加藤のメモ的日記
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2010年10月29日(金) 夜逃げ、失踪は地獄への近道

借金を逃れるために、昔から、「夜逃げ」をするということが一つの手段としてあった。しかし、法律上いかに夜逃げをしようと借金をまぬがれることなどできない。サラ金業者など厳しく取り立てるところほど、どんな手段を使ってでも夜逃げをした債務者の居場所を探し出そうと、どこまでも追いかけてくる。

たとえ身内にも連絡を取らず、また住民登録をそのままにしておいたとしても、おいそれと逃げ切れるものではない。世間に流布されている貸し主から5年間逃げ切れれば、時効が成立して借金がなくなるという話は間違いである。例えば貸し主が何もしないとすれば5年間で時効は成立するが、一般的にサラ金業者などは、借り主の行方が分からないからといって黙って放っておくことなどはない。

時効が成立する前に裁判などによって時効を中断するのが普通である。こうなると、その中断の時から10年間は時効にならない。その間に居場所がわかってしまうと、再び厳しい取り立てが始まる。つまり夜逃げや失踪では何の解決にもならない。どんなに多額の借金を抱えていても、自己破産申し立てをして免責決定を受ければ、だれでもが多重債務から解放される。
 
 夜逃げをしても支払い債務はついてくる

借金苦による夜逃げは、十数万人に及ぶだろうといわれている。多重債務者が夜逃げをすると、住民票の移動がないかサラ金やクレジット会社が常に監視しているので、夜逃げをしても住民票を移動できないでいることが多いようだ。役所には債務者の借用書を出せば、債務者の住民票はとることができる。なかには、サラ金の追及を恐れ、偽名で逃亡生活を続けている人も少なくない。

前島、巌さん(仮名・49才)は、サラ金からの厳しい督促にたまりかねて夜逃げをした。「どうせ一人者なんだから、かまいはしない」そう考えて大阪から東京に逃げた。仕事はフリーターのようなことを転々としていたが、そのうち恋人もでき、まともな就職がしたくて住民票を移動した。そうするとすぐさまサラ金からの取り立てが始まった。

住民票を移動させなければ、ちゃんとした仕事に就くことは困難である。又健康保険に入ることもできないので、病気になれば治療費は全額自己負担になる。小学校や中学校の子供がいる場合は、義務教育だから学校に行けないということはないが、正式入学ができず仮入学ということになる。もちろん選挙権の行使もできない。

前島さんも、今度は腹を決め自己破産しようと相談に来たのだが、どんなに多額の借金を抱えていても、自己破産をして免責決定さえ受ければ、多重債務から解放される。多重債務を抱えて行き詰っているのなら、弁護士や弁護士会などの相談窓口に相談に行って、自己破産の手続きをとるべきである。

たかが借金ぐらいで自殺や夜逃げをしてはならない。現在のサラ金は、いかに夜逃げをしてもあらゆる手段で居場所を探出し、どこまでも追及してくる。また、法律的にも、夜逃げをしても借金の支払い義務をまぬがれるわけではない。


『借金地獄脱出マニュアル』

結局、同じ貸金業でも融資の時に担保をとる銀行と、担保なしで貸すサラ金の違いである。担保をとらないからこそどこまでも探し出そうとする。


2010年10月28日(木) 死んだ親の年を数える

「死んだ子の年を数える」ということわざがある。あの子が生きていたら今頃何歳になっているだろうか、などと数えることで、未練を引きずったり、役に立たないことをすることを戒めることわざとされてきたものだ。ところが、最近「死んだ親の年を数える」ということわざが生まれつつあるようなニュースが連日のようにテレビで流されている。死んだ親の葬儀をしないで放置し、あたかも親が生きているかのように装って、その年金を受け取るという事件の数々である。

こういうニュースを受けて、石原東京都知事は「ひどい日本になったものだ」とインタビューに答えていた。親の葬儀をしないなどということは、今までの日本には考えられないことだというような趣旨の文脈での発言だったと思う。親を敬うことをせず、だから親を弔うこともできず、ひどい日本になってきている、というイメージの日本である。そこには日本人の道徳観やモラルの低下が見受けられうのではないかと。

都知事の発言を聞かれてそうだなと思われた人もたくさんおられたと思う。それでも私は、少し違う感想を持ったものだ。たしかに親の葬儀をしないで、生存を装って年金をだまし取るというのは、もってのほかである。ましてやミイラ化した遺体を押し入れに入れたまま何年も過ごしているなどということは、普通には想像もできないことである。激しい死臭もするであろうし、どうやってそんな醜悪な暮らしに耐えられたのだろうと、普通なら思う。だから、そんなことを平気でする日本人が現れてきたとは私には到底う思えない。

これらの「親の年金詐取事件」とも呼べる事件は、「ひどい事件」ではあるが、どこかで「やりきれない事件」でもあると私は感じている。こういう事件の背後には、たとえば都知事のように恵まれた家系に育った人たちにはわからない悲しみがあるのではないかと私は思う。都知事の父親は兵庫県の山下汽船に勤め、丁稚から重役となった人物である。

恵まれた家系の親がなくなれば「遺産」が子供たちに残される。例えば亡くなった俳優や歌手の場合であれば、映画や歌の「印税」が入ってくる。本人は亡くなっても、あたかも生きているかのようにして、子供に引き続き支払われてゆくものがある。ある意味ではそれらには、「死んだ親の年金」のようなところがある。

しかし、そういう恵まれた親や家計に生まれていない人たちは、そんな「死んだ親の年金」を受け取ることができない。だから実際に「死んだ親を死んでいないように見せかけて」その年金をもらい続けようとする者が出てくる。そういう事件の背後には、地域で支え合う共同性を失ってきた日本人が、「三世代」を支える仕組みを失い、個人を個人で支える「おひとりさま」を生きるようにしてきた問題があるはずである。

そんな中で、職がなく、生活費がなくなってゆけば自分で自分を支えることができないものだから、「死んだ親の年金」を当てにする発想をとろうという人たちも出てくる。たしかにその人たちの詐欺性や犯罪性やモラルの退化をあげつらうことは簡単だが、一方でそんなことをしなくても正当に、「遺産」という名の「死んだ親の年金」を受け取れる人もいることを思うと、その人たちへの批判だけではなく、やはり国を挙げてもっと底辺の貧困な人々を支える「三世代施策」を考えてゆかないといけないのではないかと私は思わないわけにはゆかない。


『潮』


2010年10月25日(月) 電磁波の恐怖

私たちは快適な環境が健康生活につながるものと信じて疑わなかった。氾濫する家庭電化製品は、すべて便利で快適な生活を謳歌できる道具だった。ところが、この便利で快適なはずの機器が、一方で人体に対して思いもよらない影響を与えているとしたら、これは気軽に見逃せる問題ではない。

電気毛布に限らず私たちの周辺には、高圧電線をはじめとして、電子レンジ、携帯電話、パソコン、ワープロ、ファックス、コピー機、ホットカーペット、エアコン、電気毛布など電磁波を出す設備や製品が氾濫している。そして人工的に作り出された電磁波が、なんと、成体の細胞レベルでの障害を引き起こすというのである。便利で快適な生活を提供してくれるはずの電機機器が、逆に私たちの健康を脅かす凶器になっているとしたら……。

電磁波は遺伝子を傷つけるのではないか。免疫力を低下させてウィルスやガンに対する抵抗力が喪失するのではないか、など不気味なデータが次々と発表されはじめた。だが、欧米先進国が何年も前から大騒ぎしているのに、我が国の官公庁や企業は国民の健康生活となると極めてのんびりとしたもの。どこ吹く風といったところだ。

