ちょろりの役員様日記
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2004年05月31日(月) リゾート行きたい

あーもう5月も終わりだねー。早いのぅ。

ボーナス?いやそんな言うほどないな。
小遣いがちょっと出たのでウキウキ。
餅つき器を買わないと。ママンとばあちゃんへ。

今日は銀行へ行くが
ものすんごい混んでいて
窓口が1時間待ち。ATMでも20分並んだ。大変なことだった。

窓口待っている間に
「壮快」とかいう健康雑誌を隅々まで読んだ。
楽しかった。

帰宅途中に、ヨッシーからメール。
夜にやってきた。21時ぐらい。
チロを預けてヨーカドーへ買い物へ行っていた。

チロは大人になったのか?
いきなり放尿とか、うんことかしなくなっていた。
スーパーのビニール袋で遊んであげた。

ヨッシーはバリへ行くので
色々店のこととか話す。
ああ、、、プレンクンのアヤムゴレンが食べたくなってきた。
おいしいんだよ。揚げ物だけど・・・。

オプショナルツアーはバリでは何がおすすめなのかしら?
なんか聞かれたんだけどわからない。
きんちょと行くから、何か運動系したい様子。
イルカ観察か、島に行ってシュノーケルか、ラフティングか
あとは象に乗っておけと言っておいた。

あたしの周りはバリでは
プールサイドでまたーり派ばかりだものね。
あたしはそれにビールが必需品。

あービーチ行きたいわ。
かなりたってる。前行ってから。
一人じゃ行きたくないんだな。あたし。
気心知れた女友達と行きたいわ。あとはちょろダーね。

ヨッシー夫妻の後ろについていってしまおうかしら・・・。


☆今日の晩御飯☆
ドライカレー
スナックエンドウ炒め(スナックエンドウ、人参、ナス、豚肉)
冷奴
キャベツスープ(キャベツ、玉ねぎ、ピーマン、ベーコン、人参)

ドライカレーはまった。
明日も作ろうかな。


2004年05月30日(日) 久々のダラ休日

今日は家にいた。
ものすんごい天気が良いので
洗濯機をかなり回した。
ベッドの汗取りマットとかシーツ類全部
布団のカバーも3枚洗った。

暑いよ・・・
外にはおれん・・・。

ので、家でエアコンかけてまったりしていた。
ちょろダーは近所の美容院行って、本屋行って
全然帰ってこなんだ。

彼はあたし好みの長めの髪形に
していたのだが
(あたしリクじゃないよ、勝手にしてた)
とうとう短くしたいらしい。暑さに耐えられないって。

でかけに、
「今のピっくんみたいにしてくる」と言って
でかけて、
「あれはーピっくん以外はダメー」と
言ったのだが・・・

まあ、仕上がりは普通だった。
普通の短め。

二人で夕方買い物へでかけて
晩御飯は家飯。
やはり家でのご飯が一番いいね。胃には。

先週水曜からドライカレーが食べたい気分だったので
今日はドライカレー。

しんこ方式に、調味料をなんでも入れてみる方式にしてみた。
ソース、ケチャップ、(まあここまでは普通)
ホンダシ少々、コンソメ少々、醤油、クローブ、
コリアンダー、オーホット、ガーリック塩、クレイジーソルト
などなど。

ハウスのマンゴーチャツネというものを
入れてみたら甘くなった。

まあでも、おいしくできた。
野菜たぷーり。
新玉ねぎを大量投入した。
明日もこれを食べれるな。

☆今日の晩御飯☆
ドライカレー(ひき肉、玉ねぎ、人参、ピーマン、ナス、トマト)
スナップエンドウとアスパラとトマトとアボガドのサラダ
ほうれん草のおひたし


2004年05月29日(土) さっぴー帰る&またトロイ

さっぴーが今日は岐阜に戻る。
昼頃の電車で旅立つというので
朝ごはんを作る。

あとさっぴー用小弁当を作る。
朝からすし飯を作って、アボガドと海老で
おにぎり作ったよ。

あとはスナップエンドウと卵オイスター炒めとか。
新玉ねぎのサラダも。

弁当を持ってさっぴーは帰っていった。
飛行機が名古屋往復だったのでまた岐阜に
戻らないといけなかったのだ・・・。

アパートの下で、
「さよーならー、さよーならー。
さっぴーは旅立ちます〜」と叫んで帰っていった。

さびしい・・・。
やはり早くさっぴーを引き取りたい。(アホ)

午後は、ちょろダーとおでかけ。
映画「トロイ」をまたまた見に行く。
ぴっくんのために売上協力しないとね。

歌舞伎町のあのコマ前広場に
映画で使ったトロイの木馬のセットがきているので
「これは是非見ないとー」と歌舞伎町へでかけた。

歌舞伎町は人があふれている。
ついでに暑い・・・暑い・・・。

15時55分という回のために、15時すぎには
新宿着いていたのだが
もう並んでるYO。映画館からはみだしてるし!

まあでもとりあえず、トロイの木馬の
写真撮影に余念のないわし。

そしてちょっとばかし列に加わって並ぶ。
回りは全部若い学生カポー。
なんでかな?日曜デートの定番なのか?
明らかに後ろのカポーは
まだ打ち解けてなくて、初々しかった。
こちらはなんか熟年夫婦な雰囲気。

映画はまた感動して見た。
エリックにピッくん、いいよーいいよー。
ちょろダーは、「パリスはあんなにヘタレでいいのか?」と
つぶやいていた。
ヘタレ、、、抱きしめたくなる感じなの・・・。

兄さん(エリック)も思わず助けちゃうヘタレぶり。

映画見終わって19時半か。
なんか昼ごはんというか朝ごはんを11時に食べたままで
外出していて
空腹のあまり、ものすごく胃がキリキリしてきた。
でも、トイレに入ったGAPで義姪に服を
大量買い。

胃の酸出た感じが辛くてしょうがないので
とりあえず、ラーメン食べた。
山頭火。塩ラーメン。
座って食べてるときは平気だったんだけど
帰りの電車でまたさらに激痛が。

やはり外食が続いたので、胃がやられたのであろう。

家に帰って横になったら治った。

ラーメンはおいしかった。
なんか最近、ラーメン食べたいと急に思いつく。


2004年05月28日(金) さっぴーと飲む

ものすんごい仕事が忙しかったヨッシーの旦那きんちょが
もうすぐで落ち着くということで
久々に二人で旅に出ることにした様子。

そいでバリに行きたいというので
KEIKOさんとアドバイスを昨日ちょっとだけした。

ヨッシーはいろいろ調べていて(ツアー派だからツアー)
「JTBで頼むと、JALのCクラスが20000円UPでできるの」
と昨日夜電話してきた。
(最初はCクラスって何?という電話だったんだが・・・
ビジネス席のことだよ・・・)

かなぞさんと、「それ超安いよ。頼むべきかも!」と
話していた。
後から「20000円じゃなくて210000円の間違いでした
えへへ・・」といメールがヨッシーから。

ううむ・・・まあC席はあきらめて
ホテルをゴージャスにして、あとはエステだよね!
頑張れヨッシー。


今日は会社帰りに
さっぴーとちょろダーと3人で食事。

ひっぴーは約束があるとのことで(あやすぃ)
りょうたんは月締めだから飲みなんて行けないYOとのこと。
さっぴーあわれ・・・。

今日は魚系ということで
渋谷、和風一軒家飲み屋へ。
「ガシラ」という店。魚はいけると評判だった。

多少高いけど、超おいしかった。
銀ムツの煮付けが最高でした。コラーゲンたぷーり。
ただ、揚げ物は苦手らしく
キスのてんぷらも、ホワイトアスパラのフリッターも
なんかちょっとべちゃとしていた。残念。

刺身もおいしかったです。
さっぴーにウニをたんまりと食べておいてもらいました。

さっぴーがビールを飲めるようになっていた。
ドイツに行った甲斐はあると言うものだ。

さっぴーが新入社員のときに、
いつか開かれると信じていた新入社員歓迎会のために
ビールを飲む練習をしていたころがなつかすぃ。
(6月半ばまで飲む練習していた。開かれなかった・・・)

あたしがどうしてもラーメン食べたいと言い張り、
千歳会館に新しくできた
「麺食王国」という麺系を集めたフロアーで
新宿の有名店、「竈」の醤油ラーメンを
たいらげて帰宅。3人で2杯食べた。
こてーりすぎた。煮干系のダシでおいしいんだけど・・・。


2004年05月27日(木) ラ カスタータ

仕事の後、かなぞさんと食事。

実は、スウェーデンのキムセさんが
日本にいたとき泊まっていたウィークリーマンソンから
もらった食事券が、期限が5月いっぱいなので、
ぜひ使ってくれとキムセさんから郵便で頂いていた。
それをかなぞさんとうちら夫婦と使おうと
5月22日に予約をしていたけど
おばあちゃんのことでキャンセルになってしまっていた。

あわてて今月中ということで
今日予約していた。もうちょろダー無視して二人。

すごいよ。食事券。2万円分あるんだから。

まあでも使えるところが、
森ビル関係の六本木ヒルズなんかにあるスパのレストランと
あと2軒のレストランに限られていた。
何しろ六本木のアークヒルズに住んでいたから。キムセさん。
今日は、アークヒルズ、テレビ朝日の裏くらいにある
アークタワーズの1階にあるレストラン、「La Cascata」を
予約していた。
そんなメニュー単価は高くなさそうだったので、二人で2万円分、
使えるかなーとか、心配していた。
まあ、そんな心配は無駄だったけどね。


