に業者の人が来てくれて見て貰う事に・・・


業者の人も事情はコールセンターから聞いていたので
話は早く
「たぶん外の集合の分電盤っぽいので先にそこから見てきます」と
「TVも見れなかったですよね。
ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」と言ってくれますが・・・




俺、TV一切家で見ないから映っていなかったのか
すらも分かりません♪(マテ)



業者が来て15分で復旧(笑)

プロの予想通りに外の集合の分電盤が落ちていたそうです!



・・・・・・・・俺が電話するまでって言うか、今日の今の段階で
俺以外からネットが繋がらない。
TVが映らないって連絡は無かったんですよね?

「はい」

集合の分電盤が落ちていたんですよね?

「はい。集合盤なので、11日の夜中からこのアパート全部が
ネット不通でTVが映らない状況でしたね」


もう一度聞きますが、俺以外からネットが繋がらない。
TVが映らないって連絡は無かったんですよね?(汗)

「そうなんですよ〜(汗)」




すげー
ここの住人
ネットしない
TV見ない

・・・・・・・・・・・・21世紀ですが大丈夫??
せめてスマホを使っているから不要だったと思いたいです(汗)



2017年09月14日(木) 鎌倉秋の花詣で&上〆会

本日は〜


上期〆会・・・・の前に、折角時期的にイイ感じなので
鎌倉で秋の花々を見て来ました♪


メンツは俺とキタイ・・・
最近、キタイの参加率が凄いな(笑)


AMに家に来る予定だった業者が遅れたせいで13時予定が
13:20に鎌倉に到着(汗)
いや〜伊勢原から鎌倉の移動が面倒臭かった!

伊勢原の家からバスで平塚
平塚から東海道線で大船
大船から横須賀線で鎌倉ってマジで面倒臭かった(涙)


駅前でキタイと合流し、取り合えず観光客でごった返す
小町通りを抜けて来ます。


暑い〜
そして人混みウザい〜〜(怒)
って、何だか鶴岡八幡宮でイベントやってるのね!
それでこんなに混んでるのか!!(汗)


そんな観光客で盛り上がっている鶴岡八幡宮をスルーして
まずやって来たのは『宝戒寺』
にある天台宗の寺院。山号は金龍山。
詳名を金龍山釈満院円頓宝戒寺と称し、本尊は地蔵菩薩。
萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれる。
特に白萩が有名!
宝戒寺は鶴岡八幡宮三の鳥居前の道(横大路)を右に行った
突き当りに位置します。
寺域は北条義時以来の歴代の北条宗家の屋敷跡と伝えられています。

鎌倉幕府滅亡後の建武2年3月28日(同1335年4月22日)付の
古文書に、この頃に北条高時の慰霊のため建立されたと伝わっています。

生憎と白萩はまだ咲き初めでしたが、それでも小さく白い萩の花が参道の
両脇で楽しめました。
他にも赤い萩の花や彼岸花が咲いていて白い花と赤い花のコントラストが
見事でした!

さてお次は『大巧寺』
日蓮宗系の単立寺院。
創建年や開山などは不明ですが、源頼朝の祈願所とされた事から、
鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される古刹
特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる・・・
って、俺らにスゲー関係ないね〜(苦笑)

山門の近くで咲く紫色の実を付ける紫式部や寺院内の花壇で咲く
赤白の彼岸花、トラノオ、ゴマ、サルスベリなど夏から秋にかけての
花々が綺麗でしたね〜


続いて『妙降寺』
日蓮宗の寺院。山号は、叡昌山。
鎌倉江の島七福神の一つで「寿老人」を祀る寺です。
鍋かむりで知られる日親ゆかりの寺として知られ、御家人千葉常胤の
子孫千葉胤貞の別邸「千葉屋敷」跡に建ちます。



そろそろ飯だ!って事で『鎌倉』と言ったら俺らはコレ!
って事で「里のうどん」
バラ丼&うどんセット!!

ガッツリと貪り食いました(笑)
久し振りの里のうどんでしたが、変わらぬ美味さに嬉しくなります!

食後、店内で少しダラダラ涼んでから再出発

後半戦の最初は『英勝寺』
浄土宗の寺院であり、現在、鎌倉唯一の尼寺です。
山号は東光山。
寺域は、開基英勝院尼の祖先であり、扇谷上杉家の家宰であった
太田道灌邸跡地と云われています。
徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、
家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、
後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めました。
家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より
父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建しました。

『海蔵寺』
扇ガ谷にある臨済宗建長寺派の寺院。
山号は扇谷山(せんこくざん)。本尊は薬師如来。
建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、
鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、
心昭空外を開山として再興されたと伝えられています。
よく手入れされた境内に咲く四季の花の美しいことでも知られる
花の名所。
早春の梅、夏の凌霄花(のうぜんかずら)・桔梗(ききょう)、
初秋の萩、冬の水仙・福寿草など。四季折々の花が楽しめる場所です。

そして今の時期は何と言っても萩!
桔梗や彼岸花も少し咲いていましたが、参道を覆い隠す勢いの
赤と白の萩の花々は圧巻でした!!

帰りは北鎌倉駅からの予定でしたので、その道すがらも観光して
行きます!
移動中もメドーセージやキバナコスモス、萩にサルスベリ
ノウゼンカズラなどが咲いていて目を楽しませてくれます♪

まずは『浄光明寺』へ
扇ガ谷にある真言宗泉涌寺派の寺院で山号は泉谷山(せんこくざん)。
開基は北条長時。開山は真阿。本尊は阿弥陀如来。
北条氏や足利氏とゆかりの深い寺院で、足利尊氏は後醍醐天皇に
対し挙兵する直前、当寺に籠っていたと伝えられています。
鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂と化粧坂にはさまれた扇ヶ谷の支谷、
泉ヶ谷に位置します。
山号の泉谷山はこの谷戸の名にちなむそうです。
寺伝によれば、建長3年(1251年)頃、第5代執権北条時頼、
第6代執権北条長時が開基となって創建したもので、開山(初代住持)
は真阿(真聖国師)であったそうです。
それ以前、源頼朝の命により文覚上人の建てた草庵があったとも
伝えがありますが、これに関しては定かでないそうです・・・
山門を入ると客殿、庫裏、不動堂などがあり、その裏手の一段高く
なった敷地に阿弥陀堂と収蔵庫があります。
重要文化財の阿弥陀三尊像等は収蔵庫に安置されているそうです。
これらのさらに裏手、狭い階段を上った先の山上には岩壁をうがった
「やぐら」があり、内部に石造地蔵菩薩坐像(通称網引地蔵)が
安置されています。
そこからさらに登ったところには国の史跡に指定されている
冷泉為相(れいぜいためすけ、鎌倉時代の歌人)の墓がありました。
境内は、谷戸を雛壇状に造成した中世寺院の景観がよく
保存されていました。
此方の寺院でも彼岸花や萩が咲いていました♪

