白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年06月30日(日) 前半の半年。後半の半年。

うっかりしている間に、今年も半年が終わってしまった。

衝撃的なほど不幸な出来事もなかったが
棚ボタ的に幸せな出来事もなかった。

仕事と家庭の雑事に追われていたように思ったりもするが
よくよく考えてみると、何年かぶりに旅行にも行っり
ネット生活的にもHPを立ち上げたり、オフ会を初体験してみたり
ネットで知り合った人とも2人ばかりお会いしたりなんかして
なんだかんだと不平をこぼしながらも、まずまずの半年間だったと思う。

後半の半年は、ちょっとした転機になると思う。これは間違いなく。

3ヶ月後の9月末で、今の職場を辞める予定なのだ。
残念ながら「寿退職」ではないのだけれども。
9月末で今の職場で働いて、3年になる。
そろそろ新しいソフトを触わってみたいという職業的欲求や
職場にも人にも慣れ過ぎたがゆえに
派遣社員の立場以上の仕事をすることになったという重たさが
ピークになってきた……というのが、一応の理由なのだが
愚弟の治療の目途も経ってきたので
ここらで、もう少し楽な仕事に変わりたい…というのが本音だったりする。

今の職場を離れたら、お給料だってダウンしてしまうかも知れないし
↑なんだかんだ言って同年齢の女性にしては高所得だった。
次の仕事が、すんなり見つかるかどうかも心配なのだが
派遣社員だが失業保険も掛けてもらっていたし、多少のヘソクリもあるので
なんとか、やっていけるだろうと思う。

今度は、まっとうに土曜、日曜が休みの会社で働きたい。
休養ということで、楽な会社に入って遊び惚けてみようと思ったり
余暇を利用して、勉強してみようと思ったり
とにかく、もう少し自分の時間を増やしてやろうと思うのだ。

日記には書いていなかったが、6月某日こっそり三十路を向かえた。
ペンフレンドからのプレゼントに添えられていたカードには
「今年は、もっとワガママに生きてみても良いのでは?」とあったが
今年の後半からは今よりも、ちょっとワガママに生きてみようと思う。

私が9月末で職場を去ることとは、なんの関係もないことだが
今、働いている会社では、この10月に大規模なリストラがあるらしい。
対象者は独身の若者。支店で19名が解雇されるらしい。
もちろん、建築士さんの中からも誰かが解雇される……
一緒に頑張ってきた人達が解雇されるのを見なくてすむというのは
これも、また何かの巡り合わせかも知れないなぁ……と思った。
色々と思うところはあるけれど
私がどうにか出来るような問題ではないのだ……

夏の1番暑い盛りから9月末にかけては、テンテコマイになるだろうけど
期間限定だから、乗り切っていけとと思う。
土曜、日曜が休みの会社で働くようになったらば
「やりたいこと」が一杯あるし、やれるし、楽しみだし…頑張ろう♪

前半の半年を振り返ったり、来るべき半年の計画を書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

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帰宅したらば友人から荷物が届いていた。
和三盆と、やまもも酒♪
さっそく和三盆をつまんでみた。上品な甘さにうっとり。
やまもも酒は、明日のお楽しみにとっておこう。
はぁ〜〜〜幸せ。幸せ。


2002年06月29日(土) 思わず…職場から更新。

昔の人が言ったとさ。寝る子は育つ……と。

最近、やたらと寝てばかりいるような気がする…って言うか寝てばかりいる。
こうなると「寝るために家に帰っている」というノリ。
よく寝ているのに、ちっとも育ってはいないという現実は、ちと痛い。
やっぱ育つってのは「子供限定」なのだろう。

昨夜も早めに帰宅できたので、ゆっくりとネット徘徊を楽しんで
ご無沙汰しているところに御挨拶など……とか思いつつ
またしても「見てるだけ」にて、早々に退散してしまった。
なんと言うか……掲示板等に書き込みするパワーがなかったりする。
日記は基本的に「書き捨て」をモットーにしているし
掲示板でも「じぶんち」の場合は「よそんち」でする気遣いがないので
もっぱら「じぶんち」に、こもりっきり……といった風情である。
隠遁生活と言えば聞こえは良いが、引きこもりっぽいイメージもある。

本当は、もっと出歩きたいんだけどなぁ……
「じぶんち」に、こもってばかりでは人間の幅が狭くなるような気がする。
自分の考えを整理したり、掘り下げてみたりするのも大切な作業だが
うっかりすると「ひとりよがり」な方向に走ってしまいそうだ。
……もっともHPという存在自体が
「ひとりよがり」の産物だと言ってしまえば、それまでの話なのだが。

私が取り組むべきことはネット徘徊の充実ではなく
「夏に向けての体力作り」だろう。
まだ梅雨に突入したばかりだと言うのにバテていて、どうする?
7月は、また忙しい波がやってくることだし
ここは1つ……しばらくは早寝に努めよう。

体力的なものが低下してくると、日記のテンションも下がるなぁ
……とか思いつつ、軽く愚痴ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

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……って、昼休みに↑まで書いて、まだ時間残ってたので
ネット巡回コース巡りでもするか……って遊びに出掛けたならば
今日もまた、お気に入りHPが無くなっちゃうって。
しかも、そこは昨日の話とは、全然違って、すんごく口惜しいネット撤退。
ネットの世界って、言葉だけで繋がってるものだけど
言葉の暴力ってのも、そうとう性質が悪いと思う。
多勢に無勢とか、数の暴力とか、そういうのって、感じ悪いと思う。
……ってか

「あんたら、なに様? 世界の王様か?」とか思う。

他人を非難したり、攻撃したり、貶めたりするのは簡単なこと。
そんなことは、誰にだって出来る。頭悪くたって出来る。
人の足引っ張って喜ぶような連中を私は心から軽蔑するし
人間として最低だと思う。

あんまり頭にきたんで、思わず書いてしまっただけで
あんまりブチッってきたんで、早々に職場から更新しちゃったんだけど
↑自由にネットしちゃって良い職場なんで問題無いし。
ガゥガゥ吠えてみただけなので、読み飛ばしてください。

<私信>
「へたれ」でも良いので頑張ってね。元気でね。幸せにね。
……で、もって、また、お逢いしましょう。


2002年06月28日(金) 盛大にサミシがって、盛大に送り出そう。

親しくさせていただいていてた方のHPが閉鎖されてしまった。
↑諸事情により、リンクとかはしてなかったのだけど。
閉鎖といってもネガティブな意味のものではなくて
「新しい門出」的なものだったので、心から「おめでとう」と思ったし
私自身、色々と勉強させていただくことが多い場所だったので
「ありがとうございました」の言葉を捧げたいと思う素敵な幕切れだった。

また、ネット世界のどこかでお逢いすることもあるだろうし
「もう2度と逢えない」ってな訳でもなんでもないのだが
それでも「HPの閉鎖」というのは何度経験しても慣れることができない。
ネット世界に限ったことではなく
現実世界だって、別れにサミシサがつきまとうのは同じなのだが
自分の中に占める比重によって、そのサミシサの重さは違ってくる。
たとえば…話をしたことのない、隣の係の人が転勤していくのと
親しくさせていただいていたHPが閉鎖されるのとを比較するなら
後者の方が、ずっとサミシイと思うのが人情ってものである。

「たかがネットの付き合いぢゃないか」

そう言ってしまえば、それまでのことなのだが
私には、どうしても、そんな風には思えないのだ。
私は自分が考えている以上にネットに依存しているのかも知れない……
どんなに親しくしていたところで、どんなに大切に思っていたところで
そんな事とは関係のないレベルで「別れ」は必ず訪れるものなのだが
どこか「ずっと一緒にいられるといいなぁ」というような
子供っぽい感傷を捨て切れずにいたりなんかするようだ。
私も、いつか日記やHPを閉じる日が来るのに……である。

はぁぁぁ。なにをウエットな方向に走っているのだか。
まぁ、いいか。サミシイ時は、盛大にサミシイ思いを噛み締めよう。
で、もって、盛大に去り行く人を送り出すのだ。
門出を祝う気持ちに嘘、偽りはないのだから。
「その方」の今後の人生が、幸せいっぱいであることをお祈りしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月27日(木) どんな感じ?と問われても。

CADオペレーターの相棒は、健康グッズが大好きで
今は「マイナスイオン」にハマリ中だったりする。
マイナスイオン効果のあるグッズを
↑スポーツ選手とかが付けてるようなヤツ)
首や、手首や、足首だのに付けて、仕事をしている。

私は健康グッズ関連のものは、否定派でも肯定派でもないので
「効果があったら教えてね」とか言ったりしながら
彼女のマイナスイオン生活を横で見ていたのだが
彼女は「マイナスイオン効果のあるブレスレット」を
「肩凝りにも効くみたい」とて、私にプレゼントしてくれたりなんかした。

トルマリンが、ど〜のこ〜ので、電磁波から身体を守ってくれて
血液の流れが良くなって……という優れ物だが
「毎日、肌身離さず身につけておかなければならない」というのは
ちよっぴり厄介である。服装に合わないアクセサリーを付けるは嫌だし。
しかし、よくよく考えてみると相棒と顔を合わせるのは
出勤日だけなので、休日は好きにすれば良い訳だから
ここは、1つ、ありがたく身につけることにした。
とくべつ効果を信じている訳ではないが、悪いものではないだろうし
なにより好意のプレゼントを無下に扱うわけにはいかない。

そんなこんなでマイナスイオンを身に付けるようになって数日経つのだが
体調に大きな変化がある訳でもなく
「毎日、身につけなければいけないブレスレット」といった感じである。
ただ、ちょっと困ったことが……

「ところで、どんな感じ?」

……と相棒に質問されるのである。
「どんな感じ?」と聞かれても、どうも、こうも……
「まだ、よく分からない」と答えているのだが
ずっと分からないままなんぢゃないかと思うと、ちょっと不安である。
期待に満ち溢れた、捨て犬のような目をして
「ところで、どんな感じ?」と聞かれると
「最近、体調が良くなった気がする」と、言わなきゃならないような気がして
いつか「口からでまかせ」のようなことを言ってしまうような気がする。

マイナスイオンブームが早く他の物に移行しないかと願わずにはいられない。
みのもんたでも、特命リサーチでも、夜中の通販でもなんでも良いので
早く新しいブームを作り出してもらいたと切望する。

もしもマイナスイオンの効果が感じられたらご報告します。
……ってな感じで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年06月26日(水) 病気について思うこと

『エンピツ日記』で日記を書くようになって、ネット知人がいっきに増えた。
狭い世界しか知らない私にとって、それは嬉しいことである。
色々な日記を、ぼちぼち読ませていただいてる中で
「闘病日記」を書いておられる方も何人かいらして
なんか、こぅ……
他人事でないモノを感じながら読んぢゃっている自分がいる。

