加藤のメモ的日記
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2011年06月28日(火) 財政危機の嘘 (39)

財務省は「日本は「834兆円もの債務を抱えている。これはGDPの160%にもあたる危機的数字だ」と財政危機を盛んに宣伝し、増税の必要性を強調している。しかし、これは財政タカ派の増税キャンペーンであり、数字の扱いには注意がいる。裏にはトリックが隠されているからだ。

これは二つの点でおかしい。第一点は、債務だけを強調し、日本政府が保有する莫大な資産については、触れていないことである。財務省のいう834兆円は「荒債務」と呼ばれるもので、民間企業におきかえれば、銀行などから受けている融資や取引先への原材料費の未払い金などの負債である。確かに834兆円の債務は国際的に見ても群を抜いて多い。この金額だけを見れば、日本は世界一の大借金国という見方も成り立つ。

だが、粗債務の大きさだけでは、財政は評価できない。粗債務の数字にも意味はある。ただし、国際的にしばしば使われている、もう一つの指標「純債務」のほうがはるかに重要だ。企業は内部保留や土地などの資産を保有しているので、必ずしも負債の総額がそのまま債務とはならない。そうした金融資産を差し引いた数字が「純債務」だ。

たとえば、1000億円の負債を抱えている企業があったとしよう。この企業が、一方で500億円の資産を保有しているとしたらどうか。普通、企業の財務内容は、粗債務ではなく、純債務で見るので、この企業の負債は500億円となる。日本政府も、現金・預金や有価証券のほか、特殊法人などへの貸付金や出資金、および年金資金運用基金への預託金などの金融資産と、国有財産や公共用財産(道路、河川など)などの固定資産を保有している。

しかも、日本ほど政府が多額の資産を持っている国はない。政府資産残高の対GDP比で先進国と比べてみるとわかる。日本は150%程度なのに対し、アメリカは15%程度。一桁違う。EU諸国と比較しても、イギリス30%台、イタリア70%台と、日本の政府資産はケタはずれに大きい。2005年末に発表された額では、日本の政府資産は538兆円にも上がっている。これを粗債務から差し引くと、純債務は300兆円まで減る。ところが、財務省の発表する数字は常に粗債務で、これら政府が保有する資産を差し引いてはいない。

つまり、「純債務で見れば日本は財政危機ではない。国債の格付けを下げるのはおかしい」と主張したのだ。海外向けのアナウンスでは、国内向けとは全く逆のことをいっているということである。

税収は約50兆円、予算は約80兆円なので、毎年30兆円の赤字が積み重なる。80兆円の使い道は、20兆円は国債の利払い、20兆円は地方への交付、20兆円は社会保障費のための予算となっている。残る20兆円で、国防や教育など他のすべてをまかなっている。その上社会保障費は、少子高齢化によって今後、急速に膨らんでいく。これ以上、削れるものもないので、増税するしかない、というのが増税派の人々の主張だ。

財務省の「財政赤字で国が非常事態だ」とのキャンペーンは一般会計の話としては正しい。一般会計は、毎年赤字でフローとしては税収(歳入)より歳出が上回っている。2008年度の予算でいえば、歳出は約83兆円だが、税収は55兆円しかない。差し引き28兆円の赤字だ。そこで、赤字国債を発行して穴埋めしてきた。このフローの赤字が積もり積もって、ストックとして800兆円もの負債に膨らんでいるのだ。

バランスシートで、試算より負債が大きいとストックの借金があるという。株式会社でストックが赤字の場合、これを債務超過といい、普通、経営が破綻しているので、そんな企業は世の中には存在できない。だが、国の場合破産はないので負債が上回っていることはあり得る。世界のどこの国を見ても、負債のほうが大きい。

日本の場合、バランスシートで見れば、もろもろの債務を含めて約1000兆円の夫妻がある。一方で、約700兆円の資産があるので、純債務は約300兆円だ。この数字が大きいか小さいかは別にして、ストックが赤字になっているのは確かである。しかし財政の指標は純債務の額の大きさだけではない。それ以上に大事なのは、債務の対GDP比だ。国家にとって財政再建とは、借金を返すことではない。債務である公債残高のGDP比を減らすことなので、債務の対GDP比が問題になる。

正確にいえば、実質的な負債は純債務なので、「純債務の対GDP比」が重要になるのだ。だが、日本の以外の国は、資産をさほど保有しているわけではないので、祖債務と純債務はほぼ等しく、便宜的に「祖債務の対GDP比」で見ることも多い。財務省の指摘するように。現在、「祖債務の対GDP比」は160%という高率で、これは国際的にも断トツで高く、お世辞にも健全な財政とはいえない。

しかし、日本のGDPは500兆円あまり。アメリカに次ぐ規模である。分母も非常に大きく、経済規模の小さな発展途上国とは違う。しかも、政府の資産は約700兆円もあり、純債務は約300兆円だ。純債務の対DP比は、60%。決して低いとはいえないが、適切な経済政策を実施し、経済成長を促せば、管理できない数字ではない。



『日本は財政危機ではない』



2011年06月27日(月) 闇の権力と2012年 (38)

人類が経験してきた数々の戦争や紛争のほとんどは、闇の権力者たちが意図的に引き起こしてきたといわれています。もちろん、第一次・第二次世界大戦も、湾岸戦争やアフガニスタンの戦争も、その裏で暗躍する彼らの姿が見え隠れしていました。闇の権力者たちはなぜそんなに戦争を好むのでしょうか。

一つの大きな理由は、戦争を利用して金儲けをするためです。そしてもう一つは、増え続ける世界人口を削減するためです。彼らは自分たちが考えるところの適正人口10億人規模に削減する計画を続行しているとされています。つまり、戦争は金儲けのビッグチャンスであるだけでなく、人口の削減にも非常に有効で、まさに一石二鳥というわけです。

彼らにとって戦争は大変利用価値のあるものなのです。戦争を起こす手口もほぼ決まっています。まず対立する勢力の間で紛争を起こさせ、煽り、援助することで影響力を強めます。それも両方の側に同時にです。しかも、時には中立を装い、時にはどちらかの側に立つふりをしながら、実際には両方とも自らの支配下に置くような働きをするという手の込みようです。

戦争には戦費だけでなく、戦後の復興費用など莫大な資金が必要です。それを調達するのは銀行です。勝てば大儲け、負ければ大損ですが、両方に貸し付けていれば絶対に負けはない。どちらが勝とうが負けようが、最初から勝ちが保証されているようなものですから、最初から戦争を解決しようなんて気持ちはまったくなく、むしろ長引かせようとします。長引けは長引くほどどちらも消耗するので、武器や物資の支援も増え、その分影響力も強めることができるからです。そのため、対立のないところに無理やり対立を生みだすことさえ平気でします。

これこそまさにマッチポンプ。マッチポンプとは自分で問題やもめ事を起こしておいて、そのあと収拾を持ちかけ、報酬を受け取ろうとするやり方のことです。卑怯なペテンです。例えばアメリカは「民間の警備会社」から戦場に人材派遣をしています。これは事実上、傭兵の派遣であり、傭兵は軍規には縛られません。問題は、そういった警備会社はアメリカの政権中枢の人物と深くつながっていて、派遣のたびに彼らの懐に大金が入る仕組みになっていることです。

イラク戦争後の復興事業で、ハリバートン社はアメリカ政府から大量の受注を得た石油掘削機を販売していました。この会社の最大の個人株主はディック・チェイニーです。彼はブッシュ政権時代の副大統領であり、イラク戦争を強硬に実施したことで大儲けをしているのです。さらに、アメリカの政権中枢には、鳥インフルエンザや豚由来の新型インフルエンザの治療薬として知られるタミフルをめぐって大金を得た人物がいました。しかもその人物と深いつながりを持つ世界有数の大富豪が名誉会長を務めるシンクタンクが、新型インフルエンザの脅威とタミフルの備蓄を世に訴えたために、各国政府はその意見に同調するようにして大量のタミフルを購入してきたのです。

もちろん日本も例外ではありません。2009年4月の終わりごろに、豚インフルエンザが突然発生しましたが、これについても研究所で意図的に作られたウィルスが原因ではないかと囁かれています。もしそれが事実なら、金儲けのために意図的にこのウィルスが散布された可能性さえあるのです。幸い、この時の豚インフルエンザは弱毒性とのことですが、これが生物科学研究所において強毒性に「改良」されてしまったなら、恐ろしいことになってしまうでしょう。

金儲けのためなら手段を選ばない死の商人たち。死の商人といえば、軍と軍需産業との密接なつながりを意味する「軍産複合体」がまさにそれです。軍産複合体とは、軍事+産業+議会(政治家)が一体となったものをいいます。しかも、軍産複合体が金儲けに走り、その結果として世界のあちこちで戦争が引き起こされているのです。このような構造のさらに奥に存在しているのが国際金融資本家たちと、彼らと結託するヨーロッパの王侯貴族たちです。そしてその頂点に立つのが、「三百人委員会」です。

