ぶつぶつ日記
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2001年12月22日(土) ちょっと早いですが、来年の目標です。

まだまだ今年は残っていますが、
明日から非日常生活に突入するので(笑)、来年の目標を立てていきます。

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【銀関係】アートクレイ、PMCの枠を越えたネットワークで活動する。
・まず第一弾として、5月のデザインフェスティバルへの参加。
・オフ会&勉強会を定例化できるようにする。
・チャリティーバザールを年に何回か行い、アートと社会活動を両立する。
・ネットショップをもっと立派にする(^^;)。

【仕事】学校の体制に流されず、自分自身のスキルをアップさせる。
・日本語教師としての知識や経験。
・PCのスキルもあげる。

【勉強】あきらめずに続ける。
・放送大学の卒論の準備を始められるように、単位を計画的に取得する。
・アラビア語や、英語など、既習の語学をブラッシュアップできるようにがんばる。

【その他】
・旅に出よう。
・お金を貯める(実はこれが一番難しい)。
・余計なものは買わない。
・ビジョンを持つ努力をする。
・人見知りしない、出不精にならない。

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なんか取り留めないですけど・・・。
来年も、元気に毎日を過ごしたいです。
そして攻撃的に行動的に(笑)、
人生を構築できるような、自分自身を養いたいと思います。
来年も、よろしくお付き合いくださいませ。
皆様、良いお年を。
行ってきます(^^)。


2001年12月21日(金) ラッキーガール(って年ではないけど)

旅行前で土産の買出し、荷物の準備をやること目白押し。
その上仕事先のPCにトラブル発生で、
日記まで気が回りませんでした(^^;)。
今日も疲れております・・・。
明日もバイトだし〜。。。。

それにしても、自分の人生って結構ラッキーと、
小さいことで思ってしまう私です。
2、3週間前、今日この日は絶対に仕事になんて行っていないと決め込んでいた私は、
知人に紹介された人にプライベートレッスンを行う約束をしていました。
所が、昨日のPCゴタゴタ騒ぎでそんなの行ってられるのか?
とその約束がはなはだ不安に・・・。
しかし用を済ませてまた仕事に戻ると言うことで、
同僚と話をつけ、今朝仕事に行ったのです。
しかし必要なソフトのCDROMを持って帰っている先生が
なかなか登校されません。
当たり前なんだけど、もう授業ないんだから(^^;)。
どう〜すべ〜、終わらんぞ〜、と思っていたら、
レッスン相手からお誤りのメールが!
仕事が入って今日は無理〜、だって。
おお!ハムドリッラー、とこういう時は言いたくなりますね!
私ってラッキー。
そして私って単純?
でもいいのです。
それでいいのだ。
ちょっとしたことで幸せになれるってのは、
なかなか安上がりでよろしい、と思う旅立ち前なのでした。


2001年12月19日(水) 悲しみと憎しみを増幅させた携帯電話

風呂上りに家族の見ているテレビを見たら、
9月11日のアメリカ同時テロのドキュメントだった。
現場に居合わせた人、被害者の家族、そして報道陣に
詳細にインタビューをしていた。
事件当時もペンタゴンにつっこんだ飛行機に乗っていた
コメンテーターの女性が政治家である夫にかけた携帯電話のことが
ニュースになっていたが、
どうやらかなりたくさんの被害者の方が、
最後のお別れを言うために、
家族に携帯から電話をかけていたようだ。

御巣鷹山に日航機が墜落した時も、
何人かの人が遺書を書き残していた。
しかしそれらは、現在の飛行機の情況や、家族にあてたメッセージで、
感情を押し殺し、どちらかと言うと冷静な文章が多くかったように思う。
しかし、電話から聞こえてくる声は違う。
感情も恐怖も、全てを残す者に伝える。

これまでは、何か惨事が起こり、
心配しているうちにその心配が現実となり、
朝元気に出て行った人が、それきり帰ってこなかった、
そういうことが普通だった。
帰ってこなかった人の最後の瞬間を、
残されたものは実感することは出来なかった。
しかし、これだけ携帯やモバイルが普及してくると、
ありとあらゆることが瞬時に別の場所に伝えられる。
それはとても便利なことでもあるのだが、
今回の場合、最後のメッセージを聞いてしまったことにより、
そしてそのメッセージをたくさんの人々が共有したことにより、
より一層悲しみや憎しみが増幅されたような気がする。