現在、愚弟が療養中ということや、母が病気がちだったりすることや
他にも色々と理由はあるのだけれども
「闘病日記」に共感してしまう最大の理由は
私自身が、その昔「虚弱児童」だったことが原因なのだと思う。

その昔……私は俗に言う「難病」と称される病気にかかっていた。
「血小板減少性紫斑症」と長ったらしい名前を持つその病気は
止血機能が極端に低下して「出血したら止まらない」という症状があり
ランドセルを背負って大学病院に行ってから登校する……という
ちょっぴり不便な子供時代を過ごしたのである。

血液の病を持つ少女……というと
「薄幸の美少女」を思い浮かべてしまいがちだが
実際は「薄幸の美少女」どころか
「笑点のレギュラー陣」かと思ってしまうほどに
なんとも、なさけない毎日だった。
「貧血が……」などとバッタリ倒れる……なんてシュチュエーションぢゃなくて
毎日が「鼻血」との戦いだったのだ。
病気になって最初に教わったことは
「鼻血が出たら、止血して、下を向くこと。上を向いてはイケマセン」
……ということだった。
「鼻血」と言っても、鼻の穴に綿詰めておけば、そのうち止まる
……ってなタイプのものではなく、鼻から口からダバダバ出血するので
鼻に綿詰めて上を向いたりなんかすると
「鼻血が呼吸器官に流れ込んで窒息死する恐れ」があったのだ。

真実は小説よりも奇なり……とは言うものの
「鼻血で窒息死」なんて笑い者過ぎる……と世の無常を感じたものだった。
「どうせ病気になるなら、もっと素敵系が良かった」などと
本気で思っていた当時の私は、少々頭の働きが悪かったのかも知れない。

そんな話は、さて置いて……

病気になって、何が辛いかってことを今日は書きたかったのだ。
病気になると当たり前だが、身体的にも辛いこと満載である。
痛かったり、苦しかったり、辛い検査があったりと
「辛いこと」なんて書き出したらキリがないんぢゃないかと思う。
それ以上に辛いのは「気持ち的」な部分ぢゃないかと思ったりする。

どうして、自分は、こんな身体になっちゃったんだろう…と思ったり
自由に動けない自分を歯がゆく思ったり
どんどん成長していく人達から、置いていかれるような気がしたり
苛立ちとか、焦りとか、孤独とか……
そういった感情が、けっこうキツかったりするんぢゃないかと思う。
……って言うか、少なくとも私は、そうだったな。

病気ってのは、誰が悪い訳でも、なんでもないって分かっているのに
どうしても、何かを…誰かを責めたくなるから不思議である。

……とか、なんとか。
「だから、なに?」ってなツッコミを入れられると何も言えないほどに
こんなこと書いてみたところで
具体的に「なにが、どう」って訳ぢゃないのだが
「闘病日記」を書いている人に
辛いだろうけど、責めちゃダメよぉ〜とか……
なにもできないけど、こっそり読んでますよぉ〜とか……
ちょっとエールを送ってみようと思ったりした訳で。
自分の日記スペースだし、個人的なこと書いてもイイかなぁ…みたいな。

最近、なぜだか真面目ネタが続いているなぁ〜と首を傾げつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月25日(火) 愛しのウルトラマン

今さら…って話題で恐縮ですが「ウルトラマン」逮捕騒動について
私もちょっくら書いてみようかと思いまして。
……って言うか、今日は愚弟とそのことについて話をしたので。

ウルトラマンの俳優さんが逮捕されて
最終回がハチャメチャで終わってしまったことについて
もしも子供から質問されたら、どう答えますか?

……ってなことがニュース番組で取り上げられていて
若いお母さんにインタビューしていたそうですが
そのテの問題は製作者側が尻拭いをする問題だと思うのです。
俳優さんが逮捕されたことについては、今さら、どうしようもないことで
製作者側にとっては、気の毒な事件でしたが
それと、これとは、話が別だと思う訳で。

事態が起こってしまった以上、たとえ懐を痛めることになったとしても
物語として、それなりに納得のいく筋書きを作るべきだったと思います。
「不測の事態」なんてのは、今回だけぢゃなかったと思うのです。
かつては仮面ライダーだって、俳優さんが骨折した時
番組内では唐突に「仮面ライダーはブラジルに渡った」ってなことで
それなりに物語を繋げてみた……ってな前例があったことですから
新しい俳優さんを起用するなりして
「前のウルトラマンはウルトラの星に帰ったので
後のことは、すべて僕が託されました」
……とか、なんとか物語を繋げることも出来たんぢゃないかと思うのです。

急な事態で、予算の問題もあったでしょうから
大変だったのは理解できます。
しかし……いい加減な形でもって終わってしまうというのは
避けて欲しかったなぁ……と思います。
もちろん「子供が見るものだから夢を壊しちゃいけない」という
倫理的な問題が、もっとも重要だと思うのですが
多くの人が作り上げてきた「ウルトラマンの世界」に関わっているという
責任とか、誇りとか、そういうものが欠けているような気がしますし
「ものを作る人間」としてのプライドが無さ過ぎると思うのです。
もっとも1番イケナイのは逮捕された俳優さんなのですが……

ウルトラマンを愛する者としては、今回の事件は残念でなりません。
多くの人から愛されるウルトラマンとして
次のシリーズでは、ぜひとも盛り返して欲しいなぁ…と心から思います。

ウルトラマンについて語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月24日(月) 卑屈にならず、貶めず。

「実家」って素敵な言葉だよなぁ……と思う。

ポピュラーに使われるのは、結婚している主婦が「実家に帰る」ってケース。
「やっぱり実家はホッとします」なんてのは微笑ましい。
既婚男性、あるいは1人暮らしの男性も「実家」とう言葉を使う。
「実家に帰るとオフクロがうるさくて」なんてのも微笑ましい。
「実家」という場所は、無条件で受け入れてくれる「帰る場所」なのだと思う。

私の場合は、一応「実家から通勤しているOL」と言う立場なのだが
実家というのは、なんだかんだ言っても「親」の庇護がある場所であって
我が家のように「親を養っている」場合は
少し、ニュアンスが違ってくるような気がしてならない。
しかも「実家通勤をしている華の独身OL」のように
「家にいたら、だまっていてもお母さんがみんなしてくれるし〜」なんて
ありがたい恩恵がある訳でもないし……

仮に……である。
私が結婚して、乙女な母のことは愚弟に押し付けて家を出たとして
何かがあった時、私の行く場所は「実家」ではなく「愚弟の家」なのだ。
そういう風に考えると、私は「実家」を持たない人間ということになる。
これは拗ねているとか、僻んでいるとか、そういう問題ではなくて
私には「実家」がないという事実を書いた訳で……
長男・長女に生まれた人間が
兄や姉を欲しがっても無理な話であるように
ないものは、ない…のだがら取り立てて騒ぐような問題ぢゃぁない。

「よく見られがちな光景」ばかりが目につくが
実家というものを持っていない人だって、案外多かったりする。
私の身近な友人にも、実家を持たない人はいるし
ネットで知り合った人で、実家を持たない人も知っている。
人の数と同じだけ、生活環境だって違う……と言うことだ。
自分自身のことや、周囲の出来事を見渡してみるだに
まだまだ、多様性が受け入れらにくい世の中だなぁ……と思う。
あるいは…想像力の欠如した人が多いということだろうか。
「自分とはかけ離れた」立場や状況を想像するのは容易ではないのだが。

なんとなく「実家」という言葉を使って書いてみたのだけれども
これは、あくまでも物のたとえである訳で。
私が「実家」とう言葉に、憧れや居心地の悪さを感じるように
人によっては、他の言葉に、憧れや居心地の悪さを感じているのだろう。
健康、仕事、恋愛……と書き出していけばキリがない。

自ら卑屈にならず、他者を貶めず……ってのが理想。
卑屈にならないというのは、なかなか難しいところだが
他者を貶めないということなら
前者よりは簡単に出来るのではなかろうか?
少なくとも「こっそり」思う程度にとどめておいて
口に出さない……ってなことなら出来るのではなかろうか?
……そんなことを思っちゃったりなんかして。
その辺のニュアンスが「愛」って感じなんだろうか。
恋愛とか、そ〜ゆ〜物ぢゃなくて、もう少し幅の広い意味での愛。

「愛だね。愛」ってキャッチコピーを、誰が考えたのかは知らないけれど
名文句だなぁ〜と思ったりする。

なにやら理屈っぽくて「お腹一杯」って感じだが
書き逃げということで、今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月23日(日) 精神年齢

ある方の日記に「精神年齢鑑定」のことが書かれてあった。
そういえば、ネット・デビューした当初は
面白がって鑑定サイトを放浪したこともあった。
「精神年齢鑑定」もしたことがあると思うのだが
時間が経てば精神年齢も変わるだろう……とて、チャレンジ。
で。その結果↓

****************************

鑑定結果
あなたの精神年齢は39歳です

あなたの精神は『中年』になりかけています。
一人前の大人です。若々しさはほどんどなくなりましたが、
代わりに大人としての風格が目立つようになってきました。
しかし、そろそろ年を考えなければならなくなりそうです。

あなたは実際の年齢より少し大人びています。
同年代の人よりちょっとしっかりしていて、
周りからよく相談されたりしするでしょう。
しかし、『ませている』と思われることもあるかもしれません。
時には子供のようにはしゃぐことも大事かと思います。

幼稚度32%
あなたは小学校高学年並みの幼稚さを持っています。
なんだかんだいってもまだまだ子供です。

大人度71%
あなたはもう立派な大人です。
十分に精神が発達していると思われます。

ご老人度42%
あなたは既に『初老』の段階に入ってます。
もはや止めることは誰にもできません。おじいちゃんに急接近です。

あなたとお友達になれそうな人
黒柳徹子  一休さん  星一徹

*****************************

私って大人だわ……っていうか、フケてるって感じ?
隠居願望はあるのは事実だが、ご老人度が42%って?
そうかぁ…おじいちゃんに急接近かぁ……
いっそのこと、お金持ちのご隠居様の後妻の座でも狙ってみるか?
一休さんとなら、ぜひともお友達になりたいような気が。
星一徹は嫌だな。ちゃぶ台、ひっくり返されたら後片付け大変そうだし。

……はぁぁぁっ。ダメだぁぁぁ。
「精神年齢」について書きたいことが色々あったのに
今日は、ちっとも日記かくエネルギーがないのだぁぁ。
「日記を書く時間」にあてている昼休みの「お昼寝」しちゃったからなぁ。
夏は、はじまったばかりなのに、なにげ〜にバテ気味。
日記書くペースを落としてみるかなぁ……とか思いつつ
それでも今日は、書いておきたかったので惰性的日記を更新。

たまには「やる気なさげ」な日記もアリってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月22日(土) 非通知電話