続いて『薬王寺』へ
日蓮宗の寺院。山号は大乗山。
かつては、梅嶺山夜光寺と称し、真言宗の寺院でしたが1293年
(永仁元年)日蓮の弟子日像により、日蓮宗に改宗。
寛永年間(1624年〜1645年)、徳川忠長室松孝院の援助で
不受不施派の僧日達が再建し、大乗山薬王寺と改称しました。
が!
1720年(享保5年)の火災で、五重塔(徳川忠長供養塔)など
諸堂を焼失(汗)



最後は駅まで通じるバス通りに向かうのに『亀ヶ谷坂』を通って
来ました!
鎌倉七切通しの一つで、源頼朝が初めて来た頃は、北から鎌倉へ
入る道は此処だけでした。

今でも急な坂道ですが、昔はもっと急な坂だったようです(汗)

「建長寺にいた亀がこの坂を上ったものの、頂上まで行くことが
出来ずに引き返した」という伝説があり、それから亀返り坂と
呼ばれるようになり、それがいつからか亀谷坂と呼ばれるように
なったと伝えられています。

最後に微妙な坂を登って降りてで疲れましたが
バス通り手前の萩の群生は見事だったので良しとしましょう☆

さ〜鎌倉観光も終わりです!
そのまま道なりに歩いて行き、北鎌倉駅から横須賀線に乗って
飲み会の開催場所『横浜』へと移動します。


19時から開始予定だったのですが、17:30には着いてしまい
本屋などで時間を潰したものの限界で、先に入って飲んでました(笑)


で、19時やや過ぎに仕事後のユウキが合流!



・・・・・本日のメンツ以上!!




何だかな〜(汗)



ま〜今いるメンツで楽しみましょう!
取り合えず夏の大旅行の報告会?や日帰りで行った長野の話
(過去日記参照)、今日の鎌倉の感想、今月もう1回予定していして
いる日帰りイベントの予定、ユウキが今までに酔っぱらってやらかした
レジェンドを語り合っていると
ユウキが
「でも職場での飲み会ではシッカリ者って感じで通ってるし!!」と
不思議な事を言い出しました・・・・








くすり
ダメ!絶対!!(マテ)



結局、3人でも話は止まらず気が付けば終電近くに(汗)
急ぎ足で清算を済ませて駅へと移動です!
改札のところでユウキと別れ、キタイと相鉄線へ乗り込みます。

帰りの車内で来月以降のイベントの話をして解散しました。

帰宅は何時も通りに0時過ぎでした(笑)

ま〜あり得ないほど全く人が集まらなかった〆会でしたが、前半の鎌倉
の秋の花は見事に見頃を見る事が出来たのでイーブンか?(苦笑)



後半の忘年会や〆会は
せめて飲み会くらい10人は集まって欲しい物です!!
皆、マジで頼むよ(涙)


それではまずは今期の上半期
まだ1個イベントが残っていますが、取り合えずはお疲れさまでした!



しかし、鎌倉に行って、鶴岡八幡宮も大仏も銭洗弁財天もスルー
ってのがウチららしくて面白かったね(笑)



2017年09月11日(月) 爽やか高原ツアー♪(笑)

夏の大旅行から帰って来て早々ですが・・・・・・・・・
今度は秋を感じる旅にGOです(笑)


長野の高山へ行って来ます♪
メンツは俺とキタイ。


本当はミッキーも参加予定だったのですが、直前で仕事のトラブル
で不参加に(涙)


1時頃に伊勢原駅でキタイを拾って出発!
行きの車内はこの夏の大旅行(過去日記参照)の
お土産話一色でした(笑)


群馬に入り途中の東部湯の丸SAでラーメンを食ってから
最寄りの松代PAで仮眠をとります・・・






暑い!!!!
目覚まし9時に掛けたのに、暑過ぎて7時半に目が覚めたし!(涙)
夜はあんなに涼しかったのにな〜

ま〜起きたものは仕方がない
出発です(苦笑)

まず最初でメインの目的地『五味池破風高原自然園』へと向かいます。
最寄りの須坂長野東ICで高速を降りて後は下道です。


途中から20kmも山道を登り続けてようやく到着(汗)
いや〜涼しい♪
って言うよりやや肌寒い

しかも夏のシーズンと紅葉のシーズンの間の平日
=誰も居ない(笑)
貸切です!

駐車場に車を停めてから、遊歩道的な道を
程歩いて行きました。
群馬県との境にある標高2000mの破風岳の西側に広がる
なだらかな高原で、須坂駅より車で約50分、曲がりくねった
20kmほどの山道を上がりつけたところが乳山牧場を中心にした
五味池破風高原自然園です。

いや〜隣りにキタイが居るから助かった(笑)
メインで見に来た竜胆くらいは俺でも分かるが、たくさん色んな種類の
高山植物の花が咲いていても全く分からなかったので、植物博士キタイ
に解説を受けながら探索してました(笑)

紫の特徴的な形をした花を咲かす竜胆
長野県でも有名な群生地だけあって遊歩道中で点在して咲いており
100近くの竜胆の花を見る事が出来て大満足♪
この竜胆はエゾリンドウと言う種類らしいです
他にもこの辺りの固有種らしいマツムシソウ。
アキノキリンソウ、シラタマノキ、ゴマ?の花など
珍しい花や植物を見る事が出来ました!



下山して、取りあえず温泉だ!!って事で近くにあった
『関谷温泉』へGO!
「湯っ蔵んど」と言う入浴施設に行ったのですが、綺麗で広く
良かったです。
泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)。
歴史は良く分からないです(苦笑)
新しく出た温泉なのかな??
でも風呂も内風呂も露天風呂も広くて、今回も露天風呂は貸切状態で
ゆっくりと浸かる事が出来ました♪


風呂上り、施設の食堂のメニューが豊富だったので
ここで昼飯を食って行く事にしました。

地物の蕎麦粉を使ったざる蕎麦!
そして地元の牧場で取れた乳製品や野菜などを使ったピザ
同じく地物を使ったジェラードなどガッツリ食ってきました(笑)
どれも美味くて、他に追加で頼むかマジで悩みました(ヲ)

食後、寝落ちしているキタイが起きるのを待って出発・・・・・



の前に、1階の売店で野菜が安かったので実家の分も合わせて大量に
買い込みました(笑)




で、次の目的地までの間にてキタイが
「シャモ肉を使ったオヤキが名物の和菓子屋がある」と
言い出したから・・・



寄るに決まってるじゃん!!

「つたや本店」と言う地元の商店街の中にある和菓子屋へ
寄り道です♪

2人でシャモオヤキ。俺は追加で野沢菜のオヤキも注文!
待っている間にお団子とか漬物とかお茶とかどんどんサービスで
出してくれて嬉しいやら申し訳ないやら(苦笑)

シャモのオヤキ
メッチャ美味かった!!
鳥の濃厚な味にゴボウがマッチしていて最高です☆


続いてやって来たのは『須田城址』
今は臥竜公園として整備されていますが、城の本丸は公園の
奥の山の上・・・



はい



風呂上がりの山城登りの時間です(爆)


須田城は、室町時代に須田氏によって築かれた中世の山城です。
須田氏は鎌倉時代より続く家柄で、戦国時代には須田氏は
須田郷信頼〜信正の系統と、大岩郷満国〜満親の系統と分れます。
武田信玄が北信濃へと勢力を伸ばすと、須田郷須田家が武田方へ、
大岩郷須田家が上杉方と別れ一族の生き残りを図ります。

武田氏滅亡後の天正13年、上杉景勝が北信四郡を支配下に
置いた時に須田満親が川中島海津城の城将となりました。
その後、戦国時代が終わり慶長3年に上杉景勝が会津へ移封と
なった時に須田氏もこれに従い、この時に須田城も廃城となったと
云われていす。


尾根山頂部に主郭を置き、主郭周囲を取り巻くように曲輪を配した
輪郭式縄張りであったそうですが、土塁や竪堀があるそうなのですが
草ボーボーで良く見えませんでした(汗)
ま〜郭は確りと確認出来たので良しとしましょう!