悲しんで当たり前、
憎んでもいいと思う。
そうするだけの権利が、いとしい人を亡くした人にはある。
しかし、増幅した憎しみは怪物にとなって逆に人々を襲いだす。
携帯電話を持たず、最後のメッセージを伝えられないまま死んで行く人々も、
メッセージを残して死んだWTCの被害者と同じように、
無念なことにはかわりはないのだ。
そしてアメリカの人々が、憎しみという怪物に飲み込まれないように、
メッセージを送りたい。



2001年12月18日(火) 旅の恥は掻き捨てない

旅行好きが集まって、あっちこっちに話題が飛んだ夜だった。
それぞれに旅先で会った困った日本人ネタを持っていて、
それぞれの話を聞いてぶっ飛んだ。

それにしても、「旅の恥は掻き捨て」とはどういうことだろう?
旅に出ればこそ、しっかりとふんどし引き締め、気を引き締め。
後ろ指をさされることはしたくないものだが。

日本の外に出て、日本では決してしないであろうことを嬉々としてする人、
それが犯罪がらみだったり、倫理に関することだと余計、
はっ倒したくなる。
最近カイロに行ってきたばかりの友人は、
タハリールの5星ホテルの女子トイレで、
麻薬をやり取りする日本人女性二人を見たという。
麻薬も、そして女性やましてや子供を買うことも、
どんな国でも「普通のこと」では絶対にない。
エジプトでも麻薬関係はかなり重い罪になる。
どうして日本ではしてはいけないことを、
外国に出てしようとするんだろう。
そんなの全然旅の醍醐味じゃないぞ。

薬をやらなくちゃ一人前の旅人じゃないなんて、
思っている人、いませんか?
ここまで来たから子供を買ってみる?
そうじゃないと男じゃない?
そのことを知り合ったその国の「普通の人」に言ってみてください。
その人は絶対にあなたとは友だちにはなってくれない。
日本で犯罪なことは、ほとんどの国でも犯罪なのだ。
日本でしたら恥ずかしいことは、大体の国でもやはり恥ずかしいことだ。
日本よりももっと、世間の目が厳しい国もある。
どの国の「普通の人」も、犯罪に嬉々として手を染めたりしない。
それを自慢したりしない。
旅の恥を掻き捨てるのはやめよう。


2001年12月17日(月) 情けない話し

全く知らなかったことだが、
日本政府は「50年間に30人のノーベル賞受賞者を生み出す」ことを、
何かの公約にしているらしい。
そしてスウェーデンに「研究連絡センター」なるものを作り、
ノーベル財団のスタッフや歴代の受賞者に、
日本への無料招待攻勢をかけていると言う。
もちろん、ノーベル財団関係者も批判の声が出ているそうだ。

はっきり言って情けない。
もしこれが事実なら、何でもお金で買えると思っている
政治家や官僚がいかに多いのかを裏付けているだろう

このことを報じたイギリスの新聞は、
日本人の自然科学分野のノーベル賞受賞者が極端に少ないのか、
その理由について以下のように述べている。
(1)高齢のボス教授が支配する大学の講座制から若い研究者が逃れるには海外に行くしかない
(2)画一性と反復重視の教育――など創造性を欠如させる国内制度が真の原因

はい、その通り。
ゆとりの時間割、と言ってみてはいるものの、
結局余った時間は学習塾に通っている子供のなんと多いことか。
そしてその子供達の学習の仕方の、なんと独創性のないことか。
本来の自由な発想を失い、全て決まりきった型でしか勉強できない子供達が、
いくら良い学校に入ったとしても、
結局は決まりきったことしか出来ないだろう。
いくら英語が話せるようになったとしても、
世界水準で数学の問題を解けるとしても、
この国の子供達には「生み出す力」が欠如している。
そしてそれを招いているのは学校の責任だけではなく、
「画一化」を美徳と考える、一般的な親達の存在もある。

スウェーデンに国の金で出張所を作るくらいだったら、
そのお金をこの景気の悪さでリストラされた親を持つ、
学費の払えない子供達の奨学金や、
留学費用に格安で貸し出したほうが、
どれだけこの国のためになるのか。
やっぱりお金の使い方を間違っている。
私の税金はどこに使われているんだろうか?



