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2004年01月29日(木)
「柿照」講談社 高村薫

「柿照」講談社 高村薫
この冬「マークスの山」を文庫版、単行本の順に読み、合田刑事シリーズにはまってしまった私である。

合田と森のコンビが、8月2日の電車で、偶然轢死事故を見るところからこの物語は始まる。女を弾みで電車の前に突き落としてしまった男。その男を亭主だという白いブラウスの女。合田は轢死した女を別れた妻貴代子ではないかと疑ったりしている。今回の合田は単行本版の合田の続きである。断じて文庫版の合田ではない。貴代子のことをこんなに女々しく思いつづけているのだから。

この作品は表面は犯罪小説ではあるがそう思って読むと消化不良を起すこと必死である。「罪と罰」を探る暑い暑い夏の数日間であり、自分自身の「暗い森」の中で「呼び止めるべき人の影」を見出す物語なのだ。「罪」というは、法律の条文に現れた事象のみを意味するのではない。「罪」の自覚無しには「罰」は現れない。なんて自分かってな「恋」だったのだろう。自分を追い詰めるだけの「仕事」だったのだろう。いわばそういう私にもある自分自身の「罪」を自覚するまでの物語。

実は私はこの作品をドフトエフスキーの「罪と罰」と並行して読み、読書ノートにまでとって読んだ。しかしそれてでもいまだにどう整理していいのか分からないでいる。今年100冊近く読んだ本の中でベスト3に残る作品になった。



2004年01月28日(水)
「百年の恋」朝日文庫  篠田節子

「百年の恋」朝日文庫  篠田節子
家事が全然出来ない美人キャリアウーマンと、年収200万の夫。設定のちょっとした工夫で、家事や子育てがどんなに大変なものかしみじみと分かる。
NHKのドラマを見て買ってみたのだが、川原亜矢子はまるっきり適役。いったんテレビを見ると、あの梨香子は川原亜矢子イメージ以外ではこの原作を読めなくなった。妊娠出産のイメージは原作のほうがはるかにリアルであった。ともかく楽しんであっという間に読める本ではある。



2004年01月27日(火)
「パソコン情報整理術」富士通ラーニングメデイア  知的生きかた文庫

「パソコン情報整理術」富士通ラーニングメデイア  知的生きかた文庫
この本は会社内でパソコンを利用している人のための情報整理術であり、私のように趣味で多くの文章を作ったり、画像を保存しているものにとっては不要の整理術が多々ある。(特にフォルダ整理術)
しかし幾つか参考にすべきテクニックがあったのも事実だ。(例えばデスクトップ上での整理術)
また画面操作の一つ一つを丁寧に再現しているので、例えばふせん紙ソフトの立ち上げ方等、文章だけでは分からないことも全て分かるという点も、初期ユーザーには助かるだろうと思う。まあ500円ちょっとでこれだけの分かりやすさはお得だろうと思う。



2004年01月26日(月)
「ビタミンF」重松清 文春文庫

「ビタミンF」重松清 文春文庫

私は孤独に戦っている少女の物語を読むのが好きだ。よって「セッちゃん」は私のお気に入りである。孤独に戦うのは少年ではいけない。何故なら少年だと孤独に耐えることが出来ないから。(もちろん私のかってな思い込みです。)だから少年は必然的に仲間をつくって戦うだろう。(反対に言えば「仲間」を作るのが上手だ)
重松清氏の小説で孤独に戦うのはいつも少女である。(あるいは中年男性だ。大人になると戦いは孤独になるのか。)彼女は凛々しく戦う。「そんなに現実甘くないもん」家族はその回りでおろおろするばかりである。
家族の「現実」を描いて10年。重松清の家族はあと10年、20年どのように変化していくのだろうか



2004年01月25日(日)
「東電OL殺人事件」新潮文庫 佐野眞一

「東電OL殺人事件」新潮文庫 佐野眞一
東京電力に総合職で入った慶応大学経済学部出身のエリートOLは、もう一方では円山町で立ちんぼの売春をしており、ある日何者かに殺される。
このノンフィクションはそのOLの心の中まで映すことには成功していない。事件の実態はどうだったのか、ネパールから来た出稼ぎ外国人労働者が容疑者として浮かび上がるが、最近の報道を見ているとどうやら闇の中に葬り去らされようとしているとしか言いようがない。私は「冤罪」だと思ったが真実はどうなのかはわからない。どちらにせよすべてが中途半端なことしかわからない。
ところがその中途半端なところがこの本の欠点になっているかというとそうとも言い切れないところがこの作品の面白いところだ。現在進行形の事件の場合、著者の視点から選ばれた事実を読むことで、私たちはいくつものことを考えさせられる。ノンフィクションの面白いところである。OLの中の「心の闇」と外国人労働者の実態、二つの「大堕落」と「小堕落」を描きながら、本来出会うことのない二人がなぜか出会う。世の中とは不思議なものである。



2004年01月24日(土)
「上弦の月を食べる獅子」(上)ハヤカワ文庫 夢枕獏

「上弦の月を食べる獅子」(上)ハヤカワ文庫 夢枕獏
日本SF大賞を獲ったという本書ではあるが、SFの意味を単なるサイエンスフィクションと捉えていると、途中でこの本を投げ出すだろうと思う。
かって「世界で一番美しい物語」という科学の概説書を読んだとき、私は「宇宙の始まりや未来の話、あるいは生物発生の秘密の話を聞けば聞くほど、哲学的なことを考えてしまうのはなぜだろう」という感想を持った。そういう感想を推し進めるとこういう作品が出来上がるのだろう。この作品は優れて「SF哲学」とでもいうべき本なのである。
この作品の主人公の「前身」として「肺を病む岩手の詩人」が出てくる。名前はついに明らかにはしてないがどう考えても「宮沢賢治」である。何しろ彼の詩や文章がほとんどそのまま引用されているのだから。ただ唯一違うのはこの詩人が「螺旋」に興味を持っているという設定である。その賢治に現代の「修羅」みたいな男をもう一人の「前身」として結びつける。そうすると、どういうことがおきるかというと、かって賢治が生前には出来なかった「殺生」「姦淫」などをこの主人公は行うことになる。その上で「自分は何者か」「人は幸せになれるのか」という「問い」を尋ねていくのである。私にはものすごい「冒険」に思える。まだ下巻は読んではいないが、いいかげんな「答」なら賢治ファンの私としては許すことが出来ない本になるだろうと思う。



