++るうの独り言++
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2003年10月28日(火) 出無精

東急ハンズいってー
西武のリブロにかよったりしてー
巣鴨いってー
りんかい線に乗って天王洲アイルまでいったろ。
K輸入食品屋にいってー
Hハーブ屋さんもひさびさにいってー
銀の葡萄のシュークリーム食べてー
あ、皇琲亭いかねば。
文士村にもご挨拶を。

・・・・

埼玉の奥地で思い描いていた沿線探索。
こっち来てもう1か月以上がたつというに
全部1時間以内でできるようになったというに
まだぜんぜ〜んしてない。

忙しくってしてるひまがない? 
んにゃ。どんなに忙しくてもしたい事は優先してする性格の私。(^^ゞ 

今日、雨で庭仕事ができなくなったので図書館(家から歩いて10分)に行き、読みたかった本を見つけ館を出る。
図書館の通りから2本向こうにこじゃれた喫茶店。
読みたい本がある。コーヒーが飲める。ゆったりできる。
最高のシチュエーション♪ 午後は優雅にお店で読書するかな♪
足がその店の方へむきかけた時
『・・・でもなー。おいしいコーヒーは家にあるしなー』

埼玉の奥地だったら絶対にそのままその店にはいっていた。
が。
踵を返して帰宅。

そう。要するに今までは
『何となく家に居たくない』からあっちこっち出てただけで、
家にいたい今は、別に出かける理由がないのだった。(^_^)

うう。このままでは出無精からデブ症になってしまふ。いかんっ!




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2003年10月24日(金) 自転車

十年前、三人乗りをした自転車。
故にその状態で登り坂をいくのが嫌で、幼稚園の送り迎えは
登り坂をなるべく避ける道順で大回りをしながら時間をかけて行ったものだった。

一番の難関は諏訪神社前の坂だった。

今日、そこを一人でこいであがった。
冬の福島と埼玉の奥地で鍛えた太ももは期待を裏切らなかった。(笑)
余裕をもって(途中2人抜かして)のぼりきる。

急坂ではあれど、幼稚園へはここを行くのが1番近いのだ。

で。
息子の幼稚園の近くは再開発されて様変わりしており
でも一本路地に入ると全然かわっておらず
素敵な店や便利な店が増えてこじゃれた感じにはなってても
まだ昔ながらの八百屋さんやうなぎ屋さんがあるという感じ。

この新旧いりみだれたごっちゃごっちゃ感が実に人間臭くて大好き♪

十年前からある(実は戦後間もなくからあるらしい)和菓子屋ですはま(こどもたちの好物)を買って、
新しいショッピング街にできたスタバでコーヒー飲んで、
息子の後輩たちをしばし見つめ(あやしいおばさん風だったかも)
帰途につく。

帰りは、
さっきの坂、すってきな下り坂になるのよ♪
いやっほ〜〜〜〜! ばびゅ〜〜〜ん!




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2003年10月21日(火) 物売り

江戸の名残なのか
自宅近辺では物売りの声がよく聞こえる。

バイクやオーディオを引き取ってくれるのとか
焼き芋とか
さお竹やさんとかは
どこでも来るけど

ちりんちりんと鐘の音だけで来るのはおでんやさん
夜鳴きラーメンに
豆腐屋さんに
可愛くない(笑)おじさんの魚屋さん


「昔は玄米パンとかー、そうそうシジミ・アサリ売りもきたな」と旦那ちゃん。
いわく
「アッサリィ〜・・・シンジメッ!」 くすくす。

さて。
さお竹やさんの独特の節回しがありますよね?
「さおやー、さおだけー」
この節回しで、ですね
「ぎょうざ〜、ぎょうざ〜」
とやってみてください。はい、ご一緒に。
「ぎょうざ〜、ぎょうざ〜」

本日家でくつろいでおりますと、この
「ぎょうざ〜、ぎょうざ〜」の売り声。
にゃにぃぃ? 餃子まで売り歩くのかああああ?
しかしこの独特の節回しに息子は
「さお竹屋さんじゃないの? さお竹の売り声とおんなじじゃない?」

しかし、いかに私が衰えたりといえども
どこをどう聞けば「さおや〜」が「ぎょうざ〜」になるんじゃ??

ううむ。

と、「ぎょうざ〜」の声が我が家に近づいてくるではないか。
「おかーさんっ! ぎょうざが来たっ!」
「よしっ!」

おかーさん走る走るっ!

「ぎょうざ〜、ぎょうざ〜。おいしいキムチ餃子。たけのこ餃子・・・」

うわ〜〜♪ 
ぎょうざは、ほんとに餃子だったんだーーっ!
きゃ〜♪
うわ、しまった。財布わすれたっ!

楽しみがひとつ増えた。るんるん。




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2003年10月20日(月) 朝のご挨拶

私がちょうど起きて活動を始める時間は、
NHKラジオでは『ラジオ深夜便』から『日本列島あさいちばん』に番組が変わるときで、
その切り替わりの時、『深夜便』のアナウンサーが番組最後お別れの挨拶をするのだが、
今朝のアナウンサーは
「では皆様、今日一日、なにかいいことがありますように!」といって終えた。

なんだか笑っちゃったよー。
“なにかいいこと” ね。

ちょっと悲観的にも聞こえる朝の挨拶。
「今日もいい日でありますように!」とか「素敵な一日をお過ごしください」ではなく、
「なにかいいことがあるように」と。

考えてみえば
聞く人にプレッシャーを与えない挨拶かもしれない。
「今日も一日いい日でありますように」
→今日も、っていついい日だったっていうんだいっ!
「素敵な一日をお過ごしください」
→素敵な日なんか過ごせるかいっ! 素敵な事なんか何にもないわいっ!
なんてね。
形式上の美辞麗句は気持ちがこもってないからそれゆえに心をひねくれさせることがある。

