白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年05月30日(金) 食糧の高騰

最近、食糧の値上がりが激しくてうんざりしてしまう。

食糧の値上がりがはじまったのと、私が仕事を辞めて専業主婦になったのと時期が重なるので、余計に身に染みるのかも知れないけれど、それを差し引いても値上げ幅は激しいように思う。特に感じるのが小麦製品と乳製品。パンはスーパーのパンも、個人のパン屋さんのパンも目に見えて値上がりしているし、プレーンヨーグルト(ブルガリアとか恵とか)など、結婚した当初は、安売りで100円で売っていたのが懐かしく思えるほど高くなっている。

我が家は夫も私も牛乳好きなのだけれど、最近は安さに負けて牛乳ではなく低脂肪乳を買うことが増えている。低脂肪乳のパッケージを見ながら「低脂肪乳って正式には『牛乳』ではなくて『乳飲料』なんだなぁ」なんて事を思って切なくなってしまう今日この頃。

いっそ自分で牛を飼って牛乳を絞りたいとさえ思う。

個人で飼うのは無理にしても、町内会で1頭牛を飼ったらどうだろう。餌代とお世話は当番か何かにして。そうしたら毎日新鮮な牛乳が飲める。牛乳が苦手な人はバターやチーズといった加工品を作る…という選択肢だってある。ちょっといいかも……なんて、妄想をしてうっとりしてしまった。

とりあえずの対策としてはスーパーを何軒かチェックして、少しでも安いものを買うようにするしかないのだろうなぁ。私の住んでいる場所は少し足を伸ばせば、それなりにスーパーもあるけれど、スーパーの選択肢の無い地域に住んでいる人は大変だろうと思う。主婦になれば節約は当たり前と言うものの、毎日必要な食べ物の値上がりはいただけないなぁ……と頭を抱えつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

今夜のデザート。おからバナナケーキを焼いてみた。小麦粉が高いのでおからで代用してみた…って訳ではなく、単にレパートリーを増やしたかっただけ。









2008年05月29日(木) まわしだっこ

昨日、娘を連れて公園に行ったら小学生に取り囲まれてしまった。

娘をシーソーに乗せて遊んでいたら、小学2年生くらいの女の子がやってきて「赤ちゃん抱っこさせて」と。なんでも、じぶんちにも赤ちゃんがいて抱っこは慣れているから抱っこさせて欲しいと。見ず知らずの小学生に娘を抱っこしてもらうのは少し抵抗があったけれど、姉妹がいたら当たり前にしてもらっているだろう事だと思い「いいよ」と言うと、その辺にいた小学生達が「私も。僕も」と集まってきてしまった。

最初に言い出した子は家でお姉さんなだけあって「じゃぁ、順番に抱っこさせてもらおうよ。並んで、並んで」と仕切ってくれた。そんなこんなで娘、まわし抱っこ。(もちろん、落っことされたら困るので私が手を添えていた)赤ちゃんがいて抱っこは慣れていると言った子は流石に手慣れたものだったが、赤ちゃんなんて初めて触る子もいて、娘は吃驚…と言うより、むしろ迷惑そうに抱っこされていた。

娘は今のところ一人っ子。毎日私と2人で過ごしていて、ややもすれば過保護になりがち。人と関わりを持つのが苦手な子に育ってもらいたくはないので、出来るだけ外に連れ出すようには心がけている。今までは毎日、家の前で遊ぶ集団に混ぜてもらってたりはしていたし、近所の人に抱っこしてもらう事はあったけれど、子育て慣れした大人ばかりだった。年上のお姉ちゃん、お兄ちゃんに抱っこしてもらうのは、もしかすると娘は楽しく無かったかも知れないけれど、いい経験をさせてもらったと思う。

子供は子供の中で大きくなるものなのだなぁ。

子供ながらに「自分より小さい子のお世話がしたい」と思ってるだなんて、ちょっと面白い。これは種を保存しようとする動物の本能なのだろうか。赤ん坊は大事にされるようなシステムが自然と用意されているだなんて。

ちょっと面白い経験だった。これからも、こういう機会があると良いのだけれど。娘はこれから人の中で生きていかなければならないのだから、人好きな子に育って欲しいと思う。そのためにも出来るだけ、人と接するチャンスを増やしてやらないとなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月28日(水) 救急医療について考えた夜

昨夜、自宅の前に救急車が止まった。

「何事だろう?」と家の前に出ると、お向かいのご主人が担架に乗せられて運ばれていくところだった。「意識が無くて様子がおかしいんです」と奥さん。素人目で言うのは、どうかと思うけれど、脳梗塞とか脳血栓といった類のトラブルかなぁ…と言った感じだった。こういう時は、これと言って気の利いた言葉は思いつかないもので「お気をつけて」とお向かいの奥さんが救急車に乗り込むのを見送った。

「大したことが無いといいなぁ」などと思いながら家に入ろうとしたのだけれど、救急車は動く気配が無い。最近、テレビやなにかで救急車が出動してもそれを受け入れてくれる病院が無いことがあると聞いていたけれど、どうやらそそういう状況だったらしい。救急車は20分くらい止まっていただろうか。他人でさえイライラしたのだから、ご家族の思いは察するに余りある。