テレンス・コンランデザインというむっちゃおされなお店。
店内に白い壁一面に滝が流れて、上からブルーのライトで
間接照明。

あたしはそこにスーパーの買い物袋提げて行ったわけだが。

うっかり弊社近くの倒産品セールというところに
吸い寄せられ、
これからオサレレストランに行くとわかっていながら
靴下5足で399円とか、パンスト5足で180円とか、
ママンとパパンに送ろうと大量買いを・・・。

紙袋に入れてくれなくて、スーパーの白い袋だったんだよ・・・。

まあ、荷物をレストランフロントに預けて
かなぞちんと食事。
2万円分あると思うと気が大きくなり
すんごい適当に値段を全く計算しずに
それぞれ食べたいものをアラカルトで注文。

最初に泡ワイン1杯ずつ

かなぞちんは
・バスク風イベリコポークと3種の豆のスープ
・蟹と黄ニラ 
フレッシュトマトの手打ちのフェットチーネ エストラゴン風味
・スペイン産イベリコポークのサルティンボッカ
季節の野菜と天然キノコを添えて

あたしは、
・オーストラリア産アワビのソテー プロバンサル風ビネグレットソース
・北海道ウニのクリームスパゲティーニ
・“オーソブーコ”仔牛脛肉の煮込みバターライス添え

赤ワインを1本。
ここはコスパフォが大変悪いとかなぞさんの弁。
かなぞさんが1800円で買ってきたワインが
8300円でおいてあった。
のでふつーの定番の赤にする。
って、全部ワイン関係はかなぞちんまかせ。

そいで、デザートをそれぞれ食べて
コーヒーとエスプレッソを飲んだ。

ええとね・・・本当に全く値段計算しなかったのよ・・・。
まるで、「ゴチになります」みたいだった。
「2万500円とかになるのがベストだよねー」
とかアホみたいに話していた。

そいでね、合計はね
料理と酒とデザート類で、2万とんでなんぼだった!
すごい!
でも、消費税とね、サービス料の存在を忘れていたのでね・・・
26180円でした。

まあうちらよう食べた。
ちょろたんパスタをスモールにしなくて
全部レギュラーにしたら腹がいっぱいになって
かなぞちんに脛肉食べて貰ったけどね。

ちょろセレクトよりかなぞセレクトのほうが
おいしげだったような?
スペイン豚がすんごいおいしかったよ。
まああたしのオーソブーコも骨髄をスプーンですくって食べて
おいしかった〜。(いいのか骨髄・・・?)
パスタのクリーム味と、オーソブーコのデミグラソースの選択は
ちょっと重すぎですた。

ワインは、最初はちょっと重め?みたいな感じだったけれど
だんだんとまろやかーになっていって
大変飲みやすくおいしかった。

あーなんか楽しかった。
ちょっとばあちゃんのことで気分が↓だったんだけど
いろいろ話してすごい元気になって帰ってきた。

家についたらちょうどさっぴーが登場した。

さっぴーは今日はバンバンとこで髪の毛切って
やちさん(学生時代からの親友)と飲んで帰宅した。
ちょろダーが鍵を実家に忘れて帰ったので
ちょうどそれを使っていた。


2004年05月26日(水) 愛されてる

東京へ戻ってきて仕事に出ている。
会社へ行くと、急に日常に戻るから
先週1週間の出来事が夢みたいだったなあ・・・。

今ばあちゃんち行ったら信じられるのかなあ・・・?


昨日今日と友人たちから
メールなんかもらって励まして貰っている。
みんなありがとう。

メッセでお話もしたかな。

やっぴーと久々に話して
ばあちゃんの話をひとしきりした後
ピっくん話になった。
ワイドショーなんかで来日の成田空港や
武道館が流れるたびに
旦那と「ちょろがここにいるんだねー」と話していたらしい。

やっぴーに、ネットに落ちてる
成田空港でのもみくちゃ写真を
「ここにワシが小さく写ってるんだが」と見せたら
ピっくんより先に、あたしを見つけたらしぃ・・・。

ピっくんは堂々と真ん中歩いてるんだよ。
あたしは群集の中で、もがいてる。

さすがこの何千人の中から
あたしを0.5秒くらいで見つけられるなんて
愛の力だね。
愛されてるね、あたし。


会社は仕事が山積みになっていて
書類整理やら銀行振込でバタバタだ。
新入社員が入ったのでその手続きも・・・。

女性の方が入ったので
ごみだしから、掃除なんでもしてくれて
会社がめちゃきれいになった。うれしい〜。


☆25日の晩御飯☆
アジのムニエル ピリ辛ソース
生野菜(キャベツ、ピーマン、トマト)
ちくわきゅうり
もやしのナムル
漬物(野沢菜、奈良漬)
味噌汁(豆腐、みょうが、ネギ)

☆今日の晩御飯☆
刺身盛り合わせ(中トロ、鯛、かんぱち、マグロ)
くずし冷奴(豆腐、大葉、オクラ、みょうが、海苔、かつお)
アサリの酒蒸し
野菜サラダ(茹でキャベツ、きゅうり、トマト、ゴマ)
漬物(野沢菜、奈良漬)
味噌汁(ネギ、なめたけ)


2004年05月24日(月) お葬式

朝6時にたたき起こされ、礼服を着て
マミーの実家へ。出棺が朝8時から。

最後のお別れだ。
座敷に寝かされていたおばあちゃんを、棺に入れた。
やはり収まってしまうと、とても悲しく涙があふれた。
花を敷き詰め、釘を打つときには
こんな狭いところに入れてしまうのが
悲しくて悲しくて。

車に乗って出発した。クラクションが山に響く。
朝8時という時間だったのに
近所の人がたくさん見送りに来てくれた。

近くの火葬場へ行く。
とうとう燃やされてしまうのだ。

火葬場が何しろ古い施設なので
煙突から煙が出てきて
それを見たマミーは号泣していた。

10時半まで焼くということなので
マミーと、あたしと、義伯母さんと義叔母さんは
一旦家に帰って着物に着替えることになった。
いらないというのに喪服が勝手に22歳くらいに作られていたのだ。
もったいない という理由であたしも着ることになっていた。
従姉も着るために帰ったし、おそろいで着ろと。

あたしの黒スーツは
(ちょろダーが気を利かせて大量に黒服を持って来てくれていた)
さっぴーが着ていた。

近所のおばちゃんや親戚のおばちゃんの手をかりて
着付けてもらった。
うちら全員着付けなぞできない。

まだシツケ糸のついていた家紋付き喪服は
あたしに全く似合っておらず、
10時くらいに火葬場に戻ると、弟妹といとこたちにバカウケだった。
そ、そんな・・・。

家のパピーが運転手で、
おばちゃん連がみんな帰っていたため
伯父さんと叔父さんと若者が火葬場に残っていて
女の年長者がりょうたんに気付いたらなっていたそうだ。

りょうたんは、ハっとして
何かしなあかんのやろか?と思ったら
ひっそり片隅でちょろダーがお茶を入れてくれているところ
だったらしい。
役立たずりょうたん。よく気がきくちょろダー。

また口うるさい代表やっさん(パピー)と
おばちゃん連が全員いなかったため
待合室で、ものすごいはじけっぷりで
酒を飲んでいたらしい。
いいな楽しそうで・・・。

従妹(女子高生)の携帯カメラの写真を見せてもらったら
めちゃくちゃ楽しそうな
おっさんの写真があふれていた。

しかし、いざ骨になったおばあちゃんを見て
お骨を箸で拾うときにはみんな涙ぐんでいた。

去年、肩を骨折して
医者は「もう年だから完治はないですよ」と言っていたのに
完全に治ってしまったくらい健康だったおばあちゃん。
骨もずいぶんしっかりと残っていた。

家に戻ったら、お昼を食べることになっていて
近所の地区の寄り合い場所で折り詰めの寿司を食べた。
さっき火葬場で菓子を食い散らかしたいとこ達は
食べれないでいた。

あたしは・・・もう着物が苦しい。
何から何までいやだ。特に足袋がいやだ。
きつい足袋を履いていたのだ。
これから葬式耐えられるかな・・・。

13時まで時間があったのでダラーとしてすごす。

マミーは泣いていたのに、
あたしが初めて着てる喪服を
「ちょろが喪服着てる写真撮らなきゃ」と
あたしをちょろダーと並ばせて写真を激写していた。
一体何なんだ・・・

葬式は座敷でつつがなく行われた。
おばあちゃん今までありがとうね。
これから見守っていてね とずっと祈っていた。
しかし足が痛い。
お経の声となんかシンバルみたいなのと
チーンというのと太鼓と激しく鳴っていた。
我が家は実家もここも、ちょろダー家もみな曹洞宗。

葬儀の後は、田舎のしきたりのまま
墓まで野辺送りの行列だった。
毎回さっぴーが、傘を持つ役だ。杖は従妹のかなちゃん。
おばあちゃんの農業用の麦わらが傘になっていた。
さっぴーがそれをかぶって歩いて怒られていた。

あたしとりょうたんとまりちゃんは
いつもいつも生花というしょぼ役。
ひっぴーは何か提灯のようなもんを持っていた。
骨壷は内孫の長男だ。

ちょろダーには花かごを持ってもらって
道端で、和紙に包んだ小銭を撒いてもらった。
こんな野辺送りをまだするところあるのかなあ?

