ぶつぶつ日記
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2002年09月30日(月) 本当の所は・・・

何気なく言われた言葉で、勝手に傷ついてしまうのは、
いつものこと。
どういう気持ちでそれを言ったのか、
勝手に想像して勝手に納得して、
そしてまた自分を傷つける。
そのことに対して、相手に抗議をする気もないし、
問い詰めることも出来ない。
どちらかというと、
そう言う感情をうんしょっと飲み込んでしまう性質(たち)。

でもその人がどうしてそう言うことを言ったのか、
その裏に何があるのか、
どうしてそう言う風に思うようになったのか、
勝手な想像だけに、全く見当違いなことを思っているのかもしれない。
本当の所は、全然わからない。

そう思ってまた、ちこちこと、自分の傷口に薬を塗っている。


2002年09月29日(日) モルジブが沈む

京都議定書は全然進みそうにない。
なぜならアメリカが反対しているから。
でも、このまま温暖化が進むと、
アメリカだって自然災害を蒙るのは同じだ。
実際アメリカでもトルネードの発生や竜巻、洪水など、
今まで以上に数も増え、規模も大きくなっている自然災害がある。
でも、この国の例えば石油関係の会社の影響も大きいし、
オゾン層破壊による温暖化を懐疑的にみている学者も多いそうだ。

このまま地球がどんどん温暖化していくと、
まず最初にこの世界地図からなくなってしまうのは、
アメリカであるわけがない。
それは太平洋に浮かぶ、自然だけが美しい、
経済的にもまだまだ苦しい島国たちだ。
日本人にもなじみの深いモルジブもその1つで、
大統領は温暖化による海面上昇、
それによる国土の縮小に日々心を痛めている。
とめたいと思っても、とめられない。
そして地球が温暖化しているのは、
決してそれらの小さな国の責任ではなく、
工業化と都市化が進んでいる、
いわゆる西側諸国の栄華のせいだ。

今の、豊かで便利な生活を全部捨てることは私にも無理だけど、
ほんの少しの我慢や生活の変化で、
温暖化を食い止められるのなら、
そう言うことはできると思う。
どこか1つにしわ寄せが来るのではなく、
少しずつ少しずつ・・・。
皆が我慢する。
どうして、そういうこともできないんだろう。
いつかアメリカは自分の国をドームで被い尽くすかもしれない。
その時、きっと日本の国土も、
海のそこにたくさん失われているかもしれない。


2002年09月27日(金) 色あせない

エジ友達(エジプト関係の友達)から2冊の本を借りた。
どちらも書かれたのは私が生まれる前や生まれて間もない頃。
そして残念ながら、今では入手がかなり難しい本だ。
1つはドイッチャーの「非ユダヤ人的ユダヤ人」で、
もう1つはエジプトが誇るノーベル文学賞受賞作家、
ナギーブ・マフフーズの「蜃気楼」
(ちなみに私はカイロ滞在中、彼の自宅のすぐ側に住んでいた。
イスラム原理主義者に襲撃された後、彼の家にはいつも警備の兵士が立っていた)。

イスラエルが建国されてもうずいぶん経ち、
情況は決してその当時と同じではない。
しかし、ユダヤ人として東欧に生まれ、天才的なラビ候補として
重い巻き毛両耳の上にたらして育った少年が、
やがてコスモポリタンなコミュニストとなり、
非ユダヤ人的ユダヤ人として
イスラエル側にもアラブ側にも等しく向けられる厳しい目と、
そこから導き出される解決策は、
これを明日誰かが言ったとしても、
全く違和感がない。

そして現代の日本の片隅にはたくさんの、
マニアルで暮らす小説の主人公が生活している。
その成長過程での愛情過多と対人コミュニケーションの欠落、
不器用さと頑固さ。

本当にすごいものは、時代に関係なく色あせない。
そして人間もまた、時代に関係なく、
同じように悩み、苦しみ、喜ぶのかもしれない。




2002年09月26日(木) とりあえず

今回は提出日を間違えず、何とか卒論申請を出しました。
自分で認識していることですが、
多分来年度に残り全ての単位を取るのは無理でしょう。
その前に、この申請書が通るかもわかりませんが、
とにかく出してみて、それから考えようと思いました。

私は3年に編入した関係で、
スクーリングもほとんど取らなくていいため、
自分が果たしてどこまで進んでいるのか、
実感することが難しく、
幸いにも日本語学校に職を見つけることも出来ているので、
「大学なんて卒業しなくても・・・。」
と何度となく面倒くさくなってしまいました。
でも、今いる場所が最終目的地ではないのですから、
あきらめてはその目的地に行くための、
バス乗り場にすら着くことは出来ない。
そう思い出しながら、忘れないようにしながら、
ここまで単位を取ってきました。

