飛行時間
Nyari



 葉のない街路樹

朝目がさめて、カーテンを開けたら、窓の外は真っ白で雪が降っていた。春が、密かに近付いていると思っていた身には、不意打ちのパンチだった。

ああ、またか…

がっかりしながら家で過ごしていると、午後になって突然光がさし雪はどこかに行ってしまった。

出かけよう!

床にふせていて弱々しくなった体に、新しいエネルギーを注ぎこむために暖かく着込んで街に出る。すれ違う誰よりも歩みが遅くても、外の風に吹かれて歩いていくのはとても楽しく幸せだ。

白い息を感じながら、ゆっくり歩いていると鉄骨の廃棄所で教授に出会った。

ツルツル頭に眼鏡をかけて、いつも黒いスーツをきている教授は、体格がいい。外見は、少し怖い感じだ。でも、今日は首に真っ赤なマフラーをして、真剣な面持ちで鉄屑と格闘している。


「ハロー、お元気ですか?」


鉄屑の山から教授が顔をだし、こちらを覗く。


「あれ、君、まだこの街にいたんだね?ハロー」


握手を交わし、短い立ち話をする。教授とは、昨年の秋に彼の授業を訪れて知り合った。言葉のつたない私をバカにするでもなく、特別扱いするでもなく、子供の絵書き歌を教えてくれたりする。


「ところで教授、何をしてるんですか?」


「ん?いろいろね、面白い形を集めてるわけだよ。ほら、こういうのをもっと作ろうと思ってさ。」


ほら、という教授の横には、ガラクタの塔みたいなモビール風のオブジェが立っている。そういえば、この廃棄所の向こうは鋳金工房だった。

よくみれば、それ以外にもいくつものできそこないのロボットみたいのがたっていた。

やがて、次々と教授の知り合いがあらわれて、ドイツ風にいちいち抱き合って挨拶し、教授はすっかり忙しくなってしまった。私は軽い会釈をしてその場を後にし、また通りを歩く。


教授の部屋をはじめて訪れた日の事を思い出した。
緊張で全身の水分が抜け出てしまうのではないかという思いで私がいると、教授はヨーグルトを二つ、持って来た。私はてっきり、それを一つもらえるのかと思っていた。

ところが、彼は円筒型の二つのパックの蓋を両手でめくり、両手の平にアルミの剥がした蓋をもって、右、左と順に、ベロリと蓋のうらについているヨーグルトをなめ落とした。

それから、大きなスプーンで二つのヨーグルトを一人でたいらげ、「それで、用事はなにかな?」と口のまわりを白くして、聞いて来た。私は緊張を通り抜け、唖然として目が点になっていた。


急にその時の事を思い出し、歩きながら笑いが次々こぼれてくる。

もう一度ふりむくと、遠くのほうで赤にかこまれたツルツルの頭が、お日さまのごとくに光っていた。




今朝の雪が、つかの間の夢だったみたいに、空が青い。

春はまだこないみたいだけれど、ガラリとした通りを歩くのも、そう悪くない。


葉を失った小さな芽さえまだついていない骨のような街路樹達が、なんだか先ほどのガラクタロボの親戚達に見えてきた。



ふうむ。



まあ、のんびり待つとしましょうか…






2004年02月27日(金)