あたしの父方のじいさん、母方のじいさんのときもやった。

母方のじいさんの葬式のときは
まりちゃんの手を引いて歩いていた。
あたしが22で、まりちゃんがまだ10歳くらいだったような。
今ではもう女子高生。
制服を着て、ブラウスの裾にゴムが入っている。
すんごい写りの良い、進化したプリクラ撮りが趣味で
あたしのボロ携帯をバカにしながら貼ってくれた。

今日はよく晴れて、抜けるような青空。
昔、庄屋だったおばあちゃん家から
山の麓の寺までけっこう距離があった。
黒いの着てるから暑い・・・草履が痛い・・・。
しかし頑張って歩いて墓に到着。
線香を供えて祈ってきた。

家に戻って着物を脱いで生き返る。
その後、ぶち抜きの座敷で食事だった。
田舎の家は、こういうときのために座敷が広いんだから・・・。
ここの家なんて8畳間が3つつながるんだから・・・。
こんなにテーブルどこから持ってきたんだろうと思いながら
ビールを飲みつつ、折り詰めを食べた。

親戚一同の食事の後は、村の集まり。
近所の人が大量に集まっていた。
喪主の伯父さんがひいひいとお酌をしていた。
パピーも参加していた。

うちらは宴会前に駅まで送ってもらって
東京に戻ることに。
はぐさんは今日は1日亡きおばあちゃんの部屋(離れ)で
ぴいぴいと鳴いていた。

だんどり大王パピーは時刻表まで持ってきていて
あっさりうちらを30分に1本しかない中央線に乗せて
宴会へ向かって帰っていった。
酒を我慢していたからすばやい行動。


今日はなんかやはりあわただしかった。
時間によって動かされるし。
おばあちゃんにはお経の間と焼香のときに
じっくりお別れできたけど。

しかし電車の中も新幹線の中も
みんな爆睡だった。
ものすんごいよく寝た気がする。
気付いたら品川にいた。


久々の自宅に戻る。
風呂にゆっくり入った後、アルバムを広げてみた。
小さいころのあたしを抱っこするおばあちゃん。
眺めてまた泣いておいた。


2004年05月23日(日) さっぴー緊急帰国

今日もマミーの実家にほとんど居た。
大学生の従妹は、どうしても明日提出の
レポートがあって、それを出しにだけに
夕方京都へ戻っていった。
書き上げられていれば宅配便とか手もあったんだが
何しろおばあちゃんの危篤で全然できておらず
さらに、臨終で動揺してまとめられず苦労していた。
チーム作品だというのがつらいね・・・。

また明日の葬儀には13時には来るらしい。

伯父さんは、はげ親父なんだが
酒をすぐに飲ませるというか、
あたしとりょうたんを相手に飲み
さらにあたし達はかなりの勢いで付き合うので
りょうたんがまた何か武勇伝をしでかさないかと
パピーは心配していた。

今日は伯父さんは「本当はオレの頭は
はげのカツラをかぶっているんだ」というネタを披露していた。
そろそろ皆も仕方ないと死を受け入れて
笑いも起きるようになったかな。


夕方、さっぴーに会いたくて仕方ないパピーが
空港まで迎えに行くというので着いて行く。
成田乗換えの飛行機だったので
国内線のロビーについていた。
ちゅうか名古屋空港に初めて行ったが
しょぼさにちょっとびびった。
イチロー家を見れたのでそれがうれしい。

さっぴーには、実はおばあちゃんが死んだことを
まだ話してはいなかった。
動揺して飛行機乗ってくるのもかわいそうだと思って
みんな黙っていたのだ。

さっぴーがやってきた。
久々だ。なんか薄汚い。顔が黒い。
「おばあちゃんの具合はどうなの」と聞いてくる。
辛いが、亡くなったことを伝えた。

呆然とするさっぴー。
歩けなくなって、駐車場の片隅で放心していた。

おばあちゃんの寝ている部屋へ行くと
さっぴーは号泣し、
なぜか部屋の柱の隅へ隠れてずっと泣いていた。
なんであんなところで泣いているんだろう?

かわいそうでおばあちゃんの枕元へ行けないらしい。

夕食は、さっぴーを囲んで
伯父の家で皆で取った。


今日はちょろダーは、彼の生家方面へと
お祝い会へとでかけていた。
お世話になった方がなんとか賞を取ったらしい。
帰ってきたのが夜12時くらいだったんだけど
実家最寄駅のタクシーがでかけていて
戻ってこず、1台もいなかったので歩いて帰ってきた。
4キロの道のりだった。


マミーが全然眠れないらしく
顔色が悪いのが心配だ。
結局病院でも4日くらい家に帰らなかったし
叔父さんの家で泊まったけど熟睡できなかったらしい。
疲れが溜まれば爆睡できるのだろうか・・・?

さすがにあたしも疲れが溜まって
今日は爆睡した感じ。


2004年05月22日(土) さようなら

朝、6時55分に、携帯が鳴る。
りょうたんだった。
おそるおそる電話に出ると
昨日の夜3時ぐらいから1時間おきぐらいに
「えらいえらい」と訴えるようになり
朝6時ぐらいからひどく状態が悪いとのこと。
ベッドにまで染み出す下血が3回もあり
高熱が出てうなされているらしい。

あわててパピーの運転で病院へ向かう。
寝ぼけていたひっぴーは放置して行く。
8時前には到着した。
病室へ入ると、もうおばあちゃんの呼吸は
だんだんと小さくなっているところだった。

マミーと叔父さんが号泣しながらおばあちゃんを呼んでいた。
あたしもかなり取り乱したと思う。
もうよくわからない。
病室には、ばあちゃんの子供3人とその家族が入り
いっぱいいっぱいだった。
みんなに囲まれて、おばあちゃんは息をしなくなっていった。
だんだんと身体が冷たくなっていった。


いつもいつも心配をしてくれていたおばあちゃん。
小さいころの長期休暇はずっとおばあちゃんといた。
ついこの間の正月に一緒に写真を撮ったばかりだったのに。

身体も今までとても健康で
あと10年は と思っていただけに辛い。82だった。

家に連れて帰ってきて布団に寝かせて
見ているだけで涙が出た。

授乳中の子供がいるからという理由で
病室に入れてもらえなかった内孫の従姉が
号泣していた。最後に会えなかったのでね・・・。
かわいそうだった。


結局病名は不明のままだった。
最初の入院は、喉の腫れによる発熱で
菌が喉に入っているということだったのだが
喉のほうはもう調子が良くなったところで
今度は下血するようになり
胃カメラを飲んでも異常なしで、大腸検査も異常なしだった。
小腸があやしいが手術はできなくて
下血が止まらず、輸血しても高熱と共に
その分また下血してしまうという状態だった。

どうも、樹齢100年以上の柿の木を
3月ごろに切ったのがいけなかったと・・・。
本当なんだろうか・・・?
父方のばあちゃんが
霊山御嶽山の巫女に占ってもらった結果らしいのだが・・・
巫女は治ると言ったのに・・・。


寝ているおばあちゃんにあたしとりょうたんで
うすーく化粧をした。
今にも起きて「よう来てくれた」と言いそうだ。

夕方17時にちょろダー到着。
はぐさんまで連れてきてくれた。

18時から通夜みたいなものが行われた。
マミーの実家付近では通夜の風習がない。
親族のみで坊さんに枕経というものをあげてもらう。

葬式が月曜になったので(明日は友引)会社休むと
社長に電話しておく。
帰りたいと言っていた自分のお家へ戻って
ゆっくり寝てることができて良かったね。おばあちゃん。

帰るつもりで入院していたので
部屋は本当に普通のままだった。
ベッドサイドに日記が広げたままで、熱が出る前の日まで
書いてあった。
見つけた叔父さんが号泣していた。


2004年05月21日(金) 頑張って・・・

5月20日の昨日は昼ぐらいにりょうたんと病院到着。
マミーと、義伯母ちゃんと4人でおばあちゃんを看ていた。
昨日はかなり調子が良い感じで、いろいろと話もできる。
あたしたちの小学時代の話など。
かなりみんな安心して、義伯母は家へいったん帰った。
夕方、叔父と義叔母が仕事終わって病院へ来たくらいから
またおばあちゃんの熱が39度になる。
こうなるともう話もできず、はあはあうなされるだけだ。
下血もあった。義伯母がすぐに戻ってくる。

マミーがフラフラなので、
病院の近くに住む叔父の家に泊まることになり
昨晩は、りょうたんと義伯母が夜はつきそった。

夜中1時にさっぴーから電話。
明日チケットを購入するとのこと。
寝ているところに電話が鳴ると本当におったまげる。
よく眠れない。

りょうたんの話だと、夜はけっこう落ち着いていたけど
朝方また熱があがって、うなされていた様子。

ばあちゃん頑張って・・・。

5月21日。りょうたんと交代して病院へ。
病院までは電車で30分。
りょうたんは実家で寝た。
義伯母がフラフラになり、叔父の家で寝る。
マミーとあたしとで今日1日おばあちゃんの横にいる。
今日は朝方からの熱が1日下がらず、ずっとうなされている。
もう起き上がれなくて水も自分で飲めなくなっており
脱脂綿で水を含ませてあげているのを見て悲しくなる。
パピーや伯父や夜勤明けの従弟がきたけどわからない様子。

38度ぐらい熱があるのに指先や足先があまりにも冷たくて
涙ぐみながら手足をマミーとさすった。
本人は意識がないんだけど、いやがって振り払う。
そのうち熱が40度になり、手足もものすごい熱くなる。
氷を大量にもらいにいき、氷水でタオルを濡らして
おでこにのせてあげると「気持ち良い」と言うので
ずっとやってあげていた。

下血が2回あった。
オムツをのぞくとかなり大量出血でブルーになる。

昼過ぎに点滴した解熱剤が効いてきたのか
夕方急に熱が下がった。

話ができるようになる。
叔父夫婦がやってきて、おばあちゃんの様子が良いので
叔父がおばあちゃんについて
あたしとマミーと義伯母で叔父の家に行き
義叔母にご飯を作ってもらって食べた。
食べ終わったころ、ひっぴーが到着。
ひっぴーを迎えに行ったら、りょうたんもいた。

