白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年09月30日(土) 休日を1人で

夫のいない土曜日。午前中に掃除などの用事を済ませ、1人で『プラド美術館展』を観に行ってきた。

「明日は夫が仕事でねぇ」なんて話をすると「休日に1人なんてツマラナイね」と言われるけれど、案外そんな事もない。むしろ「1人の時間」ってのも大切だと思っている。ここのところ、1人の時間はもっぱら家事を片付けることに専念したので、たまには息抜きしよう…とて、張り切って出掛けてみた次第。ペットボトルにお茶を入れて、お握りを2つをトートバッグに入れていざ出発。

天王寺公園のベンチで腹ごしらえをしてから『プラド美術館展』へ。会場は、ほど良い感じで混み合っていた。会期の終盤まで待っていたのは正解だったなぁ……なんて思いつつ、絵を堪能した。スペインに行くまで大嫌いだったのに、スペインで好きだと感じたエル・グレコの絵。スペインの空気にあてられて一時的に好きになったのだろうと思っていたのに、やっぱり良いなぁ…と思ってしまった。スペインで、ウンザリするほど観たベラスケス、ゴヤ、ムリーリョ、スルバランの絵が心に響いた。本でも絵画でも、特定の作家のものを「浴びるほど味わう」って重要なのかも知れない。

1人で会場を2周。絵を描く友人のことを、ふと思った。

絵を見た後は買い物など。アクセサリーのパーツ屋さんで、ネックレスの鎖。安い洋服屋さんで秋物の服。30代になってからフェミニンな格好が好きになっている。もともと好きだったのに、色々な事にシャカリキだった時代は、あえてシャープな物ばかり着ていたように思う。当時は素直じゃなかったのだ。あの頃から自分の気持ちに素直にしていれば良かったのだろうけれど、あれはあれで必要な過程だったのだろう。

お気に入りのお店でパフェを食べようかと思ったが、考え直して百貨店の地下食料品売り場で栗のケーキを購入。実家用と自宅用。自分1人で楽しんだのだから、ちょっとくらい、秋の楽しさをお裾分けしないとなぁ。

帰宅して夕食の準備など。本日のメニューは豚のスペアリブ・白葱・牛蒡の煮込み、イカと胡瓜の酢味噌和え、大根葉と卵・茗荷の炒め物、ちんげん菜のスープとサツマイモご飯。かなり美味しく出来たので夫に「帰りに日本酒を買ってきてね」とメールした。

鬼の居ぬ間に…ではないけれど、1人で遊びに行ったおかげで随分とリフレッシュ出来た。今夜はゆっくり日本酒を飲みましょうかね……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月28日(木) ジタジタ

私の帰りが遅い日に限って夫の帰りが早いのは、いったいどういう巡り合わせなのだろう。

今日は帰宅してから、夫が帰ってくるまでの時間が短かったので、早回しで用事をこなした。夕食の準備をあらかた終えて、ジタジタと洗濯物を取り込んでいたらば夫帰宅。「そんなに慌てなくても、時間はたっぷりあるんだから」と諭されるの巻。夫に気を使っているつもりは無いのだけれど、なんだろうなぁ。「草臥れて帰ってきたところにご飯が待ってる」ってシュチュエーションは私にとって大切なコダワリのようだ。

長らく一緒に暮らしていた乙女な母は専業主婦生活しか知らないせいか、外で働く人の気持ちの分からない人で「どうして気遣いが出来ないかなぁ」と歯痒い思いをしていたので、自分が同じ立場になったら働く人には出来るだけの事をしたいなぁ……と思うのである。それは夫でもそうだし、我が家を訪ねてくれる友人知人、すべてに当てはまることだ。

賃金労働って、やり甲斐とか楽しいこともあるけれど、やっぱり草臥れるし、しんどい事が多いように思う。

そうこう言いつつも明日も仕事。こうの史代の『さんさん録』でも読んで寝よう。こうの史代の漫画に夫婦揃ってハマっている。特に『さんさん録』は良いと思う。愛すべき日常……って感じが素敵なのだ。さてさて明日もジタジタ頑張らないとね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月27日(水) 彼岸花咲く

今朝は線路脇に咲く彼岸花がやけに美しく感じられた。空の色の具合と、湿度なんかが関係しているのだろうか? それとも「なんとなく、そんな気がした」と言うような思い込みが原因だろうか? まぁ、なんにつけ目に映るものを美しいと思えるのは幸せなことだ。

ご機嫌で出勤したのだけれど、ちょいと気持ちが塞ぎ気味。自分がしでかしたミスでは無いのだけれど一緒に仕事をしているグループでトラブル発生。トラブルメーカーは毎度同じ人。毎度のように上司が頭を抱えているのを見るのが、しのびない。だからって、私が手伝える類の事では無いので、ちょっとだけ残業して早々に帰宅。

毎日、食事を作るのは苦にならない性質だけど、そんなこんなで今日はいまいち「頑張ってご飯を作ろう」って気持ちになれず。仕方が無いので丼ぶり物でも作って誤魔化そうかな……と思いつつスーパーへ寄ったら、マグロの切り落としが半額(150円)で売っていた。夫婦2人分の丼なら充分過ぎる量。鮮度がちょっぴり心配な感じだったので、軽く照り焼き風にしてマグロ丼を作ることに。あとはチンゲン菜とエノキの中華風スープ&おから。おからは、いささか面倒な料理であるけれども、手堅く美味しい一品ってことで。

思いつきで作ったマグロ丼は、とても美味しかった。美味しい物を食べると、自然と気持ちが回復するなぁ。明日も、また頑張ろう。

涼しくなって身体的には随分と楽になってきた。夏バテもやっと回復したし。ここらで、ひとつ精神的なところで楽になることを考えなくちゃなぁ……と、ふと思った。たとえば自然の多いところへ行くとか。絵画を見るとか。今週末の土曜日は夫は仕事とのことなので、1人で羽を伸ばしに行くのも良いかもなぁ……なんて事を思ったところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月26日(火) 計画性の無いパッション

