ぶつぶつ日記
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2005年01月31日(月) 国政ですから!

おもいだしました。
腹の立つことを。
先週だったか、コイズミが国会答弁で、
自分の発言が間違ってたということを弁明するのに、
「人生色々」と発言していましたが・・・・。

そりゃいいよ、あんたが離婚しようが、
子供と全く会ってなかろうが。
そりゃあ、人生色々。

でもね、国会は、あんたの人生の前に、
国政なんだよ!!!!
てめえの発言に、どれだけの国民の税金が使われてると思ってるんだ!

あー、誰か、私を国会に送ってください。
たった一期だけでいいの。
思いっきり、コイズミのネクタイを、縛り上げたい・・・・。


2005年01月30日(日) [TUP-Bulletin] 速報454号 ドナからの手紙 1 月28日 パレスチナで軟禁 050130

TUPからのメール、転記。
イラク選挙報道の影で、こんなことも行われています。。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつまで続くか軟禁状態。パレスチナの小さな町。ドナが命がけで行く。
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 2004年4月イラクで、米軍包囲下のファルージャに人道救援活動のために入り、そ
の帰路、地元のレジスタンスによる拘束を経験したオーストラリア人女性ドナ・マル
ハーンは、現在パレスチナに滞在しています。彼女は、西側報道ではガザ地区での実
質停戦が伝えられるなか、ヨルダン川西岸北西部の小さな町で、イスラエル軍による
外出禁止令のもと、命をかけて住民のために奔走しています。西側諸国にはほとんど
報道されない事実を、身をもって体験しているドナが伝えます。         
                           (翻訳:福永克紀/TUP)
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ドナ・マルハーン
パレスチナで軟禁
2005年1月28日

お友達の皆さんへ

私は今、3500人の住民を軍隊が軟禁状態にしている町、ヨルダン川西岸サイダのパレ
スチナ人一家の居間で、蝋燭の灯りをたよりにこれを書いています。
[訳注:サイダ Saida ヨルダン川西岸の北西部のイスラエルとの境にある町トゥル
カレム近郊の小さな村]

私を親子同然として迎え入れてくれているこの家族の居間は、人でいっぱいです。白
いスカーフを巻いた聡明な顔つきのおばあさんが、彼女の子供13人のうちのいくつか
の家族たちと、一緒に暮らしているのです。陽気な4人姉妹といろんな部族の血を引
くその子供たち、それと年下の兄弟3人に従兄弟が数人です。

一家は、室内にとどまっているほかにすべはないのです。もし、表のドアを開けたな
ら、3日前にのどかなこの農村を侵略して占領している重装備のイスラエル兵数百人
のうちの一人がかまえる機関銃に直面することになるのです。

石油ストーブの輝きとコーヒーテーブル上の蝋燭2本の明かりがあるだけで、暗くて
寒いです。というのも、イスラエル軍が電気を止めてしまっているからです。もう食
料雑貨を買いに行くこともできなくなってしまったというのに、この女性たちは私た
ちに食事とコーヒーを振舞ってくれます。町の小売店も、もし店を開けると爆弾にや
られると警告されています。

数夜にわたり軍隊からテロ行為を受けたあと、この一家が私たちに彼らの家に滞在す
るよう求めたのです。もし異国籍の者たちがいれば、インシャラー(神がお望みなら
ば)、兵士たちが彼らの貴重品を打ち壊すことも、彼らを叩くことも、誰かを殺して
しまうこともないだろうと思っているのです。でも、一番恐れているのは、家をブル
ドーザーで踏み潰してしまうことなのです、ものすごい数のパレスチナ人の家を襲っ
た悲運のように。

この町の軍事占領が始まってから、明日で4日目になります。これによって、幾千人
もの人間の生活を大混乱に落とし込めてしまっているのに、オーストラリアでは
ニュースにもなっていないのは間違いないでしょう、というのも「白人」たちが関係
していないからです。

私はここに3人の異国籍人と一緒にいます。英国人女性2人とカナダ人男性です。こ
の侵略と占領を見届け、人権蹂躙を監視し(いっぱいあります)、人々のために声を
上げ、食料と援助を届け、険悪な状況に介入するために、私たちはここにいるので
す。

機関銃装備の若い兵士からのいつもの脅しにもかかわらず、私たちは、この地の人々
を自宅に閉じ込めている24時間外出禁止令を無視することに決めました。住民たち
は、仕事や隣町の店や野良仕事に行くことはもちろん、バルコニーに出ることさえで
きないのです。