仕事中くらい携帯の電源切ってもいいかも」と思いつつ
緊急連絡用……というよりも、むしろメール受信用。

もっとも、メールといってもウィーク・ディの日中に
メールが届くことなんて、滅多に無いのですが
仕事中に友人から、とぼけたメールが届いたりするのが嬉しくて
なんとなく手離せずに、携帯と2人連れで、お仕事してたりなんかします。
ちょっとしたお楽しみ…ってな感じで。

ちなみに仕事中に電話が掛かってくることは、まずありせん。
友人、知人も仕事中だったり、それぞれ忙しかったりするので
そりゃぁ、当たり前のことなのですが……

今日は、めずらしく仕事中に携帯が「ブルブル」しました。
非通知の電話だったので、間違い電話か何かかなぁ〜と思って
放置していたのですが、あまり何度も掛かってくるので
「もしかして緊急な電話を掛け間違ったりしてる?」と思い
席を外して、電話に出てみました。

私 「もしもし……」←だれか分からないので、ちょっとビビっている。
相手「………」
私 「もしもし。通じてますか?」←電波事情が悪いのかと思っている。
相手「……」

携帯の向うは物音1つしない静けさ…って言うか無言。
無言電話の相手をしているほど暇ではないので、携帯を切ったのですが
どうしたものか、それでも非通知でかかってくるので
もう1度だけ…と思って取ってみたのに、やっぱり無言。
もう取ってやるもんか。と、ちょっぴりムカついて放っておいたら
携帯は延々とブルブルし続けたりなんかして
「おぅ。おぅ。私になんの用事なんだい?」とて、もう1度取ったのですが
やっぱり、無言だったので、さらにムカッ。
あまりしつこいので、結局「非通知着信拒否」に設定しました。

それにしても無言電話って……
他人から怨みを買うようなことをした覚えはないんだけど?
無言電話の定番原因と言うと「痴情のもつれ」って感じ??
……いや、生憎ともつれるような痴情は無いんだか??
↑それは、それで、かなら痛い現実だが。
いやいや。単に暇な人が、適当に番号を廻してかけてきたとか??

携帯を「非通知着信拒否」にしたので、とりたてて問題はないのですが
真っ昼間に「無言電話」に情熱を傾けることができる余裕のある人って
なんか、羨ましいよなぁ〜〜と思ったりしたのでした。
↑こ〜ゆ〜発想も、ちょっぴり腐れてる…って気がしなくもないですが。

なにげ〜に不愉快な1日だったりしたのですが
帰宅したらば、乙女な母の機嫌が、すごぶる良かったので
ちょっぴり愉快な気分になったりなどしました。
乙女な母は30年以上のお付き合いをしている友人と
1年半ぶりの再開を果たして、なにやら興奮気味でした。
帰郷した友人に電話をしてい乙女な母を見て

あぁ……人生色々、電話の使い方も色々だなぁ……と思ったのでした。

6月22日土曜日。私の1週間は今日が折り返しだぜ……
日記書いてないで、早く寝るべ……
などと思いつつ、今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月21日(金) 記憶の鍵。

ちょっと前の日記に「本が捨てられない」って話を書いたのだけれど
今日は、そのことについての一考察。

「どうして捨てられないのか?」というのを自問自答してみた。
よく読み返す本や、もう手に入りそうにない本を捨てられないというのは
なんとなく自分でも納得できるのだが
実際は「さほど好きでもなく2度と読まないかも知れない」本というのも
けっこう、たくさん本棚にのさばっていたりなんかする。
そんな本は捨てちゃってもいいのではないだろうか?
……と思うのだが、これが、やっぱり捨てられない。

どんなに印象が薄い本でも、たいして面白くなかった本でも
捨てようと手に取ってみたら、当時の記憶がフィードバックしてきて
なんてなく捨て難い気分になってしまうのだ。

その本を読んだ時に自分が考えていたこと……とか
その本を買った時のこと(いつ・どこで・だれと買ったか)…とか
その本を買った当時、自分が生きていた環境……とか

本を手に取って、しみじみ思い出に浸ってしまったが最後
「あぁ、やっぱり置いておこう」ということになってしまうのだ。
どうやら私にとって「本」は記憶の鍵になっているようだ。

私の場合は「本」なのだけれども、個人の趣向によって
「もの」じたいは違っていても、記憶の鍵になるアイテムってのは
多かれ少なかれ、それぞれに持っているんぢゃないかと思ったりする。
写真だったり、音楽だったり、映画だったり、アクセサリーだったり……
その「もの」を見ただけで、記憶がいっきに呼び覚まされてしまうような
そんな特別なアイテムが、存在するような気がする。

「もの」を捨てるのが嫌なのではなくて
もしかしすると「記憶」を葬ってしまうのが惜しいのかも知れない。
「ものが捨てられない」というのは
本来、そういう事なんぢゃないかと思ってみたり。
私の記憶の鍵穴は「卒業アルバム」にはピクリとも反応しないのに
「本」には過剰に反応してしまうのだと思う。

私は、あまり昔のことに固執するタイプではないし
過去より現在、そして未来が大切だと思っているのだけれども
だからって、何もかもキレイ・サッパリ捨てきる度胸はない訳で……

だから……だから私は
処分しようと思っていた本をギリギリまで手元に置いておこうと決めた。
もしかしたら、突然「もう、いらない」って思う日が来るかも知れないし。
エキサイティングな記憶が、どんどん生産されて
古い記憶なんて、どうだって良くなっちゃうかも知れないし。
……成り行きに任せてみようと思う。

まわりくどくなってしまったけれども
ようするに「しばらく本は捨てないぞ」ってことが書きたかったのだ。
今日、色々と書き散らしたことは、
結局のところ、本を手元に置いておくことへの言い訳。
もしかすると、ちよっとだけ当たってることもあるかも知れないけれど。

自分の中で進んでゆく方向を定めてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月20日(木) 妹な1日。ご機嫌な1日。

昨日は年上の友人、Iさん、Nさん、Hさんと神戸へ出掛けた。
お気に入りのフランス料理店で豪華なランチを食べるのが目的だった。
大阪にだって美味しいお店はあるのだけれども
昨日は「神戸」の雰囲気を味わいに行った……ってな感じ。
平日の昼間に何人かで集まるだなんて、滅多にない。
ひとえにIさんが有給休暇を取ってくれたお陰だった。Iさんラヴゥ♪

Hさんとは昨年の秋にお会いしたきりだったので久しぶりの再会。
「あれ? 髪のばしてるの?」と聞かれる。
「いちおう頑張ってロング・ヘアーを目指してるんですけどね」
と答える私の横でIさんがクスクス笑っていた。
Iさんには、私が髪を伸ばすと志しては、短く切り、切っては伸ばし……
というループにハマッちゃっていることを知られているだけに
「今度こそは頑張りますよ」と笑って誤魔化す。
……いや…マジで今回は本気なのだ。

豪華な食事を食べて、プレゼントを戴いた。
Iさん、Nさん、Hさんと遊ぶ時は「末妹扱い」の甘えたい放題。
妹ってポジションに憧れる私としては、至福のひとときだったりする。
同志Fが言うには「あの、お3方は白蓮を甘やかせ過ぎ」なのだとか。
同志Fだって、Iさん、Nさん、Hさんには甘やかさせれていると思うのだが
あえて追求はしないでおこうと思う。

食事の後で、神戸ではちょっと有名な珈琲店へ入った。
レトロな洋風建築の店内は、ほんまりと暗くて
「嶽本のばら」が喜びそうなお店だなぁ〜とか思ったりする。
私は、そこで生まれてはじめて「アイリッシュ・コーヒー」を頼んだ。
アイリッシュ・コーヒーは、名前の通りアイルランド発の飲み物。
火にかざしたアイリッシュ・ウィスキーに
珈琲を注いでクリームを浮かべたもので
女性向き某ゲームに登場したキャラクターのお気に入り…ということで
↑分かる人には分かるはず。あえて名指しはしないけど(笑)
4人で、ちょっとづつ「味見」をした。
残念ながら私は珈琲党ではないので、美味しさは分からなかったが
寒い時に飲むといいのかもなぁ…と思った。
ちなみに、昨日は暑かったのだが。それもまた、ご愛敬である。

「妹」とか「末っ子」ってのはイイもんだなぁ〜と思う。
……ってか「お姉ちゃん」っていいよなぁ。「お兄ちゃん」にも憧れる。
末っ子育ちの人は妹とか、弟に憧れちゃうんだろうか?

美味しいもの食べて、他愛もないことを喋って、目一杯楽しんだ1日だった。
毎度ながら思うことだが、楽しい時間ってのはアッと言う間に過ぎてしまう。
もっと、ゆっくり遊びたいなぁ〜と思うくらいが
丁度良いのかも知れないけれど。
とことん楽しみ尽くすより、次に繋げる方がいいのかも。
次にお逢いできるのは秋くらいかなぁ……

楽しかった1日を思い返してみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月19日(水) 飛び込んじゃった人達って?

世間の話題に疎い生活をしている私だが、昨日はW杯をTV観戦した。
途中で居眠りしちゃったりもしたが「観た」ってことに意義がある。
W杯の感想を書こうかと思いつつ、もっと気になることがあるので
今日は「気になること」について。

日本は負けてしまったのに、昨日も道頓堀川には
たくさんの人が元気一杯飛び込んでいたようだ。
私はTVで「飛び込む人々」の姿を清々しい思いで見ていた。
物を壊したり、人を傷付けたりするのは賛成できないけれど
川に飛び込むくらいは、楽しくて良いなぁ〜と思ったりするのだ。
たまには、パーッと弾けちゃうのもアリってなもんだ。
なんの行事もない日に道頓堀川に飛び込んだら「変な人」と思われそうだが
こんな行事の時なら飛び込んだって、それほど変な感じがしないし。
……とか思わない人もいるかも知れないが。

それにしても「飛び込んだ人」の「人となり」が気になって仕方がない。
年齢とか、性別とか、出身地とか、職業とか……
やはり関西の人が多かったのだろうか?
流石に女性は少なかったと思うが…もしかするといなかったかも?
若い人が多かったのだろうか?
それとも案外、年配の人々も飛び込んぢゃったりしたのだろうか?

なにより気になったのは「飛び込んだ人のその後」である。
残念ながら道頓堀川は、非常に汚い川なのだ。
これは、あくまでも想像なのだが、あの川の水に浸ったら
とっても「臭い」と思われる。
彼らはどうやって家まで帰ったのか?
水浸しで、臭いままの身体で、電車に乗ったのだろうか?

ちなみに道頓堀川のある大阪ミナミの繁華街にも「銭湯」があったりする。
着替えを買って、銭湯に行けばOK…ってなところだろうが
もしも私が銭湯の主人だったら
「濡れていて・臭くて・汚い客」は遠慮したいと思うが
「お客様は神様です」ってことで受け入れてもらえたのだろうか?

