白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年11月30日(金) 薬!くすり!クスリ!

風邪っぴきになって1週間。
症状が悪化しない変わりに、まったく良くなる気配もないので
子供の頃からお世話になっている個人病院へ行ったらば
ずっと診ていただいていたドクターは引退されていて
その代わりに息子さんがドクターの椅子に座っておられた。

診察をしていただいて、たくさんの種類の薬をもらって帰宅。
あまりにも薬の種類が多いので、とまどいながらも服用したらば
なんとまぁ。
1回分服用しただけで嘘みたいに症状が軽くなっていた。

ドクター、なんか別の薬…ヤクとか入ってないでしょうね??

……と思わず疑ってしまうくらいの効きっぷりだった。

先代のドクターは薬を出してくれない方で
「のどが痛いのでトローチください」と言っても
「飴でも舐めておきなさい」と却下。
「解熱剤などいただきたいのですが」と言っても
「一時的に熱を下げても、なんの意味もないから駄目」と却下。

薬を出さなくて、商売になるのだろうか??
…と首を傾げてしまうくらい薬を出してくれなかったドクターは
しかし「病気の発見」には長けた方で
ちょっと「ややこしい病気」をいち早く察知しては
総合病院へ紹介状を書いてくださっていた。
素晴らしい「ホーム・ドクター」だったと感謝している。

息子さんに代替わりした、その病院は
風邪の季節ということもあってか、なかなかの大繁盛だった。
父上の代の時は「あの先生は薬を出してくれない」との評判で
患者の数は「そこそこ」といった感じだったのに。

薬の威力ってスゴイ!!
病気になっても仕事を休めない人間にとっては、ありがたい限りだ。
症状が軽くなって、文句を言うつもりはないのだけれど
「薬を出してくれない」先代のドクターが、懐かしくてたまらない。

「薬のありがたさ」について、ちょっと考えてしまった。
その時々に応じて視点が変わるので
なんとも言い難い問題なのだれけれど。

それにつけても、早いこと「風邪っぴき」とオサラバしたいものである。


2001年11月29日(木) 真剣に「馬鹿」と取り組む大人

すっかり日付がズレてしまったのだけれども
11月27日の火曜日の夜は「風邪っぴき」の身体に鞭打って
私が激愛している『劇団 新感線』の秋公演
『轟天対エイリアン』を観に行ってきた。

『劇団 新感線』とは古田新や羽野晶紀が所属している
関西を本拠地とする小劇団である。
最近はメジャーになりつつあって、大きな公演をしたりしている。
↑今夏は石田壱成がクスリで掴まった時に公演してTVの話題になった。

「勧善懲悪」「派手な衣裳」「大仕掛け」「くだらないギャグ」
……がメイン・カラーの劇団で『
吉本新喜劇』と『宝塚』を足して2で割ったような
面白いと言えば面白いが、さして人生の役に立ちそうにもない
そんな芝居ばかりしている劇団である。

メジャー路線を行くにしたがって「くだらないギャグ」の割合が
どんどん少なくなり、最近は「まともな芝居」っぽい感じになってきていて
ファンとしては非常に哀しい思いをしていたのだけれど
昨日の公演は「本来の路線に戻った」公演で
筋書きもなく、内容もなく、ただ派手で、くだらないギャグの多い
どうしようもなく素晴らしい舞台だった。

アンコールの時、主役の役者さんの言った言葉が心に残った。

ゲストがたくさんいらしている時の芝居は「よそいき」の芝居です。
本来の僕たちは、こんな芝居をしています。
力の続く限り「馬鹿」やっていきたいとおもいますので
みなさんも力の続く限りついてきてください。

『劇団 新感線』は真剣に「馬鹿」と取り組む大人の集まりであり
私は、そんな彼らがたまらなく好きだ。
馬鹿で世の中の役に立たないものは、どこか魅力的だ。
「役に立つ」ものは素敵だが
「役に立たないもの」は、もっと素敵だ。
……と私は思う。

大好きな劇団の芝居に敬意を表して
私は、おろしたての黒いコートを着て出掛けた。
シンプルで機能性を重視したコートは、とてもあたたかだった。
でも、それ以上に「訳が分からなくて馬鹿馬鹿しい芝居」は
私の心に熱く食い込んできてた。

風邪をおして出掛けて良かった…と思った。


2001年11月28日(水) 雪のひとひら

『雪のひとひら』ポール・ギャリコ  新潮文庫 を読んだ。

これからのシーズンにはもってこいのタイトルで
全編、美しく優しい言葉で綴られていて
「ねぇ、ちょっと読んでみない?」
とて誰かにススメてみたくなる冊だった。

ファンタジーに分類される作品なのであり
タイトルも、なにやらロマンチックな感じだったので
「気楽に読むには、いいかもね」と手にとったのだが
これが、なかなか手強い1冊だった。

優しさという名のオブラートで包まれた言葉の中には
生きることの「哀しみ」「苦しみ」「嘆き」「喜び」「賛嘆」
……といった雑多な感情が詰め込まれていて
しかし、決して押し付けがましくないところが良かった。

ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそ、お帰り。

そう締めくくられるラストを読んだ時
私は自分がとてつもなく長い旅をしてたような錯覚を感じた。
200ページにも満たないイラスト付きの小品を読んだに過ぎないのに。
たとえ短くても、オブラートに包んでいても
心に響く言葉は存在するのだと思った。


***************************

昨日は「迷い」に翻弄されるがままに
なんとなく「泣き言」ちっくな日記を書きましたが
やっぱり私は私が思うがままのことを書こう!
……という「初心に返る」的な結論に達しました。
↑あらためて、ちょっと恥かしかったりします。

心配してくださった「あなた」本当にありがとう。

これからも迷うことがあるとは思いますが
「言いたいことを言う」「書きたいことを書く」
迷ったり、泣き言を言ってみたりしながらも
「私は私」という強さを身につけたいと思います。

              白蓮


2001年11月27日(火) 日記という名のラビリンズ

『エンピツ日記』にデビューしてから1ヶ月とチョイ。
読んでくださる方の「背中ポン」に支えられて
とりあえずは毎日、書き続けている。

だけど……

あらためて今まで書いてきた物を振り返ってみると
ろくでもない物ばかりで赤面してしまう。

愚痴の羅列。
理屈の炸裂。
感情の暴発。
弱気の勃発。

日記とは本来、内に向かってゆくものだから
書けば書くほど暗い方向に向かっていくのは当然の成り行きなのですよ。
……と、おっしゃった方がおられた。

「他人に日記を公開する」という傲慢な行為が恥ずかしくて
……のような言葉を残して
「公開日記」というフィールドか去っていかれた方もいらした。

どちらの言葉も真実をついていると思う。

ただ「日記」を「公開日記」にする場合は
多少なりとも、他者への影響力があるってことを
忘れちゃいけないんだと思う。
↑って、私は忘れがちなのだけれども。

「公開日記を書くということ」に対して
もう2度と迷うまい と思っていたのだけれど
最近「迷いの虫」がまたしてもモゾモゾしている。

いつだって迷ってばかりなのだ。私は。

迷っている今の状態をストレートに文章で綴ることも
これまた「日記」の味になるのかも知れない。

書きたいことや、伝えたいことが多すぎて
結局のところ、つまらない事を書いて妥協している自分がいる。
書く事で自ら凹み、陥没しているような気がする。
日記と言う名のラビリンズに迷い込んでしまったような……
いまさら、こんな事を思うだなんて、ちっとも成長していない。

「今日は、こんな事がありました」的な
日記らしい日記を書きたいなぁ…などと思いつつ
昨日に引き続いての凹みモードに嫌気を感じつつ
今日の日記はこれにて終了。


2001年11月26日(月) 不公平に涙しました。

今日は、ちょっと胸いっぱいになっちゃってます。

以前「さるさる日記」でお世話になっていた方の日記に
母上が、入院生活に入られて1年が過ぎた
……という話を書いておられたのを読んで
その方とはお会いしたことも無いような間柄なのに
なぜか泣けてきてたまらなかったのです。

その方の母上は完治するのが非常に難しい病気なのです。

世の中には「哀しいこと」なんて
掃いて捨てるほどあると思います。
口にしないだけで、誰しも辛いことの1つや2つはあると思います。
だけど、世の中をぐるりと見渡せば
けっこう「いい感じ」で日々を過ごしている人だって多いと思います。

「幸せ」や「不幸せ」というものは、あまりにも観念的なものだから
相対評価なんて出来るはずもないのだけれど
それでも、私は思ってしまうのです。

世の中って不公平。

でも、だからって、不公平に甘んじていちゃ駄目なんですよね。
……分かってます。
嫌っちゅ〜ほど分かってます。
私自身、不公平に甘んじる気なんて、さらさら無いですし
毎日シャカリキに日々を過ごしています。

ただ、あまりにも激し過ぎる不公平の中で頑張っている人を見ると
なんだか泣けてくるんです。
「頑張ってください」だの「希望を捨てないでね」だの
そんな安易な励ましが役に立ちそうも無かったりする時もあったりして
そんな時は、ただ呆然とするばかりで
何が出来る訳でもなく、ただ泣けてくるのです。

神様でも、仏様でも、イエス様でも、サイババ様でも
誰だってかまいません。
世の中から無くしてもらえませんかね?

