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2005年07月31日(日)
「吉野ヶ里」佐古和枝 早川和子

「吉野ヶ里」草思社91年刊 佐古和枝 早川和子
漢字にルビを振っているので、小学生・中学生の学習用として企画したのかもしれないが、内容的には1991年までに分かっていた考古学的知識が総動員されている。学術的にも最先端のことが書かれてあると思った。

しかしこの本の特徴はそれだけではない。学術的用語は極力使わず、会話体を多くし、隣の中国の動きを常に視野にいれながら、まるで吉野ヶ里という『弥生都市』を舞台にした大河小説のダイジェストみたいな体裁を持っている。読んでいてイメージが次々と沸く。

そのためにはいくつかの『冒険』もしている。一般に考古学者というのは、こういう解説書では定説しか書かなかったり、定説になっていないところはさまざまな説を紹介した上で自説を展開して『難解な文章』になりがちである。佐古氏は一番意見が分かれる邪馬台国の場所やら吉野ヶ里の国の名前などは、「筑後平野の一角に邪馬台国」「吉野ヶ里は弥奴国の中心地」だと決めて話を進めてしまっている。いろいろと反論のあるところかもしれないが、わたしは『分かりやすくて』とても良いと思う。今大切なのは弥生時代とはどういう時代だったのかイメージを広げることだ。ここにはちょっと前の教科書(今もか)では思いもつかない、ダイナミックで豊かな日本の黎明期が姿を現す。興味を持った人はさらに難しい学問の世界にはいればよいだろう。

イメージ創りに大きな役割を果たしているのは早川和子氏のイラストである。早川氏は弥生時代のイラストを描いたらおそらく日本で第一人者であろう。優しい線に似あわず、考古学的知識は第一級で、この人のイラストなら文章の中にはでてこない人々の髪型、服装などはもちろん、子供や老人の表情まで信頼できる。またイラストには、吉野ヶ里の俯瞰図や、アジア地図も在り、手書きイラストならではの分かりやすさがある。
(05.05.26記入)



2005年07月30日(土)
『テロリストのパラソル』藤原伊織

『テロリストのパラソル』藤原伊織
アル中の男が公園にねそべっている。少女が近づき、少し仲良くなる。男親が心配してやってくる。男は弁解する。「二人で世の中の真理について話していたんです」
冒頭のこの場面を読んでわたしは誰にも聞こえない声で『ビンゴ』とつぶやいた。初めて読む小説家で、最初から魅了してくれる小説にであえる可能性というのは、喫茶店でたまたま隣り合わせになった女性と付き合いに至る可能性よりは大きくはない。

期待通り、アル中の男はアル中のまま、ノーテンキに、粘り強く、男の魅力を振りまきながら、新宿中央公園爆破事件の犯人を追い詰める。途中の展開に少し無理があるのではないかと心配したが、最後は見事に着地した。まさかこれがミステリー小説第一作目だとは。主人公と同じく著者は東大卒の中年のおじさんである。

冒頭、宗教勧誘らしき若者が主人公の中年と一言二言交じわしたあと、肯いて言う。「やるじゃん、おっさん」
(05.05.26記入)



2005年07月29日(金)
『漂白の牙』 熊谷達也

『漂白の牙』集英社 熊谷達也
同じ現代の動物小説であるが、『ウエンカムイの爪』より格段に面白くなっている。ひとつの謎がもうひとつの謎を呼ぶという構成。多人称形式の構成も唯一分からない狼らしき動物の存在があるからうまいこと作用している。ただ、話を面白くするためか、ミステリー形式にしてしまった。雪の中の行進や動物描写は非常にリアリティがあるだけに、謎解き部分で話を創りすぎてしまったかもしれない。その後著者がミステリーから離れたのは正解だっただろう。
(05.05.24記入)



2005年07月28日(木)
「韓国現代詩選」茨木のり子翻訳

たとえばホン・ユンスク(洪充淑)「人を探しています」の詩を読むと、世界のどこでも共通する普遍性を感じる。しかし、一方で彼女は、青春時代が朝鮮戦争のときで、今はもう故郷に帰ることができないという事情を持つ。そういう事を知って読むとまた、別の感情が沸くのである。


カン・ウンギョ(かん恩喬)

「芥子粒のうた」

そんなに大きくなくっても
いい
そんなに熱くなくっても
いい
芥子粒ぐらいだったら
いいの
芥子粒に吹く風であれば
じゅうぶん

チョウ・ピョンファ(趙ぴょん華)
1921−、八方美人(パルパンミイン)万能選手

「たそがれ
 私の自画像」

捨てるべきものは捨ててきました
捨ててはいけないものまで捨ててきました
そして御覧のとうりです

ホン・ユンスク(洪充淑)
  1925− 平安北道 定州郡 出生

「人を探しています」

人を探しています
年は はたち
背は 中くらい
うすももいろの膝小僧 鹿の瞳
ふくらんだ胸
ひとかかえのつつじ色の愛
陽だけをいっぱい入れた籠ひとつ頭に載せて
ある日 黙ったまま 家を出て行きました
誰かごらんになったことはありませんか
こんな世間知らずの ねんね
もしかしたら今頃は からっぽの籠に
白髪と悔恨を載せて
見知らぬ町 うすぐらい市場なんかを
さまよい歩き綿のように疲れはて眠っていたりするのでは
連絡おねがいします
宛先は
私書箱 追憶局 迷子保護所
懸賞金は
わたしの残った生涯 すべてを賭けます

李海仁(イヘイン)
釜山の修道院の女性。

誰かがわたしのなかで

誰かが わたしのなかで
咳をしている
冬の木のようにさびしくて
まっすぐな人が ひとり 立っている

彼はしわがれ声のままで
わたしを呼ぶのだが
わたしは気軽に応答できず
空ばかり眺めている もどかしさよ

わたしが彼を
寂しがらせたのだろうか
彼がわたしを
疼かせているのだろうか
謙虚なその人は
わたしのなかで
つづけざまに咳こみ

わたしはさらに語るべき言葉を失っていく
あてどない悲しみよ

ファン・ミョンゴル(黄明ゴル)
1935−平壌出身  1970年代東亜日報解雇

「焼酎のように冷たく熱く」
たとえ酒を呑もうとも
焼酎のように冷たく熱く
この世を生き抜いてゆこうとした
ところで今日はどうしたわけか
何杯かの酒にしどろもどろ
酒までこぼすていたらく
とうとう通りでぶっ倒れた
星もさむざむふるえる夜
町は隅々まで切り裂くような刃の風で
ごたつていた今日の昼の
うそ寒い事態のように
すべてのものが氷りつく
硬くこわばってゆくからだ
寒さが血を凍らせて
風が皮膚をえぐってゆく
しかしだ、しべりやの極寒も
血の流れを止めることはできず
皮膚を切る氷の刃いくら深くたって
熱い内臓は取り出せないだろう
それは星がいくら寒さにふるえても
落っこちてこないのとおんなじだ
おもえば、あんなにも活発にいきいきと
廻っていた輪転機
あんなにも元気よく声をはりあげて町を
走り出す新聞売りの少年
彼のように起き出さなければならない
彼のように走り出さなければならない
のんだくれ 冬の酔っ払いめが
氷点下のこの町で
よしんば酒を呑むとしてもだ
浮世や 焼酎のように
冷たく熱く 生きてゆこう
冷たく熱く 生きてゆこう



2005年07月27日(水)
「それぞれの『戦争論』」 川田忠明

「それぞれの『戦争論』」唯学書房 川田忠明
先日ね著者の講演を聞く機会があった。川田氏が平和運動にかかわったのは、大学時代、原水爆禁止世界大会に初めて行って被爆者の話を聞いたとき、ショックを受けたのがきっかけであったという。「知識と実際に体験した人の話の間には大きなギャップがある」
この本を作る時、小林よしのりの『戦争論』が念頭にあったという。「結論は同であれ、その出発点には肯くことが出来るところがある。小林氏は知識で反戦を唱えるものを批判している、戦争をしたものは人生を賭けて命がけで戦ったんだと。若者は(こいつ真剣にものを言っている)と捉えたのではないか。」私は別の面からアプローチしてみようと思う。戦争の加害者、被害者の生の声を載せて、戦争の実態を両方の目から見てみよう。その上で読者に判断してもらおう。」とのことでした。この本のまえがきには「戦争を議論するための知識ではなく、それを想像するきっかけを提供する」ために書いたとある。
この本には、南京で何人死んだか、原爆で何十万人が死んだか、ベトナムで、イラクで、パレスチナで何人死に、殺されたかを問題にしていない。どのように殺されていったのか、殺した人の気持ちはどうだったのか、を問題にしている。
本で編集上落としたことで印象に残っている言葉として、もとベトナム帰還兵のアレンネルソン氏の言葉を紹介していた。ネルソン氏は帰還後PTSDを患ったのであるが「自分は人を殺したんだ。」と認めない限りは、立ち直ることが無いという。『日本全体がPTSDを患っている。アジアに何をやったか認めない限りは決して直らないだろう。」もちろん『認める』ということは言葉で「ごめんなさい」といった舌の根も乾かないうちに、殺した側を神として祭りあげることではもちろん無いだろう。
(05.05.15記入)



