まつや清の日記

2004年06月30日(水) またもや城北地区浸水

 大変な大雨。
 雷の音に目覚め、激しい雨音に「これは」また浸水か。

 朝の6時でしたが安東川を見まわりに出かけました。
 川の水位は上がっていましたが、まだ大丈夫のライン。

 戻って、質問の打合せの準備を始めましたが、雨が更に激しくなり、広報が外で鳴り出しました。ウーン。まずは、川の近くの方に電話して見ようと、かけてみたら「車出せなくなったよ」。

 これは大変と公民館へ。
 行く途中バイクが進まないかなと思うくらいに水が道路に広がり始めていました。川まで行くうちにこれはだめだ。

 町内の方々が道路に出てどうにもならない実情に暗澹たる表情。
 結局「打ち合わせはできない」と担当者に電話すると「今日は無理ですよね」。そでも私は「水がひけば」などと言っていたのですが、実は新幹線、東名、在来線みんな止まっていたんですね。

 ということで今日は改めて都市水害の実情を身にしみて感じさせられた1日でした。自治体の災害対策チェックの結果がつい先日マスコミに報道されていましたが、風水害対策が意外と弱い、とのこと。やっぱり政治問題だ。



2004年06月29日(火) 選挙戦さなかに一般質問の打ち合わせ

 選挙戦も6日目。
 3分の1が終っている。
 来週の頭にマスコミ各社の世論調査結果が一斉に出てくる。

 地方区においては5人の候補者が必死の闘い。
 戦国時代の武将を思わせる候補者たち。
 どうしても男的なイメージが重なってくる。

 静かな語りより絶叫調が受ける。
 もっとリズミカルにさわやかにと思うが、真剣さが伝わるパターンというのはやはり圧制から立ち上がるということがわかりやすい。
 敵か味方か。
 倒すか倒されるか。

 今回は自分自身が候補者でないので、つい壇上に立つ人たちの表現力の観察に目が向く。演説と言うものの力とは何か、思考しながらの「観客」感覚に陥ることが多い。何かを得たい。

 こうした中、7月14日から再開される県議会で、今回は質問バッター。
 明日が第1回目の打ち合わせである。
 



2004年06月28日(月) ネクタイをつけない毎日

 選挙期間中に選挙に関する記述に制限が加わっているということから、あまり毎日の活動で考えている事が報告できない現状にあります。

 ということで、最近の生活ニュース。というか選挙が始まってからネクタイを締めない毎日続いています。というのも、海野とおるさんの出発式で牧野聖修さんからの「ラフにやろう」ということでのポロシャツスタイルの提案。

 以来、よし、それなら自由にとこの5日間はノーネクタイ。
 そういえば、23日の議会運営委員会で夏時期の半袖、上着なしスタイルの解禁のお知らせがありましたが、私にとっては大変感慨深いお知らせでした。

 87年の市議会議員当選時、ノーネクタイで議会に登壇したら、不謹慎と議会の品位に反すると議会運営委員会で大問題に。おかげで当時の写真週刊誌「フライデー」全国版で取上げられ、テレビ、マスコミでも大きな報道されました。

 そんな私が、県議会議員選挙で「スーツスタイル」。いろんなご意見を頂きました。SBSの新人議員紹介番組でも厳しくそのわけを聞かれました。

 でも、やっぱり楽です。ノーネクタイは。本会議でもノーネクタイで行ったらまた市議会議員時のような問題になってしまうんでしょうか。



2004年06月27日(日) 選挙にイコウゼーキャンペーンを計画する若者

 偶然、出かけた小さなお店で若者のミーティングに出くわしました。
 ミーティングと言うと人が集まらないので「大なべカレーを食べる会」としたそうです。

 主催の若き女性メンバーが趣旨を説明していて、まずはひとりひとりの自己紹介。次に、選挙についてのイメージをまた順番に語り始めるそのスタイルにいまどきの若者を感じます。

 こうやりたいんだけどリーダーシップが発揮されるわけでなく淡々と話し始める、そうするとじれったそうに一人の男性がリードの役。

 とにかく、アイディアが面白い。
 一年に1回の織姫と彦星の出会いを投票に例える、みんなで竹をもちよって短冊に選挙への思いを書いてもらったら・・・・。

 カレーを食べさせてもらって途中で引き上げましたが、どんな企画になるのやら、大いに期待したいところです。

 カレーはすごくおいしかったです。



2004年06月26日(土) 内部告発は事実であった県警裏金問題

 昨日、県警による裏金問題の98年から03年までの調査報告に関しての記者会見、そして検察庁による知事部局プール金の自宅保管=横領罪による起訴が発表されました。

 県警が98年度以降については出張費が個人口座振込制になったので、裏金はありえないとの主張は事実によって覆されました。そのことは、マスコミ報道されていたオンブズマンネットワークへの内部告発が指摘していたこととそのまま正しかった事になります。