2004年01月23日(金)
「中世倭人伝」岩波新書 村井章介

「中世倭人伝」岩波新書 村井章介
私のこの本の読み方は少々いびつである。14Cから16Cにかけての対馬と釜山等との港の関係、日本と朝鮮の関係、果ては中国との関係、そこで活躍する「倭人」と呼ばれた日本人とも朝鮮人ともいえない「マージナル・マン」たちの活躍。そういう世界を描いているのではあるが、私はそこに遠く1000年以上昔の弥生時代の倭人たちの朝鮮半島、北九州、山陰、中国沿岸に渡って情報交換しながら自分たちの文化を育んでいく姿をダブらせていた。航海技術は中世の倭人たちとは全然違うかもしれないが、弥生時代の倭人たちももし文献に残っていれば、支配の目を潜りながらしたたかに自分たちの住むところを確保していったのだろうな、と想像させるに充分なだけの当時の第一次資料(「朝鮮王朝実録」)が詳しく紹介されてある。
今度釜山に行った時には、倭館の在ったところに行き、600年前の私たちの祖先たちのしたたかさに想いを馳せたいと思う。



2004年01月22日(木)
「地球の歩き方韓国」JTB

「地球の歩き方韓国」JTB
前回韓国の「歩き方」を買ったのは三年前。実はいろんなページを便宜上破いていたので、今回買い換えたのだが、内容がいろんなところで一新されていたのには驚いた。構成そのものが一新されてある。今回は間にサッカーダブル杯をはさんでいるので特にそうなのかもしない。

私が「歩き方」を買うのは地方都市の情報が一番充実しているからである。今回は光州、全州の事前情報を集めるのにもっとも役に立った。各都市の日本語ホームページもあるのだが、見やすさと詳しさにおいてはこの本にはかなわない。ある程度の計画はこの本でたつ。

しかし観光コースではない旅をしようと思うなら、実際バスセンターに着いたあとで観光案内所に行くことを勧める。例えば光州に行くと、「歩き方」には載っていない1980年光州事件の関連施設が山ほどあるのに気がつくだろう。



2004年01月20日(火)
「食べる指さし会話帳韓国」情報出版局センター

「食べる指さし会話帳韓国」情報出版局センター
韓国内、完全フリーの旅をした。私はすでに第一弾の「旅の指さし会話帳韓国」を持っている。私は両方とも持っていった。私は韓国語はほとんど出来ない。ハングル文字もほとんど判読できない。そういう私が光州、全州、釜山に行き、地元の旅館(モーテル)に飛びこみで泊まり、日本語や英語を全然解さない食堂のおばちゃんやタクシーの運ちゃんにコミュニケートしながら旅をするには、この2冊はなくてはならないものであった。パック旅行ならこの本は必要ない。2〜3会話を覚えるだけで全て済むからである。

なぜ2冊もそろえる必要があるのか。「食べる」では豊富な食べ物の名前が載っているという事がある。韓国を旅して困ることの一つは記号のようなハングル文字が全然分からないためにどの店に飛びこんだらいいかさえも分からないということである。この本は豊富な料理の名前が載っていて、その料理の見かたも載っているのである程度の見当はつくようになっている。ただし、実際はの本に載っている以上の料理の名前が店の看板にあるので、後はカンと度胸で店に飛び込むしかなかったことも多かった。

一番役に立ったのはこの本の巻末にある簡単な単語帳であった。第一弾のほうにもあるのだが、そっちは日本語から韓国語を捜す単語帳で、その反対の両方とも載せているのは「食べる」のみである。イレギュラーの会話のときにそれは威力を発揮する。今回の旅では旅館に大事なメモ帳を忘れたとき、旅先で知りあった青年ととりとめもない会話をしたときに大変役に立った。相手がなにを言いたいのか、この単語帳を見せると一生懸命捜してくれるからである。そういう会話をした人が旅の中での一番の思い出になったりするのである。

ひとつだけ、韓国をフリーで旅するコツを。目的の都市に着いたら先ずは観光案内所に行こう。日本語の出来るスタッフがたいてい居て、「地球の歩き方」に載っていないような有益な情報をゲットできるし、詳しいマップを日本語版、韓国語版両方手に入れれば、タクシーに行き先を示すときに大変役に立つのである。



2004年01月19日(月)
「ソウルの食べ方歩き方」山と渓谷社 中山茂大 チユ・チョンヨン

「ソウルの食べ方歩き方」山と渓谷社 中山茂大 チユ・チョンヨン
今度韓国を旅することにした。しかし残念ながらソウルには行かない。でもこの本を買った。別に安食堂に行くためのマニュアルがほしかったわけではない。この人たちの韓国の路地裏の歩き方、その「嗅覚」を何とか自分も身に着けたいと思ったからである。
日本語の通じるような食堂はいまひとつ高いし、何よりも普段着の韓国が判らないという欠点がある。だから過去においてそれ以外の店に何度か入ろうとしたのだが、たいてい挫折している私なのである。なかなかあのハングル文字だらけの店には入りにくいというのがひとつ。おばちゃんも、言葉がわからない外国人が来るといかにもうるさげに対応する(過去の経験)というのがもうひとつの理由だ。けれどもこの本を読んで、「勇気」をもらった。安い店の「標準」とはどういうものか。「おいしい店」の特徴とはどういうものか。おばちゃんたちとどう接すればいいのか。そのヒントがここにはいっぱい。後は実行あるのみ。
もちろんこの本は優れて素晴しいソウルの安食堂ガイドになっている。近い将来ソウルに行ったときには必ず持ち歩きたい一冊である。今までに無い食体験ができること請け合いである。