病院へ戻ると、おばあちゃんはかなり調子よさそうで
ひっぴーに向かって
「遠いとこありがとうね」とか話していた。

りょうたんがマミーと病院へ泊まることになった。
ひっぴーと電車に乗って実家へ帰る。
23時着。
さっぴーから飛行機のチケがとれたので
日曜の夕方名古屋空港に着くとの連絡がある。
やはりおばあちゃんにちゃんと会って
励ましたい様子。


2004年05月19日(水) おばあちゃん・・・

明日がでかい入札の締め切りなので
必死に仕事していた。
ついでに20日支払いのものも銀行へ行って済ます。
この早め行動が何かやってはいけないことを
したのかもしれん・・・。

12時、昼を待って、
岐阜の実家から電話がかかってくる。
いつもの「宅配便送る?」という電話だと思って携帯をとると
父方の同居してるばあちゃんだった。
ばあちゃんが電話してくるなんて何事?と思うと
GWにお見舞いに行った母方のばあちゃんが
危篤だという知らせだった。
マミーとパピーは病院らしい。

先日あたしが見舞いに行ったときは
熱でうなされていたけど、
次の日りょうたんが行ったら
熱が下がり元気そうで、その次の日に田舎のへぼ病院から
県立の大病院へ移動して、熱の原因だった喉のはれも
良くなっている という報告を受けて安心していたところだったので
本当に仰天して、言葉もなく
涙がダラーといきなりあふれた。

そんなあたしを見て、会社の人たちは
超超忙しい時であったけれども
帰ってやれと言ってくれたので、
りょうたん、ひっぴー、ドイツのさっぴーに電話して
自宅に荷物をいったん取りに行って、新幹線に飛び乗った。

ちょろダーにも電話してはぐこのことなどを頼む。

名古屋で乗り換えて多治見へ。
タクシーで病院に乗り付けたときには
16時だったかな?

早足で病室に駆け込むと
マミー、義伯母ちゃん(ばあちゃんと同居の伯父の嫁)
義叔母ちゃん(マミーの弟の嫁)がベッドを囲んでいた。
おばあちゃんは、意識が戻って話せるようになっていた。
ものすごいほっとする。
熱はまだあるようで、もう自分では動けないけれども
言葉が出るということがすごいらしい。

あたしにむかって「来てくれてありがとう」と言ってくれた。

20時ごろりょうたん到着。
京都にいる従妹も叔父さんと到着。
みんなでおばあちゃんをはげます。

今朝は、激しい下血と高熱で痙攣を起こし
もうそれはそれは大変だったらしい。
一人では怖くて付き添えないとマミーが泣いていた。
今日はマミーと義伯母ちゃんが泊まることになって
あたしたちは実家へ帰った。

パパンは、ばあちゃんの入院騒ぎで遅れていた田植えを
伯父さんと共に今日ばあちゃんが落ち着いてから
やったらしい。
田植えが終わったころに、雨が降り出した・・・

りょうたんと、これからどうなるんだろう?
持ち直すよね?と話しながら雨の中実家へ帰る。


2004年05月17日(月) トロイ ジャパンプレミア

朝起きたら、耳の痛いのは治まっていたけれど
でもなんかまだ耳がぼおおおおんとするので
病院にいってから会社へ行く。
病院言うても近所の内科のクリニックへ行ったので
耳が痛いなら中耳炎かもしれないけど
「内科だから薬出しておくね」とそれで終わった。
もしもっと耳が痛いのが続くなら耳鼻科へ行かないと・・・(汗)


さてさて、でも、今日は!
「トロイ」のジャパンプレミア試写会である。

無事試写会は当選していたが、席が問題だ。
全席指定で、座席券は夕方4時から配布。
試写会は、7時からだ。
映画会社のワーナーは、「先着順です」と言っていたが
宣伝会社のドラゴンキッカーは、「アトランダムに配ります」
と言っていた。

ううむ・・・
やはり全力を尽くしてからアトランダム抽選の座席だったら
しょうがないと思うだろうが・・・
本当に先着順で、後ろしか座れなかったら泣く と。
でも風邪はひどいし、仕事も休むのは無理。

そこで、大枚はたいて、便利屋を雇った。
朝6時に並んでもらうことにした。

今日の早朝6時、並んでくれている便利屋さんから電話。
やはり徹夜組がいた様子で、便利屋もサービスで
5時40分くらいに早く並んでくれたようであったが、
14番目であったと。
でも14番目ならいいよね。

今日1日は仕事も忙しかったが、
夕方4時に「座席券手に入りました」電話があってから
全然仕事が手につかなかった。

でもダッシュで会社を出て
18時、ぎりぎりに九段下でゴンちゃんと待ち合わせ。
ゴンちゃんもブラピファンで、
来日するよねーちょろ燃えてる? というメールをくれていたので
今回のプレミアにお誘いしたのだ。
ゴンちゃんがメールをくれなかったら一人で行くつもりだった。

さて、18時15分ごろに、
ゴンちゃんと武道館に到着。
ちょうどブラッドピットやエリックバナも武道館に到着して
レッドカーペットを歩きながらマスコミの取材に答え
ファンのサインに応じているときだった。
レッドカーペッドに入るには、抽選券が必要だったので
あたしたちは入れなかった。

でも、後からファン仲間に聞いたら
16時から武道館前歩道をうろうろしていたファンは
抽選券がなくても、レッドカーペットに入れてくれたらしい。
まあ、それはしょうがない。仕事あったんだから。
彼女たちは16時から18時すぎのぴっくん到着まで
暑い中、(東京は29度だった!)外で待ったんだしね。

レッドカーペットの騒ぎは聞こえてきたが
いかんせん人があふれていて
全く見れなかったので、武道館の中に入ることにする。
武道館の中に入るにも人、人、人、人。
なにせ1万人くらい入る会場だから・・・。

ようやく、席を見つけてそこに行ってみると!
なんと、中央も中央。
マイクの前のど真ん中の前から3列目だった。
前2列はプレス用なので、実質一番前だと言って良い。

ものすんごい良い席だった。
後ろを振り返ると、2階席の芸能人シートには
化膿姉妹らしき二人がいた。
なにせあの肌の露出に巨乳だからすぐわかった。

座席について数分。
真っ暗になって司会者の女性が登場。
簡単な挨拶の後、スポットライトがぐるんぐるん回り、
舞台の端から、ぴっくんが!!!

プロデューサーの女性、エリック・バナ、ヒロインの女性ダイアン
ぴっくん、もう一人のヒロインローズバーン、
脚本の男性、監督 という順番で舞台に登場。

ピッくんが真ん中だったので、
あたしたちのまん前に!!!
大興奮です。もう口はカラカラ。何を言って良いのかわからず。
「ブラァァァッドーーーーーー」とかけ声をかける。

エリックファンもいて、
「エエエリィィィックー」と叫んでる女の子集団がいた。
その子の方を向いて手を振っていた。エリックいいやつだ。

ピっくんは今日は調子が悪く
午前中はドクターにかかっていて、
記者会見をキャンセルだったらしいけど
まじめな彼は、ちゃんとプレミアには来てくれた。
なんか鼻が赤くて、やはり風邪引いてるのね・・・という感じ。

戸田なっちゃんが通訳にいたんだけど
またこれ適当な通訳だなあ・・・。
しかもど真ん中に立っていて、周りのファンから
「邪魔だよ・・・」と言う小さな声があがっていた。

ぴっくんは、風邪声だったけど挨拶してくれた。
最高のプレミアだと。日本にまたすぐ来るからねと言っていた。

りょうたんに高性能オペラグラスを貸してもらっていたけど
全然普通に近くにぴっくんが見えたので
必要なかった。

彼らが舞台に立っていたのは15分くらいであったけど
もうもうずっとピっくんを見つめていた。
座席が近いし、「ブラッドーーーー」と叫んで
手を振ったので、こちらを見てくれたんだから!(←バカ)

さて、映画も大画面で見てきた。
あまりにも前だったので首が痛かったけど
3時間近い超大作だったのに、全然あっという間だった。
壮大なる叙事詩をよくこんなに映画にしたな という感じ。
戦争ものはそんな好きではないが
古典ものだけに、「ああ・・・これこそ
もののふたちの、つわものどもが夢の跡だな」という感じ。

アキレス役のピっくんも最高にかっこいいけど
ハクトル役のエリックもものすごい良い役だよ!
パリス役のオーリは、ああん・・・なんというヘタレ
でもそこがかわいいかも・・・という感じ。

戦闘シーンの迫力はすごい。
何より、ピっくんの単独アクションがすばらしい。
剣と槍と楯の使い方が、最高だった。
すばらしいキレのある戦闘だった。

ハッピーエンドの物語ではないけど
じいいいいんと来る話であった。
あんま語るとネタバレするのでやめます。

とにかく今日は、超超超近くでピっくんを見れて本当に良い日でした。

ゴンちゃんと、ぴっくんについて語り合い、
そして最近の近況を語り合ってきた。
居酒屋に12時までいた。


2004年05月16日(日) スーパー歌舞伎&ごしこ来る

昨日空港にいるとき、UN子からメール。
「明日歌舞伎は11時からだから、10時半に銀座でね」

あああー忘れてたああぁぁぁぁ。
半年くらい前にUN子にスーパー歌舞伎行く?といわれて
つい「ちょろダーと二人で行く」と答えてもうたのだ。

今日は風邪がまだひどいので寝てるつもりだったが
1万2千円がもったいないので、新橋演舞場へ。
遅刻ぎりぎりで、慌てたら
なんかすんごい気分悪くなってきて死にそうに。
右耳がぼぉぉぉぉぉんとして聞えなくなった。

スーパー歌舞伎は、
「新三国志完結編」というものだった。
何しろこのスーパー歌舞伎は派手派手しいのがウリなので
結構退屈しないで、楽しく見た。
座っていたら風邪はまあ平気だし。

