加藤のメモ的日記
DiaryINDEXpastwill


2009年10月28日(水) 正確という病

ヴァレリーは正確と言う激しい病に悩んだ結果、文学も哲学も捨ててしまいます。「正確と言う激しい病」にかかっている人は世の中にも沢山いるはずです。頭がいいといわれる若い人は、「正確という激しい病」にかかることが多いんです。この病にかかると正確でないことを言う人はみんな馬鹿に見えます。

自分が何か言わなければならないときは、あくまで正確なものいいをしようとして、ついに何もいえなくなります。文章を書く時でも、正確にものをいおうとするあまり、留保条件があまりに多すぎる文章を書いて、自分以外の人が読んでもさっぱりわからない文章しか書けなくなりますい。世の中には「正確という激しい病」にかかっていなくては出来ない仕事もありますが、その病にかかっていてはできない仕事もあります。

必要とされる正確さは、時と場合に応じて必然的に決まってきます。時と場合を無視して、必要以上の正確さにこだわるのは、無意味であるばかりか、強迫神経症の一種で、病そのものです。例えば一光年という長さがあります。約10兆キロメートルです。正確にいうと、99兆4600億キロメートルなんですが、これをメートル単位で正確にいうことにこだわる人がいたとしたらバカです。

一年という時間はうるう年、うるう秒があることでわかるように絶対的な厳密性をもっては決められないあるゆらぎを含んだ量です。そのゆらぎの中に、メートル単位の変動があるのだから、1光年をメートル単位で正確にいうことに何の意味もないんです。

僕自身そういう病にかかっていたことがあるからよくわかるんですが、正確という烈しいしい病にかかると、これと同じような実質的には無意味な正確さにこだわるようになって、頭がにっちもさっちもいかなくなってしまいます。

時間を測定する、距離を測定するといった物理的測定ですら尺度のゆらぎを考えたら、絶対的正確さなんてありえないわけです。まして言葉を道具として使う世界では、言葉そのものが内因性の不確実性をもつところから、絶対的正確さなんて求めてえら得ようはずがないんです。これを言語の不確定性原理といってもいいでしょう。

だから、言葉を主たる道具として使う世界と、正確という烈しい病が両立するわけはないんです。ヴァレリーがその病にかかった結果、文学も哲学も捨てようと決心するに至ったのは、当然といえば当然のなりゆきでした。ヴァレリーには、文学も哲学もあまりに曖昧で不純なものと見えました。

さらに正確という烈しい病がこうじた結果、彼は、文学がしばしば題材にするような感情の揺れ動きのようなものを一切捨てようとします。苦痛、懸念、希望、恐怖など、人の心の中だけに起きることは全てとるにたらないものとして捨てようとするわけです。これがヴァレリーが若くして筆を断つことになる一番の理由になっているわけです。


『脳を鍛える』 立花隆


2009年10月26日(月) 中川昭一大臣の死

先のG7¨もうろう会見¨の際もアルコールが原因ではない、風邪薬の副作用だと当人は言い訳していた。仮にそうだとしても政治は結果責任だ。自らの健康状態も管理できず、あの重要な席で世界中に醜態をさらした。大臣である以前に政治家失格だと思う。中川氏は保守派の国士であったと聞くが、あんな″国辱″的な醜態をさらして、武士の世なら当然、切腹ものだろう。

だが、この民主主義の時代にそれは許されない。選挙で選ばれた代議員がその任期中に、有権者から託された責任を放棄して、自ら命を立つ権利などない。松岡利勝農水大臣の時の時にもそう思った。いや、参議院比例代表で70万表のトップ当選を果たし、任期を4年も残しながら、自分の勝手な都合で国会議員を放り出した元大臣・竹中平蔵のような無責任な人物もいるが。

そんな中川氏の死を悼むのが、総理大臣在任中に健康問題で政権を放り出した安部晋三だというのは、何ともうそ寒い光景だ。安部元首相は中川氏と同じ50代半ば。健康状態こそ政治家には重要だろう。中川氏の死を無駄にしない、という意味では、現政権下の各大臣の健康状態を(それこそ身体検査をして)開示するというのはどうか?

