凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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弟の正式な病名が判明、というか、宣告、というか。 決定的と言うのか致命的と言うのか。
「そうかもしれない」といつかくるかもしれないその時を怯えながらも「でも違うかもしれない」という微かな希望に心を託してとりあえず過ごしていたが。
父がかかって、死んだその病名を、弟は告げられた。 遺伝性の、脳の病気。
彼の脳はこれから少しずつ静かに確実にその機能を果たさなくなっていく。 体の老いよりはるかに早いスピードで脳が老化していくと解釈すれは分かりやすいのかもしれない。
最後は、自力で動く事はおろか、飲み込む事も、呼吸する事も出来なくなる。
そして、彼は、終わる。
ここ四・五年で病状は急速に進行していくらしい。 年齢が若い分、そのスピードは早く、そして、遺伝性のこの病は、子が、親の最期の年齢を超える事はないそうだ。
父が死んだのは幾つだったろう。 「おれはもう五十なんだぞ!五十だぞ!」と母に喚き散らしていた姿は覚えているが。 アレから何年後に死んだのだったろう。 一年後か、二年後か。
だとしたら、弟は、あと何年生きるんだろう。 十年生きているんだろうか。 四・五年で進行って。 進行して、寝たきりになって、管に繋がれて、それからどのくらい生きるんだろう。
週末、見舞いに行く。 彼と、何を話そう。
血の繋がりってなんてやっかいなんだろうと心から思う今日この頃。
弟が何回目かの入院。 とうとう透析をする事になった。 15で高血圧で入院してから脳幹部出血、腎機能低下等を経て、三十台で透析。 異例の速さで循環器障害が進んだわけだ。
これから週に二回の透析で病院通いをする弟に、再就職は出来るのだろうか。 まだ人生長いのに。 もう彼は結婚も出来ず、一人で実家の厄介者として生きていくのだろうか。
幸い、実家には兄夫婦が住んでおり、兄はこの不憫な弟の為に、庭の片隅に弟用の離れを作り、そこで生活できるようにしてあげようと思っているが…と言ってくれている。
でも、それは有難いけれど、義姉さんにどれほどの負担がかかるか。 義姉さんと「あの時あの人と結婚してたら、どんな人生だっただろう…って思う事あるよね」としみじみ話した事がある。 兄と結婚したばかりに、同居で苦労させ、姑で苦労させ、義弟の世話までしなければいけなくなるのだとしたら。 まだこれから姑の介護が待っているだろうに、その前後に義弟の介護も来るとしたら。
離れて暮らす私には、結局経済面での援助しか出来ないわけだけれど、専業主婦の今、私が自由に出来るお金はすべて弟に渡したと言っても過言ではない。 彼に渡したお金はつもりつもって百万単位になっている。 勿論、返してもらえるはずもない。 感謝の言葉すらも返してくれない。 はては入院前には尿毒症で意識が混濁していたのかもしれないけれど、「何をしてくれたっていうんだ。何もしてくれないくせに!」と私を罵った。 これ以上何をしてあげなければいけないのか、と私の中で何かが崩れた。
これが他人なら縁を切って連絡を絶つところだけれど。 肉親なので、実家から近況や容態の報告が兄や母から来る。 私にどうしろと。
罵られながらも何か協力してあげなければいけないこの悔しさ。 あの家から結婚という正当な手段で逃げ出したはずなのに、結局逃れられない。 澱のような血の繋がり。 あぁもっと物理的に遠い地へ嫁げば良かった。 姉のように「遠いから何も出来ないけどごめんね」と言えるくらい遠い地へ。 あの時の、あの人と結婚しておけば良かった。
そういう思いを、義姉も味わっているかと思うと申し訳ない。
暁
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