 Nogat通りの風

数日前から、雲の合間に、水分をたくさん含んだ青が覗いている。


空が高くなってきた。
こんな日は、どこへでもいい、どこかへ向かって、どこまでも歩きたい。

頬を過ぎる風や、咽を通る空気が冷たくてもかまわない。
通りから通りへと歩いていこう。



どこまでも連なる、ひしめいた住居。

赤いカーテン、

縞模様のカーテン、

破れ掛けのボロボロカーテン。

角張ったバルコニーに

渦巻いたバルコニー。

手入れの行き届いた花達と、

忘れ去られた植木鉢。

たくさんの窓辺と、

その向こうに繰り広げられる幾つもの生活。



街が息をしている。




ふと、ずっと昔、まだ制服をきて三つ折りの白い靴下を履いていた頃に出会った古い詩を思い出した。

背伸びをするようにして、何度も声にだして読んでいた詩だ。

少し厳しいけれど、風がキーンとするこんな日には丁度良い。


背筋をのばして、しっかりと呟いてみる。




通りの向こうの方を、すすけた赤れんが色の列車がガタガタと通りすぎていく。

いつのまにか、日が長くなってきた。













      「自分の感受性くらい」


     
     ぱさぱさに乾いてゆく心を
     ひとのせいにはするな
     みずから水やりを怠っておいて
 

     気難しくなってきたのを
     友人のせいにはするな
     しなやかさを失ったのはどちらなのか


     苛立つのを
     近親のせいにするな
     なにもかも下手だったのはわたくし


     初心消えかかるのを
     暮らしのせいにはするな
     そもそもが ひよわな志にすぎなかった


     駄目なことの一切を
     時代のせいにはするな
     わずかに光る尊厳の放棄


     自分の感受性ぐらい
     自分で守れ
     ばかものよ




 

*茨木のりこ詩集
「自分の感受性くらい」より/花神社



2004年02月25日(水)



 新しい命

古い友人に、子供がうまれる。

彼女は、私のはじめての旅の相棒だ。
9年前、私達は数枚のシャツと、タオルと、少しの洗面用具と筆記用具だけをそれぞれの鞄につめて、1ヶ月間、スペインを旅した。

旅慣れない私達の格好は、今にしてみれば、とても奇妙なものだった。

赤とピンクの色違いのつなぎズボンの胸当ての裏に、それぞれに秘密のポケットを縫い付けて貴重品をしまいこみ、首にバンダナをつけて、頭にチロル帽子をかぶり、町や、村、紺碧の空の下を、毎日懸命にただ歩き、旅をした。

ピカソ美術館へいって、自分達の凡人さかげんに絶望し、スペイン語ペラペラで、誇り高い同い歳の日本人に出会って意気消沈し、ヤギに大切なスケッチブックの1ページをかじられては憤慨し、海の向こうはアフリカ大陸だという海岸で、世界がとけていくような夕日を眺めて言葉を失い、知らない土地でたくさんの新しい時を過ごした。

同じような格好をして、同じ日々を過ごしても、私達はいつだって個と個だった。

旅の中で、彼女の目を通して、彼女の中に取り込まれたもの。それを、私は全く知らない。彼女もまた、私の事を知らないだろう。

あの旅は、私の大切な思い出の一つだ。

日本へ帰国する前の晩、私達は宿泊していた小さな宿の奥さんのために、徹夜で絵付きのカードを合作した。宿の家族全員のポートレイトを絵の具と色鉛筆で描いた。カードの仕上がりに、私達はとても満足し、宿の奥さんもとても喜んでくれた。

あれから数年後、彼女は私より先に大学を卒業し、イラストレーターになって一人立ちした。彼女の描く絵は、とてもシンプルで、暖かい。そして絵本も出版した。

旅の後、私達は数えるほどにしか、あまり話をしていない。けれど、ある時、彼女から「スケッチブックに線をひくようになったのは、あの旅の最後の晩に、あのカードを描いたことがきっかけだったかもしれない。」と、短い手紙をもらった。

一つの体験が、ある人にとって小さな種のひと粒になり、その人の人生を開いていく。その貴重な瞬間に、共に居合わせる事が出来た事を、私はとても幸せに思う。
その友人に、新しい命がうまれようとしている。

この世界の全ての命は、奇跡の連続の末に、今ここにある。
数億分の1の確立をへて胎内に着床することも、それが無事に人の体の中で成長することも、やがて、はじめての空気を吸い込むことも、全てが、ほんの数万分の1秒歯車が狂ってしまうだけで、泡となって消えてしまう。


その数限り無いあやうさを全てクリアして、ここに、今、私達は生きている。

友人のお腹の中で、誕生の瞬間をじっと待っているその小さな命は、遥か海を超えて、私に大切な生命の約束を教えてくれた。


頑張れ、あと、少しだ! きっと会おう!