下山して、ダッシュで車に戻って出発!!!
元々、キタイから行きの道で
「何かの大会で賞をとったモンブランを出す店が小布施に
あるので行きませんか?」と誘われていたので近所の『小布施』に
あるその店に行く予定だったのですが・・・
閉店は16時
現在15:35(滝汗)


大丈夫!
ナビは10分で着くって言ってる!!
・・・・・飛ばすぜ☆


10分弱で到着(マテ)

有料駐車場に車をぶっこんで辺りを探します!
かなり分かり難い場所にありましたが、何とか時刻前に
「ENTOTSU」と言う店を発見して滑り込みます(汗)



一息ついてメニューを見てみると・・・・・



メニュー無いよ
だたモンブランって書いてある
選べるのはドリンクのみだね〜

・・・・・・・・・・キタイ


値段が¥1500って書いてあるけど?(汗)





キタイ「すみません。
持ってた雑誌に値段まで書いてなかったもので・・・」




気合を入れて食いました!!(ヲ)


ケーキのサイズも結構大きめで、甘味料の甘みは無く純粋に
栗の甘みが濃厚で食べたそばから栗の香りが口一杯に広がります♪
味を変えるベリーとカカオのソースも付いていて1個で3つの味が
楽しめました!
付け合せのフルーツのシロップ漬けも美味かったです。


思わぬ臨時出費でしたが・・・・許す!(笑)


古い町並みと将軍への献上品にもなっていたほどの栗が
名産の小布施の町並みを少しだけマッタリと歩いてみました♪

そして最後に停めた有料駐車場のそばに在った
『小布施陣屋跡』を見学です。

小布施陣屋は「日本のあかり博物館」の建てられている一帯が
陣屋跡だったと云われています。
元禄14年に幕府の代官所として築かれ、19000石の天領を
正徳5年までの約15年間支配しました。

遺構は無し!

あかり博物館と駐車場の微妙な隙間から入った奥に、嫌がらせの様に
ひっそりと!超ひっそりと碑が建っています(汗)


後は真っ直ぐ帰るのみ!
途中のリンゴ畑で記念撮影したりしつつ最寄りの小布施スマートIC
から高速に乗って帰ります。
途中の甘楽PAで1時間半ほど仮眠をとったりしつつも渋滞など無く
順調に進み、20:30には海老名駅前に到着でした。

駅前でキタイを降ろして解散。
そこから実家に行き、実家の分も買い込んだ野菜を実家に
降ろしてから序に実家で晩飯を食ってから自宅に帰りました〜

いや〜
思ったよりもたくさん楽しめた盛りだくさんのイベントになって
良かったです♪


次回は3人以上で行ければ言う事無ですね〜(苦笑)


それでは今回もお疲れ様でした!



2017年09月07日(木) 南洋の九州4(徳之島)

思わぬ夜更かしをしてしまった最終夜(過去日記参照)
それでも旅人スキル発動で気合いで7時前に起床!!

で、ホテルの1階に入っているジョイフルで朝食券を使って
朝飯を食って8時にホテルを出発です!


今日も絶好調で暑いです☆
8時なのに気温が32℃って終わってます(汗)




ま〜余りに景色が綺麗過ぎて、移動中に浜辺に立ち寄って
海を眺めてしまいました(笑)

ま〜直射日光ギラギラで頭頂部がジリジリしましたが(苦笑)


そんなこんなでやって来た最初のポイント
『カムィヤキ陶器窯跡』
・・・・・・・・・・・・島の観光協会イチオシの今熱いスポット!

カムィヤキは須恵器に類似する色調・製作技法で、窯跡発見以前から
南島地域一円でグスクなどの遺跡から出土することが知られており、
「類須恵器」などと称され注目されていたそうです。
昭和58年(1983年)、伊仙町阿三の亀焼地内において、
県営圃場整備事業に伴うため池建設の際、はじめて窯跡が
発見されました。
カムィヤキの名称は、「亀焼」を地元で「カムィヤキ」と称する事に
由来するそうです。
急遽実施された発掘調査により、二つの地区で窯10数基が確認され、
ため池の部分の窯は地下保存され、それ以外の範囲は県史跡に指定
されました。
その後、平成8年度から16年度まで、伊仙町教育委員会による
窯跡の悉皆的な分布調査と発掘調査が行われ、その結果、窯跡は
東西約1.5km、南北約800mの範囲に、7支群に分かれて
分布する事が判明しています。




・・・との事らしいのですが

山奥の奥
畑の隘路を草をかき分けて進みます・・・
藪で覆われてて説明版まで行くのも一苦労(汗)


遺構は全く見えず!

一押しポイントなら、せめてもう少し何とかしてくれ!!!(滝汗)


藪を掻き分け汗だくになりながら車に戻ってエアコン全開!!
山を下って行き、島の海側へ移動
やって来たのは『犬田布岬』
奄美十景の一つで、徳之島の南西部に三角形に突き出した琉球石灰岩
の海蝕崖の岬です。
戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦没将士の慰霊塔が建ち、見渡す限りの
水平線が美しい〜!

戦艦でも宇宙戦艦でも大和と聞くとテンション上がってしまいますが、
景色を眺めた後は静かに慰霊塔に黙とうを捧げておきましょう・・・


さてさて
時刻はまだまだ昼!
時間はまだまだあるのでこの時点で当初の予定に追加で行先を
組み込むことが確定!!
ま〜取りあえず、当初の予定に入っていた『犬の門蓋』へ

東シナ海に面したこの海岸一帯は、隆起サンゴ礁が長年にわたる浸食に
より出来た奇岩や断崖があります。
通称「めがね岩」と言われる奇岩や断崖、洞窟、ビーチロックなど
変化に富んだ景観は見事なものです。
昔、大飢饉のとき、人畜を襲う野犬を海中に投じたという逸話から
このような呼称がついています。
この島を検索するとまず出てくる写真がほぼここなので、この島の
イメージが最も強い場所です♪



続いて海沿いの道からやや住宅地に入り『ウンブキ』と呼ばれる
陸の海へとやって来ました。

ウンブキとは方言で鍾乳洞の事を言うらしく、ここはかつて珊瑚礁が
地上に隆起して鍾乳洞ができ、その後海に没した海底洞窟との事らしい
です。およそ400m先で海につながっているらしく、海の干満に
よって水位が変化するらしいです。
そしてその水も海水と地下水が混じり合ってできる珍しい鍾乳洞で
アンキアライン洞窟と言われるらしいです。