UN子とサヒちゃんと、よっちまんと見た。

舞台の上で、水は流れるわ、火は燃えるわ、最後宙吊りだわ
楽しかった。

ラブシーンは全身かゆかった。

今日はごしこが来るので、
みんなでお茶だけしてから帰宅する。
そのころには、やはり耳が痛くて痛くて
聞えなくなってやばい感じだった。風邪悪化・・・。


まあでもごしこが来るのは久しぶりだし
餃子食べたいと興奮してるので、作り始める。
りょうたんに明日用にオペラグラスを頼んでいて持ってきてくれた。

ごしこはすごいノリノリで朝から食べないで空腹で登場した。

大学に入りなおして、今W大の3年生になっているらしい。

貧乏学生なのに、こないだNYに行ってきたようだ。
過去に、彼女は国際便1回、国内便1回に乗り遅れたことがある
つわものだ。
今回は、成田に着いたのが飛行機の発着20分前だったらしい。

ええと・・・ね・・・

20分前成田チェックインでも乗せてくれるみたいよ。コンチネンタル。

彼女は、30分前に、電車の中から成田に電話したらしいけど。
「あと10分で着きます」と。人様に携帯を借りてね。
成田のコンチのカウンターで、「ごしこ様ですか?」と言われ
「ハイ」と言うと同時に、
荷物検査も、イミグレも、全て非常口を走らされ、
飛行機の中に座ったと同時に飛行機が動き出したらしい。

ごしこは、国際線の中の一番のメリットは
酒飲み放題なことだと思っていたそうだ。
そして、乗れるかどうかのハラハラな瀬戸際を乗り越えたので
ビールを飲もうかとしたら!
コンチネンタルは酒が有料になっていたのです。

ごしこはそのときにドルの手持ちはゼロ、日本円も600円しか
持っておらず、
酒が有料と聞いた時点で、なんだかムショウにむなしくなってきて
ハラハラと涙をこぼして泣いたそうだ。
そしたら、隣の席の、スーツきたビジネスマンのおっさんが
「お酒飲みたいの?」と言ってくれ
ビールを3本おごってくれたらしい。
ついでに機内食が、ごしこには足りなくて、
彼の分までもらって食べたらしい。

その後、クルーが集まってる場所に行き、
空港から町まで一番安くいける方法を聞きに行った。
「ガイドブックには、XXという2ドル50セントの方法しか乗ってないんだけど?」
と聞くと。
「もっと安い方法がある。1ドル50セントで行くバスがある。
でもビッグなプロブレムがある。おつりがでないんだ。
だから絶対に1ドル50セント用意しないといけないよ」と言われた。

「1ドルもないよ、どうしようどうしようどうしよう」
とすごい勢いでつぶやいたら、
クルーたちが、全員で、「じゃあ君のためにカンパしよう」と
小銭を出し合ってくれて、合計6ドルくらいになったそうだ。
お礼を言いつつも、「機内食が足りなかったよ」と言ったら
「のこりを全部持っていけ」と機内に積んであったおにぎりを
20個くらいくれたらしい。

ごしこは感謝しながらも、
「ちゃんと間違えないで安い方法でいけるかなー」とかつぶやいていたら、
最後には、クルーが仕事終わってからのNYの市内まで帰る道のりを
車で送っていってくれたらしい・・・。

コンチネンタルのクルーは良い人たちだね。
コンチはケチだけど、なんか好きになったよ・・・。

そして、大量のおにぎりを土産にアイちゃんちに向かった
ごしこであったのだった。

隣の席でビールをおごってくれたビジネスマンとは
東京で何度もご飯を食べる親友になったらしい。


そして、ごしこは我が家でも
すごい勢いでご飯を3杯食べ、餃子もものすごい大量に食べて
帰っていった。
りょうたんとヅカの話をずっとしていた。


☆今日の晩御飯
餃子(キャベツ、豚肉、海老、タケノコ、ネギ、にら)
もやしサラダ(もやし、とまと、きゅうり ゴマ)
白菜の漬物







2004年05月15日(土) ブラピ来日!

昨日深夜、ぴっくんの飛行機が
16時ごろ成田着だと情報が流れた。(NETで)
これ本当なんだろうか・・・???

スイス航空のチャーターだとか、
アリタリアとJALの共同便に乗ってる とか情報が乱れ飛んでいる。

あたしはすでに一人で成田へむかっていて
(10時に家を出た)
KEIKOさんにネットで調べてもらったりした。ありがとう。
ちょろダーはゴルフへ行っていて
全く付き合ってくれなかった。

成田には12時すぎに着く。
おお!女性たちがあふれている〜。
でもまだまだ少ないね。人。

前から2番目をゲット。
近くにメールをやり取りしたペンさんがいた。
けっこうファンサイトで見かけた方ばかりの
集まりの近くにあたしも陣取ったようだ。

警備員のおじさんに教えてもらったり
明らかに関係者の人の話を盗み聞きして17時着だと判明。
12時半からずーっと立ったまま
空港第2ターミナルのA出口のところですごした。

まあ、勘があたってよかった。
これでターミナル1だったり、羽田だったりしたら
号泣だよ。
雰囲気でわかるから移動すればいいけどさ。


同じブラピファンの方と仲良くなり
おしゃべりしてたら結構あっと言う間であったけど
立ったままなんだよね・・・
しかも咳がひどいから他の人に移したら悪いので
マスクしててあやすぃ人に。


16時くらいからものすんごい人があふれてきた。
通りすがりの旅行者もいるし
マスコミもあふれてるあふれてる。
普通の旅行客は困っただろう。スーツケース持ってるし。
1階だけではなく、2階のテラスにも人があふれる。
警備員の人に下がってください〜とか
ここから先は入らないでください〜とか
注意受けてる人がたくさん。
これよこれ!スターのお出迎えはこうじゃないと!

ペンさんは、大学のクラスメートに
これを持って立てと渡されたという
「Welcome! We love Brad!」
というプラカードを持っていた。
「恥ずかしい〜」と言っていたが、いいなあそれ。

テレビのクルーがインタビューに来るが
恥ずかしいので目をそらしてすごす。

17時すぎくらいに、警備員が今でもゴムの柵があるのに
さらに中にビニールテープでの柵を作っていた。
だんだんだんだんテンションがあがってくる。
ファンの方たちとも何話してよいのか・・・
もう頭が沸騰してきて、みんな無口に。
手に変な汗をかき始めた。

皆さんも、「手がべたべた〜」とか
「口が渇く のどが渇く」とひたすら言っていた。

そうだよ、もう5年半も待ってたんだから!!!

17時に到着だと言われていたのに
全然動きがない。
ファンもかなり前に詰め寄ってきて
すごい密着度。あたしも一番前くらいに押し出された。

警備員の方が何十人も現れた!!!

うちらの前に立つ。

ええっこんなとこに立ちおって!と思ったが
「しゃがみますから〜」と言っていた。


そして、17時50分ごろ!


ぴっくんが登場!!!
ちゃんとここの出口から出てきてくれた。
顔ちっちゃーーーー。
なんかSPの人?人に囲まれてる。

ついでに全然サービスしてくれなくて
ちょっと手をふって微笑んだくらいで
サイン等、立ち止まることはなかった。

黒い革ジャン、なんか緑のTシャツ。
坊主頭に、サングラス。
パンツまではチェックできず。

でも、「きゃああああああああ」
「ぶらぁぁぁぁぁっどぉぉぉぉぉ」と
かすれた声で(風邪だから)叫んでおいた。

あたしのほう見て、微笑んでくれたんだから!(バカ)

すたすた歩いて行ってしまわれたので
本当に一瞬だった。
やはりなんかやつれた感じだった。
ハードスケジュールでお疲れなのね・・・。

すんごい人が前のほうに押し寄せてきて
今回はデジカメ持って行ったけど
全然写真取れなかった。
シャッターは押したけど、
ちいさーく歩いてる姿がなんとなーく映ってるだけ・・・。


まあでも目にはしっかり焼付けた。
同じ空気吸えただけで幸せ。


自宅には、20時半に到着。
ちょろダーがよかったねーと出迎えてくれた。


☆今日の晩御飯☆
オリジン弁当・・・


2004年05月14日(金) どうしよう・・・

今日も風邪がやばい。
全然治らないというか、今日はなんかまた熱がでたっぽい?

仕事中頭ががんがん痛いが
ロキソニン飲んでふんばる。
ついでにトラブル発生で社長も兄さんも外出してしまい
ばたばただ。

20時まで仕事をして
なんとかキリをつけた。
ものすんごいスピードで英文入力をした。
単語のスペルに自信がない。。。

しかし、また今日1日ネット調べも怠らなかったけども
ピっくんの飛行機情報が落ちていない。
まあ成田着なことは絶対だろう。
羽田には、そんなチャーター機は来れない。

成田の着陸開始時間は6時から。
ううむ・・そんな早く大スター様が来るかね?