もうちょっと。
もうちょっとなんだ。
それを確認するために、卒論申請をして、
単位も取れるだけ取れるようにがんばろう。
自分で確認する作業が、とても大切です。


2002年09月25日(水) プライバシーの垣根の高さ

実は私はあまり、「言論の自由」という言葉が好きじゃない。
理由は、現在の日本では、本当の意味の言論の自由じゃなくて、
発信する側の自己責任のない、手間勝手な理論を
代弁しているような気がするから。
マンガの暴力シーンや、過剰なセクシャルな紙面や、
そういったものの負の影響力を意識して、
本人たちがそれを行っている分にはまだいいが、
何となく、「ただ部数が伸びればいい」、
「自分たちの手を離れてしまったものに関しては、
それを読み手がどう受け止め、それからどう行動しようと知らない。」
そんな風潮が気になってしまうのだ。

某女流作家の著作が発売停止になった。
彼女もやはり言論の自由の侵害を声高に唱えていた。
私はこの人の生き方自体があまり好きではないので、
本も読んでいないし、
この本がどれだけ訴えを起した女性の
プライバシーを侵害したかはわからない。
でも何となく、万人を感動させることが出来るからと言って、
たった一人の人をないがしろにしていい、
と言うものでもないんじゃないかという気がする。
ましてや彼女たちは面識があり友人関係を築いていて、
明らかにその女性の話を元に小説が書かれたとしたら。
それも彼女たちの関係が良好であれば許されたことかもしれないし、
感情論にまで発展してしまう問題なので、
なかなか難しいものではある。
ただこの女流作家の生き方、
自分の人生を赤裸々に語る所を見ると、
多分、彼女自身のプライバシーの垣根はとても低い。
垣根の高さは家によって違う。
目に見えないプライバシーを守る垣根も、きっとバラバラ。
彼女は自分のものさしで、
他の人のプライバシーも見てしまったのだろう。
でも高さがとても違っていたんだよね。
そう言うことは、日常的にもありそうだ。








2002年09月24日(火) 逆切れさせないために

様々なマスメディアで、北朝鮮との問題をアンケート調査しているが、
国交回復は急がなくてもよいが、
調停は必要という答えが、調停を即刻中止せよ!
という回答を上回っていた。
もっと感情的になっていると思っていたが、
それでも見るべきところはみな見ているわけなんだなーと思う。

今回、拉致問題に関しての発表は、
(信用しきれない部分もあるが)
日朝の間の進展であったとやはり言えると思う。
その反面、(信用しきれないとしても)これだけの事を発表するからには、
北朝鮮側に切迫したものがあるのではないか、と推測も出来る。
そしてもし、この発表を受けて、
日本側が交渉を打ち切ってしまったとしたら、
今までのことを考えても、北朝鮮が、
「そうですよね、私たちが悪かったんですよね、
だから反省しますから交渉してください。」
などと思う国であるわけがなく、
「なんだよー、こっちはこれだけやったっていってるだろう、
聞くだけ聞いておいて交渉止めるってのはどういうことなんだ!
やっぱり日本は信用できない!」
と逆切れされるのが関の山。
そうなったら東アジアの安全は、またもや風前のともし火、
になってしまうと考えられる。

なんであんな国に援助だのなんだのしなくちゃならない!
というのはもちろん私もそう思うのだが、
野放しにしておけないのだったら、
監視しておく必要はあるだろう。
そのためには、ベールを被った国のままにしておくわけにはいかない。
問題児をなだめすかし、理解し、更正させるような忍耐力が、
私たちには必要なのかもしれない。


2002年09月23日(月) 家庭内立ち読み

本屋は何よりも好き。
最近は時間短縮もかねて、買いたい本が決まっている時は
ネット書店を利用しているけど、
妙に疲れている時など、なんとなくふらふらと本屋によることがある。
イタリアやスペインに短期滞在していた時も、
言葉も分からないくせに、観光に飽きると本屋に行って、
色々な表紙の本を、手にとって見たものだ。

そうかと言って蔵書家というわけじゃなく、
もったいないお化けと戦いながら、
数年に一度、本の整理をしたりして、
今は本だな2つぶんに本を納めるように努力している。
何せ、日本の家は本を蔵書できるようにはできていないから。

一階にどんと2つ鎮座している本だなの前で、
家庭内立ち読みをすることも多い。
思い出せないイスラームのハディースを探すために。
気休めに読む漫画を選ぶために。
忘れてしまった日本語の文法をチェックするために。
今日は新作のイメージを形にするために、
アラビックカリグラフィーの本を引っ張り出してみた。
どれも、カイロから買って帰ってきたもの。
はてさて、どんなものができるのでしょうか。