以前は分かり難くく、空港の近くなのに辿り着けない観光客が多かった
そうですが、現在はその入口に大々的な看板が掲げられ、下に降りる
階段やその下の広場も整備。
そして鍾乳石には手動ですがライトアップする装置もありますので
道路から少し降りただけなのに、土壁に覆われた洞窟感が満載で
手軽に冒険気分を味わえるポイントになっていましたね♪


ここからは追加です!
『西郷公園』
西郷隆盛がこの島で蟄居幽閉された場所

・・・・島を一周している(比較的)大きな道に案内板があり
その通りに行ったのに、途中の狭い場所で案内板が急に消えて
狭い山の住宅地で散々迷子になりました(怒)

現在は公園として整備されており、石碑が建っていました。



さてさて
レンタカーの割引プランを使う為に無理やり立ち寄ったのが
『徳之島フルーツガーデン』
南国の色とりどりな花々や果物が見られる植物園♪
結構、楽しみに入ってみたら・・・・・



殆ど時期外れで咲いてなーーーい(涙)
バナナとかヤシ、ランタナなど南国植物は生えていましたが
ハイビスカスは外で見たほうが見応えのあった場所もあったし・・・


微妙!(汗)
ま〜入場料が安かったのが救いだね(苦笑)

取りあえず正午だったのでここの食堂で昼飯を食って行く事にします!

老ちゃんはハンバーグ定食と言う島感0のゴーイングマイウェイ☆
俺はご当地っぽく
「鶏飯定食」と「油ソーメン」の2つ!(笑)
鶏飯は奄美!ってイメージでしたが、この島も奄美諸島なので・・・

OKでしょう(ヲ)

鶏飯はご飯の上に錦糸卵、鶏肉、シイタケの煮しめ、海苔、ネギ、
ワサビを乗せて鳥の出汁をぶっ掛けて食うスタイルの飯!

油ソーメンはネギ、ジャコ、錦糸卵、スパムをソーメンと一緒に油で
炒めたもの
冷めるとソーメンがくっ付きだすので早急に食う必要ありでした(笑)

で、老ちゃんが残したハンバーグも食い切って、かなり腹一杯に(汗)


頑張って後半戦です(苦笑)
島の北部『金見崎ソテツトンネル』へ
ソテツの群生でできた、約200mにわたるトンネル状のアーチです。
トンネルを抜けた先にある展望台からは、釣りやダイビングのメッカで
あるトンバラ岩や、遠くは奄美大島本島まで見渡す事が出来るそう
ですが、蜘蛛の巣&巨大な蜘蛛、巨大蚊が徘徊している死のトンネルと
化していたので入り口周辺から真ん中くらいまで進んで戻って
来ました(汗)


続いて島の北東から西へ空港へと戻る途中にて『ムシロ瀬』と呼ばれる
南国には珍しい花崗岩の海岸線を車を停めて歩いて来ました!
ムシロを敷き詰めたような巨岩が連なっており壮大な景観!!
北風が吹きつけるので、冬場は特に豪快なしぶきが上がり普段とは
また違った姿を見る事が出来るそうですが、この季節でも豪快に
打ち寄せる波を眼前に見る事が出来て楽しかったです♪



さてさて・・・・・・・・・追加分も見終えてしまった!(汗)

飛行機の時間までまだまだあるしどうしよう・・・と
空港の近所まで来てしまった時に、看板を発見して立ち寄ったのが
『松原闘牛場』!!
闘牛が盛んな徳之島
各地区には、本大会前の地区大会を戦う各地区ごとの闘牛場もあります。
ここはその中の1つ
・・・・その割には立派な石造りの闘牛場で驚きました!


で、流石に観光も限界です(涙)


さてさて・・・時刻はまだまだ残っていますが
見るポイントはもう無いし、何か食うには満腹だし
土産も昨日買ってしまったし・・・

海で遊ぶと、最終日で着替えが無いので帰りの服が海水でベタベタ
になってしまうので無理
諦めて『徳之島空港』のレンタカー屋に給油後に返却して
空港で只管時間を潰します(汗)

徳之島空港発が17:50
現在15:00です(滝汗)



いや〜
もし島の観光地を周り終えないと嫌だったので
余裕を持たせて朝の8時から動きましたが・・・・
これなら10〜11時にホテルを出発しても良かったな(苦笑)


ベンチで寝たり、持って行った小説を読んだり、ゲームをしたりと
頑張って時間を潰して17:50
待ちに待ったフライトの時間です!

どんどん空は曇って来て天候は悪化していますが
・・・・OK
揺れようと何だろうと帰れれば良し!(マテ)
 
徳之島から鹿児島までは行きと同様に小さな飛行機なので
かなり揺れるのを覚悟しておいたのですが、幸運な事に
若干の揺れ程度で無事に「鹿児島空港」へと予定の18:55を
若干遅れで到着です。
そこから羽田空港への乗り継ぎの便が20:20発なので
1時間ちょい再びベンチでダラダラします(苦笑)

とうとう雨が降って来ましたが、俺らの観光はもう終わったので
後は豪雨だろうが何だろうが構いません(マテ)


鹿児島〜羽田のフライトは・・・ま〜揺れましたが、殆ど寝ていた
ので無問題!

羽田空港へは22:00頃に到着し、今回の旅もフィナーレです(涙)

空港内で老ちゃんと別れ、駐車場へ向かう最中に鬱になりましたが
何とか頑張って羽田から自宅まで帰りました(笑)



いや〜
参加人数は最低でしたが、行った先は最高でした!!
海、綺麗!!!
観光9大鍾乳洞もとうとう制覇!
無理だと思ってた百合が浜も上陸に成功!

ほぼ隣りの奄美大島、喜界島が50年に一度の大雨で大変な事に
なっていたり、俺らが羽田から飛び立った翌日の便がエンジンから
火を噴いて空港へ引返したりと、またニアミスで色々ありましたが
我々は前日の昼の天気予報「4日とも曇りと雨」を覆して
4日ともほぼ快晴!

・・・日頃の行いだよね〜(邪笑)


さて
今年の旅の大成功を祝うのはこの辺にして・・・




来年の夏は・・・・・・沖縄よりも先
与那国島とか波照間島とかでマッタリって感じも良いかな?♪
来年こそは3人以上で!!!


取りあえず、今年の夏の大イベントも無事に楽しく終えられました。
本当にお疲れ様でした!