何しろ、そこに我々国民の命運がかかっているのだから。こういう意見は死者を鞭打つ冷徹なものと思われるかもしれない。だが、考えてほしい。家族と一緒に飛行機に乗ったら、機体がふらふらして墜落しそうになった。何とパイロットがアルコール中毒で酩酊していた。すぐに解雇された彼は復職を願ったが、健康上状態に問題があり、急死した。

その時私たちはああ、いい人だったのに残念だと思うだろうか?冗談じゃない。大切な家族が乗った飛行機がそんな人間に操縦されていたことを知って、ゾッとするだろう。憤ることだろう。私たちは権力者に対して、常に冷徹な目を持たなければならない。

飲酒運転でさえ厳しく罰せられる世に自明のことだ。私は中川大臣の死を悼まない。こういう人が財務金融の長であった政権党の政策によって年間3万人ともいう自殺者のその相当数の人々、非常な国家の経済政策に切り捨てられ、自死を強いられた犠牲者たちこそが、真に悼まれるべきだ。



『週刊朝日』10/30


2009年10月18日(日) 死後の世界

「さあ、行こう」
兄はそう言いました。従妹は私を迎えるのがうれしいのか、はしゃいでいるようにさえ見えました。そして三人はなんとなくゆっくりとした歩みでどこというあてもなく進んで行きます。その時の私の心の中といえば、それまでかって体験したことのないような迷いでいっぱいだったのを覚えています。

…三途の川を渡るべきか、戻るべきかと迷う。
私は彼らについて行ったらいいのか、それともこのまま引き下がろうかと迷い続けていました。迎えに来ていた兄は、私をこの上なく愛し、出征した時も「大陸に愛チャン後にわれ立たん」という言葉を残したほどでした。それが不思議なことに、目の前の兄はあの優しさに満ちた表情がないのです。

どうしてこんなに変わってしまったのかしらとあっけにとられるほど無表情なのです。非常にビジネスライクで、私に対するやさしさなどかけらも見えません。ヒヤッとするほど冷たいのです。私の心の奥深くに生きていたあの兄が、こんなにも冷たくなってと悲しみがこみあげてくるのでした。私を迎えにきてはいるものの、だれかに依頼されて仕方なくそこに来ているというのが見え見えなのです。

私の気持ちは絶望的になっていました。それでも、「さ、行こう」という兄の態度に促されるように彼らと歩いていました。心の通い合う道づれではなかったせいか、私は無性にいら立ってきたのでした。

そのせいで、家に帰ろうかという気持ちがだんだん募ってきたのでした。するといつしか兄の姿が見えなくなっているのです。どこで、いつ別れたのかは記憶にありません。従妹もいつの間にかいなくなっていました。私は、たった一人で昼とも夜ともつかない、暑くも寒くもない未知の世界に取り残されました。

それでも立ち止まることなく私は歩き続けました。すると、前方に大きい河が見えてきたのです。水量は多く、とうとうと流れていますが、深さはそれほどでもないという感じです。素足でその川を渡るのはとても大変なことだ、渡れるははずはないと、自問自答しているのでした。どれくらいその川岸に立っていたのでしょう。その時間の長さについては、ほとんど記憶にありません。

我を忘れて立ちつくしている時、川の向こうのほうで弟が何か言っているのだけはわかるのです。兄と同じように仲良しだった弟もまた、若くしてすでにあの世の人になっていたのでした。

…弟の来るなという合図で現世に戻る。
事故で死んだ弟がたった一人で川の向こうに立っています。そして、「来ちゃいけない、来ちゃいけない」と、泣きながら大粒の涙をこぼしてサインを送っているのです。懐かしい弟の姿を見て、私はなんとかして川を渡り、向こう岸にいる弟に会いたいと思ったのです。弟の立っている向こう側の様子は、川のこちら側とは違って寂しそうに映りました。

人の姿も何も見えない、荒涼とした平原です。見ているだけでひしひしと寂しさが伝わってきます。そんな寂しいところなのに、向こう岸までどうにかして行きたいのです。周囲はどんよりと重苦しく、空は低く下方へと落ちていくような河向こうこそ、あの世なのでした

。私は比較的自己主張しない素直な性格で、だれかがそうしなさいといえば、はいと従うというタイプでした。ですから弟が川の向こう岸で来るなという合図をするのを見て、行ってはいけないのだ、もとの道を戻らなくてはいけないと、すぐに思ったのです。それに、川向うの荒涼とした雰囲気を感じ取り、行くのをよそうかなともためらっていたのです。

その時突然、母の声が響いてきました。
「愛子、愛子、行っちゃ駄目よ。しっかりしてよ。気がついて」ああ、母がすごく叫んでいる。戻らないといけないなあ、うるさいなあ。でも、また、いつか来るからいいやなど、次々に思いがめぐって戻ろうと決心したのです。