スウェーデンやアメリカをはじめ世界の先進国が、たとえば高圧送電線と小児白血病との関連を警告し続けているのに、我が国の環境庁や資源エネルギー庁は、「健康に対する有害な影響は認められない」と、開き直ったような発表をしている。果たして本当なのだろうか。はっきりいって私たちは彼らの言うことを信じられなくなってきている。

エイズ禍を招いた非加熱血液製剤の時も、水俣病の認定をめぐった論争の時も、発電用高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故の時も、東京都西多摩郡日ノ出町のごみ処理場のデータ公開の時も、TBSが取材ビデオをオウム幹部に事前に検閲させて放映を中止した騒ぎの時も、すべて同じだった。
この国の役人や企業の幹部たちは、事実をひた隠しする以外に脳がないのか。国民の健康を守るなんて言う意識は彼らにあるのだろうか。
 
電磁波はどのようガンを誘発するのか

電機機器そのものの電磁波規制に関しては、その理由が外圧であれ何であれ、我が国のお役所もそれなりの対応を示したが、人体の健康に対する影響については、欧米先進国の動きをよそに、「無害です、無害です」とくり返すだけ。だがあまりにも前近代的な非加熱血液製剤の前例(薬害エイズ事件)があるので、御用学者のデータをうのみにするほど、私たちもお人よしになれない。

電磁波による健康破壊の実態は、十数年前から特に欧米を中心に明らかになっている。また世界の著名な学者たちが電磁波の影響について、ショッキングな報告を次々と発表し始めたのである。米ジョンズ・ホプキンス大学のジュヌビェーブ・マタノフスキー博士は、「電磁波は人体のDNAなどの遺伝子を構成する核酸に障害を与え、正常な細胞分裂を狂わせてしまう。同時にガン細胞の成長を活性化しガンの発生率を高めてしまう」と警告した。

さらには又ダニエル・ライル博士は、「人体には体外から侵入する細菌やウィルスなどを排除する免疫という働きがあるが、この中心的役割を果たしているヘルパーT細胞の持つ免疫の働きが低周波電磁波にさらされると低下してしまう。つまり感染症やガンなどに対する抵抗力が低下してしまう」と主張した。

なんと人体に無害どころか、無自覚に電磁波を浴び続けると、成体に対して細胞レベルで障害を引き起こし、ガンや感染症にかかりやすくなってしまうというのだ。これらの報告で世界中が沸いた。ヘルパーT細胞というのは、人体の中でその生命を防御するために戦っているリンパ球の一つで、他にキラーT細胞、NK細胞などの仲間がいて、それぞれの役割を果たすため、血液の流れに乗って全身を駆け巡っている。

これらリンパ球の中で、ヘルパーT細胞は、マクロファージという何でも食いつく大きな細胞から侵入異物に関する情報をもらって、攻撃指令を発する役割をしている。そのヘルパーT細胞の働きが電磁波により低下するのだから、戦闘のさいに参謀を失ったようなもので、侵入してきた異物は何の抵抗もなしにのさばり歩くことになるのだ。ガンや感染症が猛威をふるうのは当然の結果だろう。

電磁波が生理学的に人にどのような影響を与えているのか、その詳しいことはまだわかっていない。ある量の電磁波を浴びればだれでもある一定の症状が現れるというではない。この辺、煙草やアルコールの影響と似ているかもしれない。何十年にもわたって毎日たばこを50本、アルコールを日本酒換算でお銚子3本というような量を摂取し続けても80,90才まで長生きする人がいる。

だが疫学的な調査を行なうと、たばこを吸い続けている人は、明らかに肺ガンが多発するし、大量のアルコールを常用する人は、かなり高い確率で肝硬変から肝ガンに至るコースを歩むことになる。電磁波の場合も、人によってその影響力には大きな差があり、敏感に反応する人もいる。本来電磁波による症状は、疲れやすい、目が回る、気分が悪いというような漠然とした訴えが多いが、当人にとっては深刻だ。


『電磁波の正体と恐怖』


2010年10月24日(日) 日本も恫喝カードを使え

法も自由もない独裁国家というのが、中国の真の姿であることを、日本の政治家以外はみんな肌身で理解している。今回の事件対応で愚の骨頂だと思えたのは、菅や仙石が「中国を激したくない」と考えて、衝突時のビデオを公開しようとしなかったことである。菅は首相でありながらビデオを見ていないと、国会答弁で言ってのけた。

仙谷にいたっては記者会見で、ビデオは刑事事件の証拠なのだから公表しない。刑事事件捜査は密行性を持って旨とするというのは、刑事訴訟法のイロハの「イ」などと、弁護士であることを笠に着て偉ぶってみせた。そんなところで法の原則論を振りかざすならば、なぜ明らかな公務執行妨害を犯した人間を、処分保留などというあいまいな形で釈放したのか。内弁慶にも程がある。

今回の漁船の乗務員は、明らかに軍の訓練を受けている人間だった。船ごと体当たりするなど、訓練を受けていなければできるものではない。つまり、中国は今回の一件で日本を試していた。日本の指導者は骨があるのか、肝が座わっているのか、新政権をテストしたのだ。

菅や仙谷は箸にも棒にもかからない初期対応をした上に、いまだに「戦略的互恵関係を築く」などと戯言を言っている。マスコミも“雪解けムード”などと報じているが、これでは中国がさらに図に乗るに決まっている。中国は交渉や話し合いをしようにも、一筋縄でいく相手ではない。したたかさでは向こうが一枚も二枚も上手だと認識しなくてはならない。

以前私が取材で中国の内陸部を訪れたとき、移動中の飛行機の中でBGMとして突然「日本の演歌」がかかってきたことがあった。訪問先で共産党幹部に取材をすることになっていたから、そこから手が回っていた。もてなす心配りを見せて、こちらを凋落しようという心づもりなのである。油断して心を許そうものなら、常に監視していいる公安部が弱みを握ろうと動き出す。

中国で拘束されたフジタの社員たちにしても、不用意な部分があったというしかない。いざとなれば中国がどんな卑劣な手段でも使う国家だと、彼らはどこまで理解していたのだろうか。平時と非常時で、中国は全く別の顔を使い分ける。それを“平和ボケ”した多くの日本人は知らない。

亡くなった自民党の中川昭一氏が東シナ海での中国の振る舞いを「右手でこちらと握手しながら、左手で殴るタイミングを探している」と評したが、言い得て妙である。中国が今、多少話し合いに応じる素振りを見せているのも、裏にははしたたかな計算があると疑ってかからなくてはならない。

そういったことを理解していない民主党の政治家たちは、小沢一郎とその子分たちのように、訪中して胡錦濤と満面の笑みを浮かべて記念写真におさまって満足してしまう。小沢氏の大訪中団のルートが、今回の事件の初期対応で役立ったという話はつゆほどにも聞かない。

では、中国のような国を相手にする時にはどうすればいいか。ポイントは2点ある。「どれだけ相手に脅威を与えるカードを持っているか」ということと「そのカードの見せ方、使い方を知っているリーダーがいるか」にかかってくる。

私はこういう時のためにこそ「核武装」という“最終カード”を持つことを日本は検討すべきだと考えているが、そこまでいかなくとも、切り札を用意することはできる。例えば「日米同盟」というカードを日本はすでに持っている。今回の事件は、その脅威を中国に見せつけるチャンスでさえあった。アメリカはどの程度本気で日本を助ける気があるのかを確認するいい機会だったのだ。

