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May日記 |
| 2004年12月31日(金) |
| 長い間更新が止まってたのですっかり見に行かなくなっていたサイト様を久々に見に行った。 ごく平坦な、冷め切って突き放したような文章に感じるのは愛しさと切なさ。 そんな言葉すら陳腐に感じるほどの愛惜。 でも喉元にわだかまる嗚咽と滲む涙はあまりにも不似合いで。私は眉根を寄せ微苦笑を浮かべることしかできない。 どうしてこの人の文章からこんなにも長く離れていることができたのか。 私は自分から物語りを書くという作業を放棄したのだが、そこには厳然として自らの思想なり嗜好なりをヲタクというかぎ括弧で包んで自ら笑いものにしようとする妙な潔さへの反感が少なからずある。 怠惰な私はスケジュールに追われることもそれを守ることもついぞできはしなかった。隣でふーふー言いつつも楽しげに確実に量をこなしていく羊さんを見て羞しく心苦しくなりながら、それでも降り積もっていく『私は』誰のために何のためにという疑問は着実に私を苛んでいった。 楽しくなかったと言えば嘘になる。 だが私にとってそれ(ヲタク活動;同性愛者に投影して物語を紡ぐこと)は表現の一つではなくすり替えや逃避の手段の一つに思えた。 問題が、目の前に転がっているのに、何故それを手にとることをせず、手を変え品を変え、問題提起することしかしないのか。 女でない性に「女というもの」への理想を押し付けること。 「生殖を前提とする性行為」(あるいは恋愛)へのささやかな抵抗。 そこに夫婦茶碗の大きさについての議論と同じような滑稽さを感じてしまったのは私だけなのだろうか。 性差を鑑みない「人間としての理想」など人間が有性である限り、女でなければ男であり男でなければ女である限り、どこにもありはしない。 見よ、自ら男性であることを拒んだ人たちは生まれながらの女よりも女性らしくあろうとし、女性の特質と思われる性質の持ち合わせが少ない人たちは男前と呼ばれるではないか。 そのことに叛旗を掲げようとするに決して吝かな気持ちは抱かないが、それを同性愛者(それも多くは異性)に求めるのはいっそ卑怯なことではないのか。 以上未完のまま本年を締めくくりたいと思います。 皆さんこんなどうしようもない私に今年も一年お付き合いありがとうございました。 私は風呂入ってこれから出勤です。 良いお年をお迎えください。 |
| 2004年12月29日(水) もち4つ |
| 食って腹満足。 今日の目標は1日一食で済まさないことです。 ちなみに昨日の食事は餅3つとポテチ1袋でした。 お蔭で仕事中朝方にはエネルギー切れでふらふらに。ただでさえ忙しくて足元が悪い(結束を解いた紐やらが散乱して)のにそんなで滑ったり躓いたりして労災事故なんて恥ずかしすぎです。そういや御用納めって昨日?今日? とりあえず世間様がお休みにならないと荷物が減らないわけで。あー、でも暇だと寒さで死ねるかも。 職場は巨大な屋根付き島式ホームといったところで暖房はありません。配置場所は一応左右に壁があるところですが、片側はクールで裏は開放。ほかの場所ほど吹きっさらしというわけではないにしろ、ほとんど戸外といっても過言じゃない。なんせ息が白い。 制服(夏物よりは厚手。でもペラペラのポリ100%)の下にサポートタイプの長袖肌着、綿の長T、うにくろのNASA開発というタートル(勿論長袖)を着込み、下半身は制服ズボン(裏無し)の下に足首までのスパッツとハイソックス二枚履き。更にフリースのベストを着てブルゾン(同じく裏無し)と着込んでやっと動いてる間は寒くない程度。軍手の下に綿手袋はめてるけど、冷え性なもんでややもすると指先が痛い。 年越したらもっと寒くなるのに今からこれじゃ思いやられます。 腰にカイロはぬくいんだけど冷え込み始めに数日使ったらなんだか肉が付いたような気がするので、きっと体温保持にエネルギー使わない分たるんだんだと思う。背に腹は変えられんと言うけど背が腹みたくなったら困るよな。そのうち耳カバーとマスクが必要になるんじゃないかと本気で買うかどうか検討中。 これ以上着ると動きが鈍るので、春先に活躍してくれたナイロン製のヤッケが頼みの綱なんだけど引越しのときにどこへしまったもんだか・・・。何度か探してみたけど未だに出てきませんよー。(涙) |
| 2004年12月23日(木) |
| 勘弁してください・・・。 なんで風呂から上がったら5時回ってるんだよ。 これが夏場だったら夜が明けてるよ? ウチの風呂には呪いでも掛かっているとしか思えない。それとも休みの日には風呂に入るなということか。 とりあえず体がだるいよ〜。 |