2001年12月16日(日) 割合

誰かに助けられたり元気をもらったりするのと、
誰かを助けたり元気をあげたりする割合を考えると、
私の場合はどう考えても、誰かに何かをしてもらう方が多い。
いつも、誰かの役に立ちたいとか、
誰かを助けたいとか、
そんなに奇特に思っているわけではないけれど、
でも明らかに助けたい人や何かをしてあげたい人がいて、
でも、何で自分はこんなに何も、
その人にしてあげられないんだろうと、
1人落ち込むことがある。

そしてそう言う時も、助けたい当の本人からや、
全く関係いない誰かが、
そんな私の落ち込みを引っ張るあげてくれたりして、
そこでまた「あ〜あ、」と思うものの、
とてもうれしい気持ちになる。

人間はそうやって生きていくんだろうか。
生まれてから死ぬまで、
助けたり助けられたり、
最後は両方トントンになるんだろうか。
私が助けられた分を、私はいつか誰かに返せるんだろうか。
ふと、そんなことを思う穏やかな日曜日。
奪われつづける人がいることを、一瞬忘れそうになる。


2001年12月14日(金) 影のシナリオ

イスラエル政府はヤセール・アラファトパレスチナ自治政府代表と、
断絶することを決定した。
いわく、アラファトにはテロ反乱分子を抑える力はない。
それでは、イスラエル政府は今後誰と中東和平を話し合うのか。
そんな人物は、誰もいない。
そんな大きな組織はどこにもない。

もともとアラファトの指導力を弱めていったのはイスラエル政府だ。
そして今回も、パレスチナ自治政府に
過激派取締りの強化を求めながら、
そういった分子を取り締まるべきパレスチナ自治政府の
警察署関係などに攻撃を加えていた。
これは一体どういうことだろう?
警察署などが攻撃され混乱すれば、
不穏分子取締りどころの話しではなくなるだろう。
普通、テロリストと言うものは、
そう言う混乱に乗じて事を起こすものだ。
そして、実際にイスラエルのバスが襲撃された。
これを口実にイスラエルはアラファトとの断絶を決定。
日本の「欧米報道の記事直訳の」報道は、
全ての原因が「アラブ、パレスチナ、イスラム」に
あるような記事を相変わらず載せつづけているが、
一連のイスラエルの行動には「影のシナリオ」があると思ってしまう私が、
アラブ・イスラムに思考を犯されている、
おろかな人間なのだろうか?

パレスチナと正面に向かい合っている入植地に住んでいるのは、
「豊かな恵まれた」イスラエル一級市民達ではない。
彼らの多くは、「遅れてきたユダヤ人」である。
出生率がイスラエル人よりも上回るパレスチナ人に人口で負けないために、
イスラエル政府によりロシアやアフリカから呼び集められた、
「いい生活」を夢見てやってきた、
まだイスラエルでの生活基盤がしっかりしていない人たちが多いという。
彼らは入植地からどこかに移ることは難しい。
彼らもそこにしがみつかなくてはならない理由がある。
そして彼らの住宅を守る有刺鉄線のむこうには、
彼らよりも行くべき所のないパレスチナ人たちがひしめきあっている。

どこかで誰かが、生きている人間を単なる駒として利用している。
誰が死んでも、胸の痛まない誰かが、
「影のシナリオ」を書きつづけている。
それを書き換えることは、不可能なのだろうか?



