白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年06月30日(月) 愚弟と語る。

昨日は長時間、車で移動したおかげで愚弟と色々な話をした。
愚弟と私は男女の兄弟にしては、比較的仲の良い方だとは思うのだが
それでも毎日の生活で「語り合う」なんてことは滅多にないので
昨日は、色々な話を聞けて、とても良かった。

1つは愚弟の指の話。
愚弟は、この秋から義指を付けて生活することになる訳だが
「一応、作ってみるけど、無くてもいいかもしれない」とのこと。
医師、装具士の話を聞いて、愚弟も色々と思うところがあるらしい。
日本人の場合、片手を失っても、西洋人ほどのダメージがないのだそうな。
お箸の文化だから……ということもあるのだろうが
日本人は大抵のことを片手で出来るようになる器用さがあるらしく
その反対に西洋人は、驚くほど「片手での生活」に慣れるのが遅いらしい。
ゆえに日本人の場合、義手や、義指を使わない人も多いのだそうな。
今は「ものすごく高性能の義手」なんてのも開発されているようだが
ものすごく高性能であるがゆえに、ものすごく高い。
「必要としている人が意外と少ない」ので、コストが下がっていかないのだとか。
だから、どう…って言う話ではないのだが、妙に納得させられる話だった。

もう1つは父の話。
母を家に送った後、ふとしたことから父の話になり
「父の伴侶が母でなければ、父は、もう1度立ち直れたと思う」
「父が人として駄目になった原因は母にもあると思う」てなことを言った。
正直なところ、姉としては、ものすごく驚いた。
愚弟は父のことが好きでなかった……というより、むしろ嫌っていたので。

世間的には「父は最低の男」「乙女な母は出来た妻」として評価されている。
ほぼ、間違いのない評価だと思うが、別の側面だってある訳で……
私も乙女な母の功罪については、いささか思うところがあるのだが
「ま。そんなことで駄目になる人なんだもの。結局駄目になってただろうし」
……ってなくらいにしか思っていたのだけれど
愚弟は「父は立ち直れるだけの男だと信じていた」と言う。
今まで知らなかったけど、愚弟は、そんな目で父を見ていたんだなぁ。
父と息子の関係って、父と娘のそれとは、また違っているようだ。

ものすごく驚いた旨を愚弟に言うと
「そりゃ息子だしね。父はあれだけで終わる男ぢゃなかったはず」とのこと。
父を思う愚弟の気持ちを嬉しく思いつつ
「しかし、なんやね。現実は『あれだけの男』で終わっちゃったよな……」
……なんてツッコミはここだけの話。
あんなに反目しあっていたのになぁ。やっぱ親子ってところなのだろうか。
父が死んじゃったからこそ、抱ける感想なのかも知れないと思ったりした。

たまには愚弟と話をするのも悪くないよな
なんてことを思いつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月29日(日) 死人訪問。生者尊重。

今日は日記的日記。

日曜日だっちゅ〜のに6時起床。7時始動。
乙女な母が、京都の大谷本廟へ参りに行きたいと言うので
朝っぱらから家族3人で京都へドライブ。祖母の命日は来週だが、ま。いいか。
そんなに早起きする必要はないのだが
足の悪い乙女な母は遠出が辛いので、なるたけ最短時間での移動を考えてのこと。
1時間半ほどで京都に到着。流石は早起きした価値アリ。
大谷本廟は人もまばらで、とても静か。静寂は「お参り」って行事によく似合う。
納骨堂に手を合わせ、また来た道を大阪へ。

11時前に、叔父の店に到着。愚弟の手術結果&今後の予定を報告に。
電話では報告していたのだが、ここは区切りということで。
叔父からの祝福を戴き、早々に退散。商売繁盛の様子、とても嬉しい。
その足で父の遺骨を納めている一心寺へ参拝。
父の遺骨は、まだ石仏になっていないので、骨のまま納骨されている模様。
辻仁成の『白仏』のイメージが濃厚になあるので
骨仏といえ白というイメージがあるのだが、現物は金ピカだったりする。
「現実って、そんなもんだよねー」とか思いつつ一心寺を後にした。

地元にできたサイゼリアで昼食。べら棒に安くて吃驚した。
12時半。帰宅。乙女な母を家に降ろす。愚弟と2人してクーラーを買いにニノミヤへ。
私。由緒正しき大阪人なので、とりあえず引き交渉。あっさり価格ダウン。
消費税、廃棄クーラーの見積もりを出した時点で「端数をオマケって無理ですか?」
なんて言ってみたらば、またもや、あっさり値引き、物の値段って分からない。
値引き交渉ってのは関西の風習だと聞いたことがあるけれど
他の地域では、もともとの値段が安いのか、それとも高く買っているのか??

地元スーパーで食料を仕入れて帰宅。3時也。
私はここでエネルギー切れ。1時間半ほど昼寝。
片付け物をしたり、食事の支度をしたり、入浴をしたり
……バタバタと夜の用事を済ませて現在に至る。

私自身は信仰心のカケラもないので宗教行事には興味がないのだが
それでも、そこそこ参加するのは「生きてる人が納得するため」に過ぎない。
死者のために参り、生者のためにクーラーを買った1日だったが
突き詰めていうと「生者が愉快に生きるための布石」なのかも知れない。
死人の思い出に浸っていられるほどの余裕が無い……ってのが現実だし。

ま。それにしても今日はよく働いた。
愚弟は夕食時に缶ビールを1本飲んで、そのまま寝てしまった。
乙女な母も「お参りにいかなくゃ」という胸のつかえがおりたせいかご機嫌である。
なんにせよ、機嫌良く時間を過ごしてくれるってのは、ありがたい。

私も今日は早めに雑事を切り上げて寝ようかなぁ。
…ってことで、今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月28日(土) 嶽本野ばらサイン会♪

今日は雨の中を嶽本野ばらのサイン会へ行ってきた。
サイン会レポートのつもりなので今日は長文失礼つかまつる。

行くべきか、止めるべきか、かなり迷っていたサイン会だが
いざ「行くぞ」と決めたとたん、朝からウキウキと気分だった。
公式HPで「サイン会で購入する本以外にもサインします」との話を聞いていたので
もう1冊だけサインをお願いしようかと既読本を手にとってみて迷う。
迷いに迷った挙句に『鱗姫』に決めた。
読書禄では散々っぱら文句を書いていたが野ばら作品では1番好きなのだ。
シンパシーは感じなかったが、作品として愛しているというか。

鞄に『鱗姫』を放りこんで、通勤電車で再読しつつ出勤。
どうしても仕上げてしまわなければいけないパース図を片付けて
12時半に会社を出発。1時にサイン会場到着。

私の住む関西は、嶽本野ばらの出身地ってこともあるせいか
彼にまつわる噂が、なにげに飛び込んでくることがある。
メジャーになるまでは意欲的にあちこちで活動されていたようだからなぁ。
言っちゃあなんだが、あまり良い話を聞かない人だったりするのだ。
↑あくまで噂レベルの話なので真偽のほどは確証ナシ。
なので今日のサイン会もギリギリまで参加を決めかめていたが決意して良かった。
芝居でも、音楽でもそうだが「生」にまさるものは無い。

予想通り会場はロリータちゃんで一杯だった。

すごいなぁ……みんな頑張ってるよなぁ。
三十路を迎えた私としては、ちょっとキツイものがあったのも本当だが
ロリータちゃんって嫌いぢゃないんだな。
人に迷惑をかけない限り、何かひとつ事に打ち込んでいる人って輝いて見える。
漫然と生きるよりも、ずっと良い。ロリータちゃんに限ったことではないのだが。
ロリータちゃんが多くて、異様な雰囲気が漂っていたものの
普通の服装をしたお姉さんも多く、若い男性の姿もチラホラと。

2時開始……ということで、1時半から行列に並んだのだが
実際にサイン会がはじまったのは2時半。
私の番がまわってきたのは3時半だった。
待ち時間に新刊の『デウスの棄て児』を読了する。
言葉どおりの「立ち読み」だった。
とても不思議だったのが、サイン会に参加する人は新刊を購入しているはずなのに
待ち時間に本を読んでいる人がほとんどいなかった……ってこと。
ファンは発売日に購入して、サイン会に買ったのはスペアなのだろうか??