肉体から魂が離れてから、時間にして十五分ぐらいの旅だったでしょうか。私は三途の川まで行って戻ってきました。三途の川から戻って来てしばらくしてから元気になりましたが、魂が肉体を離れて上昇し、浮遊をはじめたとき、魂は病室の天井板の節穴を見つけ、それを記憶にとで目ていたのでした。この世に戻ってから、その時のことを思い出して、節穴を探してみたらありました。


『死後の世界』 宣保愛子
2003年 5月16日 71才で胃がんで死去



2009年10月16日(金) 母が我が子を殺す時

バツイチ女がわが子を殺す時…「児童虐待」鬼の母を連続直撃

内縁の夫とともに、母親が前夫との子を絶命へ追いやる惨事が相次いでいる。大阪市西淀川区では松本聖香ちゃん(9)が奈良市内の墓地に遺棄され、兵庫県小野市では大塚颯太ちゃん(当時4)の遺体が、二年近く自宅の冷蔵庫に隠されているのが発見された、いずれも家庭内の虐待死で、実母と男による犯行だ。

こうした事件が明るみにで出るたび、世間では「自分の子供なのになぜ?」といった疑問が繰り返される。4年前、息子へ「むごい仕打ちをした」と明かす35歳の母親(千葉)はある日を堺に息子への対応が急変したと話す。離婚から二年、同居を始めた男性と前夫との子供は最初から折り合いが悪く、暴力へ発展するのを度々なだめていた。そんな折、小三の息子がテレビゲームに興じながら「へぇ、そう」と気のない返事をして母親を一瞥する。

「その時の目つきや表情、仕草、言葉のイントネーションまで前夫にそっくりで鳥肌が立った。前夫の人を小馬鹿にしたような憎々しい態度がすべて一瞬で思い起こされ、憤りが爆発した」金にだらしなく、自分に無関心で、他の女の元へ走った、許せない男の所業と味わった苦しみが再燃し、感情の暴走が始まった。

「顔立ちが前夫に似て来たのもあってわが子であることよりは、前夫の化身がそこにミニチュア版として存在している感じで、憎しみが先だった」パートナーの「俺の種だったら、こんな子に育たない」の文句が気持ちに拍車をかけ、「しつけ」という言葉が免罪符になった。「あんな男(前夫)にならないために、今、ここで直してやってるんだ」と思うと暴力行為に正当化すら芽生えた」男が息子を怒鳴り、殴るのを看過するに止まらず、食事を与えない頻度も増えた。

一旦タガが外れた理性は戻らず、男が尻に根性焼きをする際は、自ら率先して息子のパンツを脱がし、暴れる子供を押さえつけた。縄飛びでムチ打ちする時は、彼女が声を出して回数を数えた。「行方をくらまして養育費すら払わない前夫への、子供を通して復讐したつもりになっていたのかもしれない」

泣き喚く子供の声はそのまま、前夫の悲嘆の声に通じ、許しを乞う姿もまた、前夫の姿に重ね合わせた。無抵抗な息子へのせっかんは、近隣住民の通報で指導を受けるまで約8か月の間、溜まっていたうっぷん晴らしとしてつ続けられ。女性のメンタルヘルスを専門とする、「芦刈クリニック」の草刈伊予子院長が言う。「別れた時は気づかなくても、子供が成長した時に、その原因の断片を子供の中に見出す場合があります。

例えば共感性が乏しいなど、前夫の一番嫌なところを子供の性格に見つけ「だから別れたのだ」と気づかされることも。また「母親はこんな時でもわが子に愛情を注ぐもの」との既成概念が呪縛となり、出来ないとイライラが募って思わぬ暴発を招くことがある。

埼玉在住の母親(36)も以前虐待した過去を持つ。30歳当時、7歳の息子とともに移り住んだ新しい男性住宅で、子供は心細さから母親の元を片時も離れず、これが相手の癇に触った。「比べられる対象じゃなくても、目の前で『俺をとるのか、こいつ(子供)を取るのか』と詰め寄られたら、『あなただけ』と答えるしかなかった。子供を守るにも疲れていて、自分こそ守られたかった。もう一人に戻りたくなかった」

…母である前に女でありたい
子供への仕打ちをエスカレートするほど内縁の夫の機嫌はよくなり、相手が息子への暴力をふるう時に加勢するほど、後で大事に扱われた。男が右の頬を叩いたら、母親が左の頬を叩く。男が「バカたれが!」とののしれば母親がが「この能無しが!」と追い打ちをかける。