「病気」ってやつ。

「病気」があるからこそ「健康」の大切さが分かるだなんて
健康な人の理論でしかありません。
身体も心も健康である方が良いに決まってます。

前向きだろ〜が、後ろ向きだろ〜が、現実は現実です。
そして現実が重過ぎて、困っちゃってる方がいます。

頼むで。マジで。

今日は胸いっぱいなので、いつもの調子の日記ぢゃないですが
これ以上書くと、クドくなりそうなので、これでおしまいにします。
訳わかんない文章、ここまで読んでくれた「あなた」どうもありがとです。
明日は元気になってると思うので、明日もよろしくお願いします。


2001年11月25日(日) 「大丈夫ですか?」

毎日、仕事ばっかりしているので滅多にTVなんて観ないのだけれど
昨日、なにげな〜〜くTVを観ていたら
なにやらサスペンスドラマだか、刑事ドラマの1シーンが目に止まった。
ピストルで撃たれて豪快に流血している男性に向かって
その男性の知人であろうと思われる男性が
「大丈夫かぁぁ!!」と駆け寄っているシーンだった。
どこから、どう見ても大丈夫ではなさそうだというのに。

「大丈夫な訳ないよなぁ」

思わず呟いた私に、事故で指を2本失った愚弟が言った。

「そんなもんやで。あぁいう場合。
俺も事故して血ぃダラダラ流してる時
大丈夫か? って聞かれてさぁ
『はい。大丈夫です』って答えてたし。
ぜんぜん大丈夫ぢゃなかったのにな」

うむ。そりゃそうだ。
たとえ、指2本無くしちゃうくらい大変な事故に遭ったとしても
「大丈夫ですか?」と問われれば
「大丈夫です」と答えるのが世の条理ってもんだ。

「大丈夫ですか?」

ほんの短い言葉ではあるけれど、なかなか含蓄の深い言葉だ。
「大丈夫そう」な人に「大丈夫か?」と尋ねる人はいない。
「大丈夫でなさそう」な人だから「大丈夫か?」と問うのだ。
「大丈夫か、どうか」を確かめたくて
その言葉を口にする人なんて、まずいないだろう。

「大丈夫ですか?」を、くどくど要約すると、こんな感じだろうか。

大変そうにお見受けしますが、いかがなものでしょうか?
すっごく心配してるし、何か出来ることがあったら言ってください。
私にできることがあれば、力になりたいと思っています。

ほんに日本語と言うものは奥が深い。
たった1つの単語を取ってみても
ストレートに使用されない場合が多いような気がする。

「大丈夫ですかか?」と問われた時、咄嗟に
「見ての通り、ぜんぜん大丈夫ぢゃありません」とか
「もう駄目です。駄目に決まってます」
なんて切り返してみたいなぁ
……と愚弟に言ったら
「なんで、そんな発想が出てくる訳?」
……と問われた。

「いや。なんとなく一流の芸人っぽくて、格好いいかなぁ。なんて」
そして愚弟は切り返す。
「素人の姉が芸人である必要って、いったい?」

愚弟のツッコミ・ポイントは正しい。
たぶん私は、これからも
「大丈夫でなさそう」な人に「大丈夫ですか?」と問い
「大丈夫ですか?」と問われれば
たとえ大丈夫でなかったとしても「大丈夫です」と答えるだろう。

「大丈夫ですか?」

この短い言葉には
シャイな日本人の真心が込められているような気がする。


2001年11月24日(土) 惜別

今日、私が大好きなHPが閉鎖されるって事を知った
私にとっては、すっごい衝撃的なことだった。
そのHPはエンピツ日記の「ランキング」では
いつも上位ランクにおられる方のHPなので、あえてご紹介はしない。

山盛りの苦労をされて、それでも、てんこもりで頑張っている
ナイス「おねいさん」のHPだった。
管理人さんは、チャーミングな「図太さ」を持っておられる割に
「したたかさ」が、ちっとも感じられなくて
私としては「もうちょっと、したたかにいってもいいのに」
……なんて思っていた。

「天晴れ!」

そう言うしかない見事な引き際。
でもサミシイ。
そのHPを知って、まだ日は浅いのだけれど
私は、そのHPに色々と励まされていただけに
サミシクてたまらない。
なんのお返しもできないまま、断たれていく繋がり。

ネットの世界は流動的だ。
毎日、ものすごい数のHPができて
毎日、ものすごい数のHPが無くなっていく。

「出会い」も「別れ」も当たり前のこととして受け止めたい
……のだけれど、やはりサミシイと思わずにはいられない。
私にできることと言ったら
天晴れな引け際を披露してくださったその人のゆく道が
HAPPYであることを祈ることだけ。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。

今回、HPを閉じてしまわりる、その人だけでなくて
繋がっている全ての人に「ありがとう」を言いたい。
ネットの繋がりって、あまりにも儚くて
現実世界での付き合い以上に、ずっと、ずっと儚くて
「今」「一瞬」が全てなのだから。

その人と、その人が愛する小さな人に
幸せの大嵐がやってくることを祈りつつ
今日の日記は神妙におしまい。


2001年11月23日(金) 稼働率50%

「なんだか風邪っぽい」から
「本格的な風邪」にまで発展してしまった。

やりたいこと、やらなければいけないこと
色々な「こと」が、ちっとも消化していかない。
たかが、風邪。されど風邪。
脳味噌も、身体も、いつもの半分くらしか稼働していない感じがする。
思うように動けないというのは不自由でいけないなぁ。

出来ていない事を数え上げていくうちに
どこからともなく焦燥感が湧き上がってくる。
「あれもしたい」「これもしたい」「それしたい」
鼻水でいっぱいになった、薄らぼんやりとした頭で
色々と考えみるのだけれど、考えがまとまるはずもなく……
だけど、正しい答えは本能が知っている。

日記なんか書いてないで早く寝るべし。

そう。こんな時は早く寝るに限るのだ。
なのに、こんな時ほど「書きたい」気持ちが昂ぶってしまう。
試験前、机の片付けがしたくなったり、長編漫画が読みたくなったり
……そんな状況と少しだけ似ているかも知れない。

別に「今日」書いておかなくても「明日」があるのになぁ。
それなのに、どうしても「今日」にこだわってしまうあたりは
ちょっと馬鹿げているのだけれど
私にとっては、けっこう重要なことだったりする。
だからって「稼働率50%」の脳味噌でもって
何が書けるかといえば、たいした事は書けないのも事実なんだなぁ。
書きたいこと、話したいこと、伝えたいこと
いっぱいあるのになぁ……はうっ。

やっぱり、寝なきゃ。うん。

幸いにも明日は祝日で、私も休日だったりするので
1日かけて休養しよう。
読み返してみるだに、薄らぼんやりした日記だけれど
今日のところは、これにて終了。


2001年11月22日(木) 休日の覚え書

この休日の覚え書。

<火曜日>

午前中に銀行と郵便局の用事を済ませて、食料の買出し。
午後から、ちょっぴりお昼寝。
夕方から街へお出掛け。
先輩方3人と「串焼き」を食べに行く。
はじめて食べた「串焼き」は
「串かつ」より、あっさりしていて美味しかった。
先輩方は私より10歳くらい年上の女性なので
ほとんど「甘やかされ末妹」状態で楽しい時間だった。
3人とも、心優しく素敵な女性で見習うことばかり。