2017年09月06日(水) 南洋の九州3(徳之島)

朝起きて・・・
流石に昨夜は脂っこいものを食いまくったので
朝飯はパスしてギリギリまで寝てました(苦笑)

さて、10時ころに出発です!
今日も天気は晴天!・・・・って言うか暑い(汗)
風が爽やかなのが救いですが、それでも湿度もありきついです(涙)


今日は残りの島の北部を回ります。
まず訪れたのは『フーチャ』と呼ばれる隆起珊瑚礁が東シナ海の荒波に
浸食されて出来た天然の巨大な洞穴(フーチャ)。
海が荒れると潮の加減によっては海水を10m以上も吹き上げ、
ダイナミックな景観を見せるそうですが、今日は海も穏やかで
したので吹き上げる海水は見れませんでした〜
でも海がとてつもなく綺麗でしたのでOKです(笑)
因みに季節風や台風時には20m〜70mになる事もあるそうです!。

お次は『日本一のガジュマル』と呼ばれる樹齢110年のガジュマルの
木を見学してきました。
1898年に国頭小学校の第1回卒業生によって植えられた
ガジュマルで、新日本名木百選にも選定された町指定天然記念物です。
高さ8m、枝張り22m、幹回り6mと、校庭に大きく枝を
広げています

小学校の校庭に生えているので
「見学の際は職員室にお声掛け下さい」と書かれてありましたが
昨今の物騒な世の中・・・
見知らぬオッサン(俺)が「校庭の木を見せて下さい」って
言っても平気かな?とビクビクして聞いてみたら、とっても快い対応を
して頂きオッサンは感激でした(笑)


さて
当初の予定ではこれで終了だったのですが、流石にまだ船の時間まで
余りまくるので港のそばに在った『西郷南洲記念館』を見学して
おきました。
島津久光公の怒りにふれた西郷隆盛(南洲翁)は文久2年8月から
元治元年2月まで(1862年〜1864年)1年7ヶ月の間、
沖永良部島へ流罪となりこの場所で牢居されました。
南洲翁はその間、「敬天愛人」の思想のもと村の子弟の教育に尽力し、
多くのすぐれた人材を輩出しました。

ま〜出来る奴ってのはどんな場所でも出来るんですね〜(汗)

係員のおじさんが付きっ切りで説明してくれて、思っていたよりも
専門的で話も面白くて予想以上に時間を楽しく潰せてありがた
かったです♪
資料館見学後は、資料館に車を停めさせて貰い近所の西郷隆盛を祀る
『南洲神社』や西郷隆盛牢居の監視の役人が詰めていた
『大仮屋跡』・・・ま〜こっちは駐車場の隅に
小さな碑が建っているだけでしたが(苦笑)
等を見て回り・・・・僅かな時間歩いただけで汗だくです(汗)

次の船も『和泊港』からの予定だったのですが、一応昨日の事が
あったので(過去日記参照)先に港に行ってみて今日の船の予定を
聞いてみました・・・



今日も「伊延港」から出港だってよ!!!
危ねーな!!
大々的に島内放送とかしておけよ!(怒)


取りあえず、他にやる事も無いので給油を済ませ、レンタカーを
ホテルに返しホテルのロビーで昨夜の残り物をモシャモシャ食べて、
船の時間の20分くらい前にホテルの人に伊延港まで車で送って
貰いました。

本当は港の近くでご当地グルメでも食おうと思ってホテルの人に
聞いてみると「・・・・何も無いです」

「強いて言えばキクラゲですかね」



キクラゲ好きだけど、メインの食材じゃねーーー!
しかも高い〜〜(涙)

ってな訳で、泣く泣く見送ってロビーで揚げ物の残りを
モシャモシャ食ってた訳です(涙)



今日の船名はフェリークイーンコーラルプラス
沖永良部着14:10で発が14:40

定刻通りに出港し、今回は船の中をウロウロ探検したり
甲板に出て海原を見渡してテンション上がったり
で、汗だくになったり(ヲ)

そんな事やっていたらあっと言う間の2時間で
徳之島の『亀徳港』に16:35に到着!

この旅、最後の島です!!!

本日のお宿『徳之島』の「ホテルレクストイン徳之島」
ここで明日のレンタカーも借りる手はずになっているので
レンタカー屋がホテルまで車で連れて行ってくれる事になっています!

港まで迎えに来たレンタカー屋の車に乗ってホテルへ
・・・って、俺ら合わせて3組送迎で軽自動車で
迎えに来て、結局乗り切らなくて2度に分かれて
送迎されたのはマジで頭悪いと思ったけど(マテ)


ホテルでチェックインと同時明日の朝からのレンタの契約を
済ませます。

時刻は17時過ぎですが、まだまだ明るく全然観光行けます!
ですが、レンタは明日からなので今日は徒歩圏内で行ける所をとなり
商店街を抜けて狭い道を抜けて発見した『徳之島代官所跡』を見学です。
警察署や図書館にも使用されたこの敷地は、かつて薩摩藩の代官所が
ありました。
徳之島がその支配下に入ったのは慶長14年(1609年)の
秋徳(亀徳)の戦い以降の事です。
その7年後の元和2年(1616年)に相良勘解由(さがら かげゆ)
という人が初代の奉行(のちに代官)として着任。以来、明治2年
(1869年)までの253年間続きました。
その間131名もの代官が赴任したそうです!

しかし、現在では遺構は全く残っておらず案内板が
建っているのみです(涙)

いや〜・・・道狭かった&場所が分かり難かった
本当に車じゃなくて徒歩で来ておいて良かった(汗)


さて、今回もレンタの割引プランを使う為に指定の施設を利用しな
くてはならないのですが、徳之島はラッキーな事に土産物屋が指定の
施設内にあったのでその店で2人で家族や職場への土産を先に
買っておきました♪


晩飯・・・・
宿や店で名物を聞いても「特に無いです」って言われたし

取りあえず商店街で見つけた「大海軒」と言う雰囲気の良い
ちゃんぽん屋にて晩飯を食いました(笑)
野菜の魚介のうまみが濃厚で美味でした♪
ごはん超大盛りでも¥150ってのが嬉しかった(笑)



後はホテルに帰るだけだったのですが、残った酒を飲み切るのに
やっぱり肴は必要だろうと近所のスーパーへ


色々物色していると
「赤マツ」「ホタ」「ソージ(ヒレナガカンパチ)」と
珍しい魚の刺身が売っています!

流石に南国の島に来たのだからこっちの魚介類を食べたいな〜
でも、醤油無いしな〜
買っても無駄に残って捨てるだけになるからどうしようかな〜
と悩んでいる間に目の前を通りかかった店員の兄ちゃんを確保して
「刺身買うから醤油くれない??」と交渉

テンパるバイトの兄ちゃんを見かねて熟練のパートのおばちゃんが
奥から出てきて「弁当用の小袋で良かったらあげるわよ」と奇跡の
醤油GET!!


いえ〜〜〜ぃ!
刺身だ〜〜♪


部屋に戻って酒を飲みつつ刺身を食って超ご満悦な俺(笑)
それを見て「・・・本当に醤油確保してきたんだ」って生温い眼差しな
老ちゃん(笑)


結局、飲んで食ってで0時。その後もTVを見ていたら3時くらいまで
起きていました(マテ)


さ〜明日で最終日!
明日は1日かけて徳之島を1周しますので朝から行動です!!
・・・なのに3時まで起きていたのは流石に不味かったか(汗)


ま〜何とかなるでしょう!(笑)

明日も楽しく頑張ろう!!



続く



2017年09月05日(火) 南洋の九州2(沖永良部島)

朝、頑張って起きて朝食を食って出発です!

