雑感
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2001年10月31日(水) お月さまの感じ方

昨夜は十六夜だったのだろうか。
私の目には満月に映ったけれど、パートナーはちょっと欠けてると
うるさい。

シェール主演の「月の輝く夜に」はお月様をめぐる、ニューヨーク
に住むイタリア系移民のラブストーリーが描かれている。満月を
見たとたんに、見知らぬ男女が恋に陥り、倦怠期の夫婦に愛情が
戻ったりする。月は愛のキューピットの役割を果たしていた。
映画に映る満月は赤々と堂々として、引きこまれそうな勢いが
あった。

一方、小林秀雄の「お月見」という文章には、たまたま満月に
酒宴があり、月を仰いで一同しんみりしたというくだりがある。
月を見て風流を感じるのは日本人に独特のものではないかと書かれて
あった。言葉に明らかにするのはむずかしいけれど、西欧的な月の
感じ方より、さらに深い「もののあはれ」を感じる固有の文化が
あるようだ。

万葉集の相聞歌を読んでいて、月と恋人を結びつけた歌がいくつか
あった。

 山の端(は)を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる後恋ひむかも

 雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも

いにしえの人々は月に特別の思い入れがあるようだ。満月以外に
も、居待ち月、立ち待ちの月、更け待ちの月などといろんな名称がある。
西欧言語では満月と三日月くらいしか思い浮かばない・・
まんまるお月様を仰ぐよりは、雲間にさっと現れ、隠れる月にあはれ
を感じているのだろう。

私は月を見ると生きていてよかったと思う。特に満月を見ると
特殊な元気なエネルギーをもらってるようで、ずっとずっと見とれ
てしまう。しみじみと・・しんみりとなどとは感じない。
西欧的な感じ方をしていると思う。

月を愛でることに関しては日本人の方に少し軍配が上がるかな。


2001年10月30日(火) スーパーにて

昼間にスーパーで食料品を買った。
今日はコーヒーが安かった。500グラムで邦貨にして300円ほど。
野菜や肉はすべてキロ表示で売られている。
オーストリアがEUに加盟してからは、関税が撤廃されたので域内の
食品や生活品は安くなった。ただ、域外からのバナナやコメはかなりの
関税がかかっているので、以前より高い。

日本では不況に加えデフレが進行して、いわゆる価格破壊が起こって
いるときく。外食関連や衣類では激安な商品が登場しているけれど、
基本的な食品に関してはまだまだ高いなあと思う。
イタリアやスペイン産のコメならばキロ100円くらいだし、小麦粉や
パスタにいたってはキロ50円〜100円ぐらいで購入している。

オーストリアの食品値段は付加価値税10%含んでいる。コメの関税は
100%、それでもぜいたくをせずに自分で調理している限りは
生活における食品の割合は低い。それでも周辺国からはオーストリアの
物価はスイスや北欧ほどではないけれど、高いと言われる。

物価比較というのを四半期ごとにやるけれど、比べる価値があるのか
どうかよくわからない。日本では電化製品やサービスがびっくりするほど
安いけれど、欧州はそうではない。特にサービスに対する値段(人件費)
は驚くほど高い。
ただ、EU域内は、最先端の生活を望まなければ住みやすい土地で
あると思う。


2001年10月28日(日) 蔵書との別れ

蔵書といってもそんなにないけれど、ここ10年くらいで気安く本が
買える環境でもないのに、300冊くらい文庫本と100冊くらい
ハードカバーが増えてしまった。これに積んどくだけのペーパーバック
を入れると数える気が萎えてしまう。

日本人学校のバザー用に寄付しようともう読まないつもりの本を
箱に詰めたら、150冊くらいになった。でも文庫本だけでもまだ
捨てかねているものが、絶対に手元に置きたいものが、200冊は
残っている。
本やCDはほっておくといつのまにか増殖していく生物のようだ。

読まないと決めた本は未練もないからいいけれど、何回か読んでどうし
ようかなあと決められない本が100冊くらいある。時間がたてば、
たぶん処分するだろうと思うが・・

困るのは、絶対に捨てたくない本が少しづつ溜まっていくことである。
東海林さだおの「丸かじりシリーズ」、吉川栄治の「織田信長」
向田邦子作品、硬派の犬養道子、塩野七生、村上春樹、宮部みゆき、
高村薫・・漫画のくらもちふさこや大和和紀・・何回読み返しても
新鮮な感動があるので、ずっと置いておくしかない。

ここ、1,2年インターネットで遊ぶ時間が増えたので、とうてい
持っている本を全部読みとおすことはできないけれど、捨てられない。
自分のもち時間から必要経費である生活時間を差し引いたら、残りの
時間で読める本の量などたかがしれている。私よりも本を持っている
ひとはもっともっとたくさんいるはずだけど、どういう風に折り合い
をつけているのだろう。
そんなこと、考えたくないかもしれないけど。