……

ところで、海外の通信をほんの数社の通信社が独占しているのは問題ですね。

AP通信社とロイターとUPI通信と、あとはアメリカの三大ネットワークNBC,ABC,CBSですね。これらは全部、バックに株式会社がついている。株式会社はなんといっても株主が偉いから、株主の機嫌を損なうようなものは出さない。ほんの数社の通信社自体、闇の権力(影の政府)の支配下にあるので、彼らにとって都合の悪いものはことごとく制限するんですね。闇の権力の言うことを聞かない北朝鮮などは、いわゆる悪の枢軸国ということで叩かれる。悪の枢軸国とは何かというと、中央銀行制度を採用していない国で、北朝鮮、イラン、キューバなどがそれですね。

闇の権力に対して、尻尾を振ってこない国ってことですね。ほとんどの国は自分たちに尻尾を振ってくるが、現在はイランと北朝鮮の二カ国だけが尻尾を振ってこない。けしからんというわけで。そこを潰そうとする権力が闇の権力。

闇の権力のお金のもとは中央銀行です。

そうです。FRB]、フェデラル、リザーブ・バンク

あれはアメリカの国の銀行でも何でもなく、私立の銀行ですよね。しかも単なる株式会社。株主配当の34%だけが国庫に入り、あとは全て闇の権力配下の銀行へ行ってしまう。悪の枢軸国以外の国には全て中央銀行がありますから、そこからどんどん吸い上げる。つまり、国は必要なお金を中央銀行に借りなくてはならない。しかも額面に対する利子を払わなくてはならない。日本の場合も同じです。日銀は認可法人だといっていますが、実質は株式会社の銀行が刷ったお金を国が利息を払って借りるって、どういうことでしょうか。

FRBが「私」の銀行であることをアメリカ人だってほとんど知らないのです。ですから、国際金融だって彼らのほしいまま。日本をバブルで崩壊させ、東京や大阪の目抜き通りを外資の企業がどんどん買い占めています。





『闇の権力と2012年』









2011年06月23日(木) 軍と息子の最終戦争

「69歳の金正日総書記は、、病身に鞭打って三男の正恩(28歳)の後継体制を固めるべく『最後の長征』に出た。先年9月に後継者として表舞台に立った金正恩は、今父親に万が一のことがあれば、クーデターに遭う可能性が高い。正恩の権力基盤である朝鮮労働党中央軍事委員会と、朝鮮人民軍の保守派長老の牙城で、金永春・人民武力部長(75歳)が牛耳る国防委員会との対立が、抜き差しならないところまで来ているからだ。それで金正日は、金正恩体制を盤石のものにすべく、決死の覚悟で訪中したのです」

金正恩は、昨年9月の朝鮮労働党代表社会で、党中央軍事委員会副委員長(大将)に就任し、名実ともに金正日総書記の後継者となった。最近は父親の経済視察にも同行している。それがクーデターとは、平壌の「奥の院」で一体何が起きているのか。‘08年8月に脳卒中で倒れた金正日総書記は、三男正恩の26歳の誕生日の宴席で、列席した幹部たちを前に事実上の「正恩後継」を告げた。

正恩はこの時、父親に対して「私は、我が国の経済を発展させたい。同じ社会主義国でも、中国のように豊かな国に変えたい」と抱負を語ったという話が伝わっている。実際、金正恩はこの2年余りというもの、経済問題への取り組みに専念してきたといっても過言ではない。正恩をバックアップしているのは、『朝鮮太子党』と呼ばれる北朝鮮の有力者の2世、3世グループである。正恩自らもスイスで教育を受けたように、彼らの多くは留学経験者で、海外の自由な空気を肌で知っている。そして彼らが共通して抱いている「国家目標」とは、祖国に中国式の改革開放政策を取り込み、経済発展させることに他ならない。

これに対し、金正日総書記が推し進めてきた「先軍政治」(軍事優先の政治)の最大の既得権者である朝鮮人民軍の幹部たちは、中国式の改革開放など絶対に受け入れられない。中国は改革開放によって軍人を100万人以上削減したり、軍のビジネスを厳禁したりするなど、軍の権限を大幅に弱めたからだ。

そんな朝鮮人民軍の保守派の頭目が、「『先軍政治』の名付け親」ともいうべき、金永春・国防委員会副委員長兼人民武力部長(国防相)なのである。金永春は金正日が内々に「後継指名」を受けた1ヶ月後、金正日総書記の67歳を祝う宴席で、「将来の金正恩新体制を全面的にバックアップする」との誓いを立て、金総書記から人民武力部長への指名を受けた。

金正日総書記にしてみれば、正恩には自分以外の強い後ろ盾がないため、朝鮮人民軍を掌握している金永春を国防相に昇格させ、『後見人』の役を託したのである。金永春は、過去30年近くにわたって、ひたすら金総書記の「汚れ役」を務めてきた。‘83年に韓国の全斗喚大統領らの暗殺をもくろんだラングーン事件や、美人スパイの金賢姫が実行犯となった‘87年の大韓航空機爆破事件など、金正日総書記の命を受けて国内外で数々のテロを主導した。

‘94年の金日成主席の「怪死」さえも、金正日、金永春コンビによるクーデター説」が根強い。金日成主席の死後、金永春は金正日のあらゆる”政敵”を粛清し、金正日時代の「先軍政治」を演出してきた。‘06年と‘9年の2度にわたる核実験も、金永春が総責任者である。一昨年2月の人民武力部長就任は、金総書記が、そんな金永春の長年の功績を称えたものでもあった。

だが、金永春が自分と同様に、当然息子のバックアップをしてくれると思いこんだ金総書記は、病気のせいで判断力が鈍ったというしかないだろう。金永春が支持するのは、あくまでも自己の権益を最大限拡大できる「先軍政治」であって正恩が構想する「中国式改革開放」は何よりも唾棄すべき政策だからだ。47歳もの年齢差がある金正恩と金永春は、世代的にも性格的にもまさに水と油で、一昨年の冬から2年以上にわたって、血で血を洗う「仁義なき闘い」を繰り広げてきたのである。

しかし、平壌「奥の院」の束の間の「戦闘」には終止符が打たれた。3月19日、NATO軍がリビアへの空爆を開始するや、リビアの独裁者、カダフィ大佐の”盟友”である金正日は、「明日は我が身」と震え上がった。それは前世紀末の東欧崩壊の際に、父親の金日成主席が、やはり盟友であったルーマニアの独裁者・チャウチェスク大統領の銃殺を見て震え上がったのと同じだった。

このリビア空爆で、がぜん勢いを得たのが、金永春一派だった。「リビアは核開発を放棄して、欧米におもねったからこんな結果を招いたのだ。だから我が国は、断固として核開発を進める。核武装してアメリカに対抗することによってのみ、我が国は生存していけるのだ」こうした主張が、北朝鮮国内で急速に勢いを得ていった。ちなみに、リビア在住の北朝鮮人労働者200人余りは世界で唯一、帰国を許されない哀れな外国人となった。金正日は彼らが北朝鮮に戻って「リビアの体験」を語ることを恐れたのだ。北朝鮮国内では、リビア情報を隠匿するため、携帯電話やパソコンの没収まで始まった。

今後の北朝鮮情勢は、ひとえに金総書記の健康状態にかかっているといえる。金総書記にもしものことがあれば、間をおかず北朝鮮の「リビア化」が始まることになるだろう。それは今後の日朝関係にも影響を与えずにはいられないはずである。


『週刊現代』


2011年06月22日(水) マスコミは全て支配されている(37)

マスコミが全部支配されている。これは怖いことです。一つの例として、ブッシュ大統領は、この間の演説で、イラクに対する問題も含めて、「9月11日」という言葉を一時間の公演の中で5回も言っているのです。ディブ、ヴォンクライシス氏がつくった75分にもわたる映像は、9月11日のテロの問題は、アメリカ国家が捏造したものだということをはっきりと見せています。彼は、アメリカ・ミズーリ州の小さなラジオ局のパーソナリティーでしたが、「ペンタゴンに激突したのは旅客機ではない」と主張するサイトに出会い、そんな馬鹿な」と反論するための調査を始め、さまざまな資料映像を集めたのですが、結局は、この主張を裏付ける結果になったのです。

9・11当日、たまたまフランスのテレビ局が、ニューヨークの消防士の取材をしていました。ビルの上に行って帰ってきた消防士は、各階ごとに次々と爆破されていった、と言っていました。ビルの下にも爆弾が埋めてあったようです。あのまわりのビルの3棟か4棟が全部ダメになったそうです。ビルの解体みたいに、スーッときれいに崩れ落ちた。だから、あれは国が全部捏造したものなのです。

あの民間航空機は途中でレーダーから消えて、どこかの海の藻屑になってしまったかもしれません。前方に青いマークのついている窓が一つもない黒い飛行機で、民間機には見えなかったという目撃者がおり、あの時の写真を分析すると、下にちょうど膨らみがあって、ビルに突入する前にピカッと光ってミサイルを撃ち込んでいます。映像からはそれがはっきりとわかるのです。