2004年01月18日(日)
「韓国民主化への道」岩波新書 池明観

「韓国民主化への道」岩波新書 池明観
「(韓国の国花ムクゲは)咲いては散り、散っては咲き、無窮に咲きつづける。いかなる逆境にも負けないしたたかさ。それが朝鮮民衆の姿であるといわれた。」と著者はいって、戦後からソウルオリンピックにかけての韓国の戦後史を明かにしている。戦後の冷戦を背景にした南北分断、李承晩の登場、朝鮮戦争、4.19革命、直後の朴正きのクーデター、金大中事件、全斗換の登場、光州事件、直接選挙の実施…。そのほとんどを(名前だけは知っていたが)その歴史的背景と事件の経過を私は知らなかった。隣の国の激動の歴史なのに……。

韓国抵抗運動のレポートを命がけで書いていた「韓国からの通信」(岩波新書)の著者T.K生は池氏だという事が最近明かになった。よってこの本は戦後史の概説書であると同時に、名も無き学生が書いた生々しい激ビラの文章や、詩人の命がけの「詩」などが多用されてあって、見事な民衆史にもなっている。客観的な歴史書などは存在しない。(違うという人はE.H.カー「歴史とは何か」を読んだ上で反論してほしい)私は運動のさなかから書かれたこういう文章を信用する。

韓国民衆は時に勝利し、時に沈黙し、87年の勝利までに本当に粘り強く闘った。長期の独裁政権のもとで、暴力に拠らずどうやって民主化を勝ち取るか、ここには見事な世界史的、歴史的な教訓が埋もれてある。もっと知られるべき本である。



2004年01月17日(土)
「韓国からの通信」 岩波新書  T・K生、「世界」編集部編

「韓国からの通信」 岩波新書  T・K生、「世界」編集部編
この本の著者「T・K生」が当時東大研修生の池明観氏であったことが最近明らかになった。池氏は在日協力者が韓国に行き原稿・資料を収集、それをもとに原稿を書いていった。筆跡も残さないように苦労してこの通信を続けたという。池氏によるとこの通信の正確さは80%ほどであったという。(03.07.26日付け朝日新聞より)
この通信は現代において独裁政治を敷くことになればどういうことが起こり、国民はどのように反応するか、事実が持つ迫力でもって雄弁の告発している。戒厳令、金大中事件、拷問、相次ぐ死刑判決、ゲリラ的デモ、ゲリラ的新聞社説、報道統制、政治腐敗、国民総スパイ化等々、この本を読めば当時の韓国政権は明らかに末期的症状を示していたことが分かるだろう。そして韓国民衆の(焼身抗議自殺に代表される)血の闘いがあったことも。しかし、歴史はこの朴大統領という男を79年まで生きながらえさせることになる。
この書は72年11月より74年6月までの記録である。一種の証言集であるからいきなりこの書にとりかかると、この新書が発行されたばかりの年に背伸びをして読んでいた私のように「なにがなんやら分からん書物」になる可能性が高い。先ずは韓国の軍事政権の生い立ちとそれに対抗する韓国民衆の闘いの歴史を予習しておいたほうが分かりやすいだろうと思う。よって私は本作を読む前に「韓国民主化への道」(岩波新書池明観著)を読んだ。皆さんにもそれを勧めたい。



2004年01月16日(金)
播磨新宮町遺跡めぐり(03.11.9)

久しぶりの考古学ポートを送ります。
とはいっても、内容は吉備地域ではありません。11月9日兵庫県新宮町で行われた「歴史ウオーク」新宮宮内遺跡周辺巡りに参加してきました。この遺跡は山陽線を播磨線に折れて播磨新宮ICで降り、国道179号線を龍野方面にいくと左側に新宮町が見えてくるので、その中の町民スポーツセンターの隣に在ります。
皆さんご存知だとは思いますが、私の関心領域は弥生時代です。特に最近は近藤義郎教授の「吉備東遷説」(3Cに吉備の中心勢力が大和にそっくり移って、前方後円墳体制を作った)を自分なりに解釈咀嚼することに凝っています。今回のレポートもその視点で書いていることをお断りしておきます。
今回の遺跡の近くには兵庫県を代表する河川揖保川が流れています。兵庫県西の河川流域には注目すべき弥生遺跡がたくさんあって、以前二号線沿いの有年原・田中遺跡に行った時、非常に大きい円形墳丘墓が在ったことに驚きました。特にここでも吉備地域につながる特殊器台・特殊壷が出土していたのです。この地域は吉備を考える上でも大和とのつながりを考える上でも重要な地域だったのではないでしょうか。少なくとも吉備から大和に向かう通過点ではなくまとまった国があり、「倭国大乱」から「卑弥呼の時代」をへて「前方後円墳体制」に移る段階で重要な役割を持っていた地域と考えていい様な気がします。今回新宮町の遺跡群を見て、その規模と量の大きさ豊富さを見て、そう感じました。

先ずは新宮宮内遺跡の見学をしました。弥生時代中期を中心とする縄文時代から平安時代の複合遺跡で竪穴住居跡、溝、方形周溝墓、円形周溝墓などが見つかっています。特に円形周溝墓は弥生中期のものとしては国内最大規模です。吉備でたくさん見つかっている、分銅型土製品が21点も出ています。この土器は謎の祭祀土器と言われていて、木管墓の木管が美作地域のそれと類似しているのと同時に同じような祭りをする首長がいたのかと吉備とのつながりを豊富に想像させます。弥生中期といえば特殊器台が「発明」されるだいぶ前、いったいどんなつながりがあったのでしょうか。その一方で吉備ではあまり見られない環濠のあとや矢じりがたくさん刺さった「弥生戦士の墓」も出土されています。
また、私が注目したことで、この遺跡から三つの美しい三角型の山が見えるということです。大和の三輪山、吉備の中山、出雲の茶臼山、弥生時代の拠点集落在るところに必ず「かむなび」(神の降りる山)あり。だんだんと私の確信になってきました。事実、この新宮三つの山はいずれも「播磨国風土記」に出てくる山だそうです。一番形のいい大鳥(風土記では鳳)山だけはまだ遺跡が見つかってません。私はきっとなにかあると思います。
そのあと、天神山(風土記では飯盛山)麓の意外と考古資料がたくさん展示されてある「歴史民俗資料館」、国指定重要文化財の16Cの社内殿を特別に見せてもらった「宮内天満神社」、全長11.5mの横穴石室に入らせてもらった古墳時代後期の円墳「天神山古墳」、約30基の後期古墳が密集している「宮内古墳群」、日本最後のあだ打ちをした墓がある(その絵馬がなんと倉敷に5点もあるという)「梅岳寺」等を見せてもらった。箸墓古墳と同じ時期の前方後円墳「吉島(よしま)古墳」は残念ながら天候の関係で見ることが出来ませんでした。
このコースはなかなかいいハイキングコースになっている。資料はスポーツセンター隣の図書館で手に入るみたいなので、気が向いたときに訪ねるといいかもしれない。
今は新宮町では「邪馬台国への道のり」と題していろんな企画をしておりこの「歴史ウオーク」もその一環。その他スポーツセンター2階では遺跡の出土品の展示をしていて、これがその量の豊富さではちょっとした資料館とひけはとらない素晴らしさである。念願だった田中遺跡の出土品もたくさん見ることが出来た。河内、山陰、吉備のつながりがここでも確認できた。豊富な資料もただで貰えた。このお金の掛け方は凄いとしか言い様がない。岡山県に爪の垢でもせんじて飲ませたいぐらいぐらいだ。




