白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月30日(火) トホホな大人は素敵な大人を目指す。

夢にまでみた黄金週間はじまり。はじまり。
「あんなこと」や「こんなこと」や「そんなこと」や
とにかく、普段は出来ないことを思う存分やってやるぜと
そりゃぁ、もう楽しみにしていたのに、滑り出しは最低だった。

黄金週間初日。私は1日布団の住人だったのだ。
前日、仕事帰りに職場の有志による飲み会に参加したのがマズかった。
うむむ。そんなに飲み食いしなかったのになぁ〜
胃の腑の具合が良くなくて「ゲロッパ」だったりなんかして
日がな1日、うつらうつらと寝て過ごしておりました。
ある意味において「普段できないこと」を実行したと言うか
姉ちゃん情けなくって涙出てくらぁ……と言うか。
1日、ベッタリと寝ていたおかげで元気になったことだし
休養できたのでヨシってことで。まずは1日目終了。

「だいたい、あんたって子は……」という決まり文句からはじまる
乙女な母から説教にも、まったく反論できないあたりはトホホのホ。
大人なんだから体調管理くらいできないとイカンなぁ……反省。
私は小さい頃から「早く大人になりたい」と思っていたし
大人と呼ばれる年齢になった今も「素敵な大人」になりたいと思っているが
お世辞にも「素敵な大人」からは、ほど遠いように思う。
悪人でも、人でなしでもない…ってところが自慢(?)って感じ。

敢えて言うなら「トホホな大人」だと思う。
トホホな大人だが、目指すは素敵な大人だ。うむ。

すっかり元気になったことだし、明日は頑張るぞ〜
とっぴんからりのぷぅ。 ←(注)昔話の定番の「〆言葉」
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年04月29日(月) 断髪

昨日、髪を切った。
失恋したとか、ふっ切りたいことがあったとか
深い理由なんて、これっぽっちも無かったのに……

昨日は仕事が早く終わって、真っ直ぐ家路についたのだが
途中、顔見知りの美容師の兄ちゃんと遭遇してしまい
立ち話をしているうちに、なんとなく話に乗せられてしまって
そのまま美容院へと拉致されてしまったのだ。

いちおう「髪を伸ばす」という志を捨ててはいないので
あまりシャギーを入れずに切ってもらった。
……これって、オカッパ…ぢゃん。
「カット」というよりも、むしろ「断髪」という趣。
古風と言えば聞こえは良いが、別の表現だと野暮ったい…ってところ。
まぁ。いいか。髪なんて、すぐ伸びるさ。
↑強がってみたりする。

それにつけても、ここまでくると美容師さんという仕事人さんは
私にとって「天敵」と呼んでもいいような気がする。
嫌いとか、そ〜ゆ〜訳ぢゃないのだけれども苦手なのだ。
これは美容師さんに限ったことぢゃないのだけれども
私は「善意の人」に滅法弱い。
「悪意の人」に対しては、強く出れるんだけどなぁ。

もしも美容師を生業にしている人から求婚されたら
なしくずしにOKしてしまうんぢやないかと思ったりして。
……って、美容師さんを苦手とする私が
美容師さんと親しくなる可能性は限りなく低いと思うので
心配することなんて、ありゃしないんだけど。

なにはともあれ、髪も切ってサッパリしたし
これで心置きなく黄金週間に突入できるというものだ。
まずは手始めに「朝寝」など。

黄金週間を迎える喜びを噛み締めつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月28日(日) 飽和状態の理由。

最近、何かにつけて飽和状態なのだ。

もうこれ以上は何も入らないという感じ。
なんとなく曖昧な表現だなぁ。うむ。
調子が悪いとか、そ〜ゆ〜ことではなくて、強いて言うなら
「調子に乗り過ぎている」ってところだろうか。

黄金週間を前にして、仕事に波があるのもさることながら
それでも公私共、忙しかったピークを思えば余暇が増えている分だけ
「あれもしたい」「これもしたい」などと
遮二無二、色々なことを詰め込み過ぎているのだ。

活動的なのは良いのだけれど、現実問題として考えると
やっぱり「やり過ぎ」といった感じ。
お酒には「飲み過ぎには注意しましょう」と書いているし
煙草にも「吸い過ぎには注意しましょう」と書いているし
どんな事でも「過ぎる」のは良くないなぁ……と思う。

「もっと。もっと」と望むのは人間の本能なのだし
上を望むからこそ、成長や発展があるのだけれども
それって、ある種の飢餓状態のようなものぢゃないかと思ったりもする。
求めても、求めても、まだ足りないというような……

仏教系の高校に通っていた頃に受けた宗教の授業で
「餓鬼」という世界についての説教を聞いたことがある。
高校生だった私は
そんなこと言われても、飢えを知らなければピンとこないよなぁ〜
……などと思って、ぼんやりと聞き流していたのだれど
「餓鬼」というのは何も「食べ物」に限ったことではないような。
すべての欲求は、総じて「餓鬼」に繋がっていくのではないだろうか。

愛情だったり。金銭欲だったり。性欲だったり。知識欲だったり。

「やりたいこと山盛り」で「めいっぱい行動」というのは
充実しているけれど、これでいいのかなぁ…などと思ってしまった。
もう少し「なにもしない時間」を持った方がいいかも…とか。
↑とか思うなら手始めに日記でも休んめっちゅ〜ねん。えへっ。

たとえば…今、隠し持っている願い事が100個あるとして
努力したり、運が良かったりしているうちに
100個の願い事が全て叶ったりなんかして
「あぁ。幸せ」と、しみじみ感じ入った瞬間に
もう101個目から200個までの新しい願い事が
出来ちゃったりする……みたいな。
そんな作用があるからこそ
頑張れたり、良くなったりしていくのだろうけれど。

長々と書いてしまったけれど要するに今の私は
黄金週間を前に浮かれ過ぎているのだと思う。
黄金週間までに「これ」片づけよう……とか
黄金週間には「あれ」をしてみよう……とか。
遠足の前日に眠れない子供と同じ状態なのかも知れない。

少しゆとりを持てよ。とて自分に言い聞かせてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月27日(土) 『北斗の拳』とガングリオン。

あたたたたたたたっ。あたっ!

往年の名作アニメ『北斗の拳』が再ブレイクしているとかで
『北斗の拳』好きとしては非常に嬉しい限り。
愛だよね。愛。愛の物語だったね。
親子愛。友愛。男女の愛。師弟愛。妖しい愛。
コテコテに、クドいまでに愛が溢れまくっていた。

私は愛の深い男が好きだ。愛深き男達に乾杯って感じである。
↑『北斗の拳』は少年漫画なので女性キャラは少ないんである。

なんて述懐している場合ぢゃなかった。
痛いんである。あたたたたたたたっ。あたっ! なんである。
最近、ご無沙汰していたガングリオンが……お久しぶりって感じ!
できちまったんだな。右の手首にポコッとな。左利きなのにさ。
↑マウス持つのは右手なんだな。

早いうちに病院行った方がいいよなぁ〜と思いつつ
平日(私の場合は木曜〜月曜)は病院行く時間無いしなぁ……
そして、休日、仕事をしない時は、痛いのがマシだったりするから
なんとなく行く気になれなかったりするのだけれど
あまり良くならないようなら、そろそろ観念して
病院のお世話になった方がイイかも知れない。
微妙に大したことのない症状だと、病院へは行き辛いもので。
言うなれば、歯が痛くないのに歯医者に行くのと似ているような……
いやいや。痛いんだな。これが。
黄金週間に突入したら、じぇひ病院へ行こう……

本日も勤勉に働いたので
ガングリオンは育っているんぢゃんいかと思う。
次の休みは、病院へ行こうと決意して
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
『北斗の拳』をご存知ない方はゴメンナサイなのだけれども
女性が『北斗の拳』のお気に入り人物を語ると
「男の好み」が如実に分かるなぁ〜って友人と話をしたことがある。
私が好きなのはトキ。同志Fはレイが好き。
親しい友人にアンケートしたところ
ジュウザ、シュウ、レイ…あたりに人気が集まった。
男性陣は圧倒的にラオウがお好みの様子。オタク話でかたじけない。


2002年04月26日(金) データ喪失。茫然自失。

昨日、まい・PCを軽くしてやろうとて
ハードに放り込んでいたデータをCDに移したりなんかしていたら
うっかり、消してはいけないファイルを削除してしまった。
PCの動作に影響する類のものではなかったのだけれど
今まで書き溜めていたものが一瞬に消えてしまうだなんて……

しばらくPCの前で、呆然と我を失っていたのだが
削除したデータを復活させる方法があるってことを思い出し
検索で調べて、自分で試してみた。が……蘇らなかった。
PCに詳しい人なら「ちょちょいのちょい」という作業かも知れないが
恥ずかしながら、私の知識では歯が立たなかったのだ。

半ば諦めモードでネットをうろついていたらば
削除したデータを復活させるソフト…というものを発見。
しかもフリー・ソフト♪
早速、ダウンロードして使ってみたらば
笑っちゃうほど簡単に削除したデータが復活してきた。
あんな素敵なソフトを無料で配っちゃう人に大感謝。

ごそっと削除したデータは、ほぼ復活させることができたのだが
「さるさる日記」で書いていたころテキストは
どんなに手を尽くしても、復活させることができなかった。
いまさら、読み返すことはないと思うのだけれど
喪失感というか、脱力感というか……
途方もなく、さみしい思いに襲われてしまった。