別の資料によりますと、あの2機のボーイング機は無人の遠隔操縦の飛行機です。それを現場近くの下から操作して、2機ともツインタワーに突入させた。遠隔無人飛行機は、ほかの土地でテストフライトを何回もやっているそうです。ペンタゴンにはミサイルを撃ち込んだ。飛行機なんか落ちていません。穴だけあいている。飛行機の破片は何も落ちていないし、飛行機の翼だけでも、穴の何倍もあります。現場は即座にFBIが来て、誰も入れないように封鎖したそうです。

そういう写真も全部入れて、これは国家がやったものであって、アラブのテロなんて全く関係ないという75分にもわたる克明な映像があるにもかかわらず、日本ではどのテレビ局も見せないし、マスコミは触れない。ただ、ヨーロッパの国々では、ドイツとかイギリスとかで、そろそろ見せ始めています。日本のマスコミが知らないというわけではなくて、枷をはめられて、大手新聞・テレビ局は、反アメリカ、反闇の権力の内容は一切放映できないようです。


ビンラディンは、CIAにエージェントのごとく使われている人だと思います。9月11日の事件があって、ビン・ラディンがやったということを大義名分にして、ブッシュが立ち上がった。テロ撲滅を全世界に宣言して、堂々とイラクに入っていきました。しかし、イスラムに対する認識が甘かったようです。先進国の中で、日本だけがそういう闇の権力にどっぷりと浸かって、今の首相も含めて、本当の言うがままになっています。マスコミも同様で、国民は何も知らされないままに、あんな変なことにつき合わされています。

アメリカが闇の世界権力・国際金融財閥の傀儡にすぎないことを示す端的な証拠があります。それが連邦準備制度理事会(FRB)です。これは常識に反し、れっきとした私有銀行です。ロックフェラーのナショナル・シティ・バンクとモルガンのファースト・ナショナル・バンクがその所有者です。この二つの銀行の株主であるロスチャイルド家、クーン・ローブ商会、ウォーバーグ商会、ロックフェラー一族、モルガン財閥がFRBの真の支配者なのです。

連邦準備制度理事会が闇の政界権力のものである以上、アメリカには自由に紙幣を発行する自由がありません。日銀を含めて、世界各国の中央銀行も同様に皆支配されています。リンカーンは南北戦争の時ロスチャイルド家からこういわれました。「中央銀行を許可するなら、希望の額を24〜36%の利子で貸しましょう」。激怒したリンカーンは反旗を翻し、法定紙幣を印刷しましたが、暗殺されたのです。

日銀はFRBの日本支店とまでいわれています。あるいは日銀ロスチャイルドとも揶揄されるように株の20%はすでにロスチャイルドが持っていて、日銀の民営化を狙ってさらに31%増やそうとしています。バブル崩壊で数兆円がロスチャイルドに渡りました。日本の有力な政治家はそのおこぼれとして大金をポケットに入れているのです。

ブッシュ家は闇の世界権力のトップ、ロスチャイルド家に続くロックフェラー家、モルガン家、ハリマン家のハリマンに仕える家柄で第3階層に属しています。現大統領の父であるパパ・ブッシュはCIAの麻薬ビジネス、祖父のブレスコット・ブッシュは、ヒトラーに送金する仕事に関わっていました。歴史の裏側はまったく醜悪かつ奇っ怪です。



『泥棒国家日本と闇の権力構造』


2011年06月20日(月) 外務官僚の素顔 (36)

大使館員は外交特権を利用して免税で高級車を安く買い、しばらくしてモスクワのアフリカや中東の外交官に売って大量のルーブルを作る。ソ連では車は貴重品だったここから、中古車でも買値以上の値段で売ることができた
しかし、ルーブルはドル、クローネ、円などの外貨に交換できない。そこで、売却代金はルーブル委員会に集められ、闇ルートによって取引され、クローネに代えられる。

大使館員の給料はクローネで支給されていた関係で、全員ストックホルムの銀行に口座を持っていた。そして、ルーブル委員会の手を経て、このストックホルムの口座に車の売却代金がクローネで振り込まれる、というわけだ。こうした不正蓄財に手を染めていたのが、旧ソ連時代にモスクワに在勤していた西田恒夫外務審議官である。

「ルーブル委員会」のカラクリをもう少し詳しく記していくが、最大の問題点は、そこに集められた金が、元を正すと旧ソ連時代の秘密警「KGB(国家保安委員会)」の資金だったということだ。このルーブルには二つの流れがある。第一の流れはKGBがモスクワでばらまくルーブルである。旧ソ連時代、KGBは友好国であるアフリカや中近東の外交官に資金援助するため、秘密裏に工作資金から大量のルーブルを渡していた。当時、ルーブルは厳重に国家管理されていたため、金の受け渡しは基本的には外交特権があるモスクワの日本大使館で行っていたのである。

第二の流れは、KGBが外資を入手するために西側で調達する闇ルーブルである。その舞台となったのが、ウィーンにあるシュテファン寺院の横にある銀行である。この銀行では、ルーブル以外に旧東ドイツのマルクも扱っていた。ここで売られていたルーブルは市価の4分の1から5分の1だったので、アフリカや中東の外交今はここで安いルーブルに換えて外交行嚢に入れ、外交特権を使ってモスクワに密輸する。

この安いルーブルを使ってモスクワで車を買い、その車を西側に持ち出して売り飛ばして利益を懐に入れるという手口である。このときモスクワで車を売っていたのが日本の外交官である。日本の大使館は、アフリカの外交官に免税で安く買った車を売ることでルーブルを手に入れるわけだが、この時のレートは公定レートのおよそ2分の1から3分の1.アフリカの外交官より儲けは少ないが、外交官同士の取引なら不正がバレないだろうという安心感でやっていたようだ。

従って、モスクワ大使館では二重の蓄財をしているといえる。一つは、本来は公定レートで買わなければ外為法違反に問われるところを、外交特権を使って安いレートのルーブルをかっていること。日本の本省には公定レートで申請をしているので、差額が丸々利益になる。もう一つの蓄財は、車の売買による差益である。こうして日本の大使館の金庫に積み上げられたルーブルは、日本の外交官が闇ルートで購入する。

そして、その支払いにはA6判の「トランスファー用紙」という特別の書類にルーブル相当額のクローネの数字を入れ、外交行嚢に入れてスウェーデンに送られ、スウェーデンの銀行で決済されるというカラクリである。しかし、もともとの出所はKGBの工作資金である。しかも、問題はKGBが日本の大使館に自分たちの金が流れていることをつかんでいた、ということである。

私が行った聞き取り調査によれば、日本の外交官はKGBに尻尾を握られ、泳がされていたということになる。そして、その秘密を握られた外交官が現在、最前線で北方領土交渉にあたっている。だからこの「ルーブル委員会」問題は、現在も深刻なのだ。


権力の奥深くで

権力には、必ず闇の部分がある。外務省はもちろんのこと、検察・司法、そしてこの国の政権の中枢には、「闇権力」と呼ぶべきものが存在するのである。そして、その「闇権力の執行人」たちが国家を恣意的に動かし、多くの場合、国益を傷つけているのである。政治学の視点からいって、「闇権力の執行人」を抱える「政治のリスク」は日本だけの問題ではない。世界のあるゆる国家がこのリスクを抱えている。多国籍企業、マフィア、ファナティックな宗教団体が「闇権力」を形成している国は少なからずある。

政治家ならば、「闇権力」を執行し、国益を損なったという烙印を押されれば、選挙の洗礼を受けて表舞台から引きずりおろされる。しかし、今日本を支配している「闇権力の執行人」は、決して責任を問われることはない。そこでは官僚が大きな役割を果たしている。日本の社会が抱えるさまざまな問題の本質は、この一点に尽きるといっても過言ではないだろう。



『闇権力の執行人』


2011年06月18日(土) ヤミ金が暗躍

東日本大震災による生活難につけ込み、違法な高金利でカネを貸すヤミ金業者による被害が出始めている。当座の生活費にもこと欠く中、やむにやまれず借りてしまうケースが多い。義援金などを目当てにした業者もあり、国や自治体などは注意を呼び掛けている。「仕事がなくなって、家族を養えない」。東京都内のヤミ金業者に、北海道苫小牧市の50代男性から疲れきった声で電話が入ったのは4月半ばだった。宮城県の製紙工場の関連会社が苫小牧市にあり、男性はそこで働いていたが、震災で製紙工場が生産を停止し、そのあおりで勤務先が倒産。妻と子供3人を養う当座の生活資金15万円の融資を求めた。

過去に消費者金融の借金を返済できず、消費者金融から借りられなくなったため、数年前に融資を持ちかけてきたことがあるヤミ金にすがったようだ。利息は消費者金融の上限金利(ねん15〜20%)の20倍以上となる月40%。毎月の返済額は利息だけで6万円。男性は漁師に転身し、妻もパートを始めたが、元本まで返せるめどは立っていない。このヤミ金業者の男性(39)は毎日新聞の取材に『大変だな。頑張ろう』と優しい言葉をかけるだけで、暴力を使わなくても利息が入ってくる」と語った。