絵本の紹介:「よこしまくん」「よこしまくんとピンクちゃん」大森裕子作/偕成社
http://www.iri-seba.com/index.html



2004年02月20日(金)



 桜の降る頃に

いつからか、私の机の前に一枚の菩薩様の写真が貼ってある。


広隆寺、弥勒菩薩半跏思惟像。


はじめてその姿を目にしてから、もう8年になるだろうか。
あれから、一度も訪れていないけれど、その佇まいは今でもはっきりと目に焼きついている。



なんてきれいな方なのだろう。宇宙からやってきたんじゃないか…



ほんの少し、お行儀の悪いポーズをとって、ただ目を閉じているだけなのか、何かを考えているのか、それとも憂えているのか、まるでわからない。
ただ、ごく自然にさりげなく、そこに座っている。

きっと、その姿を目にしたものは、誰もが心を奪われて、
呆然と立ち尽くしてしまうことだろう。

柔らかく閉じられている唇。

語られる事のない言葉。



いつか、また、訪れたい…


どうか、その日まで、お元気で。









2004年02月17日(火)



 夜の散歩

チャンスのカギは冷蔵庫の中にもそっと隠れている。

夜7時半、なんとなく冷蔵庫をあけたら、牛乳パックの中身がほんの少しだけしか残っていなかった。

コートを着て、木綿の買い物袋を肩からさげて、玄関を出る。すると、一つ下の階のトルコ人のおじさんも、最近お兄ちゃんになったばかり2歳の男の子と、出掛けるところだった。おじさんもスーパーへいくという。

歩いて5分の道のりを、乳母車を引いたおじさんと二人でスーパーへ。

「おじさん、ドイツ語上手だね、いいな。もう何年勉強しているの?」

「そうだね、かれこれ20年以上もだなあ」

おじさんは20年以上もこの街で暮らしているそうだ。

「家の中でも、ドイツ語も話すようにしてるんだよ。そうすると、この子が言葉を覚えるのに役にたつからね、この子はもうドイツ語も少し話せるんだよ。生活の中で触れていくと学校へいってから困らないだろう?」

おじさんの家族は全員トルコ人。だから本当は家の中ではドイツ語は必要ない。でもおじさんは使っているという。

ふいにおじさんが真剣になった。

「あのね、私はね、最初にしっかり学ばなかったんだよ。でも、きちんと学ぶことはとても大切なことなんだ。」

ドイツ語の単語は名詞に3種類の性がある。
男性、女性、中性。性によって別の冠詞がつく。これは覚えるのがとても困難で、いけないと知りながらも、冠詞抜きで話してしまうことが、いつのまにか私は癖になっていた。

「全ての名詞に冠詞がついてるだろう?あれをね丁寧に一つずつ覚えるということはとても大事なんだよ。毎日10個の新しい単語を、冠詞をつけないで覚えるよりも、きちんと冠詞と一緒に3個の名詞を覚える事の方がずっとずっと重要なんだ。」

私は首をすこし斜めに傾けた。

「本当なんだよ。なんとなく分かるたくさんの言葉よりも、きちんと覚えた3つの言葉が増えていくことのほうが後になってずっと役にたつんだ。20年も暮らせばね、もう、10000語以上のドイツ語の言葉の意味がわかるけど、でもきちんと話せないんだ。文章もきちんとかけない。ここへ来てすぐに働かなければならなかったから、言葉の構造を学ぼうなんて考えもしなかったんだよ。」