なくなってしまったものは、今さら戻ってこない訳で……
「新しい気持ちで日々を過ごせ」という
ありがた〜い、神の思し召しだと思うことにする。
↑「神」とか書いているが私は信仰を持ってる訳ぢゃない。

それにしても、もったいない事をしてしまった。
何年か後に読み返すのを楽しみにしていたのに…ちぇっ。
何をするにしても、もう少し落ち着いて作業をしなければ。
大雑把にもほどがある…ってな感じである。反省。

ちょっと痛い目にあって、反省してみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月25日(木) 1人でいることのサミシサ。一緒にいることの煩わしさ。

黄金週間を利用して江戸へ行くことになりました。

もう何年も、大阪と奈良を往復するばかりの毎日で
旅行なんて久しぶりなので嬉しくってたまりません♪
江戸にはシナリオ・ライター志望の回転寿司屋店員の同志Fや
出稼ぎに行ったN嬢(同志Fと私の共通の友人)の顔を拝みがてら
ネットで知り合った方ともお逢いしたいなぁ〜なんて。

で。先日、同志Fに「泊めてくれ」とて電話を入れました。

私  5月1日から、そっちに行くからヨロシク。
F  えぇよ。久しぶりに、ゆっくり話したいよなぁ。
私  うん。パーッと遊びに行こうと思ってさぁ。
F  ぢゃあ、3日ほど休み取るわ。
私  えっ。Fも生活あるし、1日でいいって。
F  遠慮するなって。N嬢の休みが合う日は3人で出掛けよう♪
私  ………

うれしげに、遊びの予定を立てる同志Fに…私は言えませんでした。
本当に1日で……少なくとも2日くらい休んでくれればイイってことを
3日も同志Fと一緒にいるくらいなら他に会いたい人がいるってことを。

本当のことを言うと、ちょっと以外だったのです。

同志Fと私は、今まで粘っこい付き合いはしていなくて
ある意味において信頼はしているのですが
キッパリ・スッキリ・サッパリ・アッサリな関係でいたので
同志Fが3日も休みを取ってくれるとは思ってもいませんでした。

遠方から訪ねてくる私をもてなしてくれるって意味もあるでしょうが
たぶん……間違いなく……同志Fはサミシイのだと思いました。
東京でも友人・知人を作っているとは思うのですが
それまで、ずっと地元にいて、親と暮らしていただけに
人恋しいとか、そ〜ゆう部分があるんぢゃないかと。
思えば、電話代を度外視した夜中の長電話も
そんなところがあったのだろうと思ったりしたのでした。

私は、まだ本当の意味で1人のサミシサを経験したことはありません。
そのぶん、一緒にいる煩わしさは経験しているのですけれど。
サミシサも、煩わしさも、上手く折り合いをつけて
それなりにやっていけるのがベストってところなのでしょう……

そんな訳なので、黄金週間は江戸で同志Fと友人のN嬢とで
楽しんでこようと思います。
その前に、やっつけなきゃいけない仕事が山盛りなのですが。
黄金週間を励みに新しい1週間を乗り切ろ〜
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年04月24日(水) あぁ! 憧れのHP!

そろそろ自分のHPが欲しいなぁ……と思ったりしています。

「いっそHPを作っちゃえば?」とすすめられたりして
日記も順調に(?)続いているので、自信が付いちゃったりして
お気に入りのHPとリンクしたいなぁ〜と思ったりして
とにかく、そんな、こんなで唐突にHPを作りたいと思ったのです。

善は急げとて愚弟にHP作成本と、HPビルダーを借りて
ちょろちょろっと遊んでみたのだけれど……
どうやら、私ってば、デザイン・センスが皆無のようで。
TOPページのレイアウトさえ思いつかないのです。
それどころか、ロゴを作るのだって
「うへぇ。面倒臭い」って思ってしまいました。
凝ったものを作るつもりはありませんが
文字オンリーというのでは、ちょっと寂し過ぎです。
そう言えば同人誌を作っている時も、面倒くさいレイアウトだの
表紙のデザインといったことは同志Fがしてくれていたので
私は書き散らしていただけだったような気が……

PC前で凍り付いている私に、愚弟が
「イメージに合う素材を指定してくれたらTOPくらいは作ったる」
などと、救いの手を差し伸べてくれたので
さっそく素材探しの旅に出掛けてまいりました。

いやぁ。素敵な素材屋さんの多いこと、多いこと。
ホントに目移りしてしまいます……目移りしちゃって……
どれがいいのか決められない……(涙)
迷っていても仕方がないので、いくつか候補を決めたのですが
イメージがバラン・バラン。統一性のカケラもありゃしないのです。
そして、そのうち選ぶのも面倒になっちゃったりして。

そんな、こんなで、いきなり意気消沈してしまいました。

それにしてもHP作ってる人って、センスいいですねぇ。
なにげ〜に見ているHPに、どれだけ「技」が使われていて
どれだけ工夫がされているのか、再発見しちゃいました。
みんなスゴイなぁ……絵心あるんだなぁ……
色々な素材や文字を巧みに組み合わせて
「あんなの」とか「そんなの」とか作ってたんですねぇ(遠い目)
……って言うか、エンピツ日記の投票ボタンの細工でさえも
「すげ〜、やってみたいけど面倒臭いし」
などと言って、いまだ手を付けていない私にとって
マイ・HPを持とうという野望は、壮大な計画なようであります。

私も仕事で毎日お絵描き(建物完成予想図の作成)をしているのですが
なにしろ私がしているのは、どちらかと言うと「写生」の領域なので
何もないところから、何かを作り出す作業ぢゃないんですよ。とほほ。

突然、湧いて出た「HP作りたい病」の発病と
その沈静化(言い訳も含む)について書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月23日(火) ストレスと身体変化。

ストレスが身体に悪影響を与えるってことは
あらためて書かなくたって分かってることなのだけれども
ほとんど「変身」って感じで見た目が変わっちゃったりするのを
目の当たりにすると、やっぱり驚いてしまいます。

私の職場の上司の御髪は昇進した日を境に、密やかに撤退がはじまり
今や、その頭頂たるや『国敗れて山河あり』という風情ですし
カリスマ建築士との評判の高いNさんは、ストレス太りが進行して
今や、昔の面影はなく『諸行無常の響きあり』といった感じですし。

女性だと、肌だの、髪だのが乱れちゃったりしますね。
↑私の場合だと吹き出物(大人ニキビ)が景気よく出てきます。
男女を問わず「寝付きが悪い」とか「食欲の異常」とか
とにかく色んな症状が出てまいりますねぇ。ストレス溜まると。

昨日、職場を去った20代の元・同僚が里帰り(?)にきたのですが
ほとんど別人? ってなくらい軽やかな表情で
声の張りから、喋り方まで明るくなっちやってたりして
「あぁ。会社辞めて正解だったね。おめでとう」と思うと同時に
人間、ここまで変わるものかと驚いてしまったのです。

変化(へんか)ではなく、変化(へんげ)って感じでした。
↑この2つの言葉って漢字こそ同じですが、まったく違うのです。

ストレスがなければ、人間は150歳まで生きられるとか
いやいや200歳まで生きられるとか……って説に
今までは「そりゃぁ、ちょっと言い過ぎぢゃないかな?」
なんて思っていたのですが
元気一杯になった元・同僚を見て、なんか…こぅ…
「そんな事もあるかも知れない」と思ってしまったのでした。

仙人は霞を食って長生きしていた……という話がありますが
本当は、人間のストレスを栄養源にしていたのではなかろうか
って事は、仙人って妖怪みたいな存在?
うむむむ。水木しげる に聞いてみたいなぁ〜
……などと、つまらない事を想像してしまったのでした。

元・同僚の変貌ぶりに驚いたり
つまらない想像をしたりしてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月22日(月) 売られたピアノと薔薇の花と。

夢見る建築士Kさんがピアノのレッスンをはじめた。
大好きなジャズの曲を自分で弾くのだと、電子ピアノを購入して
ただいま、せっせと修行中……なのだけれども
独学でピアノが習得できるなら、誰だってピアニストになれる訳……
Kさんは日々、苦闘しておられるご様子。
そんなこんなの経緯があって
私はKさんに楽譜の読み方だの、リズムの取り方だのを
昼休みなんかに、ちょろちょろっとレクチャーしている。

Kさんにピアノ講義をしているとノスタルジックな気分におちいってしまう。
なぜなら、かつては私もピアノを弾いていたのだ。
6歳から、20歳まで習っていたにしては下手っぴだったし
当時していた習い事の中では、ピアノがいっとう嫌いだったのに
習い事から離れて今では、ピアノが1番懐かしく思えるから不思議である。

ピアノ教室で、私は決して出来の良い生徒ではなかったし
長い月日の中で、始終「ピアノなんて辞めたい」と熱望していたのだが
「自分で決めたことは最期までやり通しなさい」という両親の方針から
「ピアノを辞めるなら、他の習い事も辞めてしまいなさい」との条件ゆえに
渋々習い続けていたに過ぎないのだけれども
教えを乞われば、アドバイスできるだけの知識は残っているようで。
何年も弾いていなければ、指も、ろくに動かないだろうし
難解な楽譜は読めなくなっていると思うのに。

以前、住んでいた家を処分して、今の長屋に来た時も
ピアノは私と共にあったのだけれども
父が入院して、1人暮らしをしていた愚弟が長屋に戻ってきた時に
置いておく場所も、心の余裕もなくてピアノは売ってしまったのだ。
あの時は、前に進むのに必死で、哀しいとか思う暇もなかったのだけれども
ピアノを売り払った日に、ペンフレンドが励ましの意味を込めて
ひと抱えもあるオレンジ色の薔薇の花束を贈ってくれた事だけは
今でも鮮明に覚えているし、その事は、きっと一生忘れない。