2005年07月26日(火)
『ドリームバスター』 宮部みゆき

『ドリームバスター』徳間書店 宮部みゆき
夢の中の『怪物』と戦うドリームバスターとD・P(ドリームパーソン)たちの物語である。SF好きの人間から見たら、それほど奇抜な物語ではない。語り手が時にはドリームバスターだったり、D・Pだったり、他の人だったり、いつもの宮部特有の『しかけ』があるわけではない、とそう思っていた。しかし、さすが語りのうまさもあって、ぐいぐいと最後まで読ませる、人の心の中にあるトラウマと戦う物語なのかな、とそう思っていた。最後の1行までは。 なんだか一筋縄では行きそうに無い。もしかしたら、第一巻は大長編の序章に過ぎないのではないか、そんなことも思わせる本であった。
(05.05.13記入)



2005年07月25日(月)
『ルポ戦争協力拒否』 吉田敏浩

『ルポ戦争協力拒否』岩波新書 吉田敏浩
二つの特徴がある。ひとつは、この間加速度的に現実味をを帯びてきた『戦争のできる国』の背景を非常に良く勉強しており、これ一冊だけで簡単なレジメが出来るような内容になっている(91年PKO協力法から04年有事法制の内容、政治家の問題発言、自衛隊装備の紹介等)。ひとつは、昨年末までの情勢、ならびに背景、ならびに当事者の声を精力的にひろっていて、まさに速報性が重視される『ジャーナリズム』の要請にきちんと応えているということである。

自衛隊員や、企業の従業員は『命令』を拒否できるのか、出来るとしたらその根拠はなにか、学者の研究を待つようでは遅すぎる。法律家や運動家に聞いて、『拒否できるのだ』と示しているのは現代の希望だろう。まだ『命令』自体が自分に降りかかるとは思っていない国民がほとんどの御時勢、『今闘っておかないと手遅れになる』と自覚的に運動している人たちを丁寧に紹介している。また、チラシを配っただけで逮捕する相手側の法的根拠はなにか、その根拠の矛盾などを紹介して『しのび寄る統制の足音』に警笛を鳴らしている。

「(たとえ自衛隊の任務を格上げしても)憲法九条がある限り、自衛隊の主たる任務を防衛出動の範囲以上にまでは拡大できない。憲法は軍法会議も認めていません。」「海外派遣を断っても、その行為を受け入れる世論があれば、自衛官も家族も孤立感を感じずに『行きません』と断ることができる」ある運動家のこの指摘は重要だろう。


と、いうことで簡単なレジメを作ってみました。
つまりこの本の概略で、学習用のメモです。



《戦争のできる国へ》
1980『武力行使の目的を持たないで部隊を海外に派遣することは憲法情許されないわけではない』
1991ペルシャ湾へ機雷掃海艇を
1992PKO協力法
2001・10「テロ対策特別措置法」わずか三週間で成立「停戦の合意」や「中立的な立場の堅持」は脇に追いやられ、米軍への兵站支援。初めて戦時に自衛隊海外派遣に。
2003・7「イラク特措法」外国領土へ陸上部隊や航空部隊が。米英軍への兵站支援も。
2004/6/27小泉党首討論会で『集団的自衛権を行使できない。それはかしい。憲法を改正すべきだ。』わざと政府見解と違ったことを言ってみせる。
2004/7/21アーミテージ米国務副長官『憲法九条が日米同盟関係の妨げのひとつになっているという認識はある』
  2003・4経済同友会改憲意見書「集団的自衛権の容認」「場合によっては米軍とともに海外で武力行使をするべき」
  アメリカにとって都合のいい国際秩序つくり  イラクの国連決議違反を非難する一方で40以上のイスラエル非難決議はアメリカが拒否権で葬ってきた。(ダブルスタンダード)独裁者だと非難するが、、チリのピノチェト、パナマのノリエガ、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルト、現在はウズベキスタンのカリモフ、絶対王制のサウジアラビアやクウェートも支援している。

1999周辺事態法2003有事関連三法2004有事関連七法
『アメリカが起こす戦争に日本が荷担することで、それが飛び火して『日本有事』になる。政府は自衛隊を参戦させ、国民を統制し戦争協力をさせようとする。こが最も起こりうる「有事」だ。』

2004/11自民党改憲草案『徴兵制は容認しない』『国民は国家独立と安全を守る責務を有する』『首相は国家緊急事態を布告できる。そのとき国民の基本的権利、自由は最小限制限できる』その後撤回。

→これらの動きを、国民は自覚していないが、アジアの国民は自覚している。05年反日運動に繋がる。

《自衛隊は命令を拒否できるか》
2003/3/20旭川市でのイラク派遣。護国神社の絵馬には『イラク派遣無事帰国できますように』『サーヤが無事イラクから帰ってきますように』遺書を書いて出発する隊員が何人もいた。
2004/12/10『防衛計画の大綱』自衛隊法を改めて海外任務を本来任務に格上げさせるという文章。現在はあくまで付属任務。命令を断る法律根拠はある。

2004自衛隊軍事力。隊員238,579人。軍事費4兆8764億円。世界でもアメリカ、ロシアに次ぐ額。補給艦の大型化(「とわだ」「ましゅう」「おうみ」)。ヘリコプター空母型護衛艦が2隻作られる予定。事実上の軽空母。最新鋭型のイージス護衛艦二隻もつくられる。(戦車10両と330人、強襲上陸用船艇二隻)強襲揚陸艦三隻はすでに配備(「おおすみ」)「空飛ぶ指令塔』AWACSは2000年から配備。C−1輸送機の後継機大型輸送機CXを開発中。2010年完成24機導入予定。6500キロの航続距離を持つ空中給油・輸送機KC−767も四機2006年より導入。←これは『専主防衛』にふさわしくないと近隣各国の警戒感を呼び起こしている。軍事偵察衛星も二基2003年に打ち上げた。

(たとえ自衛隊の任務を格上げしても)『憲法九条がある限り、自衛隊の主たる任務を防衛出動の範囲以上にまでは拡大できない。憲法は軍法会議も認めていません。」
『海外派遣を断っても、その行為を受け入れる世論があれば、自衛官も家族も孤立感を感じずに『行きません』と断ることができる』

増える自衛体内での自殺。人権侵害の事例が増えている。『どんな組織でも常日頃から人権が保証されていなければ、ましてや有事に人権が保証されるはずが無い。』

《有事体制を拒否する人々》
200310/27国会答弁 自衛隊法民間に命令する『業務従事命令』『効力が及ぶのは対企業までであって、そこから先は労働基準法の分野になる。』←ここでも『拒否できるのだ』という世論の喚起が大切←根拠1968『千代田丸事件最高裁判決』憲法第19条『思想心情の自由』

2005国民保護法にもとずく住民訓練を行う予定。

《自由にものも言えない社会に抗して》
2004/2/27立川チラシ配布逮捕事件 75日の拘留の後仮釈放。12月地裁無罪。政府控訴中。『住居進入罪』
2004/3/3『赤旗』号外配布事件 社会保険庁職員「国家公務員法」33年間起訴されることは無かったのに。
2003/4反戦落書き事件『建造物損壊罪』04/2有罪。04/9控訴破棄。最高裁に上告中。

《戦争の加害者にも被害者にもならない》
(05.05.11記入)



2005年07月24日(日)
『田中芳樹初期短編集 緑の草原に…』

『田中芳樹初期短編集 緑の草原に…』東京書籍
田中芳樹のSFがなぜ面白いのかというと、その作品至るところに、読書好きの輩を喜ばす『オマージュ』が散りばめられているからに他ならない。特に中国戦国時代のいろんな教訓、ローマ時代の栄華盛衰、等、歴史のある時代への知識は際立っている。
初期の時代には、それプラスさまざまな科学雑誌知識とともに、過去の名作SFへの『オマージュ』もはいっている。