この業者には、仙台市の40代男性からも20万円の融資を申し込む電話が4月にかかってきた。勤務先のかまぼこ工場が津波で流され、妻と小学3年生の息子を養うため、かまぼこの移動販売を始めようと考え、機械の購入資金にするためだ。

男性は「申し訳ないですが、追加で貸してもらえませんか」と涙交じりに頼み込んだ。4年前にも10万円を借りており、総額30万円の利息は月12万円。業者は「5,6月の利息はきっちり振り込まれた。商売がうまくいったのか義援金が入ったのかは知らないが」と話す。利用者は全国に約150人。震災前の利息収入は月400万円だったが、4月以降は2〜3割増えた。国民生活センターでは4月以降、被災地からのヤミ金に関する相談が増加傾向にある。震災で失業した20代男性は「金に困っていないか」と電話で融資を持ちかけられ2万円を借金。その後「10日ごとに1万5000円を返せ」と迫られた。

震災後、国は消費者金融による被災者への融資条件を緩和した。各地の社会福祉協議会には、失業者の生活支援のため月20万円までを無利子で貸す制度もある。全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の本多良男事務局長は「資金に困ってもヤミ金には絶対手を出さず、自治体や弁護士会などに相談してほしい」と呼びかけている。


『毎日新聞』


2011年06月17日(金) 器量

「呼んでもためにならないエッセイ」と副題のつく『周作塾』(講談社文庫)の一節は、総理大臣の器量について、「「狐狸」のような「知謀」の保守政治家、三木武吉(1884〜1956)を例に語っている。三木は選挙演説の最中に「5人の妾がいる」と指摘されて、「5人ではない7人です。老いてもみんなしっかり養っています」とやって喝さいを浴びた「怪物」だ。吉田茂を政権の座から引き下ろして鳩山一郎をすえるために、血の出るような努力をした。

それに成功したあと、ある人が「鳩山さんのあとは三木さんですね」といったら、三木はムッとして答えた。「総理というものは、偉い、偉くないは別として、将に将たる器でないといかん。吉田君、鳩山君、緒方竹虎君、一様に将たる器だ。わしは兵卒だ。なれるもんかい」吉田の政治は憎んだが、吉田の器、器量が自分より上だということをはっきり認めていた。器量とは、才能、努力だけでなく、持って生まれた風格とか雰囲気や人気のことである。自分の器量を認識することは難しい。

人はともすれば自己の人格、器量以上の野心を抱きがちだが、総理にしても社長にしても、実現は難しいと、「狐狸庵山人」は勤厳に述べるのだ。ところで、敬愛する「山人」に異を唱えるつもりはないが、ゾロゾロ続く総理大臣を送り迎えしていると、さあ、難しいかしら?という気がしてならない。

至近のそれでいえば、「投げ出し」で「落第」した安倍、福田、麻生、鳩山も、「超低空飛行」の菅直人首相も、みんな器量なんかとカンケイなくホイホイと総理の座についたみたい。大震災の被災者は、二重三重の「人災」の渦中にあるのだ。


遠藤周作


弁護士による被災者支援が本格化している。6月11日には「全国クレジット・サラ金問題対策協議会」と「銀行の貸し手責任を問う会」が銀行ローンの免除を求め緊急集会を開いた。津波で家を流されたうえ、住宅ローンの支払いが残っている人は少なくない。加えて農業施設や生産設備などを失い、債権のために借金をして二重ローンを余儀なくされた人もいる。

両団体とも生活者の側に立った戦いで知られ、「手強い相手」であるのは金融界全体が認める。また、原発事故の賠償請求が本格化するのはこれからだ。事故によって約9万人が避難生活を余儀なくされ、8万戸の農家が出荷制限を受け、避難地区内の工場は操業をストップしている。

賠償指針は原子力損害補償紛争審議会で作成しているが、出荷制限のすべての農産物の風評被害を認めるなど被害者の立場に立ち、東電の賠償総額は10兆円に達するとみられる。当然弁護士の出番。賠償交渉は個別対応、避難民も被害者もプロの手を借りなければならず、相談件数も膨大だ。弁護士界はこれを「ポスト過払い金返還」と期待するが、「ハイエナ弁護士」出現を警戒する向きもあり、その分野でも活躍したクレ・サラ対協の”捌き”(さばき)が期待されている。


『週刊現代』


2011年06月15日(水) 田老と津波 (35)

三陸沿岸地方は、文明の恩恵から見放された東北の僻地にすぎなかった。深くくいこんだ無数の湾内には小さな漁村が点在していたが、内陸部と通じる道路はほとんどなく、船を便りとした海上連絡があるのみで、各町村は、陸の孤島とでもいえるような孤立した存在であったのだ。三陸沿岸地方は、豊かな魚介類の資源に恵まれていた。沖合を流れる黒潮は多くの魚群を群れさせ、複雑な線をえがく海岸の岩礁は、タコ、貝類、ウニ、海草の一大生息地ともなっていた。が、消費地から遠いため運送という障害にさまたげられ、さらに天候に支配された不漁にもしばしば見舞われて、漁村は概して貧窮の中に呻吟していた。

その年の梅雨期は気温が異常に高く、漁民は湿気になやまされてあえいでいた。それに漁が例年になく不良で、かれらの表情は一様に暗かった。と、6月に入った頃から、三陸沿岸一帯に著しい漁獲がみられるようになった。それは日を追うにつれて急激に増し、漁民の顔は明るく輝いた。さらに6月初旬をすぎた頃になると、漁獲量は途方もない量となった。各漁村の古老は、そのおびただしい魚の群れに唖然とし、「前例をみない大漁だ」と驚嘆するほどだった。

当時の大豊漁については、現在87歳の高齢で岩手県下閉伊郡田野畑村に住む早野幸太郎氏がよく記憶している。氏はその年に13歳であったが、早野少年の目にも、その折の大豊漁は奇異な印象として焼きつけられた。早野氏の生家は網元で、数多くの定置網を海面に張っていた。氏の記憶によると、6月10日頃から本マグロの大群が、海岸近くに押し寄せてきたという。田野畑村は、思わぬ魚群に歓びの声をあげた。網の中に、マグロがひしめきあいながら殺到してくる。

網は、マグロの魚体で泡立った。マグロは、出口をもとめて網の壁に沿って一方向に円をえがいて泳ぐ。その光景は、壮観さを越えたすさまじいものだった。漁船に乗った早野少年は、マグロの群れが網の内部をウナリをたてて素早い速度でまわっているのをみた。その勢いで、網の内部には大きな渦が生じ、中央部の水面は深くくぼんですり鉢状にさえなっていたという。漁船は、それらの網からマグロを引き上げ、今にも沈みそうになるほど満載して海岸にたどりつく。そして、マグロを岸に揚げて引き返すと、すでに網の中にはマグロの大群が激しい渦を起こして泳ぎまわっていた。

岸は、たちまち魚体でおおわれた。村の者たちは、老人や女をはじめ子供まで加わってマグロを箱に入れていった。が、後から後からマグロが陸揚げされるので、入れる箱もなくなってしまった。村では有力者たちが集まって種々協議の末、村内を流れる大須賀川をせきとめてそこにマグロを収容したという。「大漁も大漁。あんな大漁は生涯聞いたことも見たこともない」と、早野氏は述懐した。このような大豊漁は、むろん田野畑村だけではなく三陸海岸一帯に共通したものだった。漁は、マグロ以外にもイワシやカツオが処置に困惑するほどとれたという。ことにイワシの大漁は、各地でみられた。

一例をあげると、青森県鮫村から湊に至る海岸では、その年の不漁に悩んでいたが、5月下旬ごろからイワシの大群が押し寄せてきた。その量は想像を絶したもので、海面はイワシの体色で変化して一面に泡立ち、波打ち際も魚鱗のひらめきでふちどられたほどだった。漁民は、大いに喜んでイワシ漁に精出した。しかし、その異常な大漁は40年前の安政3年(1856)に戦慄すべき災害が発生していたのだ。安政3年7月23日、北海道南東部に強い地震があり、家屋の倒壊が相ついだ。その地震の直後、青森県から岩手県にかけた三陸沿岸に津波が襲来し、死者多数を出している。その津波が海岸線を襲う以前に、漁村はイワシの大豊漁ににぎわった。つまりその40年ぶりの大豊漁は、津波襲来の不吉な前兆である可能性も秘めていたのだ。

事実、その豊漁と並行して、多くの奇妙な現象が沿岸の各地にみられた。青森県上北郡一川村付近では、連日夜になると青白い怪しげな火が沖合に出現した。村民たちは、稲妻かまたは怪しげな狐火の類だろうと噂し合っていたが、この現象は魚群の来襲と無関係ではなかった。つまり海に、なにかいちじるしい変化が起こっていたのだ。潮流に乱れが起こっていたという事実もあるし、水温の急変があったとも伝えられている。理由はさだかではないが、それらの海中の変調の影響をうけて、魚は群れをなして海岸近くに移動し、また怪しげな火が一川村沖合にも出現したのだ。