本当に必要な時に救急車が頼りにならないことの大変さを、昨夜はじめて実感した。

私は過去に何度か救急車のお世話になったことがある。自分自身だったり家族だったり。本当に大変な時、救急車ほど心強いものはない。しかし、それは「迅速に治療が受けられた場合」の話。いくら救急車を呼んでも、医療機関に運んでもらえないのなら何の意味も無い。

救急患者の受け入れが出来ない理由としては、救急医療に従事する医師の不足や、あるいは救急医療を必要としないのに利用してしまう患者がいる事などがあげられる。私も以前母が過呼吸になった際に救急車を呼んでしまったことがある。はじめてのことで過呼吸だと分からずに呼んでしまったのだが、ちゃんと処置さえすれば救急車を呼ぶ必要など無かったと後になって申し訳なく思った。

本当に救急車が必要な時のために、利用者レベルでも意識を高めていかなければならないと思う。自分や家族の健康について知っておくとか、緊急時の処置の仕方等の知識を学んでおくとか。それは社会的な問題への参加……ではなく、自分や自分の大切な人を守ることに繋がっていると思う。私自身、真剣に心掛けたい……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月27日(火) 手打ちうどん

この週末は夫が月曜日に代休を取ったので3連休だった。夫の夏のスーツだの、娘の麦わら帽子などを買いに出掛けたりしたものの、3日目ともなると出掛ける場所が無くなってしまった。「お金のたくさんいる場所」なら、いくらでも出先はあるのだけれど、そう散財をしていたらお財布が悲鳴を上げてしまう。

せっかく夫が家にいるのに何もしないのはもったいないような気がしたので、うどんを打ってみることにした。以前からチャレンジしたいと思っていたので丁度良い機会かな…と。

うどんの打ち方はネットで検索。親切丁寧に解説しているサイトを参考にして、夫婦で手打ちうどんに挑んだ。小麦粉(中力粉)を練って、足でふみふみ。足でうどんを踏む作業はかなり楽しかった。夫婦で交代でふんでいたら、娘も足にじゃれついてお手伝い。よく踏んだ小麦粉の玉をしばらく寝かせて、麺棒で伸ばして包丁で切り、たっぷりのお湯で茹でたら出来上がり。麺棒で伸ばす作業はかなり難しく、厚いところと薄いところが出来てしまい、出来あがったうどんは均一の太さにはならなかったけれど、それも手造りのご愛敬。

実家の母を招いて、ざるうどんにして食べた。つるつる&しこしこ麺で、思っていた以上に美味しいものが出来た。「子供の頃、おばあちゃんに作ってもらったうどんを思いだすわ」と実家の母。見栄えの悪いうどんだったけれど、大好評だった。

うどんを打つのは楽しいし、何よりも作りたてのうどんを食べる楽しみもあるので、小さいお子さんのいる家庭にはもってこいの娯楽かも知れない。娘はまだ、しこしこ麺は食べられないけれど、うどん打ちは我が家のちょっとした娯楽に加えたいと思う。

これから暑くなって冷たい麺が美味しくなってくることだし、精進して見栄えもそこそこ良いうどんが打てるようになりたいと思う。友人を招待出来るくらいの物が作れるようになったら、手打ちうどんパーティをしたいものだなぁ…なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

うどんをのばす夫。この作業がなかなか難しい。うどん職人さんの技術って凄いんだなぁ…としみじみ思った。








2008年05月23日(金) ラーメン屋台の基地

たまに足を延ばすスーパーの道すがらにラーメン屋台の基地がある。

ラーメン屋台の基地は大よそ飲食物を取り扱うとは思えない貸倉庫の一角にあって、何台もの屋台がひっそりと待機している。そしていつ通っても夜の出撃に備えた仕込みをしていて何かを煮ているような匂いが漂っている。正直なところ、あんな場所で食べ物が作られているのかと思うとゾッっとする。お世辞にも衛生面で気を使っているとは思えないのだ。

子供の頃、屋台のラーメンが食べたいとねだると両親はあまり良い顔をしなかった。当時は何故、あんな楽しそうで美味しそうな食べ物を両親が嫌っていたのか理解出来なかったけれど、今ならその理由も分かるというものだ。しかし、それでも何度か食べさせてもらった覚えがある。屋台のラーメンは、たぶんそれほど美味しいものでは無かったと思うのだけど、家で食べるラーメンやお店で食べるラーメンよりも、ずっと美味しく感じた。夜、チャルメラの音が近づいてくるとやたらドキドキしたものだ。

身体に悪いものに限って美味しく感じてしまうから不思議だ。

しかし自分が親の立場になってみると屋台のラーメンを見ても「あんなものは子供に食べさせたくないな」と思ってしまう。しかし、その反面「あれは、あれで必要なのかも知れないな」とも思う。屋台のラーメンは衛生面や食品添加物のことを考えると決して好ましい食べ物は無いのだけれど、人は無菌状態の中では生きられない。本気でそういう類のものと戦おうとするなら、すべての食べ物を自給自足で手造りしなければならなくなってしまう。食べ物に関して気を使うことは必要だけど神経質になり過ぎるのも良くないように思うのだ。