この作品集では、『流星航路』『銀環計画』が秀逸。

『流星航路』に引用される『かの常闇の宇宙より他なし…』で始まる詩は、著者自身の創作ではあると分かってはいるが、『15,6年前、私が思春期の少年だった頃から流布し始めた詠み人知らずの詩である。技巧的には稚拙だし、文学的価値にいたっては話のほかだが、(宇宙活動家を目指す)若い世代に感情に訴えるところがあって…』というような文章を読むと、いったん話を創ったあとにそれをまた歴史のヒトコマに組み入れる作者の、楽しんで話を創っている様が見えて私も楽しくなる。

『銀環計画』に見える、辛らつな近未来の世界批判は、まるで『創竜伝』の先取り。未来に対する鋭い批判とともに、どこかに『希望』を隠したストーリー運びに、私たちは、少しほっとするのだ。バラ色の未来は信用できない、でも、あまりにも希望の無い未来も信用できないのである。
(05.05.10記入)



2005年07月23日(土)
「手帳200%活用ブック」日本能率協会マネージメントセンター編

「手帳200%活用ブック」日本能率協会マネージメントセンター編
今度必要があって、手帳が必要になり、同時にこの「ハウツー」本も買ってみました。この本のいいところは、「私はこれからどのような手帳を作っていくか」方針が決まらないときに参考になるということでしょう。
過去、私が挫折した理由のひとつに、目的がはっきりしないまま始めたということがある。斉藤孝の「三色ボールペン」型管理も、熊谷正寿の「夢実現ツール」手帳も、西村晃の「ポストイット」手帳術も、まずはやっていないとわからない。そのために三冊も本を買うのはバカらしい。この本を見て、少し試してみて、本格的に使い方を決めようと思う。
また、能率協会の知恵を集めた、「手帳選びの基本」コラムも、大変役に立った。
(05.05.10記入)



2005年07月22日(金)
『明日があるさ』 重松清

『明日があるさ』朝日文庫 重松清
冒頭の「マンモス西を探して」にまず共感する。名作『明日のジョー』最後のホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチの観客、あるいはどの場面でもジョーの最初の頃の相棒だった西はでてこない。ウルフ金串、少年院時代の仲間、どさ回り拳闘の連中まで顔をそろえるのに、いくらスーパーの経営が忙しいといったって、ラジオくらい聞いたっていいもんじゃないか。でもやがて重松はそのことを受け入れる。「燃え尽きて真っ白な灰になるかっての相棒に背を向け、物語の外にはじき出されてしまうことで、西は、真っ白な灰ではないージョーの言葉を借りれば「燃えかす」としての生を得たのではないか」。ほとんどの人はジョーになれるわけではない。だとすれば「燃えかす」「あまり」の生き方を見事に生きてみたい。重松清はその応援団を買って出る。基本的に優しい男ではある。

リストラやいじめ、地域社会も形骸化した現代、残された絆は『家族』だけなのだろうか。だとすれば、重松清の小説はこれからさらに読まれつづけられるだろう。

このエッセイでは、重松清がずっと小説に描くことが出来なかった題材を、エッセイの形だからこそなのか四編も書いていて、私はやっと『S君』がどういう人で、重松清にとってどういう意味を持っていたのか分かった。なるほど家族をテーマにしている以上、これは簡単には書けないよね。でもいつかは書くだろうと思う。子供がS君の歳に近づいていけば。
(05.05.06記入)



2005年07月21日(木)
『創竜伝5蜃気楼都市』 田中芳樹

『創竜伝5蜃気楼都市』講談社文庫 田中芳樹
今回は番外編。日本海の地方都市を舞台に、政界と地方財閥と宗教団体と、彼ら兄弟が三つ、もとい、四つ巴のドンちゃん騒ぎ、もとい、戦いをするのである。例によって彼らの力は強大だから、いとこの茉理よろしく、暖かく迎える準備だけをしておけばいい。注目は、地方財閥と地方行政の癒着、宗教団体の腐敗、政界の百鬼夜行の描写が今回も容赦無く描かれているところであろう。



2005年07月20日(水)
『言葉が通じてこそ、友達になれる』茨木のり子 金裕鴻(キムユーホン)

『言葉が通じてこそ、友達になれる』筑摩書房 茨木のり子 金裕鴻(キムユーホン)
金氏は言う。「韓国では(たとえ夫婦喧嘩の最中でも)別々の布団を敷いて寝ることはほとんど無いのです。日本人は嫌いになるのに時間がかかりますが、一度嫌いになると徹底して嫌いになる。ところが韓国の人は一日に三回も四回も嫌いになったり好きになったりしてすぐ忘れる。韓国語に『復讐の心』『恨みを抱く』はあるけど『根に持つ』という簡単な言葉が無いんです。」

この本はハングル講座の草分けの金氏と、その講座の長い受講者でもあり詩人の茨木のり子氏の長時間対談である。お互い言葉に関しては鋭敏な感性を持っており、お互いの文化に対して『はっ』とするところが多々あった。発見の本である。

しかも、お互いの国に対しては『違いを楽しむ』という態度であり、これからの日韓の交流のあり方の見本みたいな本である。まだまだ日本人は韓国人の行動の基準を知らないし、韓国人も日本人の『察する』文化など分かっていない所は多々あるだろう。そう言う理解の不足が今日の日韓問題にも影響しているはずだ。韓国人の主張は極端だという前にこの本を読む事をお勧めする。また、もし私に韓国語が出来たなら今すぐにでもこの本を翻訳してソウルの教保文庫の棚に並べたい。それだけ「力」のある対談である。

(以上がアマゾンに投稿した中身。以下は私のメモ。)