嶽本氏は、黒地に桜の着物に袴姿で登場。
胸元にはシルバーのネックレス。指にはギッチギチにシルバーの指輪。
なんだか舞台役者さんのようだった。
実際に彼と対面してみて「逝っちゃってる人だ」という印象は変わらなかったものの
自分を演出するという徹底ぶりは、ナルシストというより頑固芸人の領域で
「ぶっちぎりで走っている人に弱い」私の目には、とても好ましく映った。
サインして、ご挨拶して、握手して、ツーショットで写真撮影して……
写真撮影のさいは、ちゃんとポーズを取る徹底ぶりの嶽本氏であった。
仕事とは言え、なかなか大変な作業だなぁ……と思った。
ちなみに私もデジカメでツーショット写真を撮ってもらった。
やはり参加するからには楽しまなくちゃ……ってことで。てへっ。

すっかり気を良くした私は嶽本氏に愛を込めて自分だけの呼び名をつけた。
その名は……のばやん。
乙女のカリスマと言うより、すっとこ芸人って感じだったのだ。
ファンの人いたらごめんね。でも敬意を込めて「のばやん」と呼びたいのだ。

のばやん、思ってたより良い人だったよ。だけどさぁ、のばやん。
乙女の肩を抱いて、頬よせてツーショット写真って、どうよ?
恋に恋しちゃう世代の乙女は、もうそれだけで夢中になっちゃうってば。
罪作りな人だなぁ……のばやんってさ。
のばやんを見る乙女達の眼差しはマジもんのソレだったよ。
ま。私は個人的にサービス精神旺盛な人って好きなんだけどね。
なんちゅ〜か。取り澄ましてるより好感が持てるっちゅ〜か。
↑以上、タメグチ失礼。

そんなこんなで初体験のサイン会は、とても楽しかった。
ロリータちゃんもたくさん見たし、のばやんは愉快だったし。
のばやん。今日はありがとう!!
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。

<追記>
帰宅して家族にサイン会の様子を語って聞かせたらば愚弟が言った。
「のばやん……って言うけど、近所の兄ちゃんぢゃないだろーに」
まったくもって反論の余地なしの私であった。


2003年06月27日(金) 行くことに決めたし。

このところ読書のペースが、めっきり落ちている。
落ちていると言うよりも、むしろ元に戻ったと言う方が正しいかもしれない。
1日1冊のペースで読み散らかしていたものなぁ……
思えば流行り病のようだった。読んでも読んでも「もっと」という観念にとらわれていて
「本を読んでいる」というより「本しか読んでいない」って感じだったもの。
その間、映画もあまり観れていないし、美術館なんかにも出掛けていないし
1つのことに熱中するのも悪くはないけれど、限度ってものがあるように思う。

本にかける、あの情熱は、どこから来て、どこへ行ってしまったのだろう……

本と言えば、嶽本野ばらのサイン会へ行こうか、どうしようか迷っていた件だが
「背中ポン」としてくれた人のおかげで「よし。行こう」と決断した。
ロリータちゃんが、いっぱいいるんだろうなぁ……ちょっと楽しみ。
私は明日、仕事へ行ってからその足で出掛けることになるので
あっさり素っ気な格好で参加することになると思う。
ま。仕事でなくたって、そうたいそうな服で出掛けるとも思えないのだけれど。
明日のサイン会で、デニム色のワンピースを着た143センチの三十路女がいたら
それは私です。もし見かけたら声を掛けてくださいまし。
……って、これを読んでくれている人でサイン会に参加して
しかも私と会いたいって人がいるとは到底思えないのだけれど。

そりゃそうと。
嶽本野ばらのファンでサイン会に行けない人がおられましたら
サイン本のお使いを承ります。
本に記入してほしい名前を書いてメールしてくださいませ。
明日、28日の午前7時まで受付いたします。
もっと早くに告知できたら良かったのですが、こうギリギリだとねえ……
やること、なすこと、すっとこどっこいで、かたじけない。

すっとこどっこいと言えば、今日も失敗をやらかしてしまった。

前職場の同僚から、社員さんの1人が結婚するので二次会のお誘いを受けたのだが
生憎と、その日は外せない予定があって断りのメールを書いた。
「お祝いだけはしたいから、会場の住所分かったら教えてね」とか
「今度、大阪で食事でも行きましょう」とか
タメ口メールを送信したらば……前職場のグループ全員に送信する設定になっていて
お世話になった課長だの、結婚する本人にもメールが行ってしまったのだ。
あぁぁぁ。穴があったら入りたい……
メールでの失敗は数あれど、このテのミスは初だ。しかも初歩的なミスだし。。
「お目出度い話ってのは、やっぱいいねぇ」とか書いちゃっていて
浮かれ馬鹿という感じだが、悪口だの、愚痴だのを書いていなかったのだけが救いだ。
どうしちゃったんだろう? 最近、馬鹿なことばかりしている。
……て・ゆ・か、もしかしたら根本的に馬鹿なのかも。ああぁぁ。

とりあえず明日はサイン会に行くぞ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月26日(木) 落ちた。

何年かぶりに階段から落ちてしまった。
会社の階段、けっこう急なのだ……て・ゆ・か注意力散漫だったのだろう。
「落ちた」というよりも、滑り台を滑り降りるように落下したので
たいした怪我もなく、打ち身と擦り傷で済んだのだけど。

ほんの一瞬の出来事だったけど、やけに長く感じたのは何だったのだろう?
私は麻薬使用経験がないのだけれど、麻薬を使用して「飛ぶ」という感覚は
あんな感じではなかろうかと思うほど、一瞬きりの快感を味わった。

思い起こせば私は子供の頃から「飛び降りる」という行為が好きな子供だった。
背が低かったことも関係しているのかも知れないが
まずもって「高いところに上る」のが好きだった。
ジャングルジムだろうが、登り棒だろうが、木だろうが
おおよそ登れそうなところには、まずまず登ったと思う。
運動は苦手だったのに登ることだけ出来たのは、情熱ゆえのことだったと思う。
そして登るよりも、飛び降りる方がずっと好きだった。
より高いところから飛び降りるために、毎日、飽くことなく精進していたのに
足の1本も折らずに大人になったのだからありがたい話だ。

「飛び降りる」と「飛ぶ」とではニュアンスは違ってくるけれど
飛び降りるという行為も「空を飛びたい」という欲求の現れ方だったかと思う。
今でも『鳥人間コンテスト』は大好きだし、飛行機に乗るのも好きだ。
足元のない心もとなさや、浮遊感がたまらなく良い。
今回、階段から落ちて麻薬にハマる人の気持ちが少しわかった。
私など1度やったら、こっちの世界に戻ってこられなくなるだろうなぁ。
恐らく、これから先の人生で麻薬を試みることはないだろうけれど。

階段から落ちてお亡くなりになる人って、けっこう多いみたいなので
暢気に語ってる場合ではないような気がする。
私の敬愛する声優、塩沢兼人氏も、酔っ払って階段から落ちて亡くなられたのだ。
彼の死を知った時は残念やら、悔しいやら、哀しいやらでショックだったが
今となっては彼の死因さえもが愛しい……
これから先の人生でアニメに興味がなくなることがあったとしても
彼のことは、ずっとずっと好きだと思う。

すっかり話が脱線してしまったけれど、気をつけるに越したことはない。
「飛ぶ感覚が良かった」なんて感じ入ってちゃイケナイよな。実際。
怪我がなかったことに感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月25日(水) 胃腸のために。

胃腸のために禁酒することにした。

「禁酒する」なんて書くと、よほど呑んだくれみたいなのだが
転職してからは飲み会もめっきり減ったし、毎日晩酌している訳ではないので
たぶん呑んだくれレベルでは可愛らしいと思うのだけど
こう暑い日が続く、戴き物のビールについ手が伸びることが多くなってしまうのだ
それも冷たくしたビールを、凍らせたグラスに注いでグビッとな。
こうなったら毎日晩酌したい……ってな勢いなのだが
最近、冷たいものを取り過ぎてちょっと胃腸が弱り気味だったりする。

お茶は飲むし、ビールは飲むし
毎日のようにアイス(ガツンとみかん)を食べているし
朝だって温かい飲み物でなくて、冷たい牛乳とか飲んでしまっているし。
そりゃぁ胃腸だって弱るさ。冷たい物の摂取を減らさなくては!

そして禁酒することにしたのだ。
どう考えても夏のお楽しみ「ガツンとみかん」はやめられないし。
朝もできるだけ温かいお茶を入れるように心がけることにした。
もちろん禁酒といってもドクターストップがかかったわけでもなく
何か願掛けしているわけでもないので
↑願掛けするなら「禁・ガツンとみかん」の方が効果がありそうだし。
友人と食事に出掛けたりした時は呑むけれど、とりあえずは禁酒の方向で。
ストイックに禁酒を続けられるかどうかは激しく疑問だが頑張ってみよう。

閑話休題。

S氏の退職騒動は、まだまだ終わりそうないようだ。
私とは直接関係がないのだが、取引先との間で支障が出てきているらしい。
筋の通らないことをすると、反動は必ずやってくるんだよなぁ……
ぽつぽつ小耳に挟む後日談によると、S氏が解雇された原因は
私自身も突っ込まれたら「普通にやってるし」ってなことだったりする。
私はPC至上主義者ではないが、あの会社は時代に逆行し過ぎだと思う。
なんだかんだの騒動を見聞きしていると、勤労意欲が萎えてしまっていけない。
S氏の事件に引きずられていないで自分自身を立て直さなくちゃ。

周囲に流されず、惑わされずにいるのって、ムツカシイなぁ……

明日は徳島へ引っ越してしまうマダムSとお別れ会。
もちろん呑む。「とりあえず生」とか言うだろう。
それを励みに、明日1日は頑張れるかもなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月24日(火) ちょっと迷ってること。

いま、ちょっと迷っていることがある。
生きていくにあたっての悩みとかぢゃなくて、ほんに馬鹿げた事なんだけど。
今週末にある『嶽本野ばら』のサイン会に行こうか、どうしようかな……って。

私。今までの人生でサイン会ってものに参加したことがないのだ。
一応、本好き人間を自称するからには小説家のサイン本の1冊でも欲しいかも
……などと前々から思っていたところに大阪でのサイン会情報を知ったのだ。
どうせなら激愛する作家さんのサインが欲しいところなのだが
私が身も心も捧げるようにして読み漁った作家さん方は涅槃の人である訳で。
……てことは「そこそこ好き」とか「マイブーム」の作家さんのサインでも
それはそれで価値があるかな……と思ったり。

もしも吉村昭のサイン会があれば、迷わず参加を決めているのだけれど
嶽本野ばらってところが微妙な感じ。
嫌いぢゃない……嫌いぢゃないけど、ものすごく濃いそうだからなぁ。
作家さんご本人もそうだけど、ディープなファンとか多そうだし。
もちろん怖いもの見たさとか、そういう心持ちがあるのも事実なんだけど。
そして何より、嶽本野ばらの新刊本は図書館で予約しているし
正直なところハードカバーで買ってまで読みたいというほどではないのだ。