「象に乗るまでは死ねないわ」と夫に言ったら爆笑されてしまった。

「インドかタイで象に乗る」という計画は、私の中の「死ぬまでにしておきたいこと」の中の1つで、しかも上位にランキングすることだったりする。夫には以前も「象に乗りたい」ということは話してあったはずなのだけど、夫はそこまで本気だと思っていなかったらしい。

まぁ……確かに私は思いついた事をすぐ口にする。たとえばTV番組(水曜どうでしょう)を観ていて「伊勢神宮に行って、帰りに本場の赤福を食べよう」と言ってみたり、向日葵畑が花盛りだと聞いたら「この週末は向日葵畑に行こう」と口走ったり。どうも夫に言わせると「影響されやすく、言いっぱなし」な印象があるようだ。実際ところ、なかなか実現出来ない事も多いけれど「思い立ったら吉日」で、こなしたタスクだってあるという事実を私の名誉のために付け加えておく。

「白蓮さんの思いつき…というか、やりたい事には計画性が無さ過ぎる」と夫は言った。さらに夫は私が口にする「計画性のない思いつき的なこと」を「計画性の無いパッション」と名付けた。

私が不服そうにしていたらば「そんなに行きたいなら『象に乗る』と書いて貼っておくといいよ。すぐに忘れるから」と言うので、とりあえず和紙製の葉書で筆ペンで『象の本場で象に乗る』と書いて冷蔵庫に貼ってみた。週末にでも、ちゃんと練習したのを書いて居間に貼るつもり。ちゃんとした短冊とか買ってこようかしら……と1人思案中。

そんなこんなで「計画性の無いパッション」に計画性をもたせようと思うのだけど、まずは「象さん積み立て」あたりから始めようかなぁ。とは言うものの、熱しやすい性格は死ぬまで治らないんじゃないかなぁ……と思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月24日(日) 足つぼ と おでん

今日はお昼間、夫と2人で買い物がてらウォーキングに出掛けた。帰宅後、互いに足のマッサージをしていたのだけど足の裏に激痛の走るポイントを発見。

「もしや、これがTVでよく見る足ツボマッサージってヤツ?」とてネットで検索してみたところ、私は胃と腸。夫は耳が弱点だと出た。実際、心あたりがあるポイント。それまではTVを観ていても足つぼマッサージを受けて悶絶するタレントは「やらせ」なのだと思っていたが、あれは本当だったんだと言うことを知った。素人が押してあれだけ痛いのだから、プロのマッサージ師さんが押したら、どんなに痛いだろう。なんて事のない発見だけど、訳もなく大満足してしまった。今まで、さほど気にもとめなかった「健康豆知識」がやたらと気になる今日この頃。30代だなぁ……と、しみじみ思う。

本日の夕食は今シーズン初の「おでん」にしてみた。

昨日、友人を見送った後で、スーパーに寄ったら「おでん特集」をやっていたので、乗っかってみた次第。関東ではメジャーだけど、関西では滅多に見ない「ちくわぶ」が売っていたので、ウキウキと購入。過去に1度だけ食べたことがあるけれど、私はけっこう好きな具材。関西でもメジャーになると良いのに。今夜はおでん鍋を突付きながら日本酒を飲もうと思っている。ちょっと勇み足だけど、おでんの季節到来。

「足つぼ」そして「おでん」何気に年齢が滲み出る話ばかりである。こういう、ちょっとした変化って面白。こうやって少しずつ年を重ねていくのだろうなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月23日(土) 夜通し語る

昨夜から今朝にかけて東京から来たFと夜通し語った。

Fとは何度となく夜を供に過ごしているのだけれど、最近はそこそこの時間になると寝てしまうことが多かったので「夜通し」と言うのは久しぶりだった。夫が夜勤だったので心置きなく話をする事が出来て良かったと思う。所帯を持つと、どうしても家族(現時点では夫だけだが)が中心の生活になってしまいがちだが、友人もまた大切な存在であることは言うまでもない。

日中は、帰宅した夫が寝ているのをいいことに居間で、やはり語りまくり、実家に出かけて犬と遊んだりした。長時間ベッタリ一緒にいても、しんどくならない相手……って貴重だと思う。

夕方、最寄駅までFを送って行った。普段からFとは電話で喋ることが多いので、いまさらどうこう……って感じはないのだけれど、いささか名残惜しかった。いくら親しく付き合っていても電話では話しが出来ないことって、案外多い。次はいつ会えるのか分からないけれど、そう遠くないうちに会いたいものだ。

夜は夫と地元の居酒屋へ出掛けた。夫と2人で外食(お昼を除く)なんて久しぶり。寝不足だったので、あまり飲むと寝てしまいそうで大好きな紫蘇焼酎をお湯割りで1杯。鶏のつくねが美味だった。たまには外で飲み食いするのも良いものだ。

そんなこんなで充実した週末を過ごさせてもらった。気の会う友人と
過ごす時間って、良いものだなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月22日(金) 夜のお掃除

今夜、東京のFが我が家にやってくる。もちろん、お泊り。ちょうど夫は夜勤週間。「親友水入らずで楽しくやってくれ」と言い残して夫は出勤して行った。

夫を送り出した後、普段なら片付け物をして1人ビール……って感じになるのだけれど「友人も遊びに来ることだし、週末は目一杯ダラダラしたいし」とて、土曜日にすると定めている「念入りなお掃除」を早回しで済ませてしまうことにした。

ハタキをかけて、室内箒で掃いて(遅い時間ではなかったけれど団欒の時間帯に掃除機をかけるのは無粋なので)、雑巾で床だの畳だの家具だのを拭いて。それにトイレ掃除。いつもより少しは手を抜いて仕上げたのだけど、それでも大掛かりな仕事になってしまった。土曜や日曜日の朝に掃除をするのは、それほど苦にはならいけれど、暗くなってから身体を動かすというのは、ちょっぴり侘しいような気がした。夕方まで働いて、その後に……ってところが、気持ちを萎えさせるのかも知れない。