私の夢は、はしごのついている書庫のある家に住むことです(笑)。


2002年09月22日(日) 妻側の言分

現在私の母が日中預かっている女の子は、
いわゆるわけありの母子家庭の赤ちゃんである。
はっきり言ってしまえば、
お母さんは不倫でこの子をうんだ。
だからといってそれを隠すわけでもなく、
堂々としたものだ。
母も、こう言う子だからと言っていじめるわけはない。
仕事だし、他人だし。
しかし、元々潔癖なところがある性質ゆえ、
どうしても納得できないらしい。
それもまあ、当然と言えば当然。

それで、毎日のようにこの親子の話をされてしまう。
時にはお父さんが来ることもあるので、
ますます母は納得できなくなるらしい。
先日は区役所から担当の人が来た。
この人も立派な奥さんであり、お母さんである。
この人もまた、嫌悪感を持っているらしい。
近所のおばさん達も、別にこの子は可愛いと思っているし、
お母さん自身も悪い人ではないと思ってはいるが、
やはり、何かわだかまっているようだ。

それは、、、確かにわからなくもない。
世代も違うし、そして何よりも、
彼女たちは皆、「妻」だから。
不倫の子供をうんだ愛人よりも、
裏切られた妻のことを考えるのは当然のことなのかもしれない。

でも、と私は思う。
自分自身、そう言う恋愛をしたことがある。
その時、別に奥さんや彼の子供の不幸を願ったわけではない。
でも、だからといって自分ばかり、自分の気持ちをサーブし、
見つめてばかりもいられなかった。
突っ走る気持ち。
全てのリスクを背負い、ただ突っ走る気持ち。

どうして皆、「彼女」がやがて不幸になると決めるのだろう?
しっぺ返しが来ると?
すでに彼女は大きなリスクをしょっている。
それでいいではないか。
妻側のありとあらゆる人たちの、どこかにあるわだかまり。
彼女はそれを日々感じながら生きているし、生きていく。
母の口からそう言う言葉を聞きたくない。
叫び返したい。
でもできない。
鬱々と感情がたまる最近。


2002年09月21日(土) ブランド考〜子どもの頃の思い出と〜

初めてそのブランドのバックを見たのは、
多分まだ私が小学生の時だったと思う。
母がいくつか持っていて、「丈夫でしっかりしている。」
といっていた記憶がある。
その使い勝手が気に入っていた母は私に、
「お勤めするようになったら、バケツ型のバックを買って上げる。」
と言ってくれたのだが、小学生ながらこの母の仕込みで、
こと服装に関しては好きなものは好き、
嫌いなものは嫌い、と言う選別を生意気にもしていた私は、
「その模様(ブランドロゴマーク)が嫌いだから、いらない。」
とむげにも断ったのだった。

東北出身で高校に行かずに理容学校を卒業し、
理容師として単身東京に出てきた母と、
向島の玉の井の花街近くに生まれ育った生粋の職人階層の父が、
どうしてあそこまで子供の靴や服装に、
こだわりを持って選別していたのかは、
いまも聞いたことがないのでわからない。
子どもの頃、靴は絶対に銀座のワシントン靴店に買いに行ったし、
洋服は日本橋の高島屋が多かったと思う。
同じクラスに同じ服を着ている子がいるなんて絶対にいや。
それに靴はいいものをはかないと体に悪い。
そんなことを母はよく言っていた。

だが、その他の余剰なものかなり厳しく買ってもらえなかった。
おもちゃなどは誕生日とクリスマスだけ。
おこずかいも決まった額しかもらえなかったし、
友達が買った大きなぬいぐるみも、
自分のおこずかいから買うと言ってもだめだしが出たくらいだ。

貧しかった子供時代に、
貧しくてもつねにこざっぱりとした服をすること、
家の中をきれいにしておくことを
母は両親から叩き込まれたようだ。
年長の兄に作ってもらったコート、
初めてのお給料で思い切って買った万年筆・・・。
そしてふがいない父の代わりに家族の収入を支えながら、
独身時代には冬山登山をして何度も遭難しかけ、
結婚後はへらぶなつりに血道を上げ、名工の竹ざおを手に入れ、
その手入れを怠らなかったまだ若かった父。
彼らは、誰に教わったわけでもなく、
連綿と続いている店の腕のよさや信頼性、
職人の仕事、そう言うものが値段になり、
その値段は人を裏切らないことを肌身に知っていたのだと思う。

そして今、ブランドに群がる人たちを横目で見ながら、
彼らは名はなくても安くても、品質のいいものを選別している。
ブランドバックなんて持たなくても、今はいいものがあるわよ。
そうかと思うと、いきなりどかんと言う値段を出して、
絶対にいいものを買ったり。
近くの釣堀に名工の竿を持ってほいほいと釣りに行ってしまったり。
そう言うメリハリが、とてもいいと思う。