2001年12月13日(木) ひがみじゃないけど。

日本人は経済的な観点から自分たちを「西欧」と
一体化して見ている所があって、
アジアの国のことを見下している人も少なくない。
でも欧米から見るとどうかなと思うと、
彼らにとっては全然「同列」ではなくて、
逆にアジアとか中東の人たちのほうが
一歩先行く自分たちの仲間って感じてくれているような気がします。
そう言う人たちと連帯していった方が、
これからはいいような気がしますが。

第3国に関わると資金援助が大変って思われがちだけど、
欧米との付き合いだって、
結局日本は金の無心をされているだけでしょう。
国連に一番お金を払っているのは日本です。
それでいて「同列」と認められないなんて、
なんだかしゃくです。


2001年12月12日(水) 新鮮な気持ち

人を案内するので、久しぶりにエジプトのガイドブックなどを見ています。
昨年の10月にカイロに行った時、
実は今ひとつカイロにいることを楽しめませんでした。
どうして、自分はもうここにはいないんだろうか、
何か心にわだかまりがあったような気がします。
でも今回は、一緒に行く人がいるせいもあるのか、
純粋に観光を楽しめそうな感じです。
どこに行こうか?とガイドブックを見ながら考えるのも
なかなか新鮮で楽しいです。

ルクソールにも行きたいと思えるようになりました。
最近、ルクソールテロ事件に多くのページが割かれている
エジプトのイスラム過激原理主義についての本を読みました。
読んでいる間中、息が苦しい感じがしましたが、
改めてあの事件のむごさや、
エジプトの抱える問題を認識しなおす事によって、
逆にルクソールに行って、
1つ心の区切りをつけたい気になったのかもしれません。

メムノンの前で告げられたテロのこと、
銃をこめる警察官に息を呑んだ瞬間、
ルクソール病院で泣き叫ぶ人々や
空港で救急車から軍用機に運ばれる誰かを見ていたあの日。

空港に到着した時、
デルエルバハリに向かう時、
私は恐れを感じるでしょうか。
多分、とても緊張してしまうと思いますが、
それでもまた、生きてあの地を踏めることが
とても幸せだと感じています。


2001年12月11日(火) そう言えば

大騒ぎして出発した海上自衛隊。
今はどこでなにをしているんでしょうか?
確かインド洋で情報収集、ですよね?
インド洋ってアフガンは内陸の国なんだけどさ。
で。
暫定自治政権が決まったとか、
韓国が多国籍軍に参加表明とか、
次なる動きが始まっているんですけど
(ウサーマが犯人だって言う証拠もまだ見せてもらえないし、
ウサーマどころかムラー・オマルにも逃げまくられているけど)、
その自衛艦の報告はどうなっているわけですかね?
それって、私たち国民に知らされるんでしょうか。
途中経過くらい知らせる義務は国にはないんでしょうか。
あれだけのでっかい船を維持するのって、
すごいお金かかりますよね。
んで、今回はそれが動いちゃってるから、
燃料代だけだって億単位ですよね?
それで、出発の報告だけなんでしょうか?
今回一体いくらかかって、
そしてどんな情報を収集したのか、
きっちり報告してもらいたいと思うのは、
私だけですかね?
細かいこと、気にしすぎでしょうか?


2001年12月10日(月) ご褒美

色々、嫌な事が多かった年のように思えるけれど、
トータルで考えてみると、
いいこともたくさんあった(そしてある)年でした。
ただ、嫌な事が起こっている間はそのことばかりが気になってしまって、
いいことをすっかり忘れてしまっているだけなんですよね。

後半仕事でたくさん嫌な事がありました。
正直うんざりしていました。
でも頑張ったご褒美は、職場からはもらえなかったけど、
他のところからどっさりもらえたのです。
12月23日から1月3日まで、ある人のお供でカイロに行ってきます。
ガイド兼通訳になるのです。
今回は、ルクソールにも、行って来れそうな気がしています。
ようやく、ルクソールに行きたいと思えるようになりました。
少し長い時間がかかりましたが・・・。

10年パスポートに最初に押されるはんこはエジプトのもの。
そしてまた、私の新しい年が始まります。
来年もきっと、色々あることでしょう。
でも、来年の今ごろも、
また今日と同じような気持ちになれるだろうと、
そう信じています。