天候は晴天♪


・・・・・・・・って言うか、メッチャ暑い(汗)
昨日も暑かったけど、明らかにレベルが違う!!
危険なくらい暑いぞ(汗)


そんな中、まず向かったのは『按司根津栄神社』
琉球の兵から島を守った英雄を祀る神社です。
按司根津栄は「アジニッチェー」と読みます。

・・・・って、まず読めないから(汗)

按司根津栄は島の守り神にして武術の神様。
何せ伝説では1000人の琉球兵を1人で撃退した猛者です!




猛者過ぎるだろ!(爆)




さてさて
与論島最後のポイント・・・・・『与論駅』へ


駅風のオブジェクトです。

えぇ
だって与論島に電車も列車もモノレールも無いからさ
駅だって言われても・・・(汗)

1979年に日本国有鉄道(国鉄)の周遊券指定地に与論島が
含まれるようになって10周年となったことを記念し、鉄道のない
奄美大島・沖縄県(沖縄は2003年、ゆいレールが開業)へのPRと
いう意味も込め、与論町が駅名標・モニュメントなどを設置したもの
だそうです(苦笑)
5mばかりのレールの上に車輪が乗っているが・・・・・
車両は存在しない!(ヲ)

因みに駅名標の文字は、片方が「鹿児島」もう片方が「沖縄」と
なっていました。
アバウトすぎ(笑)


取りあえず、他にする事も無いので給油を済ませてレンタカーを
返します。

いや〜
ガソリン代が予想以上に高い!!!!
軽自動車で20kmも走っていないのに何故¥1000を
超えるの!?

離島怖いわ〜〜(涙)


レンタカーを返して、店の人に『与論港』まで送って貰い
船の時間まで寝てました(笑)

俺らが乗る船は「フェリーあけぼの」
与論着11:50で発が12:10
沖永良部(和泊)14:10着予定の便です。


いや〜爆睡していて、係員に「もうすぐ船来るよ」と起こして
貰いました(滝汗)


時間通りに船はやって来たのですが、どうらや沖永良部島の
当初の寄港地である「和泊港」は今日は使えないそうで、反対側の
『伊延港』に寄港するとの事・・・


困るーー
メッチャ困るーーーー
今日の宿(&レンタカーも宿で借りる)は和泊港のそば徒歩圏内!

急いで宿に電話をして伊延港まで迎えに来て貰う手筈を整えます。


フェリーは大きい船なので殆ど揺れを感じる事無く
2等船室でも快適な空間だったので与論〜沖永良部の2時間


殆ど寝てました(笑)



予定通りに沖永良部島へと到着!
迎えに来てくれた宿の人の車に乗って和泊港のそばの
「ホテルシーワールド」へ移動して、チェックインと同時に
レンタカーの契約を済ませてしまします!!

勿論今日は『沖永良部島』で1泊です。



時刻は15時ですが、まだまだ外は明るく・・・って言うか
まだジリジリと暑い(涙)

更に俺らが行く場所は殆ど営業時間とか関係ない場所ばかり
だから全然観光出来ちゃいます♪(笑)


まず向かったのは『ジッキョヌホー』
ジッキョヌホーは「瀬利覚の川」という意味。
島全体がサンゴ礁隆起で生成され、集落の中心にあるこの湧水は
生命の源として生活を支えてきました。
集落民の交流の場として活用されており、今も確りとした石造りの池
とその周辺に石の椅子などが置かれており、外国っぽい雰囲気を
醸し出してくれています(笑)
水はもちろん冷たくて超綺麗でした!

さて!
今日の!
この島の!!
って言うか、この旅のメイン!!!
やって来ましたよ『昇竜洞』

鹿児島県の天然記念物に指定されている昇竜洞は、昭和38年に発見
され3500mのうち600mが一般公開されています。
全体として鍾乳石の発達が素晴らしく、特にフローストーンの規模は
全国でも最大級のものです。
昇竜洞は地下水が珊瑚石灰石を溶かし、一滴一滴の雫が作り出した
大自然の彫刻です。内部に連なる金や銀、宝石をちりばめたような
鍾乳石や石旬には、クリスマスツリー、音楽堂、ダイヤの御殿などの
名前がつけられ、見る人を神秘の世界へ誘ってくれます。

日本鍾乳洞九選の1つにして、今まで我々の旅で見てきたのが8つ
龍泉洞 (岩手県) あぶくま洞 (福島県)
日原鍾乳洞 (東京都) 飛騨大鍾乳洞 (岐阜県)
秋芳洞 (山口県) 龍河洞 (高知県)
七ツ釜鍾乳洞 (長崎県) 球泉洞 (熊本県) (過去日記参照)
最後の1つで御座います!!!
初めてこの9選を知ったのは第7期2012年の
湖北五山詣での時(過去日記参照)
この時は本州の鍾乳洞は幾つかは行った事があったし、残りも日帰りで
行けるから余裕♪
九州のも旅の行程を少し弄れば、ま〜何とかなるだろう!と
軽く考えていました。
昇竜洞 (鹿児島県)
この(鹿児島県)が曲者でした(汗)
てっきり鹿児島県の本土だと思っていて、後で住所を調べたら
・・・・・

はぁ!?
島??
って状態(滝汗)
そんなこんなでやっと! 5年越しでの制覇です(涙)



ま〜鍾乳洞入り口と出口が遠くて、鍾乳洞探索の後に炎天下の中、
山道を登る羽目になり一気に感動が汗で流れていきましたが(ヲ)


お次は『住吉暗川』へ
クラゴーと呼ばれています。
鍾乳洞の一部に穴があき、地下水を汲み取ることのできる場所を暗川と
呼んでいます。
深さ約30mから水を汲む仕事は女性や子供の仕事で、大変な
重労働であったそうです。
住吉暗川は地質学的に貴重であるとともに、水に関する過去の住民の
苦難の生活史を物語る場所としても重要だそうで、今も当時のままの
姿で残っています。
狭い洞窟内を数分歩いて行くと綺麗な水が湧き出る池が出て来ます。



折角、南の島に来て洞窟とか穴蔵ばかりだったので海を見よう!と
『田皆岬』に立ち寄って海分を補給(笑)
沖永良部島の北西端にある美しい岬で、奄美十景の一つです。
サンゴ礁が隆起した高さ51mの断崖絶壁で、崖から見下ろす
コバルトブルーの海の景観と、白い波しぶきが岩を洗う荒々しい
風景は圧巻です!!