ところが、訪米した外務大臣の前原は「クリントン国務長官は助けてくれると言っていた」と吹聴するばかりで、様子見を決め込んでいるアメリカに何のアクションも求めてこなかった。具体的条件を全く提示しなかった。これはアメリカ側からリジェクトされる可能性もあることを考えれば、もちろんリスクを伴う“実験”である。

しかし、中国のような国家と向き合うためには、政治家がそれだけの覚悟を持ってギリギリのせめぎ合いに挑む必要がある。”恫喝カード”の数を増やしながら、カードの見せ方、切り方を、全身全霊をかけて考える。これこそが国を動かす者たちの果たすべき責務であるもちろん、「衝突時のビデオ公開」も一つのカードだった。だが、今回の交渉を取り仕切った元社会党という出自を持った官房長官は、早々にそのカードを放棄してしまった。

元全共闘の闘士であった官房長官は、さぞや中国に対する深い愛情があるのだろう。しかし、国益を損なう判断ばかりする人間が、いつまでも国の中枢にいるようでは、日本に先はない。国際政治はサバイバルだ。「友愛」だの「過去の侵略に謝罪したい」だの言っている連中にはこの国は救えない。

外交による国益とは、残念ながら「世界中の国々と仲良くすること」によって得られるものではない。それはこれまでの人間の歴史が証明している。国際政治の世界では「他国を出し抜いてでも」と考える戦略、知略を持たなくてはならない。したたかな中国と向き合うのに、今の日本の政治家はあまりにも「無知」だ。

ただし、それには国民やマスコミの側にも責任がある、今回の中国漁船衝突事件が起きたタイミングは、民主党代表選の真っ最中だったが、選挙期間中に2人の候補は尖閣諸島の問題にほとんど触れていない。それに対して、マスコミからの疑問の声はなかったし、民主党の党員、サポーター、その他の国民からもそれを問う声は上がらなかった。

真のリーダーを生み出せるのは、成熟した国民による絶え間ない監視である、今の日本は窮地に追い込まれている。だからこそ、一人一人の国民が危機感を持って一刻も早く「無知」を克服し、「無知な政治家」を駆逐しなくてはならない。


SAPIO


2010年10月23日(土) 日本の先生

中国は今も昔も”平和ボケ”日本の先生

日本は古代より中国の文明を受け入れて発展してきた。稲作、仏教、都市計画や建築様式、味噌や豆腐など、中国から習って発展させた文化はきりがない。先日の尖閣諸島領海侵犯事件も、中国が平和ボケ日本に教えを垂れてくれたものではないだろうか。

日本人の大半は、憲法9条を拝んでいたら戦争が起きないと思っている。しかし、憲法前文の「平和を愛する諸国民」などどこにもいないことを中国は見せてくれた。「油断するとこうなるよ」という前例も示してくれた。南シナ海の西沙、南沙諸島だ。

早く中国の教訓を生かして、自分の国土は自分で守る普通の国になろうではないか。中国はやはり日本の先生だ。



サピオ


2010年10月21日(木) 日本の村社会

日本で最悪の”村社会”は記者クラブだ

日本がアメリカより遅れていて、アメリカが絶対的に良いというつもりはない。むしろ日本はアメリカよりも優れている面が多々あるということを知ってもらいたいし、それをどうすれば生かしていけるのかを伝えたいとも思っている。

だが、ことメディアの問題については、日米間にははっきりとした優劣があると言わざるを得ない。日本のマスコミは「閉鎖的な村社会」であり「国際的な大都会」とも言えるアメリカとは違っている。要は閉鎖的とオープンの違いである。どちらが世界に通用するかは自明である。

日本ではどのメディアであれ、記者たちは入社一年目から記者として働き、似たり寄ったりのキャリア・パスを歩んで、出世コースを上がっていく。そして出世した連中が会社の方針を決め、はみ出し者の記者を許容しないようになっていく。その極致とも言えるのが「記者クラブ制度」である。

これは正真正銘の悪しき習慣・制度だと言える。記者クラブに加盟している社の記者以外は、取材会場にすら入れないという閉鎖的な制度だ。だからこの国の政治家のスキャンダルは雑誌メディアから発信される割合が非常に高い。記者クラブに加盟している者は、自分たちが取材を独占できるという”利権”を守るために権力者たちの顔色を窺ったような提灯記事を垂れ流す。

権力者から規制で守ってもらっている者たちが、健全な批判精神を持ったままでいられるわけがないだろう。現場の記者たちは、そういった環境が普通だと思ってしまっている。民主党は、政権を取る前こそ「記者クラブ解放」などといていたが、政権をとったら、一部の会見こそフリーランスのジャーナリストも入れるようにしているが、「解放」にはまだ遠いのが現状だ。

そして記者クラブに加盟している記者たちは、健全な自由競争がなく、自分たちの立場が脅かされないのをいいことに、官邸や省庁で発表される情報で記事を流すだけに終始する。もしくは政治家に張り付いてぶら下がりの取材ばかりして、内輪揉めに関する記事ばかりを作る。官邸や省庁の建物の中で、廊下に座り込んでパソコンを叩いている記者たちを見ると、コンビニの前に座り込んでいる職業不定のあんちゃんたちと何が違うのか全く分からない。

アメリカの大手メディアでは、「ニューヨーク・タイムズ一筋数十年のコラムニスト」や「一年目からずっとABCの記者としてキャリアを積んできたアンカーマン」という者にはまずお目にかかれない。ほとんどの記者は地方紙や地方局でスクープや質の高い報道で名をあげて、より大きなメディアにスカウトされていく。人材の流動性が高いから、自由競争の原理、実力主義が徹底されている。

もちろん記者クラブ制度のようなものはないから、自由闊達な議論や自浄作用も一程度ある。日本のサラリーマン・ジャーナリストたちとは全く異なる。そもそも「ジャーナル」とは「日誌」「日記」という意味で、「ジャーナリスト」には「その不暮らしの仕事」といった意味合いが含まれている。本来はサラリーマンとは対極にある仕事なのである。

それなのに各社横並びの報道をして、新聞休刊日まで歩調をそろえている日本の大手新聞社の仕事は、果たして「ジャーナリズム」と言えるだろうか。閉鎖的な記者クラブがある日本でのうのうと暮らしている記者がいる一方、世界では紛争の真っただ中に果敢に飛び込んでいくジャーナリストたちがいる。残念なことにそういった大切なジャーナリストの仲間が命を落としていくことは少なくない。

2010年の4月10にも、バンコクで治安部隊と反政府デモの間で起きた衝突を取材していたロイター通信日本支局のカメラマンが銃撃を受けて死亡した。世界では殉職するジャーナリストたちが後を絶たない。国際NPO「ジャーナリスト保護委員会」の調べによれば、09年に殉職したジャーナリストは71人であった。戦争取材はいつの死と隣り合わせだ。

そうした現場に身を投じている仲間と、日本の村社会に安住している人間が同じ「ジャーナリスト」という肩書で呼ばれていることには、いつも違和感を抱き続けている。ジャーナリズム以外のジャンルでも、すべてに通底しているのは、リスクを取って、自らアクションを起こすという行為は尊いものだということだ。閉鎖的な村社会に留まったままでいようとする日本のマスコミに一番欠けている姿勢だとも言える。

堕落したこの国のマスコミは、自分たちの身を守ることに汲々としてしまい、取材対象への健全な批判精神も、タブーにも踏み込もうという気概も感じられない。命をかけて取材をしているという記者が、どれほどいるだろうか。これは何も新聞・テレビだけの問題にとどまらない。日本という国が国際社会で生き残っていくためには、大メディアの意識改革が不可欠だ。