「でも、語彙を増やす事はとても大切なことでしょう?言葉の意味がわからなかったら何もわからないもの。間違っていてもどんどん吸収しなければ暮らしていけないよ。」

「慌てて覚えるとね、必ず後で失敗する。後から一つ一つに冠詞をつけて覚え直すのはもっと難しい。本当なんだ。はじめが肝心なんだ。焦ってはだめだよ。毎日3つでいい。きちんと頭のなかに入れるんだ。暮らすことはすぐに出来るようになる。」

20年も母国を離れてこの街に暮らすおじさんの言葉は胸にズシンと響いた。そして、おじさんの真直ぐな目から、私はこんな言葉が聞こえてきた。


『メサキノコトニ、トラワレルナ』


それから、スーパーに着いた。大型スーパーは1階が生活雑貨と衣類で、地下が食料品売り場。私は、牛乳を買いに来たのだから、地下で買い物だ。

「おじさんは、何を買いに来たの?」

「うん?いや、買い物はほんの少し、リンゴをね。でも、散歩が先だから、じゃあ、さようなら。」

「散歩?」

私達はもうスーパーの中にいた。

「うん、この子とね、このスーパーの1階を散歩するんだよ、それで一緒にいろんな言葉を覚えるんだ。じゃ、いこうね。」

男の子は足を上下に振って答えた。

おじさんは乳母車をひいて、いろんな雑貨の棚の向こうに消えていった。少し離れたところから、「これは青色。これは歯ブラシ。これはタオル…」おじさんの大きな声だけがかすかに聞こえる。

私は地下へ降りていった。

買い物袋を肩にかけて、帰り道を歩きながら、おじさんに言われた事を考えていた。

言葉が理解できないことが、いつでも負担になっていた。新聞を読んでも、テレビをみても、病院へ診察へいっても、分からないことが、分かることの100倍以上ある。ひどい時になると、何が分かって何が分からなかったかさえも気がつかないこともある。

どんなに勉強しても、分かるようになったことより、分からないことの多さに絶望して、自分に腹がたつばかりだ。単語の本をなんどバラバラとめくった事だろう。なんとなくでいい、単語をみて、なんとなくの意味がつかめればそれでいいんだ。そう思って、毎日何十という言葉を、目と耳と口を通して垂れ流してばかりいた。

そして、何かを掴んだのか、それとも掴まなかったのかわからないままに、こんなにたくさんの言葉にふれたんだから、大丈夫だ。そう言い聞かせていた。でも大丈夫と言い聞かせる向こう側で、分からない事に対する不安が暴れていて、その不安をかき消すようにまた単語の本をバラバラと何回も何回もめくっていたんだ。


歯ブラシ、タオル、青色…1年以上も前に覚えた言葉。


だけど、青色の性が男性だったか女性だったか、とっくに忘れてしまった。


『メサキノコトニトラワレルナ』


おじさんを通して私に与えられた、無言の声。
柱のぐらつく家は、小さな地震でも壊れてしまう。そんな家に暮らしていたら、毎日が不安の連続だ。


先ずはしっかりと柱を埋め込もう。

私という大地の奥へ。












2004年02月15日(日)



 高貴なジュース

美味しいジュースが飲みたい!

今日は、朝からずっとそう思っていた。何をしていても、ジュースの事ばかり考えてしまう。そんなことって、ありませんか?

数カ月前、童話の名前で有名なブレーメンから、鈍行列車をつかって40分程いったところに住んでいる友達の家族を訪ねた時のこと。

その家族の朝は、絞り立てのオレンジジュースではじまる。

朝目がさめて眠い目をこすりながら、階下へ降りていくと、キッチンからゴーゴーという聞き慣れない音がし、たまらなくフレッシュな香りがキッチンから部屋の中へとはじけてきた。

両手に半分に切ったオレンジをいくつも抱えて、機械と格闘している友達。

オレンジを握りしめて、白いセーターのそで口にオレンジの汁がにじんでいて、すっぴんの彼女の顔にも、自慢の金髪にもオレンジの雫がいっぱい飛び跳ねていて、それでも全然気にしないでゴーゴーとオレンジを絞ってる彼女はとても誇らし気。