Kさんにピアノの知識をレクチャーしていると
私も、もう1度ピアノが弾きたいなぁ……と思った。
何年先になるかは分からないけれど
いつか、きっと自分のためにピアノを買おう。
手放したピアノは、もう戻っちゃこないけれど
新しいピアノを買おう。とびきり音の良いヤツを。

なんとなく、思い出にひたってみたりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月21日(日) 真面目を恥じちゃいけないよ♪

私は他人から「真面目ですね」と言われることが多い。
リアルでも、ネットでも、しょっちゅう言われる言葉だ。
ご丁寧に、真面目の上に「生」だの「糞」まで付けてくれる人もいる。
↑「生真面目」「糞真面目」ってことですな。
私は自分を真面目な人間だと思っているので
真面目と呼ばれるのは、ちっともかまわないんだけれど……

真面目って言葉が、否定的に使われることが多いんぢゃないかと思う。
そして「真面目であること」と「道徳的であること」を混同している人が
なにげに多いようにも思われるんだけれど……

大辞林による「真面目」の定義はこんな感じなのだ♪
(1)本気であること。真剣であること。また、そのさま。
(2)誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。

どうでせうか? 「真面目」って、ぢつは、こんな意味だったりするんだな。
「あっ。私ってば、ぢつは真面目だったんだ」とか
「あっ。私ってば、真面目だと思ってたけど、ぢつは違うかも」とか
「そんなの知ってらぁ。わざわざ書かなくたって、いいぢゃん」とか
人によって感想は違うだろうけれど。

要するに「真面目」って言葉の意味を踏まえてみると
真面目な人間ってのは……
シルバー・シートに絶対座らない…ってな人のことでも
エロ話なんて大嫌い…ってな人のことでも
道楽なんて、したことないや……ってな人のことでもないんである。
上に並べてみたのは「真面目」というよりも「道徳的」なのだと思う。
「道徳的である」のと「真面目である」のは根本的に違うのだ。

内向きで、地味な人間だからって真面目だとは限らないし
外向きで、派手な人間だからって不真面目だとは限らない

どうやら「真面目」という言葉には根の暗いイメージがあるせいか
真面目と言われてフリーズしちゃう人が多いような気がする。
実際、いぢわるな意味で使われることか多い言葉だし。
本気で、真剣で、誠実に生きてるのって、格好イイと私は思う。
真面目であることを恥じる必要なんて、どこにもありゃしないのだ。
……って言うか、本来の意味で真面目ぢゃない人って
なんか人生損してるよなぁ〜とさえ思ってしまう。
↑これについては私の個人的な、余計なお節介的感想なのだけれども。

いいぢゃん♪ 真面目だって♪ 胸はって行こ〜♪

私は真面目でありたいと思うし、真面目な人間が好きだ。
不真面目であるのが悪いとは言わないけれど
真面目な人の行動や、言葉ってヤツは
ひたむきであるがゆえに、心を揺さぶられる事が多いから
その分だけ、真面目な人が好きなんだと思う。

「真面目」について、真面目に語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月20日(土) あっぷ。あっぷ。

昨日、今日は仕事が忙しくて、あっぷあっぷしていた。
先週は夢のように穏やかな日々が続いていたから
これもまた、いたしかたがない。

それにしても……である。
楽な暮らしに慣れるのは早いようで、久しぶりにバタバタすると
情けないほどの、草臥れっぷりには、我ながら参ってしまった。
今日の昼休みは、お弁当を食べ終わると同時に
見苦しくも、不覚にも、爆睡体制に入ってしまった。
昼休みは日記を書く時間と定めているのに……
書くことは山ほどあるのに、睡魔には勝てなかったのである。

バタバタと職場が活気づいている雰囲気は嫌いぢゃないが
力を注いでも「水の泡」になってしまう仕事ってのは、ちょっと哀しい。
私は清書屋で、しかも時給で働いている派遣社員なので
どんな仕事であろうとも、仕事は仕事…って感じなのだけれども
建築士さん達は、そうはいかないから辛いところだ。

午後10時の時にダメ出しを喰らった
カリスマ建築士と称されるアンパンマン顔のNさんの
脱力した表情は、なんとも言い難いものがあった。
顔が濡れて力が出ないアンパンマンさながら……
Nさん、明日はジャムおじさんに新しい顔を焼いてもらってください。

フル活動したので、私もちょっぴり脱力気味。
今日、1日で良かったことと言えば……
残業帰りに、地元大阪で「イタチ」を目撃したこと♪
イタチは、たま〜に見かけるのだが、夜に見るのは初体験。
そう言えば、イタチは夜行性だったっけ…とか思って嬉しくなった。
あぁぁぁ。生き物万歳♪

なごやかに1日を振り返っている場合ぢゃないかも知れない。
早くお風呂に入って、寝なければ。
そんなこんなで、まとまりのないまま
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月19日(金) お菓子の栞。

私は「書くこと」が好きだが「読むこと」も好きだ。

本読み虫ってことは今更、書くまでもないのだけれど
本に限らず「活字」であったり「文章」であったりするならぱ
たいていの物は喜んで読む。とにかく読む。勇んで読む。
新聞でも、折り込みチラシでも、電車の中吊り広告でも。
病院のロビーに貼っているポスターなんかも楽しく読んでしまう。

ネット上にある「文章」を読むのだって、楽しくてたまらない。
日記等のテキストを読むのは当然のことながら
掲示板のやりとりなんかも夢中になって読んでしまう。
私のネット生活は、貧乏生活とともにスタートしただけに
「すげぇ。タダで文章読み放題だぁぁぁ」とて
はじめた当初は、やたらと感激したものである。
今まで楽しんできとことを金額に換算すると
PC購入費なんてのは、とっくの昔にチャラになっているはずだ。

とにかく「読む」という行為が大好きなのだけれども
本の形になっているもの以外で、特に思い入れのある読み物といえば
お土産のお菓子の箱などに同封されている「お菓子の栞」だったりする。
短い文章ながらも、地域色だの、開発者の思い入れだの
色々な意気込みがギギュッと詰まっているようで、あなどれない逸品だ。
ベタベタに駄洒落っぽいネーミングのお菓子にいたっては
名前の由来なんかが書いてあったりして、さらに面白かったりする。

会社にいると、出張や旅行のお土産にお菓子をいただく事が多いのだが
最近は「地域限定」のスナック菓子がまわってくる比率が高い。
『博多明太子プリッツ』だの『わさび味おっとっと』だの。
これは、これで美味しいと思うのだけれども
これらには「お菓子の栞」が付いてこないんである。
お菓子の栞を読みながら、お菓子を食べる醍醐味が味わえないなんて
こんなに切ないことがあろうか。いや、ない…って感じだ。
↑ちょっと反語を使ってみたりした。

そりゃぁ、外箱の後側に商品の解説は書かれているけどさ……
お土産を分配している人に「お菓子の箱をください」とは言えないのだ。
地域限定のスナック菓子にも「お菓子の栞」があると良いのになぁ。
「お菓子の栞」ファンって少ないのだろうか?
もっともスナック菓子に「お菓子の栞」は似合わないのかも知れないが。

地域限定スナック菓子は嫌いぢゃないが、ちょっと味気ない。
お菓子の栞さえ付いてすれば文句は言わないんだが……

「お菓子の栞」への思いを書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月18日(木) 飲茶的休日。

昨日は友人と飲茶を食べに行ってきた。

振り返ってみると……
愚弟が入院中は、義理的付き合いや、前からの約束は出掛けたが
それ以外には予定を入れないようにしていたので
職場の人間と飲みに行くことはあっても
仲の良い友人と飲み喰いする機会はなかっただけに
嬉しかったの、なんのって、そりゃぁ、もう♪

ちなみに私は飲茶が好きだ。

飲酒生活的にはワインが1番好きなのだけれど
ほら……なにですか……飲茶は箸で食べられるってあたりが……
フォークとナイフで食べるのが苦手って訳できないのだけれど
ワイワイ喋りながら、ひたむきに食べたい時は、箸がいい。
それに日本と似た文化を持つ、アジア圏の料理ってのは
味覚にも、身体にもピッタリ沿っているような気がする。

海老餃子、大根餅、レタスのオイスターソース炒めetc…
↑湯気の立つ蒸篭の蓋を開ける瞬間がたまりません。
青島麦酒、桂花陳酒、杏露酒、ジャスミン茶etc…
↑なんとなくチャイナ〜〜な雰囲気が嬉しかったりする。

喰ったり。喋ったり。喰ったり。

それにしても「ところで最近、頑張ってる?」って質問には耳が痛かった。
仕事と、生活に追われていて、ある意味において成長していないなぁ
……って事は、自分でも嫌ってほど感じているだけに。
夏までは、少し時間のゆとりが出来るのだから
次に会う時は「成長報告」ができるようにしたいなぁ……と思った。

確実に成長の後が見える友人が眩しく思えた。
石川啄木ぢゃないが「友がみな我より偉く」見えたのだ。
生活を大事にするのもいいが、自分自身も磨いてやらねば……
おいてけ堀だけは避けたいところだ。

そんなこんなで「飲茶的休日」を記したりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。

****************************

昨日、めでたく20000HITを突破しました。
遊びにきてくださる「あなた」に、ありがとうなのです。

毎日、好き放題に書けて、ストレス解消とか出来て
でもって、色々な人と話が出来たら嬉しいなぁ〜〜
……などという「自己中心的」かつ「低い志」をモットーに
これからも書き散らしていくかと思いますが
よろしくお付き合いくださいませ。