朝鮮語からハングル、韓国語への言葉の移行を例にして。金「(日本は)流行に走ったり、目の前の危機感にパニックになったりすることはありますが、社会を変えるような大きなうねり、流れは少しづつしか動きません。人々は変革を好まないし、変革を唱える人がいても、多用な意見があっていちいち気を使うものですから、みなの意見をまとめて動かすのに時間がかかるからだろうと思います。」<非常に鋭い。
茨木「韓国のことわざで「虎に噛まれて連れ去られても、気を確かに」というのがあるんですが、サッカーの粘り強さを見てもつくづく思います。」金「日本には「もはやこれまで」とか「あっさり」という言葉がある。反対に今韓国では「あっさり」という言葉が流行っている。」
金「誰かと知り合いになると日本では仲良くなってどこかへ遊びに行こうと言う事になるんです。これが基本です。しかし韓国では知り合いになるといっしょに遊んで行動しながら仲良くなる。善意のおせっかいもある。知り合いで無くても気がついたら注意しないと気がすまない。」<私も『かばんのチャックが空いている』と何度も電車で注意された。
茨木「失礼な言葉もある。オールドミスを老処女とかいて『ノウチョニョ』と呼ぶ。結婚していないと一人前とみなさない。結婚しても男子を生まないといけない。」
茨木『違いが面白いと感じるんです。』<(大切な視点だ)
金「気候の違いで、日本は疲れを癒すために銭湯に行く。韓国では月に一回か二回くらいしか行かない。その代わり冬はどんなに寒くても上は脱いで洗面する。韓国は空気が乾いているのでそれですむけど、日本では一日行かなかったらべとべとになる。」
金『韓国人は自分が親しくなったと思ったら距離感を置かない。」茨木『だからぶつかったときは激しいわけですよね。』「日本はある程度節度を大切にします。人間関係が壊れるのも、たいていは節度を踏みはずしたときです。」金『日本には部屋に押入れがある。」茨木『韓国は無いですね。部屋につんである。」金『ええ、万年床もありません。昼間は必ずたたんでおきます。」
金『韓国では夫婦が別々の布団を敷いて寝ることはほとんど無いのです。日本人は嫌いになるのに時間がかかりますが、一度嫌いになると徹底して嫌いになる。ところが韓国の人は一日に三回も四回も嫌いになったり好きになったりしてすぐ忘れる。韓国語に復讐の心、恨みを抱く、はあるけど根に持つという簡単な言葉が無いんです。」
金『日本人は気兼ねをし、気を使う。相手から気を使われることもある意味よしとする。ところが同情はされたくない。韓国人は気を使うこともしないし、気を使われると『何でそんな水臭いことをするのか』と思う。しかし同情はされたい。同情されたいから同情もする。『大変だろう。何とかしよう。』ということで同情するんです。」
金『日本ではバスに並んでいればいつかは乗れる。秩序が確立している。その秩序が乱れることには耐えられない。しかし、韓国ではバスは停留所にとまらない。」茨木『あれには参りました。走るんだけど、子供年寄り、身障者はどうするのか』金『ところが韓国は面白いんで、走っていくんだけどまずその人たちを乗せてから自分が乗る。不文律。韓国式秩序です。」<そう言うところは見習わなくては。
金『韓国の地下鉄には、車両の入り口のすぐ横の網棚に新聞とか雑誌、読み終わったものを置いておく場所がある。」<今年の韓国旅行で気がついた。
金『日本には怒る言葉が少ないですね。上司が部下に『君は何を考えているんだ』というぐらいでしょうか。」茨木『怒ったときは大声で怒鳴るくらいでしょうか。』金『韓国では普通に話しても大声に聞こえますから(笑)。顔の名前、内臓の名称もたいてい二つあって、悪態語として使い分けます。悪口大会は一回しかなかったんですが、一等になったのを直訳すると、「あくらつな強盗を蒸して肴にし、売女の閨水をもらい酒を作って飲んで、血くそをたらして死ぬ、南原の弁学徒と親類になって、天化に轟く下品なやつ。ピョンガンセ(パンせりに出てくる有名な下品な悪口ばかりいうやつ)のような孫を持つ奴め。」汚い言葉の意識がちがう。蛍は「ケートンボルレ」つまり「犬糞虫」です。流れ星は「ピョルトン」「星の糞」です。金芝河(キムジハ)の詩集に『糞氏物語』がある。ここに日本人の悪口がダーと出てくる。『五賊』もそうです。
金『日本人は純粋なんですね。物事をすごくまじめに受け止める。ところが韓国の人たちは大まかに受け止める。久しぶりにあった人に「あなたどうしの、その顔は?死にそこなったような顔をして」ストレートにいう。日本人は「顔色が良くないね。」というだけで傷つく。「やあ、老けた」といえるわけが無い。でも久しぶりにあったら『そう?やっぱり老けたねえ。』でいいんです。変わらないなんてお化けじゃあるまいし。でも韓国の若い人には注意します。日本人に対しては誉め言葉でも、傷つけるような言葉でもうかつに韓国語に翻訳していうな。老けたねえ、というとその場では笑うかもしれないけど、必ず気にする、家に帰って自殺するかもしれない。それほど日本人は純粋でまじめなのだ。」茨木『なんか人間が小さいのかもしれません。』
金『日本人も内心は強いはず。韓国の若者にいわせると日本人は『トッカダ』(性格が強い)です。地震がおきても笑っている。でもそれは違う。恐いんだけど恐がってもしようが無い、という気持ちがある。親が死んでも人前ではなかない。トイレなどで涙を流している。」
金『日本語の『察する』という言葉は韓国人には分かりにくい。相手が黙っているのにどうして察せられるのか。盗んで学ぶものすごい技だと思います。去っていく後ろ姿に両手をあわせるしぐさ、映画や漫画に良く出てくるのですが、あれは無駄だとずっと思っていました。今は無駄だと思いながらもやっとその心情が分かりかけている。」
金『日本人の生活は、合理的というか、生きている人のために生活している。そのために自分の家族があり、社会がある。韓国の人たちは伝統的に死んだ人のために動いている。先祖のため、先祖の供養のために生きている。自分が感知しうる先祖のことを、知っていることを次の大荷伝え、受け継いでもらうのがひとつの大きな役目です。儒教の教えは、四世紀にはいり、14世紀以降国教になる、人々の生活に深くいりこんでいる。タバコ、お酒どころかめがねも親の前ではかけれない。親から授かった自然じゃないとだめ。パーマも出来ない。儒教では体を傷つけるのは先祖に申し訳無い。」茨木「今はパーマ、ヘアカラー、整形などとても盛んです。ファッションのほうがさっさと儒教を脱ぎ捨ててるのではないですか。」金「時代の流れですね。」茨木「族譜(チョクポ)つまり系図を大事にしますが、、その中に強盗とかが居た場合はどうするんですか。」金「族譜の中で一族の中に官位についた最高の人を、誰かめぼしい人を決めて、その人にすがって生きているんです。だれだれさんは大臣をやった人の流れであると、その中に石川ごえもんが居ようとそんな人は無視する。」
金『陰暦8月15日には「秋夕」(チュソク)があり、私を例にとるとソウル郊外に墓(ミョ)丁寧には山所(サンソ)があり、サンソ参りをする。六代七代前から順にしていく。始まる前に年長者がこの人はどういう人だったか説明をしていく。毎年するので手帳に記さなくても自然と覚える。結婚をしていない人は墓も作ってもらえない。目下の人が墓の場合は、式の間目をそらす。関知できない前の墓の人は骨を焼いてしまって移して墓をなくす。」茨木「だけど女はたまったものではありませんね。」金『そうです。チョクポには女性は苗字しか載らないんですよ。女性は祭祀の準備をする人で男性は食べる人。」<そうだったのか。それで韓国中、墓だらけになっていないんだ。
金「茨木さんは『韓国現代詩選』(花神社)の翻訳しましたが、気がついたことは」茨木「韓国語は形容詞が豊か、日本語は名詞が豊富。韓国の詩は〈生きる〉ということに明確につながっている。花鳥風月はいたって少ない。感情を表現する言葉が多い。ユ・トンジュ(ゆ東柱)の星空を歌った詩。『死ぬ日まで空を仰ぎ一点の恥辱無きことを…』日本の敗戦半年前に27歳で獄死したのですね。私の散文が築摩書房の高校教科書に13年間載っています。」金『そのことを知っている韓国の人は大変少ないでしょう。」茨木『もうひとつ気がついたのはテーマに母を歌ったものが大変多いということでした。日本では少ない。儒教の影響はあまり無いように思うが。」金『韓国は女性蔑視、差別がずっと続きました。貧しくもありました。苦労の多いオモニにとって最高の楽しみは我が子の成長です。子供にとっても、虐げられ苦労する母の姿を見て育ち、思いは強く、これは一生薄れません。『情』(チヨン)の世界です。母は弱い人というのが古い韓国の通念ですが、今の女性パワーを考えると、母は強くなり、父は弱くなる一方、遠くない将来父を詠う詩が登場するかも。(笑)」
茨木『韓国の歴史ですごいなと思うことが二つ。古代中国に侵略されたり、近代日本に侵略されて禁止されても朝鮮語を見失わなかった。あと、他国を侵略したことは無かった。他国から侵略されたことはあったけど、最後は必ず蹴散らしてへたばらなかった。朝鮮戦争はあったし、ベトナムで国連軍としていってしまったことはあったけど。」金『今北朝鮮の悪いところだけが非常にクローズアップしています。』茨木『それは、最近まで日本の知識人、マスコミが北朝鮮支持だったんです。韓国は軍事独裁政権で、悪口ばかり言っていた。北朝鮮叩きというのは昔の韓国叩きと良く似ています。」<韓国の侵略しないという思想は弥生時代に倭国に輸入して来た可能性が強い。
茨木『冬ソナ効果で、韓国への憧れが生まれて、これは古代を除くと史上初めての現象。』
(05.05.04記入)



2005年07月19日(火)
『東アジア共同体』谷口誠

『東アジア共同体』岩波新書 谷口誠
《東アジアに地域統合が必要な理由、そしてその問題点》
2000年のシンガポールとのEPA(経済連携協定)まではGATT(関税および貿易に関する一般協定)が原則であった。しかし、FTA(自由貿易協定)が世界の流れの中で日本は現状認識を欠いていた。米国グロバリゼーション下での地域化はGATTの理念と大きくかけ離れている。現在東アジアにあるのはAFTA(ASEAN自由貿易協定)である。アジア通貨危機後の協力関係から今はASEAN+3(日本、中国、韓国)という関係になっている。しかしまだこの三国間のFTAは結ばれていない。「こうしてみると、世界で地域化が拡大し、深化していく中で、北東アジアではこの地域のみポッカリ穴があいたような印象を受ける。」

こういう問題意識で書かれた本書は、日中韓の関係改善の阻害要因になっているのは『歴史認識問題』であるとずばりといって見せる。他にも『日本のアジア外交が行き当たりばったりの対症療法的で長期戦略に欠ける』ともいっている。その通りだと思う。現在の日韓、日中関係はその克服以外には展望が無いと私も思う。しかし、そのための著者が示した処方箋は薬局の「風薬」ぐらいの効果しかないのではないか。