娘はまだ離乳食をはじめたばかりで、ラーメンを食べるのはずっと先のことだけど、いつか「屋台のラーメンが食べたい」なんてことを言い出す日も来るだろう。きっと私は両親がそうしたように渋い顔をしながら、娘の願いを叶えるだろう。その時…果てして私は屋台のラーメンを食べて美味しいと感じるのだろうか? その時を楽しみにしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月22日(木) 週の半ばに

いつもの事だけれど1週間も半ばに差し掛かると息切れしてくるような気がする。朝、起きるのが非常に辛い。やたら寝起きが良く、満面の笑みでハイハイをはじめる娘の姿を見つつ「よっこらしょ」と身体を起こすのだけど、どうにもシャキッっとしない感じ。暑くなったり、涼しくなったりと寒暖入り乱れているのもシャキッっとしない要因だろうか。

娘は生後7ヶ月に入り生まれたての頃の大変さが無くなった反面、遊びが活発になってきて、それに付き合うのが大変になってきた。元気なのは何よりもありがたいけれど、35歳の母はエネルギッシュな娘についていきかねている。食事の支度と娘の世話で1日が過ぎていく……って感じ。

巷に溢れる主婦のブログを見ていると、小さい赤ん坊がいても、家の中をインテリア雑誌に出てきても不思議でないほどお洒落にキープしていたり、子供の服を縫ったりしている人も沢山いて吃驚してしまう。世の中には頑張れる人って、いるものだなぁ。せっかく専業主婦になったのだから、良き主婦を目指したいところなのだけど、まったくもって彼女達の足元にも及ばない。

今日はあまりにもヨレヨレで「甘い物が食べたい発作」に見舞われてしまったので、自分のためにプリンを作った。珈琲カップにたっぷりプリン。普通のプリンの1.5倍はあるのだけれどガッツリ食べるつもりでいる。夫が帰宅するのが楽しみでならない。

こういう日は自分の至らなさが身に沁みて自己嫌悪に陥ってしまいがちだけど、週の半ばに息切れするのは私ばかりではありますまい。プリンを食べて喝を入れ、今週もあと一息頑張りたいものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

珈琲カップにたっぷりプリン。自分へのご褒美が大好きなお年頃です。










2008年05月21日(水) 当たり前のいとなみ

昨日、友人から第二子妊娠の知らせを貰った。他人事ながら嬉しくて泣きそうになってしまった。

友人は昨年、授かった子を死産している。私が娘を産む少し前のことだ。妊娠時期が近かったため「子供達が同じ学年になるよねぇ」などと楽しみにしていただけに、死産の知らせは私にとってもショックな出来事だった。私自身、切迫早産で安静にしていたりした時期があり「もし何かあったらどうしよう」という想像をリアルにしていた…と言うこともあってか、友人がどれだけ哀しかったかと思うと、かける言葉も見つからなかった。友人とはそれから1度会っているのだけど、哀しみが癒えないまでもしっかりと事態を受け止めていて、上のお子さんの育児に励んでいた。

もしも、私が娘を無事に出産出来ていなかったら、彼女のようにしっかりと立ち直れなかったかも知れないな…と思う。「こんな哀しい思いをするなら、もう妊娠なんてしたくない」と思ってしまったかも知れない。死産とか、流産は世間的には「よくある話」だし、それを乗り越えての妊娠出産も世間的には「よくある話」だ。しかしそれらは、自分の身にふりかかった時「よくある話」から「一大事」へと変化する。友人がそれを乗り越えることが出来て本当に嬉しい。

どんな人にも哀しい思い出はある。それは当たり前のいとなみの中に、ひっそりと存在していて、普段は滅多に顔を出さない。別の見方をするならば個々の人々が紡ぎ出す「当たり前のいとなみ」は、それぞれに哀しい思い出を含んでいて、だからこそ愛おしいとも言える。

大人になってみて「普通に暮らす」ってことが、どれだけ大変で大切なのかをしみじみ感じる。うっかりすると忘れてしまいがちだけど、それは簡単に手に入る物のようでいて、実はそうでもなかったりするのだ。

私が…そして、私の知る人達が「当たり前のいとなみ」を続けていけるといいなぁと思う。もちろん「すべての人が」そうであるのが理想ではあるのだけれど。そして、当たり前のいとなみのありがたさを忘れないようにしなくちゃなぁ…とも思う。昨日は本当に嬉しかった。友人のお腹に宿った新しい命が健やかに育つよう願いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月20日(火) おにぎりとアイスクリーム

先の日曜日は玉手山公園へ行ってきた。玉手山公園は以前は小さな遊園地だったのだのを、遊園地の廃園に伴い、市が買い取って公園として運営している。観光地…と呼べるほど大した公園ではないけれど、小さな子供を遊ばせるにはうってつけのこじんまりした公園だ。

前日は夫の実家に行ったり、自宅で焼肉をしたりと盛り沢山の1日だったので、てっきり家でのんびり過ごすものだとばかり思ってお弁当の心づもりをしていなかったのだけど、良いお天気につられてお出掛けがしたくなったのか「お弁当はおにぎりだけでいいから出掛けよう」と夫。急遽、ご飯を炊いて大きめのおにぎりを作った。出発するまで、おかずを作るには材料も時間も足りない感じだったのだけど、ほんの少し時間に余裕があったのでアイスクリームを作って冷凍庫に入れた。