掃除をしながら「夫婦ともに働いている家族は、どうやって家を綺麗に保ってるのだろう」と不思議に思った。夫婦のどちらかが「専業」で家事が出来れば家の中のことを、丁寧にこなす時間もあるだろうけど、2人とも外に出て働いていたら、なかなかそうもいかないように思う。実際、我が家だって、ひと昔前のホームドラマに出てくるお姑さんの視線で見たらばヒステリー物だと思う。

そんなこんなを考えながら、四角い部屋を丸く、そしてザルっぽく掃除。雑な仕上がりだけど、それでもかなり満足した。あとはFが来るのを待つばかり。綺麗になった畳みの上でゴロゴロしながら、ぐたぐだと話をするのが楽しみでならない。

さてさて。そろそろFがやってくるはず。PC遊びはこの辺にして、お風呂を追い炊きしましょうかね……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月21日(木) てくてく

今日は劇的に仕事が早く終わったので、自宅最寄駅のひとつ手前で降りて歩いてみた。

ひとつ手前の駅から自宅までは早足で30分。お散歩がてら歩くのには丁度良い感じ。今の職種になって腰痛デビューしてからは、意識的に歩くようにはしているのだけど、私にとって歩くことは「腰痛対策」と言うよりも、むしろ楽しみの1つになっている。

少しずつ夕闇が濃くなっていく川沿いの道を歩いていると、他所のお家から晩御飯の匂いが漂ってきて、なんだか泣きたいような気持ちになってきてしまった。夕暮れ時というのは子供の頃の記憶を掻き立てられる時間帯らしい。周囲が暗くなってきて「早く家に帰らなきゃ、お母さんに叱られる」という感じは34歳になった今でも、いまだ身体に染み付いているらしい。

子供時代に親からドッサリ愛された記憶は宝物だと思う。無条件に誰かから愛されるのは子供時代の特権。大人になれば「愛し・愛され」が基本。一方的に愛されているように見える人でさえ、よくよく紐解いてみれば何某かのものを相手に与えているものだ。もっとも、それは甘い感情だけでなかったりする事も多いのだけど。

ひとたび大人になってしまえば、あの時享受した無条件の愛情を味わうことは無いのだなぁ……と思うと少し寂しいけれど、そんな時代を過ごさせてもらったって事に感謝しなくちゃいけないのだろう。思えば、好き勝手して死んだ父のことも、乙女な母のことも、本気で嫌いになれないのは、その辺に起因するのかも知れない。愛情という名の感情は、年を重ねるごとに複雑化していくような気がする。

……なんて事を、つらつら考えながら30分歩いて帰宅した。お散歩は考え事をするには持って来いだ。涼しくなってきたことだし、もう少し歩く時間を増やしていきたいなぁ……って事でも今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月20日(水) 贈り物。

ネットで友人のお誕生日プレゼントを探していて、ふと思った。「私はいつから、こういう類の労力を手控える人間になっちゃったのかな……」と。

私自身は「お誕生日」とか記念日に、あまり思い入れが無い。だけど、それらが生きて行く上で外しちゃならないテーマであることは理解している。なので「うっかり、忘れてしまわないように」と、大切な人のお誕生日は全てスケジュール管理している。わざわざカードやメールを送ったり、プレゼントを贈る人ってのは私にとって「VIP」な人達。だからこそ、せめてそんな時くらい、一生懸命その人のことだけを考えないとなぁ……と思うのだけど、ここ数年は街へ出て自分の足で歩くよりも、ネットで品物を選ぶことの方が多くなっている。

プレゼントを選ぶのが楽しい…ってタイプの人もいるとは思うが、私にとっては苦手な作業で「いっそ、当日花束かケーキでも持って『お誕生日おめでとう』と押しかけたいなぁ…」などと馬鹿なことを思ってしまう。だいたいからして「物」に対して思い入れが低いで「物」を選ぶのが滅法苦手だ。

私の周りには秋に生まれた人が多いので、毎年この季節は、かなり悩ましい。来月生まれのVIPで、まだ何も考えていない人が2人もいるのだけど、困ったなぁ……てな感じ。じつに悩ましい。

お洒落にサラリとプレゼントを渡せるような女になりたいと思うのだけど、こればかりは一朝一夕ではいかないよねぇ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月19日(火) 考える秋

もうすぐ今の職場で働き始めて3年目に突入する。「役立たずだったら返品される可能性大」と聞かされて、ドキドキしながら働き始めた日のことも、今となっては笑い話だ。結婚を機にスッパリ辞めようと思っていたのに「残業しなくて良いから」という好条件で続けさせてもらえたのはラッキーとしか言いようがない。

今の職場は人にも仕事にもすっかり慣れて、とても居心地が良い。なんだかんだ言っても毎日楽しいし、結婚後は最初の約束通り、余程ピンチの時でなければ残業だってしていない。

もともと家事全般が苦にならない体質だからか結婚後も「生活に慣れなくて大変」なんてこともなく、日々楽々と暮らしている訳だけど、そろそろ身の振り方を考えなくちゃいけないかなぁ……なんて事を思っている。

仕事に慣れて来たのは良いのだけれど「自らの技術を上げていこう」という意識が私の中で低下しているように思う。プロとしてお金を貰っている以上は、これじゃあイケない。今の職場で働き続けるにしても。長いスパンで次のことを考えるにしても、そろそろ自分を磨く時期が来たかなぁ……と思ったりしている。思いおこせば、過去にスキルアップの為の学校に通い始めたのも、たいていは秋頃だったような気がする。