ここ何年間かは、経済的なことと、収納場所のことを考えて
「ハードカバーの新刊は基本的に買わない」ってのを掟としてやってきたのだ。
もちろん衝動的に「うっかり」買ってしまったことが無い訳ぢゃないが
今ここで、掟を破ってまでサイン会に参加するべきかどうか……
どうでもいいような話なだけに、わりと真剣に迷ってしまっている。
本当に悩まなければならないようなことなら
案外さっさと結論を出せたりするのになぁ。
ウダウダできるってことは、それだけ、その問題に対して余裕があるってことだ。

閑話休題。

解雇だか、自己退職だかで、先週、会社を辞めたS氏は
けっきょく「会社都合による解雇」として処理されたらしい。
今回の騒動の主である会長は、自己退職として処理したかったらしいのだが
自己退職だったら、雇用保険もすぐには降りないし
今後の就職活動にも支障が来ないとも限らないのよなぁ……とか思ったりして
他人事ながらブルーになっていたので、ちょっとだけホッとした。
自己退職で押し切れなかったってことは、やはりS氏に非は無かったのでは?
もう済んでしまったことなので、考えたって仕方がないんだけど。
それにしても後味の悪い事件だったよなぁ。どうにも引っかかってしまう。

良いことがあったり。悪いことがあったり。マーブル模様日々。
今日は大好物のサクランボを戴いた。それも日本のサクランボだ。
好きなものは好きだと宣伝しておくって大切だよね。←なんか違うし。
むふむふむと嬉しく戴く。感謝・感謝。
なんとなく話がバラバラで取りとめがないのだけれど
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月23日(月) 『ニューヨーク・ニューヨーク』

久しぶりに骨のある漫画を読んだので感想などを。
HPの読書禄に書いてもいいのだけれど、あちらは活字限定にする予定。
本も漫画も私の中では同列だけど、漫画の感想まで手をつけだしたら
収拾がつかなくなりそうなので、基本的には「漫画の感想は書かない」
……と思っているのだけど、何かの形で感想を書きたいと思うほど面白かったのだ。

私がハマったのは『ニューヨーク・ニューヨーク』って作品。
白泉社の漫画文庫から最近発売されたもので作者は羅川真里茂。
ニューヨークで暮らすゲイのカップルが主人公の物語で
いわゆるオタク腐女子が好きな「やおい」でもなく
中山可穂の描くセクシャリティ問題に関しては最初から吹っ切れている人でもなく
比較的、リアリティのあるゲイが主人公で、ストーリーも良かったのだ。
少女漫画なので夢見がちな部分が濃ゆいのは否定しないけれど
主人公達が受けた理不尽な扱いに対して、握りこぶしを固めることも多くて
ゲイをテーマにした作品の中では、かなり高品質ではないかと思われる。

主人公が自分の両親にカミングアウトして、恋人を紹介するくだりは
切ないやら、痛いやら……そして感動的でもあったのだ。
母親がどうしても息子を受け入れられずに苦悩する場面や
父が息子に「長い間辛かっただろう(中略)おまえは私達の息子だ」と言って
主人公を抱きしめる場面は、不覚にも目頭を熱くしてしまったのだ。

そして恋人同士、色々な問題を乗り越えつつ成長していくところもツボだった。
傷つけあったりするけれど、最終的には互いを高めあう関係……って言うのか。
「乗り越えていく恋人同士」ってのはイイね。
バリバリの恋愛小説や、恋愛漫画って、そんなに好きではないのだけれど
この作品には頭の先から足の先までドップリとハマってしまったなぁ。
「ああ。私も恋愛したいなぁ」とか「添い遂げるって憧れちゃう」とか思ったりして。
主人公達は、恋愛して、結婚して(異性間のそれとは形が違うが)
子供を引き取って育てて、見事に「添い遂げた」のだ。
1人の人を好きになって、ずっとその気持ちを大事にして生きていけるなら
これ以上に幸せなことはないだろう……と思ったり。
現実は漫画みたいに上手くいかないだろうけど理想の形には違いない。

私は馬鹿みたいにストレートな恋愛物には無条件で降伏する傾向にあるらしい。
この作品の主人公達は、お互いに「彼が好き」だったものなぁ。
派手濃い愛ぢゃなくてもいから「一途」ってとろこがツボなんだな。うむ。
AとBの間で揺れる主人公とか、不倫とか、そういうのが嫌いで
あまりにもシュチュエーションだけで引っ張るタイプの話が苦手なだけで
ぢつは恋愛物って、けっこう好きなのかも知れないなぁ……こっ恥ずかしいけど。

ほんと、いい作品を読ませてもらったなぁ。
久しぶりに、いい夢見せてもらった……って感じなのだ。
けっこう重たいネタ満載だけど、それでも「いいなぁ」って思ったんである。
良い漫画に出会えた幸せを噛み締めつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。

<私信>
ありがとう。ありがとう。ありがとう。


2003年06月22日(日) 記憶装置の異常?

今日は6月隊のお誕生日会へ行ってきた。
6月隊のお誕生日会ってのは、6月生まれの友人の集いである。
ま。誕生日会と言うよりも、実質的には「贅沢食事会」なんだけど。
今年は高級イタリアンにチャレンジ♪
大阪では有名店(?)のポンテベッキオってお店でランチ。
コンソメスープ仕立てのアワビの冷製が美味しかった。
どれもこれも至福の味で、お値段は腰が抜けるほど高かった。
でも、たまにはこういうのも良い。
自分で得た糧で贅沢をすると「頑張って働こう」って気になるものだ。

そりゃそうと。

今日は昼食を食べ終わった時間が遅く
我が家の夕食時に、食事ができるほどお腹がすいていなかったので
私だけ食事の時間をずらして食べることになった。
で。私もそろそろお腹に余力が出てきたので
お茶漬けでもして、軽く済ませようかな……と思っていたらば
乙女な母が素麺を作って食卓に並べた。
パスタを食べに行ったのに、何故に素麺??

私が首を傾げていると、乙女な母は「白蓮が食べると言ったから」と言う。
自宅の最寄り駅に着いた時、私はスーパーで買い物をして帰宅するべく
乙女な母に、切らしているものがないかどうか電話を入れた。
その時、私は「今日はお腹が一杯だから素麺でも食べる」と言ったとのこと。
しかし私には、まったく記憶にないのだ。
まして「素麺を食べたい」なんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。
買って帰るものについて、乙女な母と交わしたやりとりは覚えているし
「携帯だから、もう切るね」と自分から電話を切ったのも覚えている。
魂に誓っても「素麺が食べたい」なんて言っていないはず……なのだ。

しかし乙女な母は「間違いなく言った」と力説する。
私をかつごうとしているとか、からかっているのではなく真剣に。
たぶん乙女な母も、私も間違っていないのだと思う。
ただ、どちらかが自分の言ったことを忘れているだけなのだ。
「乙女な母の思い込み」と思いたいところは山々なのだが
私は過去にも似たようなことをしでかしているので自信が持てないでいる。

愚弟が1人暮らしをしている時、前夜に愚弟に会ったことを忘れて
翌日、再び実家を訪ねてきた愚弟に向かって
「久しぶりに会ったんだから云々……」と言って愚弟を驚かせたり
朝、起きたら書いた覚えのないメールが送信フォルダに残っていたり。
↑メールの内容は「書かなくちゃ」と気にしていることだったけど。
朝起きたら「明日しよう」と思っていた用事が知らない間に済んでいたり。
↑乙女な母や、愚弟は「絶対していない」と言っていたし。

私の頭の中の記憶装置は、どうなっているんだろう?
今回の場合など、乙女な母ではなくて私の勘違いだとすれば
私は食べたいと思っていないものを「食べたい」と言ったことになる。
私は自分の思ってもいないようなことを口にする人間なんだろうか?
……もっとも、そういう傾向が全く無いとは言い切れないんだが。

ただ1つ分かっているのは、こういう失敗をする時って
ダメダメ度が、どうしようもないくらいに上がっているか
自分の中にある何処かしらの器が溢れてしまっている……ってことだ。
なんだか軽く憂鬱になってしまった。
それより、何より、私はこれから先の人生も
何度も同じ失敗をしてしまうんぢゃないかと思うと不安である。
素麺レベルで踏みとどまっている分には一向に構わないんだけど。

考えてみたところで、はじまらないので考えるのは止めることにする。
明日からまた頑張って働くぞ。そしてまた美味しいものを食べに行くのだ。
……ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月21日(土) 腹立たしいやら悔しいやら。

今日は午前中出勤。午後は上司(女)のプライベートなお供をした。
いつもなら「プライベートな時間まで拘束されるなんて」とか言うだろうし
今日だって、そのことについて思わなくもなかったのだが
「滅多に行けない高級ホテルの懐石料理の昼食」に目が眩んでしまったのだ。
目が眩んだ……と言うよりも、口が卑しかっただけなのかも。
すんごく美味しかった。流石だ……やっぱり上手いものは上手い。
美味しい食べ物って人を幸せにしてくれるなぁ♪

なんて文章の最後に「♪」なんて付けてる場合ぢゃなかったのだ。今日は。
なので今日は長文御免つかまつる。

今日は私大ボスことクソジジイに上司共々呼び出しを喰らってしまったのだ。
クソジジイと言うのは、ぢつは経営者サイドの人で会長職だったりする。
「ジジイ」というのは誇張ではなく、正真正銘のジイサンだ。
呼び出しの理由は「会社内PCの情報管理」について……であった。
私の職場は眩暈がするほどOA化が遅れていて
驚くべきことに私が職場内PC使い上位3名に入っていたりするのだ。