『私は道頓堀川に飛び込みました』
……って人に直撃インタビューがしたくてたまらない。
インタビューが叶わずとも、こっそりお話なと聞きたい。
そして……そこで仕入れた情報は今後の人生に生かしていきたいと思う。
↑ひそかに、私も飛び込んでみたいと思っていたりする。

今日はネットをウロウロして
『私は道頓堀川に飛び込みました』って人を探してみたのだけれど
残念ながらお逢いすることは出来なかった。
あんなに沢山の人が飛び込んだのだから
ネット上に体験者が潜んでいたって、不思議ぢゃないと思うのだが。

もしも……この日記を読んでくださったいる方の中で
「私の知人は飛び込みました」って方がいらっしゃいましたら
その辺のことを聞いてみていただけませんでしょうか?
掲示板でなくても、こっそりメールしてくださると嬉しいです。
もちろん『私は道頓堀川に飛び込みました』って方がいらっしゃって
「飛び込みの極意」を教えてくれたりなんかしたら……
嬉しくて、踊り出しちゃうかも知れません。

素朴な疑問について書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月18日(火) 生きていくために必要なもの。

人が人として生きていくために必要なものなんて
ほんの、ちょびっとしか無いんだなぁ……と思う。

たとえ、それが、どんなに執着していたとしても
それが無くなったからって、死んぢゃう…なんてモノは
それほど沢山あるもんぢゃないよなぁ……と思う。

私は……不幸自慢をする訳ではないけれど
引越しのたびに家が小さくなっていった…という経緯をたどってきたからか
物質的な執着というのは、あまり持っていない。
捨てていかなければ、生きていけなかったので
「惜しみなく捨てる」というのが得意技だったりする。
なんてったって、前回の引越しでは
「卒業アルバム」なんかも惜しげなく捨てたし。
↑友人の間では、そうとう顰蹙を買ったエピソードだったりする。
狭い日本の世知辛い住宅事情において「モノを持つ」ということは
ちょっとした贅沢ではなかろうか……と思う。

そんな訳で、私は一般的な女性に較べると「モノ」を持っていないようだ。
服にしても、鞄にしても、思い出の品にしても……
執着も強くないのが救いだが、小ザッパリし過ぎているのは
ちょっとサミシイように思ったりもする。
人は合理的には生きられないものだから……

だから……
執着しているモノがあったりするのが人間らしい……ってな訳で。
私は卒業アルバムさえ容赦なく捨てる女だが
どうしても捨て難いモノがあっりする。
本が……本が捨てられないんである。
捨てられないと言っても、引越しの度に相当な数を処分してきたし
1年に何回か、定期的に処分することだってある。
しかし、ここのところ忙しさにかまけて本の整理をおこたっていたらば
机ま周囲が、とんでもないことになってしまった。
容赦なく本が山積みされている中てPCが埋まっている……ってな感じ。

身の回りが散らかっていると心が荒んでくるので
今日は仕方なく本の片付けをした。
「やっぱり処分していくしかないよね」と思いつつ
1冊、1冊を手にとったのだが、どうしたものだか
今回は「エイ。ヤァッ」と思い切ることができなかった。
だからといって、そのままにしておく余裕はなかったので……
100円ショップへ駆け込んで店頭に並んでいた
「文庫本収納袋」を12個ばかり買い占めてきた。
↑ビニールのバックで文庫本が20冊くらい入る。

とりあえず、文庫本を袋詰めにして、本棚と天井の隙間に並べてみた。
……なんか、イイ感じかも♪
身の周りもスッキリしたし、気分も晴れやかな感じだった。
「文庫本収納袋」は、まだ足りない感じだが、買い足していけば良いのだ。
ひと仕事を終え、満足した私に愚弟が言った。

嬉しそうにしてるけど……でも…本の数が減った訳ぢゃないよな……

たぶん、私は、とんでもない勘違いをしているのだと思う。
人が人として生きていくために必要なものなんて
ほんの、ちょびっとしか無いのだ……本がなくたって生きていけるはず。
なのに……それなのに私は……私は……

人の心の不条理を噛み締めつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
卒業アルバムを捨てたのは1冊でも多く本を持っていたかったから。
どこか…人として間違っているような気がしなくもない。


2002年06月17日(月) 2人の共同作業♪

私は建築CADオペレーターという仕事をしている。

毎日、毎日、PCに向かって、せっせと他人の家を描くのが私の仕事。
最低でも8時間異常PCに向かっているのだから
ちょっとはPCに強くなりそうなものなのだが、そんな事はなくて
仕事と、遊びに使う程度の知識……ってのがあるに過ぎない。

現在はウィンドウズを使って仕事をしているのだが
2年ほど前は「ユニックス」ってなOSを使っていた。
今の会社に入って、はじめて触わるOSで
当時はドキドキしながら触わっていたが
今では、ほとんどの仕事がウィンドウズに移行しているので
ユニックスは「昔のデータ」が必要な時にだけ呼び出すOSとして
私の席の横で、ゆるゆると隠居生活を送っている。

だが、しかし。だが、しかし。

ごくまれに、どうしてもユニックスが必要になることがあるのだ。
そんでもって、そんな時に限ってトラブルが起きてしまったりするのだ。
PCにトラブルが起きた時には、本社のシステム部に救援してもらう。
ネット・ワーク社会の勝利……って感じなのだ。

その日もめずらしくユニックスを使い……
そんな時に限ってトラプルが発生して……
いつものようにSOSを出したのだが……

なんと。ユニックスとネットワークが繋がらなかったのだ。
救援してもらおうにも手段がなかった。
電話口で呆然としている私に、ユニックスの使い手は静かに言った。

「私が指示を出しますから、その通りに打ち込んでください」←冷静な声。
「えっ?」←ビビル私。
「現場での作業が必要なのですが、ちょっと行けそうにないし」←苦笑。
「ええっ? そんな……」←呆然といる私。
「大丈夫。頑張りましょう」←畳み掛けるような声。

それから1時間ばかり……私は耳に受話器をあてて
せっせとユニックス使いの指示通りに打ち込んでゆきましたとも。

エンターを押して……なにが出てきましたか…そうですか……
…スペース……スラッシュを2回……シフトキーを押しながら……
確認のためスペルを読んでください……はいOKです
…ドット…スペース……

なんだか二人羽織をしているようでした。遠隔操作されてるって感じ?
結婚披露宴で言うところの「2人の共同作業」ってなノリだった。
遠くの方で聞こえる外国の歌の聞いているような夢うつつ状態で
それでも、つつがなく作業は終了した。

「お疲れ様でした。これで、もう大丈夫です」
ユニックス君が正常に動き出した時の、嬉しかったことと言ったら!
私は顔を見たことのない、電話の向こうの「ユニックスの使い手」と
思いっきり、肩を叩き合って、喜びを分かち合いたい……と思ったくらい。
電話の向こうにいた、その人も
私と同じくらい嬉しそうな顔をしていたんぢゃないかと思う。

仕事的には、うんざりするほど単調な日々だが
たま〜〜に、刺激的な事があったりする。
そうさ……
今日はヤクザの親分さんの契約がチャラになったって事も聞いたしね。
あんなに入魂して頑張ってきた家だったのに……
話によると、ライバル会社にサクッとさらわれてしまったらしい。
私は素敵なプランだと思ったんだけどなぁ。なんか悔しい。

イイことがあれば、悪いこともあるさ……ってところだろうか。

明日は待ちに待った休日。
まずは仕事を忘れて、ゆっくり過ごそう
……ってなな感じで、今日に日記は、これにてオシマイ。


2002年06月16日(日) 1枚の写真。

先日、20代前半の頃の自分の写真を見る機会があった。
「昔の自分を振り返る」というのは誰しも恥ずかしいものがあると思うが
私もご多分に漏れず、恥ずかしい思いを噛み締めつつ写真を眺めた。

写真の中の私は、今の私とは別人28号も同然である。
ひとことで言うと「男らしい」のだ。
ショートカットにジーンズをはいて、ムスッとした表情で写っている私は
若い娘……というよりも、むしろ少年のようだ。
実際は、こんなに、背の低い男性はいないだろうが
写真では、その辺のニュアンスは分からないので、十分少年に見える。
愚弟曰く「黙ってたらマジで男に見えるよな」だとか。

そりゃぁ、そうだろうとも。男らしいとも。
だって、あの頃、私は「男の子」になりたいと思っていたのだから。
……って言うか愚弟より1.25倍(当人比)は男らしかったと思う。

セクシャリティとしての「性」を拒否していた
……という訳ではなくて

「女性であること」が悔しく思われる事が多かったのと
「男の子だったら良かったのに」と周囲から始終、言われていたのとで
女性であることが嫌で、嫌で仕方がなかったのだ。

要するに「女性らしくする」ことに嫌悪感を持っていたらしく
当時の事は、思い出してみるだけでも、なんだか、こっ恥ずかしい。

私は私立の女子校出身なので
高校生の頃は三つ編みなんぞしてセーラー服にに身を包んでいたのだが
卒業と同時に時に髪を切り、スカートではなくジーンズをはいた。
今にして思えば、気持ち的にも、目一杯、とんがっていたし
元々の性格じたいがキッパリ、ハッキリ、スッキリ、サッパリだったから
当時は、そうとう男らしい女だったんぢゃないかと思う。
↑いまでも「男らしい」名残りは多少なりとも残っているが。

しかし、なんだかんだ言っても「ドレス好き」で
なんだかんだ言っても「綺麗なもの好き」な私が
男らしくある……というのは、やっぱり不自然だったようで
いつの間にやら「女性らしく飾る」ようになっていた。
特別なキッカケは、なかったように思う。
ゆっくりと……回り道をして、たどりついたという感じ。

そんな訳なので「とんがって男の子っぽい私」しか知らない人と
今になって再会したりなんかすると、吃驚されることが多い。
「うわぁ。綺麗になったねぇ。やっぱ女の子は恋すると変わるね」
……とか、なんとか。

私は、恋をしたから変わったのではない。
あの頃、私は、自分が女性であることを否定していた。
そして、あるべき姿に戻っていっただけなのだ。
とんでもなく遠回りをしてしまったけれども。

あれは私にとって必要な回り道だったと思うのだけれど
ちょっと、勿体無かったような気もする。
10代後半から20代前半の、女性が美しさを満喫できる時期に
その楽しさを、ちゃんと満喫しておかなかったのだから。
今では「あと10歳若かったらゴス・ロリとかに走ってるよなぁ」
……なんて思ったりなんかするのに。
遅れをとった分、これから先の人生は倍にして取り返していくぞ……っと♪

たった1枚の写真で、これだけ楽しんだらお得かもね…ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月15日(土) 高いのはテンションだけ…みたいで。