 その点について本部長や大橋刑務部長はどのような見識を示されたのか。

 また、知事部局については、今までの説明が事実と違っていた事になります。ますます調査個人メモが重要になります。それに基づいて私的流用はなかったと断言していたわけですから。

 いずれにしても、これまでの説明がみんな間違っていた事になりますが、議会としてのチェック機能も働いていなかった事にもなります。県当局が持つ客観的証拠、これに準ずるメモなど全て議会に提出すべきです。

 県警についても同様です。



2004年06月25日(金) 空港建設局次長、国土交通省に帰任

 国土交通省から派遣されていた空港建設局次長の志村務氏が移動するとの報道。

 本来対等の人事交流であるが、やはり国からの出向の感は否めない。
 国土交通省との交渉でいつも議論になることは、これは第3種空港なので県事業で国がどうのこうの言える立場ではない、県に聞いてください。

 その聞く相手は、まさに志村次長。
 次長の立場は県の職員の立場というが、国土交通省のキャリア。

 いずれにしても国会終了後の志村氏の移動は確実視されていた。

 後任は国土交通省総合政策局国際企画課国際交通政策室課長補佐の林泰三氏との事。どんな方か。これから空港建設局はどうなるのか?

 しかし、一度、志村氏の静岡空港に対する本音を聞いた見たかった。
 そのチャンスも生まれにちがいない。

 



2004年06月24日(木) 参議院選挙告示

 各社の夕刊、参議院選挙の報道。
 全部を確認していませんが、朝日新聞、毎日新聞が、自民党、民主党、公明党、共産党、社民党の紹介のあとに「みどりの会議」をやや小さ目の扱いで、しかし、写真入で報道しています。

 朝日新聞が一番きちんとした報道です。
 静岡新聞は、5党のあとに「みどりの会議」のベタ記事扱いで報道。

 他の新聞を全てフォローしていませんが、こんなところでしょうか。

 とにかく、どの政党も投票所に足を運んでもらうための努力が必要です。



2004年06月23日(水) プール金・逮捕者問題の申し入れに回答しない石川知事

15日までに文書での回答をと申し入れたプール金・逮捕者に関して、石川知事
は今日の本会議に至るまで無しのつぶて。

 幾らなんでもひどいと、秘書室に経過を聞くとまだ知事には届いておらず、橋本総務部長が回答しなくてもいいとの判断を示している様子。

 ならば、直談判しかない。

 部長曰く、議員からの申し入れに文書での回答は知事と議会との関係の中では
なじまない、の一点張り。事務的な事実関係についての質問にも答えないのかと
の批判に、「とにかく説明に行かせる」ということでとりあえずは妥協点探し。

 23日の本会議の知事所信表明では、本文には逮捕問題は一言もなく、口頭で謝
罪、捜査結果を見て厳正に対処する、との発言。

 あれだけ、問題は解決済みといっていた問題でこの程度の認識なのかと、驚いてしまいました。7月20日の一般質問で基本姿勢を正したいと思います。



2004年06月22日(火) みどりの会議の選挙用宣伝カー




 今日は朝からみどりの会議の選挙用宣伝カーの静岡中央署への積載許可願いやスピーカーの調達や車の看板と、とにかく24日には動ける状態にしないとと必死の準備でした。
 
 何とか間に合いそうです。
 勿論、運転手やチラシまきボランティア募集中です。
 
 写真は宣伝カーの看板文字です。

 静岡新聞社から返事をいただきました。
1、「みどりの会議」を載せなかったのは、政党要件をみたしているかどうかうを基準としていて、「みどりの会議」が要件を充たしていないのでそうした扱いになっているる。共同通信は政策紹介では「みどりの会議」を5党と平等に扱っているが、選挙の実際の立候補予定者の紹介では、諸派扱いをしていて整合性がない。

 昨日の日記の内容を意見として伝えました。

2、坂本ゆきこ前副知事との関係、他候補とのスタンスについては、言葉を濁しながら、選挙ニュースとして伝えるべき事を伝えている、他の候補との格差はありません。一の問題で長く話してしまい、静岡新聞社の幹部の参加問題について聞き忘れてしまいました。



2004年06月21日(月) 静岡新聞社からの回答はまだありません。




 静岡新聞社からの回答はまだありません。
 私が今日は静岡を離れていましたので連絡を取れなかったのかもしれません。

 恐らく回答としては、県議会で「市民の風」会派を会派として成立していないとして限定的・例外的扱いをしている事からして、「政党要件をみたしていない」という回答が予想されますが、もしそうだとすれば今回の参議院選挙への政治参加の困難さを何も理解しない「事大主義的政治認識」もしくは意識的に少数派を排除しようとする政治的意志が働いているか、どちらかといわざるをえません。

