飛行時間
Nyari



 新しい習慣

さて、今日はちょっと、おなかのすくお話。



子供の頃、大好きで何度も何度も読みかえしたマンガの本。


しばたひろこ著「ムーンドロップ町のかしこいうさぎさん」


既に絶版になってしまった本だけれど、10歳だった当時、何よりも好きな憧れの世界だった。


主人公は眼鏡をかけたうさぎで、彼女(彼?)の生活は、朝早くおきて、その日1日の食事になるシュークリームを焼く事からはじまる。

独り暮らしの、小さくて古いけれど暖かみの感じられる可愛らしいキッチンで、小麦粉とめん棒を片手に忙しくたちまわり、オーブンをあたため格闘するうさぎさん。

その日、きちんと膨らんだ色つやのいいシューが焼ければさい先が良く、焦げてしまったり膨らまなければ、どこか調子が悪い。とても大切な朝の仕事。

こんがりふっくらしたシューの付け合わせは、自家製のマーマレードや、バニラクリームで、とにかく美味しそうだ。


朝から大仕事をするそんな偉いうさぎさんは、のんびり規則正しく暮らしていて、食事の準備が終わると図書館へ行き、日長本を読んで、いろいろと学ぶ。時に、家の修理のためにペンキまみれになったり、友人のためにプレゼントを用意したり、音楽を聞いたり、昼寝をしたりもするけれど、基本的にゆったりと働き者だ。


この本を眺めながら、いつも、「いつかこんな大人になりたい」と思っていた。




そうして20年近い月日が流れ、大人と呼ばれる様になった私は、願っていた生活にそう遠くない、古いけれど使い勝手の良い自分専用のキッチンのある暮らしをしている。自分で火をつけなければならないけれどオーブンもある。


そんな私の毎日は、シュークリームでなくパンケーキに支えられてなりたっている。


パンケーキは優秀な生活の相棒で、パンみたいに買って来ても食べ切れないうちに残りがカビてくることがない。食べたい時に必要な分量だけ作る事が簡単にでき、そしていつでも焼き立てを楽しめる。

冷蔵庫の中に卵と牛乳とバターさえ常備していればそれでいい。



憧れて尊敬していたうさぎさんに比べると、少しルーズな私は、朝、目が覚めると寝巻きのまま歯ブラシを加え、パンケーキ作りの準備をする。ボールの中に材料を入れて混ぜ、フライパンに生地を流し込み、焼ける間に歯磨きを終了してお茶をいれる。


どんなに眠くても頭の片隅がかすかに働いて、できあがったらジャムをかけるべきか、シロップにするべきか、それとも蜂蜜か、はたまたチーズとハムにするべきか、思いのほか真剣に考える。甘く煮た小豆でどら焼きにしてもいいかもしれないとも悩む。


そうそう、大切なプロセスを忘れている。パンケーキは生地を作る段階でも寝ぼけた頭を働かせる必要があり、今朝はどんな栄養をとろうか?という問題もある。


マグネシウムを取りたい日は、つぶしたバナナを、カロチンを取りたい日は、すりおろしたニンジンを、鉄分が必要な日は、ほうれん草を入れる。心の平穏を必要とする日はバニラエッセンスを、ホームシックでたまらない日は、かつお節と刻んだネギとすり胡麻をいれる。きな粉を入れてみる日もある。



こんな風に書き出すと、朝からよくそんな余裕があるものだと思うかもしれないけれど、これらはすべて10分くらいの間に終わってしまう事で、朝のささやかな1コマに過ぎない。けれど、とても大切だ。

週末の時間のある日は、オレンジや林檎を買っておいて、パンケーキを焼く横で、小鍋を使って一回分のソースも煮る。オレンジ色のニンジンパンケーキに、オレンジソースをかけたものは、最も元気のでる朝食の一つだ。



けれど、この習慣にほぼ満足をしながら、一つだけ果たせていない思いがあった。


限り無くうさぎさんに近い生活なんだけれど足りないものがある。


毎朝、フライパンの蓋をあける愉しみはあるものの、オーブンを覗き込むという、あの魅惑的な行為が、欠けている。


少し汚れたガラスと睨めっこしながら、眉間にしわを寄せたり、頬をピンク色に染めたりしているうさぎさんはとても充実していそうだったけれど、私の朝にはそれがない。その事が、ずっと気になっていた。



そして、ついに、その願いを果たす出会いがあった。



きっかけは1ヶ月前、バイオリニストでスープの達人の友達の家に遊びに行った時の事だ。彼女がソバ粉を使ってスコーンを焼いてくれた。

とても簡単そうだったし、何よりオーブンを使うし、生地の状態が良ければ焼き上がる時に狼の口が開くような膨らみ方をするという博打的な愉しみもあった。



「これだ!」と感じた。



スコーン作りの本を彼女に借り、今日、ようやく挑戦してみた。

ソバ粉は手に入らないので、全粒粉を使った。(本には普通の小麦粉を使うとあるが、友人も私も白い粉が好きではない)はじめてなので手際が悪く、しかも作っている最中に電話がなり、あわてて受話器を小麦粉の中に落とすと言う失態もあった。本に載っている、「成功例は、狼の口を開くような膨らみ」というのも経験出来なかった。