2001年12月09日(日) オフ会

昨日はシルバー関係では初めてのオフ会。
まずは銀座のサロンに集まっての一次会。
パールコンテストの作品がたくさん見られて、
本部の方からテクニック的なことも聞けて、
勉強になった。
こちらからも、HPの改良についての意見を
がんがん出してたので、
あちら様もたじたじ、という感じだったかも(^^;)。
これからHPを中心にコマーシャルをしていけ,
と言うことではなく,
どんどん増えるだろうネット人口に向けて,
的確な情報を提供してあげる必要性と重要性を、
わかって欲しいと思っていたので,
いい機会だったから、遠慮せずに色々言ってしまった。
それでも言いたいことの半分も言っていなかったと思うけど(笑)。
私のように、本部教室以外でイントラ資格をとると,
本部との関わりはほとんど皆無状態なので,
あちら様の思っていることも全然わからないし、
こちらの意見もどこに通していいかわからないので、
昨日のような機会はとても貴重だった。

場所を移しての2次会は、テーブルをぐるぐると
作品が回っていくと言う、
周りから見たらちょっと「?」な会だったかも。
身包みはがして見させてもらってたし。
写真で見ている作品ばかりなんだけど,
やはり百聞は一見にしかず。
実物には驚くばかりだった。
それぞれ、同じ素材を使っているのに,
その手法も考え方も作り方も違っていて,
あれもやってみたい、これも真似したい、
とむくむくと作りたいものがまた増えてきた。

さっきも少し書いたけれど,
アートクレイのイントラ資格をとっても,
同じ資格を持っている人たちの交流って全然ない。
第一、誰が資格を持っているか知らされていないくらい。
私たちは、たまたまネットと言う手段をもっているので,
アートクレイイントラだけでなく、
PMCの人,独学の人・・・と色んな人と交流し,
意見を交換し,刺激をもらうことができる。
「イントラ資格を取ったらそれでおしまい?」
と言う声も聞くし,
せめて半年、いや1年に一回でも
各地方や同県で、インストラクター同士の
ミーティングを主催できたらどうなんだろうか?
切磋琢磨していく意味でも、
意見交換は必要だと思うのだが。


2001年12月07日(金) 帰れない子供たち

久々に時間のある週末なので,
DVDを借りて帰ってきた。
今晩見たのは、「ザ・カップ、夢のアンテナ」と言う映画で,
監督はチベット仏教の高僧、
出演しているのも、本物の小僧さんたちだそうだ。
インドで亡命生活をしている若い僧たちも、
ワールドカップが大好きで,
その決勝戦を見ようと、四苦八苦するというストーリー。
チベット仏教の僧院の、柔らかな布を使ったインテリアが
とてもおしゃれで、僧の僧服も目を引いた。

チベットに帰るためにいつも荷物の準備をしている修道院長、
その下で憎まれ役になっている教育係の先生,
変わり者で占いをする古参の僧、
一癖もふた癖もある兄僧たちに負けない、
すっかり僧院になじんでいる小生意気な主人公のいる寺に、
中国からまだ若い叔父と、幼い甥が密入国してくる。
その子がもう2度と会えないかもしれない母親の思い出に持っている
懐中時計を、主人公はアンテナを借りる代金の質草に入れるが、
時計を取り上げられ、悲しむ新しい同門の兄弟を見て、
主人公の少年僧は、あれだけ楽しみにしていた試合も上の空。
試合の途中で抜け出し,
真新しい(多分一度も履いたことのない)スパイクと、
母の形見の短剣を売りに行こうとする。
いつもは厳しい教育係の先生が、その頭をなで
「商売が下手だな、でも良い僧になる。」と言うと,
その子はちょっと恥ずかしそうに、
そしてうれしそうに笑った。

ビックリするのは,その映画が1998年を舞台にしているのに、
チベットから中国政府の目をかすめて、
僧院に子供を逃がす親がいると言う事実だろう。
チベット問題に関しては中国は内政干渉という姿勢を崩さないが、
漢民族のチベット移住も増えているそうだ。
チベットを知らず、インド人ともインド人の言葉で
渡りあう若い僧たちはしかし、
インドがあくまで仮の宿でしかないと思っている。
帰れないかもしれない。
でも、ここは自分たちの終の棲家ではない・・・。
ここにもまた、国の狭間で漂う「帰れない子供たち」が、
存在している。


