木洩れ日
零れ落ちる光を拾い集めて

2002年03月31日(日) 紅椿

春の波玻瑠のかけらを返しけり

紅椿咲きし誇りを持ちて落つ  

辛夷咲き揃ひし朝を旅に発つ

散る花を点じて路地の潦

春の富士見ゆる窓背に母の笑み


2001(平成13)年3月、生母マサコ、能楽の笛を
お弟子さんに教えている最中に脳梗塞で倒れる。
同じ年の11月、父が死亡。 離婚して生母は家を
でたので、行き来は勿論、音信も絶えていた。

父の葬儀の名簿に叔父、叔母の名前が記されていた
ことからお礼の電話をし、翌年2002(平成14)年
2月、弟と共に48年ぶりに再会した。
お互いに涙もなかった。入院中の生母に言葉は戻らず、
ただ、『この人が・・』と思うだけだった。


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keiko [HOMEPAGE]