無人島に行くときに10冊だけ本を選ぶとしたら・・とよく小説や
雑誌で話題になるけれど、10冊を選ぶなんて不可能だろう。
「クラッシク音楽鑑賞辞典」の編者が名曲100曲を選ぶさい、もの
すごく苦労したらしい。始め500曲、300、200、150と
絞り込んでいって選んだそうだ。150から100を選んだときに
外した曲は泣く思いだったのだろう。

でも10冊選ぶなら、まだ救いがある。2,3冊間違いだと思っても
残りの本がある。人生の伴侶は一人しか選べないからむずかしい。


2001年10月27日(土) 幸せのかたち(ギリシャの島で感じたこと)

本棚を整理していたら、ジェラルド・ダレル著(池澤夏樹訳)の
「虫とけものと家族たち」が出てきた。虫や動物が大好きなジェリー
少年がギリシャのコルフ島で家族と暮らした日々のことが書かれている。
4人の個性あふれる子ども達とこころ優しい母親が繰り広げる物語は
疲れたこころと身体を労わってくれる。

この本を読んで数年後、ひとりでザッキントス島へ旅にでかけた。
ジェリー少年が書いてあるように、ギリシャの島は乾いた土と紺碧の
海、白い家のコントラストが鮮やかでホテルから海岸へおりていく
さいの景色に見とれたものだ。散歩がてらに港町まで歩いていった。
道すがら、何百何千というオリーブの木を過ぎていった。地元のじいちゃん
たちは、ひねもす外に腰掛けてぼーっとしている。日が高く暑くなると
誰も働かない。
ホテルの客も一日太陽のもと寝そべってぼけっとしている。日常の
仕事や煩わしい人間関係が解き放たれ何もしないで太陽と海を見るこ
とでずいぶん心がふわっとしたことを覚えている。

人は何かが欠けていると不幸せを感ずることが多いのだろう。でも
もっていることの当たり前感から解放されると、幸せ感というのは
日常生活のあちこちにころがっていることに気づくのではないだろうか。

冬が近づくと、一日のうちで少しでも太陽が顔を出すと、すごく嬉しく
思う。今夜寝る場所があり、暖かい食事が取れるというのは、すごく
幸せなことだろう。比べてはいけないけれど、アフガンの難民をみて
いたら当たり前の日常を享受していることがたまらなく嬉しくなる。

家庭内でいざこざがあっても、家族の一人一人が生きている証、存在して
いるだけでも、ありがたいと思うことができたら、ずいぶん心が軽く
なるのではないかしら。

幸せというのは探しにいくものではなくて、そこに当たり前にころがって
いるものを再発見していくことのように思う昨今である。


2001年10月26日(金) 外国人にとって暮らしやすい町(1)

ウィーンに長年住んでいるが、住みやすいですかと質問されることが
よくある。外国人として住みやすい点と住みにくい点が、やじろべえの
ように振れるけれど、どちらかというと住みやすいのだろう。

住まいの観点から見れば、仕事をもった外国人女性がひとりでも、
住みやすい土地といえる。

日本では、外国人女性一人、よしんばまっとうな仕事を持っていたと
しても、アパート一つ借りるのに苦労していると聞く。母の友人の
若い韓国人女性は日本人の保証人がいないとアパートを借りれなかった
そうだ。先日、仲介した日本人に保証金をだまし取られたと嘆いていた。
日本人の独身女性でも、保証人なしにはアパートを借りられないらしい。
老親の保証人を立てろと言われたと聞いたことがある。

ウィーンでは日本人だからといって入居を嫌がられることはないし、
オーストリア人の保証人を立てろとも言われない。3ヶ月分の敷金を
払えば、契約にのっとって部屋を貸してくれる。

銀行ローンを組むのに、外国人だから、女性だからと差別される
ことはない。銀行がチェックするのは、純粋に返済能力があるかどうか
だけ。

匿名口座はブラックマネーの温床と批判され廃止の憂き目を見たが、
一般の外国人には安全な預金方法だったと思う。
国家の都合で特定外国人の資金を凍結されることがあっても
匿名口座なら安心して預金できた。いまだと、テロ組織と交流があると
疑われるだけで資金凍結されている。身に覚えのない関係者はさぞ
困っていると思う。


2001年10月25日(木) そこそこまで上達するには

絵画教室で先生が新しい生徒に熱っぽく語っていたことばが聞こえた。
「絵が上達するには、才能云々よりもまず自分にモチベーションがどれ
くらいあるかで決まります。長いこと教えてきましたが、初めからどんなに
上手い人でも、レッスンを怠って大成したのを見たことがありません。
初めは下手でも毎週描いているうちに少しづつ上達します。」

教室からの帰り、車のラジオから、どこかの教授の言葉が流れてきた。
「人文科学の分野でも、10年、最低1000時間専門に関わっていな
ければ、専門を語る資格はありません。」

この二人の言葉を前後して聞けたのは、よかった。物事の上達には
才能云々よりもまず、時間の投資をせよ、モチベーションを高く
持ちつづけることが大切だと。
才能ある人でも時間の投資を怠れば何も到達できないということ。