                  白蓮 拝


2002年04月17日(水) 怨みつらみは時間を超えて。

前の家に住んでいた時に親しくしていた爺様の訃報を聞き
母と2人でお線香をあげに出掛けた。

私の住んでいるところは大阪府といっても
通天閣だの、道頓堀だのUSJからは、ほど遠く
少し田舎びた雰囲気のある地域で今でも「旧村」というものがある。
爺様の家は立派な旧家で、ぞくにいう本家筋と呼ばれる家である。
私と母は、遅ればせながら訃報を知った旨を喪主である婆様に話して
8畳2間続きの立派な和室にしつらえられた
爺様の祭壇にお線香を供えた。

親しくしていた爺様だったが天寿をまっとうされたせいか
残念だとは思ったけれど、胸が千切れるような哀しみは感じなくて
夫を失ったばかりの婆様も実に淡々としておられた。

お参りの後は、近況報告だの、世間話だのと談笑をしていたのが
いつしか、婆様の昔語りとなっていた。
婆様は、和室の鴨居に飾ってある「先祖の写真」を見上げて
「姑には散々、いじめられてねぇ」とて
旧家の嫁として苦労してきた日々を語ってくれた。
嫁姑の問題は永遠のテーマではあるのだけれども
格式のある家だったり、財産がある家の場合、その根っこは深い。

婆様は、姑が死の床についた時に、ある復讐をしたのだそうな。
もう長くはないだめう姑の耳元で

いままで、散々、馬鹿と罵られてきた私ですが
あんたは、その馬鹿に下の世話をしてもらっているんですよ。
そして、もうすぐ馬鹿に看取られて死のうとしているんですね。
ほら、もう死ぬのが分かるでしょう。

……と囁いて、嘲笑したというのだ。

婆様は「年をとっても怨みつらみは忘れられるものではない」と言った。

なんて恐ろしいんだろう……と思った。
私が恐ろしいと思ったのは、婆様がした復習ではなくて
恨みつらみは、長い時間が経っても、決して消えないということが。

爺様の葬儀の時、爺様の義兄は葬儀の時に
「俺と○○は、ずっと扱いが違っていた……」とて
つらつらと恨み言を並べたのだという。
爺様と、爺様の義兄の複雑な関係については省略させていただくけれど
爺様の義兄は、八十歳を過ぎてなお、爺様を恨み続けていたのだ。

時間には哀しみを癒す力はあっても、怨みを消す力はないのかも知れない。

私にとって八十歳という年齢は、あまりにも遠過ぎて
想像のつかない世界なのだけれども
その年齢に達しても、長い時間を経ても
なお怨みを抱き続けなければならないということに
人間の恐ろしさと、哀しみを感じた。

立派な和室に飾られて写真を見上げる婆様の表情は怨みに満ちて
いまなお、それは薄れていない。

できるなら、怨んだり、怨まれたりせずに生きたいと思う。
この世の中で恐いのは幽霊だの、物の怪だのではなくて
生きている人の心……怨みとかいった類の力ではなかろうか

なんとなく、そんな事を考えてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月16日(火) 使うも、老ひるも左から。

私は左利きなんである。

幼い頃に矯正されたおかげでエンピツ、箸、ハサミは右手で持つけれど
それ以外の日常生活に必要な行動は
もっぱら身体のセンターより左側を使っている。

ボールを投げるのも左手…ボールに限らず咄嗟の時は左手が出る。
利き足も左足…走り高跳び等は、人と反対から走り込んでいたし。
食べ物を噛むのも左側…噛み合わせの関係で左の方をよく使うる
効き目も左目…ウィンクは左目だけしかできない。
聞き耳も左耳…受話器を使うのは、もっぱら左耳なので。

そんな訳なので、とうぜん身体にガタがくるのも左から。
肩凝りが酷いのも左なら、虫歯になるのも左。疲れ目が出るも左。
使用頻度と摩滅の速度は、まずもって比例しているらしい。

で。

最近「左利き」に関する新しい事柄を発見してしまった。
三十路前カウントダウンを迎えた今日この頃……
ぼつぼつ白髪の1本や2本は出てきているのだけれど
白髪の出てくるのも「左」からだったりするのだ。
もう、何本もの白髪を抹殺しているのだけれど
センターより右側から生えてくる白髪は1本もない。
偶然だと思えなくはないのだけれども……

そうかぁ。老化も左側から忍びよってくるのかぁ。

などと、しみじみ納得してしまった。
右利きの人は、右側から老化が忍び寄ってくるのだろうか?
右も左も自由自在に使える人は
両端から老化が忍び寄ってくるのだろうか?
……って、この発想は科学的根拠に裏打ちされるものではなく
単なる思い付きに過ぎないのだけれども。
初白髪と、利き手に関連性は、あるのか、ないのか?
↑たぶん「ない」に一票。

つまらない事に思いを馳せつつ
本日は『アルジャーノンに花束を』を読了した。
感想文には、まとめ切れないくらい色々と思うことがあった。
ガツンと感じた時は、文章では語り尽くせないことがあるので
たぶん読書感想文は書かないと思うのだけれど覚え書まで。

来るべきご隠居生活は、銀髪にメッシュで決まりだぜ!
……とか、なんとか、思いながら
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月15日(月) リストラの功罪。

最近、仕事量は落ち着いてきているというのに
職場の「若者チーム」の間では、やたらと愚痴が溢れている。
忙しさがピークの時は愚痴ってる暇が無かった……ってのは事実だが
たぶん「愚痴蔓延」の原因は、そんな事ではないと思う。

原因は、以前、決行された大規模なリストラにあるのだと思う。

リストラにより、中間管理職クラスのポストは切り捨てられたので
現在、私の職場で、第一線にいるのは、もっぱら若者ばかりなのだ。
たぶん「できる建築士集団」なのだと思う。
実際、みんなよく働いているし、底力だって、たいしたものだ。
若者ばかりの編成だからか、人間関係も良好で、みな仲が良い。
忙しさがピークの時は、若さのパワーと結束力を頼りに
「えんやこら・どっこいしょ」と大変な時を乗り切ってきた。

しかし、同世代ばかりの仲良しチームというヤツは
生産性が高さは素晴らしいけれど、弱点だって大きいようで。
「仲良し」ゆえに、愚痴っぽいモードが高まってくると
みなが、仲良く手を繋いで坂道を転がっていってしまう。
彼らの愚痴を聞いていると「そりゃぁ気の毒だよね」と思うことも多いが
「いくらなんでも、そりゃぁ被害妄想だよ」と思うことも多い。

「ぼく、課長に嫌われてるみたいなんです。だから……」
なんて言葉を聞いた時には
話のネタだと分かっていても、あいた口が塞がらなかった。

これは、目の上のタンコブ的な中間管理職が存在していた時には
まったく見られなかった状況だったりする。
当時は、今よりもピリピリした雰囲気があったし
上司に愚痴が届かないよう、気を遣っていた部分があった。
それが中間管理職のポストがないと
高い位置にいる上司に愚痴は届かないがゆえに
「愚痴蔓延」という状況が生まれてしまうのだ。

私自身、中間管理職を鬱陶しく思っていた人間なのだが
今頃になって、そのポジションの重要性をシミジミ感じている。
不景気ゆえに、リストラもやむを得ないと思うのだが
その皺寄せは、思わぬところで出てきそうな気が……

どんな状況でも強くあれ…ってのが理想だが
強くなる前にペシャンコになってしまっては本末転倒。
仕事の業績は上がっているようだが
足元がおぼつかないような危うさを感じずにはいられない。

まぁ、そんなこんなも「なるようになる」だろうと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月14日(日) 隠居生活

私には将来の夢を共にする仲間がいる。
それは、夢というより、むしろ目標であり、希望だったりする。
遠い未来、私と仲間は「素敵なご隠居」になるのだ。

ご隠居……なんと風雅で、洒落た響きなんだろう。
自分の人生において「なすべきつとめ」をツツガナク終え
ゆるゆると、お迎えがくる日を待ちながら
自らが欲することだけをして暮らしてゆくのだ。
もちろん、お金目当ての労働なんてしない。

ご隠居こそ、趣味人の究極系ではなかろうか?