2001年12月06日(木) シンパシーを感じるもの、感じないもの

今日のアル・ジャジーラのネット調査は「パレスチナ自治政府は、
ハマースなどのテロ活動に責任があるか。」みたいな内容だった。
私は思いっきり「ラー(NO)!」をクリックしたら、
結果は98%の人が「ラー」に投票していた。
このネットはアラビア語しかないので、多分見ているのも
大体がアラブ人なのだろう。
その大多数のアラブ人の意識の中に、見事に当てはまってしまう自分がいて、
思わず苦笑してしまった。
先日、同じようなアラブ馬鹿の友人と話していた時、
テロで攻撃され、そのことに深い怒りを感じ、
報復行動を支持するアメリカ人のことを、
在米の日本人のほとんどの人(インタビューされていた、と言う意味だが)が
「その気持ちを理解できる」と言うことに対して、
どうして「日本人である彼ら」がそこまで彼らの怒りなりを理解できるんだろうか?
と言う話しになった。

しかし考えてみれば、パレスチナ人の子供が殺されていることに、
震えるほどの怒りを感じてしまう自分がいて、
結局は何によりシンパシーを感じるか、
そこが決定的に違っているだけなのだろうな、と言うことはわかる。
アメリカにより強い愛情を感じる人がいて、
アラブにより深い親近感を持つ私のような人間もいて、
その間でいさかいは起こしたくないなと思う。
でも、お互いに感情を持っているので、
なかなかそこまでお互いの価値観を納得することは難しい。
ただ、当事者ではないもの同士から、理解しあう重要性は
身に染みてわかっているのだけれど。


2001年12月05日(水) アラファト後のパレスチナ

ニュースでPLOのアラファト議長を眼にする度に、
なんとも言えない気持ちになる。
すでに国をまとめる力のない、発言力のなくなってしまった指導者。
しかし、「全て」が彼に肩に重くのしかかっている。
病気の体に鞭をうち、気力だけで、
そして生き続けなくてはならない。

新聞の「これまでの経過」を見ていると、
なんとイスラエル寄り(アメリカ寄り?)かと思う。
載っているのはパレスチナ側からのテロで死傷した人たちのことだけ。
2週間前に5人の10歳前後の子供達が
イスラエルの戦車により死亡したことなど、どこにも載っていない。
一体、いつまで「テロにさらされるいたいけなイスラエル」を
強調すれば気が済むのだろうか。
そして、どうしてマスコミはそういう視点しかもてないのだろうか。

現在のパレスチナに対する激しい攻撃は
確かにイスラエル国民の世相をバックにしたものだろう。
度重なるテロ、高い失業率など、
全てをパレスチナの責任にした方が、
それはイスラエル国民にとっては楽なことだ。
「自分たちは、悪くない。」、誰もがそう考えたい。
しかし、原因が全て相手に帰すことなど、ありえないことだ。

アラファトをパレスチナの代表からはずすことは、
アメリカの力をしたらもっと前に出来たはずだ。
しかし、アラファト以外の誰が、「和平交渉」のテーブルにつけただろう、
いや、ついただろうか。
アメリカもそのことはわかっている。
だから今もアラファトがパレスチナの代表なのだ。
今回の攻撃は、シャロンがアラファトの威信を粉々にし、
パレスチナ自治政府の瓦解をもくろんでいるためとも言われている。
しかし、前首相のラビンがアラファトを代表とした自治政府との
交渉を続けることをシャロンに要請しているのは、
ラビンが、アラファト後のパレスチナのビジョンを見ているからだと思う。

確かにアラファト後のパレスチナ自治政府は、
イスラエルの力を借りなくても、内部紛争で瓦解していくだろう。
パレスチナ人を、1つにまとめることはどのグループにも出来ないだろう。
しかし、それはパレスチナ人の消滅を意味しない。
彼らは、ますます先鋭化する。
見境のない、絶望的なテロがますます増えていくだろう。
イスラエル軍がパレスチナ人を殺しつづけても、
彼らは新たに生まれてくる。
出口のない、絶望的な戦いを続けるためだけに。