ハイキングをするには少し暑かったけれど、気持ちの良いお天気だった。玉手山公園は「よく、こんなところに遊園地なんて作ったね」と思うほど交通の便が悪く、しかも「玉手山」の名の通り園全体が山だった。探偵ナイトスクープ(関西で人気のあるローカル番組)で取り上げられたのも肯ける。利用者は少なくて、少ない利用者はみな小さな子供連れだった。ぐるりと園内を歩いてまわって木陰でシートを広げ、おにぎりを食べた。おにぎりだけのお弁当もシンプルでたまには良いものだと思った。私達家族はこのところ毎週末ごとに外でお弁当を食べている。

まだ歩けない娘は公園に来たからといって何をするでも無いのだけれど、小さい子供の声を聞いたり、遊んでいるのを見たりするだけでも充分楽しそうだった。遊園地時代の遊具の名残りなのか、子供向けの汽車が走っていたので、娘を抱いて汽車に乗った。夫はカメラを持って私達の姿を撮影してれた。安物のドラマのワンシーンのようだなぁ…と思いながらも、案外悪くない気分だった。

娘のお昼寝の時間の兼ね合いもあって早々に撤退。帰宅して、出掛ける前に仕込んでおいたアイスクリームを食べた。はじめて作った割には上々の出来栄えだった。アイスクリームって家でも簡単に作れるものなのだなぁ。買うよりも安く出来るし、この夏はちょくちょく作ろうと思う。

ささやかながらも楽しい休日だった。暑くなってくると外でお弁当…と言う訳にはいかないだろうから、丁度良かったのかも知れない。こじんまりとして良い公園だったので、娘が歩けるようになったら…秋頃にまた行きたいと思う。娘と手を繋いで玉手山公園へ行く日が来るを楽しみにしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

初挑戦のアイスクリーム。材料をしっかり泡立てておけば、途中でかき混ぜなくても柔らかいアイスクリームが出来るのだ。ハーゲンダッツのアイスクリームとまではいかないけれど、かなり美味しかった。







2008年05月19日(月) おばあちゃん孝行の日

先の土曜日は娘を連れて夫の実家へ遊びに行ってきた。前日の夜にバナナチョコケーキを焼いて手土産にする。チョコケーキは以前、バレンタインデーに焼いたのと同じもの。上手に出来たので義母にも食べていただきたくて。

義母宅で昼食をいただく。お刺身などご馳走がずらり。朝から張り切ってくださったのが目に浮かぶようだった。ありがたくも、おいしくいただく。娘が離乳食を食べているところを見てもらいたかったので、離乳食を持参したのだけれど、義母はたいそう喜んで娘に離乳食を食べさせていた。「おばあちゃんに離乳食を食べさせてもらっている娘」の姿をパチリと写真に収める。

娘は義母宅へ行く道中の電車の中で眠らなかったので、ご機嫌が心配だったのだけどおばあちゃんの前で機嫌良く遊ぶ姿を披露してくれた。グズグズしているのも、また可愛いとは言うものの、義母とはしょっちゅう会える訳ではないので、ニコニコしているところを見てもらいたかったのだけど、そんな母の気持ち通りに、娘は愛嬌をふりまいてくれてホッっとしとた。

夕方、帰宅して今度は私の実家の家族と夕食など。本当なら母の日のプレゼント代わりに…という事だったのだけど都合により1週遅れの母の日。母のリクエストで焼肉を食べに行く予定だったのだが、義母宅で張り切り過ぎた娘がグズグズいい出してしまった。ちょっと外食は無理そうだったので、家で焼肉をすることに。慌てて商店街のお肉屋さんへ走った。外食の予算でお肉を買ったので、随分と上等なものが買えた。

準備や片付けは面倒だけど、結果的には外食にしなくて良かったと。自宅だと娘の機嫌が悪くなっても気を使うことが無いけれど、外食だとそうはいかない。それに母は娘を抱っこして上機嫌だった。結局、母は焼き肉云々…よりも、子や孫に囲まれてワイワイ過ごすのが嬉しいのだろう。母と愚弟が帰った後で、夫と「きっと焼肉じゃなくて、焼きそばでも良かったんだろうね。孫とビールがあれば事足りるんじゃないかな」と笑い合った。

そんなこんなで土曜日は娘が「おばあちゃん孝行」をした1日だった。母達の喜ぶ姿を見るにつけ、私にしても夫にしても今までで1番の親孝行をさせてもらっているのかも知れない。それにしても娘はどちらのおばあちゃんにも可愛がってもらえて恵まれた子だと思う。私や夫からだけでなく、周囲の人からたくさん愛情をもらってすくすく育って欲しいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月15日(木) 野菜生活

昨日はFから戴いたニラでチヂミを焼いてみたら劇的に美味しかった。ニラはたくさんあったのでニラとモヤシで中華スープを作ってみたが、これもまた劇的に美味しかった。ニラがびっくりするほど柔らかかったのだ。「ニラって、こんなに美味しかったっけ?」と思ってしまうほどに。

チヂミを焼く前日、スーパーで買ったニラをお味噌汁にして食べたときは、こんなに感動はしなかった。普通に美味しいニラのお味噌汁でそれなりに食べた。同じニラでも、こうまで味が違うものかと感心させられる。収穫したばかりの新線な野菜ってこともあるだろうし、Fの家では無農薬で野菜を育てているから…ってこともあるだろう。今日は戴いた玉ねぎでシチューを作り、エンドウ豆で豆ごはんを作る。下ごしらえをしている段階ですでに美味しそうな予感が。野菜の鮮度が全然違う。