この町への侵略は、集団的懲罰行為であり、国際法上では戦争犯罪とみなされるもの
です。軍隊は、この町にいるといわれている手配中の8人を探しているというので
す。

3日間の激しい砲撃や銃撃と家宅捜索のあげく、彼らはその手配中の誰一人として発
見することもできず、やったことといえば、兵士が来るのを聞きつけるとテーブルの
下に隠れてしまうような6歳の幼い少女リハブや、私たちに今日パンを求めた75歳
の老婦人や、大学に行こうにも町から出られない21歳の学生ナセルに、恐怖を与え
たり、暴力をふるったりすることだけです。

だから私たちは外出禁止令に従わないのです。それが違法だからというだけではな
く、食料や医薬品やその他多くのものを生きぬくために必要とする人間が、屋内に閉
じ込められているからです。私たちが、人影もなくなった通りを忙しく歩き回ってい
ると、窓や屋上から人々が私たちに呼びかけるのです。私たちを見つけてホッとして
いるのが、その表情からよく分かります。彼らが必要なものを言えば、私たちはそれ
をどこかで探してきて持って行きます。ヤギの餌を取りに行くのに一緒に行ってくれ
という男性もいました。家に上がりこんで話を聞き、彼らのことを心配している人た
ちがいることを伝えたりもします。

この小さな町が、イスラエル政府公認のテロでこんなにひどく苦しめられていること
を誰かが知るまで、一体何日かかるのか私には分かりません。

中東に平和を打ち立てるには双方からの善意がなければならないということに世界の
指導者たちが気づくまでに、どれだけ多くの侵略と屈辱と死が必要なことでしょう。

パレスチナ選挙後に政治家たちがあれほど平和について言葉巧みに語ったあとなの
ですから、サイダの住民がいささかの幻滅を感じても許されるでしょう。

彼らはいまだに、和平の相手となるはずの人々からどんな好意的態度も見せられたこ
とはありません。それどころか、すさまじい銃撃によって自由を剥奪されて3日にな
り、それがあと何日続くのか、私たちには分からないのです。

皆さんの巡礼者

ドナより

追伸:これで、近頃しばらく沈黙していたわけが分かっていただけると思います。イ
ンターネット接続も難しいし、パレスチナの村から村へと渡り歩きいろいろな緊急状
況に応えるのに忙しい上に、そのすべての恐ろしさに自分自身呆然としてしまいま
す。書くことが難しいのです、ここでは思っていた以上に状況は悪く、たいがいの日
については、語るべき言葉がないのです。

追追伸:私の新電話番号は[訳注:番号省略]です、気兼ねなくかけて「グダイ」と
言ってください。サイダの住民の話に興味を持ちそうなどんなメディアに教えても
らっても結構です。
[訳注:グダイ G'day (Good Day の短縮形)オーストラリアで「こんにちは」の意
味。現在では実際に使う人は少ないが、オーストラリアのシンボルのような挨拶言
葉。オーストラリアでは、しばしば英語の「エイ」は豪語の「アイ」として発音さ
れ、「グダイ」と発音される]

追追追伸:「怪物と戦うものは、自らが怪物にならないように気をつけなければなら
ない」――ニーチェ

原文:House arrest in Palestine
URL: http://groups.yahoo.com/group/ThePilgrim/message/147 


2005年01月28日(金) 誰かのせい?自分のせい?

なぜか、日本語教師向けの掲示板に、
公立小学校での賠償問題の書き込みがあったのだけれど、
それを読んでいて、最近は面白い親御さんが多いなあ、
と思ってしまった。

自分ちの子供が暴れて、トイレの窓を割り、
そのことで怪我をした子がいたという話なのだが、
よくよく読んでみると、

・兄:低学年暴れる、最近になり落ち着いてきた
・弟:低学年現在暴れ中、授業中も歩き回るなど、多動傾向あり

「兄もそうだったから、下の子も落ち着いてくると思うんですけど〜。」
と、お母さんははなはだのんきな口調だけれど、
私だったら、自分の子育てに関しての
相談トピをあげるだろうなあ(^^;)。
兄弟二人が二人とも暴れるって、
そりゃ、全て学校のせいにはできないんじゃないのかな?

