すず子さんのボヤキ。
モクジカコ


2011年11月22日(火) ついった功罪

無知というのは罪である。

本人がユーザであることを公言せずとも、
こちらが望まなくとも、勝手に「友達なんちゃら機能」で
登録されたアドレス帳からアカウント探し出すとか、
鍵かけても、ツイート検索機能から
大体の会話内容推測できちゃうとか。

それを知らずに、見られたらマズイ内容を
ツイートしてるのを見つけたときには
非常に悲しい思いをする。

会社には病欠と連絡しておきながら
夢の国へ行ってきます♪と宣言ツイートしてたり、
はたまた、病欠と連絡があり、出社してないのに、
ついった上では、会社行ってきます!と挨拶してたり。
現実の世界でも、ついったでも嘘だらけ。

こうなると、人間性を疑わざるを得ない。

仮病で会社を休むぐらいなら、多目にみて
知らないふりも出来よう。
好きなことに夢中になるのも良かろう。

でも、「程」があるのだ。物事には。

たまたま病欠を心配して、記憶を辿ってアカウント探して
ツイート見てみたら、ルンルンで遊びに出掛けてる
と知ったときのいたたまれなさ。

次の病欠連絡で、もしや…と思ってツイート覗いたときの
ガッカリ感。

このイベント、まさかね…と思ってたら案の定、
勤務時間中の通院予約。

こうなると、どこまでこの人を信じたらいいのか
疑ってしまう。社会人として。

もう、見過ごすのも限界だ。

でも、ついったのこと、知らずにいたら?
こんな気持ちで悶々とすることもなく
ただ病欠を心配して済んだのかもしれない。

仮病で病欠なんて、ざらにある話だとも言える。

この先、どう決着つけるべきか…。
こんなことに大事な時間を費やすほど暇ではないのだし。





どるふぃん |MAIL

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