雑感
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2002年03月29日(金) 週末は復活祭と夏時間

帰国して数日経って、街がずいぶん静かになったことに気がついた。
朝、横断するときの道路には車が数えるほどしか見えない。子ども達も
少ない・・スーパーのレジもすいている。

復活祭の週は学校も休み、職場でもこの時期休暇を取る人が多い。
今年の復活祭の日曜日は夏時間が始まる。夜中の2時頃、時計を
1時間進める。皆がいっせいに早起きする。その分、夕方は明るい
うちに帰宅したり、オープンカフェやワイン居酒屋でお日様のもと
のんびりしていられる。

復活祭翌日の月曜日には、各地でマラソン大会がある。カソリックの
祝祭日には、スポーツの催しものを行わないとばかり思っていたが、
復活祭だけは別なのかしら・・・復活祭ゆかりの卵やうさぎ、にわとり
のシンボルはいのちの息ぶきを表わすそうだ。走ることも躍動感を
具現するので、奨励されているのかな。

夏時間になると、ジョギングの回数が増える。平日でも暖かく、明るい
うちから走れる。5時に仕事を終えて、プラターまで走っていけば
気分よい走りを楽しむことができる。
今年はいよいよフルマラソンにエントリーするので、じっくりと走りこ
みたい。


2002年03月27日(水) 遊んでくれてありがとう

4歳になる甥っ子が発する言葉は、時々すっと心に溶けこむことがある。
おじいちゃんとひとしきり遊んで帰り際に言ったこの言葉が父にも私にも
愛情の毛布をかけてもらったようで嬉しかった。

博多から岡山、名古屋、東京と旅をした。私のためにわざわざ時間を
作ってくれた友達には感謝の心でいっぱい。「遊んでくれてありがとう」
「おみやげありがとう」「会社を休んで時間を作ってくれてありがとう」
「一緒に走ってくれてありがとう」「電話してくれてありがとう」と私の
心にはありがとうがいっぱい詰まっている。

ドイツ語のMitmenschenという言葉は、、共生する人間、仲間、広義の
友達という意味にあたる。環境としてのUmgebungのumは「周りの」という
意味。この二つの単語が並ぶと世界はとてもやさしさにあふれている
ように感じる。
昨年からいろんなことがあって、孤独感をひしひしと感じていた身には
友達の存在がありがたい。
この歳で友達ができるとは想像もしていなかった。時空間が離れていて
も、一人で走っていても、どこかで誰かと繋がっていると感じられる
心境になった。

週末は復活祭。走ることで、失っていた元気を復活してみたいと
思っている。


2002年03月26日(火) 機内にて

久しぶりに向かうロンドン線の機内は満席だった。エコノミー席は
日本人の小柄な体格をもってしても窮屈な感じがする。
周りのイギリス人とおぼしき人達は鋳型にぴったりはめこまれたように
座っている。

搭乗待合室で高校生のグループが目についた。100人近くの制服の
大集団が機内に向かっていくのを眺めて、今日はうるさくて眠れないかも
と思ったが、実際そんなことはなく彼らはご近所さんを集めた団体旅行の
大人たちよりもずっと立派だった。大声で歩き回るでもなく、紙に伝言を
書いて回しあっている。

通路側の私の席の隣に制服の女の子が座った。彼女の友達は一つ前の
席を占めている。彼女がおずおずと
「すいませんが、座席を交換してもらえませんか。」と私にたずねた。
「ごめんなさい。この席は予約時に指定して取ってもらったのです。
 勘弁してくださいね。」と応えた。通路側の座席は空間的にも精神的
にも楽なので長旅には必要だった。

気分的なしこりが残ったかなと残念に思ったが、彼女の荷物を棚に上げた
り、貰い損ねたお茶を取りに行ってあげたりして、彼女はくったくなく
笑うようになった。

彼女がお菓子をくれたのをきっかけに少し話してみた。聞くと高一で
ロンドンへは語学研修に行くのだという。
まじかに感じる16歳の女の子の、きらっとする瞳や話し方、頬の色は
とてもまぶしい。
16歳から見た未来ってどんな風だったかしらと思い出そうとする。

まもなく着陸というアナウンスが入ったとき、彼女が一緒に写真を取って
くださいと提案した。私は喜んでファインダーの中に入った。
学校を卒業して、親の勧めるようなまっとうな結婚をしていれば、
これくらい年齢の子どもがいたのかもとファインダーの中の私の表情は
語っているかもしれない。