2004年01月15日(木)
「ファイディング・ニモ」は65点

「ファンディング・ニモ」
65点
期待しすぎたのが良くなかったのだろうか。
普通の子供映画に過ぎない。
いったいどこに新鮮な視点があるというのだろう。



2004年01月14日(水)
03年私の映画ベスト26(長文です。覚悟して読んでください。)

例年の映画評ですが、今年は私の諸事情から実に簡単に済ませたいと思います。どこが簡単かと言うと、テーマを決めずにベスト作品(私内の基準で80点以上。今回は26作品。)を順番に紹介するというものです。(案外そういう紹介のほうが分かりやすいといわれたりして)今回一年に観た作品は103作でした。

もちろんこの26作は私の好みが十二分に入っています。よって世評高い「シカゴ」「めぐり合う時間たち」「至福のとき」「アカルイミライ」「ボーリングフォーコロンバイン」「座頭市」「過去のない男」「マトリックス」「踊る大捜査線」などは選外になっています。いつも私が評価するチャン・イーモウ監督に至っては、「英雄HERO」をワーストにしたいと思います。映像は確かに素晴らしい。けれども志(こころざし)が悪い。期待していただけに裏切られたと思ったときのショックは大きかった。

ではベストの低いほうから紹介します。
ベスト26。「ドッペルゲンガー」今や世界的に有名になった「CURE」の黒沢清監督作品。自分の分身が突如現れる。ホラーでもなく、喜劇でもなく、シリアスでもない。不思議な映画である。しかし監督の初期作品比べれば、難解な映画ではない。分かりやすいほどだ。ただ、私は好きになれない。作品が悪いからではなく、登場人物たちを好きになれないからである。監督はどうもそれを狙っているとしか思えない。自分の中の嫌いな部分は自分自身も好きになれないように。
ベスト25。「T.R.Y.」日本映画だけど、内容的には日韓中合作といっていいだろう。新しい文化交流に乾杯。
ベスト24。「ロボコン」去年私がベスト2に推した「まぶだち」の監督の作品。最初津山高専等の実物名が出てきて、実在高校生がぞろぞろ出てきて、主役級の役者さえも学芸会並みの演技をするので、これりゃ外したかな、と思ったのだけど、全国大会になって次々と試合をこなしていくうちに、意外性とドラマと感動がやってきた。何がいいといって「ロボットコンテスト」という素材がいい。あと編集も良かった。要らないところをばっさりと切っていた。「ウオーターボーイズ」が好きな人にはお勧め。
ベスト23。「ロード・オブ・ザ・リング・二つの塔」作品の評価は三部作すべてが終わってからでないと付けようが無いと言うのが正直なところだ。終わった直後から「一分一秒でも第3部が早く見たい」となる。そう思わせるだけでも高得点ではあるのだが…。9ヶ月かけて「指輪物語」全9巻を読んだ。「戦争と平和」について考えさせる良書です。こちらもお勧め。
ベスト22。「トォーク・トゥ・ハー」ほとんど植物人間と化した女性を看護する男の物語。こういう男と女の関係もありだ、とどれくらいの女と男が思うのだろう。ありふれていると見るのか、特殊な関係と見るのか。純粋な愛と見るのか、汚らしいと見るのか。物語とは無関係に最初と最後に出てくるダンスパフォーマンスが象徴的。ダンスの内容は「男は女が悲しみで崩れるとき前の障害物をとり除いてあげられるだろうか。男は女が愛のうたを歌うときその体を支えてあげられるだろうか。」
ベスト21。「ターミネーター3」。シュワちゃんがどんな政治信条を持っていようと、楽しめる映画は楽しめる。要らない能書きは垂れずに、全編ずっとアクションの連続。トレーナーのカーチェイスはこれぞ、映画という感じ。最後の意外な終わり方も私の好みです。
ベスト20。「さらなら、クロ」高校生と野良犬との交流。あのつぶらな瞳で見つめられたら、犬嫌いの私でも(本当ですよ)誰でもクロを好きになるだろうと思った。妻夫木聡、伊藤歩、新井浩文、金井勇太、三輪明日美、近藤公園、次代を担う若手が大勢出ていて、手堅い演技をしているのもうれしい。こういうきっちりした映画に残してもらえるなんて、クロはやはり「世界一幸せな犬」なのだろう。
ベスト19。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」天才詐欺師をディカプリオが演じる。タイトルバックが良い。主題曲が作品を引っ張って行く近来稀に見る作品。スピルバーグ監督は結局エンターテイメントに徹すればよいのだ。最近不作の彼の作品の中では、肩の力を抜いたこの作品が出色の出来になった。
ベスト18。「マッチスティックメン」「無骨な男(ニコラスケイジ)と少女(アリソンマーロン)」という設定は「レオン」以来、私のお気に入り。父親と娘はどの国でもいつの時代でも騙しあい。その関係を見事に写しとって今年最高の詐欺師映画になった。
べすと17。「フォーン・ブース」コリン・ファレルが実に魅力的だ。放漫だが繊細、賢いが臆病。そしていざとなった時には…。限られた街中での撮影だが、NYの雰囲気をよく伝えている。パニック脱出サスペンスとしては記憶に残すべき作品でしょう。
ベスト16。「WATARIDORI」舞の途中でズッコケル鶴、重戦車の様に飛ぶペリカン、親の目の前で子供が食われるペンギン。風にのって飛ぶ、羽ばたいて飛ぶ、鳥の気持ちになって空が飛べる。見事なドキュメンタリー。