岩手県来た閉伊郡磯難村では、安政3年の津波襲来前に川菜と称する海草が濃い密度で磯をふちどるという奇現象があった。それ以後川菜は長い間絶えていたが、数ヵ月後から川菜が磯に生えはじめ、安政3年の津波を知っている古老たちは、津波の前ぶれではないかと会う人ごとに警告していた。またその年の3月頃から三陸海岸一帯に、ウナギの姿が多くみられた。死骸の群れが漂着して処置に困った漁村もあれば、磯に押し寄せたウナギを捕えて思わぬ漁獲に喜んだ漁村もあった。一日磯に出れば一人で200尾程度とらえるのは容易で、鳥が砂をクチバシで掘り起こしてウナギをついばむ光景も見られたほどだった。

このウナギの発生も、安政3年の津波襲来直前にみられた現象で、ウナギの群れを不吉な前兆としておそれる老人もいた。さらに6月12,3日ごろになると、潮流に乱れが認められた。ことに宮城県本吉郡志津川町では、漁船が変化した潮流で岸にもどるのに困惑したという報告もあった。また沿岸一帯の漁村では、井戸水に異変が起こっていた。岩手県東閉伊郡宮子町に例をとると、6月14日から60メートルの深さも持つすべての井戸の水が、一つ残らず濁りはじめた。その色は白か赤に変色したもので、人々はその現象をいぶかしんでいた。




被害は、明治29年の大津波襲来の折と同じように岩手県が最大であったが、その中でも下閉伊郡田老村の場合は最も悲惨を極めた。明治29年の折には、田老、乙部、摂待、末前の四字のうち、海岸にある田老、乙部が全滅している。田老、乙部の全戸数は336戸あったが、、23メートル余の高さをもつ津波に襲われて一戸残らずすべてが消失してしまった。人間も実に1859名という多数が死亡、陸上にあって辛うじて生き残ることができたのはわずかに36名のみであった。なお、この他に難をまぬがれた村民が60名いる。それはその日15隻の船に乗って沖合8キロの海面に出ていた漁師たちで、マグロ漁に従事していた。その猟師たちは、津波の発生時刻に突然陸地のほうで汽車の爆走するような轟音を聞いた。

彼らは、顔を見合わせた。何か大異変が起こったに違いないと察して、網を急いで引き上げると力を合わせて陸地のほうへ漕ぎ進んだ。その途中、三度の大激浪に遭遇した。無数の材木が流れてきて、その上波も高く入港することはできない。やむなく港口で碇をおろし、陸地のほうをうかがっていたが、全村の灯りはすっかり消えていて、しかも、「助けてけろ―」という声がかすかに聞こえてくる。漁師たちは顔色を変え、家族の身を案じて救助におもむこうとしたが暗夜と高波のため岸に近づく手段もなく、ようやく夜が明けてから港に入った。

彼らの目、悲惨な光景が映った。人家は洗い去られて跡形もなく、村は荒涼とした土砂と岩石のひろがる磯と化していた。彼らは陸に上がり村落の全滅を知ったが、極度の驚きと悲しみで涙も出なかったという。そのような打撃を受けた田老村は、その折の災害から37年たった昭和8年に、またも津波の猛威によって叩きつぶされたのだ。昭和8年3月3日午前2時30分ごろ、田老村の住民は、はげしい地鳴りをともなった地震で眼をさました。家屋は音をたてて振動し、棚の上の者は落ちた。時計は、どこの家庭でも止まってしまった。かなり長い地震で、水平動がつづいた。

人々は、十年来経験したこともない強い地震に不安を感じて戸外へとび出した。地震のため電線が切れ、全村が停電した。遠く沖合で、大砲を打つような音が二つした。たまたま村の近くで道路改修工事がおこなわれていたので、人々は工事現場で仕掛けたハッパの音にちがいないと思った。地震がやみ、電灯がともった。人々はようやく気持ちも落ち着いて、それぞれの家にもどったが、再び大地が揺れて電灯が消えてしまった。

不安が、人々の胸にきざした。明治29年の大津波の記憶は生々しく、老人たちも「こんな時には、津波がくるかも知れない」と、口にした。注意深い男たちは、戸外に出て津波の前兆ともういうべき現象があらわれていないかをたしかめた。津波襲来前には、川の水が激流のように海へと走る。井戸は、異常減水をする。海水は、すさまじい勢いで沖合に干きはじめる。人々は、灯を手にそれらを注意してみてまわったが、異常は見出せなかった。

彼らの不安は消えた。津波は、地震後に発生するおそれがあるが、その気配はない。人々は家にもどると、冷えきった体をあたためるため炉の火をかき起こし、もう一眠りしようとふとんにもぐりこんだ。静まり返った村内に、突然沖から汽船の警笛が余韻をひいて伝わってきた。それは、なにか異変を告げるような不吉な音にきこえた。一部の家では、その音に人々がとび起きた。

「津波が?」という言葉が、「津波だ!」という言葉として近隣にひろがっていった。たちまち村内は、騒然となった。家々からとび出した人々は、闇の中を裏山にむかって走り出した。人の体に押されて倒れる者、だれかれとなく大人にしがみつく子供たち、土の上を這う病人、腰の力が失われて座り込む者など、せまい路上は人の体でひしめき合った。

その頃、黒々とそそり立った津波の第一波は、水しぶきを吹き散らしながら海上を疾風のようなすさまじい速度で迫っていた。湾口の岩に激突した津波は、一層たけり狂ったように海岸へ突進してきた。逃げる途中でふりむいた或る男は、海上に黒々とした連なる峰のようなものが飛沫をあげて迫るのを、見たという。津波は、岸に近づくにつれて高々とせり上がり、村落におそいかかった。岸にもやわれていた船の群れがせり上がると、走るように村落に突っこんでゆく。家の屋根が夜空に舞い上がり、家は将棋倒しに倒壊してゆく。

やがて海水が、逆流のように急激な勢いで干きはじめたが、沖合には、すでに第二波の津波が頭をもたげ進み出していた。たちまち第一波のもどり波と第二波の津波が海上で激突した。高みにのがれてその光景を見つめていた或る者は、その二つの波の衝突によって高々と水沫が海上一帯に立ちのぼり、ちょうど巨大な竜巻をみるようだと語った。この第二波の津波が最大で、倒壊した人家と多くの人々の体は沖合いにさらわれた。津波は第6波までつづき、次第にその勢いを弱めた。

寒気はきびしく、山上にのがれた人々は焚火をして暖をとった。逃げおくれて負傷した者たちは、寒さに体の自由もきかず凍死してゆく者が続出した。夜が開けた。田老は、一瞬の間に荒野と化し、海上は死骸と家屋の残骸の充満する泥海となっていた。田老、乙部は、わずかに数戸の民家と高地にある役場、学校、寺院を残すだけで、村落すべてが流出していた。死者は911名、流出した人家は428戸に達した。また一家全滅も66戸あった。その人数は333名で絶家となったのである。その他、道路、橋梁、堤防などが跡形もなく破壊され、漁船909隻が流出した。

田老村に次いで被害の甚大だったのは、岩手県気仙郡唐丹村本郷であった。この村落は、完全な壊滅状態におちいり、全戸数101戸中、、実に100戸が流出、残された1戸も全壊していた。死者も多く、全人口620名中、326名が死亡、21名が傷ついた。下閉伊郡小本村小本の被害も大きく、118名の死者、77戸の流出をみ、また釜石町でも234戸の流出、245戸の倒壊以外に、火災が発生し249戸が焼失している。戸の出火は、津波来襲後、町の中央部2か所から発したもので、津波がつづいていた頃であったため消火作業に手をつけられず、火災は目抜き通りを焼きはらい、その後の消火作業で午前8時30分ごろようやく鎮火した。幸いこの町では避難が早かったため、死者の数は29名のみであった。


『三陸海岸大津波』


2011年06月12日(日) 郵政民営化でジャパンマネーは(34)

郵政民営化でジャパンマネーは闇の権力に搾取される

1980年代後半のバブル景気の原因は、アメリカから押し付けられたプラザ合意にあります。これは対日貿易赤字の是正を狙って円高ドル安を誘導するものであり、その結果、日本では円高不況を避けるために低金利政策が採られることになりました。そして、投機熱をあおってバブル景気へと突入していきました。しかし、日経平均株価は1989年の大納会(12月29日)に最高値の38915円を付けたのをピークに、暴落へ転じ、そこから1990年代中ごろにかけて、バブル景気は少しずつ崩壊していきます。このとき、最高値で株を売り抜けていったのが、ソロモン・ブラザーズなど外資系の証券会社でした。彼らはバブルの富だけを吸いつくして、その被害は受けなかったのです。