2002年03月22日(金) 定位置へ

今回の旅でたくさんのひとたちに会った。会いたくても会えなかった
人、都合のつかない人などもいたけれど、出不精の私にしては
ずいぶん思い切った旅だった。

15、6年欧州暮らしが続き、里帰りしても自分の居場所が
あるのかないのかよくわからないお客様状態だったが、今回は
自分がここに含まれていると感じられて心地よい気分だった。

さあ、お祭りは終わり。自分の定位置へ戻る時間がやってきた。
今年の定位置はちょっと厳しいので、戻るのは気が進まないけれど
そこしか本来、自分の居場所は存在しないのだからしかたがない。

帰ったら、プラターを走ってみよう。週末はLSDで走りこんでみよう。
シクラメンはまだ育っているかしら・・・
桜を見ることができたのはほんとうにラッキー。気の早い開花に
感謝。


2002年03月21日(木) トンネルをくぐると

最近、暇なのでよく走っている。
体調がよくなってからは、できるだけたくさん走ろうと心がけている。
いつまで続くかわからないけれど・・

月遅れのランナーズにウルトラマラソンの特集があった。100キロなんて
人間の走る距離ではないし、身体にも悪いのに、完走するととてつもなく
いい心地になるようだ。

フルマラソンはまだ走ったことがないが、前半体調がよくても後半に
ばてて足が痛くなりつらくなる地点があるそうだ。私の場合はハーフでも17,8キロはかなりがくんと落ち込む。あと3,4キロなのにゴールが
とても遠く感じて、走るのやめよかなと思う一瞬がある。でもゴールは
動かずに待っていると思い直して体勢を立て直すとまた足が動く。

走ることを通してずいぶん我慢ができるようになったのはよかったと思う。
たいてい我慢できずに楽な方に流れる気持ちを、あのしんどい地点を
乗り切ったから、まだやれると思い直すことで日常のいやなことを勢いで
乗り切れてしまうから不思議。

トンネルをくぐると必ずゴールが見えると信じられるようになったのはごく
最近だと思う。
いい結果が待っているとは限らないけれど、とりあえず前に進んでいると
いう感触が心地よい。


2002年03月17日(日) 勝手にハードルを設定しない

先週、ハーフマラソンを走った。2月の状態から考えたら完走できたのが
不思議なくらい。座っていてもふらっとするくらい身体に力が入らなかった
のに、集中的に治療したのがよかったのだと思う。

当日も、走れそうな気が全然しなかったけれど、とりあえず行けるところまで
行こうと決めてからは不思議と気分が楽になった。一緒に走ってくれる人が
細やかに対処してくださって、しんどいときにいろいろ話し掛けて気を紛らわせて
くれたことも完走の一因だと思う。
一人で走っていればきっと、ずるずる後退するのに、最小限で食い止められた。

何でもやる前から、これはできないと決めつけると免罪符を得たような気分
になるけれど、実行してみると意外とできるもんだなあと今回走って思った。

16,7キロ地点はかなりつらい。でもゴールが動くわけではなく、走って
いけば待っているのも確かだなと、当たり前のことに不思議と感動してしまう。

20キロを過ぎた時、このレースはもうすぐ終わるなあと少し残念に思った。
いつもはそんな風に感じないのに・・・
一緒に走るのを楽しみにしてくれるひとたちがいたからだろう。
ゴールのときとても幸せだった。


2002年03月07日(木) 三方一両得

休憩中に電話が鳴り、応答するとボスからで、大事な書類を忘れたので
大急ぎで空港に届けてほしいと頼まれた。

あと25分しかない。昼間の交通量を考えるとぎりぎりかなと
思ったが、急いでタクシーに乗り込んだ。ウィーンの運転手はあまり
親切ではない。でも思いきって、「空港へ行ってください。すごく
急いでいます。」と言うと、運転手はオッケーと言って、抜け道を
回り、猛スピードで空港まで連れていってくれた。その間15分足らず。
無事に書類を渡すことができた。運転はめちゃ荒っぽかった。

特別に急いでくれて間に合ったので、少し待ってくださいと言って
帰りもその運転手のタクシーに乗った。運転手はとても喜んだ。
大きなかせぎになったのだから。
書類も間に合い、運転手も喜び、私も楽して戻ったので(普通は
電車で戻るべき距離)、三方一両得(こんな言葉あるのだろか)で
シャンシャン・・

口があるのだから遠慮しないでちゃんと言えばよいということを
学習した。
それにしてもあの運転怖かった!