2002年09月19日(木) 男の生き様

人間的にも外見的にも大して好きではないし、
どちらかと言うと、昔は嫌いな部類に入っていたのだが、
最近、カズ(サッカーの)と桑田(巨人)に対して、
「よくやってるな〜(感心)」という感情を持つようになった。
怪我をしたり、チームから追い出されたり、
負けてばっかりだったり、ワールドカップに出られなかったり、
結構踏んだりけったりな時期もあって、
いっそのこと、現役を引退して、
タレント活動でも(解説者でもいいだろう)した方が、
精神的にも収入的にも楽なんじゃないの?
と意地悪く思う人も多いと思う。
実際私もそう思うし(笑)。
でも彼らは、プレーするのが好きなんだなあ。
最近、そんな単純なことに気がついた。
負けても、怪我しても、例えどこでも、どんな時でも、
きっと彼らはプレーすることに、生きがいを見出しているのだろう。
プレーしている姿こそが、自分自身だと感じているのかもしれない。

不器用な生き方だが、そんな生き方もいいと思う。
なかなか味のある、男の生き様ではないだろうか。


2002年09月18日(水) つらい作業

どこかで必ず生きていると信じて、行方の知れない家族を待ちつづけるのと、
死んでしまったとはっきりと知らせを受け取るのと、
果たしてどちらがよりつらいんだろうと思った、北朝鮮からの知らせ。

家族の怒りと悲しみ、やるせなさと疑問。
どれ1つも粗末にしてはいけないと思う。
けれども、国全体があまりにも感情的になって、
せっかく開きかけた門が、
再び閉まってしまうのも防がなければいけない。
それはとても複雑すぎて、
どうしたらいいかわからない問題ではあるけれど・・・。

あまりにも色々負の感情が堆積していて、
糸が解けなくなってしまったように見えていた日本と北朝鮮の間。
でもそれは、北朝鮮だけではなく,
日本と韓国の間にだって、いまだに濁ったおりのように、
同じような負の感情がある。
二度とこんな悲劇が起こらないように。
北朝鮮ばかりを責めるのではなく、
日本に対する負の感情がどうして残っているのか、
そのことも思い出さなくてはいけない。
とてもつらくて、嫌な作業だとしても。

そして拉致された人たちとその後家族の無念さを思うのだったら、
日本にいる弱きものに対して、
脅迫したり、カッターで切りつけたり、
そんなことはかえって彼らの気持ちを傷つけるだけじゃないかと思う。
ご家族はきっと、帰ってこない息子や娘のかわりに、
誰かを傷つけたりなんかは絶対にしたくないはずだ。
家族を奪われる悲しみを、充分すぎるほど知っているのだから。
心無い人たちの行動が、二重にご家族を苦しめるんじゃないかと思う。

一日も早く拉致された方が無事に日本に戻ってきますように。
そして亡くなられた方のご冥福をお祈りします。



2002年09月17日(火) 男の責任

続きです。
どうも最近、女子高生乱れる性、みたいな特集が多いんだけど、
確かに、そう言う子達もどうしょうもないなって思うんだけど、
でも!
買う方はどうなってるんだ!!って言いたくもなるわけです。
買う方の常識なしも取材してくれと思うわけです。
そう言うのを「それが男性の性だから。」とかって、
軽軽しく言って欲しくはないんですよね。
こう言われて迷惑している男性だっているだろうし、
我慢することも必要でしょう。
性衝動は泌尿器系欲求とはちょっと違うんだから〜。



2002年09月14日(土) 安売りされる性

自分の孫はそうじゃないんだから、
別に憤慨することはないのだろうが、
少々潔癖な母にしてみたら、どうしても納得できないのだろう。

時折、テレビで現代若者事情的な特集があるが、
その中で取材されていたローティーンの少女は、
関係をもった相手が80人以上。
彼女たちは、10人や20人は当たり前だという。
欲しいものがあるから、これが私たちのバイト、
と言って売春することにも後ろめたさはない。
家に帰ってもつまらないから(そしておこずかいも少ないから?)。

結果、すでに10代でエイズ感染している少女は3人程度確認されていて、
性病は蔓延。
もちろん、この子達は一種特殊なケースだけれど、
制服姿で、発情している子供たちなんて、
今はもう珍しくない光景になっている。
彼女たちを駆り立てるものはなんだろう。
性に対する興味や欲求の強弱は人によって違うので、
早い遅いの差はあるだろうと思う。
早いから悪いとも一概には言えないが、
遅いから恥ずかしい、と言うような風潮が、
なんだか感じられる気がするのは、気のせいなのか。

それにしても、
日本と言う国はなんと女性の性が安売りされる国かと思う。
こんな少女たちに眉をひそめる大人たちは、
新聞や週刊誌や漫画などで、
裸身をくゆらす女性を毎日のように目にしている。
例えば、女優と言う人たちはその映画の中で必要であれば、
惜しげもなく体当たりでその体をさらす。
しかしそれは演技のいったんであるはずだ。
ペネロペ・クルスやヘザー・グラハムは
いつもサービス満点にその体をスクリーンで披露してくれるけれど、
裸を見せるだけの写真集など絶対に作らない(作ったら、売れると思うけど)。
ところが、この国の大女優たちは先を争って体を見せるための写真集を作る。
お金のため?
それも演技だから?