でも
「なにかいい事がありますように」
いいことなんてそうそうたくさんあるわけじゃない、無い方が普通。それでもなにかちょこっとでもいいことがあったら喜びましょう。きょうはいい日だったといいましょう、
などという実に現実でかざらぬ真実を語った挨拶かもしれない。
この挨拶にほっとする人多いかもしれないなー。

ふ〜ん。なるほどねー。

でもーー(- -)(- -)
私は、このご挨拶は好きじゃないー。
ラジオで聞いた時に笑ったのだって、どっちかってーと苦笑に近かった。
朝の元気も喜びもぜーんぜん出ない。力抜けちゃう。
そ。自分の周辺には『いい事』『素敵な事』がごろごろしてると思ってるおきらくるうちゃんにはこの挨拶は不適なのだ。

・・・そうだよ。みんな、もっとお気楽に行けばいいのに。
この挨拶にほっとする人が多いってのは
なんだか気の毒だなあ、とか思ってもしまうのだった。<脳天気の極み(^-^;

今朝もコーヒーがおいしいっ♪ さて、そろそろ子どもを起こしてきましょうか♪




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2003年10月15日(水) 天人相関思想

わー、びっくりした。
このごろ地震が多いな (- -)

平成の時代には「台風も地震も不作も、小泉さん、あんたの責任だ。早く辞めなさい」と真顔でいう人は、幸いにもいない。(by 逆説の日本史・改竄)
でも、『天地の気は自らは秩序を乱さないものだ。乱れるのは人が乱すのである』なんて話を知ってたりすると、なにか言いたくなるのはたしか。(わははのは)
近頃「不徳のいたすところでございます」と深々頭を下げる人が多いではないか。
うん。大地がじっとしてないのは、こやつらのせいだ。
火星があんなにも赤く無気味にかがやいてるではないかっ!(大笑)

・・・自分の生活がどう努力してもうまくたちゆかなくなると
とかく他に責任をなすりつけたがるのが人の常。
誰にもどうしようもないことでも(災害とかも)誰かに責任があると決めつけたほうが気が楽なのであろう。

「地震に対してなんの備えもしなかったのは政府の責任だ」等等。
それはまるっきりはずれているわけではないのだが
これがひどいことになると
関東大震災の朝鮮人迫害の悲劇につながるような気がする。
集団八つ当たりとでもいうべきか。
なす術がない人々が何かに責任を取らせたかった。「〜のせいだ」と言う事によって安心(?)したかった。

だが。
責任転嫁するだけで自分の足元を見るのを忘れてると、天の気の乱れを一人で引受ける事になるぞー(笑)

・・・首相の不徳を嘆く前に、本棚のつっぱり棒確認しとこっと。




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2002年10月15日(火) いわなかったけど・・・


2003年10月14日(火) 振り替え休日は雨

10月11日の土曜日は中学校の学校開放日(別名:一日中授業参観)だったので、本日その振り替え休日。
といってもわーいわーいと遊んではいられない中間試験2日前。
だから雨が降るのはいい具合だ。あきらめもつく(笑)

自分の部屋は(引っ越してから一人一部屋になったのでご機嫌さんなのだ♪)
誘惑が多すぎると、1階のごたつで勉強し始めた娘。
見事に食事以外はびっちり勉強していた。

息子は自室で。
こやつにはもう母は口出しをしない。
ごまかしたのもいい加減にやったのもがんばったのも自分でわかってる年代。


で、おかーさんは
家事一般にとりくみ、
お十時とおやつに三人でお茶も飲み、ポップコーンも作り
「おかーさんは試験じゃないから漫画読もっと」などといい、ヾ(・・;)
「ちょっと気分転換に買い物いってきてくれー」と頼みヾ(・・;)

肌寒かったけど静かでのんびりした1日だった。

ここに戻ってきてから、時間がとてもゆっくり過ぎて行くような気がする。
そしてなんだか1日がとても有効に時間に追い立てられずに使えるような気がする。




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2003年10月06日(月) まだ、ストレンジャー

引っ越して自宅に戻って来た。
うれしい。

とりあえず日常生活に支障がない所まではかたづけた。
(緊急を要しない荷物は部屋の隅&一室に押し込んである)
台所とダイニングが1番最初にかたづいたのはそういう理由からで有る。わはは。

ネットは都会のBフレッツである。(笑)

んが
窓はまだ薄汚れており、障子もお化け屋敷のようで
掃除はしたけど、10年来の汚れが気になる。雨戸のよごれにはうんざり。
お湯を出すのにもたもたし
電気のスイッチ、どれがどれか分からず、
自宅なのに10年のギャップは大きく

『あー、伊勢屋の団子が食べたいなー、でも遠いしなあ』とか思ってしまうのは
まだ気持ちが郡玉仕様から抜け出てないから。
※今や伊勢屋の団子まで30分以内であるのに、だ。

郡玉のスピードで自転車を走らせると非常に危ないことに気付き、
なんだか時間がの〜んびり過ぎていくような気がし
新幹線の勢ぞろいが再び日常となったことに喜び
お風呂に入るとコオロギだけが静かに聞こえる事に感激し
商店街に旗めく『開府400年』の文字にうれしがったり
屋台のおでんに顔がほころんだり

・・・自分ちに帰って来たのに、私はまだおのぼりさんである。




◆昔の今日の記事
2002年10月06日(日) るう婆さん


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