ベスト15。「猟奇的な彼女」ラブコメディ。韓国映画が元気が良い。次から次へと新人監督、新人俳優が現れる。一昨年夏と去年の冬、釜山で映画を観た経験から断定して言うと、一途に若者がこの盛り上がりを支えている。通常の夜にどうして若者があんなに映画館に集うのか。あの熱気はすごかった。それを背景に製作会社も監督も思いきった冒険ができるのだろう。この作品もその流れに乗って出来上がった作品。スピーディーな演出。延長戦に入っての脚本の工夫。ちゃんとしたメッセージ。アイドル性。
ベスト14。「おばあちゃんの家」韓国のわがまま都会っ子の孫と田舎のおばあちゃんとの交流。定番お涙頂戴映画だと分かっていたから、一応醒めた目で見ていたはずであった。こんなにバリアを張っていたのに泣かされてしまった。登場人物たちの自然な演技。いつか見たような風景。あとでパンフを読むとおばあちゃんも、ほとんどの出演者も、あの村に住む素人だと聞いてびっくり。
ベスト13。「黄泉がえり」今年の日本映画の思いもかけない収穫の一つだろう。エンドクレジットが終わり、場内が明るくなるまで、観客が誰一人として動かなかった。シネコンの客としては、珍しい光景だ。いち早く降りて、観客の顔を観察してみた。怒っているのでも楽しそうでもない、穏やかな顔をしていた。『あなたにとって、黄泉がえって欲しい人は誰ですか』そんな宣伝のキャッチコピーを反芻しているのだろうと思えた。
最愛の人が突然元気なまま黄泉がえってくる。それも数千人規模で。迎える側はその人の黄泉がえりを真に願う人であり、よみがえった人は正真正銘「昔のまま」だ。ホラーとか、SFとかヘンな理屈をつけないのがよかった。単なる草薙・竹内の恋愛ドラマにしてしまわなかったのもよかった。なかなか絶妙なキャストが揃っていて、通好み。(特に忍足亜希子、市原隼人、北林谷栄は嬉しかった)
ベスト12。「ホテルハイビスカス」「ナビィの恋」の中江祐司監督作品。沖縄大好きの私にはなんとも懐かしい世界だった。特別でない普段着の沖縄満載だった。基地が在って、美恵子たちはその中に紛れ込む方法をちゃんと知っている。インターナショナルで情に厚い家族たち。そしてカラットした性格。三線の名手はどこかしこにいて、沖縄音楽はいつも身近だ。なんでもないエピソードの積み重ねだけど、最後に美恵子が父親にしかられた時の言葉「暴力はいけないことだ。それが大きくなると戦争になるんだぞ」(正確ではありません)その後の展開が私はとても好きだ。
ベスト11。「ラストサムライ」驚いた。ハリウッドが本気で日本に迫るとここまで真に迫った「日本」を描けるものなのか。ここで言う「日本」とは、貧困武士の共同体としての生活の在り様であり、彼らの意識である。よって農民は描かれてはいない。また、天皇が重要な役として出てくるが、このエピソードは一種のファンタジーとして理解したほうがいいだろう。
ベスト10。「8Mile」私はラップは全然聞かないし、エミネムってだーれ、状態だったのだけど、これを観て「ラップもなかなかいいジャン」状態まで変わってしまった。過去に置き去りされた町、デトロイトの町をバスから眺めながら、一生懸命語彙を増やしていつか成りあがろうとしている青年エミネムが印象的。キム・ベイシンガーが、男にだらしない、可愛い女を演じて、魅力爆発。その他、脇役がしっかり演技しているので、エミネムが黙りこくって、眼をぎょろぎょろしているだけで、なんかこいつやりそうだと存在感持たせて、なかなか良かった。もちろん彼のラップはさすが。今年度ピカ一の青春映画。
ベスト9。「インファナル・アフェア」アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督。久しぶりの見応えのある犯罪映画(フィルム・ノワール)。あまりにも男臭い作品。特殊なドラマがやがて仏教の哲学的な命題に還っていくところなんか、一種の抒情詩的雰囲気さえ漂わせている。
ベスト8。「夜を賭けて」本格的な日韓合作映画。最後のエンドロールで日韓入り乱れての名前の列挙が素晴らしい。昭和33年、大阪城のすぐ近くに住んでいた在日朝鮮人たちの追いだされるまでの物語なので、話す言葉はほとんど日本語なのだけど、彼らの気性や生活習慣はやはり日本人ではない。そういう事をキチンと描きながらも、彼らはやはり私たちと同じ「人間」なのだ、という事も(当然ながら)描いている。そして圧倒的なパワーが二時間ちょっと疾走する。この日韓合作の流れもっと続いて欲しい。結局これが今年度邦画ベストワン。今年の日本映画は少しさびしい。
ベスト7。「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」ジョニー・デップがはまり役。キャラクターで見せる映画です。今年度エンターテイメントではピカ一。
ベスト6。「人生は、時々晴れ」マイク・リー監督。イギリスの労働者階級の家族を暗くなる1歩手前で淡々と描く。運命に疲れているタクシー運転手の夫。生活に疲れている妻。将来に疲れている息子や娘たち。この映画は普通を描いた作品だ。美男美女はとうとう一人も登場してこない。最後疲れた心に少しだけ晴れ間がのぞきこむ。こういう映画も時には見てもいいかもしれない。映画が終ったあと、回りの人々を見て、少しだけ優しくなれるから。
ベスト5。「セプテンバー11」世界各地の11人の監督たちに11分だけの9.11に触発された作品をつくらせる。どの監督も国を背負って作品を作ったわけではない。しかし、2002年という時期の「世界」の雰囲気をここまで表わした映画はもう作られることはないだろう。そういう意味では、「歴史的」な映画だ。9.11は悲劇だということではみんな一致している。平和を願うということではおそらくみんな一致している。けれどもこれだけ多様な表現があるのだ。