けれど、なかなかどうして、焼き上がったものはそれなりに美味しかった。


ぱっくり2つに割って、サワークリームとジャムを塗って食べる。しっとりしていながら、サックリとしている。悪くない。スーパーで、ジャムのコーナーを吟味する喜びもついてくる。全くもって、悪くない。



パンケーキは、私を支える大切なものだけれど、これからはスコーンも仲間に加えようと心に誓う。




子供の頃の夢に、また一歩近づいた。















*美味しいスコーンの作り方が載っている本:林望著「イギリスはおいしい」文春文庫


*パンケーキの作り方(4枚分):とても大雑把ですが、ボールに、カップ1弱程度の小麦粉と牛乳、小さじ1強のベーキングパウダー、卵、砂糖小さじ1、塩ひとつまみ、溶かしバター大さじ1を混ぜいれ、フライパンで焼きます。小麦粉の量によって、クレープ風に薄くなったり、もったり厚くなったりします。火加減は中火で、生地の表面にたくさんの穴があいてきたらひっ繰り替えして弱火、蓋をして蒸し焼きにします。

生地のオプション:ヨーグルト、バナナ、ニンジン、ほうれん草、スリ胡麻、きな粉等。お好み焼き風にする時は、ジャガイモ、かつお節、刻みネギ
(固形のものは、あらかじめ牛乳とともにブレンダーにかけておきます)

トッピングのバリエーション:蜂蜜、メープルシロップ、黒蜜、各種ジャム、煮た果物、ハムとチーズ、あんこ等(お好み焼き風のときはソースとマヨネーズ)








2004年04月06日(火)



 北へ向かう鳥達


白い薄ぼんやりとした空に、鳥の一群を見かけたのは3週間前のことだ。








空に伸びる一筋の黒い点線。



それが南からの渡り鳥達だということに、友人が先に気が付いた。



「ガンツェの群れよ。南から北へ移動しているわ、春が近いのね。」



ガンツェというのが何の鳥なのか、私は知らなかった。そして、南から北へという言葉に小さなひっかりを感じながら、彼女に訪ねた。



「彼等は一体どこから来て、どこへ向かっていくの?」



「たぶんね、スペイン、イタリアあたりから飛んで来ているんじゃないかしら。ロシアへ向かっているんだと思うわよ。」




その日私は、友人のもとで庭仕事を手伝っていた。

一日中、荒れて固くなった土達を、手で崩しながら柔らかくする。それは、ごつごつとした乾いた固まりの山から、寝心地のいい羽布団を作るような作業だった。

時々、庭全体をみわたすと、全ての植物達が、もうすぐ訪れる暖かな日溜まりを、じっと静かに待っているのが感じられた。土の中では、小さなチューリップの赤ちゃん達が眠っていた。





けれども、頭上をゆく鳥たちの群れは、暖かさの充分にある南の土地を離れて白い空の広がるこの街の上空を通り抜け、まだ冬の残る北へと向かっている。


日溜まりを離れる事は、不安ではなかったのですか?


どうして、もう、飛び立つ事にきめたのですか?


まだ水分を多量に含んだ空を飛んでいくことは、息が冷たくて苦しくはないですか?


もう少し待てば、もっと暖かくなるのに、それから移動するのでは駄目なの?





彼等は時に1本の線になったり、再び黒い粒の散らばりに戻ったり、形を変化させながら風をよんで飛んでいた。

北の地は、きっと今も尚冷えきっている事だろう。
どれくらいの時間をかけて、かの地へ辿り着くのだろう。
彼等は今、私の頭上で、向かっていこうとする先への途上にいた。




姿が見えなくなるまで空を見上げていると、やがて、肩のあたりにツーンと冷えた痛みを感じ、私はまた残りの作業に戻った。

大部分の土がやわらかくなり、数週間もしたら眠っている芽達が可愛らしい姿をあらわすだろう。
ふわふわになった土に喜んでいるのか、蟻達が忙しく地中と地上を行き来しはじめていた。




あれから、いくつもの夜が過ぎ、季節は確実に、目に見えて移り変わりはじめた。

白い真綿の様だった空に、日に何度も青が挿すようになり、風の色がほのかに黄を含んで頬のあたりを触れていく時、植物の呼吸が感じられるようになってきた。

小鳥たちのおしゃべりがにぎやかになり、街を行き交う人々の足取りも軽くなった。地上では、もう数々の花達が色とりどりの姿で微笑んでいる。




渡り鳥達はどうしているのだろう?

もう北の地へ辿りついただろうか?

それとも、今も、どこかの国の上空を飛び続けているのだろうか…?




あの日、ただ暖かい温もりが訪れるのをジッと待っているだけだった私の頭上を、北へむかって冷たい空をグングン飛んでいく鳥たちの姿は、どこまでも眩しかった。

たとえ、厚い雲に覆われて光が挿していなくても、それはとてもとても眩しく私の胸に響いた。




この街にも今、ようやくたくさんの春が訪れている。
風が優しくなり、日が長くなった。時計をさす時刻も、冬時間から夏時間へと変わった。青空の向こうに、もう気の早い夏が隠れている。
白い季節は遠い記憶へとしまわれていくようだ。






…あの日、遥か頭上を過ぎていった黒い鳥たちの大群。




その姿を、私はずっと、ずっと覚えていよう。












2004年04月02日(金)
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