ネガティ部 May日記

2005年07月28日(木) 
「退席中」表示のメッセに予告残していざ実行。
つれなさは相変わらずナニ縛るものなど何もない。
気付くかどうかも定かでないのにほんの少しの期待と慾と。
わずかばかりの見栄を守って再試行はしない、しない。
苦笑交じりの愚痴こぼすくらいは譲ってもらおう。


結局のところ、此方にも彼方にも迷惑や負担が極力かからなそうな相手に対して自分を反映させているだけなのだろう。と思っている。
お互いにいい面の皮ではないか。
それで良い(むしろ当然。全ての対人関係の基本は投影された自分自身の姿が気に入るかどうかである)と思う反面、それだけでは些か味気ない気がする。
とはいえ他人の主観など、慮るのがせいぜいで立ち入ることなど出来はしないのだが。


2005年07月21日(木) 
血液検査の結果は「異常なし」。
そんなところにそこはかとない理不尽さを感じてしまう私はちょっとどうかと思いますが、この歳でリウマチを患って・・というのも何なんで、いいことにしておく。


ところでとうとう夏休み突入です。
気が付いたら一年が終わってしまいそうです。
あまりにも無為に毎日を過ごしているので、時間の感覚がありません。
丸一日を寝て過ごしてしまったりすると、よく寝たという充足感より先に切なさが募ります。それにしても何でこんなに眠れるのか、夜に仕事ということを差し引いても、一日の半分は昏睡状態(起こされても無反応もしくは無意識)の日常ってのはどうかと思います。
5年ほど前までは、「しんどくなるから昼寝はしない」と1日3時間ペースの睡眠で生活に支障がなかったのがウソのようなほんとの話。
あれこれ語弊はありますが、生活にハリがない、もっと正確にいえば張り合いがないのが原因であろうと思われます。
おそらく、何かを失ったことによって自分が損なわれるかもしれないといった本質的な不安を今の私は持っていないのでありましょう。
職も生活も家族も友人も。占めていた分量の多寡に従って心を痛めはするにしても、失うことそのものについては諦念と共に従容と受け入れるような気がします。
それはあたかも緩慢な自殺にも似て。もしくはこの上なく尊大な夢なのかもしれません。


2005年07月04日(月) 
夢を見た。




寄り道をしたり迷子になったりする私を、あなたは待つこともしないけれど、一人で先に行ってしまったりもしない。

手を繋いで乗る古びた電車。

改札を出て高架から地上に降りる心もとない階段。

行きたい場所はわかっているのに行き方がわからない。

道を尋ねながら歩いて、目的地には着いたけど、思っていたところとは違うところに出てしまった。

ごめんね。という私に

着いたからいいんじゃない? と答えるあなた。




ひどく取り留めのないような、それでいて幸せな夢。
2005年07月02日(土) 
痛い続きの日記(?)でおます。


既に発症から2週間。
ピークは過ぎたと言え一進一退を繰り返す臀部から太腿の痛みに、急遽共済などに入って整形外科を受診。
えーとね、病状名は「軽い椎間板ヘルニア」で症状名は「坐骨神経痛」でした。

先日受診した出先に近い整形外科じゃなく、今回は自宅の近く。
ひょっとしたらの近い将来リウマチの可能性を鑑みて、リウマチ学会登録医なるもの(標榜診療科目というのは自称なので、結構スキマがあるらしい)を訪ねてみました。
とにかく声のでかい年齢不詳(一見同年代に見えるけど一回り上と言われても納得するな)の先生の口調は、相手を萎縮させるよりも、なぜだか張り合って喋らなくちゃと思わせる大らかな話しっぷりで、主訴とは関係ない症状や不安材料、過去の通院の話までしてしまった。
いや、一応そのつもりでは行ったんですけど、場の雰囲気に流される性質(というよりタイミング掴むのが下手すぎ)なので・・・指の痺れのときは云えなかったんだよね(汗)
レントゲン待ちで聞くともなく耳に入る他人様の診察も、病院で先生にというより近所の知り合いで先生をしてる人にといった風情でついつい口元が緩んでしまう。こういうのはお人柄なんだろなあ。
シップや痛み止めも出せるけどどうします、と聞かれたので断ると、それで治るわけじゃないからねぇとお褒め頂く。褒め・・・?いや多分そんな感じで。
坐骨神経痛では腰ベルトの支給とリハビリ(でも腰はこってるけど痛いわけじゃないよ〜<その辺り実感ないところが悪化させる原因だ)を申し付かって別件では検尿と採血。血液検査の結果が出るのでまた来週といわれて診察室から退場。
リハビリも毎日来いとか言われずに済んだので助かりました。






痛いのはとりあえず打ち止め。ということにしたいもんですな。
     
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