日本で1番有名なご隠居というと水戸の黄門様だろうか。
2番手は『サザエさん』家の裏の「おじいちゃん」「おばあちゃん」あたり。
3番手は『ちびまる子ちゃん』家の友蔵じいさん……
タイプこそ違えど、それぞれ素晴らしいご隠居っぷりで
ご隠居ファンとしては、憧れずにはいられない存在だ。

ふらふら旅に出掛けたり、盆栽をいぢったり、一句ひねったり。
色気にうつつを抜かしてみるもよし
いぢわるじいさん、いぢわるばあさんを目指してみるもよし
ご隠居という言葉にはも限りない可能性と、夢を内包しているように思う。

うひょひょひょひょ。将来の夢はご隠居♪

……って、これまでに建ててきた将来計画とそぐわなくなってくる。
出家はどうしようか? ジャム工房の経営は?
私のすべての願望をパーフェクトに叶えるとなると
こんな感じかも知れない。↓

60歳で隠居の身となり、しばらく優雅な隠居生活を楽しむ。
趣味のジャム作りがこうじて、ジャムおじさんのパン工場横に
ジャム工房を作り、パンだの、丼だの、動物だのに囲まれて
毎日、ジャムを作って楽しく暮らすのだが
ある日、ふと思い立ち、出家を断行。放浪の尼僧となり全国行脚の旅へ。

なにやら、途方もなく落ち着かない老後だ。
とてもぢゃないが、立派な年寄りの姿とは言い難い。
もっとも、未来のご隠居生活を心配するよりも
目の前のことを心配した方が建設的というものなのだが。

それにしても60歳を、ご隠居元年とするならば
今まで生きてきた倍の年数を生きなければならないのだから
そうとう気の長〜い計画である。

つらつらと夢の「ご隠居生活」について語ってみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月13日(土) 死を悼む言葉。

ある方の大切な人が他界された。

お悔やみでも……と思ったのだけれども
気の効いた言葉が思い浮かばず「ご冥福をお祈りします」と
形式通り、型通りの言葉し出てこなかった。

私は「形式通り」というのは好きではないのだけれども
こんな場合には「形式通り」が1番しっくりくるような気がする。
どんなに慰めの言葉をかけたとしても、哀しみが減る訳ではないし
「お疲れが出ませんように」などと言ってみたとしても
長患いで他界される場合だと
残された人間は心身ともに疲れきっている事が多いし
突然の死だったりすると、精神的ダメージが大きかったりするし。

死は生命あるものに必ず訪れる当たり前の過程なのだけれども
死にゆく人と関わっていた人間にとって
その人の死は「当たり前」のことではなくて「特別」なことだと思う。
理屈では割り切れない感情があるからこそ
哀しかったり、ショックだったりする訳で……
その気持ちばかりは、誰かと分かち合うことができないものだと。

気持ちを分かち合えたり、分かち合えなかったりするから
誰かと一緒にいて幸せを感じたり
誰かと一生にいても孤独を感じたりするのかも知れない。

その哀しみを分かち合うことなど出来るはずもなければ
慰めることが出来るはずもなく……
簡単に、慰めたりなんか出来ないかったりするのが現実な訳で……

死を悼むのに、言葉は、あまりにも頼りないような気がする。

哀しみが永遠に続くものだとは思わないし
死という過程が、単に不幸なものだとも思っていないのだけれど
それでも、簡単に思い切ることなど出来ないし
「生」とか「死」とかいうものは
頭の中で処理してしまうには、あまりにも重い。
その重さは、人の生命の重さなのかも知れないけれど。

なにやら書いていて、自分でも訳が分からなくなってしまった。
大切な人を亡くされた方の哀しみが
1分でも1秒でも早く癒されますように……
亡くなられた方のご冥福をお祈りしつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月12日(金) 「おまけ」の日々。

最近、コンビニへ行くたびに思うのだけれども
飲料水にしても、お菓子にしても
「おまけ」がやたらと付いてくるような気がする。

入浴剤だの、缶バッチだの、フィギュア人形だの、携帯ストラップだの。

「おまけ」が付いてこなくても、欲しいものは買うのだし
欲しくないものは買わないのだけれども
買おうと思っているものに特別思い入れが無かったりすると
やはり「おまけ」が付いてくるものを選んでしまう。
躍らされているんだなぁ…って分かっちゃいるけど止められない。

つい、この間までは「アルカリ・イオン水」を買って
『ロード・オブ・ザ・リング』の缶バッジを収集していた。
缶バッジなんて集めてどうするんだろう。私?
……などと思いながら、それでも全5種類を集めきってしまった。
ちなみに、集めた缶バッジは職場の机の引き出しで眠っている。

今、気になっているのは『美味しぼり』についてくる
「世界名作劇場」のペットボトル・キャップ。
ラスカルだの、アメデオだの、パトラッシュだのといった
世界名作劇場でおなじみの動物キャラクターのフィギュア人形。
ためしに1つ買ってみたらば、ラスカルだった。ラッキー♪
これも全種類制覇したいなぁ〜と思いつつ
残念ながら、ジュースはあまり飲まない性質なので
いくら愛しい「おまけ」のためでも買い続けるのは無理だと断念。

とにかく私は「おまけ」だけ…「おまけ」だけ欲しいんである。

本当は「おまけ」ではなくて
「おまけ」などに惑わされない強靭な心が欲しい。
コンビニで「おまけ」付き商品の前で佇んでみたり
レジに飾ってあるフィギュアに見入ってしまったり
「おまけ」欲しさに飲みたくもないジュースを買ってしまったり
そんな馬鹿げた事をしない人間になりたいのだけれど……

たぶん無理。これだけは無理。ほぼ無理。まず無理。

いいんだぁ〜「おまけ」がなくなっちゃったら
コンビニに行く楽しみ減っちゃうしさぁ〜

そんな訳で明日も「おまけ」に翻弄されながら
「おまけ」にささやかな幸せを噛み締めているのだと思います。
「おまけ」だけ欲しいなんて思ってしまうけれども
「おまけ」は「なにげに付いてくる」から嬉しいんだな♪
ポイントはさり気なさ……ってところだろうか?
もっとも最近の「おまけ」は「これ見よがし」な物も多いけれど。
↑それでも、やっぱり好きなものは好きだったりする。

「おまけ」への思いを書き連ねてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月11日(木) 叱咤激励。

ここのところ、どうもイカンのです。

愚痴愚痴日記は、ど〜〜も好きぢゃないんです
エェ格好してたら続かないので今日は愚痴ります。
ウザウザと盛大に愚痴っちゃいます。

愚弟はツツガナク退院しましたし
仕事も鬼のように忙しかった時期を思えば落ち着いていますし
忙しさのピークは過ぎたはずなのですが
なにやらシャキッいたしません。

単純に「くたびれている」ってだけなのかも知れないのですが
過ぎていった時間を振り返ると、どこか物足りないような気がして。

勤勉に仕事もしているし、日記も毎日書いてるし
自分が「やらなければいけないだろう事」はこなしているのですが
情熱が足りないというか……なんか、そんな感じ。
それでもソツなく物事をこなしているというのは
大人って言っちゃえば大人ですが、どうも嘘臭い感じです。
そんな風にして、人は大人になっていくんですかねぇ……
↑どうしたものだか投げやり口調。

「バシーッ」と「ビシーッ」と自分自身に叱咤激励してやりたいです。

威嚇行為、第1段として、お弁当箱を新調しました。
ちょいと気合入れて、お弁当造りをしようかな……とか。
威嚇行為、第2段として、ロリロリ・フリフリ・ブラウスを購入しました。
ちょいと気合入れて、身繕いなんかしてみるかな…とか。
威嚇行為、第3段として、黄金週間の予定を立ててみました。
ちょいと気合を入れて、楽しみを追求してみるかな……とか。

ウリャ! ウリャ! ウリャ! ウリャ!
↑叱咤激励の雄叫びを上げているところ。

言い訳の言葉が頭の中を走り回っているようぢゃイカンですな。

明日からの1週間は、気合入れていきたいです。
いくら言い訳してみても、自分の気持ちは誤魔化せないし。
イケてても、イケてなくても納得のいく1週間にしたい。

ウザウザと愚痴を書き散らしてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月10日(水) 愚弟退院。

愚弟が退院した。

手術前、主治医が危惧していた悪い事態は1つも起こらず
経過はいたって順調で、今回の入院は度の手術で釈放の身となる。
次の入院&手術は、経過を観察しながら、しかし予定は夏頃だとか。
チャッチャと片付けて欲しいところなのだけれど
移植した神経が定着して、成長するのに時間がいるらしい。
熟成期間……って感じだろうか?? なんとなく酒造りに似ているような。

次は夏かぁ……やっぱり長くかかるなぁ……

などと思いつつ、まずはメデタイ。
それにしても今回の入院&手術は「予定」していたことだったので
精神的には、楽チンだった。
入院期間も「場合によっては長くかかるかも」と言われていたのが
思ったよりも早く退院できたのはラッキー♪
これで来るべき黄金週間、姉は心置きなく遊びに行けるってもんだ。
明日は自分へのご褒美を買いに行くとしよう……
↑愚弟入院前に買った「バムセ」の存在は気にしないでくだされ。

そんな、こんなで、とりあえず、また1つ階段を上った。
RPGゲームで言うなら「愚弟はレベルが上がった」ってところだろう。
愚弟と一緒に、乙女な母と姉もレベルアップだ。
さぁ、こい、夏! 日本の夏。入院の夏だ!

愚弟の「治療予定」等の話は、この辺にして……

今日は、戴き物のタケノコとワラビを炊いた。
もうタケノコのシーズンが巡ってきたんだなぁ〜〜としみじみ。
大阪名物、造幣局の桜の通り抜けは1週間早めに始まるし
季節が駆け足で巡っているような気がして、ちょっと恐い。
タケノコとワラビは素晴らしく美味だった。
……って言うか、今日の夕餉は全般的に美味だった。
タケノコに敬意を表して、愚弟の退院を祝って
私は日本酒をちょっとだけ引っ掛けた。
乙女な母はビールをいっぱい。
愚弟は清く正しくノー・アルコール。

お天気はイマイチだったが、良い休日だった。
明日はパーッと遊びに出かけたいなぁ〜と思いつつ
今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年04月09日(火) 規格外でも、いいぢゃないか。

私は今「バンペイユ」という果物が食べたくてたまらない。
ドッジボールくらい大きい柑橘系果実で「ちょっと大味かも知れないよ」
……などと教えてもらったにも関わらず
その大きさを思うと心がトキメクのである。

「大きい」ってことは、それだけで素敵だ。
規格以上に大きいだけで、ある種の感動を感じずにはいられないのは
私だけでなく、人間の持つ本能ぢゃないかと思う。
そうでなければ、大きい果実を作るための品種改良なんて
汗水、たらしてまで行われないはずだ。

いっぽう「小さい」ってことも、それだけで素敵だ。
今でこそポヒュラーになった「モンキー・バナナ」や「ミニ・トマト」を
初めて目にした時は、誰もが衝撃を受けただろうと思う。
規格では考えられない小ささに
感動の声を上げた人は何人いたのだろう?

