ぶつぶつ日記
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2004年06月26日(土) 13歳の生きてきた道

新宿で女子中学生が5歳の子供を突き落とした事件。
またか・・・と思っていたが・・・。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040626it03.htm

彼女が幼少を過ごした国の反日感情が、
そんなにあるとは思えない。
けれども、50年以上前の大戦を持ち出し、
教師からも暴行を受けていたというのは、
あまりにも痛ましい。
そして、先の大戦というものが、
日本人が思うよりもずっと、
悪利用されてしまうほど、
人の心に残っていること。
日本人の心には、残っていなくても・・・。

女子中学生は、その国の言葉だけでなく、
第2.第三言語である中国語、英語も達者だったそうだ。
小学校5年生で日本に戻ってきてから日本語を学んだことなどからも、
利発であったことは想像できる。
利発さが、身を守る術として、攻撃性を選んだのか。
彼女から暴行を受けた被害者のはずの女性の言葉が、とても重い。
「被害届を出せといわれたけれど、ただ訴えるだけじゃだめで、
なぜ、彼女がそういう行為をするのか。
その原因を探らなければならないと思った・・・。」
結局、誰も、彼女がこれほどまで大きな事件を起こすまで、
親身になって彼女の話を聞こうとはしなかったのかもしれない。

犯した罪は消せないけれど、
今回の事件の場合、救いは被害者の子供の怪我が、
命にかかわるようなものではなかったことだろう。
まだ、13歳。
まだ、十分に間に合う。
心のそこから、何とか更生して欲しいと思う。
そして、彼女のように、
二国間で引き裂かれてしまう子供が2度と出ないことを願う。


2004年06月23日(水) 人間性

世の中、正論だけで生きられたら、
どんなに良いかと思う。
健全に、まっすぐに、曲がったことをせず。
それだけで生きられたら、やはりいいのだろう。

真っ当に生きることだけが、唯一許される道なんだろうか。
真っ当に生きられない人間には、価値はないのだろうか。
少しでも道を踏み外したら、
もうそれだけで最低の人間なんだろうか。

ある視点から見ると、
私は最低の、だらしない、馬鹿な女なんだろう。

そして、それを否定するつもりはない。
他のものは、望まないから。

曲がっている道を選んでいるのは自分。
それを誰のせいにするつもりもない。
全てのつけを自分で払わないこともわかっている。
それでも、正論を突きつけられると、へこむこともある。


2004年06月21日(月) ダンム・ティイール

エジプト人が(特に男性)自分達を形容する言葉で、
かなりすきなのが、「ダンム・ハフィーフ」じゃないかと思う。
直訳すると「軽い血」、いうなれば、「ねあかなやつ」とでも言うことなのだが、
これが、結構重要らしい。
私なんかにしてみれば、いやみで「いやー、君はダンム・ハフィーフだねえ。」
と言ってやりたい所だが、
喜ばれてしまうので、あまり言わないようにしている。
何せ、ダンム・ハフィーフじゃないから、と離婚された人の話もあるくらいだから。

ハフィーフがあるんだから、ティイール(重い)があるか?
というと、これが、ある(というか、いる)。
その代表格が、イラク人。
エジプト人=ダンム・ハフィーフ、
イラク人=ダンム・ティイール、
というのが、なんだかエジプトでは定番チックである。
だからかもしれないが、
一部日本人の間では、エジよりもイラク人の方が付き合いやすいという声もあるようなないような。

さて・・・。
友達が大絶賛していて、とある掲示板でもやはり大絶賛されていたので、
サラ・ブライトマンの新しいCD「ハレム」を買ってみた。
その中に、私がダンム・ティイールと聞いて一番最初に顔が浮かぶ、
イラク出身の大アーティスト、カーディム・シャーヒルが参加していた。
彼のインタビューをカイロのおしゃれげなカフェの特大スクリーンで見たことがあるが、
まあ、ぼそぼそぼそっと話す人で、
それがかっこいいといえばそうかもしれないけれど、
ちょっとエジ化している所がないわけではない私にしたら、
「もっとはきはき話さんかい!」
と突っ込みたくなるような、まじめで静かなキャラだった。
ハビービー・バヘッバックとアーンミーヤ(方言)丸出しで歌うエジとは違い、
彼は古式ゆかしき格調高く、フスハー(文語)で歌う、
数少ない歌手である。
今回も、「WAR is over」という曲で、
朗々と平和を願う歌詞を歌っている。
こういうのを聞くと、やっぱりこれって、エジ歌手じゃだめよね、
こういうのは・・・・と苦笑気味になってしまう。
それがキャラとか、国民性とかなのかもしれないけど・・・。
カーディムはもともとフセイン政権にも反対し、
ずっとレバノンで暮らしている。
フセイン政権がなくなっても、彼はイラクには帰らないし、
帰れないだろう。

彼の歌うサラームという言葉は、どこに届くのだろう。
そんなことを考えた。


2004年06月17日(木) 彼らの顔

しつこいですが。
今度は「ブラザーフット」のチャン・ドンゴンとウォン・ビンが来日しましたね。
成田は大フィーバーだったようで。
大体、彼らのどこが良いかとインタビューされている人は、

・純粋で男らしい
・日本人みたいに軟派じゃない

と言っているのですが・・・。
それは、どうしてか、考えたことあるのかな?