「村社会メンタリティー」に染まった国の民は、必然的に世界から孤立していくことになる。メディアの無知を、読者、視聴者が変えていかなければ、この国に待っているのは「没落」だけである


『無知との遭遇』


2010年10月18日(月) ドクターハラスメント・再発ガン

私はこの患者さんにこうすすめました。「とりあえず、できるだけ速やかに退院してください。入院したままではまともな判断ができなくなります。まったく束縛されない自由な立場で考えられる環境をまず作るべきです」この患者さんは、私のアドバイスを受け入れて一時退院しました。退院後この患者さんは、がん専門病院など数か所の病院でセカンドオピニオンをとり、最終的には手術ではなく放射線抗ガン剤併用療法をご自分で選択しました。

現在治療を終えガンは完全に消失し、経過観察をしています。入院したまま、結果を説明し治療法を押しつけるのは、卑怯な手口です。人質をとって逃げられないようにしておいて、そんな状況で説明し、何がインフォームドコンセントなのでしょうか?百歩譲って検査入院を認めたとしても、検査が終わればいったん患者さんを退院させ、身も心も自由な状態にしてから、改めて結果説明や治療法の説明をすべきです。

これが公正なやり方ではないでしょうか。この手のドクハラで、もっとすさまじい例があったのでこれも紹介しておきましょう。この患者さんの場合、病院を受診してからの検査、診断は非常に迅速でした。ここまではいいのですが、その後が問題でした。乳ガンと確定してから患者さんにこう言ったのです。「うちならすぐ手術ができます。他の所に行けばさらに一カ月以上時間がかかってしまうでしょう。そのあいだに転移したら大変ですよ」

この患者さんが初診から手術までに要した日数は、なんとわずか一週間だったのです。その間、この患者さんのご両親は久しぶりの旅行をなさっていたそうです。それも一週間の長旅でした。そして旅行から帰ってみると、驚いたことに出発前は元気で何ともなかった娘は、なんとすでにガンの手術が行われ、入院していたのです。

久しぶりの旅行を楽しんでいりご両親に心配をかけたくない、そんな親への気遣いから娘さんは自分がガンにかかったことを、旅行中のご両親に知らせなかったそうです。でもご両親にしてみれば、娘の命にかかわる一大事を、どうして相談しなかったのだ、という思ういがあっても当然です。

これでその後元気なられたのならそれほど後悔もしなかったのでしょうが、運悪く再発してしまったのです。患者さんやご両親は、「ガンの専門病院で手術していたら、再発していなかったかも……」と、今では後悔の日々を送っています。この病院の医者にしてみれば、善意のつもりで急いだのかもしれません。しかし、いくらなんでも急ぎすぎです。私から見ればこの外科医は、ガン治療の本質を理解していません。

ガン治療で、一番大切なこと、ガン治療で満足が得られるためには、何が一番重要なのか、それを全くわかっていないことです。少なくともご両親が帰えられるまでは待つべきでした。結果が悪いからいうのではありません。患者さんがガン治療において満足を得られるためには、いかに納得して治療を受けたかどうかにかかっています。結果こそが、気力や体力、総合的な回復力に力を与えるのです。

それに歯医者が治療法について十分説明し、それに対して患者さんや家族が、考え悩み苦しんで、その結果、治療法に納得して治療を受けること、これが最も重要なのです。ガン治療を決して急ぐ必要はありません、わずかな例外を除いて、ガンは一カ月ぐらいで急に進行しません。よく考え、納得するまではもがき苦しむこと。これが結果的に良い病院、良い治療に巡り合う近道なのです。良い治療を受けるには時間を使い、足を使い、情報を、医者を、自分で探すしかないのです。

……

再発と知ると、たいていの患者さんは肩を落とし下を向いてしまいます。いくら自問自答しても、堂々巡りをするだけです。そしてもう駄目かもしれないとあきらめてしまうのです。再発、即、死ではありません。チャンスはゼロではないのです。事実、再発ガンと上手につきあいながら生きている患者さんはたくさんいます。

患者さんのなかには、いまだに再発に関して、間違った認識を持たれている方が多い気がします。再発は突然出てきた新しい芽ではありません。再発の芽は治療以前からあった、隠れていた芽なのです。原発ガンが本店なら、再発ガンは本店から移転した支店なのです。本店が完全につぶれた後には、支店が出るはずがないのですから、支店はすべて本店がつぶれる前に出ているのです。

だから、再発の芽は治療以前からあったのです。治療前にわかると「転移」と呼ばれ、治療後にわかると「再発」と呼ばれるだけで転移と再発は同じことです。見えない、検査でわからない転移が、見える、検査でわかる転移に育つと、再発を呼ばれるだけです。

再発ガンに対する心構えで重要なことは、「ガンとの共存」に治療の目標を買変える、患者さんの意識改革にあります。ガンを全部なくす必要はないのです。なぜなら現在再発していても、患者さんはちゃんと活動しているからです。ガン治療は「同じは勝ち」なのです。現状維持、共存でいいのです。

全部なくそうと思うから、気が滅入ってしまうのです、今までは「ガンに侵されていた」と思うから全部なくしてしまいたくなるのです。発想を転換してみてください。ガンに侵されていたのではなく。「体内にガンを住まわせてあげている」と考えればいいのです。腸の中に共存する70兆個の細菌たちと同じに考えればいいのです。腸内細菌を全部消してしまったら、大変なことになってしまうのではないですか。そう考えると、治療法も変わってくるし、可能性も広がってきます。


『ドクターハラスメント』


2010年10月15日(金) 「遺伝子組み換え食品」論争の低水準

遺伝子組み換え食品を食べると、その遺伝子がヒトノゲムに組み込まれることはないのだろうか。消費者の方たちからよく「遺伝子を食べて、胃の壁を突き抜けて体内に入って、ガンを起こしたりすることはないのですか」と聞かれます。私はまず、「それでは皆さん、遺伝子を食べたことがありますか」とうかがうのです。そうすると皆さん「絶対にありません」とおっしゃるのですが、実際はトマトやお刺身をはじめ、あらゆる食品には何億、何十億という遺伝子が入っています。しかし、すべて消化されまてしまいます。

遺伝子は何かということが、十分に伝わっていないような気がします。日本語で「遺伝子」というと、何か「遺伝する物質」というイメージが強いのですが、遺伝子そのものを食べても遺伝するわけではありません。人間は一万年以上、色々な食品の中に入っていた遺伝子によって、人間が変わったことはありません。それは人間の歴史が証明しています

おそらく日本人の大多数はこの質問者のようなレベルにあるはずである。遺伝子は食べても消化されてしまってなんの害もない。遺伝子を食べるとそれがヒトノゲムの中に入って、何かおかしなことを始めるのではないかというような心配は全くないのだが、何も知らないとそういう心配をしてしまいがちになる。

遺伝子組み換え食品論議では、その他荒唐無稽な心配をしている人たちがたくさんいる。まともな危惧もああるが、ミソもクソもいっしょのレベルになっているので対応する側もミソ、クソいっしょの対応をしてしまって議論のレベルがさっぱり上がらないのが日本の現状である。私自身は遺伝子組み換え食品はに何の心配もしていない。売っていたら平気で買うし、出されたら平気で食べる。遺伝子組み換え食品は環境問題においても、食品の安全性の問題においてもデメリットよりメリットのほうがはるかに大きいと思っている。

遺伝子組み換え作物は、農薬、特に殺虫剤、除草剤のたぐいを確実に減らすことができる。実際作付しているところでは大幅に減っている。そして殺虫剤、除草剤のほうがはるかに人間の健康にとって危険なのである。農薬のような化学物質には、大なり小なり、発ガン性、催奇性、環境ホルモン効果などの毒性があるが、遺伝子組み換え食品にはそのような危険性はない。


『21世紀 知の挑戦』 立花隆


2010年10月13日(水) 地上の楽園?