| 2004年12月21日(火) |
| うっ・・・眠い。 でも連休と連休の間の1日出勤なんで頑張って参りますよー。 昨日は美味しいもの三昧で幸せでした。 遠出してケーキ買いに行った甲斐があったというもんです。 クリスマスにはちと早いのでまた別でやりますが、およそ10年ぶりのケーキとコーヒーは記憶にたがわず美味かった。 今度はいつになるのやら。 詳しい話はまた後日にできたらということで。 とりあえずいってきます〜 |
| 2004年12月18日(土) |
| PCに向かうのになんでこんなに時間がないのかと考えていたら、家人が仕事の都合で帰宅が深夜を回る(通常業務でですよ)からでした。 飲みにも行ってないのに午前様だよー信じられない。 いつまでもテレビをみてだらだらしているのでまだ寝ないのかと問うと、帰ってから2時間も経ってないとの返事。メシ食って風呂入ってやっとこ一息ついたらそんな時間かと思うと他人事ながら涙を誘われます。そら私が座って転寝なんぞしていたらさぞ目障りで腹も立つだろうよ。 とはいえこっちもタダでさえ少ない夜家に居る時間なんだから、布団で寝てたりしてたら勿体無いではないですか。待ってるんだから早く寝てくれよ〜というのが真情です。 やっぱり置き場所を替えたほうがいいのか・・・う〜む。 *** 小学生に数直線を使った加減の法則を教えてみた。 数直線上の中心が0で、右が正(+)左が負(−)。 普通に使ってる数は0から右の数字で、何もなきゃ本当は+がついている。 (だって本来数は在るものを数えることだからさ) 足し算とは数直線上を右に移動することで、引き算は反対。 で、ここでかりに1の長さをきめてやり、(とりあえず)左右に5つずつくらい目盛をうつ。 「1+1は1の目盛を一つ分右に進むということで、それは0からみれば二つ目の目盛になる。だから答えは2になるんだよ。」 小さな数で同様にやってみせて1+2=3 2+2=4。 そうそう。引き算はその逆だよね。 4−2=2 2−1=1 どっちも左に進むから答えは最初の数より小さく、つまり0に近くなる。 んじゃあ1−2は? 「1から二つ分左の目盛は0から負の方向に一つ分、だからー1。ほら簡単。」 ところがふむふむと聞いていた小学生、突然3−4は4−3に(−)をつけたらいいとか言い出した。 あー・・・そうですね。答えを出すだけならそれでもいいんです・けどね・・・。 3−4=ー4+3=−(4−3)=−1 しかし小学4年生に説明するには難しすぎないか? ということで以下小学生のために補足。 3−4=(+3)+(−4) =(−4)+(+3) =−1x(+4) + −1x(−3) =−1{(+4)+(−3)} =−1(4−3) =−(4−3) =−1 たかだか(−)をひねり出すのにえっらい遠回りなことを。 つかその前に基本的な知識をまず・・(なんで(−)x(−)が(+)になるんだとか)・・・・・・。 あら? 今気づいたけど数直線上なら「引く数」と「引かれる数」が逆になってもいいんやん。 3−4は3から始めて左へ4つ分だけど、−4から右へ3つ分でもいいのね。ええと式にすると 3−4=(+3)+(ー4) =(−4)+(+3) =−1 あ、でもこれじゃなんで(−)がつく(つけたらいい)のか説明できないぞ。うむむむむ。 とりあえず最初の説明で「(+)は右に(−)は左に行くこと」だけではどうにも語弊があるのだなあ。いっそ「(+)は進むこと、(−)は逆方向」くらいでもいいのかも。ってなんだか頭がこんがらが・・・ぁぅ。 しかし算数の真髄(つかツボね)はこういうところにあるのだから、意味もわからず公式や解き方だけ教えたり覚えたりというつまらない勉強の仕方だけはしたくないししてほしくないとおもうのですよ。 や、算数だけに限らずね。 そして学校の勉強に限ったことでもないですが。 ところでなんでこんな話を長々と、というと学習教材の販売員(名刺の肩書きは学習指導員)が来まして。かなり年配の女性でしたが、それがまたもう狸。 昨日電話を受けたときには「某有名教諭の本を出すので、その先生の学習法を聞いてみて何でも良いのでコメントを」ということで、何度聞き直してもそれしか言わなかったんですけどね・・・。 来るなり「私は営業員ではないので販売の話は一切しません。一度きりの訪問で以後勧誘なども致しません。ご安心ください」と切り出した後は立て板に水。塾や家庭教師への出費計算から始まって学習要綱が変更になっていること授業数が足りないこと、目立ってきた学力不足と意欲の低下、それに伴う不登校や退学の増加の話。ではそうならないためにやる気を出させるにはどうしたらいいか。