自分には才能がないというのを認識した上で、物事に取り組んでいけば、
たいていのことは、そこそこ上達するというのを聞いて嬉しく思った。


2001年10月24日(水) 出会いの必然とCaritasからの振込用紙

山元加津子さんのHPで読んだ文章に涙がこぼれそうになった。
雄太さんは言う。「偶然に起きたり出会えたりしたように思えること
でも、それはけっして偶然ではないと僕は思うよ。起きるべくして起
き、出会えるべくして出会えたのだと思うんだ」
何度も耳を通り過ぎたことばだけど、ああそうだなあと、はっと気がつ
く瞬間というのは、そんなに頻繁に起こらない。過去や未来の人との
出会いというのは偶然じゃないということを心に書き記しておこうと
思う。

今日、購読雑誌にアフガニスタンの難民の現状が、ポランティアや医師の
目を通して語られていた。あの貧しい国では、2ユーロ出せばパキスタン
あたりの市場で毛布が買える。4,5ユーロで薬が買えるということ
だった。冬が来るとマイナス35度くらいにまで冷え込んで凍死者があと
を絶たないという。

同じ日にCaritasオーストリア(カソリックの救助組織)からアフガン
難民のための募金の振り込み用紙が送られてきた。一人一人の力は
アメリカのミサイルの前には非力だけど、もし自分が2ユーロ出して
毛布が一枚買えるなら、誰か知らない難民が一人寒い思いをしなくて
もよい。全体を何とかはできないけれど、自分なら20人くらいの
難民を凍えさせずにすむのではないかと思った。

数日前、施しについてあれこれ難癖をつけていた自分が恥ずかしい。



2001年10月23日(火) 高橋源一郎の住まい

10月14日付の日経に高橋源一郎の「家」についてのエッセイを
読んだ。
物心ついたときから引越しを余儀なくされた生活環境だったと述べて
いる。高橋の大学以降の引越し先がおもしろい。鎌倉の奥深くにある
現住所の静かな閑居に落ち着くまでに16回も移動している。
引越し先のリストに以下の名前がたたみかけるようにずらりと並ぶ:
大井警察署(留置所)、杉並警察署(留置所)、練馬の少年鑑別所、
杉並警察署(留置所)、東京拘置所・・・若い時はずいぶん辛酸を
なめた人なんだ。

高橋は言う。「笑われるかもしれないが、私の望みは一つの家にずっと
住むことだった。夜になって、あるいは朝になって、突然両親から家を
出なければならないと告げられることのない家に住みたい。そう思って
いた。」

私もパートナーと知り合ってから、8回も引越しをした。私の願いも
静かな心地よい住まいにずっとずっと長く住むことである。
今いるところは、天井の高い昔風のアパート。散歩先にもジョギング先
にも事欠かないし、職場にも、買い物にも、オペラ座にも近い。

そろそろ荷造りの時期が近づいているらしい。このエッセイを読んで
私もたった一つの家に住もうと思えば住めた人生があったのかもしれ
ないと気が弱くなった。


2001年10月22日(月) 消費する文章

政治経済ものを追っかける職場にいるせいか、調査報告書、クリッピング、
翻訳などは、いわゆるナマモノになる。そういう職場に長くいると、文章を
保存するということには関心がいかず、常に新しいもの、文章を求める
くせがついた。メールなども1,2ヶ月は残しておくが、過去のものは
何も残っていない。さっぱりしすぎかもしれぬ。

昨年から日記や短歌などウェブで書いているけれど、
保存するという気がおきず、HPが何かの事故でなくなってしまえば
すべての文章は消える運命にある。短歌とて同じことで、その時々の
思いを31文字に表現したに過ぎず、心の中の思いというものは
絶えず流れているので、自分にとっては消費すべきものだと認識してきた。

最近、自分がその時々の書きしたためたものを振り帰ることが
増えてきたようだ。古い文章を読み返すのは、自分の過去のなつかしい
時間に戻れることに気がついた。昔の部屋に戻ってなつかしい机の
前に座って本を読んでいるような気持ちになる。
自分の昔の部屋まで壊すことはなかろうと思い、ウェブで書いたものは
HPの容量が許す限り、突発事故でなくならぬ限りほっておこうと決めた。


2001年10月21日(日) ビデオでエレン・ブロコビッチを見る

ジュリア・ロバーツ主演の「エレン・ブロコビッチ」を見た。
3人の子どものいる失業者のエレンが何とかもぐりこんだ法律
事務所で、たまたま地域住民の深刻な健康状態を調べていくうちに、
大規模な公害問題と発展していく立身出世物語である。

久しぶりに手応えのある作品を見たなと思う。法律知識のない
エレンが自力でむずかしい訴訟の準備のため、被害者の中に飛び込んで
大きな訴訟へとまとめあげていく手腕はすばらしい。机上の知識を
嫌い、弁護士という職業から程遠いエレンのスタイルが市井の人々の
共感を得ていく過程や、仕事と子育て、パートナーとの関係でも
悩むところは見ていてうんうんと頷いた。

