(仮)日記
何かしらの感想と更新履歴。



2005年05月07日(土) 交渉人 真下正義






お隣に座られたご夫婦が上映中にもかかわらず私語をなさってくださいまして、余り集中して観ることの敵わなかった作品でありました。一度注意したけれども意味はなかったようです。恐らく、他人への迷惑というものをご想像できない上、日本語を解さない御可哀相な方々なのだと呉川は推測申し上げましたが何か?
↑のようなイヤミでも言わせて頂かなければ腹の虫が治まりませぬ。お金を払っているのだから全編きっちり観賞したいと思うのは当たり前のことですよね。多分その夫婦は周囲に人がいるということに気付けなかったんでしょうね。初回だからガラガラに空いているというのに私の座っている席の間隣にご着席なさいましたから。

ということで、観てきました真下くん。ユースケ・サンタマリアではなく、きっちりしっかり真下くんでした。呉川はそう感じました。だってユースケの名残なかったんだよねえ真下くん。ユースケんときのあの妙なテンションがないからだなきっと。

喧嘩を売られた交渉人と、巻き込まれた人々と、要らない喧嘩を買わなきゃいけなくなった張本人。
てなかんじですか。
様々な俳優さんたちがご登場あそばしました。

指揮者役の西村雅彦、鉄道会社人のなかでも上司に位置する国村隼、そのお母上八千草薫、歳末スペシャルの方かな?赤いバッグを盗まれたコスプレの人、SATの高杉亘などなど。レインボーブリッジのときの小泉孝太郎もそのまま現れます。
爆発処理班の方もテレビシリーズのときに爆弾を処理しに来た人が出てきます。和久さんに椅子を送ってきたあの話ですね。

あとね、新宿だか代々木だかのスクリーンにおとこおばさん映ってました。軽部も笠井くんもちゃんとエンドロールに名前があります。これのためだけに録ったんだろうと。
他にもいろいろと細かい裏話があるみたいですが、そこまで見ていられません。特に西村雅彦さんなんて、10年位前のドラマ見てないと気付かないし!知らないし!あ、クリスマスケーキは「アンティーク」かららしいですよ。

寺島進さんが演じていた木島さんの位置づけがよくわからなかったんですが、パンフを見ると一目瞭然ですね。一体どうしてここまで所轄の刑事が幅利かせてるんだろうと思ってたんですが、それをおかしいなあと思っていたわけですが、何のことはない、結局彼もキャリアだったということですね。警視ですって。でも絶対そうは見えない暴走っぷり。裏設定は元マル暴ですって。四課にいたんだーそれっぽーい…。

お話は、顔を見せない犯人との交渉によって事件を解決しようとする真下くんの奮闘ですが。ところどころ、いつもの踊るらしいノリで笑わせてくれるものでした。まあ、私は多分人と違うところで笑ってたのかもしれませんが、自覚はないのでそれがどこかはわかりません。
スピーディに展開していくのと、適度な笑いどころで、観やすい映画でした。

気になったのは、犯人役の人がいまいちうまくなかったことですね。場面ごとに違うスタッフが声を当てていたそうですが、素人がやると、間とかそういうものが落ち着かないんですってば。声だけというのはいちばん上手い下手がわかるんだから、せめて芝居というものに関わっていた人にしてくれればよかったのにと思います。遊び心だろうがなんだろうが、こういうところまで気を配っていただきたかったというのが本音でございます。

一体真下くんはどうやってゆきのさんをおとしたのか、非常に気になりました。


結論。
後半の方で携帯で呼び出されていた室井さんがいますが、この後から「容疑者 室井慎次」に繋がるそうです。エンドロールの最後の最後にオマケとして次回予告がありますのでお見逃しなく。







2005年05月06日(金) コンスタンティン(二回目)






友人の付き合いで二度目のコンスタンティン観賞。

初っ端から既に前回見落とし部分を発見。そんなところに既にいたのね、バルサザール。私は何故かあの手はコンスタンティンなんだとばかり思っていました。

それと、気になってたのが、何故ハーフブリードが病院に集まっていたのか、っていうか、コンスタンティンらがハーフブリードが敵だと知ったのかというところなんですが、なんのことはない、人間界に存在できるのはハーフブリードだけだったということですか。なんで気付かなかったんだろう…。
ハーフブリード集団はだから悪魔側だけですね。

それと、ガブリエルがマモンを人間界に呼び込もうとしていたのは、人間に試練を与えたいがため、と考えて宜しいですよね。なかでも、付き合いの長いコンスタンティンは、潰しても潰しても這い上がってくる感じがとてもお気に入りだったのだろうと思いますが。
主人公を足蹴にする大天使なんて!(嬉)

カメラのアングルは上下の両面が結構多かったようです。天上界の上、地獄の下、からの視点と考えました。これは前半に多かったアングル。後半は人間界が主なので通常視点だったのだと思いたい(笑)。

あと前回言い忘れたこと、呉川のツボ。
煙草をやめてガムを咬んでいるコンスタンティン。

チャズがハーフブリードとして復活したときの、あのコンスタンティンというか、キアヌの顔が非常にいいですよね!大好きです。「おまえもか…」的な苦笑いが素敵なオチです。そのためだけにチャズは殺されたんじゃないのかというのが友人と私の結論なんですが。でなければチャズが死ぬのは意味がないよなあ。