どうやら私、低血圧のようなのです。

健康診断などで「血圧低いですね」と言われたことは何度もあったのですが
「血圧は低いくらいの方が長生きできる」なんて話もあったりするので
今まで、それほど気にしないで生きてきました。
朝だってまっとうに起きれていますし、仕事だってちゃんとこなせているので
それほど問題はないかな……なんて。

だけど、最近、ちょっと「しんどいなぁ」と思うことがあったり
出勤日は頑張れても、休日は魚河岸に並んだマグロみたく
1度、地べたに転がったら起き上がれない……なんてことがあったので
「ちょっくら血圧でも測ってみるかな」と思い立ち
家庭用の血圧計で血圧を測ってみたならば……

上が82。下が44。

一般に最高血圧が100ミリHg以下の場合を低血圧と定義するようなので
私の場合は、立派に低血圧って感じなのだと思います。
私が高いのはテンションだけ…のようです。てへっ。
私の周囲には低血圧の女性が多くて
「低血圧だから朝、起きられないの」なんて話を聞いていたので
「ちゃんと起きられてるから大丈夫」って思っていたのは浅はかだったかも。
まぁ、それは、それとして低血圧を改善していきなきゃなぁ…とて
「低血圧」について調べてみたのですが

規則正しい生活をして、ゆっくり休養、適度な運動…云々。

はぁぁ。それってば低血圧に限らず「健康的な身体作り」の基本ですね……
逆に言うなら、それが出来ていないからトラブルが出てくる訳で。

先日、ネット友人と生で会った時に
「日本人は働き過ぎですよね」ってな話をしました。
「……って言うか、ゆっくりできるようだったら病気しないよねぇ」
なんて笑ったりした、つい数日前。
↑天に唾する行為ってところでしょう。えぇ。
私の職場など、半年で2回も救急車を要請していますし
入院者だって、同じ課内に、何人も出ています。
いくらなんでも、それって、ちょっとなぁ……ってな感じです。
だからって、働かない訳にはいかないので、その変の匙加減が微妙な感じ。

これから暑くなってきますし、しっかり食事なとして
ちょっとでも体力を付けていかなくちゃなぁ…と思っています。
いやはや……これを読んでくださっている「あなた」も
健康には、くれぐもご注意くださいませ。
乗り切りましょう。梅雨。ブイブイ行きましょう。夏。
なんてったって1番の資本は身体ですし。

そんなこんなで今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月14日(金) 死に際にかますネタ

なにかと言うと本のことばかり書いている私だけれども
これでけっこう漫画好きだったりする…って言うかオタクだし。
あまり漫画ネタでは書いたことがないので、今日はちょっくら漫画話など。

最近は、とんと漫画を読まなくなってしまったし
収納スペースの関係で、ほとんどの漫画は処分してしまったけれど
それでも、やっぱり「好きなものは好き」だったりする。
なので好きな漫画は「本屋の手先」みたく
好きな漫画は手当たりしだい人にススメまくってみたりなんかする。
小説は読まない…って人でも、漫画だとアッサリとハマってくれたりするし。

最近、勧誘活動に成功したのは
『BASARA』 田村由美 小学館フラワーコミックス って少女漫画。
近未来ファンタジー的大河浪漫冒険たんって感じで読み応えはバツグン。
初めて読んだのは何年も前のことだけど
20冊以上あったコミックスを徹夜で読んだんなぁ(遠い目)
とっても思い入れのある作品なので、いまだに勧誘活動を続けているのだ。
今日も、ちょっと語ってみようかな……とか、ふと思い立ってみたりして。

作中に登場する人と、その一場面について云々。

作品の中に関西弁を使う「エェ男2人組」がいるのだけれど
同郷のよしみ……ってのを抜きにしても、私は彼らが、お気に入り。
いつも漫才みたいなことを言い合っていて「いい味」のコンビなんだけれど
物語の途中、片割れが大ピンチに陥っちゃって
相方が、片割れを助けに敵地へ切り込んで行き
瀕死の片割れを背負って、相方が脱出劇を……ってな場面があって
「くぅ。男の友情って感じやねぇ。泣けるねぇ。いいねぇ」
……って感じなんだけど、これが相当笑える場面なのだ。

瀕死の片割れを見て、感極まった相方が声を振り絞って言うんである。
「死ぬ時は一緒やで!」
泣ける……とっても泣ける場面。男の友情ココに在りってなところ。
だが、しかしカタワレは言うのだ。
「いややぁ。死ぬ時は1人で死んで」
でもって、すかさずツッコミが入るあたりが秀逸。
「なんでやねん」もちろんツッコミ返しも絶品。
↑漫画で描かれている表情をご紹介できないのが非常に残念。

極限状態に陥っても「ボケ・ツッコミ」が出来るのって憧れちゃうんである。
私も死ぬ時は、なにか一発披露して死にたいと思う。
↑ちなみに漫画の2人はちゃんと生きて敵地から脱出している。
死に際に笑いを取るのはムツカシイかも知れないが
せめて、側にいる人が「膝カックン」になるような事は言い残したい。

そのためには日頃から周到に「ネタ」を用意する必要があるだろうなぁ。
『BASARA』を読んでから「死に際にかますネタ」について
なにか面白いものはないかと考えているのだけれど
これが、なかなか思い付かない。
しかも「笑い」は時代によって移り変わってゆくものだけに
周到に用意したネタが当たるとも限らないあたりが悩ましいところだ。

「死に際に笑いを取る」には、ネタの準備よりも
言葉と笑いのセンスを磨いておく方が、手っ取りは早いかも知れない。
1発勝負で、やり直しもきかないだけに、度胸も必要になってくるだろう。
道は遠く……そして険しい……

なんだか、とてつもなくツマラナイことを書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月13日(木) 説教を喰らう。

昨日、乙女な母から説教を喰らった。

まったくもって、弁解の余地ナシ……ってな内容のことだったので
屁理屈女王の私も、神妙に彼女の説教を聞き入れるしかなかった。
分かっちゃいたんだけどなぁ…
分かっちゃいるけどやめられない…みたいな。
説教の内容は、これまた結構、痛かった。
「白蓮の生活は、あまりにも余裕が、なさ過ぎるのではないか?」
「趣味や興味に力を注ぐのは良いが、もっと生活を大切にしなさい」
……と。

生活のために仕事して……ネットして趣味に時間を割いて……となると
「生きるために必要なことがら」について疎かになりがちな今日この頃。

汗臭いのが嫌だからシャワーを浴びて……
食べなきゃ動けないから栄養素を摂取する……
寝なきゃ死ぬから、とりあえず寝る……
と言うような姿勢でもって暮らしているので

「美味しいものが食べられて嬉しい」とか
「夏のシャワーは気持ちが良いね」とか
「やっぱ布団に転がるのって最高」とか

以前の私なら、当たり前のこととして感じていた感覚を
今は、ひとかけらも感じられなかったりする
……ってな部分を自分自身で自覚しているだけに
母の意見は、ひたすらに耳が痛かった。

毎日をギッチギチに詰め込み過ぎて…やりたい事が多過ぎて……
「楽しみにしていること」以外の事柄は、すべて面倒臭いことだったりして
なにげないことを楽しめていなかったりする今日この頃。
W杯にも興味を持てず、巷のニュースにも触手が伸ばせず
ただ「現在、興味を持っていること」を堀り下げるだけの毎日は
人として、貧しい生き方ではなかろうか……と思ったりする。

今の私は「ネット・ジャンキー」というほどネットもできていないし
↑かつては「ジャンキー」ちっくな時期もあったが。
「読書中毒」というほど読書もできていない。
そして……こっそり励んでいる秘密工作も中途半端だったりするし
ほとんど「人として、どうよ?」って感じである。
私としては、おおいに励んでいるつもりだったりするのだけれども。

だが、毎日をギッチギチに詰め込んでいるって事が、結局のところ
すべての事柄の足を引っ張っているのだと思う。
パワーが不足していると言うか……スポイルされていると言うか……
そう言えば「約束のある休日」以外は
もっぱら休養Dayとして、くたばっている日が多かったりするし。
些細なことでも「度が過ぎる」というのは見苦しい。

私は私の持っている器から溢れるほどの生活をしてる感がある。

ちょいと、生活を見直さねばならないかのぅ……と思ったりした。
我が身の馬鹿さ加減を反省しつつ、ジレンマに身悶えしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月12日(水) 人の趣向。人の繋がり。

人間の趣向って恐い……と思うことがあった。

昨日、乙女な母と愚弟と話をしていて
めずらしく芸能人の話題が上がった。
「じつはね。お母さん、Kがタイプだったりする」と乙女な母。
乙女な母は、乙女であるがゆえに
「誠実そうで、爽やかで、真面目な好青年」が好きだと思っていたので
 ↑乙女な母自身、そんなタイプの人が好きだと話している。
乙女なK君が好きだというのは、以外な発言だったし
なによりもKは私が「人として嫌い」と思うタイプの人間だったので
ちょっとエキサイトして話をしてしまった。

「ところでKの、どこが好きなの?」
「だってKの、○○なとこが感じ悪いと思うけど?」
「Kがたまに見せる、○○な部分って、人してどうかと思うし?」

……ってなことを乙女な母に尋ねてみたら。
乙女な母が毅然と言ってのけたのである。
Kの「あんなところ」や「こんなところ」が嫌なヤツってのは分かっているけど
だけどKの「あんなところ」や「こんなところ」は可愛いと思うし
やっぱり母はKみたいな男性がタイプである……と。

私は乙女な母がK君の「嫌なところ」に気付いていないと思っていたが
乙女な母はKの「嫌なところ」も気付いていたし、それを知ってもなお
「やっぱりKは母の好みタイプの男である」と言い切った。
まぁ、人の趣向はそれぞれなので、それは、それで良いのだが
母娘で、キッパリ趣向が別れたのは珍しいことだった。

私が特に嫌いな芸能人=乙女な母が特に好きな芸能人
別にどうってことは無いのだが、不思議な感じだった。

ここは1つKと同性である愚弟の意見も聞いてみることに。
愚弟の発言は、なかなか興味深いものだった。
俺も姉と同意見でKは嫌いだし、男として、どうかと思う
……って言うかさ……俺、思うんだけど……
Kの性格とか内面って、本質的に死んだ父と似てるよね。

目から鱗が落ちた思いだった。

今まで私は、どうしてKという芸能人を、そこまで嫌いと感じるのか
自分自身でも不思議に思っていたのだが、なるほど納得。
たしかにKの「あんなところ」や「こんなところ」は死んだ父と似ている。
母が好きだと感じ、私が嫌いだと感じる理由も解明されたも同然だ。