 それはそれとして静岡新聞社としての見識の表現ですので、批判をしても非難はしません。ただ、過去の知事選挙や参議院選挙の地方区で「政党用件」を充たしていないとして候補者を泡沫扱いをしてこなかった静岡新聞の良識が崩れ落ちる事になります。

 写真は、一昨日の東京新聞の今回の参議院選挙の時代的状況を分析した記事ですが、その見出しです。1989年に40党であったミニ政党が今回8政党になっています。これは参議院選挙の供託金の値上げや衆議院選挙での小選挙区制の導入による2大政党制への流れとも関係しています。だからこそ、今回の参議院選挙で参議院の存在意義や少数政党の役割があらためて問われるわけですし、マスコミとして今回の参議院選挙をどのように認識するか、その見識が問われるわけです。

 静岡新聞を毎日読んでいる立場としては、あれだけ高邁な社説を掲げ、政治的啓蒙を読者に度重なって呼びかけている新聞社の良識に期待するものとしては、今回の「みどりの会議」はずしは納得できるものではありません。

 勿論、それは、同じように全国誌にも重なります。

 今日新たに神奈川新聞、山陰中央新報でも共同通信の配信を活用して6党が平等に扱われている事が確認されました。



2004年06月20日(日) 静岡新聞社に電話で質問




 全国の地方紙が参議院選挙を前に各政党の主要な政策を紹介しています。
 我が静岡新聞は、と紙面を開きましたが、自民党、民主党、公明党、共産党、社民党とありましたが、「みどりの会議」がありません。

 全国の情報をとあちこちに問い会わせましたら、東京新聞、新潟日報、信濃毎日、中国新聞、山梨日日、山陽新聞といくつかの新聞社で「みどりの会議」が5党と平等な扱いをされています。

 それは、共同通信の配信が実は「みどりの会議」も同列に配信しているということからの各新聞社の判断です。

 そこで、静岡新聞社に電話で質問しました。
 「どうしてみどりの会議が静岡新聞には載っていないのか」、「今日は論説委員がいないので明日ご連絡します」とのこと。

 せっかくだからと、元副知事・坂本ゆきこ候補の後援会に静岡新聞の幹部の方が主催者側に参加しているとの未確認情報もありますが、それは事実か、そうであるなら社としての参議院選挙の候補者にどのようなスタンスで臨もうとしているのか、明らかにしていただきたい、の旨も質問しました。

 明日の回答に注目したいと思います。

 ※ 写真は、今日の三島市での海野とおるさんの決起集会のものです。



2004年06月19日(土) みどりの会議の動き

 24日の参議院選挙告示を控えあわただしさが増しています。
 静岡県でもみどりの会議の宣伝カーを用意して期間中動きまわります。

 地方区は海野とおるさん、比例区は中村敦夫さん・「みどりの会議」です。
 
 小泉首相の多国籍軍参加の話を聞いていると日本は法治国家をでなくなっているのか、叫びたい衝動に駆られます。

 本当に小泉さんという方は「無茶苦茶の人」です。

 「みどりの会議」の勝手連のホームページが立ちあがっています。
 http://homepage3.nifty.com/midorinokaigi/





2004年06月18日(金) 暑い1日




 梅雨の一休みとはいえ、とにかく暑い1日でした。
 こんな時、写真のボン国際会議での会場前でのソーラーパネルのデモンストレーションを思い起こしました。

 ソーラーによるカフェ。4日間毎日コーヒーと集会と音楽と憩いの場を提供していました。日本が世界最高のソーラー技術を持つことは世界中で知られています。ドイツ政府がこの会議を主催するにあたり、日本政府が再生可能なエネルギー政策に消極的でも企業ベースでの技術力は是非とも世界にアピールしてほしいとシャープの富田社長をパネリストにと要請しました。

 富田氏自ら国際会議にのりこんできて積極的なアピールをしていました。ただ、最終日に途上国への技術提供の話の際に市場原理の導入をの発言は真意を十分に理解する事ができませんでした。シャープによるサイドイベントに出ていればよかったと後悔しました。

 京セラの関係者も参加しており、早速と、空港建設予定地の反対派の土地にシンボルの鉄塔建設の中にソーラー技術の導入したいと考えているがその際には協力してほしい旨を伝えました。政治的な事柄であるのでどう対応してくれるかは未知数ですが、何とか協力を得たいものです。