そうした言動を続けているうちに「息子へのいたぶり度合いが、彼への愛情のバロメーターに思えてくるようになった」と言う。一人でいる時や息子と二人だけの時はわずかに正気に還ることもあったが、内縁の夫が帰宅すれば「自然とスイッチが入るように。3人揃えば彼の敵か味方かをはっきりさせなきゃならない。共通の敵を据えることで、互いの絆が深まったようにも感じていた」

嫉妬深いパートナーの常套句はは「だれが一番かはっきりさせろ」で、ふとよぎる罪の意識も相手の収入と情愛の前にかき消された。「暮らせるのは彼のおかげだから、彼の言うことを聞くべきだと思った。悪いママになっても、よい妻でいたかった。愛されたかった」半年後、男と別れて兄夫婦と暮らしだすと「憑き物が取れたように我に帰りました」と言うが、今も虐待死の事件が報じられる度に「他人事と思えない。あのまま暮らしていたら、私もそうなっていたかもと思うとぞっとする。とうつむく。

わが子は自分の子であると同時に、半分は「何らかの事情で別れた相手の子であり、妊娠・出産時には「一番愛する男の子供」だったのが、別離の時点で「最も嫌いになった男の子供」に成りかわってしまう実態すらあるのだ。さらに、新しい男が深い性的欲求をもたらす場合には「母」より「女」の情念が優先されて自身を見失うケースもある。

「母親は恋愛しちゃいけないの?私はまだ若いのに、女の幸せを優先させて何が悪いの?これまで頑張って来た自分へのご褒美ぐらい与えてもいい」恋に溺れるにつれて「この子さえいなければ、と思い始めて行ったという「あんなに可愛がっていたのに、恋愛の邪魔者でしかなくなった。この子さえいなければ、もっと楽で自由なのにといった思いしかなく、「人知れず死んでくれ」「いなくなってほしい」と願ったことも」

男の不在中に、それでもすがって来る6歳の女の子の小さな手は、かってのように大事に握り返されることなく「重くてウザいもの」として振りほどかれた。ほどなく父方へ引き取られることになった時には「寂しさもあったけど、厄介払いができてホッとしたのも本心だった」と漏らす。現在は別の男性と暮らすが、出産の予定はない。

「娘は可愛かったけど、子供のために犠牲にするものの大きさも知った。また同じことを繰り返してしまうかもしれない。自分が大事。私は母である前に女でありたいの」と、告白の最後に毅然とした声で締めくくった。

数々の男女のタラブルを担当して来た弁護士は「大人の恋愛こそ盲目」と説く。「前の男性との子供は、状況によって昔の男の象徴にもなりえる。ほかに同居人もなく、近隣に親族などがいなければ、閉鎖された空間で、三角関係の縮図となる場合さえあるのです」

冒頭の母親の息子の体には、中学生となった今も火傷の痕が痛々しく残る。昨年、シングルマザーへ戻った母親が力なく苦笑して嘆く。「消しゴムで消せたらいいのに、と思います。あの頃の自分は何かに乗り移られたようで、まったく正気の沙汰ではなかった。思い出すと辛くて胸が痛むけど、ずっと罪悪感を持っていても前に進めないので、虫刺され痕だと自分に言い聞かせるようにしています」



『週刊文春』5.21


2009年10月13日(火) それはさておき

…個々のテーマによってはかなり理解しにくい部分があるかもしれない。その場合、よくわからないところはとりあえずぼんやりした理解にとどめ、そこはカッコを入れて先に進んでしまうのがいい。これが少し難しい本を読む時の一番のコツである。本というのは、必ずしも一読して全部を理解する必要はない。著者の説明の仕方が悪いから理解できないということがしばしばあるし、著者が間違っていることも稀ではない。

そういう書物に付き合っていると頭が悪くなるなるから無理に付き合わないほうがいい。(本書だってこの著者には付きあえないと思ったら、途中でやめたほうがいい)。また目の前のテーブルいっぱいに御馳走が並べられているからといって、無理して全部食べる必要はない。適当に移りばしで味見してみて、本当にうまそうだと思ったら腰を据えて食べ始めればよいのである。

まずい皿があったら、とりのけて食べなくたっていっこうにかまわない。食べ物なら食べ残しを後から食べなおすことが出来るが、例外なしにまずい。本なら何回でもあとから食べ直すことができる。いい本なら後からもう一回賞味した直したほうが、前よりおいしく食べられるということが少なくない。