北朝鮮は1962年12月、全人民武装化と全国土要塞化を決定した。しかし当時はアメリカをはじめ、日本も韓国もこのことに全然注目しなかった。あれから武装化するはずの人民は飢えに苦しんでいるが、国土の要塞化は着々と進み、ノドン、テポドンなどのミサイルの開発に成功した。

北朝鮮の正式国名は朝鮮民主主義人民共和国。これを分解してみるといかにふざけた国名ががよくわかる。朝鮮はよしとしても民主主義などとは縁がなく、人民は無視され共和国ではなく独裁者の王朝である。”北朝鮮反民主反人民金王朝”という国名にしたほうがずっと実態に合っている。おかしいことにこれまで世界に存在した共産主義や社会主義を標榜する独裁国家は、必ずその国名に”民主”とか”人民”を入れている。

最高指導者は労働党総書記と国防委員長を兼ねる金正日。事実上の国家元首だが、外国の元首とは会いたがらない。その理由として緊張するとどもるからとか、自分の容姿や頭の中身に劣等感を抱いているからとか、できるだけ表に出ないことによってその神秘性を高めるためなどといろいろいわれているが、それらはスペキュレーション(投機行為)にすぎず本当のところはわからない。単にに外国人嫌いということだってあり得る。

金正日は”将軍様”とか”大元帥”と呼ばれるが、軍に籍を置いたことはたったの一度もないという珍しい軍人である。この点はサダム・フセインと同じだ。彼を形容する言葉はいろいろある。”人民の太陽”、”戦略の天才””芸術の天才”そして極め付きは“百戦百勝の鋼鉄の霊将”。もちろん彼には戦争の経験などない。しかし、労働党宣伝部に不可能なことはない。このような滑稽極まりない神話とプロパガンダで成り立っているのが今の北朝鮮なのだ。

1959年に在日朝鮮人とその家族の帰国事業が始まったとき、日本の大新聞は北朝鮮を”地上の楽園”と呼んだ。極め付きのブラックジョークだが、それを信じて帰った人々もいたことを考えると笑うには悲しすぎる。こういう悪趣味のブラックジョーを臆面もなく流布したマスコミ人は今どういう思いで、かの国の実情を見ているのだろうか。

”地上の楽園”は別格として現実の北朝鮮を形容する言葉は多い、飢餓国家、物乞い国家、ゆすり国家、人さらい国家、最後のスターリン国家、恥知らず国家、ヤクザ国家、etc。しかし単に“異常国家”で十分だろう。国民の多くが飢えに苦しんでいるのに、GDPの25%以上をコンスタントに軍備拡張につぎ込んできたのを見るだけで、その異常さは明白だ。

また社会主義国家ではタブーのはずの親から息子への権力譲渡を平気で行なう。かってのスターリンやホーネッカーでさえそこまではやらなかった。他国の民をかっさらって平然としているのも北朝鮮の異常さの一つだ。最近、日本政府は拉致された人々の数を7組10人と公表した。実際にはもっと多いのだが、これに関しても知らぬ存ぜぬの1点張り。それどころが拉致問題などを持ち出せば、日朝関係は悪化すると開き直る始末である。

地獄に最も近い国

1994年、北朝鮮は国際原子力委員会による核査察を拒否。東アジアを取り巻く情勢は一挙に緊張がエスカレートした。国連は対北朝鮮制裁決議に踏み切り、日本、アメリカ、韓国は思い切った経済制裁を検討するが、これに対して北朝鮮はもし経済制裁がなされたならそれは北に対する宣戦布告に等しいと反発した。

あの時は北朝鮮に対する爆撃寸前まで事態がエスカレートしていたと、当時の国防長官ウィリアム・ベーカーが述懐している。結局、カーター元大統領が訪朝して金日成と話し合って危機を乗り越え、日米間による経済制裁はなされなかった。しかしこれはあくまでバンドエイド的な対処にすぎなかった。

その年の7月、金日成が死亡。息子の正日の体制が発足すると再び、東アジアに緊張状態が戻る。それまでも慢性的な食料不足に陥っていた北朝鮮は、金正日の軍議拡張最優先政策によって食糧配給も年を追うごとに滞り、農村地帯では最低量さえも配給されなくなる。その状況に壊滅的な打撃を与えたのは95年と96年に襲った大洪水。

さすがの主体思想も天災には勝てなかった。北朝鮮は恥も外聞も捨てて国際社会に人道的援助を求めた。人道的という言葉は殺し文句的効果を持つ。特に人のいい日本人はそういう言葉に弱い。すぐに50万トンのコメが送られた。

金王朝の”すごさ”はこの不幸な災害さえも自分たちのために利用してしまうところにある。支援された米や他の食料は一般市民には回らず、まず軍の上層部や軍需工場で働く者に配られ、缶詰やバナナ、キウイなどの上等品は平壌の外貨ショップの棚に並んだ。そして一般市民は相変わらずの飢餓状態。その実態は何度か日本のテレビでも流されたので見た人も多いだろう。

あれらのフィルムは韓国のビジネスマンや中国東北部にすむ朝鮮族の人々、さらには大阪にベースを置くRENK(レスキュー・ノース・コリア)のような組織の人間が命がけで撮ってきたものである。フィルムには極寒の中で靴も履いていない子供が、市場をうろつきながら地面に落ちているゴミを拾って食べたり、乳飲み子を抱いた母親が口から泥を吐きだして、そのまま息絶えるというような凄惨な場面が映し出されている。まさにこの世の地獄としか言いようがない。


『天中殺の1990年代』

北朝鮮への帰国事業を煽った大新聞は、朝日新聞だったナ。



2010年10月11日(月) 『腐れ銀行』は市場から放り出せ

日本は今『史上稀にみる超低金利』時代にある。公定歩合は、なんと0.5%。銀行の預金金利はわずかに0.1%。仮に1万円を預金しても1年後の利子は10円玉1個だ。これから税金を引かれて8円。今や日本は『金利のない国』といってもよい。なぜこんな不思議なことが起きているのか。大蔵・日銀などは長引く不況のためだとか何とか言っているが、ズバリ「銀行救済」のためである。早い話が預金者を犠牲にして年間8兆円近く金融機関に補助金を出してきたのである。

日本経済は今、景気低迷が長引き、株価は下落し企業倒産も続発するなど明るい話題は一つもない、お先真っ暗である。こうなった最大の要因は、バブル時代『浮利』に走り、巨額な不良債権を抱えたままの銀行の経営問題にある。ここまで揺らいだ日本の金融システムの信頼性を回復するには思い切ったリストラを行い、システムに巣食う不良債権を抜本的に除去するしかない。思い切った外科手術が必要なのだ。

ところが、バブルがはじけて10年近くなるというのに銀行は何をやってきたのか。相変わらずの殿様商売、行員の賃金水準は一般企業よりも高く、おざなりのリストラ策しか実行していない。80、90歳にもなる相談役がのさばり、役員の退職金は1兆円超。全く自浄能力はないと断言してもよい。預金者にろくに金利を払わないくせに近頃は貸し渋りとやらをしている。