実際、韓国人学生と接していると、
確かに彼らは男気あふれ、割と硬派だと感じる。
それは、どうしてか。
彼らはみんな、国を守るために、強制的に徴兵され、
そこでもまれているからというのが、
1つの大きな理由だと思う。
家庭の事情で徴兵を免除される子もいるのだが、
そうではなくて、親の意向(大体において金持ちだったりするが)で、
徴兵逃れをした子を何人か見ると、
寄る辺のなさというか、大人になりきれないというか、
所在なさげで自信が持てず、
徴兵=苦労した!という共通の体験を通しての一体感を他の男子と持てずに、
なんとも中途半端な感じになってしまっていた。
その結果、アメリカに留学したり日本に来てみたり(何せ親には金がある)・・・。
でも、その留学も今ひとつの結果だったり・・・・。
実際、どんなに人気のあるスターでも、
汚いやり方をつかって徴兵逃れをしたと
国民から思われたら最後、その人気は凋落するそうだ。
だから、ウォン・ビンも、今度徴兵され軍隊に入るという。

みんな、軍隊になんて行きたくないと思っているのは確かなようだ。
軍隊特有のいじめなど、問題もたくさんある。
でも、行かなくてはならない。
それが、国民として、男としての義務だから。
ではなぜ、韓国に徴兵制があるのか。
それは38度線のむこうに、同じ言葉を話し元は同じ文化を持っていたはずの、
近くて遠い分断された国があるから。
そして、その分断が生まれた背景は、
日本が行った行動の、負の遺産が横たわっている。

みんなが、きゃーきゃー言って、涙を流すであろう「ブラザーフット」という映画は、
分断が決定的になった朝鮮戦争に翻弄された兄弟の話しであり、
その時日本は、自分達が起こした戦争の後遺症の大きさを省みることもなく、
朝鮮特需という言葉が示すように、「日本の戦後」を脱却するため、
その戦争から莫大な利益を得、実際に、戦後という時代から抜け出して行った。

何度も言うように、別にはじめのきっかけは何でもいいと思う。
でも、彼らの顔の裏側にある歴史を、知らなければならないと思う。
自分達の国の、醜い過去を見なくてはならないとしても。


2004年06月12日(土) あらら・・・

日記をさぼり気味です。
いかんです。
でも、明日からまた3日ほど、
日記どころの話じゃないのです。
来週までお待ちください。


2004年06月08日(火) 帰ってこない子供達

痛ましい事件ばかりで、ついこの間起こった事件ですら
忘却してしまうことが多い。
そんな中で、大阪の池田小学校の事件から、3年が経った事をしった。
記事を読んで行くうちに、犯人である宅間死刑囚の記事に行き着いたのだけれど、
相変わらず、反省も贖罪もないそうで、
こんなに死にたい死刑囚をむざむざ望みどおりに死なせていいのか?
などと逆に思ってしまう。
その記事の中で、宅間死刑囚が昨年の12月に、
獄中結婚をしたことを知って、かなりびっくりした。
世の中には、奇特な人もいるものだ。
事件を起こすまで知ることもなかった男性と、
その事件がきっかけで、結婚しようというのだから。
自分が彼を救うことで、自分が救われたいのかな、
とイジワルに思ったりもする。
また、そこまで死にたい人間が、
どうして彼女達の希望をかなえ
(複数の獄中結婚の希望者がいたらしく、最初に結婚届を送ってきた相手と結婚)、
結婚して面会までしているんだろうか。

結局、全てが甘え。
悪いのは自分ではなく、自分以外の全て。
こんな男のために、命を落としてしまった8人の魂は、どこにあるのだろう?
獄中結婚した宅間夫人は、宅間死刑囚にかわって、
8人のために、祈っているのだろうか?
祈っても、祈っても、
例え宅間死刑囚が贖罪したところで、
二度と帰ってこない、8人の子供たち・・・。

http://www.asahi.com/national/update/0608/029.html


2004年06月06日(日) 韓国の、戦後

お隣の国、韓国の若手スターが日本でも人気になっている。
その代表格が「冬のソナタ」のヨン様。
そのため、日本人の韓国への興味も、以前と比べ物にならないくらい
大きくなっているそうだ。
あまり、良好な歴史的関係があるとはいえない日本と韓国が、
どんなきっかけにしろ、お互いに興味を持ち、
相互理解を深めることは、とてもよいことだと思う。

そんな中で、第二次世界大戦後の、
韓国の歴史を扱った映画が2本、公開される。
「シルミド」と「ブラザーフット」。

「シルミド」は、最近までその事実が明らかになることのなかった
史実を元にしている。
1968年、北と南の複雑な関係の中、
社会の底辺に生きる男たちや死刑囚がシルミ島に集められ、
金日成暗殺部隊として訓練を受ける。
3年後、厳しい訓練の末、優秀なエージェントに生まれ変わった彼らは、
揺れ動く時代と国際政治に翻弄され、結局は国により闇に葬られた。