タイミングの悪いことに、1988年に決定され、1992年度末から本格適用となったBIS基準も、このバブル崩壊の流れを加速させました。BIS基準とは、「自己資本比率が8%を超えない銀行は国際業務を禁じる」という項目のある国際的な取り決めのことです。

日本の銀行の場合、取引企業の株が、自己資本の中に相当量組み込まれているケースが多くありました。バブル崩壊後の株価低迷のために自己資本比率が低下していたことで、BIS基準の適用によって邦銀の多くは海外からの撤退を余儀なくされました。

その結果、日本の金融機関全般への国際的な信用度も大きく低下することになったのです。さらに1997年以降、アメリカからの外圧によって断行された「金融ビッグバン」によって、次々と大手銀行が破たんする銀行危機が始まります。北海道拓殖銀行(北洋銀行・中央三井信託銀行へ事業譲渡)、日本長期信用銀行(現・新生銀行)、山一証券(メリルリンチへ事業移籍)、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)といった金融機関が、次々と破綻されられました。中でも印象深かったのが、1998年に経営破たんし、8兆円にも及ぶ公的資金が投入された長銀のケースです。

ハゲタカファンドの代表格であるリップルウッドからなる投資組合は、この長銀をわずか10億円で買収しました。その後、自己資本1200億円を投入して「新生銀行」として衣替えをして上場したことで、2200億円以上の利益を得たのです。なお、この買収劇の際、投資組合は、ライフ、そごう、第一ホテルなど、長銀と取引のあった企業を破綻に追い込み、瑕疵担保条項を用いて利益を確保する行為に出たため、非難を浴びました。まさに「ハゲタカ」たるゆえんがここにあると言っていいでしょう。

なお、リップルウッドといえば、CEOのティム・コリンズはビルダーバーグ・グループにもかかわる人物です。リップルウッドの背後では、ゴールドマン・サックスが糸を引いており、そのゴールドマン・サックスの顧問をかって務めていたのが、2003年から2008年まで日銀総裁の職にあった福井俊彦氏、という闇のネットワークが形成されています。歯肉をむさぼる場下駄かのごとく、日本の破綻企業から富を吸いつくそうとする暴挙がまかり通るのは、このようなネットワークがあってのことであり、その背後には、世界の金融と政治を操る闇の権力が控えています。そして、闇の権力と直結する彼ら「ハゲタカ」たちは、第二地銀など比較的地味な案件にもくまなく手を出しているようです。

例えば、1999年に廃業した幸福銀行は、2001年にロスチャイルド配下の乗っ取り屋ウィルバー・ロスによって「関西さわやか銀行」となり、2004年には同じくロスチャイルド系の三井住友銀行子会社の関西銀行に吸収合併されて「関西アーバン銀行」となっています。ウィルバー・ロスといえば、ネオコン系シンクタンクであるハドソン研究所において、ブッシュ・ジュニア政権のネオコン派リチャード・バールに影響を与えたともいわれる人物です。このように、闇の権力の魔の手は、日本経済の隅々にまで張り巡らされているのです。 

その最も露骨なケースが、小泉政権における郵政民営化でしょう。これは国内でしか投融資できない郵便貯金を、海外の市場で運用することを目指したものであり、300兆円を超える郵便貯金・簡易保険の半分は、すでに海外へ流出してしまっているともいわれます。

ゆうちょ銀行の債権管理業務を、ゴールドマンサックス系列の日本トラスティ・サービス信託銀行が、約10億円のマイナス落札で手に入れていること、ゆうちょ銀行でゴールドマン・サックスの投資信託商品を扱っていること、そして、ゆうちょ銀行の持ち株会社である日本郵政株式会社の社長であった西川善文氏は、ロスチャイルドゴールドマン・サックス系の三井住友銀行の特別顧問であったということ。これらの事実は、ゆうちょ銀行の実質的オーナーがゴールドマン・サックスとロスチャイルド家であるということを示しているといえましょう。

西川善文氏は、2003年に三井住友銀行がゴールドマン・サックスから5000億円の増資を受けた時に活躍した人物であるということも忘れてはいけません。一説に、この増資はゴールドマン・サックスにとって非常に有利な条件であり、その裏で間を取り持っていたのが小泉政権の経済財政担当大臣の竹中平蔵氏だともいわれています。もちろん、西川善文氏の日本郵政株式会社社長就任を導いたのを彼でしょう。

西川氏は日本郵政へ移る時に、三井住友銀行から5人ほどのの精鋭を引き連れてきました。彼らを使えば、他の銀行を骨抜きにすることなど造作もないといわれています。このように、竹中平蔵氏はアメリカの手先として、国民の大切な郵便貯金を海外へ流出させました。さらには金融庁を使って、厳格な時価会計基準を振りかざし、名だたる企業を次々と破綻させて、外資の手に渡しました。その彼は現在、タボス会議(世界経済フォーラム)のボードメンバーとして闇の権力とのつながりを密接に保ちつつ、民間人でありながら、依然として日本に対して圧力をかけ続けています。

なお、いわゆる「ゆうちょ問題」をめぐり、西川下ろしを画策した鳩山邦夫総務会長が事実上更迭されたことは記憶に新しいことですが、彼が竹中氏のそういった圧力を意識していたのは確かだとしても、その裏に潜む闇の権力にまでは気づいていなかったのではないか。私はそう考えます。もし気づいていたなら、それが自らの政治生命にとってどれほど危険なことであるか、もっとよく理解できていたはずです。



『世界金融危機と闇の権力者たち』


2011年06月11日(土) インドが通常兵器最大の輸入国に

スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は7日、2011年版年鑑を発表した。中国、インド、ブラジルなど新興国は力強い経済成長を背景に軍事支出を増大させ、、軍の近代化を進めている。中国やパキスタンとの緊張が増すインドは戦闘機や潜水艦の調達を進めるなど、この5年間で中国を追い抜き、世界最大の通常兵器輸入国となった。同年鑑によると、10年の軍事支出は米国が6980億ドルで世界全体の43%を占め、2位の中国1190億ドル、7.3%を大きく引き離している。インドは413億ドル、2.5%で9位だった。

米国のほかに軍の近代化が目立つのは、中国、インド、ブラジル、ロシア、南アフリカ、トルコの6カ国という。こうした新興国の台頭に伴い、06〜10年の世界の通常兵器取引高は01〜05年より24%も増えた。パキスタンとの間でカシミール問題を抱えるインドは、インド洋に進出する中国にも神経をとがらせており、戦闘機や潜水艦を調達して、空・海軍力を増強している。

05〜09年の通常兵器輸入額では中国が世界全体の9%を占め1位、インドは7%で2位だったが、06〜10年ではインドが9%、中国が6%と逆転した。中国は自国は自国製兵器の製造能力向上に努めており、軍事技術の盗用を恐れるロシアが中国への兵器輸出を抑えていることも中印逆転の一因になったようだ。今年1月現在の核兵器数は米国とロシアの核軍縮交渉で前年より2070発減って、国連安全保障理事会常任理事国の5カ国とインド、パキスタン、イスラエルの8カ国で2万530個(推定)である。インドとパキスタンはともに20発を増強したとみられている。

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東南アジア諸国がようやく、海軍力を見せつける中国にモノをいうようになった。これまでは、中国の武装艦が怖くて南シナ海の沿岸国が束になっても文句を言えなかった。先ごろ、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議では、発言者の誰もが中国を意識した。ある国は直接に批判し、ある国はやんわりとけん制する。「航行の自由」を取り上げれば、中国の南シナ海で、悪辣な振る舞いへの批判だった。「東南アジア諸国連合会(ASEAN)拡大国防相会議」に賛意を表する国は、豪州、インドという中国の対抗勢力の結集に期待を示した。それは当然の報いである。中国は南シナ海のほぼ8割を領海と主張し、威嚇の上に発砲、だ捕する。南シナ海をチベットや台湾並みに「革新的利益だ」と宣言し、逆らう者には問答無用の暴力をふるう。武力行使の垣根が低いのだ。

筋力をひけらかす中国に対抗できるのは、米国しかいない。「911」の米中枢同時テロ以来、久しく留守にしていた米国がアジアに戻ってきた。クリントン国務長官が昨年1月の演説で「アジア回帰」を宣言し、同年7月には中国が嫌う領海権争い解決への多国間交渉の支持を打ち出した。ゲーツ国務長官も「南シナ海の航行の自由は国益」であるとして、中国流でいう”核心的利益”を言い始めた。米太平洋軍はこの指針を実際の運用に動き出しているから、沿岸国には心強いはずだ。中国はこのアジア安保会議に、満を持して最高位の国防相を送り込んできた。昨年夏、ハノイで開催されたASEAN地域フォーラムで、米国がASEAN諸国の後ろ盾になったため集中砲火を浴び、米国に外交的な敗北を喫したからだ。