でも朝早く成田行こうか?
どうしよう・・・と悶々とする。

ファンの女の子のぺんさんという方と
メールをやり取りするが
どこにも情報が落ちてないということでまとまった。


カンヌを何時に出発したかでも情報があれば
何時着かわかるのに・・・。
どうしようかな・・・。

まあとにかく風邪がひどいので
23時には寝た。
ちょろダーも今日は早かったので、ご飯を一緒に作って
一緒に食べた。

☆今日の晩御飯
ペンネアラビアータ(ベーコン、しいたけ入り)
青梗菜のゴマポン酢和え
ミニメンチカツ(出来合い)
トマトサラダ


2004年05月13日(木) 夢中

あたしの心の中は、もうぴっくんで一杯だ。
今日はフランスはカンヌにいる。明日は日本に移動。
カンヌ映画祭にキャストが勢ぞろいしたのだ。

ぴっくんにオーリ、指輪のボロミアのショーンビーン
それにハルクのバナと
オールスター勢ぞろいして並んでいる写真が
もう海外サイトに落ち始めている。
ずっとそれを見てうっとりしていた。

いかんせんぴっくんは今坊主姿だ。
Poohとかいう深夜番組でインタビューが流れたので
それにも釘漬け。

彼は言葉を選んでじっくり語るので
3分という制限時間がいっぱいいっぱいになっていた。

ドイツのプレミアは盛り上がった用だった。
さっぴーにベルリンまで行って様子見て来いと言ったが
金ないので行けないと言われた。
テレビでやってるのは見たそうだ。

さっぴーは明日フランスはパリスへ車ででかけるそうだ。
なんだよ、シャルルドゴル空港で、張ってもらいたいんだが・・・?
でもカンヌから日本へ移動は、フランクフルト乗り換えも
ヒースロー乗り換えの可能性もあるんだな。
ううむー。

誰か空港関係勤務の方、ぴっくんがどの飛行機で来日か
知っていませんか?
まさか、ペ様のように、羽田着だったらどうしよう。
ピっくんは自家用ジェットは持ってない気配だけど
チャーター便で来たら・・・どこに・・・?

ずっと気になって仕事どころではないです。
風邪も全然治りません。
仕事がやばいね。山がもうすぐなのに・・・


成田出待ちのプロ、さっぴーに相談したら
成田で飛行機がわからない場合は
泊り込みが基本だと言われた。みんな徹夜で並んで
1番前をキープするんだって。
わしもう若くないよ・・・。できないよ・・・。


「さっぴーは誰をそんなお迎えしたんですかね?」

「もちろんシンディーです」

(さっぴーは、武田くんの追っかけを6年ほどしていた)

「シンディーって国際派スターでしたっけ?」

「当然です」



☆今日の晩御飯☆
豆腐のとろとろ炒め(キューピー3分クッキングより)
牛肉とごぼうの炒め煮 
わらび
味噌汁(タケノコわけぎ)


2004年05月12日(水) うう・・・

風邪が全く治らない。

熱があるのに月曜火曜は出社した。
今日は熱がひいていたけど、声がでなくなった。

ついでにタンがすごく
鼻水といったら流れっぱなしで
鼻の下は真っ赤でぱきぱきだ。

風邪をひくなんてここ10年なかったことなのに
結婚してから、多いな・・・
ちょろダーが強力な菌を持ってくるのか
あたしが老人になったからか。

もー仕事が忙しくてしょうがないのに
鼻水たれっぱなしで頭がぼっとするし
耳が遠い気がするし、本当にむかつく。

取引先の兄さんにまで
電話で心配された。(声が変だから)
佐川急便の兄さんにも。

ぴっくんが来るというのに
こんな鼻で出迎えるなんて。。。本当に不覚だ。


☆10日の晩御飯☆
ちょろダー飲み会のため適当にコンビニ飯

☆11日の晩御飯☆
中華まん(ひき肉、タケノコ、椎茸、小麦粉)
八宝菜(キャベツ、青梗菜、タケノコ、豚肉、エビ、椎茸、ねぎ)
タケノコの土佐煮
蕨のおひたし

☆12日の晩御飯☆
蕨の卵とじ
タケノコの土佐煮
ごぼうと牛肉の炒め煮
納豆

なんか風邪だけど普通にご飯作ってるな・・・


2004年05月09日(日) 寝込んでいた

土日は、ちょろダーから風邪をもらったようで
がっつり寝込んでいました。
辛かった。

熱があるのにご飯は作った。えらいねわし。
タケノコが大量に送られてきたからさあ・・・。

薬を飲まないようにしていたんだが
あまりの辛さに、とうとう飲んでもうた。

ちょろダーが病院行ってもらってきたブツね。
症状同じだから。
咳、たん、喉痛み。頭痛。

飲んだら急にものすごい元気になった。
ヤクってすごい・・・。

でも一時期症状が収まるだけだからフラフラです。


☆8日の晩御飯☆
パスタ(海老、ピーマン、ベーコン、しめじ、にんにく)
トマトとクレソンのサラダ
わかさぎのフライ

☆今日の晩御飯☆
鳥粥
タケノコの土佐煮
青梗菜のにんにく炒め



2004年05月07日(金) 試写会GET

ちょろダーは今日も休み。
あたしは働いてるのに。

すぐご飯にできるように
タイスキの買い物をして帰った。

そういえば、ぴっくん来日の「トロイ」だが
無事試写会の招待券をGETした。

ファンサイトを見ていると
ハガキを300枚出したとか言ってる人がいた。

あたし出したの30枚くらいだよ・・・。
今回は大量に出したと思っていたのに。

試写会は当てるのはコツがいる。

「トロイ」の試写会のほかにも
なんかトムハンクスの映画の試写会招待券が届いた。

絶対行きたいという試写会の応募の仕方は・・・・

・週刊誌の応募に出す 
・発売と同時に出すできるだけ早く
・応募券が必要なものに出す
・黒い文字できれいに書く、本の感想もできたら丁寧に書く
 派手派手しく目立つようにするのは当たらないらしい
・年齢性別は、女で20代前半が良い

くらいかなあ。
ネットよりも、ハガキのほうが当たります。

まあ、試写会のメリットって
50円で見れることと、
協賛の会社から何かお土産もらえることくらいで、
画面は小さいし、早く行かないとと席はなくなるし
音響もたいしたこと無くてそんなによくはないけどね。
でも50円で先取りして見られることは大きいね。

しかし武道館か・・・
ピっくんが豆粒くらいかな・・・

前武道館にいったのは、ウニコンの解散ツアーのときだったから
かれこれ10年行ってない。
そ、そんなにたつんだね。


☆今日の晩御飯☆
タイスキ(海老、あさり、牛肉、豆腐、マロニー
ニラ、キャベツ、椎茸、エノキ、ネギ、もやし)

5月になっても鍋をしてみた。


2004年05月06日(木) 名古屋味

ちょろダーはGWが続いているが
あたしは出社。忙しいのだ。仕事。

ちょろダーは風邪が治らないので
家で寝ているらしい。

でも、夕方待ち合わせて食事へ行った。

名古屋モードにずっとなっているので
新大久保の「世界の山ちゃん」へ。
手羽先を食べにね。

今までニュートーキョーが入っていたところが
やまちゃんになっていた。
どうも3月に進出してきたらしい。

けっこう混んでいたが、カウンターに座れた。
手羽先、味噌串カツ、味噌串卵
エビふりゃー、どて飯なんかを平らげる。

味噌は甘め。
手羽先はコショウが効いているので
くしゃみが止まらなかった。
あたしコショウでホントにトムとジェリーみたいな
くしゃみが出るのよ・・・。

最後に赤だし味噌汁飲んで帰ってきた。

3月にオープンしたばかりだが
芸能人のサインが並んでいた。

野村よっちゃんのがあった。

おお!と思ったのは、
黒田アーサーと、安達祐美のサインが
並んでおいてあった。同じ日に来たっぽい。


2004年05月05日(水) 東京へもどる

今日は8時ぐらいに起きた。
ちょろダーは風邪薬を飲んだおかげか
全然起きてこなくて11時半すぎまで寝ていた。
昼ごはんに起きてきていた。

今日はダラダラと家にいた。
義姪とかなり遊んだ。
彼女の今のブームは、義父が買ってきたカセットで
ずっと音楽掛けてくれと言う。
子供のための童謡集ね。

しかも、なぜかお気に入りNO1が
「ちんから峠」という曲なのだ。
「ちんから、ちんから〜」とおねだりするので
何度も巻き戻して何度もかけた。
この3日間でどれだけ「ちんから峠」とかけたことか。

おかげでずっと頭の中に
「チンカラホイ、チンカラホイ
チンカラ峠のお馬がホイ〜」とか言う歌が
ずっと流れている。

あたしのブームは義姪の物真似。

彼女が何々しようかと気に入らないことを言われると
「いやんいやんいやん」と言いながら
頭をぶんぶん横に振りながら泣くので、
そのマネをちょろダーにやってみせている。

まあ、義姪が「いやんいやん」と泣いたことろで
義姉に無理やりさせられてるけどね。
着替えるとか、ねんねするとかね。
そのうち逆らっても、無駄ということを覚えるのかしら?


さて、早めに18時ごろ晩御飯をいただいてから
19時くらいに駅まで送ってもらって東京へ戻った。
20時台の新幹線自由席だったけれども
無事座れて、自宅には、23時前に無事到着した。


2004年05月04日(火) 初体験

朝10時ごろまで眠りこけていた。
ちょろダーにいたっては、風邪をひいてる様子。
岐阜の寒さにやられたらしい。
外でBBQは早かったか・・・。

今日もなんだか天気が悪い。

お昼を持ってきた草もちをトースターで
焦げ目がつくまで焼いてアツアツを食べて
お昼にしたのち、

ちょろダーと義兄をおいて
義両親、義姉、義姪と近所の植物園へ散歩へでかけた。
手術終わった義父は、まだ腹の傷が痛むので
とぼとぼとしか歩けてなかった。
元気そうだけどね。

あいにく天気が悪く、ドーム型になった温室の
室内の植物のみしか見てこなかった。
庭園を散歩するには、ごうごうと風が吹き
雨がすごい勢いで降っていた。

姪が興味をひかれたのは
室内にあるファミリールーム。
あたしは生まれて初めて、子供達が群れて遊んでいる
ファミリールームに足を踏み入れた。

巨大な室内すべりだいがあって
子供たちがキャーキャー遊んでいる。
明らかに、姪が一番ちび。みんな3歳以上くらいかしら?