2004年06月17日(木) 地震対策特別委員会傍聴




 地震対策特別委委員会を傍聴しました。
 15日には行財政対策特別委員会。

 県議会の特別委員会は会派加入の議員だけに枠があるという極めて非民主的な運営です。そうはいっても、この委員会は傍聴の価値があります。県政全体のの縦割りを横のテーマでつなぐ専門部ともいえるもので当局にとっても議会にとっても有益な場所です。

 ただ、今日は残念ながら地震対策特別委員会は用事があり午前中だけの傍聴でした。割と自民党の長老議員が鋭い質問をします。聞いていてとてもおもしろく参考になります。問題は私自身がこうした議論をおもしろがっていてもしょうがなく、ここで議論になっていることをいかに有権者に伝えられるかです。

 今日のある会合でも、空港反対はもうわかりきったものとして語っているけど、もう一度リニュアルして新鮮な言葉で語れるようにならないと有権者からはソッポを向かれますよ、というアドバイスを頂きました。

 本当に実感です。空港推進派の側にいるからといってステレオタイプな物言いで批判するのでなく、相手に伝わる批判、そしてそれは有権者に伝わる言葉です。毎朝、街頭演説の機会が増えていきます。自戒をしながら語りかけたいものです。

 ※ 写真はドイツ・ボンの路面電車。静岡市にも何とかしたいものです。 



2004年06月16日(水) 金田誠一衆議院議員、海野とおるさん応援で来静




 「空港はいらない!静岡県民の会」の主催の地方区は海野とおるさん、比例区は中村敦夫さん応援の集会のために北海道函館市選挙区の金田誠一さんが応援にかけつけてくださいました。

 国会が今日で終了し、選挙モードに突入。
 街頭で民主党の宣伝カーを活用して海野とおるさん、金田誠一さん、中村敦夫さん秘書の田中信一郎さん、そして私で1時間くらいの街頭宣伝を行いました。

 立ち行く人たちの関心は、今一つの感じですが、闘いが始まったんだな―という実感が湧きました。

 空港反対派は、3度目の知事選挙控えてこの参議院選挙はどうしても勝たなくてはいけない選挙です。97年に15万票、01年に57万票、そして来年に候補者を擁立するためには、この選挙はまさに前哨戦です。

 一方で、6月議会が今日の議会運営委員会から始まりました。7月20日が一般質問の日です。明日は、世話人会議です。連続した会合で、ちょっと大変な毎日です。明日も街頭宣伝が駅南です。選挙告示まであと8日。ガンバラなくては。

 ※写真は街頭宣伝の1コマ。

 



2004年06月15日(火) 静岡県政ウオッチングの会の活動始まる




 政務調査費の現状に、実態を知ろうと議会事務局に閲覧に出かけた市民たち、全員女性、そのパワーがすごい。
 収支報告書をみて、何かおかしいと感じた彼女たちが動き始めました。

 今日の16:00に議長と会う予定でしたが、議長の多忙さで16:30に急遽変更。
 食事の準備であわただしい夕方の時間でしたが、7人の方々、1人1人が政務調査費の公開について議長に自分の言葉で語っていただきました。

 議長がどんな采配振りを発揮してくれるのか、大いに期待したいところです。
 作られた市民団体名は表題の通り「静岡県政ウオッチングの会」ですが、はじまったばかり、柔軟な発想に注目です。
 申し入れ文書は、明日アップします。

 ※ 写真は、申し入れ場面。



2004年06月14日(月) ほんものを求める23歳の若者



 
 今日、脳性マヒの障害を持ち尚且つ失明状態のSさんのお宅を訪問しました。
 介護保険で06年3月31日以降は、介護サービスで移動サービスにおいて2種運送許可が必要との厚労省の決定。

 支援費制度で移動サービスをやっている事業者にもその枠組が求められるのか。そうだとすれば、障害者の日常活動に大きな制約が発生すると、その問題への取組みを要請されました。
 
 それはそれとして、訪問しましたら懐かしい彼の息子さんが部屋にいました。そして、皮製品の仕上げをしている所。いつ戻ったのか、これからどうするのか、立て続きの質問でした。

 彼の父親・母親とも重度の障害を持ち、その境遇でその息子さんがどんな育ちかたをするのか、かかわりを持ってきた人間としては大いに関心を持たざるを得ませんでした。

 その息子さんが、アフガニシタン、パキスタンを1年近く訪問し、その中で動物の皮細工の技術を学び、その技術で生きてみたいと誇らしげに語るのです。

 彼曰く「ほんものに近づくには、野生の鹿を銃でも、罠でも、弓でも、とにかく自分の力で捕まえ、その肉を食べ、その鹿の皮でカバンなど製品を作りたい、そうしたら、ほんものに近づけるかもしれない」。