規格外であるというだけで、それは人に感動を与える。
だからこそ、人は規格外を求めて努力を重ねてきたのだ。
果物や、野菜といった農産物であったり、あるいはペットだったり……
規格より、大きかったり小さかったりする新品種の多い事といったら。

が……それと同時に、規格外であるがゆえに
人から忌み嫌われる物がある。
これは、考え方として、まったく対局に存在するのだけれども
現実として「ある」のだから仕方がない。
人が忌み嫌う規格外のものとは皮肉にも「人」そのものではなかろうか。
世知辛い話ではあるのだけれども
規格(平均値)から外れていると自覚のある人達は
多少なりとも「生きにくい」だの「冷たい視線」だのを感じていると思われる。

先日『君を見上げて』 山田太一 新潮文庫 を読んだ。
NHKでドラマ化されたこともある、この作品は
身長差が19センチもあるカップルの恋物語だった。
ただ、身長差といっても女性が高く、男性が低かったりするあたりが
ちよっとした「障害」となってしまったりなんかする。
背の高い女性と背の低い男性は
自分の中に大きなコンプレックスを抱いていた。

コンプレックスは人が成長していく上で重要な役目を持っていて
誰しも、多少なりともコンプレックスはあると思うのだけれども
「規格外」のコンプレックスというのは、端で見ていて
「あ痛ててててっ」ってな印象を受けてしまう。

見渡せば「規格」ってヤツは多すぎるほど多い。
ビジュアル面、メンタル面、性別、年齢eac……
誰が決めたか知らないが「普通」「標準」の枠組みが多すぎるように思う。
平均値を出すのに対してイチャモンを付けようとは思わないが
せめて……「規格外」でも、楽に息ができる世の中だったら
どんなに素敵なことだろう。

小さなトマトや、大きな林檎に目を輝かせてしまうように
規格外の動植物を珍しがりつつも、喜んで受け入れるように
規格外の人間だって、あるがままを受け入れるような、そんな世の中……

いいぢゃないか。規格外だったとしても。

少なくとも自分は「そういうもの」になりたいと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月08日(月) その筋の取り立て屋。

私が暮らしている長屋近辺で昨日は騒動があったらしい。
正確に言うと「長屋近辺」ではなくて「うちの隣」なのだけれども。
仕事から帰宅した私に、乙女な母は落ち着かない様子で
その騒動の仔細を語ってくれた。

お隣のお宅に「その筋の取立て屋」が来て大騒ぎしたそうなのだ。
「あぁ。やっぱりか…」と思った。
(注) 「その筋」とは道を極めてしまった人…すなわち極道のこと。
    平たく表現すると「やくざ」って感じ。

ぢつは先日も不審な2人組の男が長屋の住人に
お隣のことについて、根掘り葉掘り聞き込みをしていたのだ。
どうやら、お隣のご主人は借金を残して失踪してしまったらしい……
最近、姿が見えないとは思っていたけれども
本当に居なくなっていたとは思ってもいなかった。

乙女な母は動揺を隠しきれないようだったので
「その筋の人は付近の住人に手出ししたりしないから大丈夫」
などと、それこそ安物のドラマみたい安直な説明を繰り出して
「それにしても、お隣の奥さん、大変だよね」と溜め息をついた。

お隣は、3人いる子供さんも社会人になっていて
「これからは楽ができますね」ってな年代の方なのに
しかも商売をされている訳でもなく、手堅いお勤め人でいらしたのに
どうして借金など作ってしまったのか……
それにつけても、妻子を残してトンズラこくって、どうよ?
↑もしかすると妻子承諾の上での失踪かも知れないのだが。
他人不幸を詮索するのは趣味が良くないと思うのだけれど
ちょっとだけ気になってしまった。

我が家は、今でこそ借金のない生活をしているけれども
父の商売がひっくり返ってしまった時に
「借金返済」の経験はしているので他人事とは思えない。
幸いにも「その筋の人」からの悪質な取立ては未体験なのだが
もしも手形が「その筋」に流れちゃったりなんかしていたら
とてもぢゃないが、今のように暢気に暮らしていられなかっただろう。

公的な相談機関などを利用して
解決策を探した方が良いのではないだろうか?
お隣の奥さんのお給料で返せる範囲の借金なら
こうなる前に、返済しておられるだろうし
取立て屋が嫌がらせをする段階まできているとなると
そこそこ切羽詰まっておられるのだろうし。
時代劇の世界ぢゃあるまいし、何某かの突破口はあると思うのだが。

まったくもって「大きなお世話」的な発想なのだけれども
あ〜だ、こ〜だと、色々考えてしまった。
おそらくお隣とて、色々と考えておられるとは思うのだけれど。
それにしても「その筋の人」に近所で騒ぎ立てられたら
さぞかし肩身が狭いだろうなぁ……

お隣さんが、早いこと落ち着いたらいいのになぁ……
とか、なんとか思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年04月07日(日) お弁当事情。

最近、私が作るお弁当は粗末な事この上ない。

「昨日の残り物」と「卵焼き」……だの
酷い時には「昨日の残り物だけ」だったりして
お弁当を作ると言うよりも
お弁当箱にオカズを「詰める」といった風情である。
もっと酷い時は「作らずにコンビニに頼る」という手段に出る。

私の、お弁当制作歴は15年ほどになるのだけれども
かつて、これほどまで、お弁当が粗末だったことはなかった。

原因は自分でも、よ〜く分かっている。
愚弟が休職しているために、お弁当を1個しか作らない上に
今の職場では「昼食は各自の机で食べる」ことになっていて
OLの昼食に見られがちな「お弁当グループ」のような物が無いので
↑すごく気楽なので、ありがたいのだけど。
自分の作ったお弁当が人目にさらされる事が皆無だったりして
まさに「自分のためだけのお弁当」を作っているからである。

いくら身内だからと言っても、愚弟のお弁当なと作るとなると
「してあげたい」と言う類の気持ちではなくて
料理する人間の「見栄」のような物が出てくるのだ。
↑あくまでも私の場合。尽す系の人もおられるかと思います。
チンケな物を食べさせる訳にはいかないな……みたいな。

身内以外の人間のお弁当を作っていた時期があるのだけれど
その時は、ものすごい情熱でもって、お弁当を作っていた。
空っぽのお弁当箱に「感想メモ」なんかを入れてくれる人だったので
誉められるのが嬉しくて、手を変え品を変え研究にいそしんだりもした。
馬鹿みたいだけれど、誉められると嬉しくなって頑張ってしまうし
たかがお弁当でも、頑張って作っている時は結構楽しかったりする。

私は1人暮らしの経験が無いのだけれども
1人暮らしの人が言う
「自分のためだけに料理を作る気にはなれない」
……と言う気持ちは、少しだけ分かるような気がする。
1人で食べるご飯は美味しくないと
……という部分もあるだろうけれど
自分のためだけに作る料理というは張り合いがない。

どんなに美味しい物を作って、自分が美味しいと感じたとしても
感動を分かち合うことも出来なければ、誰が誉めてくれるでもない。
私がもしも1人暮らしをしたら自炊なんて出来ないだろうと思う。
料理にあてる時間を、そのまま趣味の時間にスライドして
「コンビニ&外食」生活になること受け合いだ。

1人暮らしでも自炊できる人は尊敬してしまうし
1人暮らしゆえに自炊できない人には仲間意識を持ってしまう。

ここは1つ、年度も変わったことだし
お弁当箱でも新調して、心機一転を目指してみるかなぁ〜
などと思いながら、今のところは使い古したお弁当箱でもって
チンケなお弁当生活に甘んじている。

本当は自分のためだけの食事でも
ちゃんと手を抜かずに作れるのがベストなのだけれど
なかなか、これが、スットコドッコイなんである。

「見栄っ張り」って、悪い意味で取られることが多いけれど
人間、ちょっとくらいは見栄もないと駄目だよなぁ〜〜
とか、なんとか思いながら、今日の日記はこれにてオシマイ。


2002年04月06日(土) 生存確認。

最近、なにやら筆無精になってしまった。

10年ばかり続いている文通の間隔が、目に見えて間遠くなっている。
それまでコンスタントに週イチくらいの割合で書いていた手紙が
今では「最後に書いたのは、いつだったっけ?」といった感じ。
じっくりと手紙に取り組む余裕がない上に
ペンフレンドがメール・デビューしたことが手紙離れに拍車をかけて
もっぱら、メールに頼り切った生活を送っている。

私自身はメール好き人間なので
メールが手紙より劣っているとは思わない。

メールも手紙も大切なのは中身だよね♪
……なんて思っているのだけれど、その中身がお粗末なんである。
文章の結びは、ほとんど「なんとか元気で頑張っています」だったりして
文通とか、メール交換と言うよりも
「生存確認」といったノリの素っ気無さ。
いくら甘えられる相手だからって、イカンよなぁ〜とか思っていたらば
昨日、ペンフレンドから贈り物が届いていた。

彼女の郷里の名産だという「デコポン」1箱。

ダンボールを開けると行儀良く並んだ、お日様色のデコポンが12個。
「デベソ」のような盛り上がりが愛らしくて
「デコポン」と名付けた人の顔が見たいなぁ〜と思ったりした。
甘みが強い柑橘の匂いは、弾けんぱかりのフレッシュさ。
柑橘サイド人間の私にとって、ありがたい贈り物だった。
カード・メールなどで、取り急ぎお礼を出したのだけれども
次の休日には、必ずや手紙を書こうと思う。

「生存確認」ではない物を是非。

電気ポットにメール機能が付いていて
ポットを使うたびに設定されたアドレスにメールが送信されることで
家族(この場合は1人暮らしのお年寄り)が元気でいることを
随時確認できる…という商品を思い出してしまった。

日記も生存確認の道具としては、なかなかの物かも知れないなぁ。
更新されているってことはツツガナク生きてる……みたいな。
それは、それで使い方を誤っているような気もするけれど。

次の休みは必ず手紙を書こうと決意したところで
今日の日記はこれにてオシマイ。

***************************

「Myエンピツ」繋がりで更新されていない日記って
やけに気になっちゃいます。元気でおられるのかどうか??

