ドイッチュラント・イーバーアレス - 2005年07月26日(火) 今日は台風のおかげでお店が4時間早く終わったので鋼の錬金術師を突発で観て来ました。 前日が予定外に派遣の仕事が長引いたために行けなかったので調度よかったですねw さすがに台風の影響&平日&ラストの回ということが重なった劇場は思いっきり空いていましたw 20人いたかなあ…in丸の内ピカデリー 以下例によって白反転 姑獲鳥の後だからとか言いませんが普通に面白かったです^^ キョウジのサイトの姑獲鳥の感想の中で「取捨選択の失敗」という的確なツッコミを読んだけれど、ハガレンはその辺上手く割り切っていたなあという気がしましたね^^ 何がいいたいかと言えばエドアルに見事に偏ってあらすてきー(棒読み)というコトなのですがw でもソレを不満に感じることも無かったです。 時間の制限がある中で描き出すには素晴らしく見事な選択肢だったかと。 ウィンリィの見せ場も、エドのオートメイルを持ってくるところ位でしょうけど、ソレがすっごく上手で印象に残るからあの短さでも文句が無いですね^^ 穿った視点で言えば出番の少なかった(苦笑)ロイは揺らぎも葛藤も、TVの時点である意味ケリが着いていたのでしょうね。 劇場で辺境にいた設定もあれど自らの守るものの危機には馳せ参じ、封じていた錬金術も迷うことなく使う。 実際、ハボック達に錬金術を使っていないと明言した後、セントラルで復帰早々焔をぶっ放したのを見たときも違和感は感じなかったです。 尺の都合なのかは知りませんが、躊躇せずに使ったシーンは大好きです。 ついでに敬礼するリザのシーンも大好きw こういう関係は素敵ですね(個人的好み エドとアルは切ねーと思いつつもウィンリィとかいいんですかとか突っ込みつつもアレはアレでアリだと思ったから良いです。 正直1次大戦後の世界は子供2人で生きていくには過酷極まりないと思うし、ヒューズやグレイシアにもその後2度目の敗戦が待っているだろうし ナチズム台頭、ホロコースト、シンティ・ロマ虐殺、探し出して処分するといったウラニウム爆弾(核)は結局使用されてしまうと、悲劇をたどるのかもしれないけれどソコはきっと今回の映画としては突っ込むところではないですね。 ナチスやヒトラーについては完全に蛇足ですが、思っていたよりもハッキリ出てきましたね; 暗喩する程度で終わるかとも思っていたのですが、あの時期のドイツを語る上でナチスの存在は無視できないのでしょうね。 (物語の時点ではまだ厳密に「ナチス=ドイツの暗部の象徴」的な時代では無かったですし) ただ、ルドルフ・ヘスがハイデリヒ達を「金髪碧眼の純粋なアーリア人」と褒めるくだりは後々の世界への伏線に繋がっていてちょっと嫌悪感(?)を感じてしまいましたが。 観終わって1日で書いた感想なのでどうにもまとまりが悪いですが^^; 僕は観に行って損は無かったと思います。 原作とは違うベクトルで進行していた物語なのでアニメを観ていないとなんともな部分はありますが、逆に言えばアニメを観ていたなら充分観る価値はあるかなと。 賛否あるのでしょうけど、完結していない原作をアニメ化する場合って ・原作の区切りのいいトコロで終わらせる。 ・オリジナルで完結させる。 に行き着くでしょうけど、ハガレンはそういう点でも見事に後者をきっちりやりきった気がするのですが… 最後に、ほんのちょこっと想像したコトを 現実世界で生きていく決意をしたアルとエドが、数年たって、エドの身長がまた少し伸びて…機械鎧が、もうサイズが合わなくなった時にウィンリィや錬金術世界にまた想いを馳せる…とかどうでしょう?w それともアレで身長は打ち止めかな?w - 宴の始末 - 2005年07月18日(月) 本日「姑獲鳥の夏」を観に行ってきました。 アキヒトさんと新宿にて待ち合わせ。 偶然キョウジとも現地で遭遇し、彼女の友達含め4人で並ぶ。 以下感想、未見の方のため反転してご覧くださいませ いきなりですが最悪。 マジで泣きそうになりました。 なんと言うか…絶対問題ないだろうと思っていたところが全て痛々しくて… 公開前に多くの人の不安材料だっただろうと思われるのがキャストと上映時間の短さだったと思うのですが、僕はまだ京極夏彦作品にハマりたてで、そこまで固定したイメージを持たなかったこともあってか、キャストに違和感は感じていませんでした。 むしろこの人達がどういう風に演じるのかに期待を持っていたのです。 ……事実役者の方々の演技は皆とても良かったと思います。 宮迫の木場修とかは実はかなりイメージに近くて嬉しくなりました。 阿部寛の榎木津も原作の表現とは違うイメージかもしれませんがただそれでも「これも榎木津」だと思わせてくれたと思います。 正直役者に対する不満は殆ど無く、あえて言うなら原田知世の京子の時にもう少し狂気を強く出して欲しかったかなと感じたくらい。 上映時間の短さは覚悟はしてました。 バトロワやハリポタみたいに長編を短くまとめると言うことは「可能」なワケだし。 あとは如何にしてまとめ、可能ならば映画のみの要素を盛り込めるかは技量にかかってくるわけですし。 では何が酷かったのかと言うと盛り上がりが一切感じられなかったこと。 例えば京極堂が久遠寺医院にて憑き物を祓うくだり、原作を読んでいる時は緊張感を感じ、次の1行を読むたびにハラハラしました。 