これは仕事云々だけの問題ではなくて、もうちょっと「意欲的に生きる」って事を思い出さなきゃ……って話。家庭人としての仕事を放り出して何かに熱中したいと言うのではなくて、漫然と過ごす時間を減らしていきたいと思うのだ。いま、遠くに住む友人が「自分では苦手なことなんだけど、将来のことを思って、とりあえず頑張ってる」という状況にあるのだけれど、私も自分自身の事を考えれば、自由に動ける時にやるべき事や、やりたい事をしておかなくちゃ……って気持ちになってきたのだ。

まぁ、そうは言うものの「ぬるま湯」の心地良さから抜け出すのは至難の業。しかしながら、今までだってそうやって抜け出してきたのだから、今度も上手くやれるだろう。まずは「どう動くか」という方向性を自分の中で定めていかなくちゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月18日(月) 栗おこわ

スーパーに行ったら栗が売っていた。時期的には、もうちょっと待った方が安いんだろうなぁ……と思ったのだけど小人さんが「明日は栗おこわにしちゃいなよ。そうしなって」と囁くので、うっかり購入してましった。

勢いまかせで栗を買ったは良いものの、ストレートな栗おこわを作るにしては、ちょっぴり量が少なめだった。なので小豆を混ぜて「小豆・栗おこわ」を作ることに。要するにお赤飯に栗が入った豪華版ってことだ。

夕食後、小豆を炊いたり、もち米を水につけたり。ネットで検索したら栗は皮を剥いた後、砂糖をまぶして一晩冷凍するとホクホクと炊き上がるらしい。「そりゃぁ凄いや」とて、さっそく試してみることに。明日の晩は小豆・栗おこわ。ちょっと贅沢な感じが嬉しいぢゃないか。

子供の頃、乙女な母はお赤飯やおこわを炊く人ではなかったのだけど、近所にお料理の好きなオバチャンがいて、お赤飯やおこわ、チラシ寿司を作ると必ず「お裾分けよ」と言って持ってきてくれた。彼女は「少し作るのも沢山作るのも一緒だから!」と笑っていた。彼女の作るお米料理はとても美味しくて、楽しみではあったのだけど、心のどこかで「そんなに沢山作るとなると手間も材料代も大変だろうになぁ…」と疑問に思っていた。

所帯を持った今なら彼女の気持ちが良く分かる。

お裾分け魔の人は「少し作るのも沢山作るのも手間は一緒よ」とか「ついつい沢山作りすぎちゃうの」と言うけれど、あれは詭弁だと思う。料理上手な女なら「適量」というのは計算出来るはずなのだ。そして大量に作るとなると、材料を切る等の物量的な手間が増えるので「手間は一緒」なんて事はありえない。だが……しかし、彼女達は沢山作らずにはいられないのだ。

すごく手間の掛かる料理を作る時は家族以外の人間にも誉めて欲しいものなのだ。お赤飯やおこわを炊くのも炊飯器を使えば簡単に出来るとは言う物の、仕込みの手間はオムライスやカレーライスの比ではない。大量に作り、そして配り「この間は美味しかったわ。ありがとう」と言ってもらってこそ快感が得られるというものだ。

そんな訳で私も、そういう類の物を作る時は必ず実家の分も作る。仲良しの婆さまが生きていた頃は婆様の分も作っていた。今だって、近くに親戚や友人が住んでいたら、もっと沢山作って配りまくっていると思う。配らずにはいられない……これは、もう不治の病だ。

私も知らず知らずのうちにオバチャンへの階段を駆け上がっているのだなぁ。あと10年もしたら貫禄のあるオバチャンに仕上がっているかと思うと楽しみでならない。自転車の前カゴにお裾分け用の「ご飯もの」を積み込んで爆走している小さなオバチャンがいたら、それは私です……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月17日(日) 奈良盆地を歩く

今日は義母とランチに出掛ける予定だったのに、義母に急用が出来てしまって休日難民となってしまった。大阪は台風が来る…というのに、朝から素晴らしいお天気。朝食後、2人で家の掃除などしてみるがイマイチ盛下がりムード。このまま、家でじっとしていても面白いことは無いだろうなぁ……ってことで、急遽お弁当を作って奈良に出掛けることにした。

ご飯を炊いて、ありあわせの物でオカズを作ってお弁当を作り、ペットボトルにお茶を詰めていざ出陣。谷崎が愛した大和路線にゆられてJR奈良駅へ。「ふん・ふん・ふ〜ん黒豆や〜♪」と鼻歌を口ずさみつつ、猿沢の池の亀見て飛び火野へ。浮き御堂の近くでお弁当を開いた。急場凌ぎで作ったわりに上出来で「やっぱり外で食べるお弁当は美味しいねぇ」とて、すっかりご機嫌。

食事の後は志賀直哉の旧邸へ。何度となく訪れている場所だけど、何度訪ねても飽きない家だ。静かな書斎。日当たりの良いサロン。そこに住んでいた家族の風景が染み付いているような雰囲気がある。「こういう家で暮らしたいねぇ」と妄想したりするのも楽しい。サロンには、訪問者ノートがあって、訪れた人が感想を書いていたのだけれど、夫と2人でついつい読み耽ってしまった。こういうのって淫靡な楽しさがあると思う。

志賀直哉の旧邸から、ささやきの小道を抜けて春日大社へ。奈良公園、興福寺をぶらぶらして奈良駅へ戻った。途中、三条通の商店街で食べた蜂蜜のソフトクリームが絶品。お天気が心配だったので早めに撤収して大阪へ。思いつきで出掛けたわりに、なかなか楽しい休日になった。

夜は簡単に鶏団子の味噌鍋をする予定。たくさん歩いたので夕食は美味しいだろうなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月16日(土) 秋のお散歩