そしてクソジジイ……もとい会長はPC関連はサッパリ使えない。
使えないだけならいいのだが、病的とも言えるほど
PCを使った作業や、その情報の漏洩について疑心暗鬼に陥っており
PCを使えないだけに驚くような発想でもって部下に疑いの目を向けてくる。
新人ながらも会社のHPを管理している私など目の仇にされているのだが
今回もその辺の問題で「どうにも信用できない」てな話だったのだが
私には何1つヤマシイことはないし、上司も否定して庇ってくれたので
「これからはもっと気を付けるように」ってことで話が終わった。

毎度の事とは言うものの、憂鬱な気分で仕事を終えたらば
更衣室で営業のS氏が辞めたと言う話を耳にした。
どうやら「辞めた」ではなく「辞めさせられた」という方が正しいらしい。
形式上では「解雇」にならないようだが、実質的な解雇ということだ。
会長がS氏が「会社の情報をPCから抜き出している」と
疑心暗鬼に陥ったことが、解雇のキッカケになったらしい。
S氏が会長から睨まれているのは知っていたが、まさかそこまでとは。

私はS氏がそういうことをする人ではないと思う。
新しい企画に向けて精力的に働いていて、その企画も始動するところまで漕ぎつけ
何かにつけて古いというか進歩のない会社にしては
なかなか素晴らしい企画ぢゃないか……と私は思っていたのだ。
……て・ゆ・か。私も上司もS氏の片棒を担いでいたのだし。

会長の呼び出しってのは、遠まわしではあったけれど
「お前も気に食わん」ということだったんである。
ただ私の場合は、解雇しちゃうとCAD使いもHP職人もいなくなるし
会長の血縁者でもある上司のお気に入り兼片腕ということもあり
ダイレクトな形でそういうことにはならないったのだろう。
S氏は優秀だったが、同じポストの人がいた……てところが不幸であった。

……て・ゆ・か。
もしも呼び出された時にS氏の件を知っていたらばキレていたと思う。
もしかしたら「そんなに信用できないなら首にしたらいいぢゃん」
くらいの事は言っていたかも知れない……て・ゆ・か。たぶん言っていた。
S氏の件を知っていたらば、啖呵の1つでも切っていただろうに。
腹立たしいやら、悔しいやら、残念やら。
考えようによってはボーナス前なのだし
ボーナスも貰わずに(寸志だろうが)辞めるような事態に陥らなかったのは
これも何かの導きなのかも……と思ったりもするのだが。

それにつけても不愉快極まりないし、やり切れない話だ。
自惚れだけど、それなりの仕事をしていると自負しているだけに。
身の振り方、考えた方がいいのかも知れないな……
てな事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月20日(金) 携帯不携帯。

今朝は携帯電話を持たずに出勤してしまった。
携帯不携帯……思わずオヤヂギャグを呟いてハッと我に返った朝だった。

よくよく考えてみれは携帯電話が無いからって困るこは意外と少ない。

私の場合は仕事で携帯電話を利用することがないので純粋な私用電話である。
私。PCでのメールのやりとりは基本的に大好きなのだが
携帯に文章を打ち込むのは面倒臭くて、ちょっと苦手なだ。
なかなか会えない人と、ちょっと連絡を取るには便利だと思うけど。
そして浮いた話のない今は、毎日電話を掛けてくれるような相手がいる訳でもない。
仮に相手がいたとしても「毎日」となると、これまたウンザリするのだが。
そんな訳で電話として使用することも、あまりないのだ。
自宅の電話と同じくらいの頻度では使っているが
毎月、通話料のパックから足が出ない程度にしか使っていない。

書き出してみると、つくづく「携帯電話なんて無くてもいいかも」と思ってしまう。

便利といえば便利なのだ。
チケットだの、航空券の予約だのも携帯電話で出来てしまうし
映画の時間も、乗り換え案内も、お天気だって調べられるし
待ち合わせの時には、これ以上ないお助けアイテムだし。
だけど、ソレも、コレも、アレも、無かったからって生きていける。
「いっそ持たなくてもいいかも」と思うのだが今さら解約するのもナニだし。
なんとなく惰性で持っている……という感じ。
「面倒だ」なんて言っても、1通の携帯メールに助けられたこともあるのだから
あながち「いらないもの」って訳でもないんのだろうな。うむ。

同僚に「今日は携帯不携帯」と話をしたら「不安だよねー」との返しがきた。
私は携帯電話がなくたって不安感は感じないのだが
同僚は、携帯を家に忘れたりしたら、不安で不安でたまらないと言う。

便利な道具というのは人間を弱っちぃものにしてしまうのだなぁ。
……なんて偉そうなことを書いてみた訳だが、私はPCがないと不安かも。
この4年半、旅行をを除けば毎日PCと向き合ってきたので
実際問題として「PCがない」ってことは、もはやありえないのだけれども
「もしもPCがなかったら」とシュミレーションしてみるだに……
私にとって無いと困るもののナンバーワンは、ぶっちぎりで「本」だけれど
PCだって、本に迫るほど「無いと困る」に違いない。

ま。本もPCも携帯も電話も突き詰めていけば、無くても生きていける訳で
そ〜ゆ〜ことを改めて考える必要は無い訳で
要するに今日は「忘れ物からはじまった1日」だった……って訳で

日記の流れとはなんら関係ないけど、紫陽花が花盛りで美しい。
やたらと青紫系の紫陽花が多いのは日本の土壌が影響しているらしい。
土が酸性だと青い花。アルカリ性だとピンクの花が咲くのだとか。日本の土は弱酸性。
アルカリ性の土と、ピンクの紫陽花を探すのを梅雨の目標にしようかな
……ってことで今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月19日(木) お父さんと呼んでね?

居間の壁掛け時計が壊れてしまった。

壁掛け時計がなくたって、時間を知る手段は多い。
TVにも時刻表示があるのだし、目覚まし時計や、携帯電話の時計もある。
しかし、無いとなると何気に不便だったりするのが居間の壁掛け時計。
修理に出すと、かえって高くつくようなので新しいのを買うことになった。

昨夜、食事の後で新聞を読んでいたらば「新しい時計」についての話になった。
「どこで買うか」とか「どんなタイプのものを買うか」とか。
私は時計なんて時間が分かれば、それで充分だと思っているので
電気屋で買おうが、時計屋で買おうが、ホームセンターで買おうが
それが「時計」であるなら、どうでもいいや……と思っているのだが
乙女な母は時計にもドリームを持っていたらしく
「反対されるかも知れないけど」と遠慮がちに前置きをしてから意見をのべた。

「オルゴールが鳴ったり人形が出たりするような可愛いのが欲しい」と。

愚弟は、いささか不満そうだったが、私は全然OKだった。
オルゴールが鳴ろうが、人形が踊ろうが、時間が分かればいいわけで
お気に入りの壁掛け時計を買うことで乙女な母がご機嫌になるなら安いものだ。
……て言うか、私にとって新しい時計は「どうでもいいこと」でしかない訳で。
「いいんちゃう。母の好きなのを買ったらいいよ。母に任せる」
新聞を読みつつ答える私に愚弟が言った。

「おっさんみたいや……」

いつの間に私は「おとうさん」の役目を負うようになったんだろう?
確かに物の考え方が、なんだかオヤヂ染みているような……
家庭内のゴタゴタとか、雑用には係わりたくないと思っているところとか
「そろそろ家族サービスしないとマズイかな」とか思ったりするところとか
新聞読みながら、家族団欒に参加してるフリするところとか。

このさい「おとうさん」って呼んでいいから、静かに新聞を読ませてくれぇぇぇ。
……と言いたいのをグッと堪える私であった。
私、世間のお父さんほど収入は良くないけれど
食事の支度もするし、後片付けもするし、家庭内雑用だってするので
粗大ゴミ扱いされる心配はないだろうと思われる。
……ある意味、粗大ゴミで捨ててくれてた方が嬉しいような気もするが。

ま。それより何より、居間のクーラーが昇天したので
差しあたって、時計よりもクーラーをなんとかしなくちゃいけない。
土曜日にでもニノミヤに行ってこなくちゃなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月18日(水) 瓶入りの牛乳

近所の牛乳屋さんが試供品を置いていった。

スタンダードな牛乳が1本。豆乳が1本。ヨーグルトドリンクが1本。
残念ながら、我が家は宅配牛乳を頼むつもりはないと言ったのだけど
それでもいいから、せめて味の感想だけでを……とて、半ば強引に。

そんな訳で今朝は久しぶりに瓶に入った牛乳を飲んだ。
いつもは牛乳はカフェオレかミルクティにして飲むのだけれど
今朝は瓶入り牛乳に敬意を表して、瓶の口からゴキュゴキュと飲ませてもらった。
やっぱり瓶に入った牛乳は美味しいなぁ。
スーパーに並んでいる牛乳と、牛乳屋さんの牛乳は質が違うと聞くけれど
確かに味が違う。牛乳屋さんの牛乳はスーパーのよりも値段が高いが
その値段の分だけ、ちゃんと美味しいんだなぁ……としみじみ思った。

が。やはり牛乳を取ろうとは思わないのだ。

我が家も一時期、牛乳を取っていたことがあるのだが
毎日配達される「お仕着せ感」が、どうにもなじめずに
牛乳の配達を頼まなかった頃よりも、牛乳を飲まなくなってしまったのだ。
スーパーの牛乳よりも、ずっと美味しいのに……である。
予防策として、毎日配達ではなくて2日に1回にしてもらったりしたが
それでも牛乳の消費は一向に増えなかった。
「飲まなければならない」となると、とたんに飲みたくなくなるようだ。