2001年12月04日(火) 映画「パールハーバー」に抗議できないわけ

少し前にタイタニックを超える!とかいうキャッチフレーズで
「パールハーバー」という映画が公開された。
アメリカでも大した興行収益を上がられなかったみたいだけど、
その内容を聞き、そして某チャンネルのインタビューコマーシャルで、
「感動しました〜。」と言っている若い女の子達を見て、
自国に対する侮辱、とは何か、私は深く考えた。

9月のテロの時も、散々「パールハーバー以来の・・・」と言う
なんとも頭に来るフレーズを耳にした。
「パールハーバー=奇襲攻撃=人の道に反した汚いやり方」という図式だが、
一言言わせていただければ、
日本軍は事前に攻撃の通告をしていたのだ、パールハーバーの前に。
当時、日本に対する宣戦布告の時期をうかがっていたアメリカ上層部は、
それをいい口実にするために、この通告をパールハーバーには知らせなかった。
結果、知らされていなかったパールハーバーにとってはまさに奇襲」で、
多数の犠牲者が出たが、
少なくとも映画「パールハーバー」のように民間人や、病院などは攻撃を受けていない。
攻撃を受けたのは、全て軍施設関係に限られていた。
この事実の湾曲、そしてともにテロリストと戦うことを
半ば義務付けた「友好国」に対する何の配慮もない例え。
どうして、日本政府は、「日本政府」として抗議しないのか。
はっきりいって、私は情けなかった。
少なくとも、これからテロリストと戦うために、
金銭だけでなく人的援助をも強制させたい国に、
あの言い草はないだろう、と思った。

しかし、考えてみると「日本政府」として抗議できるわけもない理由もある。
それは、もし日本政府がアメリカに対して
事実の湾曲、そして訂正を求めたとしたら、
多分中国と韓国も日本に対して黙ってはいなかっただろう。
自分たちのことばかり考えているが、
こっちに対する補償はどうなってるんだ、と。
そしていまだに「南京大虐殺」は中国側のでっちあげだ、
ということに固執している人間が多い中、
それらに対する抗議も再燃するだろう。

結局、自己反省が出来ないために、
自己を侮辱されても黙っているしかない。
そんなふがいない状態が、今の日本ではないかと思う。


2001年12月03日(月) テロは止められない

はっきり言おう。
テロは絶対になくならない。
アメリカは「理不尽な」テロに、今後も巻き込まれつづけるだろう。
そして、イスラム諸国との対立を深めていくだろう。
それは、アメリカが望んでいることだ。
アメリカ国民は、自国の中東政策と、心中するしかない。
その政策があくまで「正しい」と言うのなら。

想像して欲しい。
どうしてイスラエルに「パレスチナ人」が存在するのかを。
「誰もいなかった土地」にイスラエルが出来た途端、
彼らはまるでハエのように、湧き出てきた、とでも言うのだろうか?
80年、80年間もイスラエルによる圧制が続いている。
そして、この80年間、パレスチナ人にとって
状況は好転してこなかった。
むしろ、ますます悪くなるばかりだ。
その悪化の原因を、アメリカとイスラエルは全て
「パレスチナ側」の責任と言う。
じゃあ、両者はパレスチナにどうして欲しいと思っているのか。
だまって支配されつづけろと?
それともだまって出て行けと言う事だろうか?

子供達は日々誰かが傷つき死んでいく現場にいる。
そして自分たちが大人になっても、
テレビで見るような「幸せ」はやってこないことを
この80年間嫌と言うほど叩き込まれている。
たった20円のバス代が払えなくて大学を断念する。
出産に向かう途中の検問所の封鎖で、生まれる前に命を落とした何人もの赤ん坊。
理由もなく突然ブルトーザーで破壊される家々。
イスラエル占領下のパレスチナ人の心は荒みきっている。
家庭内暴力も絶えないという。

ナチスドイツ下のレジスタンスと、パレスチナテロと、
一体何が違うと言うのだろう。
自由を、ごく普通に生活できるだけの自由を。
自分たちの国を。
イスラエルが願ったものと、パレスチナが願っているもの、
それは全く同一のものではないか。
自分たちが望むことは許され、そして正しく、
相手が望むことすら許さない。
だれが、そんな国を支持できるのだろうか。
少なくとも、私は絶対に支持できない。