<水曜日>

風邪と疲れでダウン。
せっかくの休日だというのに1日中パジャマで過ごす。
弟の部屋に間借りして←「まい・さんくちゅあり」は療養には向かない。
『プリズンホテル4』浅田次郎 集英社文庫
を読んだり、うつらうつら眠ったり。
夕方、メールをチェックしたら
高校時代の友人から「妊娠しました」の知らせが。
家族が増えるのは嬉しいことだ。
専業主婦で子供がいないのを悩んでいた友人だったので
彼女の妊娠を心から「良かった」と思う。
さっそく「おめでとう」のメールを書く。

今日は日記をお休みしようかと思ったりもしたのだけれど
色々な出来事を書き残しておきたくて
箇条書きにて、ちょっとだけ。
明日はどうしても出勤しなければならないので
今夜は早く休んで、明日に備えようと思う。


2001年11月21日(水) 偽善者の言い訳。

「偽善者ですね」
……と言われてしまいました。

こうやって公開日記を書いて、しかも好き放題書いているので
いつかは遭遇するかもしれない言葉だなぁ
などと、ある程度覚悟はしていたので「あぁ。来たね」
……って感じでした。

「あなたって偽善者ですね」と問われれば
「そうかも知れませんね」と答えるしかありません。

その人は私の書き連ねた日記や
私が訪問した先での発言に対して
「偽善」めいたものを感じておられたようでした。

エンピツ日記。
とりわけ「心・苦悩」のスペースには
「ちょっぴり、まいちゃってる人」がたくさんおられます。

私は大地にひれ伏して滂沱と涙している人に対して
石を投げるようなことはしたくない…と思っていますし
雨での中、ずぶ濡れで歩いている人がいて
タイミング良く自分が傘を持っていたならば
「そこまで一緒に行きませんか」と声を掛けたいなぁ
……みたいな気持ちはあるのですよ。

取り立てて「善行を行いたい」と思っていません。

もちろん、私のした「何か」で「誰か」が喜んでくれるようなことがあれば
それは「ひゃっほ〜」と叫びたいくらい嬉しいことではありますけれど。

まぁ、つまんない言い訳はおいといて。

私が偽善者と呼ばれるに値する人間だったとしても
私は偽善者であることをやめるつもりは無いです。
私のする行為が、たとえ偽善であったとしても……

たとえ偽善であっても、それがマイナスを引き出す要因にならなければ
結果オーライとさえ思っています。

もし「あなたの言った言葉で私は、立ち直れないくらい傷つきました」と
私が言葉を投げかけた、ご本人から申告があれば
この場所から撤退しちゃうかも知れませんが。

何某かの形でもって行動するのが偽善であるなら
何もしないということは、いったい何なのでしょうね??

私、偽善者かも知れませんが、この調子でいくつもりです。
……って、言うか、他の道など知らないし。

ウキ〜〜〜!!

ちょっとだけ「むっ」ときましたが、大丈夫。大丈夫。
私、横風には弱いですが、向かい風には強いです。

あっ。

あと「コレ」を読んでくださってる方が誤解のないように追記を。
私を「ウキ〜〜〜!!」とさせてくれたのは
私の掲示板に訪れる方でも
私がお邪魔している場所で言葉を交わす方ではありません。
掲示板への書き込みでなかったのはラッキーでした。
……って言うかメールの話を「公的な場所」に持ってくるのは
私方のが、よっぽどルール違反かも知れないですね。
でも、ちゃんと、お返事はしたのですよ。はい。

今日はマジ愚痴モード炸裂ですが元気でやってます。
日記、明日も更新してると思います(笑)
ホントはね。
今日はお出掛けしたので、その話でも書こうと思っていたのですよ。

では。また明日、お逢いしましょう。


2001年11月20日(火) 世界の隙間。

噂の『しし座流星群』あなたはご覧になりましたか?

私は見事に見逃しました。はい。
キッパリ、サッパリ、スッキリと。
33年に1度のビッグ・イベント!!
しかも日本であの規模の流星雨が見られるのは最後だったのですね。
私、ちっとも知りませんでした。

もし知っていたら「眠い」とか「寒い」なんて不平を言わずに
ちょっぴり空が曇っていても空が晴れるのを信じて
辛抱強く観ていたと思います。
だって知らなかったのですよ。
そんなビッグ・イベントだったなんて。
いやはや。
うかうか日記なんて書いてる場合ぢゃありません。
もう少し「世界」に目を向けて生きていきたいと思いました。

だけど世界は寛容に出来ているのですね。
今夜20日の夜も、19日より規模が縮小されるけれど
まだ観られるのだとか。
チャレンジしてみようかと思っています。あくまでも希望ですが。

19日の夜は、ものすごい人数の日本人が夜空を見上げていたのかと思うと
なんだか不思議な気がします。
夜空を見上げるなんて忘れていた人だって、いっぱいいたのでしょうね。
少なくとも私は忘れていました。

本当に世界は寛容にできています。
どこかに、ちゃんと隙間を用意してくれている。
一部の隙間もなく埋め尽くされた世界だったりした日にゃぁ
息苦しくって、たまりません。

現実世界も、ネットの世界も「流れ星」の話で持ちきりで
なんとなく目がチカチカしちゃいました。
流れ星にかけた願い事が本当に叶うとしたら……

願いごとなんて全部叶ったも同然♪

……と言うのは、あまりにも飛躍し過ぎではありますけれど
たくさん星が流れたのだから1〜2個くらいなら、ちょろいものでしょぅ。

願いごと、叶うといいですね。
「あなた」も「私」も。
世界の隙間に付けこんで「こそっ」と叶えてもらいましょ♪


2001年11月19日(月) それでも

エンピツ日記を書き始めて1ヶ月と少し。
「愚痴炸裂」だったり「酔っ払い」だったり「落ち込みモード」だったり
まぁ、たいした日記ではないのだけれど
「それなりの・これ」で続いていて、なかなか良い感じだ。

私が「MYエンピツ日記」に登録させていただいた日記も増えたし
私の日記を「MYエンピツ日記」に登録してくださっている方も増えた。

増えたと言っても、そう広い範囲で活動している訳ではないので
私の場合は「小さな輪」みたいな感じである。
だからこそ「MYエンピツ日記」で繋がっている方々の日記が更新されたら
必ず読みに伺うし、うっかり忘れない限りは「ぽちっ」と投票してくる。
↑もしも「MYエンピツ日記」が100名・・・ってなことになれば
全ての日記に目を通すのは土台無理な話だと思うのだけれど。
エンピツ日記ではない場所での日記にも「お気に入り」があったりするので
エンピツ以外の日記も、せっせと読みに伺っている。

「誰かの日記を毎日読む」

……というのは、どこか悪魔的な魅力に満ちていて
私にとっては「止められない。とまらない」カッパ・エビセンのようなものだ。
1度もお目に掛かったことはなくても妙な親近感を感じてしまうのは
いったい、どうしたものだろう?

日記の更新がとどまっていたりすると
「もしかして体調が悪かったり、忙しかったり、落ち込んでたりするのかな?」
などと気になってしまうのだなぁ。
実際はプライベートが充実しているために
ネットがお休みになっている場合もあるのだけれど。

少なくとも、そこに日記がある限り、その人がいる。

……という事だけは確かな事実。
儚い繋がりだと思う。
不確かで頼りない繋がりだと思う。
それでも好きなだから仕方がない。
嫌いになんてなれやしない。

いま、これを読んでくださったいる「あなた」
身体はお元気ですか?
心はお元気ですか?

私は「元気です」って言えるほどではないけれど
「それなりの・これ」って感じで頑張ってます。

今日の日記は広いネットに間借りしている
ささやかな「この」スペースに訪れた「あなた」のために。

                 白蓮


2001年11月18日(日) 恐ろしい習慣。

今日も残業だった。
世間様は週末だってぇのに、ご苦労なことである。
まぁ、その辺のところは個々の事情だから仕方がないとして……
残業すると自分の時間が減るので
日常生活で「しなければならないこと」が色々と億劫に感じる。
↑それでも日記書くのは面倒でないあたりは、どうかしている。

特に入浴というのは面倒臭いこと、この上ない。
今日、頑張って、お風呂に入っても
明日も頑張って、お風呂に入らねばならない。

あぁ。お風呂入るのやめて寝ちゃおうかなぁ。

そう思ったりするのだけれど
その日のうちに頑張って入らねばならない。
早起きしてシャワーを浴びるなんて芸当、私には出来る訳ないし。
頑張って。思いっきり頑張ってお風呂に入った。
入ったら、入ったで気持ちが良いも事実だし。
冷え切った身体を湯船に浸すのは悪い気分ぢゃない。

だが就寝時間を考えると入浴は手早く済ませなければならない。
ササーッと身体を洗って、髪を洗った。

で。

ふと気が付くと
手桶を片手にせっせと湯船から湯を汲み上げている私がいた。
手桶からザザーッと頭に湯を注ぐ私がいた。
なんてこったい!!
せっかくシャワー買ったのに。

げに恐ろしきは習慣なり。

手桶で湯を汲み、頭にかけるという動作は
もう私の身体に染み付いているようだ。
もしかして「本能」にまで組み込まれているのかも知れない。

シャワー生活が習慣に組み込まれるのはいつだろう??