ジュリア・ロバーツは「プリティ・ウーマン」や「ノッティングヒル」
が気に入っているがまたひとつ好きな作品が増えた。


2001年10月20日(土) 施しをすることについて

路上にはお金を乞う人が多い。そういうとき、どうしたら
いいものかいつも迷いながら、財布を出すのがおっくなのを
理由に避けていた。(でも、赤ちゃんを抱いた、ジプシーの女性に
あげようという気はしない。)パートナーはやるなっていうし、
友人にもやっていけないと言われた。一本気の彼は、若いんだから
働いて金をかせげという。(彼は無一文のときも、誰にも助けを求め
なかったからだと語ってくれたことがある。)

お金を乞うのは、貧しいひとだけでなく、若者も子どもも多い。
たばこ代が50円、100円足らないと、見知らぬ人に頂戴って
気軽にいう。心やさしい人が多いのか、そういうときは融通しあって
るのをよく見かける。
高校生の男の子が我家に逗留していたときも、「僕もやるよ、
電話代頂戴って!」と聞いた。

ウィーンではホームレスでお金が全然なくても飢え死にすることは
ない。カトリックの組織「カリタス」が毎晩、巡回して食事をふる
まって、夜だけ暖かい宿舎を提供している。

こんなことを考えながら昼寝をして、夢をみた。
側溝で着替えをしているときに、若い日本人のお姉ちゃんが
「金よこせ!」と脅かした。怖くなかったので、「いくら欲しいの?」
て聞いたら、お姉ちゃんが私の財布を取り上げるのだが、そこには
円は全然なくて、シリングだった!お姉ちゃん「もう、いいわ」と
去る・・・オチまでついた内容だった。

施しについてのスタンスが決まっていないから、こんな夢をみたのかな。
でも、道行くひとに全部施しを与えていたら、私が無一文になってしま
う・・ちょこっと融通するだけなのに、むずかしいことである。


2001年10月19日(金) 家具屋はただのショールーム

家具を発注してから、実際に搬入されるまでは最低8週間かかる。
5年前にソファベットを注文してから実際に搬入されたのは5ヶ月後
になった。
ウィーン郊外には大型の家具店がたくさんあるが、そのどれもが
ただのショールームの役目しか果たしていない。まれに、椅子や
小さな整理ダンスなどが即日お持ち帰り可能ということもあるが
数は少ない。
家具はどうやら、まだまだ一生もののようで、伴侶を選ぶより
慎重に吟味を重ねて選ぶひとが多いので、必然、注文生産にならざる
を得ないのだろう。
スウェーデン資本のIKEAは自分で組みたてるのが基本だから
家具を買ったというよりは木材を購入したという感覚に近い。
通常の家具屋で、ショールームを見て、カタログを見て、実際に
測ってソファや、応接セットなどを決めるのは一日仕事になる。
ソファの素材も一冊の分厚いカタログから色や、素材を選ぶのは
一苦労する。
ウィーンのアパートの天井は高いので、家具も大型になる。
引っ越すときは、全部ネジをはずし、板にしないと運ぶのがむず
かしい。そろそろ引っ越す時期が近づいているけれど、今ある
家具は全部置いていきたい心境になった。


2001年10月18日(木) シュリンクする世界

昨日デリー行きのオーストリア航空機に飛行中、座席に白い
粉が見つかり緊急にウィーンに舞い戻った。乗客乗員ともにしばし
隔離され、至急粉の分析が行われている。ただのいたずらだと思うが。

ウィーンに住む多数の頭にターバンを巻き、口ひげをはやしたシーク
人が外で暴言を浴びたり、暴行を受けそうになったとおびえている。
この人たちはまったく関係がない。
どこの国にも心ない人間はいるものだ。一部のイスラム原理主義の
テロリストを捕まえるための戦争の余波が無関係な人たちにまで
危険が及ぼうとしている。

飛行機の搭乗率は相変わらず低く、アメリカや日本からの旅行の
キャンセルが相次いでいる欧州。パリの高級ホテルは稼働率が
50%くらいにまで下がったそうだ。
反対に、イタリア領の南チロルあたりは、車で移動できる旅行先
として脚光を浴びているという。当地の旅行関係者は嬉しさを
あらわにせず、喜んでいるらしい。

欧州内でも日系企業は飛行機による出張を自粛している。外務省が
渡航延期勧告、注意喚起を出した国は32ヶ国に及ぶ。但し、戦争の
牽引車であるアメリカと英国は含まれていない。

炭そ菌が世界に広まっていく中で、人々の心の中にも異民族や異宗教
に対する不信感が増幅されていくようだ。
数日前、取り上げた原田大助君の詩には、「戦争にいくと
 かあちゃんとわかれないかん 好きな人と離れないかん。
 自分のためとちがうのに変な話や/戦争は地震じゃないから止められ
 るはずやろ」というフレーズがある。

戦争をやめてほしいと思う人の声が小さいのだろうかと問いかけて
みるかたわらで、CNNは毎日戦果を報告している。雑音ばかりだ。


2001年10月17日(水) 季節の挨拶状から考える

事務所で年末の(主としてクリスマス用)のカードをまとめて
注文した。世界中に支店があり、中東との取引もあるので、挨拶状の
文面はメリークリスマスではなくて、seasoning's greeting(季節
のご挨拶)としている。
オーストリアはカトリックが国教なので、売られているカードは
メリークリスマス(Frohe Weihnachten!)が主流だけど、昨今は
グローバルになり、季節のご挨拶の文面も多く見かけるようになった。

