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2003年09月10日(水)
風の歌を聴け/村上春樹

村上春樹と言うと、
「ねじまき鳥クロニクル」「ノルウェイの森」
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
「ダンス・ダンス・ダンス」など、
一部の人々から、高く評価されている作品の多い方だと存じ上げている。

私自身は、上記の本は呼んだ事は無かったが、
「スプートニクの恋人」と言う本を購入した事はある。
確か、一人暮しをしている時分で、する事が無く、
コンビニで趣味を買っていた頃のことだ。
しかし、それも読破する事なく、今でも部屋の隅に投げ出されている。

何故「村上春樹」を読まなかったか、
それには理由もある。

中学、高校の頃、
私には大学生の知り合いが多かった。
ある時、何かの拍子に、村上春樹の話になった。
手短に言うと、
その会話は、「村上春樹崇拝」としか言いようが無かった。
同時に、
ちっとも洗練されていない人が、
「洗練」を熱く語るような、そのくらい可笑しな光景として、
私の目には映っていた。

このような出来事から、
「偏った見方を出来るだけ避けたい」という
今の私のひとつの課題である考えも生まれるのだが、
それは置いておいて。

「何故こんなに偏見を持つのだろう」と、
私自身も偏見を持って、彼女達を捕らえていた。

筋違いではあるが、
私は、盲目な彼女達を避けるため、
村上春樹を避けた。

今になって考えて見ると、それも滑稽な話ではある。
偏見や偏りの無い人間は、
私のもっとも嫌いな、
「何も考えて無い人間」なのかもしれないのだから。


ともかく、そう言った理由で、
約6年間、私は村上春樹を出来るだけ遠ざけていた。
それを改めたのは、
「風の歌を聴け」の、序文のある文だった。

以下、抜粋させて頂く。

「もしあなたが芸術や文学を求めているのなら
ギリシャ人の書いたものを読めばいい。
真の芸術が生み出されるためには
奴隷制度が不可欠だからだ。
古代ギリシャ人がそうであったように、
奴隷が畑を耕し、食事を作り、舟を漕ぎ、
そしてその間に
市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。
芸術とはそういったものだ。

夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、
それだけの文章しか書くことはできない。
そして、それが僕だ。」


強く、欧州の考え方を引き入れている村上春樹。
欧州の影響が、等々くらい事も言われている世の中だが、
彼の、自分の位置の確認、
ともすれば自虐にも見えるこの文が、とても好きだ。
茶の間文学、多いに結構。
結局は、それが日本人なのだと思う。
(最近は日本人離れした作品を作る方も多いけれど。)

そして、
村上春樹崇拝の方にも、一文。
「必要なのは感性ではなく、ものさしだ。」
あなたのものさし、使えてますか?



2003年09月06日(土)
こころ/夏目漱石

漱石って、
結構「感想文」とかで描かされますよね。
半年ほど前に、親友Yちゃんにお勧めされまして、
2ヶ月ほど前に、母が一回呼んで見たいって言ってまして、
この前、入院しまして、その時に読みました。

実際読んだんですけど、
暗いですねー。
こんなものを中学生に勧めるなんて。。なんて、
PTAのおばさんみたいな事を言って見たりして。

読んで噛み砕き、噛み砕いてまた読み、としていたので、
読むのにかなり時間がかかりました。
入院してたからかなり時間があったものの。
大量のカロリーを消費してる気がしましたよ。

ところで、私小説って、何なんでしょうかね?
私はそれを「(森の中の)一本の木から森を想像する事」だと、何かの本で学びまして、
例えば、漫画なら、
「家」っていう絵の中にも、
質素とか、無機質、読書家、仕事人間とかっていう
説明がある程度見えるんですが、
私小説はある程度それを省いた、と言うか、
「ひとつの視線だけを追った作品」(後は想像してね、みたいな。)
というイメージがありまして、
それを元にすると、
「こころ」は私小説じゃないか、と思ったんですが…。