自分自身に置き換えてみると、
例えば、担当しているあるクラスが荒れたとする。
最初は、学生のせい・・・にしたい。
誰しも、そういうもの。
でも、クラスが変わって、その新しいクラスも荒れたら?
メンバーも一新されているのに?
それはもう、担当教師である自分自身に何らかの問題あり、
と考えなければならないでしょう。

失敗は誰にでもあるし、
うまく行かないこともある。
でも、繰り返されるのって、やっぱり自分にも原因があるんだよね。
そこの見極めが、なかなか難しい。
しかし、やはり、つらい現実(=自分のせい?)を
受け入れなければならないこともある。
そして、それが人を成長させていくと思う。


2005年01月26日(水) あれもこれも・・・

まだ、本命の受験が終わっていないのだけれど、
大学院に行ったら、あれもしたいこれもできたら・・・、
なんて、お気楽に考えていることがいくつかあって、
そういうことを考えると、ちょっとわくわくする。
プールとか利用したいし、
茶道のサークルとかないかなあ、とか。

勉強と仕事と、やっていけるのか不安はあって、
時間は絶対に足りないはずなのに、
なんだか、のんきなことを考えているなあ。
でも、そういう楽しいことを考えることも、
時には必要。


2005年01月25日(火) 天使が舞い降りる

時々、この世の者とは思えないような人がいて、
そして、そういう人は夭逝してしまうことが多く、
何か、不思議な力で地上に来てしまったのかなあ、なんて思うことがある。

チェ・ゲバラについて、今更ながら伝記を読んで、
キューバ革命と、何よりチェの人柄に、
ものすごく心を打たれた。

キューバ革命って、本当に、ものすごい奇跡のような成り行きで、
その中心に、カストロしかいなかったら、
きっと、成功しなかったかもしれない。
カストロがいて、チェがいて。
グランマ号に乗って。

チェはキューバ人ではなくアルゼンチン人だったから、
革命後、キューバを離れて、ボリビアのジャングルで
死んだのかと思っていた。
何人であるか。
チェにとっては、それは大したことではなく、
革命家として、1つの革命が終わった場所に、
長居することができなかっただけ。
これが、母国のアルゼンチンでの出来事だったとしても、
チェは、再び歩き出しただろう。
どこかの、革命を求めるゲリラの中に。

時として、いや、多くの場合、
革命家は国を良くかえることよりも、
自分の名声や富のために、革命に身をおくことがある。
チェにとって、革命に身をおくことは、
それが唯一、彼にとって意味のあることだったから。
キューバにいる間も、自分だけでなく家族にも、
できるだけ質素で、無駄のない生活を心がけていた。

純粋な人間は、長く生きることは難しい。
しかし、その命の何倍も長く、
人の心の中に、生き続ける伝説になる。
それはやはり、神に選ばれた人なのだと・・・・。


2005年01月23日(日) 結婚って、なんだろうな

時折、結婚している人に、結婚なんてしなくったって・・・的な
ことをよく言われる。
それを鵜呑みにするほど、こちらものぼせてはいないのだが、
言われる度にちょっと困ってしまって、
結婚って、なんだろうなあなどと、考えてしまう。

先日も、とある人にそう言われて。
「いやー、そんなことないですよ、結婚だって良いでしょう。」
とフォローしてみたのだが、かなり真顔で、
「じゃあ、どこが良いとおもう?」
と聞き返されて、今度は本当に返答に困ってしまった。
そりゃ、結婚したことのない私には、到底わからんし、
みんなが結婚してるってことは、
それなりにいいこともあるんじゃないの?
と思うのだが・・・・。

ただ1つ、最近強く感じるのは、
結婚したからといって、そのまま人生は終わらない、と言うことだろうか。

問題も軽減されるわけではなく、
独身の問題とは違う種類の問題が発生してくるし、
自分ひとりをかまっていればいい独身と違って、
家族という重みが出てきてしまう。
全てがうまく言っているときは、
その家族の重みは大して気にならないのだろうが、
1つ、ボタンを掛け違えてしまうと、
重みが日に日に大きくなってくるのだろう。

私がなぜ、結婚しないか(する気がない、と言ったほうが良いかも)と言うと、
母の仕事の関係で、子どもの頃から、
自分が属する家族以外の家族と日々接していて
(自分が属している家族というのは、現実でありながら、
こういう場合、現実的ではない、なぜなら、家族だから)、
結婚している状態、子供がいる状態というのが、
甘くもロマンティックでもなく、ものすごく大変だ・・・・
というのを、目の当たりにしていたからだと思う。
女性の負担がどれほど大きいか、と言うのもわかっていたし、
子供も、かわいいばかりでなくと言うこともわかっていた。