水戸黄門が代替わりすると、しばらくは
「なんかイメージと違う……前の黄門様の方が良かった」
なんて文句を言うのに、時間が経てば自然に慣れてくるものだ。
私のシャワー生活も、そのうち慣れてきて
「当たり前」になるだろう。

なんだか1人で笑ってしまった夜だった。
シャワーは素敵だが、手桶も案外優れものである。
……いまさらながらの発見だった。


2001年11月17日(土) 帰る場所がないということ。

『ダンボールハウスガール』 萱野 葵  角川文庫 を読んだ。

泥棒に200万円の預金通帳を盗られてしまったOLが
ホームレスになって・・・というストーリーだった。
小説自体は、それほど面白いとも思わなかったのだけれど
「ホームレス」とか「ダンボールハウス」という言葉に
ちょっとした羨望を抱いてしまった。

自分を取り巻く「しがらみ」を捨ててホームレスになる・・・
そんな生き方もアリかなぁ〜 
・・・などと真剣に思ってしまったのだ。
もっとも私の場合は「29歳未婚女性」といっても
一応、養っていかねばならぬ家族を持つ身なので
ホームレスになれるはずもなければ、なる気もないのだが。
でも、ちょっぴり憧れてしまうのも事実だ。

が。

よくよく考えてみると「ホームレスになりたいかも」なんて発想は
とてつもなく失礼なことなのだということに気が付いた。
もしも、私の家族が、友人が、知人がホームレスという立場にたってしまったら
「そういう生き方もアリかなぁ」
・・・などと私はは絶対に思えないだろうから。
なんとかして屋根のある家に住めるよう、
住民票を持ち、あたりまえの生活ができるよう
はばかりながら、おせっかいを焼いてしまうような気がする。

住民票を持たないホームレスは保険治療だって受けられないのだ。
完全なる自由とも言えなくはないが、その分だけ社会的な保障だってない。

帰る場所がない。
迎えてくれる人もない。
社会からも認めてもらえない。

帰る場所がないということ。
これは、たまらなく哀しいことだと思う。

本人は納得の上で、そんな道を選んだとしても
その人と係わっている人が知ったら、どんなに哀しむだろう?
なにもかも捨て、自由に、孤独に
・・・なんてフレーズは魅惑的ではあるけれど
周囲の人間に対して失礼な発想ではあるまいか?
親、兄弟、親類縁者、友人、知人・・
古臭い言い方をするなら「木の又から生まれてきた訳ぢゃあるまいに」
・・・ということだ。
世の中に「まったく他の人間と係わっていない人間」なんていないと思う。
何も無い空間から、突然発生した人間がいるとしたら話は別なのだが。

自分と係わる人がホームレスになったところを目撃したら・・・
きっと平気ではいられないだろう。

「やりたいこと」と「やってもいいこと」は決定的に違う。

『ダンボールハウスガール』は映画化されるそうだが
いったい、どのような解釈でもって映像化されるのだろう?

なんとなく心乱されてしまう1作だった。
ネット上に建設されるHPはネットに建てた「家」なのだろうか?
帰る場所がある人は幸せ?
それとも???

また今日も、つまらない事に思いを馳せてしまった。


2001年11月16日(金) パッショナート!

情けないことなのだが……

私は暑苦しく、かつ情熱的な「おなご」だと思う。
↑恋愛関係においては、のぞいていただきたいのだけれど。

ネット生活の中でも、腹立たしい場面に遭遇することが少なくない。
先日は遠い知り合いのHPが「荒らし」の被害にあって閉鎖してしまった。
このあいだも某所で失敬としか形容しようのない書き込みに遭遇した。
あまりの怒りに頭の血管がブチ切れそうであった。

常識って何さ!!

ネット上での発言は「匿名」でも「自由」でもいいと私は思っている。
が。
だからって他人のHPに出向いていって「したい放題」というのは
いかがなものだろうか?
ネット上では「言葉」が意志伝達の手段として
大きなポイントを占めるってことは
ネットで遊んでいる方々なら周知の事実だと思う。
気持ちの行き違いや、文章の未熟さゆえに誤解を招くこともあるだろう。

が。

私は「荒らし」及び「常識のない人」に対して
どうしても寛容な心を持てないのだ。
「メール」という個人的なやりとりの中で発生した「行き違い」なら
まだまだ理解できるが「掲示板」や「チャット」は公的なものである。
不特定多数の人間が読んでいるだろう場所に
相応しくない発言や、書き込みをする人間に対して
私は、どうしても「血管ブチ切れ」になってしまうのだ。

世の中には「言っていいこと」と「悪いこと」があると思うんだな。うん。

もっとも私の日記に設置している掲示板には
私には、もったいないくらい、いい方ばかりなので
嫌な目に合うどころか、助けられてばかりなのだけれど。

そうなのだ。
私はネット生活で「いい人」ばかりと係わっているのだ。
だからこそ「そうでない人」を見掛けると
余計に腹立たしく思ってしまうのだな。

ウキ〜〜〜ッ!!!

私は怒っている。そうとう怒っている。
この日記とはまったく関係のない場所で起こった
出来事にたいして怒っている。
一方的に、暑苦しく怒りを感じている自分に
見苦しいものを感じながら今日の日記は、これにてオシマイ。

今日は感情の「吐き溜め」につきあってくださった「あなた」ごめんなさいね。
あぁぁぁ。情熱が押えられない。
こういうのは「情熱」とは言わないのだなぁ。
そう。短気。たんなる短気。

「短気は損気」って言葉は私のためにある
……のかも知れない。


2001年11月15日(木) シンプル・コート

今日は来るべき季節に備えてコートを買いに行った。
今まで使ってきたコートは「おんぼろ・ぼろ」になっていたので
そろそろ新しい物が必要だなぁ。と思って。

なるべくシンプルなデザイン。
色は黒。
丈は長い目。

私が新しいコートにたいして付けた注文は以上の3つ。
母の知人の洋服屋さんが
「条件に見合うコートが入ったから」と連絡をくれたので
郵便局でお金をおろしてコートを買いに。
↑私のメイン・バンクは郵便局なのです。

用意してくれていたコートは私が出した条件に見合うものだった。
ただ、ちょっぴり「お洒落」的にはイマイチだったけれど
「長く使う」ということを考えると
ちよっぴりイマイチでも実用的な物の方が良いかと思って
わずか10分ほどで購入を決めてしまった。
私にとっては『パソコン』と『遠藤周作文学全集』の次に
大きな買い物だった。

サイズ直しに出したコートは来週出来上がる予定。
明日から、私の1週間がはじまる。
コートは、来週の「お楽しみ」の1つになった。

今日は早く寝て、明日からまた頑張ろう。
夕食に、ちょっとワインをいただいたけれど
今日は酔っ払いではなく、とても理性的(のはず)
弟は、ちょっぴりのアルコールで気分良く酔いつぶれて寝てしまった。
アルコールに関しては安上がりな弟は、なかなか経済的でイイ感じだ。

つらつらと「明日の日記」を書き連ねて、私の週末は終わろうとしている。
今週は「まずまず」だったかな?
……と思いつつ、そして、明日へと続く。


2001年11月14日(水) 取り乱してしまって。

昨日は、すっかり取り乱し日記を書いてしまいました。
たま〜にですが、感情が「ドカン」と爆発しちゃうことがあるようです。私。
だからって「ただいまリハビリ・療養中」の弟だの
「実母と夫を亡くして息子が療養中」の母には
「ドカン」とやっちゃう訳にはいかなくて
いつもは悶々として終わってしまうのですが
昨日は聞いてくださる方がいて嬉しかったです。

以前、公開日記を書いていた時は、我ながら「優等生」な日記で
だからこそ続かなかったのでしょうけれど
この日記では好き放題に書けているので、なんだか気が楽。
匿名性が手助けしてくれている部分も大きいですが
読んでくださる方が、書きたい放題でも
あったかく迎えてくださってるから…って部分が大きいです。