 23歳の彼。私の娘と同じ世代。たくましく成長した息子さん。
 障害を持つ父親は、とにかく早く立ち去れ、そうでないと、同居で介護ができる人間がいると支援費サービスが受ける事ができなくなる。

 本当に行政がそんな事を言うのか、という思いを持ちながら、とにかく、息子さんが帰ってきたんだからしばらくは大事にしてあげてよ、と一言。
 どっちにしても、しばらくしたら長野県にいきたいとのこと。

 23歳の息子さんのたくましさに、若者に失望する事はない、こうした若者がいる、妙に元気が湧いた訪問でした。

 ※ 写真は6月1日ドイツでの再生可能なエネルギー国際会議で私たちを出迎えてくれたドイツ最大の環境団体「ブント」のメンバーたち。



2004年06月13日(日) アジアを考える静岡フォーラムの総会




 第17回目のアジアを考える静岡フォーラムの総会。
 小人数ではあったが04年度の新しい体制と方針が確認されました。

 この会は1988年に静岡市でマリアさんというフィリピン女性が餓死するという事件から2度とこうした悲惨な事件が起こらないようにとキリスト教関係者、大学人、労働組合、市民など幅広い人々で結成された団体で、私自身は、設立当初からかかわりを持たせて頂いている数少ない団体です。

 今日は、記念講演に、天使の聖母修道院のシスター、アナ・マリアさんに彼女が関わった外国人の相談活動についてのお話を聞きました。

 相談者に話を聞きたいときにどうして通訳がみつけられないのか、外国人の側に立ってくれる人はいないのか、お金を持っていない人の立場にたってくれる人はいないのか、行政は合法的な方には対応してくれても、何故、オ―バーステイなど困った人々の相談にのってくれないのか、どうして市民団体は、こうした問題に取組んでくれないのか、怒りともいえる経験した方でないと発言できない重みのある言葉で語ってくれました。

 この団体が設立当初に私たちが発していた言葉を17年を経てシスターから聞かされると、今の会の活動のあり方へのアドバイスと共に、原点を思い知らされる想いででした。

 同時に、彼女からは、外国人が助けてもらうだけというお客さんになってはいけない、共同体の一員であるという意識をもつことが大切、そうすれば同胞だけでなく日本人に対しても助けようという気持ちが湧いてくるという問題提起もされていました。

 久しぶりに元気が出る総会でした。

 ※ 写真は講演をするアナ・マリアシスター。



2004年06月12日(土) 参議院選挙いよいよはじまる

 心配された雨も今日はカラリ。
 海野とおるさんの参議院選挙出馬の決起集会。
 おおいに盛りあがりました。

 本部長に牧野聖修衆議院議員。
 河村たかし衆議院をはじめ国会議員応援団も大勢。
 菅直人さんも遅れてかけつけていました。

 菅さん、今日が民主党代表辞任以来はじめての街頭演説とのこと。
 蟄居の身と謙虚な姿勢を見せながらも、海野とおるさんの応援と年金問題についてもキチンと語っていました。
 辞任のいきさつについては「ドジをしてしまいました」とさらり。
 空港問題は、是非は触れないまでも、問題多しの指摘。
 
 応援団の県議会議員、市議会議員のメンバーと紹介をされました。
 今回は、来年の県知事選挙をにらむとき、海野とおるさんにはどうしても勝ってもらいたい、と応援しています。勿論、中村敦夫さん・「みどりの会議」も比例区選挙では全力です。

 海野さん、今日は政策の話しより、決意、生き様を中心に演説。
 よかったです。
 告示まで10日あまり、大きな選挙戦が始まります。

 ※ 終わったあとの菅さんへの一般市民の方々の人気はなかなかでした。再起のチャンスはあるのか。
 



2004年06月11日(金) 総合交通対策特別委員会

 総合対交通策特別委員会を傍聴しました。

 静岡空港もテーマとして取り上げられています。
 いろんな角度からの空港問題の切り口がありました。

 小長井議員が、土地の確保と空港の開港時期の問題について
 柏木議員が早朝便、深夜便利用者を増やすための無料駐車場について
 梶野議員が空港事業費の1900億円のうちの930億円の起債と利子について
 浜井議員がリージョナル空港中間報告の早朝便、深夜便記載と地元との約束との関係に関する懸念について

 これに答弁する空港建設局。
 しらくらと明確な答弁はありません。
 志村次長のはぐらかし答弁はなかなかです。
 彼はもともとキャリア組。
 彼の持つ能力と静岡空港に限らず国土交通省職員としてやりたいテーマを考えると静岡県にこだわっているとも思えません。
 いつ静岡を去るのかも今後の静岡空港建設事業に大きな影響があります。