3連休初日。モスバーガーの『フィッシュマリネバーガー』を食べたくてたまらず、夫と連れ立って遠くのモスバーガーへ散歩に出掛けた。

お散歩……と言っても、片道5O分。お散歩と言うにはハードな行程。私も夫もデスクワークがメインなので日頃の運動不足を補おう…ってのが目的。夏のあいだは遠出する気にもならなかったのだけど、台風が影響しているのか、今日はとても歩きやすかった。途中、馴染の馴染のゲーム屋さんで任天堂DSライトを購入。地元の玩具屋数店にへ電話しても「品切れ中です。入荷日は未定。予約は受け付けません」状態で、ネットでも価格が高騰していたので、半ば諦めていたのに灯台下暗し。「幸せの青い鳥は、すぐそこにいたんだ♪」てな感じで吃驚した。

てくてく歩いて「わざわざ」食べに出掛けフイッシュマリネバーガーはかなり好みの味だった。和風ティストな甘酢ダレがかなり良い。そして柔らかい白パンと、野菜のコンビネーションも素敵。奇抜な味ではないのだけれど「美味しい」と思わせるのがモスバーガーの底力。最近は凝り過ぎと言うか、足し算の料理が多いのだけど、そのギリギリを走る逸品だと思った。帰り道にお豆腐だの、野菜だのと言った食料品を購入。良い買い物が出来た。梨が1個50円って安いと思う。

帰宅後は、夫→消耗品を買い物。私→図書館。図書館では、あべ弘士(『あらしのよるに』などの画を描いた人)の絵本原画展が開催されていて、ちらりと寄り道。力強い動物の画を堪能。「この人って、動物好きなんだなぁ…」とは思っていたけれど、動物園の飼育員さんだったとは露知らず。偶然とは言うもののラッキーだった。

明日はお義母さんとランチの予定。なんだかんだと楽しみだったりする。お義母さんは天真爛漫な人で、個人的に好きなタイプ。私とは方向性が違うのだけど似た匂いを感じると言うか。明日も良い1日を過ごせると良いなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月13日(水) 弱者の気持ち

今朝、新聞の折込に鬱病の新薬治験者募集のチラシが入っていた。そのチラシには「鬱病チェックシート」があって、それを読ん夫は「俺、鬱病かも」と笑顔で言った。私の祖母は鬱病が原因で自殺しているので、夫の言葉は冗談と分かっていても気分の悪いものだった。たぶん恋人初期の頃にに出た言葉だったら即座に「別れましょう」と言っていたと思う。

出勤前に喧嘩して送り出すのは嫌だったので「祖母が鬱病だったから思うけど、あなたは鬱病じゃないと思う」と言うに留めた。たぶん、夫はそれで理解してくれたと思うけれど、不愉快な出来事であった。

夫は生まれてこのかた、たいした病気をしたことがなく、お父様を亡なるまでは豊かに育ち、学歴もそこそこ高い。もちろん彼なりにコンプレックスはあるのだけれど、恵まれた環境が当然と思っているせいか、弱者に対しての思いやりが欠ける部分があるようだ。

基本的には優しい人だし、私や私の周りの人を大切にしてくれるのだけれど、ふとした時、他人に対して侮蔑的な言葉を口にすることがある。また、膝が悪くて少し足が不自由な義母と歩くときに義母のペースに合わせてあげない…等、身体的な弱者にたいして気配り出来ないのも気になるところだ。

私には充分過ぎるほど優しい夫だけれど、唯一不満があるとすれば弱者の気持ちが全く分かっていない…ってとこだ。外づらが良くて、家では暴君では困るのだけど、人間として尊敬できる人であって欲しいと思うのは贅沢過ぎる話なのだろうか。

もっとも夫とて相手が私だからこそ気を許して、ついうっかり弱者への侮蔑的な言葉を吐いてしまう…ってのは承知している。誰彼かまわず言っているとは思わないけれど、そういう部分は知らず知らずのうちにポロリとこぼしてしまうものだ。いつか、タイミングをみて、そのことについて話してみたいと思う。

完璧な人間などいないのだし、流石に私も夫のひと言で切れたりはしない。私にだって欠点はあるのだし出来ることなら2人で良い方向に変わっていけたらなぁ……と思ったところで今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月12日(火) 針仕事

雑巾ってのは、すぐに草臥れてくるんだ…ってことを結婚して初めて知った。実家には「板の間」が少なかったので、雑巾が磨耗していくのを実感することは無かったのだけど、いまの家は台所や寝室が板張りで、階段もあったりするので、雑巾の稼動率が高いのだ。

私は寒さとマラソンと計算が苦手だと自覚しているけれど、針仕事も相当苦手だったりする。苦手というよりも、むしろ針仕事が憎い。ボタンつけと、繕い物と、雑巾を縫う以外に、針と糸は見たくない……と思うほどに不器用なのだ。

昨夜はゲームに興じる夫の横で雑巾を縫いながら「現代人に生まれて良かった」という話をした。もしも私が江戸時代の農家に生まれていたら「使えないヤツ」というレッテルを貼られているだろう。針仕事が苦手…ってことは、機織りだって苦手だろうし。江戸時代でなくとも職業を選ぶ自由が浸透していない時代だってら、適性でない仕事だろうが何だろうが、生きて行くためには「しなければならない」のだ。したくない事はしなくて良い世の中って素晴らしい! ちなみに私はボタンつけと、繕い物と、雑巾を縫う以外の高度な針仕事は全て外注すると決めている。

三浦綾子の『続・泥流地帯』という大好きな小説に、ヒロインが主人公の引っ越し祝いに「何も出来ないから…」古布で雑巾を縫うエピソードがあるのだけれど「我が家に遊びに来ていただく際は、手土産にケーキはいらないから雑巾の4〜5枚でも縫っていただけないだろうか?」と友人に通達出来たらどんなに良いだろう……なんて事を思った。

昨夜は1枚、雑巾を縫った。今夜も1枚縫うことをノルマにしている。

雑巾なんて100均で買えば良いのだろうけれど、それも勿体無いしなぁ。悩ましい限りである。縫い物の無い世界へ行きたい……なんて事を思いつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月11日(月) 幼馴染の吃驚発言