2002年03月06日(水) 外人は楽じゃない

昨日、来年より実施される懸案の外国人同化政策の内容が明らかに
なった。

ちらっと読んだところでは、1998年以降移住してきたEU
加盟国以外の外国人は、100時間のドイツ語コースを受けて
試験に合格したら滞在許可がおりるらしい。
授業料は半分は国が負担するが、あとの半分は自己負担(400
ユーロ程度)あるいは雇用側の負担となる。
試験は2度、3度と受けられるが、落ちたら滞在許可はもらえない。
季節労働者や越境労働者にも該当する。

年内中に法制化されるけれど、外国人排斥が衣の下からよく見える
政策だと思う。70過ぎて呼び寄せられたおじいちゃんやおばあ
ちゃんもいるだろうし、日本人もアメリカ人も該当する。こんな
法案ができれば、きっと、対墺投資も減るだろう。

政府や一般のオーストリア人からすれば、至極当然の処置、
ドイツ語を学ぶのは生きるための最低限のテクニックだと言う。
でも自分から習おうとするのと強制されるのとは雲泥の差がある
と思う。試験が苦手な人だっているし・・

Integration policy(同化政策)を進めるのは外国人のためにも
なるという論旨だけれど、ドイツ語が彼らと同じように話せても
就職機会や社会的立場が平等になるというわけではない。
外国人は、この国においては、縁の下の力持ち的役割を担うだけ
で、民族差別はずっと残るだろう。

この法案、どうなるかずっと注目していきたい。


2002年03月04日(月) 古新聞の楽しみ

日本経済新聞を定期的に読んでいる。

2週間くらい遅れたニュースは役に立たないでしょうと言われる
が、本人はそうでもないと思っている。リアルタイムのニュースは
インターネットで見れば済むけれど、時間がたつとすぐに更新されて
ゆっくり咀嚼できない。その点、紙面は机一杯に広げられるので、
脳の面積が広がったような気分になる。

古新聞を読む楽しみは広告、主に新刊案内や週刊誌のタイトルを読む
ことにつきると思っている。どんな商品が売れているのかな、話題の新刊
についての情報が紙面を広げるだけで飛び込んでくるのがいい。
ネットなら、いちいちページビューしないと読めないので面倒。

たいして重要でなさそうな記事の中に、日本の生活の匂いがして、
実際の経済状況を教えてくれる。

目下の楽しみは、日曜歌壇のページ。俳句や短歌の余白がたっぷり
あるのがいい。読んでいくと、普段気づかない季節の移ろいや人の
こころのひだが、そこはかとなく伝わってきてほっとする。



2002年03月02日(土) ウィーンの映画館

シュワルツネッガーの「Collateral damage」を見てきました。
シュワちゃんはアメリカへ移住する前はオーストリア国籍だったので
ここではスーパースターなのです。

人口160万程度の都市に映画館だけはたくさんあり、続々と
シネプレックスという名前の映画館とショッピングモールを組み合わせた
建物があちこちにオープンしています。

土曜の夕方というのに観客は10人程度。映画館だけは月曜日(半額の日)
をはずすと、だいたいこれくらいの入りで、館内の空気も澄んでいるよう
でほっとします。

座席のソファはふかふかで、座席間の間隔も十分あいているので気分が
よいです。値段は今年になって値上がりしたのか真中より後ろの席が
8ユーロ(1000円くらい)です。放映時間の長さに比例して上がり
ます。全席座席指定で電話予約や携帯電話から予約できるので楽になり
ました。(指輪物語のときは3時間ほどかかったので10ユーロでした)

映画作品は、スーパー字幕ではなく完全なドイツ語への吹き替えに
なりますが、オリジナルバージョンだけを上映するところも何ヶ所か
あります。
ゲームセンターやディスコが少ないので映画は若い人には特に楽しみ
のひとつになっています。映画館はオペラ座や楽友協会のクラッシク
コンサート以外に誇れるウィーンの隠れた文化施設でもあります。

↑の映画、私はいい作品だと思います。
http://www.kid.ne.jp/hobby/movie/movie_info/i_collateral.html


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