 傍聴しながら、私自身がこの特別委員会のメンバーであれば、もっと聞きたい論点があるのですが・・・なんて考えてしまいました。

 委員会終了後に1ヶ月以上前から説明を求めていた需要予測に関する資料について
無視しつづけていた空港建設局に抗議の意味も含め説明を求めました。
 
 一人会派でも頑張らないといけません。 



2004年06月10日(木) 安倍川駅の駐輪場

 ここのところ朝の街頭宣伝の連続。
 参議院選挙での中村敦夫参議院を中心とする「みどりの会議」の紹介も含めて県政批判が中心です。

 安倍川駅では北側の所でやっているのですが、いつもようにはじめ、そして終わりました。偶然、駐輪場の整理をされているシルバーの方だと思いますが、話が始まりました。

 南側の工事はなに?
 いや、すぐに答えられず(政治に関わる人間として恥ずかしかったです)、たぶん、区役所の出張所では・・・。

 そういうのもいいかもしれんが、この北側、これだけの駐車場になっているところがあるんだから、2階建てくらいにして、駐輪場にしたらどうだね、道路の上に通路を作れば直接駅にも行けるよ、ここの駅の利用者は1日一万人と言われているけど、この朝の1分を争う時間帯にとにかく自転車を置いていくんだけど、北側で4000台くらいかな。

 こうして整理してるけど、帰ってきてここから自転車出すのは大変だと思うよ、疲れて帰ってきて、なんとかならんかね。

 この「帰ってきて疲れて、自転車を出す人間の身にもなって・・」にガーンと来てしまいました。

 そして、「だけど、つくりゃいいってもんじゃないよ。用宗駅をみてみー。作ったってあんなに離れていちゃ使えないよ。」

 考えさせられました。
 
 



2004年06月09日(水) オーストライアの緑の党のマーガレット・ブレイカーさん

 今日は急遽の東京での対談。

 本当ならドイツ・ボンでお会いしているはずであったオーアウトラリア・緑の党の事務局スタッフのマーガレット・ブレイカーさん。

 日本の参議院選挙で中村敦夫参議院議員を中心とする10人候補者を擁立する「みどりの会議」の応援でボンからイギリスを回り日本に立ち寄ってくれました。

 話しのポイントは日本の選挙制度と「みどりの会議」の選挙戦略。
 そして、来年2月京都で開催予定のアジア・太平洋地域の緑の党の国際会議の打ち合わせに関するもの。

 01年のキャンベラでの緑の党の国際会議でお会いもしていたが、このような形での直接対面は始めて。緑の党のうるさ型を制しての国際会議をしきったひとだけに論点整理もうまい、充実した意見交換でした。

 ボブ・ブラウンを党首とするオーストライア・緑の党。エネルギー、平和などをテーマに京都会議に臨みたいとの事でした。この国際会議の成功の為にもこの参議院選挙、なんとしても議席を確保したいものです。

 ※ 今日、県知事に「西部農林事務所の元職員の逮捕に関しての申し入れ」行いました。詳しくは、ホームページの速報版を参照してください。
    http://www.enpitu.ne.jp/usr1/17507/diary.html



2004年06月08日(火) 西部農林事務所の元職員横領で逮捕

 実は昨日眠っている間に西部農林事務所に県警の家宅捜査とそして860万円を個人管理していた元職員が「横領罪」で逮捕されていました。

 今日は朝から参議院選挙に向けて「みどりの会議」の街頭キャンペーン。
 明日は知事に申し入れするつもり。

 この間、「市民の風」会派として、再三にわたって、西部農林事務所のプール金を管理していた預金通帳などの資料提出を求めてきました。そのことで議会としてのチェック機能を果たす必要があるとの立場で。

 内部調査が議会に対して結局客観的証拠を示さないままに幕引きを行っていたことに対して市民団体からの告発が目に見える形になったともいえます。勿論、捜査の結果、訴訟などを経て事実関係が確定するわけですが。

 今後の残った12人の方々の捜査の進展など慎重に見守らなければなりませんが、こうなった以上、知事の辞職しかこの問題の責任の取りようがないのではないか、というのは私の偏った意見でしょうか。

 とにかく、明日は、この間の経緯から知事に言いたいことをきちんと申し入れをしたいと思います。

 



2004年06月07日(月) 爆睡16時間

 午後2時に静岡新聞記者の方からの政務調査費の取材で午前11時を約束。

 起きたのは午後2時。
 16時間も眠りに。

 慌てて県庁へ。

 1日中ぼーとしていました。



2004年06月06日(日) 戻って何故か二つも選挙の会議

 成田空港について、これで静岡にもどれる。
 あっそうだ。
 のこったユーロの両替しなくては。

 ところがいく時が140円なのに、帰りは128円、どうして!