イスラエルは間違っているのだ。
絶対に。
彼らに何の恨みもないが、その「自己憐憫」と
「選民意識」にははっきり言って反吐が出る。
あなた達は絶対に「虐げられた被害者」ではない。
アメリカの力をバックにパレスチナ人を迫害している「圧制者」である
そして、そのことに気が付かない限り、
イスラエルにも平和は来ない。
なぜならパレスチナ人を殲滅させることは不可能だから。
どこかを「支配」しつづけるということは、
常に攻撃されることからは逃れられない。

そしてアメリカがイスラエルばかりをかわいがるとすれば、
アメリカへの憎悪は、大きくなるばかりだろう。
そして、これからテロに巻き込まれ死んでいくのは
アメリカの一般市民であり、決して大統領ではないのだ。








2001年12月02日(日) 愚痴の続き

現在の日本語教師には明らかにある境界線があり,
その前後により、業界への欲求度が明らかに違うような気がする。
1つのグループは、ある程度の仕事をしているだんな様がいて,
自分も日本語教育ではないが高学歴、
そしてだんな様の仕事の関係で海外に行き,
そこで日本語を教える仕事を始めたような、
「やりがい」を日々の糧として生活していけるような人たち。
もう1つは、他の仕事をしていたが、
何か求めることがあり日本語教師を目指した比較的若い世代。
この世代には離婚組みも含まれるし,
独身組みも数多くいて、男性も、日本語を主専攻で勉強した人もいる。
後者はもちろんやりがいのある仕事だと思って日々生活しているが,
一般的な社会経験を経た人も多く,
はっきり言って業界の体質ややり方にかなり不満を持っている。
「仕方ない」とは思えない人たち。

日本語業界は、前者の生活に心配のないグループの
「お母さん的」な気持ちを利用するだけ利用して、
この業界を作ってきた。
利用されている方はその事に気がついて入るものの,
「自分たちがやってきた」という自負があるため、
雇用条件の設備を求める若い世代には
一言二言言いたくなるらしい。
「私たちは,持ち出しでやってきたのよ。」と。
そのことを否定する気は全然ないが,
時代も社会も変わってきたことに,
教師自身も気がつかなければならない時期に来ていると思う。
そんな生活していけないような状態なら,
どうして大学の「主専攻」などを作ったのだろうか?
より良い条件を求めるため,
この業界はますます高学歴志向になっていっている。
しかし、大学院まで行こうが,
雇う側の意識が変わらないのなら,
どうして条件が良くなるだろうか。
そしてこの業界を離れていく人たちが,
ある意味他の社会でもきちんとやっていける,
それなりの実力と社会性のある人たちだと言うこと。
もったいないと思う。
一部で言われているように
「日本語の先生は、他では生きていけない変わり者。」
ばかりでは困るのに。

この仕事が好きだと思う。
ずっと続けたいと思う。
でも、生活を考え、将来を考え,
いつもゆれている私がいる。
贅沢をしたいわけではないけれど,
まともに月数万の貯金さえ厳しいと言うのでは,
はなはだ老後が不安である。
なぜなら、私には安定した稼ぎのあるだんな様もいないし,
アパートを持っている親もいないのだから。




2001年12月01日(土) 心のシャッター

意外かもしれませんが、私はあまり爆発しません。
腹が立つことがあっても、その場は割と平静です。
もちろん腹の中は煮えたぎっているのですが、
逆切れすることはほとんどないです。
じゃあその怒りの方向はどうなるかと言うと,
「相手を見限り軽蔑する」という方向に向かいます。
これを私は「心のシャッターがおりる」
と言っています。
どんなに怒っても、相手の思う壺なだけ。
だからその場は冷静になりますが、
心のシャッターが下りたら最後,
どう動いたら自分に一番有利か、
徹底的に計算し,できるだけ相手を利用できる方法を考えます。
そして、切る時には思いっきり切り捨てる。
これから先,どう動いたら自分に有利になるか,
冷静によ〜く考えて,自分の欲するものをゲットしようと、
作戦を練っている、かなりずるい私です。


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