少女たちが自己弁護をする常套句
「自分の体なんだから、人に迷惑をかけてない。」
そう、自分の体だから、人は誰も守ってくれない。
リスクから身を守るのは、自分ひとりしかいない。

日本では性はかなり安く売られている。
でも、そのことを真剣にそしてオープンに話す風潮はない。
リスクを知らないまま、あるいはリスクを見ようとはせず、
女性が率先して自分たちを安く切り売りしているのではないだろうか。


2002年09月13日(金) 未来への道は・・・

ひさしぶりにスピッツの新譜を買った。
ちょっとした言葉の使い方が、
相変わらず良いな〜と思う。
その中で、
「あきらめないで それはかすかに 未来に続くけもの道」
と言うフレーズがあって、
ああ、そうかと思った。

未来への道は、一本の明るい道なんかじゃなくて、
いつ、藪の中に消えていくかわからないような、
細くてはっきりしなくて、不確かなもの。
途中でどんな獣に襲われるかわからない、
でも、そこを通っていくのもまた獣で、
道は確かにある。

手探りで、不安を抱えて、
でも藪をかきわけていこう。
思いもかけない場所に、出てしまうことになっても。


2002年09月12日(木) リビアから、シリアまで

昨日はテレビも見ずに、できるだけ普通の日みたいに過ごしたかった。
普通に、ご飯を食べて、お風呂に入って、本を読んで、電話をして。
できるだけ、普通に、普通に。
そんな中で、ふと思い出した人たち。
もう顔も思い出せない、一瞬の出会い。
それはシナイ半島のヌエバでのこと。

ヨルダンに住むパレスチナ人の家に遊びに行くため、
ヌエバの海辺のキャンプでカイロから一緒に来た友人たちと別れ、
少し大きい荷物を持って、1人フェリー乗り場に向かったのは何月くらいだっただろう。
今はどうなっているかわからないけれど、
その当時のヌエバポートのチケット売り場は、
一日ずっと開いているわけではなく、一定の時間にならないと開かないのだった。
その掘っ立て小屋のようなチケット売り場の前で、
ようやく来た役人を見てわらわらと殺到する乗客たち。
全くエジ式、秩序や順番なんてものはない。
ここで負けていてはならないので、私も参戦していると、
1人の人が「アーイザ・サリーア?」と聞いてきた。
そう、早いボートのチケット。
お金を渡して戦線を離脱して待っていると、
そのおじさんが何枚かのチケットと一緒に、
私のも買って来てくれた。
お礼を言って荷物をもってゲートに向かおうとすると、
ミニバンの横でそのおじさんが手招きする。
「乗って来な。」
チケット売り場からフェリー乗り場までは、
たっぷり5分はかかりそうなくらい、離れていた。
ミニバンの中は、むさっくるしいおじさんばかり。
でもエジプト人じゃないのかな?矢継ぎ早には質問してこない。
バラックみたいなだだっ広いフェリー乗り場でまたお礼をいって、
ミニバンから降りた。
おじさんたちはとにかくすごい荷物を持っているので、おろすのにも時間がかかっていた。

さて、一人旅だが、こう言うところに来ると、ちょっと問題が起こる。
私は結構トイレが近いので、その時に荷物をどうするか。
エジプトのトイレにこんなボストンをかけておくところはない。
そして多分、待合室がこんな状態では、トイレの床も荷物なんて置けるわけないだろうことは
簡単に想像できた(笑)。
誰かめぼしい人物はいないか。待合室をきょろきょろすると、
そこには白人の旅行者たち(主に年配)ともちろんエジプト人らしき人々。
そして、先ほどのおじさんたち。
うーーーーーーん。
背に腹は変えられない。私は腹をくくって先ほどのおじさんたちの所に向かった。
「すみません。ちょっとトイレに行きたいので、荷物見ててもらえますか?」というと、
「タバーン(もちろん)、行っておいでー。」とおじさんの1人が荷物を持ってくれた。

腹をくくる、とは。
そう、ここでこんなことを頼んでしまったからには、すでに私たちは「他人」じゃないわけで、
袖触れ合うもなんとやら、度は道ずれ世は情け、になってしまうことは確実だった。
トイレから戻ると待っていたとばかりにおじさんたちに囲まれての質問大会。
何人だ?どこに行く?何してる?カザカザカザ(e.t.c…)。
こちらも負けじと聞き返すと、おじさんたちはみなシリア人で、
長いリビアでの出稼ぎ生活を終えて、国の家族に帰るところだった。
周りの旅行者がちょっとざわめく。
アラブ人に囲まれてアジアの小娘が何をしているんだ?って感じで。