カネを集めその金を貸すのが銀行の商売かと思っていたが、どうも違うらしい。これは銀行業の自己否定であり、今や銀行には一片の公共性、公益性も見られない。こんなふざけた銀行に公的資金を投入するというのだ。その額なんと60兆円。日本の軍事費ですら年間5兆円である。また約6000億円の公的資金投入で大騒ぎをした住専の100倍である。これで暴動が起きないとは日本国民もナメられたものである。

そもそも我々一般庶民よりはるかに高給取りの銀行員になぜ不況に苦しむ国民の血税を投入しなければならないのか?もし公的資金を投入するなら、役員の報酬カットや旧経営陣の退職金返還などでは済まない。銀行員の給料を生活保護世帯並みにするなど自ら血を流してからにしてもらわなければなるまい。

現在日本には銀行の看板を掲げているところが、都市銀行、信託銀行、地方銀行、第二地方銀行など約150近くある。はっきり言って多いのだ。このほか信金・信組・郵便局などがある。半分に減ったところで、国民生活に支障はない。もっときっぱり言えば、ロクでもない銀行、腐った銀行は早くつぶれたもらい、市場から退場してもらいたいのだ。

『腐ったリンゴ』を放置しておくと、良いリンゴまでダメになるのと同様に、『腐った銀行』をこのまま生きながらえさせていると、他のまあまあの銀行をダメにし、しいては日本経済そのものをダメにしてしまう。政府、自民党や大蔵当局は、何とか軟着陸をしようと画策しているが、悪あがきはやめにしたほうがよい。そんなことをしたら公的資金60兆円では間に合わず、100兆円、150兆円と底なし沼に陥るだけだ。

それでは市場がもはやソフトランディングを認めない、ここでもう一度確認しよう。従来の大蔵省の護送船団行政はもう通じないということを、そして市場に答えられない銀行は、当局がいかに支援しても生き残ることはできないということを。

さてそこで振り返ってみると、果たして日本は健全な銀行が何行あるというのだろうか。国民の血税(公的資金)におすがりしようというのに、日本の銀行はあいもかわらぬ秘密主義だ。情報をろくに開示せず隠したままだ。そのもっともな例が不良債権額である。公表された各銀行の不良債権額は、情報操作されており、今日に至っても正確な数字がわからない。

ともかくかなり怪しい数字ではあるが、公表された数字を参考に、諸先進国の銀行と比較すると、日本は絶対大丈夫と太鼓判を押せる銀行は残念ながら一行もない。「健全」と評される銀行が明日破たんしても少しも不思議ではないほど、銀行業界全体のレベルは、国際水準からみれば悪いのだ。



『危ない銀行おっかけマップ』


2010年10月10日(日) 想念も感情も物質か?

古代仏教の文献の中には人体は肉体以外に6つの体があり、7層構造になっていると記述されているのものがいくつかあるという。最新のテクノロジーで、ミクロの世界を垣間見ることができるようになってきた近年、世界中の科学者は、人間の魂が微小粒子から構成されている可能性を探ってきた。それにより、心霊現象も科学的に説明可能とされ、その微小粒子の正体に関して、あるものはニュートリノであると主張し、またあるものは陽電子(ポジトロン)であると主張してきた。

モスクワ・ステート・ユニバーシティーの宇宙物理学者、ボリス・イスカコフ教授論によると、魂は現実に存在し不可視ではあっても物質で構成されている。その物質の正体は、質量にして10のマイナス30〜40乗グラムと、電子よりはるかに軽い微小レプトンであるという。

そして人間はそのレプトンのガス層に包まれ、同化しており、原子核の情報を記憶するレプトンは、肉体の死後もその記憶を留めるとされる。そのため肉体が死んでも、同化していたレプトンガスと接することから、人々が体験する心霊現象にある程度説明がつくというのである。

ロシア人研究家のアナトリー・オカトリン氏も様々な実験と計算から、レプトンガスは物質世界のすべての情報を記憶しているという結論に到達している。また、人間の想念は最軽量ンレプトンによって運ばれ、その伝達速度は光速すらも超えるという。そのレプトンは波動帯ごとに極性を持ち、磁石のように引力や斥力を持つ。

このことから、「気」が合う、合わないという感覚はもちろん、心霊現象の多くは古典的な電磁気的特性や共鳴現象を含めた波動性で説明できるというのだ。今後、他の科学者による追検証も必要だろうが、少なくともミクロの世界を思い描けば、微小粒子が何の障害もなく空中を移動し、情報のやり取りが行われていても不思議ではない。



『超不都合な科学的真実』




2010年10月09日(土) 漁民は逮捕せず歓待しろ

そもそも今回の中国漁船の問題は、日本のほうが外交的にずっと有利な立場だったはずです。事件の起きた尖閣諸島は、日本の固有の領土であり、しかも実効支配が及んでいる。そこに領海侵犯し、公務執行妨害まで起こした中国漁船を捕まえて、身柄も押さえていたんですから。ところが、そこから日本政府の打った手は間違いに次ぐ間違い。最初のミスは、事件後すぐに船長を「逮捕」してしまったこと、そして肝心の漁船と船員を中国返してしまったことです。

ではどうしたらよかったのか。私なら、中国漁船ごと石垣島に連行してきて、船長だけでなく船員全員に、時間をかけて事情聴取しますね。「逮捕」などの処置を決めるのは、中国側の出方を見極めてからでいい。まず日本側に有利になる証拠、情報を徹底的に集める。これが肝心。

実はこれは、北方領土で周辺でロシアが行なっているやり方なんです。あの海域で日本の漁船がしばしば拿捕されますが、ロシアは船ごと連行し、船員だけ順次人本に帰す。もちろん、日本としては中国の船員たちへの人道上の配慮も忘れてはなりません。海上保安庁の職員が同じ海の男として接すればいい。むしろ、彼らに食べたいものだけ食べ、飲みたいだけ飲ませて、糖尿病になるぐらい手厚く歓待すべきです。そうやって日本側に好意的な証言者にしていくくらいの知恵は必要でしょう。

そうして懐柔したうえで、取り調べは徹底的にやる。日本の検察は名うての「割り屋」がいるではないですか。大阪地検の前田主任検事あたりを投入すればいい。「減刑してやるから、船長の口を割らせろ」と命じれば全身全霊でやるでしょう(笑)証拠・情報の確保で、日本政府の犯した大きなミスは。問題の漁船を返してしまったこと。大事な証拠物件じゃないですか。もっと局面が進めば、損害補償請求などの話も出てくる、その時、「漁船の返還」は日本側の有効な外交カードにもなるんです。

今回、漁船と船員を慌てて返してしまった日本政府の対応を見ていて、北朝鮮の金正日書記長の長男を思い出しました。2001年、密入国しようとした金正男を成田から直ちに出国させてしまいましたね。その時も時間をかけて彼を取り調べておけが、強力な対北朝鮮カードたり得たのですが、時の外相、田中真紀子さんは、危ないものには触りたくないとばかりに、何の手だてもせず放り出してしまいました。

そして、第二の失点は、船長の「逮捕」で、中国側の強硬姿勢を引き出してしまったことです。前にも述べたように尖閣諸島を実効支配しているのは日本です。中国は、この現状を覆すことは当面できないが、それを認めない、という立場。これを今回の事件でいうと、「中国漁船が拿捕され、取り調べを受けるのはやむを得ないが日本の法律で裁かれるのを認めるわけにはいかん」となる。

ところが仙谷由人官房長官や前原誠司国交相(当時)は、船長を逮捕して「国内法に基づいて粛々とやる」と言ってしまった。これは中国側からすると「日本が自分の法律に従えと一歩踏み込んできた」ということになる。前原さんは北方領土に関しても同様の問題を引き起こしています。昨年秋、根室まで来て北方領土問題について「ロシアの不法占拠」だと言った。