少し天気が崩れてきて雲が出てきましたが
まだまだ行けるぜ!
『後蘭孫八城跡』
平家の落人の子孫で、優れた築城家としても伝説に残る後蘭孫八の
築いた城跡。

後蘭孫八城は、沖永良部島の中央部に近い後蘭の丘に築かれたグスク
です。
これは城というよりも城館跡または、居館跡と言った方が正しいかも
しれませんね

さっき海分を補給したのに、南の島に来ても雑木林の中に突入し、
木や草を掻き分けて進む何時もの仕様です(涙)

歩く事5分程で木々の中に分家の屋敷跡や本家の屋敷跡が確りと
残されています!
石垣なども見事に残っていて素晴らしい!!
他にも高倉・屋敷倉・井戸・風呂屋敷などがあり、さらに奥に行くと
2〜3mほどの窪みが30畳ほどの広さであります。
そこには他では見られなかった細い竹が立っていて、この場所が
本丸であったろうと推測されているそうです。
常識的にいえば、元来本丸というものは城内で一段高い場所を選んで
築くものですが、この孫八城のように低い場所に本丸を構えた城は
かなり珍しいのではないでしょうか!?
本丸の奥には見張り所が3ヵ所ほどあり、グスクの末端には
孫八の墓もあります。

この近所に、孫八が仕えていた『世之主の墓』があります。
昭和41年3月11日に県の史跡に指定された遺跡です。
15世紀頃の琉球王朝時代、沖永良部島を治めていた島主である
悲運の世之主、真松千代の墓です。
石門で囲まれた奥に、サンゴ礁をくりぬいてつくった純琉球式の
立派な納骨堂が残されています。
真松千代は、15世紀ごろ、中山王の和睦船が来襲してきたものと
早合点し、妻子とともに自害したといわれます。
墓の中には世之主、正妻、嫡子の骨壺が安置されています。
案内板を読んでいたら近くには松千代の築いた城があるとの事!

なので探したらすぐに出てきた『世之主城跡』へも足を伸ばします。
世之主城跡は、沖永良部島の大城間切りのほぼ中央に位置している
城跡です。
現在は世之主城の頂部には世之主神社が建立されており、南は沖縄本島
北部から伊平屋島、伊是名島が眺望でき、北は徳之島を見渡せる
立地の丘に築かれたグスクです。

その築城については1400年頃に後蘭孫八に申し付け、三年がかり
で完成したと云われています。

危うく急坂を藪を掻き分けて突入するところでしたが、寸前で裏の
神社と広場のほうから車で入れる事に気が付けて助かりました(汗)



さて!
日はまだ明るいですが、流石にこれ以上見て回ると明日が暇になって
しまうので今日はここで終了です(笑)
宿は飯無しのパターンだったので近くのスーパーで買い出しです。

ご当地物を〜なんて思ってスーパーに入ったのですが、それっぽい
物は皆無!(涙)
その代わりに揚げ物が激安でした!
揚げ物祭りIN沖永良部島が開催決定に(苦笑)


飯(揚げ物が大半)や飲み物やお菓子を買い込んで
スーパーの向かいにあった地元の喫茶店で昼?晩?飯を軽く食って
行く事に♪



俺はオムライス
老ちゃんはトースト



旅情感0の食事を終えてホテルへ戻って
揚げ物祭り&飲酒です!


と言っても、そこまで大酒を飲まずに早めに解散して
今日は大人しく寝る事にします・・・

さ〜今年の夏の大旅行も今日で前半終了
今のところ、何時ものパターンで天気も好調で来ているので
後半戦も期待したいところです!


続く



2017年09月04日(月) 南洋の九州1(与論島)

さてさて
今年の夏の大旅行!
宣言通りに今年は南洋の島々へ!!

沖縄と鹿児島の間の島々へ♪
与論島〜沖永良部島〜徳之島という今年もマニアック臭が
プンプンする旅程です(笑)


メンツは俺と老ちゃん・・・・・・・・・・・・のみ!!!
とうとう今年はコチヤも都合が合わずに2人という過去最低の
参加人数での開催になりました(涙)


しかし計画時は与論空港着の徳之島空港発のプランがあったので
それを見つけてからは例年に比べてプランが組みやすくて
発狂せずにすみました♪(マテ)





・・・・・・・・・・・直前までの天気予報は4日間とも雨。
曇りのち雨。曇り一時雨。



OK
大丈夫だ
きっと晴れる!(マテ)


1時ころに自宅を出発し2時ころに老ちゃんと横浜駅で合流。
そのまま『羽田空港』へとやって来て駐車場で仮眠をとりました・・・




定刻は7:25だったのですが少し遅れで羽田空港を出発
小雨が降り続けている割には上空は大して揺れずに済んで一安心♪

飛行機は乗って飛んでみないと快適さが不明なのが
嫌なんだよね〜(汗)


まず飛行機は8:10頃『鹿児島空港』へと到着
そこから次の乗り継ぎ便を待つ間、待合室の畳の上でゴロゴロと・・・
下手な椅子よりも全然休めて最高でした!
しかし、今までは乗り継ぎ便を使ったのが北海道の新千歳からのみ
(過去日記参照)でしたので、南方航路を大いに開拓ですね(笑)

2時間半ほど待ち、こちらは定刻通りに10:45に
鹿児島空港を出発!
・・・天候は曇り〜小雨の小康状態(汗)
両翼にプロペラが付いた小さな飛行機で南洋へと繰り出します♪

小さな飛行機だったので揺れが怖かったのですが、予想に反して殆ど
揺れずに快適な空の旅でした!

まずは最初の島である与論島の『与論空港』に12:05に到着!
予想通りの空港の小ささに遠くへ来た事を実感させられます。
小雨が降っていますが、遠くの空が晴れているので大丈夫でしょう!!

空港までレンタカー屋に迎えに来て貰い、近所の店まで移動してから
サクッと契約を済ませて与論島観光の開始です!!



小雨が降っていますが、気にせず頑張りましょう♪
まず訪れたのは『ユンヌ楽園』

与論島のほぼ中央部にある、300種類を超える与論や沖縄、
東南アジアの草花や木々を集めた亜熱帯植物園です。


勿論、有料なのですが・・・・・


受付で幾ら呼んでも誰も出て来ず(汗)

中に入れば誰か居るだろうと入ってみるも誰も居らず(滝汗)



結局、庭園を一周するも誰とも遭遇せず(爆)


因みにハイビスカスやブーゲンビリア、ガジュマル、アダンなどの
熱帯の植物だけでなく、茅葺の古民家や高床式の倉庫、民具などの
展示や、ヤギがいたりで1発目にして中々に南国感を感じさせて
くれましたね〜♪



・・・・・・・・・ちくしょーーー
入場料払えなかったぜーーーーーー!!!!!!





(邪笑)




続いてやって来たのは(マテ)
『舵引き丘』と言う畑に囲まれた小高い丘
そもそも与論島はサンゴが隆起してできた島です。
島の伝説では遠い昔2人の神様が漁に出かけたら、船の舵が浅瀬に
引っかかり降り立ってみると珊瑚礁が盛り上がって島ができたという
神話があり、この丘が与論島発祥の地というわけです!

そんな丘に立ち、辺りを見渡すと若干の住宅地以外は、ほぼ畑!
でその遠くには全周囲に海!
そして遠くの空は青空に♪
よし!今後の天気は登り坂だぜ!!

今回のプランで与論で使える商品券が付いてきたので
港そばの観光センターへ行き、旅券を見せて商品券を引き換えて貰いに
行きました。


で、折角なのでセンターの人にダメもとで
「百合が浜って今日これから見れますかね?」と聞いたら


潮見表と時計を確認して
「急いで!まだギリギリ間に合うはずだから!!」


マジか!?