牛乳が高価な飲み物だった時代に生まれた人にとっては
「高価な飲み物が毎朝家に届く」というトキメキ感があったのかも知れないが
「牛乳は紙パックで売っているもの」という認識しかない上に
なんでも簡単に手に入る時代に生まれた人間にとっては
「毎日家に届く」ということに、さほど必要性を感じないのだ。

瓶入りの牛乳とか、木製の牛乳箱とか、牛乳屋さんの佇まいとか
そういう物にノスタルジーは感じるし、なくなってしまうのはサミシイと思うのに
それでも牛乳を配達してもらおうという気にはならないのだ。
牛乳屋さんの経営って大変なんだろうなぁ……とは思うのだけど。
「美味しかったけど、やっぱりいらないよ」と呟きつつ牛乳瓶を洗った。

毎日配達されるのはウンザリだが、たまに買ってもいいかも知れない
……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月17日(火) 同人ゲーム考

今日は2夜連続で、フリーゲームをしてみた感想などを。

今月いっぱいゲームに溺れて暮らそうと思っていたのだけれど
ぶっちゃけた話。すでに情熱は冷めかかっている。
フリーゲームだから面白くない……とかそういう訳ではなくして
いささか、読み違えがあったに過ぎないのだが。

2夜に渡って、いくつかのゲームをプレイしてみたのだが
想像していたよも面白かった。同人ゲームだからって侮れない。
どの作品にも趣味で製作したもの特有の情熱が感じられたし
下手をすれば「プロが作ったイマイチのゲーム」よりも面白い上に
けっこう作りも丁寧だったりするから驚きである。
しかしながら「趣味の製作」と「プロの仕事」はやっぱり違う。
漫画や小説を載せる同人誌なら個人でも、凝ったものを作るのは可能だが
ゲームの場合は映画とかアニメのような総合芸術的要素があるので
いかせん「人手」がたくさん必要になってくるのだが
同人ゲームの場合は「人手」が決定的に足りないというのがネックなのだろう。

人手が足りないとなると、勢い、ゲームの容量は少なくなる。
プレイ時間が短くなるのは、もはやどうしようもないことなのだろうなぁ。
猿みたいに熱中したくても、そこそこプレイしたら終わってしまう
……という事実に気が付いたのは2本目のゲームのプレイ最中だった。
同人ゲームというのは寝食を忘れてプレイするには向かないらしい。
そんなことをしていたら、すぐに終わってしまうもの。
PC生活の息抜きとして、ぼつぼつプレイするのが良いように思った。

でもホントに上手いこと作っていて、その情熱には頭が下がった。
いわゆる「ゲーム製作ソフト」を使って作っているところが大半なのだが
そのテのソフトを使ったって、ゲームを作るのは並大抵の労力ぢゃないのだ。
私も昨年の秋、友人にプレゼントするためにゲームを作ったことがあるのだが
創造とか、ど〜とか言う以前に、コツコツ内職をする根気がなければ
とてもぢゃないがゲームなんて作れやしないのだ。
愛だよ。愛。愛がなければゲームは出来ないんである。
あぁ。だけど。大変だけど、またゲーム作りたいよなぁ。
……なんてタワケタことを考えてしまった。
前回、ゲームを作った時は「もう2度と手を染めない」と誓ったのになぁ。

ま。たった2夜でゲーム熱は醒めてしまった訳なのだが
ぼつぼつプレイしていく分には、同人ゲームも楽しくて良い。
それが分かっただけでも意義深い2日間だった……かどうかは激しく疑問だが
とりあえず、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月16日(月) ヲタク燃ゆ。

昨日の日記では散々っぱら真面目なことを書き殴って
その舌の根の乾かぬうちに、こんなこと書くのはどうかと思うのですが

私。決めました。
今年度上半期が終了するまでの残り2週間は
ただひたすらに、ひとむきにヲタク女として生きることを……

文学と読書をこよなく愛し、地味に真面目に、ボソボソと悩んだりしつつ
おおむね善良に働いている三十路女……ってのも私の本質ではあるのですが
「ヲタク」とか「アニメ」とか「ゲーム」が大好きで
1度ハマったら「猿夢中」で、ぶっ飛ばしてしまうのも私なのです。
昨夜は日記を書いたあと、静かな心持ちでメールを書いてみたり
ちょっと真摯にお勉強してみたりしたのですが
息抜きにネットを散策していたらばこんなサイトに遭遇したのです。

私も、これまでフリーゲームをダウンロードしたこと何度もあったのですが
「こりゃすごい」というほどのゲームにはめぐりあうこともなく
それ以降「しょせん同人ゲームだしね」ってな認識を持ってしまっていたのです。
だけどそれは間違った認識でありました。最近の同人ゲームはスゴイです。
『月姫』とか、ものすごい人気同人ゲームがあるのは知っていましたが
同人ゲームが、これほどまで元気イッパイだとは知りませんでした。

ためしに、短い謎解き系を1本プレイしてみたのですが
同人ゲームと侮れないほどむづかしくて、昨夜は攻略HPと首っ引きでプレイしました。
そして今日からは光栄の『アンジェリーク』も吃驚(?) と称されるほど
甘ったるい恋愛アドベンチャーゲーム『SENA』をプレイしようと思っています。
昨夜OPだけ、ちらっと試しプレイをしてみたのですが
アリスソフトのゲームと並ぶくらいの画力のあるキャラデザで
しばらくは寝不足を覚悟しなければなさそうな予感。

しかも他にもプレイしてみたいゲームは山のようあったりするのです。
女性向けゲームだけでなくて、一般のエロゲーもしてみたいなぁ……とか。
そして困ったことに「無料」なのです。やりたい放題ぢゃあありませんか!
あぁぁ。誰か私を止めてちょうだいぃぃ……てな感じです。

そんな訳で6月いっぱいはゲームに生きます。
HPの読書録は、ほったらかしになっちゃうだろうと思います。
夜はゲーム三昧で、電車の中では寝てばかり……になるだろう事が予想されるので。
熱くなることを知らずに半年を終えてしまいそうと嘆いていた私ですが
ここにきて熱くなるものを見つけたのです。人生って素晴らしい!
何か間違っているような気もしますが、もう決めちゃったのです。
そんなこんなで今日の日記は、これにてオシマイ。

<私信>
Sちゃんへ。『テニプリ』の二次創作ゲームも多いみたい。
面白いかどうかは分からないけど気が向いたら覗いてみてね♪

Sさんへ。1日遅れたけど、お誕生日おめでとう。
20歳という年が貴女にとって素晴らしいものでありますように。
いいなぁ。20歳♪ なんだか眩い30歳なのでした(笑)


2003年06月15日(日) 不善な日々。

あと2週間もしたら今年が半分終わってしまう……ってことに気が付いた。

この半年は30年間生きてきて、いっとう暇な半年だった。
新年7日から新しい職場で働くようになった……てこともあるし
半年の間に愚弟の手術も1回だけだった……てこともある。
シャカリキに働くでもなく、勉強に励むでもなく
かといって趣味に熱くなるでもなく、恋をするでもなく
じつに自堕落な時間を過ごしてしまった。

自堕落……といっても私は小者に過ぎないので
アルコールにまみれて、ついでにドラッグに手を出してみた……とか
爛れた性生活に耽溺してみた……とか
そーゆー豪快なことをした訳ではない。
そこまでやっちまった方が潔良くていいようにも思うのだが
いかんせん中途半端に常識人ゆーか、なんとゆーか。
前に進むでもなく、後戻りするでもなく、てちてちと足踏みしながら
ぼんやりと本を読んで過ごしてしまったに過ぎない。
本だけは読んだ。馬鹿みたいに沢山。貪り読んだ。ほんと馬鹿みたいに。

「自由時間がたくさんある」という幸せな現状をまったく生かせずに
誘われるまま、なんとなく遊びに出掛けてみたり
好きでもない人と、とりあえず付き合ってみたりした。
それに関しては、我ながら思い返すだに情けないことではあるのだが
そのおかげで、燻っていたことが、ふっきれたのも事実だったりする。
たぶん、もう同じツテは踏まないだろうと思うし。

「小人閑居して不善を成す」って言葉があるけれども
不善ばかりしてた半年だったと思う。もったいない過ごし方をしたものだ。
心優しい友人からは「今まで忙しかったんだしそういう時も必要だよ」
なんてことを言ってくれるのだが、それが本当に良かったかどうかというのは
他の誰でもなくして自分が1番よく良く分かっている訳で
後半戦は自分でも納得のいく過ごし方をしたいと思う。

私は、もうすぐ31歳になるのだけれど
30歳という1年の前半戦は、我ながらなかなか頑張れたように思う。
そして後半戦(この半年のことだ)は、惨敗としか言いようがないのだが
31歳という年は、また頑張っていけたらいいな……と思う。
て・ゆ・か。半年後はギラギラと油ぎっしゅに
「この半年はやりましたよ」てなことを書きたいと思うのだ。

あと少しになった30歳という年は
今更ジタバタしても、どうにも変わりようはなさそうなので
もうちょっとだけ馬鹿みたいに本を読んで過ごしてみようかな……などと
反省してるんだか、してないんだか分からないようなことを思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月14日(土) 食べ物の記憶

食べ物の記憶というのは、どうして強烈に記憶しているんだろう?