一政治家の発言ならともかく、今、日ロ両国が係争地域だと公式に認めて、話し合いをしている問題ですよ。閣僚がちゃぶ台をひっくり返してどうしますか。威勢はいいが、先を見据える戦略がまるで感じられない。

外務省と官邸は、逮捕前に中国側と連絡をとり、日本の対応を伝えて水面下で協議すべきでした。船員全員の身柄と漁船があれば、アドバンテージを持って交渉できたはずです。さらに問題なのは、「中国の圧力に屈した」と誰もが思う形で船長を釈放したうえに、その責任を菅直人総理をはじめ官邸が負おうとしなかったことです。


中国政府は、船長一人のためにチャーター機まで送ってきました。そして帰国した船長はVサインをしながら、「党と政府の配慮に感謝する」と言いました。ここまでバカにされた話はありません。しかも釈放はあくまでも那覇地検独自の判断だと強弁している。那覇地検に外交を判断する権限などあるはずないでしょう。

外務省も中国課長を沖縄に派遣しているじゃないですか。指揮権が働いたことは明白です。私は、国益の観点から指揮権を発動するのは構わないと思う、それならそうだとはっきり言わないのがおかしい。菅さんは、細野豪志前幹事長代理が中国へ行ったことも、他人事のように「承知いていません」です。では、誰が指示したんですか。「去年の小沢訪中団の事務局長だった細野氏がパイプを持っているから頼んだ」と言えばいいじゃないですか。言わなくていいことは言うくせに、必要なことは言わない。危機管理の未熟さを感じます。


『週刊部文春』鈴木宗男談


2010年10月08日(金) 裁判長期化が死を招く

…しかし、小沢氏は最近こうも語っている。「9月の代表選で、逃げないと言ったからには、逃げない」離党を否定しているのだ。そもそも小沢氏は幹事長時代に、元秘書の石川知裕議員が逮捕・起訴されると離党させている。元秘書は離党しても、自分はしないというわけだ。刑事被告人となる小沢氏は、少なくとも1年間は裁判に全力を注ぎこまなければならなくなる。

恩師・田中角栄は被告人となりながらも、「闇将軍」として君臨した。しかし、今は時代が違う。被告人席に立つ小沢氏を待ち受けるのは、疑惑への厳しい追及だ。前出の森功氏が指摘したように、土地購入費の4億円の原資にはゼネコンからの裏金が含まれている可能性がある。また、小沢氏の急所となるのが、土地の購入の際に偽装と判明した銀行融資だ。

銀行融資は土地代金支払い後に受けており、購入代金には当てられていなかったことが発覚している。加えて土地が陸山会の財産である旨の確認書の日付を偽装したことも、検察の議決書では容疑の「傍証」として挙げられている。ジャーナリストの松田賢弥也氏が説明する。

「そもそも検察が扱っている4億円の事件は、疑惑の氷山の一角です。本来ならこの土地問題だけに矮小化されるべきではない。捜査で押収されたフロッピーデスクには、ゼネコンの名前や6億円の裏献金まで登場している。また、西松建設事件で逮捕された大久保隆規元秘書の初公判では、水谷建設からの1億円の裏献金以外にも、鹿島を仕切り役とする談合組織の存在や、小沢氏の「天の声」、毎年各社が支払っていた多額の献金が明らかになっている。他にも政党解体後の政党交付金の行方、家族名義の資産など、国民から見れば黒い霧に包まれたままです」

3人の元秘書は、9月24日の公判前整理手続きで無罪を主張すると表明した。検察と全面対決することとなり、公判の長期化は避けられない。小沢氏の裁判は、元秘書との公判とは別に、今後、裁判所が検察官役を果たす弁護士を選任することから始められる。

当然のことながら、元秘書の裁判内容が小沢氏の公判にも影響を与えることとなる。つまり、小沢氏が「刑事被告人」である期間は予想以上に長くなることもありうるのだ。それが長期化すればするほど、小沢氏の政治生命の火は消えていくばかりなのである。


『週刊文春』

小沢氏は故田中角栄元首相の秘蔵っ子といわれた。師である角栄は資源外交を展開しヨーロッパ、ソ連、ニュージーランド、インドネシアなどの石油、天然ガス、ウラン資源などの確保に尽力した。又、中国と日中共同声明を結んだ。しかしこれらが国際石油資本を中心とするアメリカの資源の傘と衝突し、ロッキード事件に巻き込まれた遠因であるといわれている。対する小沢氏は、4億円をちょろまかしたことで政治生命を絶たれようとしている。両者の差は月とスッポン。

●月とスッポンとは、江戸時代後期の随筆『嬉遊笑覧』には、スッポンの甲羅が丸いことから異名を(まる)と言い、一方満月も丸いけど二つの丸は大違いで、まるで比較にならないので「月とスッポン」とは少しは似ていても、実際には甚だ異なっている様を云うとしている。


2010年10月06日(水) ノーベル賞は闇の制度

アインシュタインがノーベル賞を受賞したということは、ノーベル賞委員会がスウェーデン王室と同様、全世界をある思惑のとおりに動かそうとしている勢力・闇の権力者によって乗っ取られている何よりの証拠である。この賞は世界平和に寄与したとか、人類の安寧に貢献した人に与えられることのなっている。だが、それは表向きであって、実際には彼らの思惑の実現に貢献している人物に与えられている。

そのことは、近年のノーベル平和賞の受賞者を見れば明らかなのだが、闇の権力者が何かををもくろみ、世界をある方向に導こうとしている。アインシュタインが一躍、国際的有名人となったのは、このペテン師がシオニストであり、ロスチャイルドに支えられた「闇」の人間だったからである。それゆえ、アインシュタインの「名声」は今日まで不動のものになり、彼の理論は人類の最高峰のものとされている。

1919年5月29日に赤道地帯にあるプリンシベで発生した皆既日食は、アインシュタインの一般相対性理論を証明するものといわれている。ところが、そこにも大きなペテンがあった。その日、英国の撮影チームがわざわざプリンシベに渡り、日食模様を撮影するために待機していた。朝から続いていた大雨がやんで、やっと雲が切れたのは、日食が終わる直前の午後1時過ぎのことだった。

こうしてなんとか撮影できた写真は、ロンドンに持ち帰られてから現像されたのだが、はたしてそこに写っていた星の動きは、世紀の大天才アインシュタインがその理論に従って予言したものとは正反対だった。だが、それを単なる測定誤差として片づけてしまったわけである。

そもそも、日食時の太陽の端で発生する1.75秒の屈折を計算するのにアインシュタインが使用した数式は、実は工学的な計算にすぎず、時間・空間に関する相対性理論とは関係ない。しかも、写真に映し出される天体の動きは単なる光の屈折現象であり、当時のカメラの精度からすれば、天体の動きの写真で相対性理論を証明することなどできないことはわかっていることなのだ。

この日食のデータは捏造されたものであり、一般相対性を証明するものではないことは一世紀近くも前に知られていた。それにもかかわらず、今日に至るもホーキングなどの科学者は、このやらせ実験を支持して「星の光の屈折はアインシュタインの予言通り」とか、「時間と空間が歪曲された証明」などといっている。これこそ。世紀の大天才と称される人たちがマスコミに祭り上げられたタレントにすぎず、実体のない完全なペテンがアカデミズムを支配していることの証ではないか。