感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。

休日1日目は、家で「ぐうたら」過ごしていました。
お昼寝して、本を読んで、PCに向かって。
休日のお供に選んだ『求愛』藤田宜永 文春文庫は
読後に不愉快を感じちゃうような1冊でしたが
ゆっくりと1冊の本に取り組めたって点はイイ感じでした。
ヒロインが「私は向かってくる風には強いけれど横風に弱い」
なんて語っている一節があったりして
ちょいと前の日記に、私自身が同じことを書いているのでドキリとしました。
↑しかも昨日の今日ですしね(苦笑)

夕食は「餃子鍋」を作りました。〆はラーメン。
家族で囲む鍋…のように身近な「いいこと」に対して
近頃の私はハスに構えてていたところがあったようです。

明日は買い物にでも出掛けようか
などと思いつつ、
今日は落着いて日記が書けてホッとしています。

明日も、明後日も…お付き合いいただけたら嬉しいです。


2001年11月13日(火) 女性のみさなま。ねぇ?今夜は酔ってます。白蓮

「こんばんわ」もしくは「おはようございます」「こんにちわ」
『白い木蓮の花の下で』って言うチンケな日記を書いている白蓮です。
いまは、ちょっぴり酔ってます。
ゆえに、ここから先は「酔っ払いOK!」以外の人は読まないでくださいね。


私事で恐縮ですが、私、今日は珍しく定時上がりだったのですよ。
でね。
しかも私の休日は火曜、水曜なので、週末だったのですよ。
週末に定時上がり。
もはや「明日死んでも悔いなし!」ってくらい幸せな夜だったのです。
だから……
帰り道にクイック・マッサージで肩揉んでもらって
帰りにコンビニで日本酒を買って買えるくらい「ちょちいのちょい」なのです。

帰宅した私を待っていたの、とあるTV番組でした。
癌に冒された父が家族と過ごした日々……みたいな番組。
昨年「アルコール性肝炎」で父を亡くしたゃった私も
それなりに観てましたとも。えぇ。
感動的な一作でした。はい。

「お父さん。あんたって人は、狂った脳味噌で最後まで弟を心配してたよねぇ」

……って。
変なこと思い出しちゃいました。うふっ。

父はアルコール性肝炎が脳に侵食して「そりゃぁ、もう別人」
って具合まで脳を犯されて死にました。
で。

脳味噌がイカレた父が最後まで気遣っていたのは弟だってのです。
一家の生計を支えつつ、
父に付き添う母に代わって家事を受け追っていた
健気な娘でなくて、
その当時は、まだ五体満足だった弟を気遣っていたのです。
私の父って人は。

「俺は○○の行く末を思うと心配でたまらん……」

私は父からは金銭的なことをはじめとして
そうとう酷い目に遭遇しましたが
それなりに可愛がってくれた思い出もあったので
「それなりの。これ」と受け止めていましだか
心の底では思っていましたとも。はい。

「あんったって人は、そ〜ゆ〜人だったんだね。やっぱり」

当時、28歳だった私は、怒ることさえ感じられずに
ただ、ただ疲れてしまいました。
家族って健気に貢献していた私より
自由奔放に暮らしていた弟の方が心配だったのですね。
父って人は。
もし私が「長男」だったりしたら、対応は違っていたのでしょうか?
たぶん、違っていたのでしょうね。
日本って国は、まだまだ「男に優しい」国だと思うです。
で。
今になって怒っちゃいました。私。

今日の日記を読んでくださった「あなた」さま。
本当にごめんなさい。
うっかり、道端で野良犬にでも噛まれたと思って諦めてください。
私、今夜は酔ってますので。

そんな、こんなで書き捨てて
今日は、この辺で寝ることにします。
では、おやすみなさいませ。

            白蓮

****************************

そして。朝。元気に目覚めた白蓮です。
二日酔いでないところをみると
昨日の「酔い」はいい感じの「呑みっぷり」だったみたいです。
それなのに、日記は「見苦しい」です。
誤字脱字も山盛りで、あとで訂正入れました。
でも、消さずに置いときます。そうとう恥かしいのですが。


2001年11月12日(月) 同名の人。

唐突な書き出しで恐縮ですが……
ちょいと前に同じハンドルネームの方と遭遇してしまって
なんとなく凹んでしまったという話を日記に書いたのだけれど
同じ名前の人と遭遇したからって、いつも凹む訳ではないのです。

日記用に使っている『白蓮』について調べてみたのだけれど
同じハンドルネームの方がいらっしゃいました。
この『エンピツ日記』にも違うジャンルの日記で同名の方おられます。
しかも私の方が後からはじめてたりして。
なんだか「ごめんなさい」って思ってしまいました。
最初から知っていたら、きっと使わなかったのになぁ。
↑とか思うなら、はじめに調べるべきですね。

私の場合は「白い木蓮」という意味で付けたのだけれど
『白蓮』という言葉は「格闘技系」とか「仏教系」によく登場するようです。
そい言えば「白蓮○○」という格闘技団体ともありますし
仏教には蓮の花がつきものですね。
格闘技と仏教。
正反対に思えるような組み合わせで、ちょっと笑ってしまいました。

ちなみに普段使いのハンドルネームは
友人と同人誌を作っていた時の名前だったりします。

 「同人誌」という言葉にピンとこない方への、ひと口メモ。
 同人誌とは俗にいう「オタク」と呼ばれる人々や
 文芸仲間が集まって作る本のこと 。
 ちなみに私の場合は「オタク」系でした。

同人誌で使っていた名前には「姓」と「名」があるのだけれど
こちらの方もパーフェクトに「同姓同名」の方を見掛けたことがありました。
もっとも私が一方的に見知っただけなのだけれど。

その人は新人の「AV女優」さんでした。
国道沿いにある、成人向けビデオだけを扱っている
妖しげな店のポスターに
『鮮烈デビュー!!  濡れ濡れ云々』
……みたいなキャッチコピーが入っていて
私は腰が砕けてしまったと同時に大笑いしてしまいました。
私とは似ても似つかぬチャーミングな女性でしたから。

数年前のことですが、彼女は今も頑張ってAV女優してるのかなぁ?
TVで見掛けないところを見るとTV女優へ転向
……とかはされていないようですが。
頑張っていてくれると嬉しいです。
少なくとも幸せに暮らしていて欲しいなぁ。なんて。

同姓同名の人間としては、同姓同名の人には活躍していて欲しいと思います。
ハンドルネーム、ペンネーム、本名に係わらず。
たとえば……
病院なんかで超有名人の名前が呼ばれて、周りがザワザワする中
立ち上がるのは私で「なんだ別人じゃないか」
なんてシュチュエーションに遭遇するのは面白いかなぁ……とか。

今日は、とりとめのない事を書き連ねて、これにて終了。
それにしても、日々テンションとテーマが違う日記なぁ。
堅い話、本の話、そしてオタク。
まとまりの無さに我ながら……(苦笑)


2001年11月11日(日) 神様は…

神様は……
6日連続で働いて
7日目に休憩したそうな。
それにちなんで日曜日ができた。
みんなが、お休みする日。
キリスト教の信者でなくたって
日曜日はお休み。

今日は日曜日。

そんな訳なので
なんとなく今日は日記もお休みしてみよう
…と思った。
なんて、ウダウダ書いてるのって
お休みとは言わないのかも。

これを読んでくださっている「あなた」へ。
良い日曜日を、お過ごしください。
うっかり忘れていましたが日記を書きはじめてから
とうに1ヶ月が過ぎていました。
ありがとう。ありがとう。

ネットという名の頼りない糸を
取りこぼさないよう、一生懸命、手繰り寄せて
「あなた」と逢うのを楽しみにしています。

では、また明日お逢いしましょう。


2001年11月10日(土) 作文な気分

今日は無性に「作文」が書きたい気分なので
「作文風」に書いてみます。

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題名 『家が建つ』

私の仕事はCADオペレーターです。
CADオペレーターとは
CAD(キャド)と言うパソコン・ソフトを使って
色々な図面をトレースする人のことです。

私は、ある住宅会社に派遣されているので
毎日せっせと家の図面とか
パース(完成予想図)などを描いています。

「職業はなんですか?」とたずねられた時
「CADオペレーターです」と正直に答えると
「技術系の仕事はいいですね。難しそうですね」と言われることが多いです。
そんな時、私は曖昧に笑ってみせますが
本当のことを言うと、CADオペレーターなんてサルでもできます。
「技術系」だったり「難し」かったりするのは、原図を描く人であって
それをトレース(写す)するのは案外、簡単だったりするのです。