フランスのクロード・ルルーュは恋愛映画を作り、アメリカのショー・ペンは老夫婦の別れを崩れゆくビルを背景に描いてみる。イランで、エジプトで、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで、イスラエルで、インドで、アフリカで、それぞれの監督たちは自国の国民の声を聞きながらもこの事件の衝撃と矛盾をどのように描くかもがいている。最も批判的に描いたのは、皮肉にもイラク戦争で米国とともに戦うことになった英国の作家ケン・ローチであった。彼が描いたのは1973年の9月11日。アメリカが干渉したチリの軍事クーデター。彼の面目躍如たる11分だった。わが日本は今村昌平監督だ。しかし、その出来は11人中最低といってもいい。これは監督の限界なのか、日本の限界なのか。世界には様々な人種と様々な国の景色があり、そして表現がある。この映画の存在自体が最も雄弁に「平和」を訴えている。
ベスト4。「ウエストサイド物語」ニュープリント。デジタルリマスターバージョン。冒頭の群舞シーンからずっとかっこよいダンスが続く。歌が無いのに、ダンスだけでジェット団とシャーク団の対立、幼さ、貧しさ等のドラマの背景が良く分かる。当時のニューヨークが見事に描かれている。シネマスコープの画面の中を、右から左、奥から目の前まで、縦横無尽に踊り、走る、まるで画面からはみ出してくるかのような迫力。テレビでは絶対に味わえません。そして「きめ」のポーズ。かっこいー!
「一目ボレ」という恋の純粋さを「トゥナイト」等の有名ナンバーが切なく描く。今から40年前に、「自分のテリトリーを守るために武器(ナイフ・銃)を持つことの愚かさ」を見事に描いている。恥ずかしながら、この作品初見でした。ずっと観たつもりでいたのです。この40年間、映画界は一体何をしていいたのかと思われるくらい新鮮なシーンの連続。間違いなくミュージカルの最高峰。「シカゴ」なんて目じゃない。
ベスト3。「この素晴らしき世界」 チェコという国は、第2次大戦後50年たって、なんとこんな素晴らしい作品を作るところまで来ていた。普通の夫婦に突然飛びこんできたユダヤ人を匿うことで起きる様々なドラマをペーソス豊かに描く。
この映画の原題は『我々は助け合わなければならない』という意味だそうです。助け合う人たちが『アンネの日記』のように匿う人と匿われる人だけではない所に、この作品の奥深さがある。となりの隣人がナチスの協力員であった事も描く。けれども彼も「助け合う」のである。日本のように「水に流す」のではない。笑いの底にチャンと冷たい眼差しがある。罪を知った上で『許す』、そんなラスト。
ベスト2。「歓楽通り」「橋の上の娘」のパトリス・ルコント監督作品。誰も見向きもしていない作品ではあるが、私には忘れられない1作となった。たくさん見ていると、年間一作か二作はそういう作品が在るものだ。去年は「まぶだち」だろうか。
幼い頃から娼館の世話係をしていたプチ・ルイは決して自分はもてないと思いこんでいる。愛する女性が自分を恋しない運命なら、「運命の女の人と出逢ってその人を一生賭けて幸せにする。」そういう誓いを立てる。彼女に恋人を引き合せ、彼女を幸せにする、それはなんと幸せなことだろう。最初は良かった。彼女も自分のすることを信頼しきってくれる。ただ「良いことは長く続かない…」
最後のプチ・ルイが幸せだったのかどうか。フランス映画らしく余韻深い恋愛映画であった。
ベスト1。「戦場のピアニスト」ロマン・ポランスキー監督。一人のユダヤ人が遭遇した「戦争」。戦争とはなにかを今までにない視点で描き、そのリアルさ、その映像、音楽、そのインパクトにおいて結局3月に観たこの作品が今年度のベストワンになった。シュピルマンは最初から最後まで穏やかで哀しそうな眼をしている。ワルシャワの市民やユダヤ人たちが非応無く戦争に巻き込まれ、(戦争初期は普通の生活をしていた。その辺りの描写も新鮮だった)ユダヤ人せんめつ作戦にはまっていくのを一人の無力な芸術家として、ずっと眺めている。(戦争全体を描くのではなく個人の視線に限定して描くというのも新鮮)シュピルマンが生き残ったのは偶然に過ぎない。その背後に、愛する家族、したたかに生きようとした男、勇敢に戦った男たちのプッツリと(まるで事故にあったかのような)突然の無数の死があった。(適当に10人選ばれてはいつくばって一人づつ撃ち殺される場面があった。最後の一人が弾が切れて助かったかと思うと弾槽を入れ替えて撃ち殺す。怖かった。ドイツ兵に「どこに行くのですか?」と行き先を聞いただけで、ズドン!と撃ち殺された女性だとか、即物的な描き方が多かった。しかもこれが戦争の事実なんだよね。)個人の力はあまりにも戦争という運命に対しあまりにも無力だ。後半はそのことをこれでもかと描き尽くす。そしてもう一つ我々に見せつけるのは、その無力な個人が超絶的な技巧で美しい旋律を奏でること。結局あの戦争はこの芸術を滅ぼす事は出来なかったのである。戦争と個人の関係。個人と芸術の関係。芸術と戦争の関係。3月は世界中でイラク戦争に反対する同時多発的反戦デモが、ベトナム戦争時以上の人を集めた。この映画がその事に一役買ったのかどうかは分からない。けれどもそういう反戦デモがあった事、こういう映画がアカデミー監督賞をとった事は「歴史的事実」として覚えておいていい事だと思う。
     