東アジアでの貿易シェアは世界のそれの中ではまだ小さいが、しかし地域統合を達成していないのにもかかわらず、ずっと伸張してきている。その力をさらに活かす道を「本気」で探らない今の政府は、やはり『無能』だといえよう。民間が出来ることはなにか。政府の『歴史認識』を正し、民間レベルの(特に文化面での)交流を急速に発展させることだろう。
(05.05.03記入)



2005年07月18日(月)
「教養の再生のために」加藤周一 ほか

「教養の再生のために」影書房 加藤周一 ノーマ・フィールド 徐京植
《加藤周一講演》大正教養主義とは、夏目漱石の弟子たちに当たる人(安倍能成、和辻哲郎、野上弥生子、寺田寅彦)が穏やかなグループつを作っていて、そうの中でかもし出す雰囲気がそれであった。教養主義は死につつある。理由は二つ。『職業の技術には役がたたない』『高等教育の大衆化』。
しかし、車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。
《ノーマ・フィールド講演》アメリカの戦争以前に史上最大の反戦運動が起こった。しかし阻止することが出来なかった。これを敗北と考えるとき、一種の頽廃が始まる。現代はベトナム戦争ほど、他者の痛みが見えなくなっている。貧困層から軍隊の志願を募っているという現状がある。教養が必要です。
《加藤周一インタビュー『教養に何が出来るか』》子供の頃から父親と良く話し合った。そのことの影響は大きい。との話は初耳。今まで加藤周一は父親の話をあまりしていない。なぜか。
当時(戦前)日本の中で「反戦」は少数派だった。しかし世界の中では多数派であった。そのことを知るには『教養』が無くてはならない。今ある日本には小さな反戦のグループが無数にある。しかしそれを横に結ぶ連絡網が無い。これは戦前の日本に似ている。だから加藤は『九条の会』に結成したのに違いない。あの会の発想はいったい誰が出したのだろうか。
教養はテクノロジーと両立する。科学的知識のスペシャリゼーションが進むとき柔軟で自由な精神が必要になる。それを与える唯一なものが教養なのである。しかし、テクノロジーは『専門化主義』に向かう。そして『専門化主義』は教養を直接には要らないというでしょう。私の行っているのは『理想主義』では無くて『現実主義』なのです。
教養に何が出来るか、それは分からないのですけど、それしかないし、それに賭けるしかないと思います。希望はそこにしかない。
《徐京植講義》プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない』のなかの教養の意味、を考えるべき。
しかし、彼は証言するために生還して来たのだが、やがて自殺する。現代というのは、『簡単』ではないのである。

大学生に向け、教養過程が縮小していく御時勢の中、『教養』の大切さを訴えるために企画した講演会、特別講義、インタビューの記録である。加藤周一の『教養に何が出来るか、それは分からないのですけど、それしかないし、それに賭けるしかないと思います。希望はそこにしかない。』という言葉が印象的である。加藤によると教養は死につつあるのだそうだ。理由は二つ。『職業の技術には役がたたない』『高等教育の大衆化』。しかし「車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。」それは例えば渡辺一夫が戦中に戦争非協力者になった力にもなった。「当時(戦前)日本の中で「反戦」は少数派だった。しかし世界の中では多数派であった。そのことを知るには『教養』が無くてはならない。」
この本、大学新入生や高校生にぜひ読んで欲しいのだが、いかんせん高すぎる。玉に瑕(きず)である。
(05.05.20記入)



2005年07月17日(日)
失踪日記 [著]吾妻ひでお

失踪日記 [著]吾妻ひでお

吾妻ひでお、といえば「不条理日記」である。シンプルな線で、SFのどろどろとした世界と愛情を、笑いのオブラートに包んでみせてくれたときの驚き。たまたま職務質問された警察署の中にいた「おたく」の警察官が「先生とあろうものが」と絶句した気持ちは良く分かる。その場でサインをもらったのも。ただ「夢」という題のサインをねだるとは(絶句)。

彼が失踪したくなった気持ち、あるいはほかの職種に変わった気持ち、アルコール依存症にまでなったのは、ぜんぜん分からないわけではない。私の生活もこの春からそのようなものだ。ただ、良く分かると言ってしまったら、彼に対して、彼のこの「すべて事実だ」という作品に対して「失礼」だろう。ただ漫画の力というのはすごい。読んで二週間以上経っているのに、いまだにルンペン生活の状況がありありとよみがえってくる。「力」のある作品である。
(05.05.02記入)



2005年07月16日(土)
「ミシェル城館の人第二部自然理性運命」 堀田善衛

「ミシェル城館の人第二部自然理性運命」集英社文庫 堀田善衛
ついに「われらのミシェル」は世界初のエッセイ『エセー』を書き始める。38〜9歳の「ミシェルの精神は、まだ明瞭な主題を見出していない。」しかし彼は書き始めるのである。後年彼はこういう事を書いている。「私は私の生活を私の行為によって記録することが出来ない。運命がそれらの行為をあまりに卑小なものにしたからである。そこで、私の思想によって生活を記録する。」私はこの言葉を『美しい』と思う。彼の行為が「卑小」かどうかは置いておくとして、彼の生活態度をうらやましく、またはひとつの思想家の在り方かなとも思う。

世は騒乱の時代である。ミシェルは隠遁者の生活をしながら、同時に新しい政府の助言者としても活躍をする。しかし彼はそのことについて多くは語らない。いっぽうで、哲学論的なことは書かない。彼の『エセー』は『人間の日常にそった、日常にどっぷりつかったところから来ている』。その中で世の中からひとつ抜きんでいる所に自分の思索を置く。こう在りたいものだと思う。

騒乱という『運命』の中で『理性』を保ちながら『自然』に書く。私はこの本の副題をそのように解釈した。
(05.05.02記入)



2005年07月15日(金)
『逃亡作法』東山影良

『逃亡作法』宝島社文庫 東山影良
これが第一回『このミス』大賞銀賞ねえ。犯罪小説として、どうも中途半端な読後感であった。登場人物に共感できないのは、犯罪小説だから当然として、「それでも魅力的である」というところが不足している。じゃあ文体で魅せるか、というとうーむ、という感じ。無国籍なのを狙っているのは分かるが、徹底していない。プロットは?人によるだろうけど、私にはイマイチ。

要するに、私にはあわなかった。受賞作品だというだけで選んじゃだめですね。
(05.04.29記入)



2005年07月14日(木)
「食に知恵あり」 小泉武夫

「食に知恵あり」日経ビジネス文庫 小泉武夫
「塩辛製造の原理は、原料の魚の内臓にある自己消化系の酵素、とりわけたんぱく質分解酵素の作用が主体となっている」うまみの主体になるアミノ酸がなぜ出来るのか、なぜこの料理はおいしいのか、例えばそういう科学的説明から、実際に食べたものしか分からないとんでもない『食通』の知識、二つが合体してこの人のエッセイには非常に説得力がある。

また、それぞれの食には古代からめんめんと続く歴史があるが、そのこの言及も多い。私の興味は大いに刺激された。

食の世界は奥が深い。私は塩の効果で、味付けだけでなく、薄い塩水に5〜10分つけて料理すると表面のたんぱく質が凝固してうまみが逃げないという調理法を初めて知った。

または『灰』の利用法。私はあく抜きぐらいしか知らなかった。しかし、胃腸や貧血の薬にもなるし、天然洗剤にもなる。保温性から調理にも使う。古代の人たちの生活も見える気がする。楽しい本である。

その他参考になったこと。

凍大根や丸ナスやかぼちゃなどを寒風にさらして干し野菜を作る。栄養成分も濃くなる上に、便秘や動脈硬化の防止、利尿効果もある。

米を煮て食べているため、硫化物の臭いが一部出ることがある。だから日本人は他民族が好まない納豆、味噌、タクアン漬けやにらなどの硫化物の臭いに嫌悪感が無い。

にんにく文化圏は中国や朝鮮半島、しかし日本は違う。おそらく質素な食事のため強烈な臭いは合わなかったのだろう。

ジンギスカンは旧満州の日本人の発明。モンゴル人は湯で煮た羊は食べるが、焼かない。また朝鮮料理のように調味料に直接つけない。

ツバメの巣とは本当に燕の巣である。マラッカ海峡に面したインドネシアやマレー半島などの断崖絶壁に住む海燕(アナツバメ)が小魚をついばんで巣に戻り、粘性の高い自分の唾液で固めたもの。