世の中、景気が悪いといいますが
新築一個建の家を建てられるくらいのお金を持っている人もいたりして
「この、ご家庭は、いったい何人家族なんだい?」
・・・と首をかしげてしまうほどの大豪邸も多いです。

家が建つ・・・あぁ家が建つ・・・
中原さんちの中也くんが、ポツリと呟いてしまった気持ち
ちょっとだけ分かるような気がします。
中也くんの詩は、なんとなくスカした感じがして嫌いだったのですが
このごろ、ちょっぴり好きになりました。
「大人になると好みが変わる」というのは
きっと、こんな感じなのかも知れないです。

毎日、立派な家の図面を描いている私は
八畳の居間兼寝室と、四畳半の個室(弟のもの)と四畳半の台所
・・・といった間取りの貧乏長屋で暮らしています。
ちなみに「まい・さんくちゅあり」は台所の片隅です。
通信販売で買った「本棚付きデスク」をアジトにしています。
手先の不器用な人間が組み立てた机は
本の重みで、このごろ、ちょっぴり歪んでいます。
いつか私がトレースするような家に住んで、立派な机が欲しいです。
そんでもって天井まで届く梯子の付いた本棚が装備していたら最高です。

それより、なにより山積みになった本を処分しなくてはいけません。
本の増えるスピードが速くて困ります。
もしかすると私の本達は、私に内緒で
夜中に、こっそり自己増殖しているのかも知れません。
そのうち、徹夜して見張ってやろうと思っています。
どうやって増えるのか興味深々です。

とにかく明日も頑張って、家の図面を描こうと思っています。

===============================

・・・・・・なんだか変な調子だけど
まっ、いいか♪
今日の日記は、これでオシマイ。


2001年11月09日(金) 冬が来る前に

11月の声をきいたとたん、駆け足で寒くなっているような気がする。
どうしたものだか私のまわりには「冬」が好きな人が多い。

あったかい炬燵。
ピンと張り詰めた空気。
冬にしかない美味しい食べ物。
なにもかもを覆いつくす真っ白な雪。
スキーにスノーボード(私は未体験だけど)

うん。素敵だ。素敵だよ冬。

冬が素敵だってことは理解しているのだけれど・・・・・・
私は冬が苦手なのだ。
だって寒いの苦手だし、冷え性だし。
家にいるあいだは、まだいいのだけれど通勤が辛いのだ。

吹きすさぶ風の中、奈良盆地を徒歩で20分ってのはキビシイ。
↑思いっきり寒くなると橋の上が凍ったりするし。
残業帰りに電車にのって、車両に私1人だったりすると相当寒いし。
↑都会に出ていくのとは逆方向の通勤なので利用者が少ない。
通勤に限らず、冬が苦手な理由なんて書きだしてみれば
軽く100個くらいあると思う。
全部書くには、スペースも時間も無いので以下省略。

もしも願いが叶うなら冬が来る前に冬眠したい・・・

熊みたく、冬眠して春になったら活動を再開する。
・・・・・・そんなのが理想。
カメハメハ大王みたく、南国で暮らすとか
大橋巨泉みたく「夏はカナダ」「冬はオーストラリア」で生活するとか。

あぁぁぁ。どれも、これもすべては理想。机上の妄想。
冬が来る前に冬支度をすませて
不平なんか言わないで、日本の庶民らしく冬を迎えることにします。
↑散々、不平言った後では説得力のカケラもありませんが。

冬支度 したくなくても せにゃならぬ 白蓮


2001年11月08日(木) ネットの闇。そして光。

私の祖母は鬱病の果てに自殺という道を選んでしまった。
↑10月付けの日記参照。
私にとってはショックな出来事だったのだけれど
それでも私にとって祖母はワンクッション隔てた間柄であり
「子供」「親」「夫」「恋人」ほど密な関係ではなかったので
不遜にも私は思っていたのだ。

「ショックだったけど私は大丈夫。ぜんぜん傷ついてなんかいない」

実際のところ、祖母は病気だったのだし
私自身、精一杯祖母と向き合ったという思いがあったので
ちゃんと受け止めて消化できると思っていたのだ。
が。
人間の感情ってヤツは私が思っていたより複雑だったようで。
「祖母の自殺で私はとても傷ついた」
・・・という事実に自分自身が気付いたのは
祖母が逝ってから半年以上経ってからだった。

祖母が自殺してから私は自分でも気付かないうちに
「ある部分」が変わっていた。
「現実世界」で係わっている人達や、
ネット上でお付き合いしている人達が発した
「死にたい」という言葉や「死にたい」という感情に対して
過剰なほど反応するようになってしまっていた。
毎日、毎日「生きるの死ぬの」といったことを考えている訳ではないけれど
「死を望む心」に対してピリピリしている私がいる。

お願いだから、それだけは勘弁してくれ。勘弁してやってくれ。

祖母が自殺してから、私は何度同じ言葉を言ったり書いたりしたことか。
自分でも「そこまで神経質にならなくても」と思うのだけれど
どうしても反応してしまうのだ。

当たり前の話なのだが
身近な人に自殺されちゃったら誰だって傷付くのだ。

だが「傷付いてる」と思っているだけでは何の解決にもならない。
ネットを探訪していると
私と同じ・・・それ以上の経験をした方が大勢おられる。
自らのHPに思いを書き綴っておられる方。
「自死遺族」が立ち直るためのHPを作っておられる方。
ネットの世界は「毒」で溢れているなぁ・・・と思うこともあるけれど
ネットでしかできない「優しい行為」もあるのだなぁ・・・と思う。

「闇」が濃く存在する場所には「光」だって同じだけの強さで存在する。
影響力や伝達力は「闇」の方が強烈だとは感じるけれど
それでも「可能性」とか「希望」とか「再生」とか
そういう物に目を向けてきたいと思う。

・・・なんだか今日は真面目光線ビンピンで照れくさい。
こっ恥かしくなったところで、今日はオシマイ。


2001年11月07日(水) 次郎の罠゜

いま『プリズンホテル』浅田次郎 集英社文庫 シリーズにハマっている。
浅田次郎と言えば高倉健が主演して話題をさらった『鉄道員』の原作者で
「泣かせる」ことにかけては職人かと思われる作家さんである。

私は俗に言うところの「お涙頂戴」的な小説は、それほど得意ではなくて
むしろ「絶対、泣いてやらんぞ。さぁ、かかってこい!」
・・・とて気が構えて読む方なのだけれど
次郎の罠にマンマと引っかかってしまったのは悔しい限りだ。

「泣かせのツボ」を心得ていて、人の心を計算し尽して書かれた文章。
浅田次郎の小説からは、そんな狡猾な印象を受ける。
もはや、これは『罠』としか言いようがない。
そこに罠が仕掛けられていると、なんとなく勘付いているのに
飛び込まずにはいられない野生動物になってしまった気分だ。

ちなみに『プリズンホテル』とは・・・
正式名称を「奥湯元あじさいホテル」という。
経営者が極道(つまりヤクザ)だったりする問題アリのホテルなのだけれど
投宿すると「この世の垢」を洗い流すことができるような、そんな場所。
ストーリーの面白さもさることながら、登場人物が魅力的なのである。
それぞれ「人間としてどこか欠損している」のに「なぜか優しい」のだ。
私は出版社のまわし者ではないけれど
「騙されたと思って、ちょっと読んでみてよ」
・・・とオススメしたい1冊(とくに疲れちゃってる人達に)

シリーズ3巻まで読んだのだけれど、毎回、毎回
ドキドキしながらページをめくり、怒って、笑って、ホロッとして・・・
「あぁ。人間っていいなぁ」
などと、ひどく道徳的な感慨にふけってしまう。
あぁ。なんてこったい。こんなにピュアに感動しちゃうだなんて。

策士なり! 浅田次郎!!