混じれないので、かんしゃく起して姪が泣くと
2歳2ヶ月という女の子が寄って来て
手をつないで滑り台の上に連れて行ってくれた。
お姉さん・・・。

あたしと義姉で必死になって見守った。
いくらお姉さんぶってもあちらも2歳だもの。
滑り台で飛んでいったら困る。
公園デビューてこんなもんなんかしら?疲れた。
子供があふれてるってすごいわ・・・。
回りの親は、だれてうたた寝してる父親しかおらなんだ。

しかし、義姉はプロだけあって(保育園の園長先生なのだ)
子供の扱い方はすごいね。見ててうっとりした。

買い物してから家に戻って
晩御飯のしたくをした。
義母がやはり義父の世話で疲れていた様子だったので
「今日はあたしが」と、あたしメインでご飯を作った。
義姉にもかなり手伝って貰ったけどね。

☆今日の晩御飯
春巻き(タケノコ、豚肉、椎茸、ピーマン、キャベツ)
サラダ(キャベツ、トマト、きゅうり)
ベーコントマト丼半熟卵のせ
漬物




2004年05月03日(月) 草もち&ちょろダー生家へ

今日は二日酔いで目が覚めた。
朝5時ごろ、胃薬と頭痛薬を飲んだ。
寝直して、8時すぎに起床。
はぐさんの世話しないとと思うと早く起きれる。

今日の朝ごはんの味噌汁は昨日のタケノコ入り。
かなぞは味噌汁にタケノコが初めてだと
おかわりしていた。

かなぞが、今日もジャージを穿いて、
半てんを羽織っていた。お似合いだった。
ちょろたんも北高ジャージ着ていた。

午前中は、だらりとすごした。
餅つき器が何やら変な音を立てており不調らしい。

ばあさんが中の羽をいじると、
急に餅をつき始めたが、なんか調子が悪そうだ。
うっかりボーナスで新しい餅つき器を買ってやると約束する。
かれこれ30年近く使ってるらしいし・・・。

しかし、かなぞとキンキンは餅がつけてるの見て
興奮していた。
かなぞなど、デジカメで動画を撮っていた。
餅にヨモギの茹でたのを混ぜ、砂糖をまぜ(固くならないらしい)
できあがり。


ばあさんが1個分づつ取り粉の上に分けてくれるので
3人で餡子を中に包んでいった。
けっこうコレ難しいのよ。

ちょろダーはといったら、居間で昼寝していた。
りょうたんは二日酔いで起きてこず。
寝てるのを様子みたら、アイラインががっつり引かれていた。
化粧落とさずに寝たな・・・。

なんだか形が不ぞろいな餅が、もち米2升分(!)できた。
大量だYO。
昼はこれを食べた。
2個食べたらもう途中から胸がいっぱいに。

りょうたんが起きてきたが、気持ち悪いと言っていた。
やはり、昨日の行動は全然記憶にないらしい。
あんなに独壇場だったのに!
「ウイスキーはあかん・・・」と言っていた。

そういや、ママンは
案の定、「ヨン様」言うてた。
とりこになったらしい。
近所の親戚のおばちゃん連の間で
ビデオが回ってるそうだ。
ママンの次に貸したおばちゃんから
「昨日は朝4時まで見てもうた」と。

おばちゃんのハートをがっつり掴んでますな・・・。

さて、昼ごはん後、だらだらして
14時半ごろ家を出る。
かなぞとキンを最寄駅へ連れて行く。
タケノコやら餡子やら餅やら持たされて
ものすごい巨大なバッグになっていた。

14時40分くらいの電車に乗り
名古屋へ向かって行った。
楽しかったよ。また来てくれ。
実家じゃいつもすることなくて
寝てるだけなんだもの。

そして、あたしとママンとパピーとちょろダーは
ママンのお母さん(あたしの母方のばあさん)が
高熱で入院したので、近所の病院へお見舞いに行く。
のどが腫れて、おたふくみたいになっていた。
熱が上がったり下がったりして、なかなか退院できなのだ。

あたしが行くと、熱が38度4分もあり
かなりうなされていた。
かわいそうで、ブルーな気持ちになった。
のどが腫れているので、呼吸困難ちっくで・・・
廊下で涙が出てきた。早くよくなってほしい。

今日はちょろダー実家へ向かうので
あまり長居はできない。
病院を後にして、恵那川上屋にて和菓子の買い物。
栗物の洋菓子も買う。

中津川の川上屋(超有名店)から暖簾分けした店なんだが
ものすごく流行っていた。
山の中にある店なのに、
そこだけ、道路交通整理の兄さんがいるのだ。

マロンソフトを一人だけ舐めながら帰宅。

帰って、お茶を飲んで
草餅にタケノコにトマトに和菓子に牡丹の花と
いろいろ持たされ、はぐこを連れて
5時半くらいの電車に駅までパピーに車で送ってもらう。
ママンはまたばあさんの病院へ行った。

ちょろダー生家には18時すぎに着いた。

義姪登場。か、かわいい・・・。

魂抜かれた。
今日はいきなりちょろダーになついていた。


2004年05月02日(日) タケノコ掘り&またりょうたんが・・・

朝6時半ごろ、胃がむかついて起きる。
昨夜、酒飲むときに、するめ類をかなり食べたからだ。

胃薬飲んで、はぐさんの御世話をしてまた寝た。

8時すぎに起床。健康的だなあ。
朝ごはんを味噌汁で食べた後、いざタケノコ堀りへ。

何かジャージ出してくれとママンに頼んだら
中学ジャージと高校ジャージを出された。
特に高校はさっぴーとひっぴーは同じとこだが
あとは違う高校なので、3種類の色がある。
わしはもちろん北高ジャージを着た。キンは紺色の東高ジャージ。
かなぞは多北ジャージ。
しかし全員XXさん。(我が家の苗字が刺繍されてる)

パピーが軽トラで、ママンの軽でうちら乗って裏山へ。
パピーがあっという間に肥料袋一杯にタケノコを掘った。
そして、うちらに掘り方を伝授する。

若い(???)女の子に、「カッコイー」と黄色い声を浴びて
にやりとほくそえんでいた。パピー良かったね。

そして、夫婦二人で、朝ぶっ壊れた炊飯ジャーを
買いに行ってしまった。もちろん作業着のままね。

うちらタケノコ堀りを始めてみるが、かなりあやすぃ。
ちょろたんは、まあクワの使い方には慣れてはいるが
いかんせんすぐ飽きて、さらにクワが重いので、
手が痛いとか弱音をすぐ吐いた。
キンキンは、ものすんごいへっぴり腰。
そしてかなぞの掘ったタケノコは何やらぐちゃっとへしゃげたり。

でも、かなぞとキンキンは、クワの扱い方等に慣れてきた頃、
ものすごい勢いで、何かに取り付かれたように
タケノコを掘り出した。
ちょろたんはそのころ、竹林の中に座って、だらけていた。

タケノコを探して地面を見て歩くと、
あっという間に距離を歩いている。
そして竹がたくさん生えているもんだから姿をすぐ見失う。

ちょろたん、派手なピンクの北高ジャージですぐ見つかる。
かなぞも、派手な蛍光青の多北ジャージでOK。
キンの紺色の東高ジャージは、周りと同化して、
遭難したら助けてもらえないことが判明した。
山には派手な服を着ていきましょう。

タケノコを肥料袋3袋くらいは掘った。

セリをキンキンが発見して摘んだら、ママンがバカにしていた。
ばあさんもバカにしていた。
そんな真剣に食べるもんじゃないらしい。(農家は贅沢)

家でタケノコの皮をちまちまと剥いた。

昼ごはんは、チラシ寿司。
タケノコ、しいたけ、じゃこなんかが入っていたが
寿司飯を、1升も作っていたので、かなぞが仰天して
寿司桶を見ていた。それに大胆に砂糖を入れるばあさんにも。

他にパパンが山ウドを取ってきてくれたので
ウドを木の芽を叩いた味噌を和えて、
あとはウドの皮のキンピラ(キンキン作)
セリのマヨ和え
掘りたて、茹で立てのタケノコの刺身 なんかでお昼。

うちらが掘ってきたタケノコの下茹でを
ばあさんに任せて、少しは観光に出ようと
近所の恵那峡へママンの運転で行った。
こちらは山道を走るので少しは安心。

恵那峡は、日本初のダム。
福沢桃介が貞奴に紹介されて作った。
まあ、木曽川の渓流だから奇石が多くそれを見るんだけどね。
観光船に乗った。30分1250円だかで高い。
だんだん曇ってきて、さらに寒い風がぴゅーぴゅー吹いて早々に帰ってきた。

家に帰ってきたらりょうたんがいた。
あたしのことをデブデブとバカにした。

あたしとキンとかなぞとママンと4人で
夕方のバーベキューの買い物に出ることにする。
アピタへ。SCと言うもんを都会ッ子は知らないんだよ。
飛騨牛狙いで行ったのに、おいてなかった。
しょうがないので、大アサリを購入。これも東海名物ですがな。

かなぞとキンは、何かスガキヤのインスタントや
コーミソース(値段は高いがいい味です)に興味を示して
購入していた。

途中でタケノコを4本さっと掘って
家に帰って18時。BBQの支度。
ええと流しそうめんしたいとパピーに提案したら
「このくそ寒いのに」と反対された。いまだ霜が降ったらしい。
新芽が全部枯れたと同じ話を4回くらい聞かされた。

18時半すぎたらちょろダーを駅まで迎えに行く。
かなぞとキンはりょうたんに相手してもらうことにした。

ちょろダーと無事合流して
家に帰ってみると、
すでにパパンとかなぞとキンとりょうたんが
庭で、炭を囲んで宴会を始めていた。
かなぞとキンは、ばあさんお手製のちゃんちゃんこを着させられていた。
袖がないタイプの半てんと、背中だけ綿入れを背負うちゃんちゃんこ。
とりあえず笑い飛ばしておいた。