2日前に自分で書いた日記を読み返してみて「偽善的だなぁ」と嫌になってしまった。実のところテーマは「偽善」ではなくて「自分に言い聞かせる」だったのだけど。

本当は幼馴染に会った時のことをギュギュッっと濃縮還元ジュースのように、くどくどと書き連ねかかったのだけど、あまりにも見苦しくなりそうで手加減したのがマズかった。が、少し時間が空いたので、そろそろ冷静に書けそうな気がする。

彼女のことを「友人」ではなく「幼馴染」とあえて書くのは1年に1度程度しか会わないし、さほど突っ込んだ間柄では無いと思ってのこと。小学校の時は、よく遊んだものだけど高校、大学、社会人といった人間が大きく成長する時期の彼女のことはよく知らなかったりするのだ。

土曜日は幼馴染と会って、正直なところツマラナイ時間を過ごしたのだけど、最後の方で吃驚するような発言に出くわした。幼馴染は積極的に恋人を作る気もなければ、結婚する気もないらしいのだけど、保育士のアルバイトをしているせいか「子供」に対して執着が強い。「子供はどうするの?」と問うた彼女に対して「授かり物だから、なんともねぇ。最近は不妊のカップルも多いし、絶対に…とは思っていないよ」と答えたのだけど、それに対する返答が「だったら、向井亜紀みたいにすればいいやん!」ときたもんだ。気分を害するとか、怒るとか以前に「鳩が豆鉄砲」状態になるほど吃驚してしまった。

こういう言葉をサラリと言い放ってしまえる幼馴染って、いったい……私の頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされてしまった。ひとまず無難に「そういう方法を否定はしないけれど、私達夫婦は子供を産むために一緒になった訳ではないて、子供は授かり物だと思ってる。子供が授かるのは夫婦にとって嬉しいことだけど、もし無理だったら、それはそれで夫婦で仲良く暮らしていこう…って夫とも話しをしてるから」と言ったのだけど、なんだかなぁ…って感じだった。

「子供云々」って話は、ただでさえナイーブな問題だけど、子供を望んで努力しているのに授からない人から、そういう言葉を聞いたとしても、吃驚しなかったとは思うのだけど、幼馴染の口から聞かされた…ってところに驚いたと言うか、なんと言うか。

まぁ、色々と思うことはあったのだけど、とりあえず彼女とはこれからも「幼馴染」として、1年に1回程度、お茶だけして無難に別れるくらいの関係で良いかな……と思ってしまった。世の中は色々な人がいて、人それぞれに考え方があるので、違う考え方を否定したくはないけれど苦手に思ったりするのも事実なのである。

そんなこんなで今さらながらに、幼馴染の吃驚発言について書いてみたところでも今日のなッ気はこれにてオシマイ。


2006年09月10日(日) 餃子ファイト!

今日の夕食は餃子だった。

独身時代、実家では「餃子を作る」という文化が無かったので、結婚してはじめて餃子を作った。ちなみな本日は通算4度目の餃子ファイト。最初は「見た目は完璧だけど味はイマイチ」の餃子しか作れなかったのだが、4度目にして初めて納得のいく味が出るようになった。感無量である。

参考にしたのは某掲示板のレシピ板。有効だった手段は『野菜は挽肉の2倍(中国の留学生レシピ)』と『中華スープをゼラチンで固めた物を刻んで入れる』と『パリパリタイプの餃子にするなら具は少なめ』の3点だった。我が家の新定番メニューがここに誕生。これからは餃子の皮を手作りする……という段階へ突入したい所存。餃子ファイト…さらなる高みへ。

お昼間は「夫→ゲーム」「私→ネット遊び&夫のゲーム鑑賞」と、いたくインドアな時間を過ごした。ここ何度かの週末は、もっぱら自宅で過ごしている。夏の疲れが出ていたのか、遊びに出掛ける元気が無かったのだ。まぁ、これも少しずつ回復していくだろうと思う。

明日から、また新しい1週間。そろそろ意欲的にあれこれと動きたいなぁ…と思っている。今のところ、あくまでも「希望」に過ぎないけれど。地味ながら平穏に過ぎて行く日々に感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月09日(土) 他属性

今日は幼馴染と1年ぶりに会った。

率直な感想を言うと、これっぽっちも楽しいとは思えない時間を過ごした。幼馴染は心優しい女性で、これからもずっと友人付き合いを続けていきたいとは思うのだけど、私とは生きる道があまりにも違い過ぎる。今日、1年ぶりに会って話したこと(彼女は聞いたこと)といったら「今年初めて腰痛になって吃驚。腰痛って辛いね」って話と「ここ1年で観た映画」と「義姉の出産について」だった。腰痛と映画はともかくとして、友人の義姉の出産の話なんて聞かされてもなぁ……って感じだった。

幼馴染は定職を離れて6年。ニートとまでは言わないけれど、実家暮らしでアルバイトなどして日々を過ごしている。幼馴染は仕事に生きるでも、趣味に生きるでも、恋に生きるでもなく、何か1つのことにに打ち込めないほど背負うべき重荷があるでもない。だからって今の生活に満足している訳でもない彼女は、私の目には「無気力」としか映らない。「まった、しょうがないなぁ……」って感じ。

私にとって彼女は異星人くらい理解の出来ない存在である。だけど、自分には理解できないからって、どうこう言える筋合いではない。自分とは相容れない考え方だからって、片っ端から否定したくはないのだ。それは誰かのためでなくて、自分の世界を狭くしないために。決して同意は出来ないけれど「それは、それでアリかも」と最近、やっと思えるようになった。「また会おうね」と別れたのだけど、次に会うときは彼女が今よりも生き生きしてたら良いなぁ……とは思う。

幼馴染を見送った後、なんだか色々と考え込んでしまった。もっとも、あれこれ考えるよりも自分にとっては「目の前のこと」が大切なのだけど。幼馴染が今よりも楽しく暮らせるようになると良いのだけどなぁ…などと思いつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月08日(金) 初秋刀魚