『百合ヶ浜』

島の東部にある大金久海岸の沖合い約1.5kmにぽっかり浮かぶ
真っ白な砂浜。
例年、春から夏にかけて中潮から大潮の干潮時だけに姿を現す
レアかつ美し過ぎる砂浜です。

海面は太陽の光をうけてキラキラと輝き、白い砂浜とエメラルド
グリーンの海の色はまさにリア充の楽園!(ヲ)
この百合ヶ浜で「年齢の数だけ星砂を拾えば幸せになれる」という
リア充臭い伝説までもあります(マテ)
そもそも今月見られる予定が5日〜11日、16日〜23日と
今回の旅程からは外れていて、正直見たかったけど無理だね〜と
諦めていた場所でした・・・


見れるなら見たい!って事で観光センターから車をかっ飛ばして
10分!
大金久海岸へ到着し、その辺に居た係員っぽいおっさんに
「百合が浜って今から行けますか?」と聞くと

「もうそろそろ沈むから長居は出来ないけどそれでも良ければ」
との事!!

大金久海岸から漁船?で島へと向かいます!!
大人1人往復で2000円でしたが、先ほどGETした商品券が
使えたので¥0でした♪


いや〜
船を待っていた砂浜からして綺麗過ぎる

まさに真っ白な砂浜と遠浅の部分のエメラルドグリーンの海と
そうで無い部分の紺碧の海!
そして入道雲の浮かぶ青空!!

今日だけは!

俺も!!




リア充だーーーーーー!!!(マテ)




干潮のべストタイムを外れていたので浜の端は既に海に沈みだして
いましたが、それでも海に忽然と白い砂浜が表れている様子は
美し過ぎて感動です☆
ベストタイム過ぎだったので、狭い砂浜に人口過密状態ではなく
5〜6人しか居らず、ある意味贅沢に浜を満喫でしました(笑)


30分程、浜に居させて貰い、俺らを待っていた船に乗って
大金久海岸へと戻って来ました。
で、海岸の受付付近の水道でサンダルとか足を洗ってから
観光再開です!

さて
思わずメイン物を追加で堪能してしまい、まだ興奮状態です(笑)

続いてやって来たのは『与論民俗村』
プランに乗っているレンタカーの割引が合って、それを使う予定だった
ので、幾つかそのプラン指定の場所へ行かないといけません。
ここはその中の1つ。

与論の昔の文化を見学出来る施設でしす。
与論の民家は円錐型の茅葺屋根の家で、母屋と台所が別棟になって
いました。与論民俗村内には、伝統的な与論の民家の中に生活道具が
展示され、昔からの島の生活を紹介しています。
海の幸を得て暮らしてきた与論の人が使ってきた船や漁具のほか、
貴重な貝類も展示されていました。
また沖縄に近い与論島は琉球の文化の影響を大きく受けています。
ここでは与論では数少ない赤瓦の家が再現されています。

与論島の農業の中心はサトウキビ栽培です。戦後、製糖工場が出来る
までは、伐採したサトウキビを搾るために砂糖車を牛に牽かせて汁を
絞り、黒糖を作っていました。
その装置も展示されていました。

何だか以外に真面目な施設で、思ったより楽しめました♪
因みにここの料金も商品券を使用して¥0(笑)


次に訪れたのは『与論城址』
えぇ
城です(笑)
島南端の丘にある15世紀頃に築かれた琉球王朝時代の城跡で、
石垣のみが残っています。
標高94mの高台には「与論十五夜踊り」の 舞台となる琴平神社が
あり島の景観が見渡せる絶好のビューポイントでもあります!




さ〜飯だ!
一旦飯屋が有りそうな港方面へと移動。


その前に、プラン指定の土産物屋へ立ち寄り
島名産の黒糖焼酎を今夜飲むように購入♪

試食で食べさせて貰った蕎麦が美味かった〜
お蔭でただでさえ空腹だったのに胃が動き出して飢えが
ヤバくなったよ(汗)

売店の人が実は大学時代に川崎〜蒲田〜鶴見周辺に住んで居たらしく
更に町田へは物産展に出店するのに何度も行くとの事で
あまりのニアミスっぷりに3人で盛り上がってしまった(笑)


で、その土産物屋の近所にあった「泰斗」と言う寿司屋
・・・って言うか、この時間(15時過ぎ)にやっている店が
ここしか無かった(涙)

店に入って
釣りバカ日誌の北見けんいち先生や
仮面ライダーSPIRITSの村枝賢一先生のサイン色紙を見つけて
激しくテンション上がってます!!!

取りあえず名物のモズク蕎麦と店主おススメの鰆の刺身を注文

刺身は普通に美味かった
モズク蕎麦は蕎麦を啜るとモズクの風味が口の中に広がり
面白い感じでしたね♪

さて、今夜は宿で飯ありなのでガッツリ食わずに撤収です。


お次は当初の目的地だった鍾乳洞へ行く途中で看板を見つけた
『上城址』
どうやらここは九学会連合や熊本大学などの遺跡調査により、平成5年
に調査が行われた遺跡の住居跡だそうです。
縄文時代晩末期から弥生時代の後期のものと云われています。

・・・・・ま〜木々で激しく覆われていて全く見えないけどな(汗)


そしてそんな遺跡経由で到着したサトウキビ畑の中にある
『赤崎鍾乳洞』へ!
勿論、ここの料金も商品券☆(爆)
与論島はサンゴ礁が隆起してできた島です。
その大地が地下水によって侵食され、長い年月をかけて造り上げられた
ものが赤崎鍾乳洞です。
珊瑚礁が隆起してできた島なので海棲生物や海藻、珊瑚などが堆積し
石灰岩となりました。
そして雨水が石灰石に流れ込み、少しずつ少しずつ溶かしていきます。
それが10万年とも100万年ともいわれる長い時間をかけて現在の
赤崎鍾乳洞が形成されました。
そして昭和40年に日本大学の洞窟探検部によって調査発見された
そうです。




さ〜今日のお宿は勿論『与論島』(笑)

「星砂荘」という民宿です。
宿の中を素晴らしくエロイ水着でウロウロしているギャルたちが居て
追加料金を取られないか不安でしたが(マテ)
取りあえず無事にチェックインを済ませて部屋でゴロゴロ〜


晩飯は普通の定食風でしたが、刺身も美味かったし
豆腐の煮物も美味かった。
特にメッチャ味の濃い豚肉炒めがご飯御代わり自由とフュージョンして
危険なコンボに発展しました(苦笑)

食い過ぎて部屋に戻って轟沈(笑)


部屋でTVを見ながら天気予報をチェック
何せご近所の奄美、喜界島では50年に一度の大雨らしく
凄い事になっている様子がTVで映っています(滝汗)

ま〜東へ進む雨雲を遅れて追いかける感じになるので
平気でしょう!!

・・・・・・平気です。
平気だと決めました!!(ヲ)


若干寝落ちした後、宿の風呂でシャワーだけ浴びて
風呂上りに宿の前で夜空を眺めたりしましたが、生憎雲が多くて
綺麗な星空って訳にはいかなかったです(涙)


天候も持ちこたえてくれ、更に思わず百合が浜が見れて
上々だった初日も終了です。
明日は隣りの沖永良部島への船が昼には出るので、朝は余りゆっくり
出来ないので早く寝ますね〜

さ〜残りの日程も全力で楽しむぞーーー!



続く


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