結婚も出産も子育ても、現実的に感じることがあまりなく、
ぼーっとかすみに包まれている方が、
「なんとなく」しやすいんじゃないかな、と言う気がしている。

それでも、結婚してしまったのは自分なんだから、
何をいってもしゃーないのではないですか?
と言いたい気持ちもある。
それを言ったらせん無いので、言いはしまいが。

本当に、結婚は全く持って、ゴールではないことだけは、
確かなようである。

(追記)
「結婚なんて・・・」というのは、実は男性の方が多かったりする。
結婚についての大変さについて、私は女の子だったから、
お母さんたちに注目していて、上記のように思ったわけだけど、
男性には男性の、たいへんさがあって、
それはまた、女性の私にはわかったようなわからないような・・・
となってしまう。


2005年01月21日(金) 実感

ぼちぼちと、勤務先に4月からのことをカミングアウト。
まだ、一番上までは言ってないけど、
直属の上司ってやつには、言った。

すっきりした反面、言葉にすると、
どんどん実感が湧いてきて、
実感が湧いてくると、
夢や希望よりも、不安の方が大きくなってくる。
それは、特に金銭面のことだったりするし、
もちろん、勉強についていけるのかとか、
研究なんてできるのかとか、
もろもろのこと。

始まってしまえば、とにかくやるしかないわけで、
無我夢中になると思うけれど、
今はまだ、どんな生活になるのか、
想像するだけだから、不安になる余裕もあるというか・・・。


2005年01月18日(火) 地方色

地方の文化性の高さ、ということを考えながら、
何気なく手にした地下鉄の広報誌を手にした。
そこには、フランスのショコラティエ(チョコレート職人)が
紹介されていたのだけれど、
それがまた、3人が3人とも、地方色豊かな町で、
おいしいチョコレートを作っている人たちだった。

ヨーロッパ、特にラテン系の人たちに感じることだけれど、
自分の生まれた場所に、しっかりへその緒がつながっているというか、
ものすごい結びつきを感じることが多い。
例え、それがどんなに小さな町だったとしても、
自分の生まれたところに対する愛着と評価は、
目を見張るものがある。
だから、そんな彼らにしてみたら、
日本人に日本の何処から来たか?と聞くと、
ほとんどの人が「東京」と言うことに、
かなり違和感を覚えるらしい。
その中のかなりの数の人が、実は、
「大学から東京に住んでいる。」人だったり、
家は関東近県だけれど、とりあえず説明するのめんどくさいから
とりあえず、東京って言っておこう、ということは
彼らにとっては理解不能。
彼らが知らない場所でも当然いいのだ。
自分の町のことだって、日本人は知りはしない。
でも、自分の生まれたところ=大切な所、ということだろう。

東京生まれの私としては、うそ偽りなく、
国内バイリンガルである人(標準語と方言が話せる人)がとてもうらやましいし、
生まれたところに独自の文化があるのは、羨望以外の何者でもない。
はなわが、「佐賀〜。」と歌った時、
「いいなあ、東京はこんな歌にもなりはしないよ。」
とため息をついたものだ。

地方の、かつて発展していた町を訪れると、
東京には、本当に粋な文化というものがないな、
という気がする。
無粋というか・・・。
武士の町だったから、しょうがないのかもしれないし、
本当の江戸らしさというのは、
明治以後、そして大戦で、きれいさっぱりなくなってしまったからかもしれない。
ほんの少し、残っている場所もあるけれど、
文化といったら、新しい物が中心。
伝えられた文化や技を、街中で探すのは至難の業だ。

ちょっと歩けば、伝統が見つけられる町。
そういうものは、得がたい。


2005年01月16日(日) 地方と中央のバランス

旅行から帰ってきてから、さくさくと仕事をし、
気がついたら一週間、こちらはご無沙汰でした。
すみません。

今回は、友だちの地元広島にはいり宮島をみて、
それから松山にフェリーで渡って温泉・・・
というスケジュール。
広島では友だちの友だちにご馳走になったり、
松山では、のんびり温泉と観光をして、
命の洗濯をしてきました。