今シーズン初めて秋刀魚を買った。

秋刀魚と言っても、今は1年中食べることが出来るのだけど「秋に食べる秋刀魚」は特別な気がする。佐藤春夫の『秋刀魚の歌』ではないけれど、暑い夏や、凍りそうな冬には似合わない、しみじみと秋らしい魚だなぁ……と思う。調理法は色々あるけれど、まずは塩焼きで。もちろん大根おろしを添えて。

明日は幼馴染が遊びに来てくれるのだけど、いささか気重だったりする。
彼女の事は友人だと思っているし、これからも付き合っていこうという意思はあるのだけれど、いまいち一緒にいて楽しくないと言うか。自分のエネルギーを吸い取られるような気がすると言うか。吃驚するほど無気力な人で、以前は会うたびに、もどかしく思っていたものだ。最近は自分と違う生き方もアリだなぁ…と思えるようになったので、イライラすることは無いのだけれど、ちょっと疲れる。

もちろん、だからって嫌いじゃないから友人でいられる訳で彼女の思いやりの深さは見習うべきところがある。あえて何かにたとえるなら『若草物語』のベスを健康にした感じだろうか。久しぶりに会うことだし、楽しく過ごせるといいなぁ……と思う。

今週は、いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』を読んだせいか、いしいしんじの事ばかり考えていた。彼の書く「誰かと繋がっている感じ」とか「誰かを想っている感じ」が好きでたまらない。大人になると綺麗事ばかりは、言っていられないのだけど、そういう部分はどうしても捨てきれないものだから。

さてと。そろそろ夕食の仕上げをしなくては。明日も良い日だといいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月06日(水) いっそくとびに…

まとまった雨のせいで、いっそくとびに涼しくなった。

ここのところお風呂はシャワーで済ませてしまうことが多かったのだけど、帰宅するなり湯船にお湯を張った。雨と冷房で、すっかり身体が冷えてしまったので、夕食の準備をするより先に湯船に浸って身体を温める。これから、どんどん寒くなっていくのかと思うと、寒がりの私はちょっぴり憂鬱。

皇室に男の子が生まれた……とのことで、世間は大騒ぎなのだろうなぁ。帰宅してテレビを付けていないので、騒ぎのほどはイマイチ知らないのだけどネットのニュースでちらりと読んだ。赤ん坊が生まれたという事に対しては、素直に「おめでたいなぁ」と思うのだけど、この世に生れ落ちた瞬間から人生の方向を決められた子供なのだと思うと、ちょっぴり余計なことが頭をよぎった。

私は子育ての経験も、出産の経験も無いので、子供について云々を言えるような立場ではないのだけれど「もし、自分の子供がいたら…」と想像してみると、自分の子供はさほど立派でなくてもいいから、自分の好きなように生きて、ヤンチャしたり、親に反抗したりしながら、それなりの大人になってくれて「生きてるのが楽しい」って思える大人になってくれたらいいなぁ……と思う。そして、その原点は「自分の好きなように生きて…」ってところから出発しているのだと思う。

皇室に生まれたからには、それ相応に育てられるので、一般人が思うほどに辛いものでは無いのかも知れないけれど、1人の人間が生まれた瞬間から人生の選択肢の多くを制限されている……ってのは、気の毒に思えてならない。もっとも、一般人だって、そうそう「自由」に生きられるような状況の人ばかりではないので、気の毒がるのは筋違いなのかも知れないけれど。

しばらく巷のニュースが皇室一色になるのだろう。どんな風に報道されるのかを見るのは、ちょっと楽しみだ。それにつけても窓を閉めていても家の中が涼しくて驚かされる。明日は着る物を考えなくちゃなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月05日(火) 空回り

今日は駅の駐輪場に自転車を置き去りにして帰ってきてしっまった。

今朝はいつも通りの時間に起きたのに、どうしたものだか朝食やら出勤準備やらにモタモタしてしまったので最寄駅まで自転車で出掛けたのだ。なので帰りも自転車に乗らなければいけないのに自転車を置き去りにして歩いて帰ってきてしまった。昨日から、ずっと空回りばかりしている。

月曜日は乙女な母が総合病院で検査をしてもらう…とのことだったので、帰宅してすぐに電話をかけたのだが、どうやら心配するほどの事ではなかったらしい。乙女な母は悪びれる様子もなく「心配かけて悪かったわねぇ」と、しれっとしていた。思えば、独身時代にも同じようなシュチュエーションで振り回された記憶が。酷く脱力したけれど、何事もなくて良かった。「週末にあれこれ動いたり、愚弟に軽く釘を刺したりといった私の労力を返してくれ!」などとケチ臭い事など言いますまい。無事で何より。

季節の変わり目で体調がパッとしないせいか、昨日から今日にかけて生活面での小さな失敗がやたらと多い。仕事にまで侵蝕していないのは不幸中の幸い。自分では気付かなかったけれど、けっこう草臥れていたのか昨夜は湿疹に悩まされた。一晩でおさまってくれたのは、これまた不幸中の幸い。

昨日は日記を書く余力が無くて書けなかったのだけど嬉しい報せもあったのだ。友人が絵画展で入賞したとのこと。昨年も入賞だったので、嬉しい反面ちっょとガッカリしているらしいけれど、実は私も「もしかしたら、今年は…」なんて思っていたので、遠く大阪の空の下でちょっとガッカリした。

人間はどうして「もっと・もっと」と思ってしまうのだろう。たとえば……。恋をしていない時は「誰かを好きになれたらいいなぁ。好きな人がいるだけでどんなに素敵だろう」と思うのに、好きな人が出来たら「ちょっとでも親しくなりたい」と思う。親しくなったらなったで「自分の想いが通じたらいいなぁ」と願い、想いが通じたとしても「もっと・もっと」と思ってしまって、その気持ちは留まることを知らない。