とろろやナメコ、じゅんさい、もずく。日本の『ぬらぬら』食はジャポニカ米だから。ぱさぱさではなく、粘質状なので、そこに副食がぬらぬら来ても何の違和感も無い。

豆腐の腐とは中国で『ぶよぶよしたもの』という意味。発明は8−9世紀。納豆は『寺の納所の豆』から来た日本生まれの食べ物。

奈良時代『延喜式』に「貝蛸鮨」がある。これはいいだこのなれ鮨。または蛸を石焼くして硬くなったものを削って食べるという方法もある。

煮汁を多くしたり、少なくして煮詰める料理が多い。

縄文時代には疏采の皮を塩付けにした簡単なものもすでにあった。『延喜式』には蕨、せり、アザミ、いたどり、フキなどを塩、味噌、しょうゆ、酒かすなどでつけている。

干物は日本が世界一。魚介類の水分を蒸発させると微生物の繁殖を抑えられる。

『播磨の国風土記』に「米飯にカビの生えたもの(よねのもやし)で酒を醸もさしむ」とある。もやしが種麹になっている。
(05.05.02記入)



2005年07月13日(水)
総社西の弥生遺跡を探す


『総社西の弥生遺跡を探す』

県立吉備路郷土館発行の『吉備路風土記の丘ガイド』を頼りに、「立坂弥生墳丘墓」を探しに行った。倉敷から高梁川沿いに総社に行くと、やがて総社大橋にぶつかる。そこを西に曲がって橋をわたり、ずーとまっすぐ行くと、新本郵便局が右側、一里塚の名残のような大木が左側に見えてくる。そこを左に曲がるとやがて左側に協同組合ウイングバレイ(旧水島機械金属工業団地)が見えてくる。『ガイド』には無かったけど、その工業団地の入り口に遺跡公園があった。

その説明板を読んでみると、この工業団地には集落跡3ヶ所、古墳51基、製鉄遺跡5ヶ所あったらしい。古墳は横穴式。6C後半から100年くらいの間に作られたもの。3基からは鉄カスが出土。製鉄遺跡も同時期。60基の製鉄炉と16基の炭窯が確認されている。このひとつの村くらいの大きさの丘の上は古代一大製鉄工業団地だったみたいだ。時代は飛鳥時代。吉備の反乱が鎮圧されて大和政権に組み込まれた頃だろうか。

さてこの公園では沖田奥6号墳(7C前)が移築されており、高床式倉庫、炭窯、製鉄炉が復元されている。炭窯はなかなか精巧に作られている。空気穴と掻きだし穴が分けられており、この穴でまずは『白炭』を作るのである。そして製鉄炉で鉄鉱石をふいごで送風して溶かして作るのであるが、ほとんど「ちゃぶだい」位の大きさしかなかった。鉄カスがそばにあった。このとき初めて気がつく。そうかここが板井砂奥遺跡か。日本で最古級の製鉄遺跡である。千引きカナクロ遺跡はゴルフ場に、そしてここは工業団地として破壊されつくされているようだ。万が一残されていないか、工業団地を廻ってみたが、それらしきあとは全然無かった。おそろしい。古代の製鉄遺跡の重要性に気がつかなかったいうのか。歴史を動かしている要素のひとつの雄が経済だとしたら、まさにこの時代のその要、しかも現在分かっている最古級の資料だというのに。報告書だけが資料ではない。ここから見える景色、あるいは空気といったものは、壊してしまったあとではもう復元できない。鳥取や、島根で出来たこと、奈良では当然の如くして来たことがどうして岡山で出来ないのか。ああ!

気を取り直して立坂弥生墳丘墓を探しに行く。地図の上では公園から100Mと離れていない鉄加工工場のある辺りではある。工員に「弥生の墓の場所は知りませんか」と聞いてみる。全然知らない。よっぽど目立つものでない限り、たいていの住民は家の近くに遺跡が在ることを知らない。みんな古墳とは山のように大きいと思っている。しかしちょっとした盛り上がりがほとんどの古墳であるし、弥生の墓なんて盛り上がりさえないものが多い。わたしは地図で見当をつけて小山に登ってみる。墓になっている。いつの時代か知らないが巨大な仏塔もある。しかも、地蔵巡りの場所なのか十一番かそれ以降のお地蔵さんが2塔あった。ここが『聖なる場所』であることは明らかだ。ここに違いない。しかし、墳丘墓らしきものは見当たらなかった。調査は終えているはずなので、立て看ぐらい立ててくれれば良いものを。しかし、ぐるっと廻ってみて思いつく。この小山の中心を県道が通っている。この遺跡はもしかしたら道を作る時に発見されたものなのかもしない。そうだとするともう跡形も残ってはいない。しかし、ここが6Cの製鉄工場地帯だったとすると、それより300年も前に栄えていたこの場所というものはどういう意味があったのだろうか。この弥生遺跡はそれだけの謎をもって存在していたことになる。残念だ。

そのあと「ガイド」にある一倉遺跡、長砂2号墳も探してみたが、分からなかった。けれども新本川をはさんで弥生から奈良時代にかけて、ここがひとつの日本の先進地域だったという感触を持ちながら今日の『調査』は終えたのでした。

さて、製鉄遺跡年代を6C〜7Cと書いた。説明板にそう書いていたからだが、後日気になったので調べてみた。2003年11月28日発行の「たたら製鉄」(吉備人出版光永真一著)によると出土土器から7C〜8Cと書いていた。明らかにこちらが最新情報なので、こちらを信用したい。よって時代は奈良時代。吉備が大和政権に組込まれた後の操業開始だ。しかし規模は今の所吉備最大。重要性は変わらない。今、最古はやはり鬼の城麓の千引カナクロ谷遺跡(6C前半)らしい。
この本は製鉄遺跡の本としては分かりやすいが、私はあの復元遺跡をみてやっと古代の製鉄のイメージがつくれた。今日の一番上の写真にあるように製鉄炉とはこんなにも小さいのである。この下の写真は炭窯である。




2005年07月12日(火)
見事な観光資源、高松北の遺跡を歩く

7月11日、初めてセミの声を聞いた気がしまいす。
映画ネタも尽きてきましたので、遺跡めぐりの話をちょびっとして、
読書ノートに移ります。


「見事な観光資源、高松北の遺跡を歩く」

4月10日、雨の予報を吹き飛ばす晴れ男が誰かいたのか、終始ぽかぽか天気の日曜日、「古代吉備を語る会」主催の「高松地区北部の遺跡群」の見学会に行きました。

数日前から咲き始めたさくらはすでに満開で、高松城址の桜は早々と桜吹雪を演出、野道にはタンポポ、踊子草、ホトケノザが黄色、紫、ピンクを演出し、参加者のある女性はせっせとつくしを採取し、ある女性は湿地で「イグサの原種」を摘んで小さな籠を手早く作っていました。気持ちのいい春の日、高松地区北部は賀陽(加夜)氏の本塁地の一部だったそうで、3C〜5Cの古代吉備の姿に想いを馳せた一日になりました。

最初に行ったのは生石(おいし)神社遺跡。足守と高松地区の境にある山の尾根の先にある。古代からこの場所が非常に重要な場所だったのだろう、弥生墳丘墓があったという。特殊壺の破片が採取されているが、何の型かは不明。おそらく弥生2C〜3Cの後期だろう、とのこと。10m規模の墳丘墓。はたして鉄器との関係は?この遺跡の下には足守川が流れている。

次に行ったのは、大崎廃寺跡。基壇の部分が小さな円墳のように盛り上がっています。ここからは飛鳥様式の瓦が出土したということで、飛鳥寺と同じ7Cの寺、つまり日本で最も早い時期の寺がここに存在したということになります。それだけでものすごいビッグ・ニュース。どうしてきちんと発掘しないのか不思議でならない。

その次は山道をより分け、大崎古墳群を見に行きました。古墳時代後期の横穴式石室がたくさん存在しているところです。きれいな石室がたくさんありました。大小あわせて43の古墳、全長25m以上の規模は9基、古墳時代全般にわたり、安定した地域集団(賀陽氏?)が存在していたという証拠でしょう。しかもそれがそのまま寺院造営にも繋がっていたとも想像できます。3C〜7Cにわたりこの地域では政権交代はなかったのかもしれません。

高松城址で昼食。花見今が盛りのこの時期、人出は多すぎず、少なすぎず、ここは案外いい花見スポットなのかもしれません。

次に行ったのは小盛山古墳。全長10m高さ14m3段墳丘の作り出しつき円墳。つまり「ホタテ貝型古墳」です。この大きさのホタテ貝型古墳は全国でも10本の指に数えることが出来るといいます。4C〜5Cの造営。丘陵を利用したのではなく、土を盛ったのだと見られています。作り出し部分がきれいに残っており、この方が前方後円墳に変わっていくのだなあ、と実感できました。未発掘。