Fの家は農家ではないのだけれど自宅の庭がこ広く、家庭菜園と呼ぶには大規模に野菜を育てているらしい。「収穫時期になると、同じ野菜ばかりが食卓に並ぶよ」とのことだけど、自分で育てた野菜を食べられるって羨ましいような気がする。同じ物が大量に…ってのは少し辛いくも知れないけれど、その分素材を贅沢に使った料理が出来るし。戴いたエンドウ豆は大量にあるので、エンドウ豆のポタージュを作ろうと思っているのだけれど、ポタージュを作るほどのエンドウ豆をスーパーで買おうと思ったら、予算的に厳しいのでそう気楽には作れない。こういう贅沢な料理は沢山あってこそ……だと思う。

我が家はいわゆる狭小住宅で少しの花を育てる土地さえ無いのだけれど、いつか貸農園を借りて家庭菜園をしたいと思っている。私の住んでいる市では「老人農園」というものがあって、65歳以上になると安い費用で農地を貸してくれるので「65歳になったら夫婦で家庭菜園をしようね」などと夫と話をしている。

農家の育ちでもないのに「ちょっと土いじりがしたい」とか「野菜って、いいなぁ」とか思ってしまうのは、農耕民族としての血が騒ぐからだろうか。それとも子供の頃の泥遊び体験に基づくものだろうか。まぁ、どちらにしても家庭菜園は遠い将来に叶えてみたい夢の1つではある。

今日はこれから娘の予防接種。お昼寝の時間帯にかかるのでグズらなければ良いのだけれど。娘は7ヶ月と1週間目で歯がのぞくようになった。私のあずかり知らぬうちに娘は1人勝手に成長している。野菜の話ではないけれど「育てる」あるいし「育っていくのを見守る」って楽しいものだなぁ。そろそろPCを落として出掛ける用意をせねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月13日(火) F来る

今日はFが我が家に遊びに来てくれた。Fとは電話やメール等でマメに連絡を取り合っていたものの、直接会うのは久し振り。少なくとも妊娠してからは会っていないので2年ぶりくらいだろうか。

Fが来る時は、たいてい泊まりがけなのだけれど、娘がまだ小さくて夜も何度か起きるので流石に泊まりは無理だろう……とて、午前中から来てもらって、お昼を一緒に食べることに。前日「何か食べたいものあってらリクエストして」とメールすると「和食」と返事が返ってきた。和食…と言われても守備範囲が広過ぎるので「家庭料理はたいてい和食だし、もう少し具体的に…」と返したところ「とりあえず煮物があれば」とのこと。要するに「普通っぽい家庭の食事」が食べたいのだろうと了解した。

朝、ささっと掃除を片づけてFを迎える食事作り。献立は黒豆ご飯・ニラと豆腐のお味噌汁・小松菜と鶏肉の煮浸し・ひじき入りオカラ・サバの塩焼き。客人を迎えるに地味過ぎるラインナップ。たくさん作って夕食にも流用することに(まったく同じ献立を続けて食べると飽きるので魚だけ変更)料理をしながらふと「私はFのオカンでもないのに、どうしてこんな料理を作っているのだろう…」と思う。そう言えばFが東京にいる頃、Fの部屋を掃除して帰ったことがあったっけか。娘が成長して私の手元を離れたら、私はまた今日のように料理を作ったりして娘を迎えるのだろうなぁ……なてんことを想像してしまった。

久し振りに会うFは実家が作っている野菜を行商人のように抱えていた。無農薬の新鮮な野菜は何よりのお土産。ありがたく頂く。Fは身体を壊して帰郷しただけあって、少し痩せていたし顔色もイマイチ良くなかったけれど、相変わらずのFだった。2人でちゃぶ台に向き合って昼食など。地味過ぎる昼食だったけれどFは喜んで平らげてくれた。途中、娘はお昼寝。お茶を飲みながらダラダラとお喋り。娘が起きてからは、娘とFとで私の実家へ。実家の母もFに会いたがっていたのだ。

実家から帰ってから、チーズケーキを焼き、焼きたてのチーズケーキを2人で食べた。その間、夕方までずっと喋りっぱなし。話のネタは尽きず、むしろ「喋り足りないかも…」とさえ思ってしまった。Fから野菜をたくさんもらったお礼……と言う訳ではないけれど、チーズケーキをお土産に持って帰ってもらった。

今回Fは元気に帰ってきた訳ではないけれど「それなり」の様子で、少し安心した。心機一転、これから色々あるだろうけれど、少なくともFが前を向いて進もうとしているのだから応援したいと思う。これからは気軽に行き来出来るのだから、また遠くないうちに会いたいものだ。久し振りにFと会えて嬉しかったなぁ…って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月12日(月) 必要とされる幸せ

春先からずっと夫は仕事が大変な状態にある。

仕事というのは、しんどい物だと決まっているけど、夫と出会って3年のうちで、もっとも大変な状態であることは確かだ。仕事の愚痴などほとんど言わない夫が、愚痴をこぼうのだから、どれだけしんどいかは察するに余りある。帰宅時間も遅く、目に見えて疲れている感じ。