「ブラザーフット」は1950年6月25日に勃発した
朝鮮戦争に翻弄される兄弟の話。
日常から突然切り離され、収集令状もないままに、
戦争に借り出され死んでいった50万という普通の人々。
その中で、弟を守ることに命をかける兄と、
そんな兄を理解できない弟。
同じ戦場にたつ2人と、彼らを待つ兄の婚約者と・・・・。

韓国の学生に、
「金さん(中国の朝鮮族の男性)が中国人なのも、日本のせいですよね。」
と言われたことがある。
彼はその時、私を責めていたわけではなかった。
ただ、彼らの認識を述べたまでのこと。
そう、私たち日本の戦後は、高度成長による復興の戦後であった。
内戦もなく、戦争に直接参加することも、
巻き込まれることもなく。
しかし、すぐその隣では、
同じ言葉と文化を持つ人々が共に殺し合い、
国は分断され、今に至る。
31人の男たちを、抹殺する必要があるほどの、
壮絶な駆け引き。

きっかけは、ヨン様でもいいと思う。
でも、事実から目をそらさないように。
私たちの間に横たわる、不幸な歴史。
それを直視しないことには、
真の相互理解はありえない。
すべてを、謝罪する必要はないかもしれない。
けれども、「戦後」日本が経済大国になっていった影で、
韓国では、「戦中」であったことを、
忘れてはいけないと思う。
その原因が、日本にあったことも。





2004年06月04日(金) なんで「モハメド」?

いや、細かいことで申し訳ないんですが・・・。
イラクでなくなった橋田さんが救援しようとしていたイラク人の少年が、
来日しましたね。
でも、どうして、この子の名前が「モハメド」君なの????
これって、英語読みですよねえ。
病院や周りの人に「モハメド」君って言われたら、
戸惑うだろうなあ。
「モハメド」はムハンマドの英語読み。
ムハンマドって、そんなに言いにくい発音ですか?
日本人にとって。
そろそろ、これくらいの名前、英語読みしないで、
彼らの発音に近い日本語カタカナ発音で読んであげてよ、
と思う。

ちなみに、バクダットもバグダッド、
サウジでテロのあったのは、コバルではなく、アルホバル、
アフガンの首都もカブールじゃなくて、カーブル(最近ではカーブールになってきているらしいが)。
まあ、国都市の名前はしょうがないとしても、
人名固有名詞はねえ。


2004年06月01日(火) 女の子になりたい男の子

最近、渋谷のセンター街には、「センターガイ(GUY)」なる男の子がいる。
簡単に言うと、顔黒ギャルの男の子版で、
同じように顔を黒くして、厚化粧、髪はカラーリング、
服もアルバローザなどのギャルブランドを着ている男の子。
女の子の服を着るために、ダイエットしたりするらしい(^^;)。
ちょっと見、グラムロッカーっぽかったりするんだけど、
多分彼らにグラムとか言っても、「なに?何グラム?」とか言われちゃいそうです。

さて、雑誌の特集を読んでみると、
彼らは「女の子になりたい男の子」らしい。
でも、彼らはトランスジェンダーでも多分ゲイでもない。
性志向的には女の子が好きなんじゃないかと思うが、
じゃあ、どうして彼らは女の子になりたいのか。
男の人生、つまらないって。
なーんにも面白いこと、ないって。
女の子は、きれいな服を着て、エンコーして、お金ももらえて、
それでもなんか、許されちゃう。
仕事だって、なんだかんだいって、アパレルの店員とか、
好きな服に囲まれてたのしそー。
その上、ある程度の年になったら結婚して、だんなの稼ぎで生活して。

彼らの考え方は、ある意味完全に間違ってるんだけど、
ある意味すごく新鮮だった。
昔は、「自由」というのは男性の領域で、
遊ぶのも、勉強も、仕事も、自由に選べるのは男性ばかり。
女性は型に押し込められ、そこから逸脱することが出来ない不自由さ・・・。
所が、この国では、今型にはめられて苦しんでいるのは、
実は多くは男性になってしまった。
女の子、女性達は、するりするりと女であることを利用し、
会社をやめて留学してしまうは、学校も適当、でも、なんとか収まってしまったり。
いくつになって新しいことにチャレンジしても、
それは「生きがい」と言う言葉で美化され、あまり非難もされない。

男の子達は気がついている。
もし、自分達=男がそういう人生を選んだら、
女性よりも多く非難をされ、そして軌道修正することがとても難しいことを。
男は、「コウアルベキ」という型を打ち破るだけのパワーは、
今の日本の経済にはないから。
「カゾクヲヤシナウセキニン」とやらは、いまだに男の領域だし。
自分だって養ってもらいたいなんていったら、
サイテーの男って言われるし。

彼らはある意味とても正直な子達のように思える。
もしかしたら、彼らのような子の意識が、
日本の窒息感を打破するきっかけになるかもしれない。
「マトモニイキル」ことに、疲れてしまったこの国で。


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