『脳を鍛える』 立花隆


2009年10月09日(金) 脳の不思議

「健康的な生活をしていれば、脳は常に変化しながら成長し続けます。最近では116歳で亡くなった女性の脳を解剖したところ、ほとんど衰えていなかったという報告もありました。『脳は機械のように使い古されることがない』。この解剖結果は、まさにこれを証明したわけです。脳というのもは、使うほどよい状態に変化していくというのです。

脳の中はいつもダイナミックに動いていて、昨日と今日どころではなく、数分たっただけでも神経回路のつながり方が変わっています。神経回路ができる時、ニューロンから伸びているシナプスが他のシナプスとつながり、シナプスがどんどん増えていくということではなく、むしろ逆に整理しながら減っていきます。それは不要なものだから削られているのです。

赤ちゃんがいつも手足をバタバタ動かし。あちこちぶつかりながらも、やがて目的の物に手がきちんと届くようになります。あれは一見無駄な動きをしながら必要な回路を見極め、ムダな回路を削り落していく行為です。こうして人は年を重ねて大人になるほど、正確に的確に行動できるようになる。それが脳の成熟の正体だと理解してもよいでしょう。「若い脳」と「成熟脳」の図を見るとよくわかります。

脳は体に命令を発し、脳が全体を支配しているのではなく、脳も体の一部、所詮体のしもべなのです。ということは、手足を動かしたり、姿勢を変えたり、体を動かすことで、脳も活動する仕組みになっているわけです。脳は頭蓋骨の中に入っていて、外部とつながる体や五感を通してでなければ何も刺激を受けることができません。だから年齢とともに体を動かすことが少なくなってくると、脳も刺激を受けにくくなってきます。

日々のケアを怠らず。体や五感をつかって生き生きと活動している限り、脳も元気になるということです。例えば集中力が衰えたからもう読書ができないなど、とかく脳のせいにしがちですが、実は体が衰えて疲れてしまうだけ。日ごろから読書する姿勢を保てる筋肉や、目の健康を維持していれば何歳になっても、脳は喜んで読書についていきます。

脳は若い脳より、年を重ねて成熟してきた脳のほうが断然魅力的だと思っています。例えば、絵画を見る能力がそう。美術館などで多くの本物を見ている人には、本物を見極める脳が育っている。よい経験の積み重ねが、脳を高度に育てているんだと思います。

もう一つは、脳にどんな刺激を与えているかによって、遺伝子の動き方が違ってくるということです。遺伝子は先天的なもので、後天的な経験とは関係ないと思うかもしれませんが、同じ遺伝子を持っていても、置かれた環境や経験によってその動きに鍵がかかったり、はずれたりすることがわかりました。マウスの実験では、体を動かすことができる回り車やコミュニケーションが取れる仲間が存在し、豊かで刺激的な環境のほうが、記憶や理解、判断に関する遺伝子が働いて記憶力もよく、脳の働きがよくなるということが分かっています。

つまり、脳の働きが活発かどうかは、遺伝でも年齢でもなく、環境や生き方で決まることなのだということが最近の脳科学で明らかになってきました。もう年だからなどと諦めるのはもったいないのです。

脳血流の測定機を使い、どのような活動が脳を活性化するかを調べている脳科学の研究者、篠原先生。その先生が食事と運動の他に是非加えてほしいとお勧めするのが料理です。料理は材料の買い出しから始まり、いくつもの段取りを踏む行為。しかも包丁や火を使いながら、常に次の手順を考え、手も頭も目も舌も、台所に立つ筋肉も同時進行で使う、まさに前頭葉フル回転の活動。これこそ、脳が喜んで元気になる、何よりの大人の脳トレ、というわけです。

さらに、ただ漠然とキャベツを切るより、「心を込めて5ミリ単位で切る」ほうが、脳はさらに活性化することが先生の実験で判明。やはり食べる人のことや、食べたときの歯ごたえなど、思いを巡らせながら料理するほうが脳はますます活性化し成熟していくようです。

●脳が喜ぶのは「甘い」「旨い」「アブラ」

脳の健康のための栄養素は「甘い」「旨い」「アブラ」という言葉で表現しています。「甘い」は糖質(ブドウ糖)のこと。ブドウ糖は脳のエネルギー源です。また、「旨い」は旨みのもとであるアミノ酸のこと。脳の神経細胞も神経伝達物質もたんぱく質でできています。そして「アブラ」は脂質のこと。ただ脂質にもいろいろな種類があります。