調べて見ると、定義は色々とあるようですね。
一人称ならば私小説?
ある人は、
「私小説とはジャンルで分けられるものではなく、
その作家一人一人のもの(例えば、「漱石的」私小説とか。)だ」と言われてました。

うーん…。
考えるほど深みにハマっていきますね。
大学に「国文科」が多いいのも、納得。

ところで肝心の感想ですが、
アマゾンのレビューの方が、
しっかりした感想が書かれていたので、
そっち見た方が良いかと…。

今の私には、
男女の恋愛だけでなく、師弟愛、友情、社会や就職の意味など、人間の根本に存在する苦悩を真正面から描いた、
なんて文は書けません(苦笑)。

14歳では「暗い本だなあ」としか思いませんでしたが、なんて、
私は20歳だけれど、そうとしか思えませんでしたし。

今の私が精神的にまだまだ未熟だからか、
または、
もう自身の意思の為に死ねるほど(色んな意味で)純粋で、自己中心ではなくなったからか、
それとも、
ある意味、利己的で、中途半端に世界の幅が大きくなったからか。

それはわかりませんけど。



2003年09月05日(金)
とりあえずリスト

こころ(漱石)/暗い
恋愛写真―もうひとつの物語(市川 拓司)/泣けるけど王道
Fine days―恋愛小説(本多 孝好)/淡いミステリー
今夜、すべてのバーで(中島 らも)/さすが経験者
皆月
紅色の夢(花村萬月)/俗世のスペシャリスト
風の歌を聴け(村上春樹)/今まで見下しててごめん

そのうち書きます、よ。



2003年09月01日(月)
宗像教授の伝奇考/星野之宣

本とか言って、いきなり漫画でごめんなさい。
実はこの本の一編が、
今日、月曜ミステリー劇場になってました。
最初の内は、喜び勇んでみていたのですが、
話の筋が、あまりにも大衆向けに作り変えてあって…。
あんまりでしたので、
原作好きとして、ここはひとつ、
きちんとした「宗像教授」の良さを宣伝させて頂きます。

さて、星野之宣と言えば、
どちらかと言うと宇宙のSFモノが有名(私的には)であり、
また、作品数も多いのですが、(参考
この「宗像教授」は歴史上の、民族、伝統、言い伝え等を扱ったミステリーです。

SFモノでは、その知識やアイデア、
言いかえると、前SFに則ったオリジナリティが魅力的ですが、
「宗像教授」の場合は、
正しい(とされる)歴史の筋上と言う所が見所です。
良くジャンプなんかで、
有り得ない歴史に則った、有り得ないお話(まぁ…、る○うに剣心、とか?)が作られてますが、
為になるのは、「宗像教授」。って所ですね。
ぶ厚い歴史の本よりは面白いですし。

そうそう、
私が、なぜ「月曜ミステリー」の話の変更の仕方をあんまりだと思ったかと言うと、
そこなんです。
元々、正しい(とされる)歴史の筋上の話が最大の魅力であるこの話。
「大衆」(主に他人の不幸やら狂気やらを喜ぶ方々)向けに、
大きく変更したからなのですよ。
話の筋を曲げる事は、歴史を曲げる事
折角「宗像教授」の最大の魅力であり、見所であるそれを無くしては…。
放送されて、嬉しいような、悲しいような…。

もしかすると問題は、
前に書いたような「他人の不幸やら狂気やらを喜ぶ方々」よりも
「宗像教授」の原作の良さを、
きちんと理解せずに使った、製作者側に問題があるのかもしれないけれど。。

もしかすると、問題は、
大衆向けの面白みが少ない「宗像教授」を大衆向けに作ろうとした事かも知れないけど。。
(あ、コレが1番の要因かも。)


まぁ、とにかく、
星野之宣の漫画は、SFも歴史モノも、面白いですので、
機会があれば、是非お読みください。
(ヤマタイカ除く。)