「嫌やわぁぁ。やっぱり、お母さんって男を見る目がないのかなぁ?」
……とて、乙女な母は、ちょっぴりショックを受けたようだった。
父は放蕩者で、家族に迷惑をかけまくって死んだので
「もう父みたいな人はこりごり」というのが母の口癖なのだが
今回のことで乙女な母は「そんなタイプの男が好き」ってことが
見事に立証されてしまったのだった。
娘としては「それでも好きだったのね」って事実は嬉しくもあったが……

人間の趣向って恐いなぁ……と思わずにはいられなかった。

いま流行りの「だめんず・うぉ〜か〜」なども、こ〜ゆ〜事なのだろう。
好きという感情は理屈ではなく、もっと深い部分から沸きあがってくるもので
自分では、どうしようもないモノなのではないかと……
……ってことは「一緒になる運命」ってのも存在するのかと思ってみたり。
もちろん理性で「好き」だと感じることもあるだろうが
「惚れる」とか「惹かれる」ってなことになると
もっと動物的だったり、本能的だったりするのかも知れない。

私は運命論者ではないし、「運命」を言い訳に使うのは嫌いだが
それでも見えない糸と言うか、繋がりと言うか
そ〜ゆ〜ものは存在しているのか知れないなぁ……と思った。
「引き合う作用」ってな感じのものがあるんぢゃないかと。
広い意味で使ってみるとするならば
示し合わせている訳ぢゃないのに、似た趣味の人が集って友人になった。
……みたいなこととか。

なんとなく、「日記らしからぬ」そんなことを書いてみたりして
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月11日(火) ネット友人と逢う。

今日はネット友人のJさんとお逢いした。

Jさんとは、なんだかんだと1年半ほどのお付き合い。
ランチを一緒にする約束をして、大阪市内で待ち合わせ。
まったくの初対面で、写真を交換した……ということもなかったのに
ちらりと見ただけで、その人がJさんだと分かってしまったのには驚いた。
待ち合わせ場所に人が少なかったということもあるが
たぶん、人がいっぱいいてもJさんを見つけられたと思う。
それくらい「ネットJさん」と「リアルJさん」にはギャップがなかった。

ネットで知り合った人と1対1でお逢いするのは4度目のことだが
「イイ人だと思うけど、もし変な人だったら、どうしよう?」とか
「話が盛り上がらなくて、沈黙しちゃったら、どうしよう?」とか
何度経験しても「ドキドキ感」は相当のもので
今回もドキドキしていたのだけれども
なんだか、初対面とは思えないような感じだった。
年齢が1つしか違わない…ということもあっただろうが
クラスメイトと再会したような、やたらと気安い感じだった。

ランチを食べながら、お喋りに突入。

仕事のこと、将来のこと、ネットのこと、ペット自慢、家族のこと……
初対面だったのに、次から次へと、話のネタが出てきた。
ランチの後は、お店を変えて、そこでも、ひたすら喋りまくる。
いい感じのテンションを保ちつつ5時間以上も、ぶっ通しで喋っていた。
聞きたいこと、伝えたいことが多すぎて5時間でも足りなかったくらい。

ネットを通じて、お付き合いをする中で「いい人だなぁ」とは思っていたが
生・Jさんは、ネットの印象のままの「いい人」だった。
もしも、同じクラスだったり、同じ職場だったりしたら
絶対に友人になっちゃってるだろうなぁ〜〜と思ってしまったくらい。
理屈ぢゃなくて「ウマが合う」という感覚。

私自身が働く女性なので、仕事に熱いJさんは、とても魅力的だった。
色々な話をしたが、いっとう熱く語ったのは「仕事のこと」と「将来のこと」
突き詰めて言うなら「これから先、いかに生きていくか」ってこと。
↑だからってクソ真面目トークをしていた訳ぢゃないのだが。
20代後半から30代って仕事人として、とても重要な時だと思う
…というのが、私とJさんの共通した意見。

今は昔に較べると、女性でも仕事人として生きやすくなっている時代だが
やっぱり、まだまだ…ってな部分が多いのも事実なので
働く女性ってのは色々と考えてしまったりするのだ。
29歳のジレンマとか、結婚適齢期が……ってなレベルの話ではなくて
30代を実り多いものにするには、どうしたらいいだろう……みたいな。

仕事人生活でJさんは大きな転換期を迎えようとされているのだが
良い方向に転がって欲しいなぁ……と思わずにはいられない。
お互い、悩み事だの、困り事だのあるけれど
「泣き言を言いながらでも頑張っていきましょう♪」と言ってお別れした。

ネットやってて良かったと心から思った。
本当に……それは、それは楽しい1日だったのだ。
とても、日記には収まりきれないほど得るものがあった。

Jさんとの感激の対面について、ちょっとだけ書き残してみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

<私信>
Jさんへ。
私も早いとこパートナーを見つけて、のろけ話をご披露します〜♪


2002年06月10日(月) ひねくれ者的発想かもね。

『もしも世界が100人の村だったら』って本を人から借りて読んだ。

読書日記には残しておきたくないタイプの本なので
こっちの日記書こうと思う。
……というのも、私の好みの本ではなかったからだ。

『もしも世界が100人の村だったら』は書店でも山積みで売られているが
もともとはWeb発だったはず。
ちょっくら前に、大流行して、ネット世界の住人達を感動させたようだが
このテの理論の展開って、私は好きぢゃないのだ。
なにも頭から否定してかかるつもりはないのだけれども……

私は『もしも世界が100人の村だったら』を読んで思い浮かべたのは
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という日本の古い言いまわしだった。

『もしも世界が100人の村だったら』の考え方が間違っているとは思わないし
現実問題として考えるならば「まってくもって、その通り」だと思う。
広い世界には、色々な人がいて、色々なことがあって
自分には思いもよらない暮らしをしている人がいる。
しかし「私の位置はAよりも下だがBよりも上である」というような
幸せのはかり方というのは、どこか間違っているのではないだろうか?
間違い…と言うよりも、むしろ「傲慢」という方が適切かも知れない。

『もしも世界が100人の村だったら』で書かれていたことを引用してみるなら
文字が読めるから、教育を受けたから、食べ物が豊富だから……
だから自分は幸せだと定義してしまうのは短絡的だと私は思う。
あらゆることに恵まれているから幸せだとは限らなだろ。
あらゆることに恵まれていないから不幸だとも限らないだろう。

もちろん「戦争」や「貧困」といった状況が幸せだと言うないのだが。

他者と自分をくらべて、自分の幸せを計るという方法は
あまりにも「自分」というものを粗末にしているような気がしてならない。
確かに「何かと比べたい」という気持ちは誰にだってあるものだが
それを基準にして、安心するというのは、いかがなものだろうか?
そして……「自分より不幸な人がいるから」なんて発想じたい
どこか病んでいるように思えてならなかった。

他者との比較で確立するのではなく
「自分は自分」「私は私」という意識を持つ方が素敵ぢゃないの?
……みたいな。

広い世界を見渡してみて、つつましく、喜びを感じながら生きていこう
……という考えは素晴らしいと思うし
日頃、考えようともしない「世界」について考えるのは良いことだと思う。
『もしも世界が100人の村だったら』に出会って
自分自身の幸せを再確認した人がいるのなら
それは決して、悪いことではないとは思うのたけれども……

なんとなく「自分」を大切にしていないような理論の展開ではないかと
私は、そんな風に思ってしまったのだ。
素直に感動できなかったのは、私が「ひねくれ者」だからかも知れない。

屁理屈っぽく「流行物」について語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月09日(日) 「なぞなぞ」は苦手ってことで。

昨日は怒り心頭のあまり、ぐっすりと眠れなかった。

朝、鏡を見ると、目の下がクマっぽい。表情もなにやら殺伐とした感じ。
今さらだが「怒る」ってのは、健康によろしくないようだ。
蒸しタオルで応急処置をして寝不足度満点で家を出た。

通勤電車で寝よう……と思ったけれどテンションが高すぎて眠れずに
けっきょく、いつものように読書をしながら県境の山を越えた。
ここのところ読書不振だったのに、怒りを忘れるほど本の世界にハマる。
とんでもなく「痛いてててっ」なタイプの作品だったが
読んでいるうちに、昨夜の電話なんて、ど〜でもイイように思えてしまった。
ささいなことでも、出会いのタイミングって大切だと思う。

たいそうムカついたのだが、一夜明ければ「あんなもの」という感じ。
気持ちの切り替えは早いに方がいいのだ。
楽しいことだったら、反芻していたいと思うのだけれども。

それにしても、昨日の電話は、なんだったのだろうか?
怒りがおさまると、色々な疑問が頭をもたげてきた。

そもそもY氏と私の間には、Y氏の妻(私の先輩Yさん)がいるはずなのに
妻を飛び越えて、直接、電話を掛けてくるのって、ちょっと変?
しかも「なにかあったら僕の携帯に電話をしてきてください」
なんて携帯番号を教えてくれようとしたのには本気でビビッてしまったし。
↑流石に「なにかあったらご自宅にお電話します」とお断りしたが。
「いまさら」過ぎるところも、なんだか妙な感じだし。
不惑を向かえた人とは思えない唐突ぶりではあるまいか?
……とか、なんとか思ったりしたが「なぞなぞ」を解くのは苦手なので
考えるのはやめておくことにする。

落ち着いて考えてみると狐につままれたような感じである。

たっぷりと不愉快な気分を味わって、踏んだり蹴ったりだったが
ここ1ヶ月のうちで最高潮にエキサイトした出来事だった。
毎日、地味〜に暮らしていても「ちょっとした事件」ってのは
向こうの方から飛び込んでくるものだと、つくづく感心してみたり。
山椒は小粒でピリリと辛い……ってなトッピングであった。

今日は「いい読書」ができたので、本の感想でも書いておこうと思ったが
プンプン怒ったせいで、エネルギーを使い過ぎてしまったらしく
やる気はあるけど身体がついてこない。
ウルトラマンで言うなら、カラータイマー点滅中ってところだ。
仕事が暇だったのは不幸中の幸いだった。
今夜は早く寝よう……って言うか、きっと早く寝ちゃうと思う。

落ち着いて、昨日と今日を振り返ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月08日(土) ブチ切れ!!!