仏教やイスラム教、ユダヤ教の人にクリスマスカードを送るのは
よく考えると失礼だと思う。私は無宗教なので、どんなカードを
もらおうが送り手の心遣いに素直に感謝することにしているが、
信仰を生活の中心に据えている人もいるだろう。

イスラム世界では、偶像崇拝は禁止されているので、記念にうっかり
日本人形を贈るのは害こそあって益はない。欧州にきて、いろんな国
の人を知るようになってから、家に人を、特に中東の人を招待するとき
は肉類の料理と(豚肉はだめ)、アルコールを調味料に使うときは慎重
にと習った。
鶏肉とベジタリアンの料理は用意すべし。オーストリア人は魚を
食べない人もいる・・などと少しづつ知識が増えた。ビュッフェ形式
にすると好きなものが食べられるし、大人数でも大丈夫。
招待先で出された料理がまずくて食べられないときは「この料理は
私の信仰が許さないので食べられません」と言えばよいと教えて
もらった。

異なる民族、宗教間には、今までの恨みつらみがてんこ盛りになっ
てると思うけれど、平和に暮らすためには、相手を認め合って共存する
ほかはないのだから、昨今のアラブ系の人たちへの心無い暴言や行為が
どんな結末を引き起こすか考えると恐ろしくなる。


2001年10月16日(火) 独身カルチャーとカップルカルチャー

週末、一人でザルツブルグまで小旅行に出かけた。ホテルはシングルを
予約したが通された部屋はツインだった。ヨーロッパではさして珍しい
ことではなく、観光地ではシングルベットの部屋を見つける方がむずか
しい。
夜もホテルが自慢する階下のレストランで食事を取ったが、料理と料理
を待つ間に、ここは確かにカップルが一つの単位として成り立っている
国だなあと思った。一人でまともなレストランで食事をするのは目立つ。
会話が料理に花を添えるのが当然と思われている国では、一人のときは、
ファーストフードかカフェで食事をする人が多い。

今の長野県知事が作家の頃書いていたが、日本はバッチェラー(独身)
文化の国、欧州(米も?)はカップルカルチャーの国というのをひし
ひしと感じる。ひとり生活を応援する24時間ビジネス(コンビニや
外食産業)は日本では当たり前だけど、欧州では大都会の駅や空港で
ないとお目にかからない。

社交というのを取り上げても、欧州は人を招待するのに必ず夫婦か
恋人同伴が前提で、ビジネスがらみの招待状にも同伴者の有無が
必ず訊ねられる。(夜のお呼ばれは子供は問題外)
仕事柄、年に何回かは招待状が来るけれど、同伴者がいない場合が
多いので、断ることがほとんどである。
日本だと、ビジネスでも友人同士でも、一人で出席してもさしつかえ
ないような、いや、それが当たり前のような気がするけどどうなのか
しら。一人で行動することが多いので、カップル文化の国にすんでいる
と肩身の狭い思いをすることがある。


2001年10月15日(月) 声援の嬉しさ・何故走るのか

日曜日はザルツブルグのハーフマラソンに参加してきた。
最近体調がいいので、完走できると信じているけれど、どれくらい
のタイムで走れるかはさっぱりわからなかった。
2周目に入ったあとは、足にダメージがきて、だんだんと速度が
落ちる。要所要所で知らぬひとたち、子ども達が声援を送って
くれた。シュネラー!シュネラー!(速く!)という声の中に
「ブラボー!」「スーパー!」(すごいよ!)も混じっている。走って
いてくじけそうになるときが何度かあるが、こういう声援を聞くと、
また足がよみがえってくるから不思議だ。昨日の大会は応援してくれる
人がそこかしこにいて、嬉しかった。ゴール手前のモーツァルト広場
では、大声援をいただいて、背中を押してもらったようだった。

つらいときは、何故走ってるんだろうと考えてしまう。もう二度と
走らないと決心してゴールするのだけど、ゴールしたとたん、また
この次も走りたいと思ってしまう。たった今、しんどい思いをした
というのに、不思議な気持ち。

さらに大会というのは、自分ひとりで走るのではなくて、走ることで
他の人達と繋がっているという思いを強くする。誰だか知らない人と
時間という概念をぎりぎりまで短くしたところの、濃い時間を共有し
ているように感じるのかもしれない。一人でジョギングしているとき
とは全く違う感じがある。

自分がどこまでやれるかを挑戦すること、他人との時間を共有できる
ことが、重なってどんなに遅くなってもゴールをめざしている理由
なのかなと思った。


2001年10月14日(日) 国鉄なかなかやるね

ザルツブルクからのウィーンへ鉄道に乗った。国鉄はもう何年も
乗っていないので、久しぶりの列車の旅は楽しかった。
国鉄の駅はとても静かだ。列車が駅に入ってくるときも、出ていく
ときも何もアナウンスがなく、お客が乗ったら、何も言わずにそっと
出発する。車内でのアナウンスも、主要駅に到着するさいの乗り換えの
案内だけでドアにご注意、ドアが閉まりますなどのアナウンスもない。