私は同級生の顔や名前さえ覚えていられないような人間だけど
「はじめて○○を食べた」瞬間は、よぉく覚えている。
いつ食べたか。誰と食べたか。その時、どんな生活をしていたか……などなど。
詳細なシュチュエーションを交えて記憶をリピートできるのだが
もしかしたら単に食い意地が張っているというだけなのかも知れない。

はじめてシフォンケーキを食べたのは高校1年生の時だった。
3者面談の帰りに、母と2人で『英国屋』立ち寄ったのだ。
思いのほか、成績が良かったのでご機嫌だった。
その当時は今ほどケーキの種類が豊富ではなかったので
「世の中にこんなに美味しいケーキがあるとは知らなかった」とて
いたく感激して食べた思い出がある。
ちなみに、今でもシフォンケーキは大好きだ。

はじめてウニの瓶詰めを食べたのは5歳の夏だった。
お盆で、親戚の家にお参りに行き食事をご馳走になった。
叔父は晩酌のアテとして食べていたウニを「食べてみるか」とすすめてくれた。
「子供の食べるものじゃないよ」と周りに言われながら口にしたウニは
今まで経験したことのない深い味わいで、感激した思い出がある。
ちなみに、今でもウニは大好きだ。

はじてワインを飲んだのは……下略。
……てな具合に、物心ついてから食べた「大好きな食べ物」については
比較的、高い確立でもって記憶が残っている。
大人になると「はじめての感激」を味わう頻度が減ってくるものだが
それでも感激が薄れることはないというあたりが不思議である。

昨日は生まれてはじめて「スナックエンドウ」という野菜を食べた。
スナックエンドウは、かなり前から気になる存在ではあったのだが
ちょっぴりお値段が高いので、買うのを控えていたのだが
ご近所の方が「家庭菜園で沢山できたから」と、わけてくれたのだ。
自家製だから美味しい……って部分もあるだろうが
さっと茹でて食べたスナックエンドウの美味しさと言ったら!
キヌサヤエンドウを、ほっこりさせた感じで
もう「やめられない・とまらない」美味しさだった。
スナックエンドウも「食べ物の記憶庫」に殿堂入決定。
何日かの自分の暮らしぶもスナックエンドウと共に
記憶庫に収められるのだろう……ちょっと嫌だけど。

今日は、だらだら昼寝をして1日を過ごしてしまった。
そして今夜も早く寝てしまうだろう予感が。
明日はアクティブに過ごしたいな……ってことで
今日の日記は。これにてオシマイ。


2003年06月13日(金) 借り物では駄目みたい

図書館生活をするようになって、かれこれ半年になる。

図書館のおかげで読む本には不自由しないし
新しい本もガンガン手に入るので読書のペースは好調だが
その分だけ「ツマラナイ本」に遭遇することが多いような気がする。
現に読書の記録を読み返してみると
「面白かった」「良かった」と書かれているものもある反面
かなり悪辣に、こき下ろしている事が多くなっているのだ。

本は借りて読むものでなくて、買って読む方がいいような気がする。

図書館を利用するようになって本の増殖ペースがダウンしたので
「あぁ。なんてスリムな生活なんだろう」と満足していたのだが
たとえ本が増えすぎて、一生懸命買った本を
涙しながら古本屋に売りに出さねばならないとしても
売り買いの無限ループの中で悶え苦しんだとしても
やはり自分のお金で買って読むべきものなのかも知れない。

自分で買う時は、たとえブックオフの100円本であったとしても
それ相応に悩み、悩んだ末に「でも読みたいんだもん」と思って買うのだが
図書館を利用していると「気になるし借りておくか」というような
まったくもって、いい加減な気持ちで借りてしまうことが多いのだ。
軽い気持ちで借りてみた本が以外と面白かったりすることもあるのが
それ以上にハズすことの方が多いような気がする。

「趣味は読書」と言うからには、本好きを自称するからには
もう少しちゃんと本と向き合わなきゃいけない。
好きなことを借り物で済まそうという根性が間違っているのかも知れない。
本当に買えないのならまだしも、そうでないのだから。
好きなことに対して一生懸命になれないとしたら
私は、いったい、何に一生懸命になるつもりなんだろう……

だが、しかし。

そうこう言いながらこの週末も図書館へ行くのである。
だけど、これからは図書館との関わり方を変えていつもり。
1度「新刊がザクザク手に入る」というウマミを味わってしまったので
「もう図書館通いは辞めた」と思い切れないのも現実なのだ。
まずは「とりあえず借りとくか」ってノリで借りるのを辞めて
買うのと、借りるのを半々くらいに調節していこう。

最近の読書生活を振り返ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月12日(木) まっとうな生活って……

今朝の私。どうかしていたみたいです。

気が付いたら降りちゃいけない乗換駅のホームに立っていました。
どうして、そんなところで降りたのかまったく記憶にありません。
たぶん人の波に乗って、降りてしまったのだと思います。
私が乗っていた電車は、すでに行ってしまっていたので次の電車に乗りました。
そして次に気が付いたら、会社の最寄駅を過ぎていました。
1駅向こうで降りて、走って会社に行きました。

電車の失敗というのは、どうしてもやってしまいがちですが
1日に2つもやってしまうだなんて、まっとうな社会人ではないようで
朝っぱらから憂鬱な心持になってしまったものですが
そういうのもアリかと思いなおして仕事をすることにしました。

それでも仕事はツツガナクすんで無事に定時をむかえることができました。

こんな日は書店などに寄り道せずに真っ直ぐ帰ろうと思いました。
そうするつもりだったのです。なのに……
電車を乗り間違えてしまいました。快速電車に乗ったのです。
奈良県まで行ってきました。
奈良と大阪はお隣同士ですが、ちょっと遠いです。
もう、何も言うべきことは無い……って感じです。

消しゴムで消しちゃいたいくらい情けない失敗です。
そして、明日、ちゃんと行って帰ってこられるかどうか心配でなりません。
ほぼ大丈夫だと思うのですが、ちょっぴり自信がないのです。
それにしても、みんなスゴイんよなぁ……
毎日、当たり前のように電車に乗って、遠くに出掛けて行くなんて。
そして、ちゃんと家に帰ってくるんだもの。
まっとうに生活しているってだけで……
それだけで素晴らしいんだ!!
……ってことを再確認した1日でありました。

明日は、まっとうな社会人らしく通勤生活を楽しみたなぁ
などと思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月11日(水) ど〜でもいいようなこと。

なんだか吐きそうなくらい甘ったるい恋愛小説が読みたい気分。
読む側の人間が恥ずかしくなるような、ぶっ飛んだものが読みたい。
ゲームとか漫画ではなくて「活字」がいい。
できることなら10代の若者が主人公のライトノベル系ではなくて
いい年した大人が、なりふりかまわず、突っ走ってくれるよーな
馬鹿馬鹿しい物語だと最高。

……って。いつもなら、そのテのものは苦手なジャンルなのだけどなぁ。
どうしちゃったんだろう? どっか悪いのかも知れない。
身体じゃなくて、主に頭とか…頭とか…頭とか。
梅雨入りしたせいで、頭のネジがゆるくなっているのかもなぁ。
しかしながら本のストックに恋愛ものは1冊もない。
ま。現実の生活ってのは、そんなものだ。うむ。

閑話休題。

どうでもいいようなことだが、私は毎日愚弟の布団を敷いている。
手術の傷が落ち着くまで、あまり使っちゃいけないので仕方がないのだが。
どうでもいいようなことなんだが、最近それが当たり前になり過ぎていて
感謝の1つもされないことに不満があるって訳でもないが
たまに土曜ワイド劇場の市原悦子になった気分になる。

「言っちゃぁなんだが、私は母と弟からスポイルされている気がする」
……と愚弟に訴えてみたらば愚弟曰く
「数の暴力というものを知っているか?」ときたもんだ。
世の不条理を感じた午後九時三分の出来事だった。

そしてハイチューのサクランボ味は10個も残っている。
毎日、2個づつ食べても5日は食べ続けなきゃいけない。
私に代わって愚弟の布団を敷いてくれたり、ハイチューを食べてくれる
善良で働き者の小人はいないだろうか?
美味しいお菓子と、お茶ぐらいなら喜んで用意するんだがなぁ。

明日もハイチューを食べるだろうし、愚弟の布団も敷くだろう。
本も読むだろうし、お風呂でシャボン玉を作るだろう。
まったくもって、どうでもいいようなことばかりを気にしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月10日(火) ハイチュー@さくらんぼ味

今朝は、いつもにも増してダルダルだった。
あんまり身体がシャキッとしないので甘いものでも補給しようと
通勤電車の乗り換え駅で、駅構内のミニコンビニに立ち寄ったのだが
こう、暑くなってくるとチョコレートを食べる気にもならず
キャンディーでも買おうかな……なとど物色していたらば
新発売の「さくらんぼ味ハイチュー」に目がとまった。

私はハイチューとか、グミとか、中途半端な触感の食べ物があまり好きではない。
人から「おすそわけ」などで差し出されたら「いりません」とは言わないけれど
自ら買うだなんてことは、まずもってない……ってくらい好きぢゃないのだ。
「硬いんだか、軟らかいんだかハッキリしてくれぇ」って思ってしまう。
飴はバリバリ噛み砕くものだと思って大きくなってきただけに……

苦手なハイチューだが、大好物の「さくらんぼ」の味となると見逃し難い。
だからって、たかだか100円かそこいらの駄菓子に
さくらんぼのフレッシュな味わいが再現されているとは思えない。
思えないけど、気になる。気になる。気になる。
……そして、うっかり買ってしまったのだ。「さくらんぼ味ハイチュー」を。
そして食べてみたのだ。口一杯に広がるさくらんぼ味を夢見て。

だが、しかし。

ハイチューは、しょせんハイチューでしかなかった。
それは本物のさくらんぼとは似ても似つかない味だった。
マズイものではない。強いて言うならば
かつて味覚糖から発売されていた「さくらんぼの唄」と似た感じの味。
「さくらんぼの唄」はハードキャンディーだったので
「偽物さくらんぼ味」でも、それほど憤りを感じることなか食べていたが
その味がハイチューに乗っかっているとなると……あぁぁぁ。

私はハイチューに何を期待していたんだろう?