そして、次郎の罠にハマった私は
『プリズンホテル』の完結編が出るのを待ちわびている。

いいものは、いい。
面白いものは、面白い。
理屈なんて、なんの役にも立たないということを
浅田次郎に叩き込まれたような・・・そんな気がした。


2001年11月06日(火) 王子様は白馬に乗って。

隣りで仕事をしていたCADオペレーターの相棒が唐突に呟いた。

「あのさぁ〜白馬に乗った王子様が現れてさぁ〜」

横を見ると彼女は「遠い目」をしていた。
私も思わず「遠い目」になってしまった。
「白馬に乗った王子様」なんてフレーズは文章で読むことはあっても
直接、人の口から聞いたのは10年ぶりくらいだ。

「で、白馬に乗った王子様が、なに?」との私の問いに相棒は続けた。
「お嬢さん。もうこんな仕事はやめて私と一緒に行きましょう・・・って言うねん」
相棒の目は見事なまでに、すわっていた。
アルコールも飲んでいないのに。

「私、コーヒー入れてくるから休憩しよ。な?」

私は仕事の手を止めてクリープを山盛り入れたコーヒーを入れ
明治製菓の『ガルボ』机の引出しから出動させた。

「あ〜〜。もぅ。仕事するの嫌やぁ〜〜〜」

コーヒーを飲みながら相棒は言った。
そうだよね。やっぱり「ナチュラル・ハイ」とか
「逆ギレ」状態だったんだよね。
そうでなければ「白馬に乗った王子様」なんてフレーズ出てこないよね。
29歳の私と、31歳の相棒はガルボを齧りながら溜め息をついた。
仕事、キツ過ぎるんだよねぇ。
山積みになった図面を片付けてくれるんだったら私・・・

「白馬に乗った王子様」でも
「ラクダに乗ったエジプト商人」でも
「象に乗ったマハラジャ」でも
「ハーレー・ダヴィッドソンに乗ったオヤヂ」でも
「ライオンに乗ったアマゾネス」でも

ついて行っちゃうかも知れない。
マジで。
そんな、つまんない想像をして、心の中で「ぶふふっ」と笑ったら
ちょっと肩が軽くなったような気がした。


2001年11月05日(月) 必然なのだと・・・

すべての出会いは偶然ではなく必然であると思う。

唐突に真面目な書き出しだが、つくづくそう思う。
ある方の公開日記に「ネットの世界は広いようで狭い」
・・・という話が書いてあったけれど本当に・・・まったく。

ネットの世界は広大で、しかも「匿名」という手段が使えるにも係わらず
「偶然」知人を見つけてしまったりなんかする事がある。
いくら匿名であったとしても「あっ、あの人は!」
・・・と分かってしまうのは、どうしたものだろう?
そして何よりも広大な空間でバッタリ会ってしまうというのは
いったい、どうしたものだろう?

いや・・・つい昨日もネット上の思い掛けない場所で
知っている人を一方的に見掛けてしまったもので。
それは、その人にとって「そっとしておいて欲しい」であろう空間だった。
↑もちろん私の勝手な推察。
正直言って吃驚した。

偶然って恐い。

私自身、この空間で「日記用のハンドルネーム」を使って
言いたい放題というか、気持ちを整理しているというか・・・
とにかく毎日、ウダウダと書き連ねているのだけれど
「あっ。こんな場所にアイツがいる!」
などと私の知人が読んでいる可能性もあるのだと再認識した。
もしも偶然、この空間で知人と出会ってしまったのなら
それは必然の出会いなのだと私は考えているので
そんなことがあってもいいような物を書いているつもりだけれど
かなり「ス」のままの気持ちが書いてあるだけに
もしも私の知人が、この日記を読んで「あっ、あの人は!」
などと気付いた日にゃぁ、多かれ少なかれ吃驚するのではないかと思う。

「太陽の下」的な空間だったら、さほど吃驚しないのだろうけれど
そうでない場合は複雑な心境に陥ってしまう。
実際、私は偶然知人を見掛けて非常に複雑な心境だったのだ。
それにしても、広大な空間で「偶然」に出会ってしまうということは
なにか惹かれ合う物があるのだろうか?

たかが出会い。されど出会い。

「出会い」ひとつに、何某かの意味を付けたがるだなんて
なんだか思春期の少女みたいで気恥ずかしいのだけれど
「あ〜でもない、こ〜でもない」と色々と考え込んでしまった。

くどいようだけれど「出会い」というのはやはり必然だと思う。
決して出会わない、繋がらない関係だってあるのだから。

繋がることの幸せ・・・
繋がることの不幸せ・・・

「出会い」や「繋がり」に対する感じ方は人それぞれだと思うけれど
私の場合は「繋がっていたい」と願う部分が大きいようだ。


2001年11月04日(日) そういうふうに

日記で再三登場している私の愚弟は
この夏、事故に遭って左手の親指と人差し指を失った。
いずれは義指をつけることになるのだが
まだ治療とリハビリの最中なので
今のところは3本指の男・・・なのである。

ちょっぴり不幸・・・プチ不幸な話ではあるのだけれど
事故当時は「手首から先を全部切断します」
「たとえ指が残っても指を動かすことは不可能です」
などと診断されていたので、それを思うと、ありがたい話だ。

愚弟、母、私・・・家族は少しづつ現状に慣れつつある。

「中指が、よく動くようになったねぇ」
「でも小指の方がいい感じかな」
・・・などと、今日は姉らしく彼の指について観察をしていたら
彼から「ある指摘」を受けた。

「姉ちゃん。悪いけど、それ中指ぢゃなくて、薬指や」

なんてこったい。
私は弟の3本並んだ指の真ん中を「中指」だと認識していたのだ。
その指は第四指・・・薬指だと言うのに。

「ぺつに、えぇで。リハビリの先生もよく間違うし」

なんと理学療法士でさえ彼の薬指を指して
「さぁ、中指動かしてください」
などと言ってしまうことがあるらしい(流石に毎回ではないようだが)

人間の判断能力はアテにならないものだなぁ・・・と思った。
指が3本並んでいたら、真ん中を「中指」だと思ってしまう。
指が3本並んでいたら、はしっこの指を「中指」だと認識できない。
↑ただし、どうしたものだか小指だけは、それと識別できている。

この衝撃的な現実を突きつけられた私達一家は
彼の3本指を「どう呼ぶべきか」について議論をはじめた。

「はっしっこにある指を中指とは呼びにくい」とか
「では『第一指』とか専門的に呼ぶのはどうだろうか?」とか
「いやいや。それでは、かえって変だ」とか
「小指は同じポジションにいるから今も自然なんだなぁ」とか
「まぁ義指ができて見栄えがととのったら変わるんぢゃない?」とか
「包帯グルグル巻きのおかげで袖が通らない服があるんだよなぁ」とか
「でも袖が通る服は、手が治った時は伸びてて着れなくなってるな」とか

私達3人は少々奇妙な議論を戦わつつ
いつしか議論の論点がズレてくるのを心地良く感じながら
・・・さんざん笑った。

笑えるところまできたんだよなぁ。

さくらももこのエッセイのタイトルではないけれど
「そういうふうにできている」のだと思った。人間って生き物は。
ちょっと嬉しい発見だった。


2001年11月03日(土) 乙女達へ?

嶽本野ばら『カフェー小品集』青山出版社 を読んだ。
それは私にとって今年1番の衝撃的な1冊だった。

ベビーピンクの表紙に白い帯・・・
乙女が好みそうな装丁をほどこされた、その本のコピーを読んだ時
私は書店の店頭で卒倒しそうになった。

「乙女に捧げるカフェー巡礼」

乙女。おとめ。をとめ・・・
一家の大黒柱として働く29歳の私を打ちのめすにすは充分な言葉だ。
そりゃぁ、もう、恥ずかしくて逆立ちしたいくらいだった。
こんなに恥ずかしい思いをするなら買わなければ良いのだろうが
「食わず嫌いせずに読んでみて感想を」なんて約束をしてしまっていたので
後には引けなかった。

で。
あまりにも恥ずかしかったので2冊買って
余分に買った1冊は、私と同じように恥ずかしがるだろう友人へ
思わず送りつけてしまった。
↑いわゆる、ひとつの道連れって感じでしょうか。
こういう体験は「誰か」と分かち合いたいと思うものだ。
1人ぼっちじゃ、つまらない。

で。
肝心の本の内容だが想像通り
・・・いや想像以上に素晴らしいものだった。
ある角度から見ると
「優れた感受性と、たおやかな叙情性」を秘めた作品と言えるし
別の角度から見ると
「とても普通の神経では読めないナルシズムの世界」と言えるし
違う言葉で置き換えると
「一種のお笑い的要素をも含んだ名作」だとも言えるだろう。

たぶん上記の感想は、どれも間違っていて、どれも的確だと思う。
大笑いしながら読んでしまったのだけれど
なるほど納得と、うなってしまった部分があるのも事実なのだ。

が。
哀しいことだが、私に、この種の本は似合わない。
なぜなら私は「乙女」でないから。
「子供」「少女」という枠から「女性」
・・・という枠へ以降していった自覚はあるのだけれど
「乙女」であった自覚はないし、少なくとも現在「乙女」ではない。

「乙女」の定義とは、いったいなんなのだろう?
「少女」と「乙女」は違う。
年齢的には同じ束で括れてしまえそうなものなのだが
まったく異質なものだと思う。
ある程度、年齢を重ねた女性に
「乙女」を感じることもあれば
まだ学生だろう年頃の女性に
「乙女」を感じないこともかる。

「乙女」ってなんだろう??