    


     

    


     
     



2004年01月13日(火)
去年12月に見た映画まとめて感想を付す「ドッペルゲンガー」「バッドボーイズ2バッド」「ブルース・オールマイティ」

「ドッペルゲンガー」黒澤清 役所広治 深作博美
80点
不思議な映画である。しかし難解な映画ではない。分かりやすいほどだ。ただ、私は好きになれない。作品が悪いからではなく、登場人物たちを好きになれないからである。監督はどうもそれを狙っているしか思えない。相手の土俵に載るのも癪なので余計好きになれない。私はこの作品を好きだといえる人たちは自虐的性向か、加虐的性向があるとしか思えない。(おっと、それはほとんどの人にあるか)うーむ。ともかくいやだ。

「バッドボーイズ2バッド」
70点
落ち込んでいるときはこのような作品に救われます。うーさー。

「ブルース・オールマイティ」
50点
どうしてアメリカ人は神様になりたがるのだろう。
どうして神の力と夫婦愛を天秤に掛けるのだろう。



2004年01月12日(月)
「ゴジラ*モスラ*メカゴジラ東京SOS」監督手塚昌明

「ゴジラ*モスラ*メカゴジラ東京SOS」監督手塚昌明 金子昇 吉岡美穂 虎牙光輝
今回ヒ−ローも役不足なら、ヒロインは更に不足。怪獣を巡るエピソードも、想い入れは分かるのだが、ご都合主義に走ってる。今回久しぶりに国会議事堂が倒されたことと、空から怪獣を撮ったショットが新鮮だったことを一応評価した。

それにしてもこのゴジラ映画、怪獣に対する日本人たちの微妙な感情。まったくもってハリウッドとは違う。おそらく日本で9.11事件が起きても、日本の世論は決して戦争には傾かなかっただろうと思う。ゴジラに何度壊滅的な破壊を受けても、常に追い返すだけでこと足りていたのだから。

「劇場版ハム太郎ハムハムグランプリンオーロラ谷の奇跡」監督出崎統
ゴジラとカップリングになったお陰で、この三年間ずっと「ハム太郎」に付き合ってきた。最初はその存在すら知らなかった私が、今ではいっしょに「〜ひまわりの種」と口ずさめるまでになってしまいました。今回は海賊が出てくる。出崎監督と海賊といえば「宝島」。あの鼻たれ船長にジョン・シルバーを重ねていたのは私だけだろうか。

ただ、次第とエネルギーは落ちてきているように思う。



2004年01月11日(日)
「オールドボーイ」03.12釜山の映画館で見ました。

「オールド・ボーイ」
12.3韓国ぶらぶら旅をした。釜山の映画館でこの作品を見た。

男はある日突然蒸発する。彼は気がつくと精神病院にいれらていた。次第に狂気に陥る彼。やがて突然自由になる。病院の間に鍛えたからだとテレビでみに着けた知識と、幾つかの手がかりを元にこうなった原因を探っていく。たまたま知りあった若い女のことの奇妙な生活を続けながら。
という物語のはずだ。前日に韓国の雑誌を見ると、現在韓国でしている自国映画の中でこの作品がもっとも評価が高かった。俳優は「シュリ」で北朝鮮工作員を演じた彼が、おどけ、怒り、泣き悲しみ、笑い、狂い、哀しむ等、ありとあらゆる表情を見せる。そういう意味では凄い映画だが、ストーリーはあまりにも「滑稽無等」のように私には思える。「近親相姦」を堂々と描いて、韓国ではこれはタブーではないの。たぶん日本では公開されないでしょう。座席数はきっちり数えました。水曜日午後9時の回で500席の半分以上の観客が入っていました。客層はほとんどが若者です。



2004年01月10日(土)
「ラストサムライ」

「ラスト・サムライ」トム・クルーズ、渡辺謙 
驚いた。ハリウッドが本気で日本に迫るとここまで真に迫った「日本」を描けるものなのか。ここで言う「日本」とは、貧困武士の共同体としての村の雰囲気であり、彼らの意識である。よって農民らしき人も出てくるが、彼らのことはこの作品の中では描かれてはいない。また、天皇を巡るエピソードは一種の「もう一つのあったらよかったかもしれない歴史」として理解したほうがいいだろう。

本当にこれは「今は失われた日本」なのだろうか。「和魂洋才」と「集団主義」。これはそのままジャパンビジネスマンたちの態度ではないだろうか。「おたか」のような女性だけは「失われた」かも、といったら怒られるか。(03.12)



2004年01月09日(金)
「フォーン・ブース」

「フォーン・ブース」
コリン・ファレルが実に魅力的だ。放漫だが繊細、賢いが臆病。そしていざとなった時には…。
限られた街中での撮影だが、NYの雰囲気をよく伝えている。
パニック脱出サスペンスとしては記憶に残すべき作品でしょう。
パンフは必ずあとで見ましょう。最初のページから重大なネタバレが在ります。



2004年01月08日(木)
「マトリックスレボリューションズ」

「マトリックスレボリューションズ」
50点
私の友人は一様に面白かったといっているんですよね。
「2」を酷評していた友人も「スペクタル場面は素晴しい」。
ということで半信半疑で見たのですが、
「退屈はしない程度に特撮はよかったけど、
この前のちゃぶ台をひっくり返すストーリーもいやだったけど、
ひっくり返したご飯は片付けるなり食べるなりしてくれよな」
という感想。
もともと期待していなかったので点数もこんな感じです。
(03.11)
    



2004年01月07日(水)
『死ぬまでにしたい10のこと』

『死ぬまでにしたい10のこと』
「10のこと」の内容はすでに予告やポスターでわかっている。
もっともな内容ばかりでそれだけで終わると
あまりにもありきたりなお話にならないかなあ、
と、実は危惧していた。
それでは、実は11があったりするのだろうか。
それともどんでん返しがあったりするのだろうか。
 実はない。
いくつかはあまりにもご都合主義的な展開もあったりする。
けれども見終わった後
「もっといろんな展開があってもよかっのでは」
という気持ちはなぜか起きてこなかった。
演技がすばらしいのだろうか。
細部の演出がすばらしいのだろうか。
実はそれらはほとんど傑出してはいない。
ただあと二ヶ月でできることとして、
あの10のことは実に実にすばらしい選択であった。
そういうことだけかがわかった。(03.11)
    



2004年01月06日(火)
「インファナル・アフェア」アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督

「インファナル・アフェア」アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督 アンディ・ラウ、トニーレオン、アンソニー・ウォン、エリック・ツァン、ケリー・チャン、サミー・チェン 85点
久しぶりに見応えのある犯罪映画(フィルム・ノワール)を見た。
特殊なドラマがやがて仏教の哲学的な命題に還っていくところなんか、
一種の抒情詩的雰囲気さえ漂わせている。
トニー・レオンは「HERO」より数倍かっこいい。
難点は少しストーリーが分かり難かったこと。
最終的には分かるのだが、
スピード感をつけるためには仕方なかったかもしれないが、
少し編集で切りすぎたかもしれない。
『もう一度見ろ』ということか。(03.10)