とりあえず、行きの車内で1つ食べた。帰りの車内でも1つ食べた。
それなのにハイチューはまだ10個も残っている。
どうしてハイチューは12個も入っているんだろう……
世の中にはハイチューが好きな人だっているはずだ。
もしかしたら同僚の中にも「ハイチュー大好き」って人がいるかも知れないが
道義的に考えてみるだに、自分が美味しいと思わないものを
人にあげるなんてのは失礼な気がして、どうにも気がひける。

もはや……朝に夕なにハイチューを食べて減らしていくしかないようだ。

大阪で憂鬱な顔をしてハイチューを食べている144センチの三十路女がいたら
それは私です。もしも、あなたがハイチュー好きな人間ならば
「1つ手伝いましょうか?」と声を掛けてください。
大喜びでハイチューさくらんぼ味を進呈することと思います。

明日の朝も、またハイチューを食べなくちゃなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月09日(月) 婆さまト買い物。婆さまノ買い物。

ここのところ比較的、真面目に日記を書いていたとゆーのに
うっかり2日もサボってしまった。

「書くことが無い」とか「落ち込んでいて書く気になれなかった」とか
そ・ゆ・不景気な理由ではなくして、単純にバテバテでくたばっていたに過ぎない。
「単純にバテバテでくたばっていた」とゆーのも、不景気だと言えなくないのだが
前者2つに比べれば、よほど真っ当で、感じの良い理由のような気がする。

2日間、寝付いていた訳ではないのだけれど「夏バテ」ちっくな状態で
図書館へ行ったり、買い物へ行ったりしただけで草臥れしまい
PCに向かう気力もなく、ひたすらに惰眠を貪って時間を過ごしてしまった。
まだ夏に突入してもいないのにこんなことで良いのだろうか?
……などと、ちょっぴり心配になったりもしたのだが
良いも悪いも、なってしまったものは仕方がないので、やり過ごすことにする。

サボってしまった理由ばかり書いていても詰まらないので別の話など。

日曜日は、向いに住む1人暮らしの婆さまとスーパーに買い物に出掛けた。
買い物メモをもらって、お使いに行くことの方が多いのだが
何回かに1度は、婆さまと一緒に買い物へ行くのだ。
婆さまの買い物カゴに、次々と詰め込まれる食料品に目を見張る。
1人暮らしにしては、あまりにも多過ぎ食料品は
婆さまが食べるのではなく、婆さまの家を訪れる人に振舞うためのものだった。

缶入りの烏龍茶は、娘と息子が来た時に飲ませるために。
アイスクリームは、孫が遊びにきた時に食べさせるために。
お菓子は、友達が遊びに来たときに出すために。

買い物メモをもらって、お使いに行くときは、婆さまの食料だけが書かれていたが
もしかしたら、お使いを頼む時は、気がねしていたのかも知れないし
あるいは自分で品物を見たらば、色々と思いつくことがあったのかも知れない。
その辺の事情は敢えて聞かない…と言うか聞けない。婆さまと私は他人なんだもの。

1人勝手に、色々なことを考えてしまった。
「誰かのために」という行為は、優しくて少し哀しい。
どこか片思いの楽しさと切なさにも似ているような気がする。

婆さまは買い物に出掛けたのが気分転換になったのか、いたくご機嫌だった。
そして私は「ガソリン代」とか言って、おこづかいを戴いてしまった。
「わーい。早速、なにか買いに行こー」とか思いつつ
その後、惰眠を貪ってしまったのだから、なんとも情けない話ではあるのだが
そんなこんなで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年06月06日(金) 贈り物を選ぶ。

仕事帰り、本屋へ買い物に行った。
当たり前だが本を買いに。

本好きの友人にプレゼントする本を探すのって、けっこう大変。
どんなに相手が好きそうな本だったとしても
お手軽に手に入れることの出来る文庫本は駄目だし
たぶん好きであろうことが予想される本だと
すでに持っていることが多かったりする。
いっそのこと、自分の趣味を押し付ける……てなテもあるが
ハズレた時の痛手を思うと、思い切れなかったりする。

分難なところで画集、イラスト集、イラストエッセイ、絵本
……あたりを選んでしまうことが多い。
今回は相手が好きそうなイラストエッセイと、私の好きな絵本を選んだ。

プレゼントを贈る時って、ものごく悩んでしまうことが多いのだが
私は、あまり後々まで残らないものを贈るのが好きだ。
花や食べ物といった、期間限定でなくなってしまうものが最高に好き。
そうでなくても「ずっと、そこにある」という類の物でなくて
その時は嬉しいんだけど「これって誰がくれたんだっけ?」
なんて思ってくれて、気軽に捨てることが出来るものか
そうでなければ、使いまくって、痛んで捨てられるようなものがいい。

そんな訳で、人に本を贈るのは、ものすごく悩む。

楽しむだけ楽しんで、本のエキスを吸い取っちゃったら
リサイクルに出すなり、人にあげるなりして欲しいと思うのだ。
「残らない」ってこと「忘れちゃう」ってことは
新しいことを吸収するための布石のようにも思えるし。
「今、一瞬が楽しければいいや」とまでは言わないけれども
ずっと、ずっと後を引くものよりも
スッキリ、サッパリ、キッパリ、バッサリな方が
私の性には合っているらしい。

せっかく本屋に行ったのだから、自分の本も買おうと思ったのだけど
贈り物を選ぶだけで、ひどく消耗してしまったので
何も買わずに本屋を後にした。
図書館の本や、古本屋さんに並んでいる本は
ひっそりと、しめやかに「並んでいる」という感じなのだが
本屋に並ぶ本達は、新鮮な分だけ、お喋りで自己主張が強い。
今日は彼らの訴えを聞いているだけで、すっくり草臥れてしまった。

明日は土曜日。図書館へ本を仕入れに行かなくちゃ。
とりあえず、そんなこんなで今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月05日(木) 大丈夫そうな人。

仲の良い友人のマダムSが遠くへ引越しすることになった。
しかも転勤のような一時的な引越しではなくて、永住しに行くのだ。
私としても、彼女と気安く会えないかと思うと淋しいが
それより、なにより、大阪生まれの大阪育ちである彼女が
見知らぬ土地で暮らすのは、大変だろうと思ったりする。

マダムSは友人の中でも、際立って聡明な女性で
回転寿司屋勤務フリーターの同志Fや、凹み体質のN嬢や、うっかり者の私とは
ひと味違うぜ! 輝いているぜ! 気配り上手だぜ!
……と言うような、よく出来た女性なので
友人と話をしていても「彼女なら大丈夫だよ」ってな話になってしまうし
私自身、彼女なら上手くやっていけるだろうと思っているのだが
昨日マダムSと電話で話をしていて、ふと思った。

「彼女なら大丈夫」って思われるのって本人にとってはキツイかも……と。

世の中には、ごく稀に「たいして努力しなくても、よく出来る人」も存在するが
たいていの場合「よく出来る人」ってのは努力の人であることが多い。
往年のアニメ『巨人の星』の花形満も言っていたではないか。
白鳥は優雅に見えるが、水中では必死で水をかいているのだ……と。
電話越しに聞こえるマダムSの声が
どことなく不安そうに聞こえたのは、私の取り越し苦労だろうか?

何某か大変な出来事が起こった場合
N嬢になら「ダメならダメで、いいぢゃない」てな具合で話をするのに
マダムSには「ダメな訳ないぢゃん。大丈夫だって」てな調子でもって
「彼女なら大丈夫」と決め込んでしまうことが多いのだけれど
それぢゃぁ、ちっとも気が安まらないよなぁ……と思ったりした。

大丈夫そうに見える人を粗略に扱ってはいけない。
大丈夫そうに見える人だからって、いつも大丈夫だとは限らないのだから。
もちろん「見た感じそのまま」ってな人もいるだろうけれど。

そんなに気を使わなくてもいいよ。マダムS。
大変な時くらい、思いっきり我ままに振舞ったらいいのだ。
我ままに振舞うのも生きる技術ぢゃなかろうか。
貴女はもっと我ままに振舞ってもいいと思う。

来週、マダムSに会う時は色々な話を聞いてこよう。
そして、盛大に別れ惜しんでこよう……
ちなみにマダムSの永住先は徳島県である。
「徳島って大阪からだと日帰りできるし」てな突っ込みは受け付けない方向で
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月04日(水) どん・どん・ドンペリ♪

唐突だがドンペリの話なのだ。

高級シャンパンの代名詞「ドンペリ」を飲んだことのある人って
ぢつは、多かったりするんだろうか?
さらっと「うん。飲んだことあるよ」と言う人が私の周囲には多いのだが
私は30年の人生の中で、1度もドンペリってのを飲んだことがない。
そのせいか私の中でドンペリは「お金持ちのお酒」だったりする。

最近、ドンペリで印象深かったのは「ホストクラブの舞台裏」を扱った番組の中で
お客がピンクのドンペリを注文すると従業員が揃って大騒ぎをする……という場面。
「すごいなぁ。私も、ひとくち飲んでみたいよなぁ」などと思いつつ
ドンペリへの憧れをいっそう強いものにしたのだった。