だが、日ごろの振る舞いが悪ければ、いくら美辞麗句を重ねても同じことである。こわもての梁光烈国防相が「中国軍の近代化は自衛目的で、他国に脅威を与えない」と演説を終えると、すぐにベトナムがかみついた。「南シナ海は全般的に安定との発言があったが、実は事件が多発している」タイン国防相はベトナムの資源探査船の調査ケーブルが、中国監視船に切られたことを表明した。フィリピンのガズミン国防相も続けて、スプラトリー(南沙諸島)周辺で「中国の建造物建設の動きがみられる」と文句を言った。2002年にASEANで署名した「南シナ海行動宣言」で新構造物の建設を自制するとした規定に反するとの批判だ。

米国は大東亜戦争で日本を叩いたように、歴史的にアジア太平洋の覇権国の台頭を許さない。ゲーツ長官が「100ドル賭けてもいいい。5年後も米国のプレゼンスは今と同じ状況にある」とくぎを刺したのもそうだろう。国務長官の念押しに、会場は拍手と笑いに包まれたという。この時、梁国防相の顔を見られなかったのは残念なことである。中国の南シナ海での振る舞いは、尖閣諸島のある東シナ海でも同じである。日本はアジア各国に連帯し、中国の力任せの圧力を封じたい。



『産経新聞』


2011年06月10日(金) 原発と時代の転換点

もともと原子炉は潜水艦の動力として戦争のために急いで開発されたがゆえに、未完成な技術だ、ということです。このことが今日に至るまでの根本的な問題状況なんだということを教えられました。日本では原発の安全基準は大学の先生がアルバイトでしている。スリーマイル島原発事故の根源には「安全神話」があった。危険を知りながら地震地帯に浜岡原発を設置、原発の推進と規制の分離もできていない状況だった。

使用済み核燃料は、10万年も管理が必要だとも。今から10万年前というと、ネアンデルタール人の時代だそうです。今回の問題でメディアはどうだったのででしょうか。1945年8月15日の日本の敗戦がメディアの「第一の敗北」とすると、2011年3月11日は「第二の敗北」です。前者はいうまでもなく国策としての戦争を「日本の生命線」とメディアが煽ったこと。戦後、メディアは「2度と戦争加担しない」と再出発したはずです。

戦後は経済成長が国策になり、原子力発電はいわばその中枢的なテーマになりました。メディアもちょっと首をかしげながら応援し、今度は「経済が日本の生命線」だと煽った。とくに大手メディアは、原発に警告を発してきた学者を、ほとんど登場させなかった。国策をうのみにし、結局、今日の事態に至ったことを思うと、第二の敗北です。安全神話には合理性がないとまず気付くべきでした。今度は原発から撤退する方向で着実に推進していくしかない。原発事故で住んでいたところを去らねばならない人のことを思うと、いま隣に原発を立てることを認める人はいませんよ。脱原発を次なる国是にしていくような時代の転換期です。次の国政選挙は、原発を大きなテーマにしたらいいと思っています。

 中曽根、田中体制が破綻

原発を推進した政治家は、自民党の中曽根さん。それを一種の地域開発に結び付けたのが田中角栄さん。乱暴に言えば「札束でほっぺたを引っ叩く」ことと、「安全神話」で住民を納得させてきた。今の事態は中曽根プラス田中の政治体制の巨大な破綻なんですね。東京電力というのは、日本資本主義のいわば正規の主流です。公共事業であり、すべての産業の基盤であり、かつ地域独占である。一種のエネルギーファシズムですよね。それが「財界」というものの中心にどかんと座っていた。自民党が一番堂々と後ろめたさなく付き合える相手が東電だった。東電の利益と自民党の利益は「日本経済の発展」という名目で、離れがたく結びついていた。原発事故がその結末だったのでしょう。

 民主と自民がメルトダウン

私も、何度か被災地に行きました。炊き出ししたり、がれき処理に必要なスコップを持って行ったり。避難所では元看護師の女性が、男性陣を従えてプールからトイレに水を運ぶパイプを作っていました。みんな家族を失ったりすさまじい体験の中で生きている。それでも自分より人の命を気遣っています。被災地で一番しっかりしているのが普通の人。次に必死に頑張っているのが自治体の長。全く無能力をさらしたのが中央政治。菅内閣への不信任騒ぎで、無残に暴露されました。政治のメルトダウンでです。共産党は不信任決議案に棄権しました。あの騒ぎで、どっちかに加勢するというのは恥ずかしいことです。棄権して本当に良かったと思います。

今回は自民党と小沢一郎民主党元代表が、とりあえず「菅降ろし」で一致して手を組んだ。大義のない話は、やはり破綻するんです。本当に国民を第一に思いやる政治ではなかったとしか言いようがない。政治は被災地のために力を合わせてやってくれ、というのが被災者の願いでしょう。


『週刊朝日』


2011年06月07日(火) 封筒の中には5万円が

…ところがそこへ機動隊が出動し、バリケードを築いて、漁民たちが船に乗れないよう動きを抑え込んでしまった。それでも必死で船を出した人たちは、海上保安庁に逮捕されました。似たようなことは、原発が建設される他の土地でも起きています。反対のデモなどしようものなら、公安警察が来て写真を撮られる。これは大変な恐怖です。電力会社が反対派の人々を写真撮影し、「業務を妨害した」として訴訟を仕掛けたケースもあります。お金と権力を総動員して、反対派を封じ込めるのです。

賛成派を増やす工作も熾烈です。例えば、核施設の建設に全員が反対していたある集落の話。そこの各家庭を、電力会社サイドの人が毎日、「説明を聞いてください」と訪ねて回るようになりました。農民も漁師も、毎日お客さんに来られては仕事にならないので、「話はわかったからもう来ないでくれ」と頼みました。すると「わかりました。そのかわり我々の説明会に来て下さい」といわれる。根負けした住民が全員で説明会に参加すると、「資料です」と言って封筒を渡された。帰って中を見ると、5万円の現金が入っていました。

これを受け取ってしまうと、返すに返せません。しかも「説明会はあと5回やります」という連絡が来る。そうなると、お金がない人が多いので「もらえるものはもらっておこう」となって、やがて反対論は下火になっていきました。それでも「金など欲しくない」と突っぱねる少数の人たちは、「へそ曲がり」と非難され、いじめの対象になる。さらに「○○さんは別に金をもらっているらしい」といった噂が広がり、みんな疑心暗鬼になる。こうなると人々は完全にバラバラで、電力会社側の思う壺です。反対運動などできるわけがありません。

こうして原発ができ、原発城下町となった地元でよく起こるのが、巨額の補助金などを見込んだ過剰な投資。その典型がさまざまな「ハコモノ」を造ったものの、やがて維持できなくなり、借金返済に追われ、自治体の財政が危機に陥る、というパターンです。福島第一原発がある双葉町は、まさにそうやって早期健全化団体、つまり破綻状態に転落しました。その結果、9億円の初期対策交付金欲しさに、既存の第5、第6号機に続いて、第7、第8号機も誘致していた。原発による破綻を原発依存で立て直そうという、完全な悪循環です。

伊方原発のある愛媛県伊方町では、過疎化と少子化が進み、住民の所得水準も下がってしまいました。荒廃する農地も増えている。「原発ができて結局、いいことは何もなかった」と漏らす住民も何人もいます。放射性物質が堆積することも、原子力と他の産業との共存を極めて難しくします。特に農地や海が汚される第一次産業には大打撃。住民が団結して頑張ろうにも、建設段階で分断されている。地元の活力も人の心も疲弊する。悲劇としかいいようがありません。



『週刊現代』


2011年06月06日(月) 値下がりしたマンション

不動産経済研究所によると、4月の首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉)の新築マンションの販売戸数は、前年同月比で27.3%も減少しました。マンション大手が販売を自粛した影響もあるでしょう。契約率でみれば76%と、好調の目安である70%を超えている。思ったよりも落ち込みが少なかったという印象を受けています。

ただ、買う側の意識に変化が起きている。地震の揺れが大きい高層階よりは低層階を選ぶ。歩いて帰宅できるよう都心の物件を選ぶ。液状化の不安がある湾岸地域を避けて、地盤の固い内陸部を選ぶ。東日本大震災の影響は確実に出てきている。そういう意味で、マンションの値段が急落する地域と、値崩れしにくい地域が二極化しているのだと思います。

私は普通のサラリーマンは何十年ものローンを組んでまで住宅を買うべきではないという考え方です。現金で買うならかまわない。あるいは住宅ローンでも、年収の2〜3倍程度で済むならいい。しかし、不動産情報サービス大手の「東京カンティ」の調査では、‘10年に首都圏で分譲されたマンションの平均販売価格は、まだ平均年収の8倍近い。

よく「買わないと、自分のものにならない」といいますが、それはローンを完済した時の話。抵当権が付いているうちは、実質的に自分のものとはいえない。例えば、「3.000万円を固定金利3%、返済期間35年」で借りた場合、最終的に約4.800万円も支払うことになる。金利だけで1.800万円。年収の数倍になります。