2004年01月05日(月)
「バリスティック」

「バリスティック」アントニオ・バンデラス リューシー・リュー
CGにあまり頼らない銃撃戦、カーレースは頑張っている。
活躍する場の少なくなったスタントたちの誇りが垣間見える映像だった。
ハードボイルドタッチのセリフのやり取りは大好きなところ。
ただし、いくら粋なセリフが在ってもその背景に
「深い想い」が無ければ大無し。
概してプロデューサーは頑張っているけど、
リューシー・リューも寡黙なテロリストをはまり役で演じていたけど、
監督、脚本家は単なるおたくではないかと思う。
すぐ忘れてしまえばいいような作品ではある。




2004年01月04日(日)
「長いお別れ」レイモンド・チャンドラー

「長いお別れ」ハヤカワ文庫 レイモンド・チャンドラー  清水俊二訳
いわずと知れたハードボイルドミステリーの古典である。ミステリーとは限らない、いろんな小説や映画の一人称で語る主人公はフィリップ・マーロウ私立探偵のプロトタイプである(らしい)。今回初めて「実物」を読んだ。マーロウは今まで読んだハードボイルドの主人公たちの誰にでも似ているようで、実に男臭く、クレバーで、似ていなかった。

この文章に接して、この文体にかぶれなかったら、本好きではない。マーロウの粋なセリフをいつか自分も呟いてみたいと思わなければ、男の資格はない。日本のどこかの評論家が「チャンドラーの小説は優れた独身中年小説だ」といっていたが、肯べなるかな。
42歳。いい女に「結婚に反対する理由がなにかあるの」といい寄られて彼はいう。「100人のうち2人にとっては素晴らしいことさ。あとの98人にとっては形式に過ぎないんだ。」かっこいい。こんなセリフを吐いてみたいものだ。むりだけど。



2004年01月03日(土)
「ひぐらし荘の女主人」小池真理子

「ひぐらし荘の女主人」集英社文庫 小池真理子
ミステリーとして優れているかというと答えはノーだ。ミステリー初心者の私でも充分結末が見えていた。(「彼なりの美学」を除いて)

この作品群の魅力は途中でにじみ出し、匂い立ち、密かに浮き出てくるような「色気」の描写である。例えば「花ざかりの家」では、男は妻の貴志子が家政婦として働いている屋敷の主人と不倫しているのにうすうす気がついている。そのときの描写はこうだ。「結婚当初から、どちらかというと色気とは縁遠く、少年と軽やかさと少女の無邪気さを併せもっていたような女だったのに身体の線にえもいわれぬなめらかさが加わった。体重が落ちた様子で、にもかかわらず張りつめたような眼差しには潤いばかりが増してくる。」やがて妻は謎の自殺を遂げる。

この本にいわゆる「性描写」は全然ない。しかしこれらの作品群は見事に「官能」的である。



2004年01月02日(金)
「ホテルハイビスカス」中江裕司監督

久しぶりのクレールです。
「ホテルハイビスカス」は「沖縄」の町の角にある
部屋が一つしかないホテルだ。
ビリヤード場併設、けれども客はぜんぜんこない。
美人でバーで働いているおかあちゃんが一家を支えている。
禿のおとうちゃんはとてつもなく優しいけど、
おこるとちょっと怖い。
おばぁはいつもにこにこしているけど、
魂(まぶい)を返す法も知っている、ちょっと頼りになる人。
黒人ハーフのおにィはボクサーの卵、チャンピオンを目指している。
白人ハーフのおねぇは母親に似てきだてのいい働き者。
そしてたぶんその後おとうちゃんと結婚して出来たのが、
野生児おかっぱ頭の小学生美恵子。

沖縄大好きの私にはなんとも懐かしい世界だった。
伝統的建築物なんか一つも無いなんでも無い町なのだけど、
特別でない普段着の沖縄満載だった。
基地が在って、美恵子たちはその中に紛れ込む方法をちゃんと知っている。
その中にはカメレオン(?)もいる。
バスの背もたれには相変わらず落書き(気がついたのは私だけかも)
三線の名手はどこかしこにいて、沖縄音楽はいつも身近だ。
(今回「ナビィの恋」みたいな音楽満載にならなかったのはちょっと残念)

なんでもないエピソードの積み重ねだけど、
最後の美恵子がしかられた時の言葉
「暴力はいけないことだ。それが大きくなると戦争になるんだぞ」(正確ではありません)
その後の展開が私はとても好きだ。
クライマックスにふさわしいエピソードだった。

中江祐司監督の挨拶には行けなかったけど、
先着限定のお土産「オリオンビール」は貰えた。
とても嬉しかった。アリが10匹。





2004年01月01日(木)
再開します「人生は、時々晴れ」

10月にPCが壊れて以来、休んでいた日記を再開します。
この間見た映画、読んだ本、旅の記録は相当あるので
しばらくはそれを載せて生きたいと思います。

「人生は、時々晴れ」マイク・リー監督
事故を起したタクシー仲間の同僚に主人公フィルはこう慰める。
「もしかしたら幸運だったのかもな。
その事故がなかったら次ぎの角を曲がったときに
人を轢いていたかもしれない。」
おお!人生の真実を発見したような気分になる人もいるかもしれないが、
騙されてはいけない。
同僚は自損事故をあて逃げ事故だったとウソをついているのであり、
フィルも「俺が家族を食わしているのだ」といっているが、
娘や妻からも金を借りるアリ様。
彼は運命を悟っているわけではない。
運命に疲れているだけなのだ。

この映画は普通を描いた作品だ。
美男美女はとうとう一人も登場してこない。
最後疲れた心に少しだけ晴れ間がのぞきこむ。
ケン・ローチだけがイギリス労働者の実態ではない。
こういう映画も時には見てもいいかもしれない。

映画が終ったあと、回りの人々を見て、少しだけ優しくなれるから。