私の頭の中では【ドンペリ=高級シャンペン】の図式が組み込まれているのだが
実際のお値段は、いくらくらいのものなのだろうと調べてみた。
ものすごく高くて手が出ないだろうと予想していたのだけれども
庶民の私でも、無理をすれば手がでるようなお値段で
「なぁんだ。そんなもんだったんだ」と少々拍子抜けしてしまった。
ドンペリと言ってもピンキリだと思うのだが
お手頃なものであれば2万円もしないで買えるようだ。ピンクで3万円くらいらしい。

ドンペリは夢や憧れではなく、手を伸ばせば届く存在だったのだ。

しかし、現実的にドンペリを買えるかどうかとなるとそれはまた別の問題である。
私が奮発してドンペリを買ったとしよう。
サバの塩焼きだの、菜っ葉の煮物だの、酢の物だのが並ぶ食卓で
ドンペリを飲むというのは、滑稽としか言いようがないし
第一、シャンパンというのは「乾杯」の時に軽く飲むものであって
いくら美味しくたって、ガバガバと飲むような物ではないのだ。
ぢゃあ、友人を集めて、そこそこの料理を作ったらどうか?
たぶん、これもNGではないかと思われる。
親しい友人とワイワイ集うならシャンペンよりビールの方がお似合いだ。

どんなに素敵なものでも、品物に負けるようではダメだということなのだろう。
私はまだドンペリを口にするような器ではなさそうだ。
「今日はお給料日だから発泡酒ぢゃなくて、ビールを買ったの」という気軽さで
「今日はお祝いだからドンペリを奮発しちゃった」とて
ドンペリが買えるようなってこその本物だという気がする。

今の私のレベルで似合いのものを探してみるならば

 ビールより発泡酒
 マツタケよりエリンギ
 フルーツトマトより桃太郎トマト
 マスクメロンよりプリンスメロン
 モロゾフのプリンよりプッチンプリン
 ドンペリよりシャンメリー

……あたりが適当なのだと思われる。
いつかきっとドンペリの似合う女になろう。
そして「お祝いだから奮発しちゃった」とか言いながら
ドンペリを手土産にして、あなたの家に遊びに行くよ。

ちょっぴり夢見がちなことを書いてみたとろこで
今日の日記は、これにてオシマイ。

<補足>
いちおう理想は「自力でドンペリ」ではありまするが
「ドンペリが手に入ったから飲みにおいでよー」てな、お誘いがあれば
喜んで参上いたしますので、そこんとこヨロシク。


2003年06月03日(火) コスプレ・キティ

先日の社員旅行で、非常に気になったことを1つばかり。

社員旅行での交通手段はバス・オンリーだった。
大阪から、西伊豆まで、うんざりするほど長い距離をひた走るのは
お尻は痛くなるし、寝たら寝たで首は痛いしでウンザリだったのだが
高速道路を長距離にわたって走るのは久しぶりだったので
私にとっては、ちょっぴり刺激的な道行きだった。

そんな訳なので休憩でインターに立ち寄った際は
トイレに行こうが、行くまいが、かならず降りて探検して回った。
ちょっと高速道路を利用しない間に、各インターは小奇麗に様変わりしていた。
トイレは綺麗だし、御土産は充実しているし、食べ物は豊富だし。
「時代の流れは早いなぁ」などと、婆様のようなことを呟いたものなのだが
何よりも私を驚かしめたのは、どこのインターへ行っても
かなりの売り場面積を占拠する「コスプレ・キティ」の軍勢だった。

地域限定とかで「ご当地の名物」の格好をしたキティがいるのは知っていた。
私の住んでいる大阪には「くいだおれキティ」がいるはずだ。
各都道府県に1匹の割合でコスプレ・キティがいるのかと思っていたのだが
どうやら1匹どころの騒ぎでは、なさそうなのだ。
私が確認しただけでも7種類のコスプレ・キティがいた。
伊勢海老、しゃちほこ、わさび、赤富士、青富士、伊豆の踊り子、桜海老……
私はキティというキャラクターを好きでも嫌いでもないのだが
これほどまでに、どこに行っても存在するとなると
かえって「地域限定感」や「ご当地感」が薄れてしまうような気がする。
ファンでない人間には、おおよそ計り知れぬのだが
全国のキティラー達にとっては、ヨダレもののアイテムなのだろうなぁ。

いつの間に一族を増やしていたんだ? >コスプレ・キティ

どこのインターに降りても待ち構えているコスプレ・キティは
ちょっとストーカーじみているような気がした。
もはや、呪いのようにつきまとってくると表現したいくらいの執拗さである。
取り立てて好きでも、嫌いでもないキャラクターなので
「ど〜でもいいや」と言ってしまえば、そうなのだけれども
なんだか落ち着かないものを感じたのも事実である。
個性がない……って言うのかなぁ。なんか、そんな感じ。

コスプレ・キティに個人的な恨みがある訳ぢゃないんだが。

高速道路で気になっていたことを書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年06月02日(月) 社員旅行レポート

昨日、一昨日と社員旅行へ行ってきた訳なのだが
台風と共に移動する旅になってしまったので
ろくに観光することもなく、富士山を見ることもなく
そうかと言って、大雨にも遭遇することもなかった。
たいして不幸な出来事もなかったし、まずまずの旅だったような気がする。

そんなこんなで、日記に特筆するほどの旅でもなかったのだけれども
特に印象深かったことだけ書き残しておこうと思う。

<その1> たっぷり眠った旅だった
船に乗るかもしれないということで、酔い止めを飲んだのが悪かったのか
バスの中では、やたらと眠くて、往復共、ずっと眠りっぱなしだった。
その上、旅館では同室になった女性が「早寝の人」だったので
彼女に便乗する形でもって「一晩中おしゃべりチーム」に参加することもなく
宴会の2次会が終わったら早々に寝てしまった。
もはや「眠りに行った」と行っても過言ではない旅だった。

<その2> でっかい虹を見た
静岡まで行って富士山を見ることはできなかったのだけれども
お天気のおかげで、でっかい虹を見ることができた。
しかも生まれてはじめて「虹の根元」をこの目で目撃したのである。
団体旅行でなければ、虹の根元に埋まっているという宝物を
発掘しに行くのになぁ……なんてことを思った。

<その3> オヤジまみれの夜を過ごした
生まれてはじめて参加する「大人数での社員旅行」は
ありがちな「社員旅行」のイメージに乗っ取って企画されたらしくて
夜は大宴会。宴会の後は、ホテル内のスナックでカラオケという
ディープで、チープな流れが義務付けられていた。
一応、女子社員の私は、酔っ払いのオヤヂとデュエットしたり
あろうことか「チークダンス」なんてのを生まれてはじめて踊ったりした。
もっと不愉快を感じるかと思ったが「これも仕事」と割り切っていたせいか
それは、それとして、淡々とこなすことができた。
友人及び愚弟からは「サービス業には向かない女」だと言われ続けてきたが
意外とサービス業に従事しても、やっていけるような気がした。
もちろん、楽しんで仕事ができるかどうか……となると話は別なのだが。

旅をする……と言うか、長い時間を共に過ごすことで
「この人って、ぢつは良い人だったんだ」と言うような素敵な発見もあったが
一方では嫌だと思っていた人の嫌な部分を、さらに濃厚に感じたりもした。
ま。そりゃ、ともかく、つつがなく終わったってことが目出度い。

<総括> 社員旅行に参加してみての感想
酔っ払いのオヤヂの相手は疲れるので遠慮したい。
……て・ゆ・か。社員旅行自体、できることなら遠慮したい。

「旅」という観点で書くとするなら、それなりに面白い発見もたったのだが
「社員旅行」の感想となると、おおむね、こんな感じである。
ぶっちゃけた話、社員旅行を楽しみにしている人って、いるんだろうか?
すごく聞いてみたい質問なのだが、流石に会社では聞けないよなぁ。
ちなみに私の友人達の中に「社員旅行大好き」なんて人は1人もいない。

旅行明けの1週間ってのは、体力的にキツイものがあるのだが
ブツブツ言ってないで仕事しなくちゃなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。

<覚書>
遠くの友人から葉書が届いた。彼女の葉書は、いつも絶妙なタイミングで届く。
齧りつきたいほど愛らしい子犬の写真に煩悩した。
今週も、これで頑張れそうな気がする。


2003年06月01日(日) 帰還報告&ウナギ報告

こんばんわ。つつがなく大阪に帰還いたしました。
草臥れてはおりまするが、けっこう元気です。
明日からの1週間に備えて、早く寝ようと思いつつ
「浜名湖のウナギ」の話だけでも書いておこうかと。

「浜名湖のウナギはマズイ」ってな話を聞かされていたのですが
全然、そんなことはありませんでした。
感激するほわど美味しいものではありませんでしたが
普段、家で食べているスーパーのウナギよりは美味しかったです。

そして何よりも浜名湖で食べたウナギは関西風の蒲焼ではなくて
1度、蒸してから焼く、関東風の蒲焼だったので
関東風の蒲焼を食べたことのない私にとっては衝撃的でありました。
私は「食べ物は関西の方が美味しい」と豪語してやまない
ある種、偏った思考の関西人ではありまするが
ウナギは断然、関東風の方が美味しいと思ったのでした。

関西風のウナギって皮が、ものすごく堅かったりするのですが
関東風のウナギは皮まで、ほっこり柔らかかったです。
30の歳まで、その事実を知らなかったってことが悔やまれる次第です。

ウナギの話以外にも、書くことはありそうなものですが
草臥れびれなので、今日の日記はこれにてオシマイ。


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