ブチ切れてしまいました。

ここ半年の間で最高潮のキレっぷりだと思います。
そんな訳で今日は長くて、暑苦しくて、見苦しい日記になると思います。
だけど頭にきちゃったので書いちゃうぞ……と。

今夜は、とんでもない人から、とんでもない内容の電話がありました。
できれば声も聞きたくないな……ってな人からの電話。
電話の主は私の先輩にあたるYさんの御主人のY氏。
Y氏は現役の医師で、愚弟が事故に遭い「死ぬかも」って事態に陥って
「小さなことでも良いので助言してください」とお願いした時に
まったく相手にしてくれなかった人だったりします。
平たく言えば「足蹴にしやがった」って感じでした。

Y氏は開口1番
「お久しぶりですが弟さんの具合はいかがですか?」ときたもんだ。
……って言うか、1年も前のことだし。
……って言うか、退院した時に一応、嫁のYさんに連絡してるし。
「おっさん、今さら、何ぬかしとんねん?」
……って言いたいところでしたが、私も常識的な大人なので
「その節はご心配をお掛けしましたが、おかげさまで……」
なんちゃって、月並みに、ご挨拶をしました。

誰だって自分が1番可愛い。だから都合の悪いことは言いたくない。
ましてや派閥とかある医師の世界……
愚弟が死にそうだって時に、親切な入れ知恵をしてくださった某氏は
よっぽとお人よしだった……ってことで納得しましょう。
えぇ。あの時のY氏のことなんて、今さら、ど〜だってエェんです。

Y氏は「あの時、僕が何も言わなかった理由は……」からはじまって
言い訳の雨、嵐。「いまさら、そんな話いらんちゅ〜ねん」と思っていたら
「現在のリハビリは……」とて今度は説教の雨、嵐。
いやいや。ご心配してくださってありがとう。でも今は順調なので
あなたの助言なんていらないんです。
……って言うか、あなたとお話するりのも不愉快です…と思いつつ
ここまではY氏の好意として受け取ることにしました。

が、しかし……

Y氏は、その後でとんでもないことを言い出しやがったんです。
なんとY氏は縁談を持ってきたのでした。
しかも、その縁談のお相手というのは
5年以上も前にY氏と、Y氏の母上にすすめられて「Y氏の顔をたてるべく」
何度かお逢いした上で、丁寧なお断りした男性でした。

「あいつは、僕よりも、ずっと骨のある男だから」とY氏。
……って言うか、そんなエェ男やったら
もっとエェ女紹介したれ…ちゅ〜ねん。
「ところで、彼の連絡先とか、今は分かるかな?」とY氏。
……って言うか、その人のことなんて
記憶の端っこにもなかった…っちゅ〜ねん。

何、考えとんぢゃぁ! 頭カチ割って、脳味噌ストローで吸い出したろか!
人を馬鹿にするのも、えぇ加減にせぇ!

……と啖呵の1つでも切ってやりたいところでしたが
私も常識ある大人ですし、なによりYさんの御主人……ということで
とりあえず丁寧にお断りさせていただきました。
ちなみにYさんが、この件を知っておられるかどうかは不明です。
Yさんが関与しているとか、いないとか……ってことも
私にとっては、ど〜だって、良い話なんですが。
それにしたって、厚かまし過ぎやしませんか?

1年前……頭を下げてお願いして、足蹴にされたなんてことを
今さら、ど〜こ〜言うつもりはありませんが
「どのツラ下げて、そんなこと言う訳??」って思わずには入られません。
……って言うか、純粋に腹立たしいし、ブチ切れてしまいました。
こんなに熱く怒ったのは久しぶりのことです。

憂さ晴らしに、会話劇チックに記録してやろう……とか
とりあえずYさん本人に
「こと」と「しだい」をたずねてやろうか?……とか
色々と思ったりしたのですが、ここで発散してオシマイにします。
限りあるエネルギーは大切に使わなくちゃ……

それにしてもムカッ腹が立ったなぁ!!

なんだか、ちっとも「怒り冷めやらぬ」なのですが
これ以上書いていても、なんですので
今日の日記は、まとまりなく、これにてオシマイ。


2002年06月07日(金) 扇子

建築士のTさんは『ヒカルの碁』という囲碁漫画にハマッている。
昨日など、そっと後ろから忍び寄ってきては「右上スミ小目」とか言いながら
私がせっせとトレースしている図面の角を扇子で指しては喜んでいた。
↑作品に出てくる、いつも扇子を手にしているキャラクターの真似らしい。
「あぁ。若いってスバラシイ!」ってなTさん24歳。
それでも、一応、若手のホープで、いい仕事をする仕事人である。

Tさんは、よほど囲碁漫画にハマッてしまっているらしく
昨日は、扇子を片手にうろちょろと『ヒカルの碁』について語っていた。
Tさんが、あんまり楽しげに扇子を持っているものだから
なんだか私も扇子で遊んでみたい気分になって
昨年、友人の N嬢がプレゼントしてくれた扇子を引き出しから出してきた。

ちなみに私は、どんなに暑くても、団扇や扇子は使わない。
なんだか手を動かすのが面倒くさいような気がするので
汗がダラダラ流れるほど暑くて、涼をとる手段が団扇しかなかったとしても
私は汗を流しっぱなしにして、あおがない……というタイプだったりする。

そんな訳でN嬢からもらった扇子は、ずっと引き出しで温存してあった。
↑N嬢ごめんね。悪気はなかったんだけど使ってませんでした。

今風のデザイン的な扇子ではなくて、和風ティストで小振りの扇子。
薄野に、薄い紫色のトンボが飛んでいて、涼しい感じが素敵。
ゆっくりと扇子をあおいでみると、ほのかに焚き染めた香の香りがした。
やわらかな風に乗って、うっすらと広がってゆく香は、心地が良く
今さら遅いよ……って感じだが
扇子って道具は「風を送る」だけに使うものではないのだと気が付いた。
そう言えば、華道で使う扇子は重要アイテムだったりするものなぁ。
伝統的なものってのは、なかなか奥が深いでござる。
一生懸命にあおいで風を送ったりしなくても
ゆっくりかざして、香を楽しむだけでも、案外涼しくなるのかも知れない。

今年の夏は、ぜひとも扇子を持ち歩こう……などと思いながら
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月06日(木) 優しい人ほど涙を流す

心優しい人ほど、涙を流す……ってのが私の持論だったりするのですが
本当のところは、どんなものなんでしょうか??

ちなみに私は「現実生活」では、ほとんど泣きません。
悔しくて歯ぎしりする事は多いですが(苦笑)
しっとり、さめざめ泣くこたぁ〜ありません。可愛げないです。マジで。
映画や、本を読んで泣くのはへっちゃらだったりするんですけどね。
現実生活で泣いたのなんて、忘れちゃったくらい昔過ぎて
いつ泣いたのかも分からないくらいだったりします。
それくらい泣かない人です。私は。

だから……って訳ぢゃありませんが
私は「泣いちゃってる人」には無条件に弱いです。

これは理屈ぢゃありません。
世の中には、涙を武器にしちゃう人がいるのは百も承知ですが
少なくとも「私が関心を持ってる人」の中で
そんな、みみっちぃ人はいないって思ってます…って言うか信じていますし。
……って言うか、そんな人はいないでしょう。間違いなく。

優しい人ほど涙を流すのですね。
心を痛めたりするのですね。
「ごめんなさい」とか思ったりするんですね。
ホントは、これっほっちも悪いコトしてなかったりするにね。

あぁ。ホントにイイ人ほど痛い目に逢うってのは、どうよ?

泣いてるあなたは優しい人なんですよ……きっと。
そりゃぁ、けっして喜ばしいことぢゃないとは思うけれど。
私は、そんなあなたを応援しちゃう。しちゃう……みたいな。

今日は突発的に書いちゃったりなんかして
日付も「超・フライング」だったりするんだけど
これは私の日記なので、私の書きたいことを書いちゃうのです。

Uちゃん、頑張れ。こっそり応援してるし。←あくまでもこっそりだけど。
「めぇる」とか「掲示板」とかに書こうと思ったんだけど
なんか……こう押し付けがまし〜感じしたら嫌だしなぁ〜とか思って
うっかりココに書いちゃったの。まぁご愛嬌っでことで。

ぢゃ、今日の日記はこの辺で。
……って言うか、今日は2回目の日記なので明日はお休みするかもね。
↑明日付けの日記で更新しちゃってるし(笑)
それもまた、激情的でイイぢゃん♪ ってことで、ごめんなさいまし。
なんだか私信ちっくだけど今日の日記は、これにて、オシマイ。


2002年06月05日(水) 梅酒を作る。

休日の今日、梅酒を作った。

昨年作った梅酒が上出来だったので今年は張り切って2瓶ばかり。
1つは定番のホワイト・リカー漬け。
1つは趣向を変えてブランデー漬け。
梅雨を前にした楽しい行事……って感じである。

2キロばかりの青梅を、丁寧に洗ってヘタを取って
水気を飛ばして、竹串でブスブスと穴をあけて
青梅と氷砂糖とアルコール類を瓶に入れたら出来上がり。
あとは、熟成するのを、待つぺし。待つべし。待つべし。

「いい匂い」のする単純作業ってのは精神的に良いような気がする。
「香りの効果」ってほど大げさなものぢゃないけれど
匂いを嗅ぎながら、ニマニマと考え事をするのはなかなか楽しい。
うんざりするほど単純作業が多かったであろう昔の人の生活は
単調で刺激は無かったろうが、今よりゆったりしていたかも知れないなぁ
……なんてことを思ったりした。

ちなみに今日は梅酒を作るのには、もってこいの良い天気だった。
秋頃には、きっと美味しい梅酒が出来ていることだろう。

「梅酒」を作っていると、ついぞ思い出されるのは
高村光太郎の『智恵子抄』に収録されている一篇の詩。
亡き妻が生前漬けた、琥珀色の梅酒になぞらえて
妻のことを書いていた詩があったなぁ……とか、なんとか。

一般的に年代物の梅酒は美味しいと言われるけれど
私は「ほどほど」に浸かった梅酒の方が好きだったりする。
以前、年代物の梅酒をいただいたことがあるのだが
たしかに「まったり」して「まろやか」ではあったが
どこか重苦しいような味で、ちょっと胸につかえるような気がしたのだ。
我が家の場合は梅酒が「年代物」と呼ばれるまでに消費されてしまうので
よほど戴き物でもないかぎり「年代物」を飲むことはないのだけれど。
今年は2瓶漬けたので、少しは長持ちするだろうか?

ホワイト・リカーとブランデーに浸かっている青梅は
今のところ「浸かってる青梅」に過ぎないが
これからしばらく、変化していくのが楽しみである。
氷砂糖が溶けていく過程とか、お酒の色が変わっていく過程とか。
しばらくは毎日様子をうかがうのだが、そのうちにだんだん飽きてきて
見向きもしなくなった時、梅酒は飲み頃を迎えているはず。

梅酒が完成する日を楽しみにしながら
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月04日(火) 学びたい一対

今日は10年来のペンフレンドと会ってきた。

前回あったのは……たぶん半年くらい前のことだから久しぶりの再会。
昼前に大阪市内で待ち合わせてベトナム料理店でランチ。
真っ昼間っからビールで乾杯ってのはご愛嬌というところ。
それにしても「昼酒」というのは背徳の味がして、やたらと美味しい。
昼食の後は映画へ(イマイチな作品だったので感想は割愛)
今風なお洒落系アジア・カフェでお茶をして別れた。
共通の話題といえば、音楽と「人形」ネタってところだったろうか。
色々な会話の中で

白蓮さんは、お母さんを甘やかせ過ぎだわ。
私なんて息子から、そんなことしてもらったことないし。
子供がしっかりすると親はダメになるのかしら?