『この世界を支配する闇権力のパラダイム』


2010年10月05日(火) 尖閣諸島

 日本の領有は正当

沖縄の尖閣諸島周辺で今月今月、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、漁船の船長が逮捕されたことに対し尖閣諸島の領有権を主張する中国側の抗議が続いています。日本共産党は、同諸島が日本に帰属するとの見解を1972年に発表しています。それをふまえ問題解決の方向を考えます。
 
 歴史上も国際法上も日本の領有の根拠明らか

尖閣諸島(中国名は釣魚島は、古くからその存在について日本にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。1895年1月に日本領に編入され、今日に至っています。1884年に日本人の古賀辰四朗が、尖閣諸島を初めて探検し、翌85年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。歴史的にはこの措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為であり、それ以来、日本の実効支配が続いています。

所有者のいない無主の地に対しては国際法上、最初に占有した「先占」に基づく取得および実効支配が認められています。日本の領有に対し、1970年代に至る75年間、外国から異議が唱えらたことは一度もありません。日本の領有は、「主権の継続的で平和的な発現」という「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。
 
 中国側の領有権主張は70年代に入ってから

中国、台湾が尖閣諸島の領有権の主張し始めたのは1970年代に入ってからです。1969年に公刊された国連アジア極東経済委員会の報告書で尖閣諸島周辺の海底に石油・天然ガスが大量に存在する可能性が指摘されたことが背景にあります。

台湾が70年に入って尖閣諸島の領有権を主張し始め、中国政府も71年12月30日の外交部声明で領有権を主張するに至りました。確かに尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に記述が見られますが、それは当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません。

中国が領海法に尖閣諸島を中国領と書き込んだのは92年のことでした。それまでは、中国で発行された地図でも、尖閣諸島は中国側が「領海」とする区域の外に記載されていました。


『赤旗』


2010年10月04日(月) お金を使いきってあの世へ

東京都下のある市で20年保健婦をしている安川さんは、老人たちのお金とのつきあい方を見てきて、つくづくこんな感想をもらす。「今のお年寄りって、お金の使い方がへたくそだと思いますね。生きたお金の使い方ができないんですよ。特に生まれてこのかた自分で稼いだことのないようなおばさんがだめね。いくら土地持ちでも、自分で稼いだお金でないと使えないんですよ。自分より貧しい人に、おごってもらってばかりいるの。

そういう人たちって、とかく夫の給料の多寡で幸不幸をはかろうとするの。夫が死ぬと遺産の多寡が幸不幸の基準になって、子供に養われると、くれる小遣いの多寡で幸不幸が分かれるのよ。国民年金だって、ちょっぴりと言いながら、使わないで貯めてるの。老人福祉に乗っかって、全部タダで治療してもらおうとするの。タダの病院からタダの老人ホームに入ろうとしてるのよ。お金はいっぱいあるのに。あの世に持っていけるわけじゃないのに、どうしてみんなこうなんでしょうねえ……」

そうしたなかで、ひときわ印象深く安川さんの心に残る老人がいた。その人、原口氏は生活保護を受けながら、都営住宅に妻と二人で暮らしていた。知り合った時は88歳。以後5〜6年定期的に訪問して、入院するまでつきあった。そんな暮らしなのに、少しもみじめな感じがしないのが不思議だった。見た感じも、カイゼル髭を生やして威厳があり、奥さんも二度目の妻とわかったが、花柳界の人思われるような粋な人だった。言うこともハイカラで、使っている食器も一目でいいものだとわかった。

昔はよほどお金持ちだったに違いないと思われたが、昔のことを威張って話すという風でもなかった。今の暮らしを”落ちぶれた”ととらえているところも感じられなかった、ただ、だんだん親しくなってくると、宝物のように大事にとってあるものを出してきて見せてくれた。「パワーがあったころは、こんな時もあったんだよ」などと言いながら……。

それは一けたナンバーの車の免許証だったり、セピア色になった写真だったりした。その写真の中では、若々しくハンサムな原口氏が素敵な外車のそばに立っていた。「私も初めて知ったんだけど、車の免許証の番号って、何回更新しても変わらないのね。だからこのおじいさんが日本で数番目に免許を取ったってことなよ。

そんなのを見せてもらいながら話を聞くうちに、昔は東京の都心で運送会社を経営していた人だってわかったの。それがどうして、今こうなっちゃったのかは話してくれなかったんだけど、吉原通いでもして派手に使いきっちゃったのかしらねえ。何かそんな感じなのよ」


『老後はお金で買えますか』


2010年10月02日(土) 戦争とテロの悪循環

国際テロ組織アルカイダがニューヨークの高層ビルなどをテロ攻撃した「9.11」事件。米国は「これは戦争だ」と憎悪をあおり、01年10月、アルカイダをかくまっていたとしてアフガン・タリバン政権を打倒する報復戦争を始めました。03年3月には、アルカイダや9.11テロと無関係のイラク・フセイン政権に対し、核兵器などの大量破壊兵器を開発しているとの口実で先制攻撃戦争を仕掛けました。

9.11から9年。イラク戦争を批判して就任したオバマ大統領のもと、イラク駐留米軍は「戦闘任務は終了した」として、5万人の部隊を残して「撤退」しました。7年余の戦争によりイラクでは民間人11万人以上が死亡。200万人近くが難民化し、開戦以来の国内避難民は270万人に達しています。

米国はイラク駐留部隊を減らす一方、今度はアフガンに増派。米軍10万人など14万人近い外国部隊が駐留しています。「来年7月撤兵開始」を掲げますが、情勢安定化の見通しはありません。アフガン戦争は9年も続き、数万人の民間人と2千人以上の外国兵が死亡。300万人が難民に、33万人が国内避難民になっています。

この結果テロは減ったでしょうか。米国務省の集計でも、米軍が戦闘を強めるとかえってテロは増えました。特にアフガンでは急増。過去5年間の全世界のテロ件数も死者数は減っていません。結果として起こったのは戦争と暴力の悪循環でした。そのもとで、軍事力でなく外交の力で物事を解決しようという自主的な流れが世界で強まっています。

イラクに派兵した英国やオランダでは戦争の検証が行われています。天井知らずの軍事費増が経済危機を招いた米国でも戦争政策の行き詰まりを見直す議論が始まっています。オバマ大統領は8月31日の「イラク撤退」演説で、「最も緊急の任務は、経済を回復し、失職した数100万の国民を仕事につけることだ」と語りました。外交問題評議会のハース会長は、こんな疑問を投げかけました。

「経済回復が最優先だと大統領はいうが、アフガンで年間1.000億ドル以上も使いながら、財政基盤の回復と世界の指導的国家としての地位の確保が両立できるのか」他方、日本は9.11以後、世界でも異常な対米追従姿勢で米国の戦争政策を支持してきました。大きく変化した世界の流れに逆行したままです。

アフガン戦争9年の教訓は、アフガンは軍事力では支配できないということに尽きます。9年経って10万人の米軍をもってしても治安は最悪。この事実がアフガン戦争の失敗を決定的に示しています。



『赤旗』


2010年10月01日(金) ケネディー暗殺

1963年、ケネディーはさまざまな敵に囲まれていた。暗殺される一か月前にベトナムからの米軍の完全撤退を命じて、軍部をパニック状態を招いている。また黒人に平等な権利を与える公民権法を制定しようとして、白人優越主義者の反感を買っていた。さらにCIA主導のキューバ侵攻が失敗に終わったあと、CIA絶滅を計画した。弟のロバートにマフィアの徹底摘発を命じており、ケネディーの命を奪う奴らがウヨウヨいた。


『闇の世界史』


加藤  |MAIL