 電車に乗り込むやもう、すぐに眠りに。

 静岡について家に帰りたいと思いつつも、参議院選挙の比例区・地方区の二つの選挙会合。

 勘弁してもらいたいな―と思いつつも参加だけはして、自宅に。

 どうしてこんなにいそがしいんだろう!



2004年06月05日(土) また一人旅

 通訳の方と別れ今日はまたもや一人旅。
 まずは朝のホテルのチェックアウトからトラブル。
 ホテルはNGOグループがまとめて取ってくれてあとで清算払いになっていたのですが、お金を払えと言っているようで、でるにでらえず。

 新幹線の時間がせまる、タクシーが外で待っている、もうやむ得ないとハノーバーに戻られた通訳の方に電話し彼女から事情を話してもらうことに。

 そして、新幹線駅に。
 不思議なドイツの駅にホントに不思議な感慨。
 とにかく改札口がないわけですから。

 フランフルと駅に到着。
 ここから空港ターミナルまでが実は結構距離があり、これも緊張。
 とにかく、BAのカウンターにたどり着きました。

 手続きをしてやっとフライト。
 でも、ロンドン空港がどのターミナルに到着するか。
 これも不安でしたが何とかクリア。

 これから12時間のフライトに備えて座席はとにかく通路側確保が至上命令。
 言葉は通じずでしたが、絵を書いて希望を伝えましたが、担当者、「グッド、グッド」を繰り返してくれました。

 そして12時間。
 途中、映画『ラストサムライ』を2度も見てしまいました。
 後日感想をどこかで書きます。

 とにかく成田についてアー日本だ!



2004年06月04日(金) 再生可能なエネルギー国際会議最終日

 いよいよ最終日。
 154カ国3600人以上の参加者となった再生可能なエネルギー国際会議は、64カ国の参加者が自主的に数値目標を含め協定を結びました。

 経済協力開発大臣は、「再生可能なエネルギーは重要な資源の一つ、途上国で電気の需要が高い、既存のエネルギー源を止めて再生可能なエネルギーに移らなければならない、長期的に見てしっかりとした枠組みがあれば市場競争のなかで値段も下がり再生可能なエネルギーは広がっていきます、大事なことは政治や貧困についてエネルギーというものが政治的重要な一つであることを確認したことです」と述べました。

 環境大臣は、「ヨハネスブルグで持続可能な社会の発展に向けて再生可能なエネルギーについて確認した、けれども、そのとき採択では具体策を盛り込むことが出きなかった、今回、長い道のりを乗り越えて具体案を採択できた、中国が2010年に10%、フィリピンが2013年に今の倍、ドイツが2020年に20%、シュレーダー首相は500万ユーロを途上国に援助することを約束した、今回決められた目標を全部実行すれば2015年には1年で12億トンのCO2が削減できる」と述べました。

 通訳の方の翻訳を聞きながらこの国際会議の意義について改めて認識をさせられました。

 終った後は、日本のNGOグループと懇談しました。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんは、とにかく今回の国際会議は、1992年の段階で京都議定書が生まれることが予想できなかったように今回に再生可能なエネルギー国際会議がこのような形で開催されることが予想されなかったのに開催されたと言う事実、そして、この再生可能なエネルギーに関しての意義は、CO2削減が極めて規制的な側面を持つことに対して、技術の発展とその技術により新しい産業が生まれ新たに雇用を実現すると言う開放的な性格を持っていることが確認されたことです、述べていました。

 あと半日という中でボン市の再生可能なエネルギー政策が具体的にどこの場で具体化しているか、また、ゴミ問題での状況について知りたいと市役所を訪れましたが、金曜日の午後からは休みとの事で、これにもびっくりしてしまいました。

 さてどうしようと街を歩いているとミュンスター広場でバイオマスの設備の展示が行われているところに偶然遭遇。ほんとに感動してしまいました。今回の視察が、まさにここに完成したんだという実感でした。

 詳しい報告は日本に戻って行いますので請うご期待! 



