木洩れ日
零れ落ちる光を拾い集めて

2003年01月10日(金) 南天

ゆるゆると車椅子押す短き日

来し方はみなそれぞれや枯木立

南天の実の数ほどにある真

冬満月ひらりと猫の過ぎにけり

水仙の透きとほりつつ枯れゆけり


齢をとるということは確かに哀しいことではあるけれど、
また一方で、とてもおもしろくたのしいことでもある。
若いときは、口が裂けても言えないこと、などと、ばかば
かしくも考えたりするものだが、いまは、ほんとうのことが
なんでもなく言ってしまえる。
人生というものが 多くの場合 悔いの積み重ねである
としたらその理由というか 拠ってきたるところは唯ひと
つしかないと私は考えているのである。
肉体の若さみずみずしさとともに精神の老年が同生でき
ないというこの哀しい一事に尽きると思うのである。 

       大原富枝著「メノッキオ」より

* * * * *

  水仙のように気品のある人は 
  2000年1月28日、87歳で昇天


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keiko [HOMEPAGE]