ですが映画では悲しいくらいに地味に終わりました。 (細かな疑問を口にするなら、なぜ九字を切らなかったんだろうと思ったり) 梗子の腹が裂けて牧朗が「産まれる」所も、文章から察すれば牧朗が羊水に濡れている事は自明なのに明らかに乾いた身体が横たわっていたのを見た時に理解が出来なくなりました。 ラストシーンも久遠寺医院を炎上させるというオリジナルの演出を加えたのならばそれはきっと最後の盛り上がりを感じさせるためだったのかと思う。 でもどうしたって地味でした。 なにしろ火に巻かれて逃げるシーンがあるわけでもなく、火の中に人が消えるわけでもなく、燃える建物とはあずかり知らぬトコロで関口と涼子のやり取りが行われているのだから。 そして小道具の稚拙さ。 はっきりいってありえない。 プロの集団が作るものなのだろうかと本当に疑問に思った。 話の肝になる無頭児の造形が正直最低としか…無論作り物なのは当たり前ですがその作り物の中に怖さ、不気味さ、そういったものを盛り込めるかが重要なのではないのかと。 しかも石を打ちつけて殺したはずの無頭児が傷ひとつ無いのはどういうことなのかと思ったり。 ラストシーンで涼子が抱えていた赤ん坊がどう見ても布の塊にしか見えなかったのはもう何も言う気が起きなくなりました。 別にエロやグロが好きで沢山見たいと言う気持ちは無いけれども、 それらが話の中で重要なシーンを形作るために必要ならばR指定にしてでも盛り込むべきだったと感じます。 (京子の経血や内藤の情事や胎児の撲殺、癲狂院の暗喩、もし無頭児の造形がR指定にひっかかるという理由だったのならば) 久遠寺の女性3人のその後が分からなくなった事は最後のとどめでしたね; 映画館を出たときにとてつもない徒労感に襲われて4人揃ってやりきれない気持ちになりました。 怒りすら湧かずにただ、映画を観に行く日を待っていたことや、この日も2時間前から並んで、期待や不安を冗談交じりに話したことや、そういったことが全て無駄だったんだなあと。 パンフレットの中にあった京極夏彦氏のコメントで 「過去にも幾度か、この難関(映画化)に挑戦された方はいらっしゃったようですが、見事玉砕されたようです」 とあったけれど、映画化できなかったことを「玉砕」と呼ぶなら今回の映画は「討死」なのかと。 もし、もしこの日記を読んだ方で、今後姑獲鳥を観に行く予定のある人、もしくは観た上で面白かったと思った方がいたとしたならば大変不快な想いをさせたかと思います。 ただ、これは僕が思った正直な感想です。 どうしようもないです; 最後に、映画の中でよかったと思ったことを少し。 ・さっきも書いたけど役者が良かった↓ ・堤真一の京極堂、意外なほどしっくり来ました。 ・阿部寛の榎木津は飄々としたソレでいて少しズレているような感じは見た目のイメージは違えど見事だったと思います。 ・田中麗奈はハマり役みたいでしたw ・永瀬正敏の関口も情緒不安定な雰囲気が良かった。 ・宮迫は要所要所を木場というキャラを見事に演じて今回の映画の中で僕としては一番イメージに合致しました。 ・原田知世の儚げな綺麗さが素敵でした。 ・目眩坂のセットは良いと思いました(スポットライトの演出は好きになれないけど) パンフに「京極堂シリーズ第一弾」とあったけど二弾は無いんじゃないかなあ… このキャストには魅力を感じることが分かったけどこのまとめ方じゃ滅ぶと思う; - 放置してました。 - 2005年07月13日(水) 日記&掲示板共に。 日記はこないだPCを再起動した時に何故だかパスワードが消えていて; ようやっと見つけて今書いています。 その間ミクシィに登録したりしたので日記自体は一応書いていたのですがね; レスも3ヶ月放置というありえなさなので真面目に閉鎖か縮小すべきかなあと思ったりもしたのですがコミケが近いこともあり、コミュニケーションをとるための窓口としてはやっぱりサイトはあったほうがいいだろなあと。 ここまで書きながらまだレスつけていません。ごめんなさい。 今週中にホントつけます(もう完全に今更ですが; 思い切り脱線しますが最近観に行きたい映画が一気に来ました。 姑獲鳥の夏は前売りを買ったし、スターウォーズは多分行くでしょう。 逆境ナインも時間を作って行きたいところです。 少し悩んでいるのがヒトラー最後の12日間。 ヒトラー自体が漫画、映画、小説、ありとあらゆる語られ方をしている上に、エバ・ブラウンとの自決説は現在に至るも不明のままと、現実に存在した人間なのに非現実感がアリアリで; ソレを主役に据えた上で現実として描く映画はどんな解釈に至るのかなあと。 楽しみに観にいく気はないのですが興味だけはある。 故に悩んでます。 あ、ナチズムに関しては興味無いです。 系統も肯定も否定も無くただ「あった」モノとしてのみの認識です。 といってもナチズムに関して専門的に語られた本を読んだわけでもなく落合信彦の「20世紀最後の真実」(元ナチスメンバーのインタビューを軸にいくつか派生するドキュメント)を読んだ位なのですが。 う〜ん、この手の話題は日記にしづらいッスね;; -
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