フェリーに乗ってからも、席はおじさんたちと一緒。
出発を待っている間に、1人のおじさんがサンドイッチとソフトドリンクを買って来てくれた。
もちろんおごりで。
ヨルダンのアカバポートについてからも、おじさんたちと一緒だったが、
税関を通る段階で別々になった。
大量の荷物をいちいち開けさせられたおじさんたちは、
ここでまたミニバンをチャーターして今日中にヨルダンを抜け、
できるだけ早くシリアに入るのだと言う。
アンマンまで乗っていくか?と言う誘いを受けたが、
体力的にきつかったので、その日はアカバに泊まることにしていた私は、
ここでおじさんたちと別れた。

おじさんたちがリビアに行った時、シリアからリビアまで飛行機で行ったという。
長い出稼ぎ生活が終わってみたら、
リビアは飛行機を飛ばせない国になっていた。
(そう言えば、カイロのタハリール近くにあるリビア航空のオフィスも、
看板はそのままに無人のままだ。)
そう大笑いしながらおじさんたちは荷物を持って、
リビアからシリアまで、延々とミニバンで帰る。
多分国境は、荷物を担いで歩いて渡り、
ボーダーで待っているミニバンと交渉し、また国境まで。
そのくりかえしを何度もして、彼らは国に帰っていく。
リビアのカダフィ大佐だって、大人しくリビアにいるだけじゃない。
黄色いロールスロイスをぶっ飛ばして、カイロにやってきていたし、
カイロの空港であったイエメンの大学の先生たちはコンファレンスのために、
イエメンからカイロ、カイロからマルタ共和国、
そしてマルタからフェリーでリビアまで、
アメリカの思惑や国連の決まりの上を、ひょいひょいと移動しているのだ。

経済封鎖をしても、制空権規制をしても、
彼らは国を渡っていく。
アラブの中にはアラブの中での人の流れがあり、
それは誰にも止めることが出来ないし、実際に存在しつづける。
いまだにキューバのカストロも健在、
リビアのカダフィも健在、
そして空爆を繰り返しても、イラクのフセインも健在であるのだろう。
傷つき憎悪を募らせるのはきっと、おじさんたちみたいな、普通の人々だけだ。


2002年09月11日(水) 心の闇

あの日である今日に、語るべきことはあまりない。
ただ、自分の心の中の闇を、どうしたらいいのか考えるだけだ。

今日の前日である昨日、
同僚と話していた時の事。
彼は「明日もまた何か起きないかな。実際、ざまーみろと思った。」
と平然と言い放った。
彼は常識知らずの人ではないし、
人の痛みがわからない人でもない。
多分、あの日に亡くなった方には同情もしていると思うが、
それを「アメリカ」という国を主語にして考えた時、
実際に「ざまあみろ」と言う思いを持っている。

そう言われて、それを「なんてひどいことを言う」と
糾弾できない自分が確かに存在する。
そしてもっと悪いことに、
私は彼のように、自分の気持ちをストレートに言い切ることができない。
なんたる中途半端、何たる偽善。

亡くなった人たち、亡くした人たち、傷ついた人、それを見守る人、
全ての人に対して、同情を感じている反面、
「アメリカは攻撃されても仕方なかった、
そして今度も攻撃されても仕方がない。」
と思っている自分が存在する。
「ざまあみろ。」とまでは思わなくても・・・。

醜い心をさらけだし、
それを浄化できる力が欲しいと思う。
今日は一日、自分の心の闇と、ひっそりと向かい合う。



2002年09月10日(火) 明日が来る前に

1年が経とうとしている。
テレビや新聞、雑誌など、目に付くメディアの全てが、
あの日の特集を組んでいる中で、
明日が来る前に少し思い出そう。
明日の出来事ではなく、その他の、本当に色々な出来事を。
なんとたくさんのことを、私たちは忘れてしまっていることか。

例えば、チェルノブイリ。
土地はまだ荒れ、人は住むことが出来ない。
村は地下に埋められ、人々はその場所に戻ることが出来ない。
そして、あの当時幼くして被爆した子どもたちは、
どんどん成人している。
彼らのほとんどは甲状腺ガンやその他の病気を発病していて、
恒常的な治療の援助が必要なのに、
資金難から、18歳になるとその治療援助が打ち切られてしまうという。
そうなると、体に時限爆弾を抱えたまま、
医者に検査に行くことも出来ず、
肉体的にだけでなく、精神的にも病を抱えて生きていかなくてはならない。
なぜなら甲状腺をとってしまうことで、
女性も男性も、本来の体のバランスを失ってしまい、
それはありとあらゆる部分に軋みを生み出していくから。
体が出す悲鳴を受け取りながら、彼らにはどうすることも出来ない。
満足な治療を受けることすら出来ないのだ。

