嗚呼!米国駐在員。
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2006年12月27日(水) なんだかんだでアメリカ4回目の年末

いよいよ年末となった訳だが、アメリカにいると年末ムードも何もない。

確かに休暇をとる人も多いが、それは年度末での有給消化をしているだけのことだ。今週は普通に29日金曜日まで仕事だし、いわゆる「挨拶周り」だとか「大掃除」「忘年会」といった日本企業独特の行事が全くないから、それもしょうがないのだろう。また、ココ西海岸で生活していると、日中は半そでで十分生活出来る日差しだから、寒さが似合うクリスマスや年末年始の季節感すらない。

まあ自分も日本人であるから、なんだかんだといっても、国をあげて浮かれムード満載の日本がうらやましくなる季節である。こんな時は、日本の本社に対してあれこれとメールしたところで無しのつぶてであるから、いつものように無駄な抵抗はやめてこちらもさぼるとするのだが、何せ周りとの一体感がないから悲しいことになんとなく後ろめたさを感じてしまう。


それにしても、アメリカで生活すると日本の年末年始のように、周りと一緒になって一体感を感じるという事が無い。ThanksGivingだってターキーなんて食ってもしょうがないし、クリスマスだって親戚一族集まってプレゼント交換なんて世界には馴染まない。というか、親戚など近くにだれもいない。
それでもアメリカで生活している以上、Have a Great Holiday!とか、普通に使うし、「クリスマスはどうだった?」「うん、最高だよ。」などという、心にも思っていないような会話をしなければならない。

とはいっても、これも4回目ともなるとすっかり慣れてくる。Thanks Giving明けのショッピングにもそろそろ飽きがきたし(というより、アメリカの服が安い安いと喜ぶ1〜2年目と違い、日本と違っていい加減な粗悪品ばかりだと気がついてくる)、年末年始でも何かしなくちゃ、というあせりもなくなってくる。


わずかな休暇はDVDと読書で過ごすかな、と思っているが、こうしてみると、結局日本でも同じ過ごし方だったような気もする・・。






2006年12月10日(日) 激動の3週間 / 中国のアメリカ人

とにかく忙しかった。

この3週間で訪れた土地 - サンフランシスコ、シカゴ、ロス、北京、天津、上海、大阪(日本)、遼寧、広州、青島、フェニックス。さすがに短期間にアメリカとアジアの2往復はつらい。こんな時に限ってビジネスクラスは満席で全てエコノミー移動。毎日移動して商談、乾杯、そしてまた移動。途中で、今自分はどこにいるのか、時差がどうなっているのかも分からなくなってしまった。−10度で凍える日があったかと思えば、翌日には汗ばむほどの陽気の土地ですごす事もあった。

それにしても中国で見るアメリカ人ってなんであんなに弱気な顔になるんだろうかね。母国アメリカとは全く違う。日本人っていうのはアメリカ人に対して多少構えるというか、まあ腫れ物に触るかのような応対をするのに、中国人って相手が誰であろうとお構いなしだから、普段は自国で我がもの顔のアメリカ人がすごく戸惑っているのが明らかであり、アメリカで生活しているとそんな姿のアメ人を見るのが実に滑稽だ。

街中でタクシー運転手に追い出されておろおろしているアメ人を見ると、「君達、我々の気持ちがわかっただろう」的なザマーミロ感覚がどうしてもうまれてしまう。

北京空港であった白人のおばちゃんは、「中国にバケーションでリラックスしにきたのに、ここは何て国なのよ! 逆にストレスが増えたじゃない!」ってヒストリックに語って、過剰荷物で追加料金を要請した空港職員に対してお札を投げつけていたけど、まあ海外に行くって事はそんなもんだからしょうがないだろうな。

まあ政治と違って個人旅行もアメリカ中心なんて訳にはいかないに決まっているんだけど、アメリカにこもって生活すると、周りのどの国もアメリカに従わなくちゃならない、というような勘違いも出てくるようにも思える。


どうでもいいけど、いつのまにか Thanks Givingも終わってしまったし、クリスマス前後はさすがにのんびりしたいのだけど。


Kyosuke