地方に行くと、地方ならではの発展というか、
街道の奥深さを感じますね。
普段はあまり見ることがありませんが、
日本の地方の文化的発展の高度さ、
というものを認識します。
中央だけでは、国は発展しないということ。
地方の発展の結果が中央に集まり、
国として大きくなっていく、という感じでしょうか。
どちらが欠けても、どちらが沈んでも、
国という大きな枠組みは、ひずんでしまうでしょう。


2005年01月07日(金) 4日ほど。

思い立って、西に行ってきます。


2005年01月05日(水) いつか、きっと

悲劇的だからこそ、絵になる。
だから、毎日毎日ニュースに登場する
ピピン島で、両親と弟を目の前で亡くした12歳。
ほっておいてあげようよ、いい加減。
彼が、笑顔を見せたり、「ありがとうございます。」という度に、
どれほどの、重圧がその小さな肩にかかっているか、
想像するだけで、目を背けたくなる。
もういい加減、そっとしておいてあげようよ。

これから先、きっと、
「あの時みんなと一緒に死んでしまえばよかった・・・。」
と、思うようなこともあるだろう。
家族の死と自分の生と、受け止められなくなることもあるだろう。
でも、いつかきっと、
「生きていて良かった。」
心の底からそう思える日が来るように。

人生は、ある人たちにとっては、
残酷すぎるほど残酷であるけれど。
それでも、いつかきっと、
「生きていて良かった。」
そう思えるようになって欲しい。


2005年01月04日(火) まだ、正視する勇気はないけれど

色んなところで絶賛されている↓
夕凪の街 桜の国:こうの史代

原爆から10年後の広島が舞台。

私の父は、東京大空襲の記憶を持っているのだけれど、
あまり、真剣にその話をすることはない。
時折、何かの弾みに話す時も、
生々しさよりも、自然災害みたいに話す。
「焼夷弾が、空から降ってきて・・。」
それでも、死体をふんで逃げたこと、
たくさんの人が隅田川に浮いていたこと、
そんなことを、ぽつっと聞いたことがある。

主人公の皆実の気持ちと、
父の記憶は少し、重なっているのかもしれない。
なんで、自分が生き残ったのか。
あの時、自分の足の下にいた人たちは、
どうなったのか。
そんな思いが、のんき者の父の心のどこかにも、
あるのかもしれない。

今度の週末に、広島に行く予定。
でも、今の私には、原爆資料館に行って、
皆実のみたものを、正視する勇気はまだない。
けれど、心のどこかに忘れないでおこうと思う。

この国は、50年前、
戦争をしていたことを。
殺され、殺し、焼かれ、焼き尽くしていたことを。


2005年01月02日(日) 珍しく、期待。

全くもってやる気あるのか、民放、
という感じの年末年始の番組。
こう言う時に、やってくれるのが、NHK。
えびじょんいるにはさっさと辞めてもらいたいが、
結局、一番お世話になるのがNHKなので、
我が家では受信料払ってます
(親が。だって私の家にはテレビがないから)。

いやー、今日も良い番組やってましたね。
イギリス人の弓道家が、熊本の弓師と交流を深めながら、
弓道の最高峰である八段に望む番組とか。
渋すぎ〜。
かっこよすぎ・・・・。

そして、最近の特集ではダントツにときめいた!
新シルクロードシリーズ!!!
本日は、楼蘭を遡る事千年、
乱立する墓標、1千体の墓があると言う
遺跡の発掘からスタート。
そこで見つかった若い女性のミイラの、
美しさときたら・・・!!!

最近、テレビを続けて見ることは全くないのですが、
このシリーズはちぃと期待しよう。


2005年01月01日(土) 年頭所感

今年もやってまいりました。
年頭所感の時期ですね。
そう言えば、去年は何かいたんだっけかなー。

・・・・・・・・・ふむふむ(チェックしてみました)。

貫徹できたこともあり、できなかったこともあり、ですね。

今年の目標は、どうしようかな・・・。

・・・・・・・・・(しばし考える)

2005年の目標
○新しい環境で、自分の可能性を広げられるよう努力する。
○しっかり勉強する。
○無駄遣いをしない(毎年言ってるなー)。
 でも、今年から苦学生ですから、切実です。
○どっしり構えて、おたおたしない(何にだ?それは、ナイショ)。
○欲張らず、できることをきちんとやっていく。

こんな感じで、いきまっしょい。


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