例えばイラク。
湾岸戦争のときに使われた劣化ウランの調査は全く進んでいない。
その中で空爆が行われようとしている。
一日に何度も警報が鳴り響く生活の中で、
生まれることなく死んでいくたくさんの子どもたち。
連続して5回も流産した女性、
生まれて来ても、「人間」として形を成しておらず、
ただ死んでいくのを待つばかりの赤ん坊。
それをむなしく見ているしかない医師や看護婦。
そこまで悲惨ではなくても、たりない物資。
子どもたちの勉強に必要なエンピツさえ、
武器に使われる可能性があるということで、
輸入が規制されている現状。

そして、コソボは?グアテマラは?
ルワンダや、コンゴ、
クルド人たち。

私たちが忘れていくもの。
見えなくなっていくもの。
その全てが、私たちの現在の平和に、
しっかりと確実に、黒い影をおとす。
光が当たっている部分は、
私たちが見ているものは、
あまりにも小さく狭く、そして偏っている。


2002年09月09日(月) 3日坊主との境目

色々決めることはあるのだけれど、
結構すぐに三日坊主になってしまう(^^;)。
あれもこれも、、、なハズなのに、
気がつくと続いていなかったりして。
その反面、何となくずーっとやっていけることが少しはあって、
その境目はなんなんだろう?と時折考える。

基本的に、私は自分に対してすごく甘い。
絶対に無理をしない。
無理をして後からその付けが回ってくると、
途中で中休みをした時よりも、
もっとたいへんになっちゃうんだよ、
という至極最もな理由を自分につけて、
適当なところで、だるだるしてしまう。
いかんな〜と思う反面、
だからこそ、割と体も丈夫で大病はしないし、
糸が切れた凧のように、精神的にふらふらのどん底に
落ちることも少ないような気もする。

無理に全てを続けようとすると、
やはりどこかで無理が来て、
何もかもいやになってしまうんじゃないかと思う。
続けられることを続けるというのも、
実はとても大切なことなんじゃないかと、
今日も自分を甘やかすのだった(苦笑)。


2002年09月07日(土) 現実はキビシイ・・・

ああ〜、またブルーになってきた。
理由は今日届いた放送大学の単位認定書。
今年の2学期、受講申請を忘れた馬鹿な私。
来年卒論を書きながら、
これだけの残りの単位を取るなんて、
絶対に無理、なように思う。
いや、これは悲観的になっているのはなく、
冷静な観察。
だからブルーになる。
ああ、現実は厳しいなあ、時として、やっぱり。
深く沈没・・・。


2002年09月06日(金) あっちへこっちへ

授業をしていないと、だんだんその楽さに慣れてきてしまって、
いざ明日から授業!と言う日になると、
それなりに憂鬱になったりしてしまう(^^;)。
準備が〜、とか、
この文型嫌い〜とか、
明日の授業大丈夫なのかあ?>自分、とかとか。

しかし実際に授業に入ると、
やっぱり「おもしろ・・・。」と思う自分がいて、
ふふふーん♪と鼻歌を歌いながら教室を後にする。
でもその次の日には、あまり授業がうまくいかなくて、
意気消沈してすごすごを教室を後にしたり・・・。

あっちへこっちへ行きながら、
また新しいクラスがはじまりました。


2002年09月04日(水) ナウシカの世界観

今年最後の夏休みを一日。
出かけようと思っていたのだけれど、
アマゾンから「風の谷のナウシカ」全7巻が届いてしまって、
読み始めたら止まらない。
何度も読み返してしまい、出かける時間を逃してしまった・・・。

アニメのナウシカも、それなりにダークな世界観だったけれど、
やはりかなり薄まっていたのだなと、
原作を読んで改めて思う。
原作の中では、炎の7日間の後人間も含め全ての生物が、
毒素の中で生活が出来るように体の構造を変えられており、
腐海が清浄化した豊かな世界では、
一呼吸で肺を破壊され生きられない体になっている。
毒素にまみれ生きられる愚かな人間の末裔たちは、
復活の朝には死を迎え、
音楽と詩を愛する穏やかな「新しい」人間に取って代わられるはずだった。

運命主たるものが、「何者」なのかは最後までわからない。
しかし、生み出されたものは、
やがて生み出した者の想像を遥かに越えていく。
最後、ナウシカは「新しい人間」の卵を、
神殿とともに破壊する。
例えその朝に血を吐きながら倒れていくとしても、
血を吐きながら繰り返し飛ぶ鳥・・・、
ナウシカは人間をそうイメージする。