妻として夫に出来ることなんて微々たるものだ。美味しい食事と気持ちの良い寝床。出来るだけ楽しい話題を振るとか、たまに夫の好きな甘いものを手造りしてみるとか。しかしながら、それらは決定的な助けになる訳ではなく、無力さを感じずにはいられない今日この頃。

しかし、昨夜夫と2人で何をするでなくのんびりとゴロゴロしている時、夫が「最近、凹みがちだけど色々と助けてくれてありがとう。白蓮さんや、娘がいるから頑張れる」と言ってくれた。これほど誇らしいことはない。私のようなものでも、誰かに必要とされ、誰かの助けになっているのだと思うと、みじみじみと幸せな気分になった。

結婚して家族を持ってみて幸せだと感じることはたくさんある。一家団欒している時とか、休日に家族でお出掛けする時とか。しかし最も幸せなのは、夫や娘から自分は必要とされている…という実感を味わうことだ。私は至極ツマラナイ人間で、この先長生きしたところで、恐らく大して世の中のお役に立つようなことは出来ないだろうと思う。しかし、そんな私でも夫や娘からは必要とされ、求められているのだ。

マザー・テレサが残した言葉に「この世の最大の不幸は病や貧しさではなく、 自分は誰からも必要されていないと感じることである」と言うものがあるけれど、本当にその通りだなぁ……と思う。20代の頃はこの言葉の意味が分らなかったけれど、今は分かる。

夫と娘は私にとって大切な存在だし、大切にしなくては。ややもすれば大切なことを忘れてしまいそうなるので書き記してみた次第。自分の目の前にある事柄を1つ1つこなしながら、毎日を大切に過ごしていきたいものだなぁ……などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月10日(土) ツマラナイ雨の日

雨の土曜日。夫は仕事。娘と2人きりで過ごす雨の休日はツマラナイと言ったない。

「お散歩、命!」の娘にとって、雨で出掛けられないのはストレスらしくて、雨の日は決まってグズグズする。そりゃぁ、まぁツマラナイだろうなぁ……とは思う。娘は自分で暇つぶしを見つけることが出来ないのだもの。気だるそうに、いつもの玩具で遊んでいる娘に何か刺激的な遊びは無いものかと、ステンレス製の鍋のふたを渡してみた。ツルツルで顔が映る鍋のふたに娘は興味津々。鍋のふたを手に持ってガンガン床に打ちつけて音を出したりして遊んでいた。

娘が鍋のふたで遊んでいる間、私はおやつ作りなど。牛乳を煮てブラマンジェなど。ツマラナイ日こそ、甘いデザート。夕食後に食べようとてワクワクする。雨の音を聞きながら甘いものを作るのって、ちょっと良い感じだ。

娘を1人遊びさせてばかりいるのも可哀そうなので、私も床に転がって娘の相手をして過ごす。こんな日にカリカリと用事をするのも馬鹿馬鹿しいなぁ……とて、家事は手抜き気味で娘と遊んで過ごすことに。たまには、グウタラと遊んで過ごすのもいいものだ。夕食も簡単に中華風のあんかけ焼きそばとスープを作ることに。

娘を連れてせっせと外に遊びに出掛けて、家事もそれなりにこなして……と、毎日せわしなく動き回っているけれど、音楽で言うところの「一拍おやすみ」って感じで、のんびりと過ごすのも切な時間なのかも知れない。

朝、起きた時は「チェッ。雨降りか…ツマラナイなぁ」と思ったものだけど、案外良い1日になった。明日は午後から雨が上るとのこと。家でのんびり過ごすのも良いけれど、明日は少しでも娘を外に出してやりたいなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月09日(金) 娘のお手伝い

最近、娘の行動範囲がグッっと広くなった。ずり這いを完全マスターしたいま、娘は家中をせっせと這いまわっている。モップを付けた服を着せたら、家中ピカピカに掃除が出来るだろうなぁ……と思うほどにアクティブだ。そして、行動範囲の広がりと比例して好奇心の鉾先も広がっているらしく、私のすることをじっと観察しては自分も手を出すようになった。

中でも「掃除」にご執心でバケツや掃除機が大好き。バケツをひっくり返さんばかりの勢いでバケツにアタックしてくる。仕方がないので、拭き掃除をする時は階段にバケツを置くようにしている。せっせと床を拭いていると雑巾を欲しがるのは言うまでもない。掃除機の後を追いかけまわすのはかまわないけれど、もう少したら掃除機に乗っかるようになるんじゃないかと心配している。

先日、娘がグズグズ言うので、おんぶをして洗濯物を干していたら、ヒラリと洗濯物が足元に落ちてきた。ちゃんと干したはずなのに……と不審に思ってい、ヒラリともう1枚。背中を見ると娘がニコニコしながら洗濯物を引っ張っていた。とんだお手伝いだが、嬉しそうな娘の姿に思わず笑ってしまった。

娘、あと数日で7ヶ月。出来ることが急に増えてきて毎日驚かされっぱなしだ。

赤ん坊の成長って本当に早い。我が子の成長に負けないように、自分も磨いていかねば……と思うのだけど、こちらはなかなか上手くいかず。日々の生活を無難にこなしていくだけで精一杯といったところ。物事に対して、もう少し意欲的に取り組みたいなぁ……という志はあるのだけれど。