私はとってもとっても感動してしまった。
だって、一杯のオレンジジュースを飲む為にあんなにたくさんのオレンジを使うなんて、全然しらなかった。そして、絞り立てのオレンジジュースが、あんなに爽やかな味がすることだって、本当にしらなかったんだ。

エネルギーが満ちあふれている彼女が作ってくれたオレンジジュースは、くもりのない正真正銘のビタミン色。

あんなジュースが飲みたい。

それで、冷蔵庫の中からジュースになりそうなものを物色する。

小さなリンゴ一個。ニンジン半分。バナナ半分。いちご2個。ヨーグルトと牛乳。はちみつ。

ジュース!ジュース!とはやる心をなだめながら、どんどん刻む。全てを大きなコップにいれて、いよいよハンドミキサーのスイッチオン!

ゴーーーという音と共に全てがミックスされていく。
そして…


???


おもいがけない色がコップの中にできあがった。

淡い、赤ちゃんの洋服みたいなサーモンピンク。
ビタミンカラーというよりも、ずっと優しい色だった。

思い描いていた、友達が作ってくれたようなエネルギーいっぱいのジュースとは違う、なんともいえないジュース。

わあ…なんか、バラの花みたいだ…

星の王子様が、はじめてバラの花が開いた時に思わず息をのんだみたいに、私も息を飲んだ。ドキドキしていた。それから、あわててシャンパングラスを食器棚からひっぱりだした。襟もちょっぴり正してみた。

飲んでしまうのがもったいないと思ったけれど、

「アタクシ、新鮮なうちに飲んでいただかないと、困りますのよ。」

と、ジュースにおこられてしまうような気がして、「失礼します。」とつぶやいて、ゴクゴクと飲んだ。色と同じ優しい、優しい包み込むような新しい味。


外はまだ冬だけれど、私のところには、一足早い春が遊びにきてくれた。


あ、でも、そういえば…今日は雪が降らなかったかもしれない…。

きっともうすぐなんですね。










2004年02月14日(土)



 南駅にて

フランクフルトの南駅には、電車の他にバスと市電の停留所がある。

一年前の今頃、まだ明るい午後の昼下がり、私は市電の来るのをまっていた。私からほんの少し離れたところで、ベンチに座ってバスを待っていた初老のドイツ人女性が、ふいに私に話しかけてくれた。

「あなた、日本人?」

人に話し掛ける事も、話し掛けられる事もまた、私は好きだ。相手が身なりの整った御婦人であれば、恐ろしいことも起きないだろうから、なおさらに嬉しい。

「はい、そうです。バスも遅れてるみたいですね。」と答えてみる。

彼女もまた、嬉しそうに答える。

「どうしてもわからないことがあるの、教えてもらえないかしら、たくさん本を読んでみたんだけれど、どうしてもわからないの。」

知らない人と話をするのはとても楽しい、まして、役にたてるかもしれないならなおさらだ。弾んだ調子で私はたずねた。

「私でよければどうぞ、日本のことですか?」

彼女はとても喜んで、後に続いて話だした。それはとんでもない質問だった。

「あのね、」

「はい。」

「禅って、何かしら?」

「!」

ほんの数分、バスを待つだけの時間のなかで、よりによって母国語で問われてもわからないような質問を、期待を内に秘めた高揚する表情で問われ、私はその場に座り込んでしまった。

「う〜ん‥そ‥うですねえ、なんていうのかなあ‥」

何本のバスと市電を、お互いに見送ったことだろう。
私達は、必死だった。いや、少なくとも私は必死だった。答えられなかった。でも、誠実に彼女に向かい合いたいと言う気持ちはあった。