それにしても素晴らしいくらいにヒロインのいる意味のないストーリーでしたね。アンジェラは別に出てこなくて良かったんだけど、話を進めるには必要だったんです、みたいな。
アンジェラでなくて、コンスタンティンじゃだめだったんですか霊感の強い人、とずっと思っているのですが。やはり絵的に女の腹の方が生み出すという点ではふさわしいですしね。いや、産むわけじゃないですけどねサタンの息子。






2005年05月05日(木) 真夜中の弥次さん喜多さん






ポスター見たときに、喜多さん役の七之助がマネキンに見えていました。パンフレットの表紙の彼も作り物に近い感じがするけどね。

言わずと知れたくどかんの初監督映画でございますが、なんていうか、くどかん色満載なんだけれども、やっぱりわけわかんないのはそのまんまだよね。テーマは「生と死」の筈で、それを考えると重いテーマの筈なのに、なんでこんなにも軽くなってしまっているのか。その辺りが原作のせいなのか脚本のせいなのか、くどかんのせいなのかはさっぱりわからないけれど。

キャスト萌えにより観に行きました。くどかんのノリは結構好きなんだけれども(IWGP大好きだし)、監督となるとちょっと違うよね。カメラワークで考えれば好みではない。

非常にちょい役で大物を使っているのが凄いと思いつつ。その際たるものが中村勘三郎パパですけれど。あんな格好してもいいの?息子が出てるからってそんな。いや、すっごいノリノリで楽しそうだったんですけれどもね。

古田新太は相変わらずいい味出してくれてて。このお方と妻夫木がどんな役をしているのかが気になって観に行ったと言っても過言ではない呉川。妻夫木に関しては、どこから入れ替わっていたのか、それだけを確認したい。

誰がどういう役で出てくるのかをある程度先に知っていたせいで、色々と楽しかったですよ。特にバーテン。バーテン役がARATAだとわかってたので、バーカウンターが見えてきたところで吹き出しそうになりました。綺麗な蝶々が飛んでいるのを見て、ピンポンのバタフライを思い出したけどね〜。竹中さんの背中から生えている羽根がね、思い出されてね。

麻生久美子はあんなに露出して良かったんですか?いいんですか?
金々、呑々が持ち歩いていたあのスケベ椅子とか。
おちん役のぐっさんは非常に楽しそうに歌って踊っていらっしゃいました。
初っ端から生瀬がいて、寺島さんが原チャに乗って、しりあがり本人とか、うめず氏とか。
竹内力があんな役をやってるのはなんだかとってもイメージダウンなんですが(ミナミの帝王が定着しています)、素敵な睨みでございました。

細かいところに細かい芸。
それなりに楽しませていただきましたよ。



結論。
小池栄子は左利きなんですか?米研いでるときの手がね。左でやってたから気になったんだけど。






2005年05月01日(日) 幽霊――別冊イプセン





富山県は利賀村スプリング・アーツ・プログラムのひとつ、鈴木忠志演出の舞台でした。
近代ヨーロッパ演劇ですね、これは。
亡き夫と家庭の名誉を守るため懸命に働く未亡人と、帰国していた息子によって暴露されていく家族の過去の事実、そして崩壊していく家庭。という内容のものでした。

法律、宗教、倫理、社会の古い因習や道徳と戦った女性を主人公において、進められる家庭の話。というより、なんていうか、ファザコン、マザコンのダブルコンプレックスの息子に、子離れできない母親、夫に三行半を突きつける妻に、妻の愛情が離れていったことを認められない夫、といった内容?
登場人物はその四人と、未亡人に過去を語られてどうしようもなくなった牧師っていうかなんというか。

現代ならばそれほど珍しくもない家庭の事情だけれど、これが初演された当初はきっと問題視されたのではないかなあと思ったりする。古い因習なんて、現代では田舎くらいでないと余り気にしないでしょ?夫婦の離婚なんて吐いて捨てるほどあるし、夫婦としてやっていけなくなったらば仕方ないとしか思わなくなっているわけだから、こんな時代もあったよなあとちょっと懐かしい目で見てしまう。

私的には、未亡人に使われていた妻レジーネの考え方に頷けたり。病気になって帰国してきた未亡人の息子に言い寄られていたけれど、彼の病気を知って、病人の面倒を見て自分の未来を棒にふりたくはないと容赦なく切り捨てる辺りが。誰だって思うこと、愛しているわけでもない人のために自分の一生を費やしたくはないしね。この考え方が冷たいといわれればそうだけれど、これもひとつの選択肢。

牧師が未亡人の話を聞きながらメロンを食べたり、素麺のようなものを食べていたりしたのが、きっとリハでも食べてたんだろうなあと遠い眼をしてみたり。非常に美味しくなさそうな食べ方が、この話の流れに沿っているというか、満面の笑みでメロンなんて食べている場合じゃないから当たり前なんだけど。リテイク何回喰らったりしてるのかなあ。

妻の、足を開いて椅子に座っている男らしい座り方が、妻のこれからの生き方を暗示しているかのよう。夫と子供を捨てて、彼女はきっと一人で生きていくのだろう。それは捨てられた方も辛いが、捨てる方にも辛い選択なんだろうけれど。

夫の動きが面白かった。捨てられる侘しさというよりも、妻がいないと何も出来ない情けなさっぷりがね。



結論。
近代演劇の話し方や動き方ってなんであんなに独特なんだろう。それが好きなんだけどさ。





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