2004年06月03日(木) 国際会議3日目


今日の予定は、閣僚会議。
午前9時からのドイツ政府の経済産業大臣、環境大臣、
ヨーロッパ議会や国際機関などの挨拶と各国からのアピールが
行われました。

ドイツのシュレーダー首相の挨拶は、政府での緊急事態が発生している
との事でまだベルリンにいるとの発表がありましたが、何とか遅れての
参加・挨拶となりました。

政府の合意文書は明日に正式に発表されますが、その前段として
各国からの案文や修正分に対する様々な意見が表明されました。

昨日の議員フォーラムに似た展開でしたので、イベント企画の中で
バイオマスに関するものに参加しました。会場がかなり離れたところで、
1日を通した企画が行われておりました。
開催場所は、知識センターという大学の学者などテーマを決めて
話し合いの空間となっているところ。会場での発題者の発言は極めて
専門的であることもあり、話の内容を理解するのもかなり努力が必要と
いうことを実感しました。

それでもいろんな資料を入手しました。
通訳の方に内容の概要だけを教えてもらい、戻っての本格的に翻訳をする
つもりです。特に、静岡県が今年の予算で天城牧場でバイオマス、ソーラー、
低水力など自然エネルギーに挑戦する事が提案されていると言う中で、
行政施策のチェックと同時にアドバイスができる政策立案センターの設立が
求められていると言うことを実感しています。

夜は、会場から少し離れたところで環境大臣主催のパーティが開催されました。
日本勢は、ライン川下りを楽しみながら、船上でビールを飲みながらの議論を
展開していました。

パーティでは、緑の党・環境大臣のトレンティさんと意見交換をしたり、
コンゴの環境大臣やアメリカの政府職員、WWFのメンバー、そして
この国際会議に協力してくれている若者たちとの議論を行いました。



2004年06月02日(水) 議員フォーラム参加、発言

ただ今、ドイツのボンへ海外視察中です。


ボン自然エネルギー国際会議
と平行して世界中の議員達が集い
意見交換する議員国際フォーラムが開かれました。
議員フォーラムには、100カ国以上、300人の議員が参加しました。
日本からは、河野太郎衆議院議員、小杉隆衆議院議員、鮫島宗明衆議院議員、
奥田健衆議院議員そして私の5人。

セッションは、オープニング、工業国の議員イニシアチブ、
途上国の議員イニシアチブ、北と南の協働における議員イニシアチブ
再生可能なエネルギーに関する国際機関における議員イニシアチブ、
議員議定書の調印の6つ。

工業国の議員イニシアチブのところでドイツ、イギリス、ヨーロッパ議会、
ロシア、そして日本から地方議員の立場で私が発言しました。
英文で5分間、通訳と環境政策エネルギー研究所のサポートで
きのうから睡眠時間を削っての報告でした。

発言内容は、1日のセッションでの再生可能エネルギーの戦略について
希望と勇気をもらったこと、静岡県における浜岡原子力発電所と
東海大地震との関係での再背化のエネルギーの必要性、静岡空港跡地での
可能再生エネルギーの事業プランの必要性、静岡県民が求めている
可能再生エネルギー4点。
通訳や若手スタッフからはなかなかよかったと言ってもらいましたが、
300人相手の国際的発言で十分にアピールしたつもりです。
やはり、英語力があれば、もっと、リアルな会議的発言ができたのにと、
いつもの反省。

日本からは、このセッションで鮫島議員が議長の立場で、小杉議員、
河野議員が意見表明としての発言が行われました。
河野議員のアドリブ的な形で再生可能なエネルギー問題とは実は
民主主義の問題で、日本における原子力産業との関係を断ち切れない
日本の政党の現状と自然エネルギー特別措置法の買取制度と割り当て
制度の問題点の指摘発言は、極めて厳しい日本政府批判でもあり、
会場からは拍手喝采でした。
とても自民党の議員とは思えない内容で、私の静岡県の紹介とあわせて
日本の原子力推進姿勢の批判としてはアピールできたと思います。

1日中の討論は、さすが、民主主義のヨーロッパ。
通訳を受けながら必死に内容をメモ。
日本にもどったらきちんと紹介しますが、刺激を受けました。

7時からは、大統領公邸でのパーティ。
広大な敷地と緑あふれる環境にとてもリッチな気分になりました。
いろんな方ととの交流ができるわけですが、ここはアジアの国とタイ、
カンボジア、ブータンの代表との意見交換、特に日本のイラク自衛隊派遣
についても討論はおもしろかったです。
前大統領のハイゼーッカー氏の演説はユーモアあふれ、議員の国際会議、
そして今回の国際会議全体の意義についてもきちんととしたもので感動しました。



2004年06月01日(火) 会議初日…遅刻。



今日は、公式会議の初日。
7;30にシャトルバス有りと通訳の方と乗り込む。
ところが、運転手さん、行き先を知らないと言う。
えー!

結局、1時間半以上かかって、始まりの時間にまにあわず。
昨日の悪夢が甦る。
大丈夫か。

議員登録しているので受付など議員待遇で一般の市民団体
関係者との扱いの違いにびっくり。
そして、開会式に。

詳しくは明日報告します。



















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K.matsuya

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