くり返しくり返し、
その朝を迎えて、
その朝を乗り越えていきたい。
「いのちは闇の中にまたたく光」
常にまぶしい光は、人の心を震わせることはない。
ほんに小さな何かが、
私たちを生きる事へと向かわせる。
どんな境遇にあっても、人は生きていくことを願い、
子孫を残すことを願う。
生き続けていくことは、暗闇に目を凝らして、
光をどこかに探していくようなことなのかも知れない。


2002年09月03日(火) ワヘダワヘダと

昨日家に帰ったら、
卒論テーマに関して質問票を出しておいた先生から、
留守電が入っていた。
慌ててかけなおし、直接色々な話をした。
卒論に関して、卒論に関係ないこと、色々。
日本語教師の適正の中に、話し好きってのがあるみたいで,
大体どの先生も初対面でもなんでも、
よくお話しになる。
この点は、私も適正あるかなと思ったりするが。

来年一年で単位が取れるかどうかわからない。
単位を取りながら、卒論がまとまるかどうかわからない。
でも、最高でも2005年の3月には卒業できそうだ。
先は長いなーと思うが、でもワヘダワヘダ(一歩一歩)。
何となく、自分が進んでいけていることが実感できて、
うれしいのだった。
ワヘダワヘダと、今日もつぶやく。


2002年09月02日(月) 本物

誰にでも理想にする生き方と言うものがあるはずだが、
私がずっと憧れて理想にしてきた生き方というのは、
多少不器用でも、何かたった一つ柱になるものがあって、
それ一筋で生きていく、というもの。
ところが、自分をと省みれば、
一番ぴったり来る言葉は「器用貧乏」。
ある程度の事はそこそこ出来てしまうのだが、
気が多いのか、飽きっぽいのか、
「これ!」って思うものがなかなか決められない、見つからない。
ずいぶん、それで焦ったり落ち込んだりすることもある。

何人か、私の理想の生き方をしている人を知っている。
その中でもその人は本当に、「本物」。
正真正銘の「画家」。
世の中には、こう言う人が本当にいるんだなあと知り、
ため息が出た。
どんな風に本物かと言うと、この人はまず、
働いたことがない。
それは親が金持ちだから、とかそう言うことではなくて、
本当に絵を書くこと以外、考えられないのだと思う。
多分、食べるために書いた絵なり、イラストなり、
という仕事もしたことがないのではないか、と思うくらいに。

初めて会ったのは、スペインの小さな街だった。
抽象画の良質な画廊があるその街で、
その人は同じようにアーティストの日本人女性と2人で、
15世紀に立てられた味のある家に住んでいた。
枕もとにはさりげなくフジタの絵が飾られた、
本当に小さなその家に、2度ほど遊びに行った。
自分が何をしたいのかわからず、じたばたしていた私にとって、
2人の生活はまぶし過ぎたが、
自分の父親ほどの年齢だと言う事もあり、
嫉妬よりも、憧れが胸を満たした。

私が日本に戻ってきた頃、
もともと体調が思わしくなかったその人も日本に戻り、
生家近くにあるいわゆる分譲型の老人ホーム的なところに部屋を借りていた。
多分彼は、その部屋がどれほど高いか、知らないのではないかと思う。
それも、彼の才能を愛する人が、無償で提供しているようだった。
きっとスペインにいる間も、そう言う人々が彼らの生活を
支えていたのではないかと思う。

穏やかな瀬戸内海の町での3年間の間、
東京や岡山などで個展を開き、
このままずっとここにいるのかな?と思う反面、
その人がスペインのあの街にいないことが、
なんだか不満だった。
今年、その人はまたスペインに戻るという。

その人が、毎日あの家の急な細い階段を登ることを考えると、
心配で胸がつぶれそうになるが
(実際、以前階段から落ちて彼の首には鉄板が入っている、体が不自由なのだ)、
「こんなところで死にたくないよなあ。」という電話の向うの声が、
なんだか頼もしくてうれしかった。

今年の冬、私はまたその人に、あの家であえるだろうか。
会いたい、と思う。
何となく、自分の「もの」を見つけられそうな今、
もう一度、「本物」に会いたいと思う。





2002年09月01日(日) 情けないが、平和

今日ガザにいる友達に出したメールの書き出し。
「残暑の中、こちらでは、
表参道に出来たブランドショップに大行列が出来たとか、
玉川にアザラシが住み着いて「たまちゃん」と呼ばれて、
見物人が列をなしているとか、
情けないですが平和です・・・。」

いいんですよ、本当に、
行列が出来ようが見物人がてんこ盛だろうが、
そんなことは平和じゃなくちゃ出来ないんだからね。
でもやっぱり、
何となく情けなーい気分になってしまうのは、
今日が防災訓練の日だから?
・・・あんまり関係なさそうですね(^^;)。


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