教科書には最必重要事項◎と準必重要事項○、軽く扱ってよい事項△があって比率は1:2:6(あれ?)程度なのに試験に出るのは最必重要事項が8割から9割を占める。つまり教科書には無駄が多すぎる。よってうちのテキストを使えば無駄を省いた効率的な(つまり確実に点がとれる)勉強ができるので遊びや部活動も思う存分できる。というある意味どこでも拝聴できるお話を延々。 早々にあ、やられたと気づいたものの、我から販売じゃないといった人がどうやって持ち出すのかとしばらく傾聴(人が悪いな)してたんですが、なんだか腹が立ってきてねえ・・。「失礼ですけど何しにいらっしゃったんですか」と言ってしまいましたよ。が、聞いてた話と違うといっても「まあ、またですか。一人そういう人が居て以前にもトラブルを起こして・・。帰って上司に報告するので詳しく仰ってください」とメモをとったりしてなかなかの役者っぷり。自分も被害者であると表明して帰らせる隙を与えない。 教材の類はお断りだと申し立てても世間的にはやっぱり学歴がだの、お母さんも社会的に認められるだの、おいおい言う相手を間違えてるっつーの。 更に自分の長男のときは、能力はちゃんとあったのに(こういった勉強法を)(自分が)働いていて知らなかったので未だに悔しい、子供に対して申し訳なく思ってるというに到っては、そう言われる息子さん(本当に居るんならね)のほうが可哀想だよ!といった心持ちに。そも「働いていて」ってなんだね?痛いとこを衝いたつもりかも知れないけど、それは侮辱というもんですよ。 見上げたもんで最後のぎりぎりまで販売のことは持ち出しませんでしたが、ついでのようにめくったファイルにはその費用が載ってたんで、ちょっと勝ったと思いましたね。ふふ。 ああー、長くてスミマセン。あんまり腹が立ったもんで。(またそれを思い出したもんで) 狸の話がしたかったわけじゃないんですが。 いや、要点を抑えるのは無論大事なことですよ。 でもそれを点数のために、それだけをやるってのはね。納得できません。 まず自分が何を楽しいかですよ。 見本に出してくれた実際に全国の中学で出題された問題用紙は、これまた本来門外不出のはずの教師指導用教科書ガイド(の最重要必要事項)に照らし合わせてみるとおかしなくらい(むしろ当然)符号していたんですが。 *被子植物の構造で、例としてアサガオが教科書に載ってたんですが 全国でアサガオの構造が試験に出てるって気持ち悪くないですか。 大事なのは「被子植物の構造」で「アサガオの構造」じゃないよね。 ちなみに教科書の特色は上でいう△にあたるそうで、どんなことにどれくらい触れるかというのは各出版社や編集者の裁量だそうですよ。 それを一概に無駄と切り捨てるのは勿体無いやね。 楽しいことの多くはそういうところにある気がするんですけどね。 世界は深遠に満ちている。 |
| 2004年12月15日(水) |
| 日記としては聊か旧聞に属することなのですが、こういうことは一応記録として取っておかねばということで。 土曜夜、家人が怪我をしました。 じゃれあっていて、突かれた拍子にテープカッターにぶち当たったところ、腕をさっくりぱっくり。 あんな傷、初めて見たよ・・・。 表皮だけじゃなく皮下の脂肪層までぱっくり。もはや単なる切り傷というより食肉に入れた切り目みたい。うぅ・・・。 慌てて救急病院に担ぎ込むと、筋肉をかする程度の深さだったそうであわや大惨事。幸いなことに神経に傷がついたりすることもなく、それでも7針って結構大きいよね。縫うよりも縫うための麻酔注射のが結構大変(位置を変えながらちょっとずつ)で見ていて痛々しかったなぁ。 それにしてもキミ、縫うの2回目だよ。 私はキミの何倍も生きてるけど一度もそんな怪我したことないよ。元気なのに越したことはないけどちょっとどうかと。 |
| 2004年12月12日(日) |
| 思いがけないとこで休みを得てしまったので(単に寝過ごして行きそびれたともいう)たまには日記を。 いつも(の状態)なら寝直しにお布団へ直行、というところなのだけどなんたって日曜でしかも公休日なのだ。些かの罪悪感はあるがここは目をつぶっておこう。なんたって久しぶりの“その気”だしな。 つーことでネット上がった早々、捕まって映研活動をとのご指示が。 ・・・うーん、私が観たものは羊さんも観てるしな。羊さんが触れてるならそれ以上はいいかなんて思っていたのだけど。 が、その前に別の話を。 羊さんに連れられてお人形を見てきましたよー。 正直言ってお人形さんは怖い。リカちゃんやぽぽちゃん(代表的な子供用抱き人形)ですらおっかなびっくりな私がなんでまた、というのはありながら誘われれば否やと言わないのが身上。その上腐ってるようなのでと評されてから自分がどうやら不貞腐れているのだと気づいた不甲斐なさから出かける気に。 