昨日の日記は「それって、どうよ?」ってな内容でしたが
まぁ、そんな日もある訳で。
だからと言って、毎日1つのことだけを考えつづけている訳もない訳であり。
日々、私の頭の中を占めている重要事項と言えば・・・
「どう考えても期限内に処理できそうにない大量の図面をどうするか」とか
「今日はお弁当作るのサボっちゃったけど、お昼に何食べようか?」とか
「読みかけの本の続きが気になってたまらないのに、眠くて困る」とか
「返事を書いていないメールがたくさん溜まっちゃってるなぁ」とか
「前髪が鬱陶しくなってきたが、そろそろ散髪へ行くべきか」とか
まったくもって凡庸で、くだらないことがほとんどなのです。
私、自分勝手で我が侭な生き物ですから。はい。
いつも思案でパソコンに向かっている訳ではなくて
息が詰まりそうなくらい小さくて、うんざりするほど地味な世界の中で
世の中に大した貢献もしないで、それなりの日常を送っています。
でも、たまにウズウズしてしまう時があるのですよ。
たとえば昨日のような日記を
唐突に書いてしまいたくなるような時が。
誰にだって、そ〜ゆ〜経験の1つや2つはあると思うのだけれど
心に打ち付けられた楔が、ふいに疼いてくるような
・・・そんな感じ。
楔といっても吸血鬼を退治する時に使うような
美麗な銀製の上等のヤツではなくて
安物の鉄で作られてあって、防錆加工も、なんなもしてないようなヤツ。
楔を打ちつけられた部分は、とうぜん痛みがある訳なのですが
なにしろ楔は安物の鉄で出来ているから、どんどん錆てくる。
で。
その錆が厄介なのですね。
錆ってヤツは関係のない部分まで侵食しちゃうだけの力を秘めている訳で
うっかりすると心が錆だらけになっちまう訳で。
だから・・・たま〜に磨きに出してやるのです。
手におえないまで錆び付いてしまわないうちに。
まぁ、そういう訳なので、まずは大丈夫です。
今日も元気で残業しましたし、3度の食事もいただきました。
明日は、きっと、お馬鹿な話を書いているだろうと思います。
それにしても・・・
昨日の日記は楽しい話ではありませんでしたし
それどころか、ある種の不愉快感を伴う文章だったので
抗議のメールとか、掲示板の書き込みとかあったらどうしよう?
なんて、ひそかに心配していたのですが
心配が杞憂に終わってホッとしています。
「ポチッ」っと投票してくださる方もいらっしゃったりして
ジワーッと胸に染み込んできました。なんだか温かいものが。
「錆」少しマシになったようです。
ありがとうございました・・・・・
「言葉」の持つ可能性と不自由さを感じつつ
いつか「あなた」からいただいたものの
何分の一かでも、お返しする機会があることを願いつつ
今日の日記はこれにて終了。
2001年11月01日(木) |
欝で逝った祖母の話。 |
ずっと、ずっと書きたかったことがあります。
で。
今日は思い切って書いちゃいます。
どうして、唐突に書く気になったかと申しますと
お気に入りのHPが閉鎖されたのを見て
私も、いつまで「日記」を書き続けられるのかなぁ〜〜
・・・なんて不意に思ってしまって
書きたい事があるなら、今すぐにでも書いておこう!
・・・と唐突に思ってしまたっのです。
タイトルを見て「ギョッ」とした方は遠慮してくださいね。
今日は自殺した祖母の話なのです。
私の祖母は老人性鬱病を患っていました。
鬱病の原因は色々とあったのだと思いますが
もっとも祖母を苦しめていたのは家族との不和でした。
叔父の家族と暮らしていた祖母は
どうも家族との折り合いがうまくいかなかったようです。
強い欝の発作がおきると救急車のお世話になって
辛くなると、自分の娘達の家へ出掛けたりして
何度も何度も入退院を繰り返し
それでも、なんとか頑張ってました。
祖母の娘達(私の母と叔母)は
「そんなに辛いなら一緒に暮らそう」
何度もそう言ったのですが
祖母は首を縦には振ってくれませんでした。
「あんた達は本当に良くしてくれる。でも・・・」
そう言って祖母は泣きました。
いくら私達が一生懸命に尽くしたところで
祖母の欲しいものは、たった一つだけだったのです。
一緒に暮らしている家族と
世界で1番愛していた実の息子から
祖母は愛されたかったのです。
泣いている祖母の姿を見て
私は自分の無力さを感じました。
そして、ある小さな出来事をキッカケにして
祖母は死を決意したようでした。
人が聞けば他愛のない出来事だったのかも知れませんが
祖母にとっては重大な出来事だったのです。
自分は家族から必要とされていない
・・・そう感じてしまうような。
祖母が逝ったのは朝でした。
死亡推定時間は8時頃だったと思います。
でも、祖母の遺体が発見されたのは
祖母が逝ってから2時間以上たってからでした。
祖母は、どこにでもいらっしゃるお年寄りのように早起きな人でした。
その日も、祖母は6時までには起きていたのだと思います。
もしかしたら、一睡もしていなかったのかも知れません。
どうして祖母が「朝」という時間を選んだのか?
私には分かるような気がして辛かったです。
「おばあちゃん。おはよう。今日は遅くまで寝てるんだね」
祖母は、そんな一言が聞きたかったのです。
もし「おはよう」の言葉が聞けたなら
死ぬのは止めようと思っていたのかも知れません。
だけど祖母は自分で逝ってしまいました。
自分の部屋と隣り合わせた居間で
朝食を摂る家族の声を聞きながら逝ったのでした。
祖母は家族と一緒に朝食を食べたかったのかも知れない。
祖母は、さぞ辛かったろうと思います。
救いようのない孤独感の中で逝ったのかと思うと
いまでも、いたたまれません。
鬱病の老人を抱えた家族は大変だったろうと思います。
家族でなければ分からない苦悩もあったかと思います。
だから叔父達家族を責める気持ちはありません。
ありません。
・・・・・だけど。
もう何年も経っているのに、いまだに私は哀しいのです。
哀しくてたまらないのです。
そんなに急がなくったって、黙ってたってお迎えはきたのに。
祖母はもう、そんな年齢だったのです。
でも、お迎えを待つことが出来ないほど
切羽詰った状態だったねですね。祖母は。
何もかもの事情を知っている友人が言ってくれました。
「いつか、何かの形で、おばあちゃんの事を書け」
と。
「おばあちゃんの事を書くのは、あんたの仕事やで」
とも。
私、文章に関してはまったくの素人ですし
僅かな文章で書き尽くせることではないけれど
こうやって「公開」された場所で書くことができたことで
私自身、ちょっとだけ前に進んだような気がします。
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今日の日記を最後まで読んでくださった「あなた」へ。
こんな話に付きあってくださったこと・・・
「ごめんなさい」と「ありがとう」の気持ちで一杯です。
明日はたぶん、普通の日記を書いているだろうと思いますが
今日の話は「いつか必ず書く」と決めていたことだったので。
今日の日記のタイトルに惹かれて読んでくださった「あなた」へ。
「死んじゃいたい」とか思っちゃう時、あるかも知れないけれど
残された人は、滅茶苦茶に苦しむのです。
私は大人になってから祖母の出来事に遭遇しましたが
もう何年も経ちますが、今でも苦しいのです。
できれば、生きててくださいね。
お説教ではなくて、これは、お願い。
白蓮