次に行ったのは、小盛山から歩いて南に10分くらい行った所にある佐古田堂山古墳。全長150m高さ9mの中規模の前方後円墳です。登ってみると高松地区全域が見渡せてとても素晴らしい眺望です。日本第四位の造山古墳と同時期の築造と見られるだけに、この大きさは注目すべきだと思います。すわ、高松地区が造山古墳造営の主体かと、聞いてみたのですが、出宮さんはどうも違う見解を持っているみたいです。

そのあとは秀吉の高松城水攻め跡、蛙ゲ鼻築堤跡に行って解散。

この地区を歩いてみて思ったことは、もしこの重要な遺跡群をきちんと発掘し、学問的な重要性を全国に発信し、同時に遊歩道も作って観光資源として活かしたなら、弥生から古墳、飛鳥、戦国時代に至るまで遺跡群がひとつの地域にまとまり見事な「○○の里」的なものになるはずである。なぜ岡山県、岡山市はそういう発想がないのか。そういうことにお金を使わないのか。残念。

参加者のどなたかが言っていました。「県知事が悪いんじゃない。住民が悪いんじゃ。遺跡なにそれ?という意識なんじゃから。結局岡山県は豊か過ぎるんじゃ。観光で生きていかなくても、果物は豊富じゃし、災害はないし。」確かに岡山県では鳥取の妻木晩田遺跡のような遺跡保存運動は近年なかった。しかしそれは教育がそっちに向いていないからでしょう。鳥取の場合は片山知事の個人的なリーダーシップが強いという側面もあるでしょう。要はやはり、県の姿勢が文化面が豊かになるような方向に向くかどうかにあると思う。「吉備の地域は飛鳥地域に負けないわが国の曙の時期の最重要地域だった」そういうことを県民が知るというのは、観光云々はおいといて、お金ではとても買えないすばらしい財産になると私は思います。
(05.05.10記入)
 



2005年07月11日(月)
DVD「機関車先生」は65点

監督: 廣木隆一
出演: 坂口憲二/倍賞美津子/
大塚寧々/伊武雅刀/
堺正章/佐藤匡美/
徳井優/笑福亭松之助/
千原靖史/森田直幸/
吉谷彩子

昭和三十年代、事故で声を失った先生が瀬戸内の島にやってきた。母親が昔ここにいたということもあり、島人は温かく迎える。

人物造形が一人ひとり丁寧で、特に子供がいい。しかし、肝心の機関車先生は話が出来ないとはいえ、あんなに。表情がなくていいんだろうかと心配してしまう。まあ、そういうところが島人の生活にぴったりあったのかもしれない。

淡々と出会いと別れがある。

瀬戸内のどこで撮影されたのだったけ。古い村の風景を眺める、それだけで心洗われる作品。言い換えれば、それだけの作品。
(05.07.09記入)



2005年07月10日(日)
「ガラスのうさぎ」は80点

アニメ「ガラスのうさぎ」を倉敷芸文館に観にいく。
四分一節子監督、小出一巳・末永光代脚本、高木敏子原作、声は竹下景子、最上莉奈ほか。

意外にも表題の「ガラスのうさぎ」のエピソードは非常にあっさりしている。炎で溶けたうさぎは東京大空襲のことを幾らかは語ってはいるけど、そういう「象徴」では語りきれないことを、アニメの力を借りて誠実に語ろうとしたのがこの映画である。

予算と時間の関係なのだろう、描きこみはジブリアニメとは雲泥の差ではある。演出についても、少女が自殺を思いとどまったところ等、あまりにもあっさりしているように思えた。−−そうではあるのだが、私は正直ずいぶん惹きこまれた。ひとつは美術と脚本が非常に誠実だったこと。どちらも画面の隅々、台詞の一言一言に神経を配りまくり、当時を忠実に再現しようとしているのが良く分かった。ひとつはいままでの反戦アニメにあるように、終戦で終わりということにしていなかったこと。戦後の苦労もきちんと描いており、だからこそ「新しい憲法の話」の朗読が活きた。

悪い作品ではない。500人規模で人を呼んでも、充分満足させうるアニメである。

終わった後、会場すぐそばの倉敷美観地区をそぞろ歩いた。倉敷ガラス工芸、黒木三郎の寄せ木細工、備中和紙、ちっちゃなからくり玩具、等々店先の可愛い民芸品を眺めて歩き、雨にけぶる倉敷川を見ながら休んでいると、この倉敷の美しさを戦後最初に説いたのは皮肉にも外国人のバーナード・リーチだったなあ、と思い出した。偶然にも戦災を免れたため、この美しさが保たれたのだ。倉敷でこそ、九条は似つかわしい。倉敷九条の会を作ろうとしているらしいが、呼びかけ人はぜひ大原美術館の大原氏を、それが無理ならこの美観地区ゆかりの人を選ぶべきだと思う。








2005年07月09日(土)
「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」は75点

監督 : ニルス・ミュラー
出演 : ショーン・ペン
ナオミ・ワッツ
ドン・チードル

1973年、サム・ビックは、別居中の妻マリーと3人の子供を取り戻すため、事務器具の販売員として再就職する。しかし、不器用なサムは成績も伸びず、口先だけの営業を強いられることに不満を感じていた。ある日、裁判所からマリーとの婚姻解消通知が届く。新ビジネスのためのローンも却下され、追い詰められたサムは、ふとウォーターゲート疑惑の報道を耳にした。サムにとってニクソン大統領は、正直者が成功するアメリカの夢を踏みにじった男の象徴だった…。

サム・ビックと私は紙一重、ではない。妻に離婚を迫られ、人付き合いが下手で、思い込みが激しく、変な正義観を持ち、上司からはねちねちといじめられ、構造的な貧乏は容赦なく彼に忍び寄る。そうだからといって、彼は妻の恋人も殺せないし、上司も殺せない。怒りの矛先はゆがんだ正義観からニクソンに向かい、結果的には無実の人を何人か殺す。犯行前に思い通りに殺せたのは唯一自分に慕ってくれていた飼い犬であったというのは皮肉である。
彼と私はいっしょではない。断じてないと自信を持って言える。ただ、彼がかわいそうだ。可哀そうだ。あわれだ。
ミュラー監督は新人監督らしい。非常に手馴れた演出。次回作が楽しみ。
(05.07.06記入)



2005年07月08日(金)
「恋愛中毒」は70点

純愛中毒 (通常版)

製作: 2002年 韓国
監督: パク・ヨンフン
出演: イ・ビョンホン/イ・ミヨン/
イ・オル/パク・ソニョン

同時刻の交通事故がきっかけで、イ・ミヨンの最愛の夫の魂は弟のイ・ビョンホンの身体に宿った?

構成は東野圭吾原作の「秘密」に似ている。(こっちのほうが複雑だか)イ・ミヨンが案外演技派である。注目。

ところでイ・ビョンホンがあと五年位しておば様から騒がれなくなったとき、転進の方向として、かっこいい悪役をするというのはどうだろうかなと思う。私はこの人の雰囲気に手塚治虫「バンパイヤ」で見事な転身を遂げたロックの雰囲気を感じ取る。ぺ・ヨンジュンが手塚作品の中ではケンイチ君だとしたら、ロックは洋行帰りで、かっこよく、なおかつ暗いイメージも併せ持っているという主人公を演じていたところなんかそっくり。
原作をうまく料理する韓国のことだから、いっそ「バンパイヤ」を韓国でやったらどうだろう。今ならCGで違和感なくトッペイを狼に出来るぞ。あの作品のロックが、ロックの転身第一作だったのだから、イ・ビョンホンにぴったりだと思うのだが。
(05.07.08記入)



2005年07月07日(木)
DVD「天国の本屋〜恋火」は50点

監督: 篠原哲雄
出演: 竹内結子/玉山鉄二/
香川京子/香川照之/
原田芳雄/香里奈

この監督の作品「深呼吸の必要」を見たときには、この人確信的に恋愛物語を避けたのだなと思ったのだが、この作品を見たあと、監督の作品グラフティを眺めて、(私の実際に見たのは「はつ恋」「死者の学園祭」のみだが)この監督恋物語苦手なんだなあと思った。

「一緒にこの花火を見ると恋人になれるという伝説」でもって宣伝していたこの作品であるが、内容は恋物語とは無縁。想いのすれ違い。という古典的テーマを天国まで話を持っていって、「花火」という映像的な力と、作曲されたピアノ曲という映画ならではの力で、ラストを飾るとどうなるかなあ、という監督の実験作品である。しかもラストのカットは「竹内結子」というのりにのった女優のアップで締めるという「決め」もやってみました、という作品。

ただし、監督の思いは上滑りしている。こういう想いをファンタジーで処理されてはかなわないと私などは思う。
(05.07.02記入)



2005年07月06日(水)
「電車男」は70点

監督 : 村上正典

出演 : 山田孝之
中谷美紀
国仲涼子
瑛太

思ったよりよかった。
ただ話があまりにもとんとん拍子に行き過ぎる。もう少し波瀾万丈があったほうがよかったかも。
「乱暴されている娘を助けたあと恋が生まれる」という古典的題材をだれることなく見事に料理しているし、いくつか成る程という展開もある。(娘は単にサイトの助言に踊らされていたわけではないというエピソード、あるいは付箋紙のエピソード)
この監督の次回作が楽しみ。
(05.06.20記入)
(05.07.06一部つけたし)



2005年07月05日(火)
 DVD「マッハ!!!!」は75点

マッハ!!!!