「もっと・もっと」と思うのが人間らしいとも言えるし、「いまの幸せに感謝して生きる」のも大切だとも言える。感謝しなくちゃいけないと頭で理解していても、なかなかそうはいかないところが人間臭さなのかも知れない。

空回りしている時は何をやっても上手くいかないと相場が決まっているので、自転車は駅の駐輪場に置き去りしたままで、明日引取ることにした。今日は夫の帰りが遅そうなので、食事の前に入浴をすませて、ゆっくり過ごさせてもらうことにする。夕食の時に発泡酒でも飲んで、ぐっすり寝るとしようかな……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月03日(日) ゆるゆるな日曜日。

夫と過ごす日曜日。取り立ててイベントはなく。

敢えて、何某かを挙げるとするなら地元百貨店の無印良品で枕カバーを買ったくらい。白い枕カバーって、洗濯していてもすぐに駄目になるのだなぁ。結婚半年ちょいで、取り替えることに。ミドリ電化でプリンター、モロゾフでプリン(実家用&我が家用)を買って帰宅。

午後、夫は『ワンダと巨像』など。私は夫のプレイを観たり、PC遊びをしたり、本を読んだり。夫婦して「頑張らない休日」を実践する。私達夫婦は、なんだかんだ言っても、子供がいないので気ままに過ごしているけれど、子供が授かったら、そうも言っていられないのだろうなぁ……などと、漠然と思ったりした。

夕食は鉄板焼き。鶏つくね3種(黒胡麻・チーズ・青紫蘇)と、季節の野菜にお豆腐、コンニャク。〆にガーリックライスなど。たいした事のない1日でも、夕食が美味しく戴けたら「良い1日だった」と思えるから不思議だねぇ」と夫と話をした。鶏つくねは、とても美味しかったので定番メニューにしたいと思う。おもてなしメニューにしても良いなぁ。

お昼間、愚弟がオヤツを持って来てくれた。仕事が大変そうだけど、頑張っているみたい。つつがなく働いてくれることを望まずにはいられない。仕事をするのは生きるため。だけど、ほんの少しでも好きなことを仕事にしていけるのは幸せなこと。そう思って働いてくれると嬉しいのだけど。

明日から、また新しい1週間。とんでもなくバタバタしそうで、いささか憂鬱なのだけど、鋭気を養ったことだし、張り切って参りませうて……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月02日(土) ほどほどの土曜日

待ちに待った週末。ほどほどに家事をこなす。

昨日の疲れが取れていない感じなので全力で頑張らないことにした。夜勤明けの夫は「いっそ、一緒に寝ようか。楽になろうよ…」と魅力的な言葉で私をそそのかそうと企むが、ここは初心貫徹。寝室に夫を置き去りにして、あれこれ働く。掃除は「四角い部屋を丸く掃除する」ような感じで。買出しも遠征はやめて近くで済ました。どれも、これも「しないよりマシ」という低レベルな仕事っぷり。本当はダラダラ・ゴロンゴロンとしていたかったのだけど、どこかで居住まいを正していかないと、気持ちよく過ごせないもの。

ご飯だけは、ちゃんと作ることに。ウナギを使った贅沢なチラシ寿司とジュンサイ&筍(水煮)のお吸い物。それに茄子の生姜醤油とコンニャクのお刺身。

チラシ寿司の具を煮る匂いがたまらない。あの田舎臭い匂いをかぐと、懐かしさを感じるから不思議だ。実家にはチラシ寿司を作る習慣なんて無かったのに。「乾物を醤油とミリンで煮る」という調理法は、日本食らしさが凝縮されているのかも知れない。

チラシ寿司を実家に宅配。どうも乙女な母は体調が良くないらしい。明日は乙女な母の代理で実家の地域のドブ掃除に出ることになった。愚弟は日曜日も出勤とのこと。乙女な母は週明けに総合病院で検査してもらうことになっているらしい。ややこしい病気でなければ良いのだけど。まぁ、ややこしい病気だったとしても、選択肢は「とりあえず頑張る」しか無い訳だが。

ほどほどに、ちゃんと作った夕食は美味だった。食卓にお汁物を出すのを忘れてしまったのはご愛嬌。明日の朝かお昼のご飯に食べることに。明日は、ちゃんと起きて実家のドブ掃除に参加せねば……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


2006年09月01日(金) 大残業の夜に

今日は結婚して初めて、まとまった残業をした。

今までも、ちょっとした残業はあったけれど、フロアの人口密度が極端に下がるほど、遅くなった事は無かった。独身時代は毎日、今日みたい(正しくは今日以上)のペースで働いていたのだと思うと、少し懐かしいような気さえした。結婚してからは、残業もほとんどしないで、楽をさせてもらってきたので、独身時代のペースで仕事をする生活には戻れないと思っていたけど、案外あっさり感覚が戻ってきた。自分自身、ちょっとビックリ。

長時間集中していると変なテンションが上がってきて、かえって元気になったりする。だからこそ、オーバーワークでも働き続ける事が出来るのだろう。しんどいと言えば、そうなのだけど、妙な充実感があるから不思議だ。どんな事でも熱中してしまえば、それなりの楽しさや喜びってものがあるように思う。

だけど、やっぱり「仕事ばっかり」な生活には戻りたくないなぁ…と思う。家事が疎かになるとか、夫に申し訳ないとか、そういう意味ではなくて、私自身「ゆっくりした今の暮らし」が気に入っているのだと思う。丁寧に作ったご飯(インスタント出汁とかは多用しているけれど)を食べて、それなりに掃除した家でのんびり時間を過ごして。もっと、もっと生きることを楽しみたいと思うのだ。

今週は夏ばて気味で、いささか手抜き感の溢れるメニューが多かったので、明日はちゃんとした食事を作りたいと思う。ウナギ入りのチラシ寿司&副菜とお椀物の予定。掃除もしたいし、図書館へ本も借りに行かねば。とにかく、いい加減ベッドに入って、明日は楽しく過ごそう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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白蓮 |MAILHP