日頃ウィーン地下鉄や路面電車で停まるたびにアナウンスがあるのに
辟易していたので、鉄道の寡黙さが心地よい。それでいて、お客の側
で困ることがないよう時刻表も列車の電光掲示板もちゃんと人目に
つくところにある。

ウィーンへの帰途、車椅子の少年が列車に乗っているのを見かけた。
目の不自由な男性も乗っていた。降りるとき大変だろうなと思って
あたりを見まわすと付き添いのひともいない一人旅のよう。
列車は乗降口が高いので、車椅子はリフトがないと下ろせない。
ウィーン駅に到着したとき、係員が車椅子を下ろす用意をしていた。
目の不自由な男性も、駅員がアシストして改札まで連れていった。
身体にハンディのある人は、付き添いがないと旅行できないと思って
いたけれど、国鉄に関してはちゃんと一人で旅行できるよう体制が
整っているのを目の当たりにみた。以前、車椅子で旅行する人のために
切符と乗降のアシストを手配したことがあったが、電話で応対した係員
が懇切丁寧に、車椅子がコンパートメントを通れるかどうか実際
計ってくれたことに大いに感銘を受けたことがあった。

身体の不自由な人でも他人の親切をあてにせず、一人で行動できるよう
なシステムを作ることがが本当のバリアフリーというのだろう。
漠然と知っていたけど実際に目の当たりにして「国鉄なかなかやるのう」
と感心し、いい旅のおみやげになった。


2001年10月12日(金) 新しい息吹き・絵画教室にて

先週から絵画クラスも新学期が始まり、去った人も大勢いるなか
新しい人もやって来た。5,6人絵を描くのは初めてという人達
の中に10歳くらいの少女が一人いた。人物の素描にかかったが、
出来あがった作品が、人物画の構造的な知識なしで描いたので、
ココシュカや初期のゴッホのように頭骨の欠けた人の絵になった。
そのうちに、知識を吸収するとみごとな絵ができるのだけど、
初めて描いた作品は、線に躍動感があってよい。
骨格の知識などないほうが今はいいような気がする。思い切り
のよい線をひいて、描けばよいと思う。

教室で知り合った人の娘が(彼女も先学期までは教室に通っていた)
芸大に入学したという。専攻は、産業デザインだそうだ。
娘さんは、油絵を本格的にやりたかったそうだが、油絵科を卒業
しても、プロの画家になれるのは一握りもいないので、お母さんが
つぶしのきく産業デザインを進めたそうだ。
音楽や美術のプロとして活躍できる人はめったにいない。

今、大成している芸術家の後ろには、「将来プロになれるかどうか
わからないけれど、全力でサポートしていこう」という家族の
決心があったのと思う。

好きなことを職業にするのは、楽しいことなのか苦しいことなのか
は私にはわからない。趣味程度からプロへの道のりはかなりの茨の
道なのだろう。私にとっては絵とは週に1度全力をあげて自分の
心を制作の中に放り込む時間である。ペインティング・ハイなどと
いう言葉があるのかな。長くは続けられない、でも珠玉の瞬間である。


2001年10月10日(水) 「私のヨーロッパ」より

犬養道子の「私のヨーロッパ」を読み返している。

十数年前に買った本が未だに手元を離れずに残っているのは珍しい。
思えば私が欧州に来たのも著者の影響が強いのかもしれない。
著者は滞欧6年で、欧州の共同体の本質、キリスト教精神から
くる欧州人の本質を真正面から捉えているなあと今更ながら感心する。
私はドイツ・オーストリアに住んで十数年になろうかというのに
未だにお客さんのアウスレンダー(外人)である。もともとの人間の
器というのか、人間性から出る品格や教養というものが違うのだから
しかたないが。

「週末」の項を読み返して、私はアフターファイブや週末の過ごし方の
達人になりつつあるなあと、これだけは自慢できそうだ。著者は土曜日の
午後14時を境目に、日曜の夜までは「自分自身に立ちかえる時間」で、
あると言う。
時代は移ってもオーストリアの週末、カソリックを国教とした週末は
今でもそうだと思う。夏場などは外でぼんやり本を読んだり散歩して
おればいいけれど、冬は誰も何も楽しみを提供してくれない。
自分で自分をあやす時間がやって来る。

初めてドイツで過ごした冬は学生寮に一人住まいだったので、ほんとに
寂しかった。外に出ようにもマイナス16度では風邪を引いてしまう。
でも、欧州の冬を幾度となく過ごしていくと、少しづつ自分と向き合う
ことができて、どう過ごせばよいか会得できたような気がする。

今なら、午前中は寒くても走ることができるし、プールで泳いでもいい。
オペラやクラシックのビデオやCDを聴く。部屋に自然光が入る間は絵筆
を動かすこともできるし、小説を読み短歌を創作することもできる。