直接、係わり合いがない場合は視姦プレイ的関係だと思っているので
他人が、ど〜こ〜言うような事ぢゃないんですけどね。
私は、こうやって日記わ書いている間は
ほぼ元気です。まずもって元気です。おおかた元気です。

「Myエンピツ」で繋がってる方が、元気で、それなりに
なんとなくでも暮らしておられるといいなぁ…って思いつつ。


2002年04月05日(金) 伝えたいという気持ち。

友人と、ネット付き合いや、ネットの面白話をしていて
「ネット上にはネット限定の感情伝達法がある」
……ということで妙に盛り上がってしまった。

実際に、ネット上で文章を書いてみたり、メールを交換する中で
ネット上では現実世界とは違う独特の感情表現方法があるなぁ
……と感じることが多い。

それにしても人間の「伝えたい気持ち」ってヤツは
ネット家に色々な物を生み出したと思う。
たとえば……

顔文字なんてのは代表選手みたいなもんぢゃないかと思う。
トラブル回避には、ひと役もふた役も立っている。
リアルでコミュニケーションを取る場合は
相手の表情や、声のトーンから、その気持ちを推察できるけれど
ネットの場合は、その辺のやりとりが微妙になってくるので
言葉尻によっては、冷たい印象を与えてしまったり
無愛想になったりするのが、顔文字が入ると随分違ってくる。

顔文字の次に感情を伝えるのは( )付きの感情表現だろうか。
(笑) (怒) (爆) (泣) (謎) などなど。
これも顔文字と、ほぼ同じ役割を持つと思う。
文章で長々と説明するよりも、(笑)とか(泣)を入れたほうが
よほど効果的に感情が伝えられると思うし。

文字のフォントを変えたりするのも技術だなぁ…と思う。
声を大にして言いたい時や、ボソッと呟きたいような時
文字の大きさが違っているとダイレクトに、それが伝わってくる。
ど〜でもイイようなことで、わざわざフォントを変える人は
そうそう、いらっしゃらないかと思う。

言葉使いや、言葉尻も、ネットには独特のものがある。
「〜〜〜ですよね」なんてのは苦肉の策って感じ。
「〜〜〜ですね」でもなく「〜〜〜です」でもなく
自分の意見を主張しながら、相手の気持ちをもうかがってしまえる
なかなか気の効いた言葉だと思う。
「……だと思われ」なんてのは2チャンネル発だろうか??
これも微妙に相手の様子を伺う効果のある言葉使いだと思われ(笑)
↑せっかくなので、ダブルで使ってみた。

私の個人的なことだと、普段使わないような方言を使ったりするのも
ネットならでは……という感じ。
ちょびっと方言を交えると、文章が柔らかくなるような気がして
面白がって使っているけれど
実際の生活では使わない言葉の多いこと。多いこと。
↑ぢつは私も…って方、いらっしゃいますか??

サクッと思いついた範囲でさえ、これだけの「技術」が使われている。
その技術も最初から存在した訳ではなくて
少しづつ開発されていったものとなると感動もひとしお。
ネットという少し不自由な世界だからこそ
そんな技術が生まれてきたのだと思う。

人間ってば、なんて「伝えたい気持ち」が強い生き物なんだろうと思う。
「人間は1人では生きていけない」……ってな言葉があるけれど
それゃぁ、これだけ「伝えたい気持ち」が旺盛な生き物が
悶々として生きるなんて、無理な話というものだ。
「ひとり言」では満足できないから、創意工夫が生まれるんだなぁ。

とりとめもなく、友人との会話を整理して書きとめてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

*************************

今日は奈良盆地で今年はじめてツバメを目撃した。
まだ四月に入ったばかりなのに、なんともこれは気が早い。
桜はいってしまったし、賑わいってことかも知れない。


2002年04月04日(木) 2番目のあなた

言葉なんて、いらないよね。
そんな物がなくったって、あなたは私を感じてくれる。
求めあい、抱きあい、キスをする……

世界で2番目にあなたが好き。

私にとっての、あなたも……
あなたにとっての、私も……

世界で2番目の存在に過ぎないのだけれど
分かってるいけど……でも、いいよね?
好きってことに嘘はないよね?

もしも、あなたが私を好きでなかったとしても
私はあなたの全てが好き。

肌で感じる あなたの体温も
耳元に聞こえる あなたの息遣いも
一途な色を帯びた あなたの瞳も
艶やかに輝く あなた身体も
やさしく揺れる あなたの尻尾も……

ハル君、あなたは2番目に好きなワンコ。
白いボディのラブラドール・レトリバー
私が1番好きなワンコよりも
ハル君の方がずっとお利巧さんなのにね。
それなのに……なのにハル君は2番目に好きなワンコ。

私のワンコは我が儘で、婆犬で
ハル君のように、私の気配を察知してくれないし
世界で1番、自分が大好きだと思っている傲慢なワンコで
私が大切にしている5000円もしたブタのヌイグルミの上に
悠然とと乗っかって昼寝をして
そのヌイグルミに鼻クソまで付けたりなんかするのに
それでも私は、あのコが好き。

……ちょっと泣けちゃうけど。

私はバムセを……あの愛らしいブタのヌイグルミを
ワンコのために買ったんぢゃない。
せめて……せめて鼻クソ付けるのだけは勘弁して。

さっちゃんの馬鹿〜〜〜

私は明日も奈良盆地でハル君と逢瀬を楽しみ
大阪平野で、さっちゃんの言いなりになっているのだと思う。
そんな、こんなを書いてみて
今日の日記は、これにてオシマイ。

*************************

<休日の覚え書>
『天保十二年のシェイクスピア』を観に行ってきた。
期待していたお芝居だったがイマイチモな仕上がりにガッカリ。
役者と制作費を無駄に使っていたなぁ……という印象。
感想を書くほどでもなく、覚え書にて。


2002年04月03日(水) 君笑ひたまふこと勿れ。

愚弟は整形外科と外科の病棟に監禁…ではなく入院している。
やっかいばかり起こしてくれる家族のおかげで
「入院」という行事は慣れっこの私なのだけれど
整形外科だの、外科の病棟は
死ぬの、生きるの…といった事態にいる人が少ない分だけ
なんとなく雰囲気が明るくて見舞いに行くのも気が楽だ。

愚弟の病院には病棟ごとに「ディ・ルーム」と名付けられたスペースがあり
動ける患者さんは、そこで食事をとることになっている。
強制ではないのだけれど、ディ・ルームは明るい雰囲気で
見舞いにきた家族や友人と一緒にテーブルを囲めたりするので
たいていの患者さんは、そこに集って食事をとっているようだ。
たぶん入院でもしなければ、同じテーブルを囲むことは無かっただろう
老若男女が一緒に食事をする光景は、なんとなくイイ感じだったりする。

でも今日はディ・ルームで不愉快な光景を目にしてしまった。

素敵な寝巻きを着た婆様が4人、1つテーブルに集って
なにやら、楽しそうに大笑いしているので
「なんか面白い話でも?」とて私は聞き耳を立ててしまったのだが
その「笑い」は、非常に不愉快なタイプの笑いだった。
彼女達は少し離れたテーブルの婆様のことを笑っていたのだった。

その婆様というのは、整形外科で足を治療中の
年の頃なら、80過ぎ……といった婆様なのだけれども
痴呆症が進んでおられるらしく
「誰かに物を盗まれた」という被害妄想の中で生活しておられる。
その日も、盗まれないようにと、大きな荷物を抱えて
ディ・ルームにこられていた。
40代くらいの男性が
「ばぁちゃん、病院には大事なもん持ってきたらあかん。家に置いとき」
……などと婆様の話相手になっていたのだが
彼女達は、そのやり取りを聞いて笑っていたのだった。

「あんな風なんったらオシマイだ」とか
「でも身体が動けるからマシだ」とか
「それにしてもトンチンカンで笑っちゃう」とか
婆様が何か言うたびに、聞き耳を立て、その言葉をあげつらっては
大笑いしていたのだった。

ちょっとババァ、そこ並べや! その口と根性叩き直したる!

……といって、4人のババァの頬にビンタ食らわしてやりたいと思ったが
私とて老人に暴力をふるうほど乱暴者ではない訳で
黙ってその光景を見ていただけなのだけれども
ムカッ腹立ったこと、この上もなかった。
もしかしたら、自分達が辿るかもしれない道を行く人に
嘲笑を浴びせていい訳がないぢゃないか。

戦争を知っている人は苦労している分、人間が出来ている…とか
近頃の若い者は苦労を知らないから、どうしようもない…とか
一般的に言われることは、あくまでも一般論であって
あまりアテには出来ないと思う。
禄でもない年寄りもいれば、立派な若者だっている。
苦労して根性がひん曲がってしまう人もいれば
苦労を知らなくたって、心優しい人もいる。

身体の不自由な人やお年寄りを見て笑っちゃいけません
なんてことは、幼稚園くらいで教わることではなかろうか?