なんてことを言われてしまった。
その意見はとても正しくて、ある意味において間違っている。
私だって、もう少し親がしっかりしていなけければ
ホニャララした子供になっていただろうから。
ちなみにペンフレンドのご子息は私より1〜2歳年長なのだが
ただいまフリーター生活を満喫中だったりする。
どこのご家庭にも「こまったこと」の1つや、2つはあるというものだ。

ペンフレンドと私とは、親子ほど年が離れているのだが
本当に 良い友人関係を築いているように思う。
ペンフレンドは生粋の「お嬢様育ち」のマダムなので
少々ガラッパチな私の話が楽しくてたまらないしらく
私はペンフレンドの鷹揚なところや、豊富な知識が
刺激にもなるし、勉強にもなる。

たぶん、私とペンフレンドの関係は「学びたい一対」なのだと思う。
自分の知らない世界や、体験できないことを
友人を通じて学んでいくというのは楽しいことこの上ない。
世界は広ければ広い方がイイ……と私は思う。
もっとも、そう、あっちこっちに手を出していられないのが現実なのだが。

それにしても楽しい1日だった。
ペンフレンドと別れてから、家族へのお土産にケーキを買って
自分用に晴雨兼用の日傘を購入(安物自慢をしたいくらいの安日傘!)
日傘は、この夏の通勤で活躍してくれるだろうと思う。

明日は部屋の片付けをしなければ……などと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月03日(月) 正論が常に正しい訳ではないでしょう。

正論が常に正しいのではない
……なんて事を思わずにはいられない今日この頃だったりする。

景気は回復しつつある…ってな話もポツポツ聞かれるようになったけれど
まだまだ厳しさは相変わらずのようで
私が派遣されている職場でも「リストラ」問題は深刻である。
若手社員の間にも、そろそろ「悪い噂」が横行していたりする。
会社として生き残っていくためにはリストラも仕方のないことかも知れないが
他人事とは言うものの、やはり胸が痛む。

「仕事できない人を置いとくのは無駄だから当たり前のこと」
…というのは正論だろう。反論の余地は、どこにもない。

しかしながら「親がかりで暮らしている独身のお嬢さん」や
「1人暮らしをしているが、いざとなったら駆け込む場所のある娘さん」
……のように「働いて糧を得る」ことの重みを感じていない人達の口から
このテの言葉を聞くと、内心、腹立たしい気分になってしまうのは
私だけのことだろうか?
いっぱしに所帯をしょって立つオヤジが言うのであれば
それもまた「社会の厳しさ」として納得できる部分もあるのだけれど。

「利益を生み出さない」社員は企業にとってお荷物なことこの上ない。
しかし、彼らにだって生活ってものがある。
家のローンだの、子供の教育費だの、老いた親の生活費だの
どうしてもお金がいる世代の人間がリストラされちゃったりしたら……
ちょっとや、そっとの大変さではないと思うのだ。
「仕事やめちゃったら、とりあえず、のんびり休養して……」
なんて暢気な事が言える、そこいらの娘さん達と
所帯持ちのオヤジ達とでは「労働」の重みはまったく違う。
もちろん「娘さん」だって、重みのある「労働」をしている人もいるのだが。

正論が、いつも正しいという訳ではないと思うのだ。

極論だが「いっそのこと自殺しちゃいたい」って言う人がいたとして
「死にたきゃ死ねばいいぢゃん。死ぬのは個人の自由だしさ」
なんてのも正論と言えば正論だが、どこか違うよな気がするのだ。
ましてや「死にたい人がいたら、背中押してやるよ」
なんてことを言うとなると、それは言語道断……だと思う。
人の痛みが分からないのか、もしくは感情が欠落しているのか……
正義感とか、倫理感とか、そ〜ゆ〜問題ではなくて
「それって、どうかしてるんぢゃない?」と思わずにはいられない。

リストラ関連の話題でもって、蔑んだり笑ったりできる人というのは
私の中では「どうかしている人」としか思えないのだ。
そして案外「どうかしている人」の数は多かったりもするし
「どうかしている人」は、ものすごく身近にいたりなんかもする。
私とて、いちいち腹を立てたり、反論したりする訳ではないのだが
「なんだかなぁ」という思いは拭い切れない。

やたらとシビアなことを書いてみたりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月02日(日) 6月の花嫁

6月である。6月といえばジューン・ブライド。6月の花嫁。

先日、電話で話をしていた友人が
今年は6月に結婚式が重なって、寿貧乏だと愚痴っていた。
私達の年代は「今年で30歳チーム」なので20代のうちに
……ってな感じで、結婚に踏み切る人が多いのだろうか?
私の親しい友人で結婚の予定があるのは今のところK嬢ただ1人。
なんだか甲斐性無しの揃い踏み…という感じで複雑な心境だ。

なんとなく結婚話で盛り上がり「理想の結婚」とかなんとか
そんな方向に話が流れていった。たわいない話である。
新婚旅行は、どこがいい…だの、式は教会式で…だの
ホテルもいいが、レストラン・ウェディングもイイね…だの。

ちなみに私は「結婚式」ってものに、あまり思い入れを持っていない。
「入籍」さえすれば万事OKぢゃないんだろうか? と思っている。
「理想の結婚像ってどんなの?」と聞かれて
そうだねぇ。チャーミー・グリーンの爺婆夫婦かなぁ……
年とっても手ぇ繋いで、名前で呼びあったりするんだぁ……
などと思っていることを言ったらば

「それは、それで素敵だけど、私が聞きたいのはそうぢゃないのよ」
「たとえば…ドレスとか着たくないわけ?」
とて、なにやら哀願するように聞いてくる。

何故、そんなに「熱く」なるんだ??
電話越しなので彼女の表情は分からなかったが
きっと捨て犬のように、ひたむきな瞳をしていたんぢゃないか思う。
やはり、結婚式続きで、ちょっと神経質になっているんだろうか(?)
仕方がないので、私は軽〜く「ちいさな夢」を語った。

そりゃぁ私は「ドレス好き人間」だからウェディング・ドレスは着たいよ。
だからって披露宴とか、式がしたい訳ぢゃなくてさ……
ウェディング・ドレスでダーリンにお姫様だっこしてもらったら
それだけで満足しちゃうなぁ……みたいな。

長〜い沈黙の後で、友人は言った。
「……ものすごい以外なことを聞いてしまった気がする」
彼女は、いったい、私の答えに「なに」を期待していたのだろうか?
「白蓮が…まさか、そんな恥ずかしいこと考えてたとは…驚いたよ」

……私だって驚いたよ。
彼女は乙女系だと思っていたが、実は現実的な女性だったようだ。
世間の独身女性は披露宴のシュチュエーシュンに対する夢は持っていても
「お姫様だっこ願望」なんてのは持ってないのだろうか?
……って言うか、私って…もしかして…馬鹿?

もっとも、よくよく考えてみると
彼女も私も結婚の予定など、どこを見渡してみてもなかったりするので
まったくもって、ど〜でも良い話だったりするんだけれども。
やたらと恥ずかしくて汗をかいてしまった。
キジも鳴かずば撃たれまじ…である。
これからは「隠れ乙女」と名乗ろうかのぅ。とほほ。

恥ずかしい話を書いてみたところで今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年06月01日(土) カンパネルラの思い出

読書日記に『銀河鉄道の夜』でも書いておこうとて
書き始めたはいいけれど、色々なことが思い出されてきて
やたらと脱線してしまったので、こっちの日記に書くことにする。

恥ずかしながら私にとって『銀河鉄道の夜』は「激ラヴゥ」の1冊で
もっと恥ずかしいことを書いておくならば
ネット・デビューした頃は「カンパネルラの妹」というHNを使っていた。
↑カンパネルラとは『銀河鉄道の夜』の登場人物。
あまり長すぎるHNは実用向きではない…ということに気付いてから
「カンパネルラの妹」というHNは返上してしまったのだけれども
今でも思い入れの深い名前だったりする。

話は逸れてしまうけれど、我が家には私と弟のほかにも
もう1人子供がいた……らしい。私の上に、男の子が1人ばかり。
死産だったそうなので、実際には「いない」も同然なのだけれども
両親にとって、初めての子供だった……ということと
「死産」という哀しい結末が衝撃的だったことから
私は小さい頃から両親や親戚から「赤ちゃんの時に死んだ長男」の話を
それこそ「耳にタコができる」ほど聞かされて大きくなった。
彼は、私にとって「幻の兄」のような存在だった。

ちなみに幻の兄は、物事がスムーズにすすんでいる時は登場しない。
たいてい何某かトラブルがあった時に話題にのぼってくるのだ。
もしも「あの子」が生きていたら、今頃は……みたいな感じで。
その後に続くのは、たいてい、この言葉。

そうでなくても、せめて白蓮が男の子だったら良かったのに。

正直なところ私にとって幻の兄は迷惑な存在だった。
「なんだぃ。私だって、けっこう立派にやってるぢゃないか」
などと悪態をつきながら、彼のことを忌々しく思ったものだ。

だが、そんな風に敵対視しながらも
どうした物か、私は自分の中で「幻の兄」の幻想を育てていたらしく
銀河鉄道の夜に登場するカンパネルラという少年に
いつしか、幻の兄の存在を重ねあわせるようになっていた。
ちなみにカンパネルラは「ドラえもん」に登場する「出来杉くん」のように
よく出来た少年で、物語のラストで姿を消してしまうのだが
「現実であって現実でなし」というシュチュエーションも
どこか自分の作った幻想とマッチしていてお気に入りだった。

だから「カンパネルラの妹」だったのだ。
カンパネルラの妹は、兄を慕い、兄のようになりたいと思っていた。
頭が良くて、優しくて、男前で(男前は私の中のイメージ)、頼り甲斐があって
カンパネルラの妹は、兄の後ろにくっついて行けば良いのだ。
なんて素敵♪ 妹は甘えっ子と昔から相場が決まっているし♪

どんどんと大きな存在になっていった幻の兄だったが
今の私は、もう彼の存在を必要としない。
何一つ助けてくれない「出来杉くん」よりも
まったく出来は悪いが、そこにいる「のびたくん」的な愚弟の方が
当たり前だが、よほど私の力になってくれている。

それに……
カンパネルラは「サソリの火」に焼かれてもかまわない…と言ったが
私は「サソリの火」になんて焼かれたくない。
今を生きて、やりたいことが、いっぱいあるから。
なんとなく憧れてはいるけれど、カンパネルラは憧れの王子様であって
幻の兄でも、なんでもないんだよなぁ……と今は思っている。

つらつらと、たわいもない思い出話を書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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