聞けば、彼女は日本の茶道に関心があるという。そして、それに関わる書物をみると、必ず「ZEN」という言葉にぶつかり、つまづくそうだ。

考えあぐねた挙げ句に、私は答えた。

「正確な定義は、私にはわからない。でも、その感触を説明することだったらできるかもしれない。そんなのでもいいかな..」

彼女は喜んで、「もちろん。」と答えた。

「たぶん‥『そこに無い』ということが、実は、『無限にそこに有る』というような事なんだと思う…そして、それを感じることかもしれない。」

やっとの思いで、そんな風に答えたように思う。彼女は、何かを考えているようだった。それからセキを切ったように話だした。

「ティーセレモニーに関わるものの雰囲気が好きなの。少しずつ集めているのだけれどワビザビの良さという言葉をよく耳にするの。辞書でみると、『みすぼらしい、めだたない』というような事があって、ネガティブなのかポジティブなのか、わからなかったのよ。なんだか関係があるような気がしてきたわ。またお茶会があるから、あなたの話してくれた事を、仲間にも話してみる、きっとみんな喜ぶわ。ありがとう。」

ちょうど彼女のバスがきて、杖を片手に笑顔で彼女は去った。


‥あれで、良かったかな‥‥違ったことをいっちゃったかもしれないな‥

ふいに投げかけられた質問に、一瞬、私は自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。ベンチに座って冷えた膝をさするとポケットに赤い飴玉をみつけた。


口の中に缶詰めのさくらんぼの様な甘さが広がる頃、ちょうど私の市電もやって来た。

暖かな座席に腰掛けホッと息をつく。

隣り合って話をするということは、たとえ答えがみつからなくても、やっぱりとても素敵なことだなと思う。



2004年02月13日(金)



 赤レンズ豆のスープ

歩いて15分のところに頼もしい助っ人が暮らしている。
知り合ってまだ日は浅いけれど、彼女はスープ作りの達人だ。いや、むしろ、寒いところで暮らす達人かもしれない。

中学校を卒業するまでバイオリンとギターの区別が定かでなかった私に対し、バロックバイオリンという希有な楽器を人生のパートナーに決めた彼女はカナダからやってきた日本人だ。

私よりずっと華奢で小柄な彼女だけれど、毎日凍えそうになっている私の横で、「今年は暖冬だね。」とさらりといってのける。そして、へたれ気味な私を知ってか知らずか、「スープ作ったから会わない?」と声をかけてくれる。

スープ。

なんて優しい響きなんだろう。その3文字が与える印象は、とてつもなく暖かい。全ての熱を奪い去るような寒さの中で、自家発電のシステムがうまくいかない私にとって、こんなに嬉しい言葉はない。

日本食の作り方を教わる前にカナダへ飛んでしまった彼女にとって、西洋風のスープはとてもなじみの深いものみたいだ。
彼女が作ってくれる中で、私の一番のお気に入りは赤レンズ豆のスープ。

ベジタリアンの本から覚えたらしい。オレンジ色のとても眩しい輝くスープだ。一度彼女に作ってもらってから、自分でも何度も作ってみた。私は消化器がとても敏感なのと、肉の味も好きなので多少アレンジを加えたがやっぱりすごく美味しい。

チャンスがあったら、是非あなたにも作ってみてほしい。
なんだかとっても元気がでるのですよ。


*作り方*

赤レンズ豆  1カップ半
しょうが   1かけ
にんにく   1かけ
ローリエ   3枚
にんじん   中1〜2本
たまねぎ   中1コ
トマト水煮缶 半カップ
キュンメル粉 小さじ1
ナツメグ
塩      各少々
黒コショウ
チキンコンソメ 適量


1:赤レンズ豆を洗い、水、ローリエ、にんにく、しょうがとともに火にかける。その間に、にんじんをおろし金ですりおろし、鍋に加える。(この時、多少手が疲れる)

2:たまねぎを10分くらいいため、キュンメルを加えてさらにいためる。

3:1に2とチキンコンソメ、トマトを加え、塩、コショウで味を整え、しばらく煮てできあがり。

注:達人オリジナルは、コンソメ、ナツメグをいれません。1に、にんにく5かけ、しょうが2かけと、赤ピーマンのみじん切りを加えます。また2のたまねぎにはコリアンダーも加え、たべる直前にスープにレモン汁大さじ2を加えます。








2004年02月11日(水)



 心も体も

成長期をすぎても、毎日、少しずつでいいから、心も体も成長していたいと思う。

体は成長期をすぎたら、もう成長はしない?むしろ退化をくいとめるだけ?
心はそもそも見えないものだし成長はしない?