製作: 2003年 タイ
監督: プラッチャーヤ・ピンゲーオ
出演: トニー・ジャー/ペットターイ・ウォンカムラオ/
プマワーリー・ヨートガモン

テレビの宣伝では隠れて見えなかったが、本邦初ムエタイ映画である。主人公が耐えて、耐えて、やっと本領を発揮するところ、いかにも怪しげな悪役、次々と現れる相手、このあたりは亡きブルースリー映画の精神である。面白かった。サービス精神はジャッキー・チェーンを受けついている。そして、CGを使わない潔さ。(目が燃える所は唯一使っているように思えたが。)イヤー面白かった。
タイの風俗映画としてもよくできている。
(05.06.28記入)



2005年07月04日(月)
「オー!マイDJ」は65点    

「オー!マイDJ」    
[監 督] キム・ジンミン [第1作]
[撮 影] イ・ドゥマン
[出 演] イ・ボムス     → サンヒョン
   イ・ウンジュ    → キョンウ
   ポン・テギュ    → サンギュ サンヒョンの弟


幼い頃にUFOを通して,世の中をたった一度だけ見たことがある先天的視覚障害キョンウが,UFOが出現したという旧把撥(クパバル)に引っ越してくる。家庭問題相談所に勤めるキョンウは,夜ごと旧把撥(クパバル)行最終バスに乗って退勤するが,そのバスには,いつも失恋の痛みを訴えるメッセージとこれを慰めるラジオ放送"パク・サンヒョンとティティパンパン"が流れる。その放送の正体は,バスの運転手サンヒョンが,夜ごと家で一人で録音した交通放送。サンヒョン一人でメッセージも書いてDJもする。

そんなある日,近所の路地で偶然に自分を助けてくれたサンヒョンに,キョンウは友だちになろうという唐突な提案をする。

イ・ウンジュが目が見えなくても見事に自立して生きているところに新しさが、ある。イ・ボムスの極私的放送も、なかなか面白い。

そもそも、韓国のバス運転手の運転のひどさは有名である。客のことより自分の都合を優先しているとしてか思えないところは確かにある。私もひどい目にあったことが一回ある。たとえば、絶対にバスストップにぴったりと止まらない。だから客は走りながらバスに乗るのである。それなら彼女のような障害者はどうなるというのか。ここが面白いところで、そういう障害者、お年寄りに気がつかずぴったり止まらなければ、バス運転手は相当の悪口を覚悟しなくてはならない。だから、韓国は弱いものが卑屈にならない。

これは、コメディである。イ・ウンジュはコメディもシリアスも、同時にこなすことの出来る正統派美人女優として売り出していた。ものすごい光る演技はまだであったが、あと一歩のところで一皮向けようとしていた。彼女の自殺はそういうところに大きな理由があるのではないかなあ、と今は思っている。
(05.06.27記入)



2005年07月03日(日)
「ミリオン・ダラー・ベイビー」は85点

「ミリオン・ダラー・ベイビー」クリントイーストウッド監督・主演・脚本・音楽
ヒラリー・スワンク モーガン・フリーマン

なんとも救いようのない映画。しかし、前半はむしろ明るい。この対比がすごい。
クリント渾身の演技。救いがないのはクリントである。確かにあれしか道はなかったのかもしれない。私でもそうしたかもしれない。いや、出来たかどうかは自信がないが。いや、してもしなくても後悔しながら死んでいったのには違いないだろう。モーガンが過去形で娘に父親のことを語っている以上、クリントは自殺したのだろうと見たほうがいいだろう。もちろんクリントが最期にあの店に立ち寄った以上は、スワンクは許してくれているという自信もあったのではあろう。神の救いを拒否したクリントはいったい人生の何を見たというのだろう。

人生にはいくつかの選択のときがある。インテリで、前途有望な男であったクリントにとっては、娘と決定的な「何か」があったとき、モーガンの試合を止めれなかったとき、スワンクの申し出を断りきれなかったとき、決定戦で反則を指示したとき。そのとき、決して間違った選択ではないように思えるのに、ずっと穏やかな幸せを願っていたのに、しだいしだいと反対の方向に行く。人生とはいったいなんなのだろう。またもう一度見てみなくてはならない。もう一度クリント渾身の演技を見ながら、その意味を考えなくてはならない。

ただ、スワンクの人生の選択は間違っていなかった。
(05.06.04記入)
(05.06.13一部訂正)
(05.06.23更に訂正)





2005年07月02日(土)
「サイドウェイ」は80点

アレクサンダー・ペイン監督 ポール・ジアマッティ(マイルス) トーマス・ヘイデン・チャーチ(ジャック)ヴァージニア・マドセン(マヤ) サンドラ・オー

高校教師マイルスは大学時代の親友で、来週には結婚を控えているジャックと一週間のワイナリー訪問の旅に出る。マイルスは離婚の痛手から立ち直れない、ジャックはマリッジブルーに入っており、この旅をナンパの旅と決めている。果たして彼らに恋は生まれるのか……。

映画好きの人間はたいていは「おたく」がかかっている。そういう人間はたいていは女性を前に延々と薀蓄をたれて、こっぴどく振られたという経験は一度や二度は持っているのではないだろうか。そういう人間にとり、この作品はあまりにも「甘い」物語のように思える。あのマヤさんは「特別」である。あれほど薀蓄を語る男についていける女性は奇跡に近い。ほんとは彼の幸せを願いたい。けれども正直に願えない自分がいるのも事実。ただ、脚本は良くできている。終わったとき、90分かなと思ったら、130分の映画だったのね。話がこなれている証拠でしょう。

……というようなことを見た当日に書いてしばらく経つと、なんだかものすごくいい映画だったような気がしてきた。男の友情の物語として観たとき、近来まれに見る傑作かもしれない。……それからその後、女性から「マヤさんの気持ちは良く分かる」という意見も聞こえてきた。そうか、薀蓄たれただけが私の振られた原因ではないのか。やはり私の「全体」に原因があったのでしょう。(^^;)

ところで私カリフォルニアワインを長い間バカにしていました。新参者の安かろう、悪かろうワインだと思っていました。だからといって今度選ぶワインはカリフォルニアにはしません。ただ、ピノ・ノワールはもしかしたら選ぶかもしれない。
(05.06.01記入)
(05.06.04一部訂正)
(05.06.23更に訂正)



2005年07月01日(金)
DVD「海は見ていた」は65点

海は見ていた(2002)

江戸・深川の岡場所を舞台に、遊女たちの逞しくも哀しい生き様を描く、黒澤明の遺稿を映画化した人間ドラマ。監督は「日本の黒い夏 冤罪」の熊井啓。
清水美砂 シミズミサ(菊乃)
遠野凪子 トオノナギコ(お新)
永瀬正敏 ナガセマサトシ(良介 )
吉岡秀隆 ヨシオカヒデタカ(房之助 )
つみきみほ (お吉 )
監督 : 熊井啓 クマイケイ
原作 : 山本周五郎 ヤマモトシュウゴロウ
脚色 : 黒澤明 クロサワアキラ
撮影 : 奥原一男 オクハラカズオ
美術 : 木村威夫 キムラタケオ

悪くない話ではある。ただいくらすれていない遊女であったとしても、遠野凪子はあまりにも色気がない。水揚げすぐの身体ではないだろうに。だからあの泣き顔に共感できない。吉岡秀隆、つみきみほが案外よかった。
ついつい黒澤だったらと想わざるをえない。せん無いことではあるが。(05.06.13記入)