いや・・・
それにしても嶽本のばら、侮りがたし!
たぶん、もう・・・私が彼の著書を買うことはないだろうけれど
彼の今後の動向には注目していきたい。

ふぅ。いいもん見つけたなぁ。
生憎と私は「乙女」ではないのだけれど
いつか「乙女」にプレゼントしたいと思った1冊だった。


2001年11月02日(金) それは錆びた楔のように

昨日の日記は「それって、どうよ?」ってな内容でしたが
まぁ、そんな日もある訳で。
だからと言って、毎日1つのことだけを考えつづけている訳もない訳であり。

日々、私の頭の中を占めている重要事項と言えば・・・

「どう考えても期限内に処理できそうにない大量の図面をどうするか」とか
「今日はお弁当作るのサボっちゃったけど、お昼に何食べようか?」とか
「読みかけの本の続きが気になってたまらないのに、眠くて困る」とか
「返事を書いていないメールがたくさん溜まっちゃってるなぁ」とか
「前髪が鬱陶しくなってきたが、そろそろ散髪へ行くべきか」とか

まったくもって凡庸で、くだらないことがほとんどなのです。
私、自分勝手で我が侭な生き物ですから。はい。
いつも思案でパソコンに向かっている訳ではなくて
息が詰まりそうなくらい小さくて、うんざりするほど地味な世界の中で
世の中に大した貢献もしないで、それなりの日常を送っています。

でも、たまにウズウズしてしまう時があるのですよ。
たとえば昨日のような日記を
唐突に書いてしまいたくなるような時が。

誰にだって、そ〜ゆ〜経験の1つや2つはあると思うのだけれど
心に打ち付けられた楔が、ふいに疼いてくるような
・・・そんな感じ。

楔といっても吸血鬼を退治する時に使うような
美麗な銀製の上等のヤツではなくて
安物の鉄で作られてあって、防錆加工も、なんなもしてないようなヤツ。
楔を打ちつけられた部分は、とうぜん痛みがある訳なのですが
なにしろ楔は安物の鉄で出来ているから、どんどん錆てくる。
で。
その錆が厄介なのですね。
錆ってヤツは関係のない部分まで侵食しちゃうだけの力を秘めている訳で
うっかりすると心が錆だらけになっちまう訳で。

だから・・・たま〜に磨きに出してやるのです。
手におえないまで錆び付いてしまわないうちに。
まぁ、そういう訳なので、まずは大丈夫です。
今日も元気で残業しましたし、3度の食事もいただきました。
明日は、きっと、お馬鹿な話を書いているだろうと思います。

それにしても・・・
昨日の日記は楽しい話ではありませんでしたし
それどころか、ある種の不愉快感を伴う文章だったので
抗議のメールとか、掲示板の書き込みとかあったらどうしよう?
なんて、ひそかに心配していたのですが
心配が杞憂に終わってホッとしています。
「ポチッ」っと投票してくださる方もいらっしゃったりして
ジワーッと胸に染み込んできました。なんだか温かいものが。
「錆」少しマシになったようです。

ありがとうございました・・・・・

「言葉」の持つ可能性と不自由さを感じつつ
いつか「あなた」からいただいたものの
何分の一かでも、お返しする機会があることを願いつつ
今日の日記はこれにて終了。


2001年11月01日(木) 欝で逝った祖母の話。

ずっと、ずっと書きたかったことがあります。
で。
今日は思い切って書いちゃいます。
どうして、唐突に書く気になったかと申しますと
お気に入りのHPが閉鎖されたのを見て
私も、いつまで「日記」を書き続けられるのかなぁ〜〜
・・・なんて不意に思ってしまって
書きたい事があるなら、今すぐにでも書いておこう!
・・・と唐突に思ってしまたっのです。

タイトルを見て「ギョッ」とした方は遠慮してくださいね。
今日は自殺した祖母の話なのです。


私の祖母は老人性鬱病を患っていました。
鬱病の原因は色々とあったのだと思いますが
もっとも祖母を苦しめていたのは家族との不和でした。
叔父の家族と暮らしていた祖母は
どうも家族との折り合いがうまくいかなかったようです。

強い欝の発作がおきると救急車のお世話になって
辛くなると、自分の娘達の家へ出掛けたりして
何度も何度も入退院を繰り返し
それでも、なんとか頑張ってました。

祖母の娘達(私の母と叔母)は
「そんなに辛いなら一緒に暮らそう」
何度もそう言ったのですが
祖母は首を縦には振ってくれませんでした。

「あんた達は本当に良くしてくれる。でも・・・」
そう言って祖母は泣きました。
いくら私達が一生懸命に尽くしたところで
祖母の欲しいものは、たった一つだけだったのです。

一緒に暮らしている家族と
世界で1番愛していた実の息子から
祖母は愛されたかったのです。
泣いている祖母の姿を見て
私は自分の無力さを感じました。

そして、ある小さな出来事をキッカケにして
祖母は死を決意したようでした。
人が聞けば他愛のない出来事だったのかも知れませんが
祖母にとっては重大な出来事だったのです。
自分は家族から必要とされていない
・・・そう感じてしまうような。

祖母が逝ったのは朝でした。
死亡推定時間は8時頃だったと思います。
でも、祖母の遺体が発見されたのは
祖母が逝ってから2時間以上たってからでした。

祖母は、どこにでもいらっしゃるお年寄りのように早起きな人でした。
その日も、祖母は6時までには起きていたのだと思います。
もしかしたら、一睡もしていなかったのかも知れません。
どうして祖母が「朝」という時間を選んだのか?
私には分かるような気がして辛かったです。

「おばあちゃん。おはよう。今日は遅くまで寝てるんだね」

祖母は、そんな一言が聞きたかったのです。
もし「おはよう」の言葉が聞けたなら
死ぬのは止めようと思っていたのかも知れません。

だけど祖母は自分で逝ってしまいました。
自分の部屋と隣り合わせた居間で
朝食を摂る家族の声を聞きながら逝ったのでした。
祖母は家族と一緒に朝食を食べたかったのかも知れない。

祖母は、さぞ辛かったろうと思います。
救いようのない孤独感の中で逝ったのかと思うと
いまでも、いたたまれません。

鬱病の老人を抱えた家族は大変だったろうと思います。
家族でなければ分からない苦悩もあったかと思います。
だから叔父達家族を責める気持ちはありません。

ありません。
・・・・・だけど。
もう何年も経っているのに、いまだに私は哀しいのです。
哀しくてたまらないのです。
そんなに急がなくったって、黙ってたってお迎えはきたのに。
祖母はもう、そんな年齢だったのです。
でも、お迎えを待つことが出来ないほど
切羽詰った状態だったねですね。祖母は。

何もかもの事情を知っている友人が言ってくれました。
「いつか、何かの形で、おばあちゃんの事を書け」
と。
「おばあちゃんの事を書くのは、あんたの仕事やで」
とも。

私、文章に関してはまったくの素人ですし
僅かな文章で書き尽くせることではないけれど
こうやって「公開」された場所で書くことができたことで
私自身、ちょっとだけ前に進んだような気がします。

*****************************

今日の日記を最後まで読んでくださった「あなた」へ。
こんな話に付きあってくださったこと・・・
「ごめんなさい」と「ありがとう」の気持ちで一杯です。
明日はたぶん、普通の日記を書いているだろうと思いますが
今日の話は「いつか必ず書く」と決めていたことだったので。

今日の日記のタイトルに惹かれて読んでくださった「あなた」へ。
「死んじゃいたい」とか思っちゃう時、あるかも知れないけれど
残された人は、滅茶苦茶に苦しむのです。
私は大人になってから祖母の出来事に遭遇しましたが
もう何年も経ちますが、今でも苦しいのです。
できれば、生きててくださいね。
お説教ではなくて、これは、お願い。

                 白蓮


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