どうなんだろう。だけど、やっぱりほんのちょっとでも成長していくことってできるんじゃないかな。

「成長する」ということは「芽がでて育って、その芽がやがて葉になって、枯れて落ちて、そしてまた新しい芽がでて。。」そういった循環の事かもしれない。

体の成長の芽は、毎日美味しく御飯がたべられることかもしれないし、面倒なことに対してもエイヤッと行動できることかもしれない。ほっぺたが艶やかに光っていることかもしれない。

心の成長の芽は、笑顔が自然にでてくることかもしれないし、眉間のしわが薄くなっていくことかもしれない。


どうかな‥‥


夢を叶えたいと思って海の向こうへ旅立ってきたけれど、その先の事はちっとも考えていなかった。叶えるということだけでいっぱいいっぱいだったんだ。小さなつまづきから、目の前にぶらさがるにんじんを見失って、バランスを崩して一体何百回泣いたことだろう。

「泣く」ことも「涙をながす」事もいつのまにか歯を磨くのと同じような事になってしまった。そんな自分が不安で、さらにまた泣いた事も数えきれない。

でも、ひょっとして私は、「また、生まれた」のかな?

一つ下の階のトルコ人の家族に一月に女の赤ちゃんが生まれた。私が夜中に独りぼっちで泣いていると、階下から、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
私も必死だけれど彼女も必死だ。真夜中に私達は必死で泣きじゃくる。

雪におじけづいて家にこもりがちな私の耳に、夜だけでなく日長泣きさけぶ彼女の声が聞こえてくる。それが仕事だといわんばかりに大音量で泣いている。そんな時、私も私で、人生の途方にくれて泣いている。

そして思う。やっぱり、私もまた、今もう一度 「生まれた」ところなのかもしれない。だから、泣くのが仕事なんだ。そうやって一つずつ何かを消化していく‥‥

心も、からだも、毎日少しずつ、新しく成長していこう。






2004年02月09日(月)



 飛行時間

眠れない夜、気持ちがなかなか静まらない時、私はいつも同じ本を開く。

もう何度も読んだはずの本だけれど、もう一度はじめから、時には途中から、ゆっくりと読み返す。

『旅をする木』。

何年も前の誕生日に友達が贈ってくれた本だ。
その本から、幾度となく新しい温もりを受け取っている。
それは何度読んでもいつも新しい温もりだ。

昨日の夜、またその本を開いた。

ずっと昔にはさんだ猫の形をした葉っぱが、からからに乾いている。

数日前にはさんだポインセチアは、まだ少し湿っているかもしれない。

どこで、どう間違えたのか、牛丼50杯が当たるかもしれない引き換え券もまぎれこんでいる。

ページの残りがあとわずかというところで、一行の文章が胸に響く。


「…何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい…」


何も生み出すことのない時間。

その時間のなかで、どんな人が、どんな風景が、私を通り過ぎていっただろう。どんな言葉が生まれ、去っていっただろう。

掴む事ができないものならば、せめて紡ぐ事はできないだろうか?

小さな入り口だけがついた、挨拶もないウェブページ。ここで、ほんのつかの間、遠くなっていく時をもう一度旅する事はできないだろうか?

降っていたはずの雪が、いつの間にかやみ、窓の向こうで風車が回っている。今日は風が強いみたいだ。




*旅をする木:文藝春秋、星野道夫著




2004年02月08日(日)
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