特に積極的にとりたいのは、脳の構成成分であり、遺伝情報にもかかわるアラキドン酸や、DPH、脳の血行をスムーズにするEPAなどの「必須脂肪酸」。それに対してとりすぎに注意したいのは、肉の脂身や乳製品に含まれる「飽和脂肪酸」です。もちろん、最も大切なのは栄養のバランスです。これらが代謝されてきちんと利用されるためには、ビタミンやミネラルなどが不可欠なことも忘れないでください。

『美感遊創』


2009年10月04日(日) ワクチンは闇のドル箱

米政府は2002年、生物兵器から国民を守るという名目で、英国の企業から2億8600万人分のワクチンを購入した。必要とあれば5日以内に米国の全市民に対してワクチン接種を行なうことができるだけの量である。そしてワクチン接種を義務付ける新しい法律を制定し、従わないと重罪に問われるという仕組みを作り上げた。

確かに生物兵器は現代の恐怖の一つである。旧ソ連では冷戦時代に炭素菌など微生物の研究を進めており、微生物が漏れて、周辺の住民に疾病が大発生したこともある。旧ソ連が崩壊したからといって、ロシアはその研究を終えるどころか、全人類の3分の1を死に至らしめる生物兵器の研究を進めている。

2004年には、ロシアのウィルス研究所長が「病原菌の拡散によって、10億人が死ぬであろう」と言っているのだ。過去2〜3年の間に、世界中で数十人の微生物学者が不審な死を遂げている。こうした生物学者は、このような研究に協力を拒否していたのである。興味深いことに。そのうちの何人かはDNAの研究者であった。

一方、医学界は遺伝子ワクチンを推し進めている。。ワクチンのDNA成分は、人間のDNA自体に取り込まれ、接種を受けた人は死に至る危険と隣り合わせにいるということなのだ。タイムズ紙の報道によると、湾岸戦争症候群は明らかにワクチンと関連する。1991年の「砂漠の嵐」作戦以来、現在で10万人以上の帰還兵がこの症候群で苦しみ、すでに2万人が死亡している。

くしくも、大統領選挙戦の最中にブッシュ現大統領が「私は流感の予防接種などは受けていないし、受けるつもりもない」と公言しているように、安全なワクチンなど存在しないのだ。タイムズ紙によると、汚染されたワクチンは、1962年にさかのぼる。1950年代、1960年代の小児麻痺ワクチンはサルの腎臓の組織から製造したもので、ワクチンはサルのウィルスによって汚染されていた。この汚染ワクチンにより、その後のガン発生が急増することになる。

1987年にはロンドンのタイムズ死が一面でWHOが行なった天然痘のワクチン接種がエイズの原因であったことを報じており、接種が大々的に行なわれた地域にエイズ発病が集中していることからも明らかである。エイズ研究で有名なロバート・ガロ博士は、「エイズ研究者は買収されてこの件に関して沈黙している」と明言している。1992年には、WHOの所長は「エイズの病原は今日の科学にはもはや必要ではない」と述べているがこれは明らかに開き直りである。


『この地球を支配する闇権力のパラダイム』


2009年10月03日(土) 「がんワクチン療法」

がんワクチン療法が国委託事業に決定した。がん患者それぞれに最適なワクチンを処方する久留米大学のがんペプチドワクチン療法を核とした産学官事業「久留米高度先端医療開発クラスター」が文部科学省の委託事業に選ばれた。本年度から5年間、年間約3億円の委託費が支給される。全国で4件が採択され、九州では唯一。福岡県や久留米市が7日に発表した。

同事業に参加するのは久留米大や九州大、県や県内企業など。肺がん、肝臓がん、膀胱がんに有効ながんペプチドワクチン療法の実用化研究、大学や製薬企業の技術者などを迎えた講座による人材育成事業、海外との人材交流や技術開発による国際展開の強化、などの事業を展開する。

久留米大学のがんペプチドワクチン療法は、患者への負担が格段に軽い「第4のがん治療法」と注目される技術で、全国初の取り組み。患者やがんの種類によって異なるがん細胞の表面に存在するペプチドを識別。化学合成した30種類のペプチドの中から、患者の免疫機能を最も活性化させるペプチドを選び注射することで、免疫細胞にがん細胞を認識させ攻撃するという治療法だ。

県庁での会見に出席した久留米市の江藤守国市長は文科省の委託事業採択を受け「我々のプロジェクトに大きな弾みがつく将来的には世界から治療に来るような都市になれば素晴らしい」と期待を込めた。


西日本新聞 7/8


加藤  |MAIL