なんだかんだで娘のお手伝いは楽しませてもらっているのだけれど、危ないことも多いので、気をつけるようにしなければ。ゴミ箱はひっくり返すから撤去したし、お風呂の戸も毎度閉めるようにした。娘の成長に合わせた配慮を怠らないようにしなくては……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月08日(木) Fの帰郷

私個人の話でなくて恐縮なのですが、東京の友人Fが帰郷しました。

Fは私にとって最も親しい友人で、この日記にも何度となく登場した人物(Fあるいは同志Fと書いていました)です。彼女は27歳の時に「シナリオライターになりたい」とて、地方公務員の職を捨てて東京に行きました。東京のFのアパートは私にとって別宅のような存在でしたが、Fはとうとう東京を引き払って故郷、大阪に帰ってきたのです。改めて日記に書くような事でもないなぁ…とも思ったのですが、長く日記を読んでくださっている方から「Fさん元気ですか?」と聞かれることもあったりするので、ここは1つご報告と言うことで。

シナリオライターを目指して上京したFですが、シナリオライターの勉強を真面目にしたのは上京後、わずか1年ほどのことでした。それ以降の7年間は正直なところ「ただのフリーター」と化していて、ここ数年はシナリオを書くこともなく、怠惰な日々を過ごしていました。「いいかげん戻ってきたら?」と私や家族から口喧しく言われ続けたFでしたが、気ままな東京暮らしが性にあっていたらしく、なかなか首を縦にふろうとはしませんでした。「何も結果を出せない状態では帰れない」というプライドもあったのだと思います。

そんなFに帰郷を決意させたのは体長不良でした。東京での不摂生な生活が祟って身体を壊してしまったのです。Fが身体を壊したことを喜ぶつもりはありませんが、もう前にも後ろにも進めなくなったFが、道を正す良いチャンスになったと思っています。

Fがこの8年間で失ったもの(仕事とか若さとか健康とか)はあまりにも大きく、もはや取り返しはつきませんが、心機一転出直してもらいたいなぁ…と思っています。Fも30代後半。やり直すにはギリギリの年齢ですが、今ならまだ何とかなるでしょう。正直なところ、Fのことはずっと気にかかっていたので、Fがぬるま湯の生活から一歩外に出ることを決意してくれてホッっとしました。

私にとって東京のFのアパートは思い出深い場所で、無くなってしまうのは少し寂しくはあります。私の人生では、かなり辛い時期だった20代後半を支えてくれた場所でもあります。私が辛かった時、東京でFが私を支えてくれたように、私もまたFを支えていけたらなぁ……と思っています。

近いうちにFは娘の顔を見がてら我が家に遊びに来てくれるとのこと。これからは、またちょくちょく行き来をすることになるとは思いますが、まずは積る話でもしたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月07日(水) 家族ぐるみでバーベキュー

黄金週間、5月5日に夫の友人宅で行われたバーベキューパーティに参加してきた。参加者は4家族と単身者1名。大人と子供入り混じって総勢17人。夫の友人は大手ハウスメーカーで建築士をしていて、自分で設計した新居のお披露目もかねて…というような集まりだった。

建築士さんが建てた自分の家だけあって、かなり素敵なお宅だった。17人でお邪魔してもまだ余裕があるほど広々としたお宅で中庭にバーベキューセットを置き、子供達はリビングで遊んだり、焼き上がったお肉を食べたり。娘は大はしゃぎで広いフローリングの床を這いまわっていた。

今回集まったのは夫が大学時代に所属していたクラブの集まりで、私も何度か集まりに参加したことがあったのだけど、家族ぐるみでの集まりに参加したのは初めて。子育て中のご家族ばかりだったので子育ての話を聞くのを楽しみにしていたのだけど、色々と考えさせられることの多い1日となった。

4家族も集まれば考え方や方針もそれぞれだった。特に印象的だったのが小学校お受験を控えた娘さんに足し算をさせて自慢してい父親と、場所を提供してくれた人の小学生の長男さんが自閉症で、息子さんがパニックになったのを根気良くなだめていた父親の対比。2人は話をしていても全然違っていて、前者の父親は「普通に出来るのは当たり前。それ以上に頑張ってもらわなきゃ」と言う感じなのに対して、後者の父親は「この子がより良く成長してもらうにはどうしたら良いか」という部分に重点を置いているようだった。

自閉症の息子さんを持つ人に同情するとか、そう言うおこがましい意味ではなくて、自分自身子育てに対して「普通に出来る=当たり前」という観念を持ってしまっていることを深く反省した。

私は娘を育てつつ毎日楽しく生活しているのだけれど、正直「しんどいなぁ」と思う事だってある。そして娘も生後6ヶ月を過ぎて、子育てに慣れてきたせいか娘に対して、いい加減に接することも多々ある。娘がお腹にいた頃…切迫早産で無事に産まれてこないかも知れないという危機にあった時は「とりあえず命を持ってこの世に出てきてくれたら、あとは私達が頑張るから、なんとか出てきてちょうだい」と切実に思っていたのに、我ながら随分な変わりようだ。もっと丁寧に娘とかかわるようにしなければ。