老人介護の問題について、色々と議論が交わされているし
私にとっても興味のある問題なのだが
肝心の老人達も、もっと考えて欲しいと思う。
↑しっかり考えておられる方も多いだろうが。
一部の心無い人がとった行動を見ただけで
すべての人が「そうである」と定義するつもりはないが
なんとなく、そんな事を考えてしまった。

そんな、こんなを考えて、今日の日記は、これにてオシマイ。


2002年04月02日(火) 行くなら本気で行け…ちゅ〜ねん!

昨日ってばエイプリル・フールだったんですねぇ。四月馬鹿。
正々堂々と嘘付いてイイ日と言うか……
大っぴらにイタズラしてイイ日と言うか……
誰かが仕掛けた嘘に引っかかった方、いらっしゃいますか?
私は見事に引っかかりました。すげ〜悔しい!

私、この日記では何度となく「うっかり者です」と宣言していますが
うっかり者ながらも、霊感商法だの、マルチ商法だの
そ〜いった類のモノに騙された事は1度もありませんし
付き合ってた人に騙されて、現金を、むしり取られたって経験もありません。
特に家族に病人だの怪我人だのがいる時は
「人の不幸に付け込んで商法」のお誘いが多かったりしたのですが
そんなモノに引っかかる事もなく、おだやかな日々を過ごしているので

私ってば、なんだかんだ言って、肝心なところは、しっかり者だし♪

などと得意になっていただけに単純な「嘘」も見抜けなかっただなんて
あ痛テテテテテ…ってな感じでした。
ユーモア系の「嘘」なんで、問題ナシなんですが
何が嫌だって、単純なことに、まんまと騙されてしまう自分が嫌〜
堅く「報復」を誓った4月1日なのでした(笑)

……などと、えらい長い前置きは、この辺にして。
……って言うか
今日は長い目の日記になるので
ココからは長文OKの方のみ…ってことで。

今日は職場で歓送迎会がありました。
「公的宴会」は大嫌いなのですが社会人なので神妙に出席しました。
今回は赤ちゃんが出来て「おめでた退職」される事務の女性と
家業を継ぐために退職される建築士さんを送り出し
事務の女性の引継ぎで入ってくる女性を迎える会。

私が派遣されている職場は
女性が子供を抱えて働けるような環境ではないので
残念だけど、おめでたい事だし……とて気持ち良くお送りしたのだけれど
「家業を継ぐ」という名目で退職される建築士さんに関しては
どこから、どうみても「それって建前だよね」って感じで
たぶん「建前」に間違いなくて、なんだか複雑な感じでした。

去り行く建築士さんは弱冠27歳。まだまだ「これから」なお年頃。
ちょっぴり「お坊ちゃま系」が入っているタイプで
仕事も、そこにいる人間も、あまり好きではなかったようで。
「公的宴会」の場で「○○君は飲むより早く家に帰りたいよね?」
……なんて質問を受けて「えぇ。まぁ」って答えちゃうような
イカレポンチな24歳の愚弟よりも、幼い印象の人でした。

若者チームの退職でも「転職」とか「独立」での退職なら
嬉しく送り出せるけど、そうでない場合は…う〜む。
そりゃ、まぁ、嫌で嫌で仕方ない場所で働いていたところで
花も咲かなきゃ、実も成らないと思うので仕方ないとは思うのだけれど。
もったいないと言うか、なんと言うか……
てっとり早く、新しい道が開けると良いのになぁ〜とか思ったりしつつ
送り出したのでありました。

それにしても、お見送りってヤツはサミシイですね。
そこそこの規模の会社だと、人の入れ替わりが激しくて
退屈はしないけれど、ちょっとサミシイなぁ。
私も、いつかは送られる立場になるのだけれど。
なんちゃってシンミリ感慨に浸っていたら
にじるよる酔っ払〜年下男が2名。両名ともに中堅建築士。

「白蓮さ〜ん。俺とコイツを選ぶとした、どっちが好きですか?
 本気で答えてください」

はぁ〜? 君達は幼稚園児ですか? それともアホですか?
……って言うか、動物ですか?
……そう思いつつ、大人の私は答えましたともさ。
「損得感情で選ぶらな○○君。虐めて楽しいのは□□君」って。
□□は、あとで、こっそり喰ってかかきりまたともさ
しょせん僕は○○君以下の存在ですからねぇ。
……私は言ってやりましたともさ。

「そ〜ゆ〜ことは年下に譲ってやれ」

酔っ払い相手なので、あとは適当に相手しましたが
それにしても、くたびれびれ。なので以下は憂さ晴らし。

仕事しただけで、恋情が生まれるですか?
だいたいからいして、恋情が生まれて普通でいられるですか?
愚痴ひとつこぼさず、嗜好の1つも合わない相手に
特別な感情を持てますか?
……って言うか、暇ですか?

愚痴ひとつ、こぼさぬ相手に、嗜好の1つも合わない相手に
特別な感情を抱けるほど、暇ぢゃないです。私。

行くなら本気で行け…ちゅ〜ねん!
そ〜ゆ〜セリフは男を下げても、男を上げるこたぁ〜ない。
悪いけど、よそ、あたって。私は忙しいし。ぢゃ。そ〜ゆ〜ことで。

私の日記を読んでくださっているのは
圧倒的に女性が゜多いようなのだけれども
男性陣には、声を大にして言いたい。

年上の女に、つまらんことで声かけるでない。
悪いけど、ウザイっちゅ〜ねん。
……って言うか、私には言うな!
独身貴族と、一家の大黒柱を同じレベルにて扱うぺからず。

「騙された」ではじまって「さようなら」で終わった1日。
まぁ、それもパラエティーに飛んでいてイイんぢゃない?
……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

*****************************

<追記>
なにも若人をサラシモノにした…って訳ぢゃないです。
つまらん言葉や労力は使うなって事です。
私は、それでも「キューティ・ハニー」を歌って終電帰宅しました。
明日は朝から愚弟の病院へ行きます。とほほほほ。


2002年04月01日(月) 繋がることの摩訶不思議。

ネットを、うろうろ、ほっつき歩いていると
思わぬ場所で、思わぬ知人と出会って吃驚することがある。

しめし合わせて集っている訳ではないのだけれども
「見てるだけ〜」専門のHPに知人が遊びに来た足跡があったり…
「こいつは面白い穴場を見つけた」と思って飛び込んでみたら
なんと常連に知人の名前があったり…
直接コンタクトを取ったことはないのだけれど
なぜだか、どこに出掛けてもお見掛けしてしまう人がいたり…

同じような趣味や、感性を持った人だから
同じ場所に集ってくるのは、当たり前と言えば当たり前のことだから
何も吃驚するような事はないのだけれども
それでも予期せぬ場所で知人と出会うと、驚いたり、ニンマリしたりする。

「繋がってるなぁ」と感じる瞬間は「出会い」に限った事ではなくて
日記のような読み物系(テキスト系)のサイトだと
「書いた物」で「繋がっているなぁ」を感じることとも多々ある。
それは「リンク」のような形の直接的な繋がりでなくても
「あの人の書いたもの」と「あの人の書いたもの」が影響しあっていたり
繋がりの広がり様と比例するかのように
サイト・マスターの文章力が目に見えて上がっていったり。
影響を与えたり、受けたりして、成長していると言うか……

小洒落た言葉に置き換えると「研鑚」あたりがピッタリくるかも知れない。

先日『六の宮の姫君』 北村薫 創元推理文庫 を読んだのだ。
言葉と魂が影響して……という内容の小説だった。
芥川龍之介をはじめとした、大物文豪にまつわる物語で
ミステリー・推理系なので、筋はご紹介できないのだけれども
繋がりとか、影響とか、そういった事を、しみじみ思った1冊だった。

「繋がり」には、陽の部分もあれば、陰の部分もある訳なので
それら全てを素晴らしい物だと断定することは出来ないのだけれども
たとえ、それを望むと望まざるとに関わらず
人間という生物は複雑に繋がっている……というか
強引に繋げられている……ということを感じずにはいられない。
結び目や、繋ぎ目に、意味があるかどうかは分からないけれども
なんとなく、それに「意味付け」をしてみたいような気持ちになるから
「縁」なんて言葉が出来たのではなかろうか。

もっとも、ウダウダと考えなくたって
そのテのモノが繋がる時は、嫌でもなんでも繋がってしまうのだし
また切れる時は、いとも、あっけなく切れてしまったりするのだから
それなりに身を任せていれば、イイようなものなのだけれど。

たまには、そんな事を考えてみるのもイイよね♪
などと誤魔化して終わろうかと思ったのだけれども
要するに今日も、また「読書感想日記」なのである。
私の中では「食べる」「寝る」「ウ○コする」と同じレベルで
「読む」「書く」が存在するので読書感想文は多くなりがちなのだ。
……ってことで、今日の日記は、これにてオシマイ。

**************************

今日は仕事が早く終わってラッキーだった。
帰宅してPCを繋いだら嬉しいカードが届いていて
もっとラッキーな気分になってしまった。
繋がることは摩訶不思議なり……と思ったりした日曜の夜なのだった。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】
$lastyear

白蓮 |MAILHP