苦手ではあるけれど、その昔ジュネに出てた某シモンさんの作品は確かに美しかったし、写真だけを見て嫌悪(少なくとも好意的でない)するというのも不公平きまわりなかろうということで。 小さなギャラリーには敷き詰められた白砂と薄ぼんやりした照明。 砂の上に横たわる少女たちはドームで守られ、或いは隔離されて永遠の夢を見ている。正面にはきっちりとドレスをまとい、強いライトの下厳しい表情で虚空を見据える少女。その足元には水の中打ち上げられた人魚のようにも見える少女たち。 怖いと思ったのは覗き込むまでの一瞬で、それ以後はちっとも怖いとか気持ち悪いとか思いませんでしたね。不思議。 彼女たちはどこにも無い虚空など見据えていなかったし、夢と現を彷徨う奇矯な存在でもありはしなかった。 正直なとこ第一印象としては取り澄ましてとっつきが悪い、とは思いましたけど。ここで連れが羊さんでなくて入館料に千円も払ってなかったらこんなもんか、と通り過ぎていたかもわかりません。 なんせギャラリーは小さかったし、なんとなく(売り場のように)並べて置いてあるだけだろうというタカをくくったイメージを持って入ったもんで、その作られた舞台が妙に作為じみたものを感じさせて気に食わないと思ってしまったもので。 でもそのうちに羊さんが「あの二人は仲良しだよね」と言い出したことで、私は自分の失態に気づきました。 私は物体として意識的に理解しようとしていたのです。(なんでこんなにつまらない文章の書き方をしているのだ私は) あ、なるほど。と思ってしまえば後は簡単なこと。 彼女たちは私に耳で聞いてわかる言語ではけっして話してくれないのだけど、それでもずっといろんなことを思ってて、いろんなことを考えている。 同列に扱ってしまうと彼女たちはきっと怒るだろうけど、口を利かないという点でいえば犬猫や赤ん坊とさして違わない。そして彼女たちはそれらよりももっと表情豊かでひとの機微に通じている。 うっかり表情を読み違えようものなら怒るか、そっぽを向くか、もしくは一見寛容な無関心を装うだろう。 こちらが気付けば「そこに居る人」程度にはどうやら認識してくれるらしい。気づかなければ彼女たちにとっても通り過ぎる影にしかすぎない。 関心をこめて話し掛ければ煩がりながらも(返事はしてくれないまでも)幾許かの反応は示して貰えて私としては嬉しい限り。 だれだ?人形は気持ち悪いって言ってたのは。 思い出したのは藤原由美子の「観葉少女」。 口は利かないけれど自分の意思で動き、自分の意思で主を決める生き人形。人間はその生き人形のために振り回され、或いは幸福や安らぎを齎されるといったお話。 本当にそんな世界があるのだとひしひしと。 触れなくて残念だ〜とぼやきながら出てきた二人だけど、きっともし触れることができる状態だったら彼女たちは今頃ギャラリーなんかで缶詰になったまま居ることはできなかったんじゃないかな。私たちじゃなくても人攫いになってしまいそうな人はうじゃうじゃいると思われ。 あ、そうそう。 メインは大きい方たち(失礼な。や、サイズがね)だったんですけど、いわゆる抱き人形サイズの方々(年齢はこちらのが上)が隅っこに居てらっしゃいまして。 そのうちのお一方と目が合うという光栄に浴しました。 頭を動かしてみても全然目を離してもらえなくて(うっ・・睨まれてる)とびくびくしていたら横で羊さんが笑ってはるよーと。 もっかい一巡して戻ってきたときにはもうこちらは見てなくて、目線を合わせようとしてももう興味を失われてしまったらしい。ちと残念。 それでも帰り際、ご挨拶にもう一度と近寄ると今度はなんだか苦笑のような表情で笑ってらっしゃいましたよ。あははしつこくってごめんなさいー。 そんなこんなですっかりお人形さんの虜になって帰ってきてしまいました。 いい経験、には過ぎるほどいい出会いをさせてもらいました。 またいつかどこかで機会があったらまたお会いしましょうかわいいしと(笑) |
| 2004年12月06日(月) |
| ずいぶん長い間日記書いてないなぁ。 家の中の生活サイクルが後方にずれているのでなんか、ちっとも時間が。と。 それは事実ではあるんだけど、それでは説明しきれない部分が多いような気もする。 (要するに)なんとなくネット上がりたくないのねー。 うん、そうみたい。 何となく、の何になんとなく心当たりが多いような気がして。(でも実際は一つだけだったりということも多いのだけど) 溜め息を吐き吐き落ちますよー。 寝てなくて元気があって気力があったら夜戻ってきます。 |
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