ちなみに、夫の友人は自分の息子が自閉症だということを今まで伏せていたらしく、今回の集まりではじめて告白したとのこと。帰宅してから夫が「あいつは弱音を吐かない男だからなぁ…」と漏らしていた。「場所はいつでも提供するから、また皆で集まろう」とのことだったので、今後も家族ぐるみでお付き合い出来れば良いのになぁ……と思う。

親として考えさせられることがあったのも事実だけれど、バーベキューパーティは純粋に楽しかった。黄金週間も終わって今日から通常モード。気持ちを切り替えて頑張っていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2008年05月05日(月) 地元ピクニック

昨日は素晴らしいお天気だったので古墳公園へピクニックへ行ってきた。

古墳公園は電車で2駅のところにある公園で、有名ではないせいか、ほとんど人はいなかった。こんもりとした古墳はこじんまりとした森になっいて、いくつもの横穴洞窟があり、ところどころにある説明書きを読みながらのんびりと古墳の森を散策した。黄金週間はどこへ行っても混み合っているだろうと思っていたのに、人が少なくて吃驚。確かに地味過ぎる公園なのでデートするには盛り上がりに欠けるだろうし、遊具が無いので子供連れにはつまらないだろうけれど、私達のような乳児連れにはもってこいの場所だった。

芝生のある木陰でお弁当を広げた。ラップで作った変わりおにぎり(シーチキン&卵とかハム&マヨネーズ他数種)と手羽先揚げとサラダ等。簡単に短時間で作れるものばかりだったけれど、外で食べるとなんだって美味しい。娘をシートに転がしてのんびりとした昼食。昼食後はゴロリとシートに寝そべって休憩。

食事の後はシロツメクサの咲く河川敷を歩いた。途中、鉄橋に鯉のぼりをズラリと吊るしてあるところがあって、明日は子供の日なのだなぁ…なんてことを思った。娘は女の子なので鯉のぼりは無いのだけれど、そこそこ大きくなったら、かつて私がそうだったように「私も鯉のぼりが欲しい」と言い出しそうな気がする。その時は親子で鯉のぼりを作ろうと思う。

のんびり寄り道をしながら2時間弱かけて歩いて自宅に帰った。

夕食はカレーとナンとサラダ。自宅でナンを焼いてみたら思いのほか上手に焼けた……と言ってもナンをこねたりする力のいる作業は夫が担当したのだけれど。ナンを焼いただけで、いつものカレーが特別なカレーへと変貌を遂げた。こういうのは、休日っぽくって良い。地元で過ごす黄金週間もいいものだ。

今日は夫の友人宅でバーベキュー。ちょっとお天気が心配だけど楽しい1日になると良いなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

木陰で寝そべって見た空。暑過ぎる日差しも木々を通して木漏れ陽になると美しい光に……








2008年05月03日(土) 娘、初めての食事

昨日、娘の離乳食を開始した。

母達世代が子育てをしていた頃は、離乳食は3ヶ月くらいに果汁から始めたそうだけれど、最近は6ヶ月まで母乳で育てる…というのがスタンダードらしく、それにならって娘も6ヶ月まで母乳だけで育ててきた。そんな娘も来週には7ヶ月目に突入する。出来るだけ夫に娘との思い出を作って欲しい…という思っていたので、娘がはじめて口にする食べ物は夫に食べさせてもらおうと決めていたのだ。

初めて作る離乳食は「10倍粥」。出来上がったのはお粥と言うよりも、むしろ糊のようで「舌切雀のおばあさんは、こういう糊を作っていたんだろうか…」なんて事を思ってしまった。しかし、そんなお粥もお義母さんから戴いたベビー食器に10倍粥を入れたらそれなりに離乳食っぽく見えた。

初めての離乳食は「見て、あなた。はじめて食べたわ」「そうだね」なんてドラマのような場面になるか、あるいは食べさせてみたものの、ベェーッっと拒否されるかを想像していたのだけれど、私の想像は2つとも外れていた。

娘は離乳食にたいそう興奮して、夫が差し出したスプーンをひったくると自分でそのスプーンを口に入れてしまったのだ。娘にはそれが食べ物であると言う認識は無い。「わぁい。新しい玩具だ」と思ったらしい。好奇心旺盛な娘は今、珍しいものを見ると、なんでも掴んで口に持っていってしまうのだ。

「娘の離乳食には色々と夢やロマンがあったのに、なんだかあっけなかったねぇ」と夫と顔を見合わせた。とりあえず拒否されなかったので良かった。そして2日目の今日、娘は昨日ほどの興奮はなかったものの「これが食べ物だ」という意識も無いのか、なんとなく口に入れられたものを飲み下して離乳食タイムを終了した。まぁ、先は長いのだからぼちぼち食べさせていこうと思う。

娘にとって「食事」は美味しく、そして楽しいものであって欲しいなぁ…と思う。

この黄金週間は家で過ごしたり近場に出掛けたりする予定。今日は家にいたので朝食にスコーンを焼いてみた。なかなかの出来栄えに満足。焼きたてのスコーンにサラダとヨーグルト、果物にカフェ・オレ。こういう贅沢は休日ならでは。明日はお弁当を持ってお出掛けする予定。楽しい休日にしたいものだ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。

前回はバナナスコーンだったけど、今回はプレーンスコーン。セルクルが無いので三角に切ってみた。ちゃんと腹割れもしたし上手く焼けたと自画自賛。









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