さっき掘ってきたタケノコを皮ごと
炭の中に埋めて、石焼芋みたいにして食べた。
アクがやや感じるとこがおいすぃ。さすが掘りたて。

バーベキューをのりのりでした。
かなり楽しかった。ママンがずっと、「ケロケロ」と言っていた。
庭のどこかにヒキガエルがいて、泣き声が聞えてきたから物真似してた。

りょうたんがまたテンション高くなってきて
「あたしの焼酎は特製なの。3:2の水割り」とか言っていて
でも、あっという間にひっくり返して、地面に吸わせて
「ああ、あたしの3:2がああああ」と絶叫。

その後、彼女はある酒をどんどん開封し、
かなぞがパピーに持ってきてくれた熊本焼酎を飲み干し
こないだパピーの定年に送った高級ウイスキーを
まるでウーロン茶のように飲んでいた。

仏壇のチーンというやつをかき鳴らし、
さらにドリカムを熱唱(音痴)。
そしてヅカの歌を歌いながらタンゴを一人で踊り、
「ちょろーちょろー」とあたしに抱きつき、
トイレへの廊下でどしんどしんと何度も転ぶ音がした。
そしてあっという間に寝てしまって起きなくなった。

ちょろダーが、枕を敷いてやり、
毛布をかけていた。

りょうたんを見捨てて12時すぎに就寝。
りょうたんは夜中3時ごろに、ばあさんに布団へ運ばれたらしい。

ちょろたんもけっこう酔っていたので、あっという間に寝てもうた。
キンとかなぞを見捨てて寝た。

りょうたんの暴走っぷりを生で見れて
キンキンとかなぞは満足していた。
アレ嫁には行けないよね・・・。


2004年05月01日(土) キンキンとかなぞと実家帰省

朝7時半にちょろダーにモーニングコールされて起きる。
彼は今日は仕事で、7時から朝礼だったそうで。
朝礼が終わってから、ちょろたんに電話してくれた。

はぐこをハンドキャリー用の籠に入れるのに
30分くらいてこずる。
かなぞさんが、8時にモーニングコールしてくれた。
そのころは、余裕な感じだったんだけどね。

東京駅の待ち合わせには10分遅刻した。
おかしいな???

はぐさんを連れてかなぞとキンキンの前に現れたら
二人ともめちゃウケていた。
ピイとか言ってるからかしら?

切符を買って、9時40分くらい。
今回の旅は急な決定で、さらにお昼には名古屋に着きたいという
リクエストだったため、指定席が取れなんだ。
ので、自由席に並ぶことにする。

ちょろたんの長年の帰省経験により、
ひかりとのぞみは、東京駅で40分前から並ぶと座れるのだ。
ので、10時36分のひかりに目星をつけて
ダラーと並んだ。はぐこがピイとか言いながら、
女3人でぺちゃくちゃしゃべって
さらに、毛陰氏のジローの話なんかで盛り上がる。
(キン旦那毛陰氏は、GW中にヂロウ君とお別れしたそうだ)

さてようやくひかりに乗ってゴー。
途中富士山や浜名湖を車窓から見て、あっという間に名古屋着。

「名古屋名物を食べたい」
というかなぞのリクエストがあったので
店を数件ピックアップしていた。
一番ひかれたらしい、覚王山の串かつ屋の(味噌だれつけて食べる)
モツ丼は土曜は定休日だったため断念。

味噌カツにしようと盛り上がる。
「矢場とん」という店が有名で、さらに名古屋駅地下にあるのだが
ちょろダーが、「肉が叩かれて薄くなりすぎ、タレが甘い」と
あまりお勧めしないと言うので、他の店にしようということにしていた。
よって名古屋駅から、地下鉄に乗り換えして2駅の
栄まで出ようかと。
めんどくさいのでタクシーで。

キンキンとかなぞは、「名古屋は道がひろーい」と感嘆している。
そして、丸栄、メルサ、三越等デパートが固まる
名古屋一の繁華街、栄へ行くが
「ひ、人がいなーい」と言う。

たしかにね。少ないわな。
こんなもんだよ、地方都市はね・・・。

店を探すのに、ちょっとだけ手間取るが、
栄の、「叶」という味噌カツ屋(やっぴーご推薦の店)に到着。
並んでいる。5分ほど並ぶ。すぐに2階の座敷席へ。
瓶ビール2本と、味噌カツ丼を食べた。
アサヒドライと言ったが、黒ラベルにされた。
う、うみゃあ。揚げたとんカツを味噌でとじて、ご飯の上にのってる。
真ん中に卵黄。一膳一気食い。
あさりの味噌汁がついてきた。(豆腐か選べる)
もちろん赤だし味噌汁。かなぞとキンが、濃くて飲めないと言う。
あたしこれ赤だしのわりには薄いと思うんだけどね。
味噌によるね。(我が家はカクキューを使ってる)

味噌カツ丼を平らげたあとは
またタクシーで名駅まで戻り、JR高島屋の地下食料品へ。
地雷やで天むすを購入。
宴会シートに座り、天むすをつまみながら1時間5分。
とうとう地元にやってきた。
途中から山の合間を電車が進む。

しっかし、ママンに、昨日15時〜16時の到着になると
話しておいて、「迎えに行ったるでね」と
言われていたのに、あっさり仕事に行っていた。
パピーから、
「何時に来るんや?お父さんいつ迎えにいくや?」
という電話があったからよかったようなものの
ママンめ。全然話が伝わってないやんけ。

無事パピーに迎えにきてもらって、実家到着。
座敷にお茶の用意してくれていた。
菓子鉢のふたを開けてみたら、巨大な草もちがみっちり詰まっていた。

あまりの巨大さに、かなぞとキンキンが一瞬魂抜けていた。
でかいのが美徳。
天むすでお腹いっぱいで餅には手を出せず。

車に乗って観光でも行きたかったが
ママンが仕事に車乗って出てしまってるし、
パパンのワゴン車を貸してくれと頼んだら
「新車やが・・・」と小さくつぶやいて貸してくれないので
裏の山に散歩に登ることにした。
1時間てこてこと歩いた。疲れた。
山をぐるっと1周。(ちゃんとアスファルトの道よ)
昔は何もなかったのに、かなりたくさん家が建っていた。

17時すぎに、家に戻った。
晩御飯は餃子。あとは山菜メインで。

パピーが農業関連でもらってきた
トマト名人のトマトにきゅうりと
タケノコの煮付け、わらびのおひたし2種類などなど。

着いたときに食べなかった草もちを食後に食べた。
これは近所のおばちゃんが、婦人会で作ってるブツ。
かなぞとキンキンが「おいしいー」とか言うもんだから
ばあさんの闘争本能に火が点いた。

「私が作る餅のほうがもっとおいしいわよ」という論理だ。

「じゃあ餅つこうか、赤飯か?」と言い出す。

うへーまた出たよ。ばあさんの得意技。

しかしかなぞとキンキンが喜んでいるので
草もちをついてもらって、包むのを経験してもらおう
ということに決定した。
ちょろたんはもう何十年もこの餅に赤飯というのを
食わされ続けているので、もう食べることがばあさん孝行の域。

夜は、7時半くらいから車で20分くらいのとこにできた
(ふるさと1億円で作ったらしい)湯船沢リゾートとやらの
温泉へ繰り出す。ママンに連れて行ってもらう。
「場所知っとるの?」と聞くと、「だいたい分る」と言ったので
かなり不安だったんだが、(ママンのだいたい分るは殆ど分らんということ)
無事到着した。

温泉のお湯が下呂温泉と同じ感じで、トロっとしてて
つるっと床が滑る感じ。
大変気持ち良いお湯だった。

ちょろたんが、風呂上りはコーヒー牛乳だろと
コーヒー牛乳を飲んだら、
キンキンとかなぞに信じられないと言われた。

ママンの運転の車に乗ると
寿命が3年くらい縮まるが、キンキンとかなぞは平気だったかしら?
ちょろたんはまた命が縮んだ感じがするわ。

ママンは本当にすごい人なんだが
(会ってみないと偉大さがわからないと思う)
かなぞは、「ちょろのおかんだな」と納得していた。
「この母あってこの娘だよ」と言っていた。

今日は温泉で入り口で番号つきのロッカーのキーを
渡されていて、4人で位置が固まってる番号なのに
ママン全然来ないなと思っていたら、
全然違う番号の離れたとこのロッカーに
無理やり鍵を入れようとしていた。
開かなかったらしい。(当たり前だ)


家に帰ってビールを飲む。
もうすでにカエルがケロケロ鳴いて虫の声がうるさい。
ちょろダーに電話してみたらまだ仕事していた。
12時すぎに就寝。


そういえば、実家のことで初めて知ったことがある。
家は、街道から一本坂道があって
その坂道沿いに数軒の家が建ってるわけだ。
ここ30年顔ぶれは変わっていない。

水道は通ってるのだが、水道代がかかるので
みなさん、井戸水を使っているのだ。(東海人だからケチ?)

我が家のママンが嫁にきて7年くらいでさっぴーひっぴー
という双子を産んだのだけど、
今日聞いたら、隣の家の娘も(あたしより8歳上)
坂の上の家の娘も、その上の家の娘も(みんな5〜10歳上)
全員双子を産んでいるそうだ。

こ、こわいよーーー。
井戸水のせいに違いない。(もちろん、水質検査なんて受けてない)

ママンは「双子の水」と名づけていた。

でも得意げに、「二人とも頭がいい双子は家だけや」と
威張っていた。


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