でも何よりのプレゼントはインターネットの世界を楽しむことができる
ことかもしれない。


2001年10月09日(火) 同窓会名簿・初恋

同窓会の年報が届いた。学校の有名人と題した名前を見ると、芸術家
をわりと多く輩出している母校だったのだと驚く。
作家の梶井基次郎、画家の佐伯祐三、歌人の道浦母都子、漫画家
の手塚治虫の名前があった。佐伯祐三や手塚治の作品は鑑賞したり見た
ことがあるが、梶井、道浦と読んだことがないので今度、読んでみよ
うと思う。

同窓会館建設の募金者名のところに、四半世紀前つきあっていた名前
を見つけた。私の記憶は当時のまま止まっているので、今はどんな
風貌をしているのか見当もつかないが、淡い、美しい思い出はその
まま閉じ込めておくのがいい。お互いに、未来ははるか彼方にあり、
何ものかにならんと夢見ていた、よき時代だったと思う。

四半世紀前のことなのに、目を閉じればついこの前のことのように
思える。縄跳びの2重飛びで苦労したり、冬の体育はほとんど走って
いたことがあざやかによみがえってくる。けれど、ついこの前の夏
のことなど、はるか昔のことのように、記憶にうっすらとしか残って
いないのは、時間が昔とは比べ物にならないほど速く時を刻んでいる
からであろう。


2001年10月08日(月) 国境沿いの町へ

ウィーンから40キロ離れたところ、スロバキア国境にハインブルク
という町を訪ねた。近くにはローマ時代の遺跡跡も残されていて、
少し小高い山があり、ドナウ川が流れている。EUの最縁国境になるため
警備は厳しい。ウィーンから電車で小1時間、車で30分とかから
ないが、入国する時間は同じくらいかかる時がある。
9年前は、チェコ・スロバキアと呼ばれていた国境周辺は当時も入国
審査が厳しかったと聞く。

鳥は自由に行き来し、ドナウの魚はおかまいなしに隣国に行けるけれど
人間だけは、入国・出国のさいパスポートやビザを要求される。
スロバキアが数年後拡大EUに加入すれば、行き来も楽になるだろうが、
鳥や魚を見ていると、国っていったい何だろうと思う。パスポートなん
て、限定されたメンバーズカードみたいなものだろう。カードを
所持しているかいないかで、道を自由に往来できないというのは
変だなと思う。

オーストリアは7カ国と国境を接し、そのうち東欧と呼ばれる
国とは、4カ国接している。経済格差があるうちは、これらの国に
出入りするのはしばらく時間がかかるだろう。ハインブルクの
山上から、スロバキアの首都ブラチスラバの町を眺めてため息を
ついた。


2001年10月07日(日) 迷ったら留まるか進むか

泳ごうか、走ろうかいつも迷っている。
そんなときは、うだうだと時間をかけて、やっとのことでお神輿を
上げる。天気が悪い、疲れているという立派な理由を脇へどけて、
物事を決めるのは大変。

迷ったときは、どうしてるかなと考えてみるに、昔は分かれ道で
立ち往生して誰か決めてくれないかしらと、くよくよ悩んでいた。
年を重ねてみて、最近は迷ったらとりあえず進むことを選んでいる
ことが多い。何かをしないでおこう、後回しにしようとする誘惑は
抗しがたいものがあるけれど、間違ってもいいから一歩どっちかに
コマを進めてみる方が納得がいく。結果はあとで悔いることになる
ことが多いけれど、まあ自己責任の範疇だからしかたがない。

こういう迷いや選択はぼんやりした自分の生活の中のことだから
傍からみたら何てことのない迷いだろう。映画の「ソフィーの選択」
みたいに、子ども二人のどっちを選ぶか、生と死のどっちを取るか
という心が裂けそうな選択ではない。私のは牛丼か半額バーガーの
どっちを選ぶかみたいなもん。


2001年10月06日(土) 走ることがちょっぴり好きになる

レース以外で、12キロ走ったのはほんとに久しぶりだった。
帰宅したら、走らなきゃと感じて、着替えて外に飛び出したのは
きっと、雑誌ランナーズやランニングのMLを読んで元気をもらった
からだと思う。
プラターのジョギングロードを一目散に駆けてきた。身体が軽く
呼吸も楽で、走っている間ふわっとした感触があった。

今年は走るたびに自己ワースト記録を更新し、気合も入らずゆっくり
走ってもつらいだけだったのに、今日は違った。1分1分の凝縮された
時間の感覚を味わいたいと思ってスピードをあげたら、身体がついて
いけて、生きているなという実感があった。

今日のMLのことばに、「最後は好きに優るものはない」で結んで
あった。味わい深いことばだと思う。取り組んでいることが
どれくらい深く好きになれるかで、成果も違ってくるだろうし、
成果など考えなくても、どれくらい濃い時間を味わったかで、
自分が生きててよかった!と喜びを感じられたらそれだけで十分
だ。今日はそういう意味でとても幸せな時間を過ごすことができた。