今後、右肩上がりの経済は期待できない。勤め先が倒産する。ボーナスや給料が引き下げされる。そうした事態も想定して、住宅を買うべきが考えなければならない。しかも、デフレでは、借金の実質負担が重くなる。台風や地震など自然災害で家を失い、二重ローンを抱える可能性もある。住宅を購入する時は、自分たちの親やその上の世代と同じ感覚で考えてはいけません。




『週刊現代』


2011年06月04日(土) 注射相撲

2月26日、相撲協会は八百長問題の再発防止委員会のメンバーを発表した。親方衆からは、出羽の海(元関脇・鷲羽山)、中村(元関脇・富士桜)、芝田山(元横綱・大乃国)、玉ノ井(元大関・栃東)、立川(元関脇・土佐ノ海)が選ばれた。これ、ガチンコ力士として有名だった親方だけがメンバーに選ばれているんですよね。なんだ、協会はわざわざ調べなくても、ガチンコと注射を区別できているんじゃないかと思えるほど。面白いですね。

ガチンコか注射かは、この世界に数年いればわかります。僕の知る限りで、幕内で確実にガチンコ力士といえるのは、今年の初場所の番付では4人だけ。安美錦(伊勢ヶ濱部屋)、稀勢の里(鳴門部屋)、若の里(同前)、高見盛(東関部屋)です。安美錦は、実際に注射を断っているのを見ました。相手は誰かわかりませんが、交渉しに来た付け人に対して「いやいや、やらないやらない。無理無理」といっていた。

安美錦はあの朝青龍にもガチンコでぶつかっていきました。朝青龍に勝った時、翌日の支度部屋で、朝青龍から「お前覚えとけ。巡業楽しみにしとけよ」と凄まれたこともあります。当時ボクは安美錦の付け人で、すごく怖かった。でも本人は、「どうしよう、巡業休もうか」と茶化していましたね。仮に八百長で星の貸し借りをしていたなら、相手が脅しなんてこないでしょう。安美錦は若い衆が昼寝している間も、自分一人だけジムでトレーニングに励むような人で、夜遊びもしない。今でも力士の鏡だと思っています。

稀勢の里もガチンコとして有名ですね。立ち合いで朝青龍の顔を思い切り張れたのはこの人くらい。支度部屋では付け人2人を吹っ飛ばすほど、いつも迫力満点のウォーミングアップをしています。結果が決まっていたらそんなに練習する必要もない。

八百長の見分け方にも通じる象徴的な一番があります。昨年の九州場所、白鵬の連勝記録を止めた時、白鵬が砂かぶり席まで吹っ飛ばされていた。ガチンコだからこそ、ああなるんです。稀勢の里同部屋の若の里も絶対やってません。あそこの部屋(鳴門部屋)は非常に厳しくて、変な相撲を取ったら、関取だろうがなんだろうが部屋に帰って親方に殴られますからね。親方はガチンコで有名だった”おしん横綱”隆の里です。

一度、鳴門部屋に出稽古に行った時、若の里がウチの大関(日馬富士)に稽古で負けたことがあった。翌日、同じく出稽古に行くと若の里の体に大きなアザがあるので驚いたんです。部屋の若い衆に聞いたら、前日に稽古場で親方から竹刀で殴られたと。稽古で負けただけでこうなんですから、本場所で注射なんてしたらどうなることか。

高見盛は、ボクが言うのも何ですが相撲がワンパターンで下手なんです。ガチンコのふりして負けるなんて器用なことはできないでしょう。それにやたらとゲンをかつぐ人で、トイレで一緒になった時、空いている小便器があるのに「昨日は端の便器で小便して勝ったから、そこでやる」と空くのを待っていた。この人が取り組み直前まで対戦相手を知らないのは有名な話ですし、ガチンコで間違いないと思います。

支度部屋で見ていれば、他にもガチンコだとわかる力士はいます。栃煌山と栃の心(春日野部屋)、豊ノ島(時津風部屋)、琴奨菊(佐渡ヶ嶽部屋)、豊真将(鐡山部屋)、豪栄道(堺川部屋)は、昔は知りませんが、少なくとも今はやってないと思う。

中でも琴奨菊は、支度部屋で、まわしに水を含ませて時間をかけてキツく巻いているのを何度も見ました。こうするとまわしの中に指が入りづらくなり、相手に取られにくくなるんです。八百長の時は、こんな面倒なことはしない。

それから注射はケガ防止の側面が強いので、危険と隣り合わせの迫力ある相撲にはなりにくい。土俵際での投げの打ち合いや打っちゃりはガチンコが多い。土俵から落ちればケガをする危険が高いからです。逆に、ガチンコだと「吊り」や「寄り切り」といった決まり手にはなりにくいですね。真剣にやっていれば、土俵から飛び出すはずですから。

稀勢の里と白鵬の一銭角がいい例です。だから砂かぶり席は、本当はすごく危ないと思う。あれが存在するのは、八百長が一程度存在してきたからというのは言い過ぎでしょうか。ガチンコ力士は常にケガの危険と隣り合わせです。それが八百長がはびこる一因にもなっています。

同じ部屋のある力士にこんなことがありました。タニマチが体育館まで送ってくれる車中で、「今日、ガンバレよ」と声を掛けると、彼は「今日は大丈夫っス」と、腕に注射する格好をした。タニマチが「いい加減にしろよ」と笑いながらいうと、「仕方がないッス、まだ年寄りとして残れないんですよ。あともう少し頑張らないと」といっていたんです。ケガを避けて現役を続けるために、注射に走る者も多い。



『週刊ポスト』


2011年06月01日(水) 君が代起立命令は合憲

最高裁が初判断「特定思想強制せず」

卒業式の君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するなどとして、元都立高校教諭の申谷雄二さん(64)が都に賠償を求めた訴訟の判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初判断を示した。その上で、申谷さんの上告を棄却。申谷さんの敗訴とした2審判決(09年10月)が確定した。

元教諭の敗訴確定
公立校での君が代斉唱をめぐっては、最高裁が17年2月、都内の小学校長が音楽教諭にピアノ伴奏を命じた行為を合憲と判断したが、教職員全体が対象となる起立斉唱命令について憲法判断したのは初めてである。

裁判官4人全員一致の判断。小法廷はまず「起立斉唱は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではなく特定の思想を強制するものでもない」と指摘した。ただし、起立斉唱行為を教員の日常業務に含まれないとした上で「国家への敬愛表明を含む行為で思想と良心の自由に間接的制約となる面がある」と位置付け、間接的制約が認められるかどうかは「命令の目的や内容、制約の態様を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべきだ」との判断基準を示した。

その上で申谷さんのケースを検討。教育上重要な儀式的行事では円滑な進行が必要である△法令が国歌を「君が代」と定める△「全体の奉仕者」たる地方公務員は職務命令に従うべき地位にある。ことを挙げ「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と結論付けた。

申谷さんは04年3月、当時勤めていた都立高校の卒業式で。校長命令に反し君が代斉唱時に起立せず、戒告処分になった。07年3月の退職を前に非常勤職員としての再雇用を都教委に申し込んだが、不合格となった。

………

君が代斉唱時の起立命令を合憲とした最高裁の判決を受け、敗訴が確定した原告の元教諭、申谷さんは判決後の会見で厳しく批判した。65歳の再雇用期限まで残り1年弱。「もう一度子供たちの役に立ちたい」と願い続けた教師の思いは断たれることになった。

上告を棄却する」。最高裁第2小法廷に須藤裁判長の声が響くと、傍聴席をうずめた支持者らは静まり返った。裁判員4人が退廷するまでだれも立ち上がらず、「国民主権が泣くよ」とつぶやく声も聞かれた。申谷さんは東京都立南葛飾高校の教諭だった04年3月、死卒業式で起立せず「教育公務員としての職の信用を傷つけた」として戒告処分を受けた。

同4月から赴任した別の高校では「生徒を巻き込みたくない」と君が代斉唱を伴う6回の行事すべてで起立したが、07年3月の定年後の再雇用を拒否された。30年余の教員生活で、懲戒処分はこの戒告のみ。1度の処分を理由に希望した再雇用を拒まれ、07年12月の提訴から約3年半を法廷闘争に費やした。

「予想以上に裁判が長引いた。権力者がいつも得をする」。申谷さんは、再雇用期限が迫ってもなかなか司法の結論が出なかったことへの不満も口にした。申谷さんは、大阪府議会に教職員が起立して君が代を斉唱することを義務付ける条例案が提出されていることにも触れ、「良い教育のために教師は日々努力をしており、政治家の圧力で強制的にやり方を曲げられると無力感が生まれる」と訴えた。


『毎日新聞』5/31

国旗や国歌に対しては本来、自然発生的に敬意や愛着が生まれるのが望ましく、法令によって強制するのはおかしなことではある。しかし、教育現場で日の丸・君が代について教えることに反する教員がいるのであれば、条例によって規律や斉唱を義務化することともやむを得ないだろう。
 
桜井よしこ


加藤  |MAIL