2001年10月05日(金) 新聞記事より

オーストリアに住む中国人はおよそ2万5千人いるそうだが、交通事故
や大事故以外で、ここ5年ほどに死亡した中国人は10本の指に満たな
いという。死亡率があまりにも低いのは何故だろうかと推測する記事が
あった。
記事によると、人口に対する平均の死亡率というのは、0.22%だと
いう。これを当てはめると、ここ5年間で、100人くらいの死亡者が
いてもおかしくないそうだ。記事はひどい推測をしているが、中国人は
身内や知人の死亡を届けずに、こっそりと遺体を処分しているのでは
という。合法的に居住できる身分証明書は、欲しがっている仲間に
譲渡されていることも有りうると。というのは、非合法で居住して
いる中国人が3万人いると言われているからである。

死亡率が低いのは、合法非合法問わず入国しているひとたちの年齢が
若いからだろうし、天下の中国料理は薬みたいなものであるから、
健康であるからともいえる。↑も、死亡した人に身分証明はいらない
だろうし、譲渡されるということも考えられる。
3千人くらいいる邦人も、病死したっていうことあまり聞かないから
アジア系は、欧州民族よりも長寿なのだろう。


2001年10月03日(水) スイスエフェシャンシー(効率性)の消滅

いつ倒産してもおかしくないと囁かれていたスイスエアーが倒産した。
3%ほど国が出資していたナショナルフラッグがあっけなく倒産したの
には、びっくりした。今日のニュースで、ヒースロー空港で、スイスエアー
が滞納していた発着料を払えなかったので、飛行機が2機差し押さえられた。
ブリュッセルへは、フライトを最初からキャンセル。結局、チューリヒから
出発予定のすべてのスイスエアーのフライトがキャンセルされた。

スイスというのは、歴史的な永世中立国で、通貨が安定して、独自の
政策で安定しているが、ナショナルフラッグがこうも無残に崩壊する
とは見ていて一種の感慨さえ浮かぶ。
16年前初めて踏んだ欧州の地がスイスだった。当時から、国鉄の
どんなに離れた駅からでも、荷物をチェックインできて、ちゃんと
搭乗便に荷物が乗っているという離れ業をやってのけたのに感心
したことがあった。この国にいれば、物事は万事うまくいくと絶大な
信頼を寄せていた。今日の放送で、すべてのフライトがキャンセルされ
エコノミーの客は新規に運賃を払わないと、振替便にも乗れないと
ぼやいてた。あの、スイスエフェシャンシーはどこに消えてしまった
んだろう。ツークの州議会の乱射事件といい、スイスはついていない。


2001年10月02日(火) ウィーンのカフェ(2)

カフェ・グリエンシュタイトルはミハエラ広場の前にある。
森本哲郎の著書「ウィーン」によると、このカフェは19世紀半ばから
文化・芸術の工房としての役割を担っていたそうだ。
作家のシュニッツラーやホーフマンスタール、音楽家のブルックナー
やブラームスも足を運んだとある。(この両名の音楽家は仲が悪かった
と思うが)

今は、観光客の割合の多いカフェだけど好きなカフェのひとつで
ある。高い高い天井に、大理石の丸いテーブルと黒い木の椅子、
あるいは赤い布地の長椅子があり、ありとあらゆる新聞がきれいに
立て掛けてあって、のんびり時間を過ごすにはとても気持ちのいい
カフェである。ウエィターはプロの職業なので、万事そつなく
手際があざやか。メランジェとグーゲルフプフというケーキで
いつまで居られる。新聞や雑誌を読んだり、物思いにふけるには
もってこいのカフェである。
森本哲郎の言を借りるなら、「こころの散歩」ができるカフェと
いうことになる。


2001年10月01日(月) 住みにくくなる世の中

9月のテロ事件以来、欧州各国の安全対策も個人を国家の管理におく
ことを目的として、だんだん締め付けがきつくなっていくようだ。
英国では国民に身分証明書の携帯を義務付ける法案が検討されている
と聞く。オーストリアでも国民や外国人に指紋押捺の義務を法制化
しようとする動きが出てきた。米で起こった大規模のテロ事件を計画
できるグループなら、こういう措置をとっても引っかかりはしないだろう。
結局は、アラブ系や、イスラム教徒、一般外国人を締め付けること
になるのは目に見えている。そのうちに、一般外国人の通信媒体から
得られる情報や口座情報はガラス張りにされることは有りうる。

もうすぐにもアメリカはアフガンを攻撃すると言われている。
泥沼の戦争に踏みこんで何を得ようとするのだろう。タリバン政権は
遅かれ早かれ壊滅するかもしれないが、イスラム原理主義の教えを
利用した硬直した原理主義者のジハード(聖戦)という訴えは
世界中に確実に受け継がれるだろう。一般のイスラム教徒でも、
各国の政府が締め付け、事実上の迫害をすれば、恐ろしい宗教戦争
へ発展する可能性は十分ある。
欧州にミサイルが飛んでくることはないけれど、人ごみに自爆テロや
化学兵器散布をすることは考えられるだろう。
だんだんと世界は住みにくくなる。今の自分にできることってあるだ
ろうか。



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