道院長の書きたい放題

2009年11月24日(火) 第十二回 活人拳講義録/実技 順逆と本逆

■順逆・本逆とは何か

前回の講義中に述べた順逆と本逆も活人拳には大切な事柄なので、閂の実技・分類に続いて学習しよう。しかし、意外とこの二つの定義が曖昧のように思える。人体において肘に相当する関節=本逆は他にあるかな。

「膝です!」

――もう一つあるでしょう!?

「そうか!指がありました」

――そうだね! 手の握る側=掌屈側と同種な指の関節方向に技を掛けるのが順逆で、甲側=背屈側と同種な指の関節方向に技を掛けるのが本逆だ。別な言い方では、屈伸二方向の可動域に制限がある伸側を攻めることを本逆と云い、制限が無い屈側を攻めるのが順逆となる。

中には木の葉送りのように、本逆と順逆が同時混合している不思議な技がある。これは後で説明するが活人拳だからであって、四指を捕るより、一指二指を捕って逆に捻り上げた方が、はるかに簡単で強力だ。

「手首は違いますか?」

――手首は違う。ただし問題点があるので後述する。柔道や、最近では総合格闘技において使用される腕挫十字固めは、本逆の典型だね。一般的には寝技を主に用いられるけれども、立ち技もある。この場合は腕十字固めと同形様になる。そうそう、新入門の最初の練習で比較して見せる警察逮捕術も本逆だ(注:現在の警察逮捕術教範には少林寺拳法の腕十字も、名称が異なるが載っている)。しかし、この順逆・本逆という言葉が正式に武道用語として存在するのかは分からない。少林寺拳法がその特徴を唱える為に用いた特殊概念かもしれない。

さて入門時、本逆である警察逮捕術に対し、少林寺拳法の腕十字を学ぶ。しかし私はこう考える。腕十字も本逆ではないかと…。ちょっと柔道式腕挫十字固めをやってみよう。相手の右腕を捕るとして、我は右手で手首を捕り、左手を腕十字の要領で相手の腕を上から抱え、肘の下辺りに前腕外側をあてがい、我の右腕を掴み支点とし、梃子を効かして肘関節を攻める。事前の当身があるのかどうかは分からないけど、多分、あるのだろう。まあ捕るだけで良いから、やってごらん。―皆試みる一応に痛がる―

――痛みを与える事はできるだろう!? しかし、掛けられて恐くないかな?

「関節が壊されるようで、嫌な感じを受けます」

――肘関節は、本逆の側にも若干の可動域がある。実は他の二つ=膝、指関節もそうで、これは関節を保護する為だ。しかし中には関節が柔らかく、保護可動域が大きい人がいる。過可動と言うが、こういう人達に本逆は危険で、特に女子に多いが、痛みを感じた時点で関節を痛めてしまっている。保護可動域が少ない人、俗に言う硬い人も同様。

まあ、そのような心配をしないのが従来の武術なのだが、活人拳である少林寺拳法はそうは行かない。本逆を攻める場合、必ず急所攻めか、他の関節攻めを併用する。これは実戦でも、当たり前だが練習でもそうする。以前、犯人逮捕に関わる公務員を教えていた時、悪いヤツでもやり過ぎると、「お前、俺のこと殴ったろう!」と取調べでも支障が出る、と言っていた。同じ射撃訓練をしても、自衛隊員と一般警察官では的に対するイメージが違う。方やは殺す為、方やは殺さない為の的で、つまり訓練の際、正反対なイメージで行なわれているわけだ。


■我々の本逆とは

見た目の形は同じでも中身は正反対で、いや、技の見た目も違うかな。やってみて分かっただろうが、立ち技腕挫十字固は上腕(2010.0315訂正:前腕)の外側を用いるので相手の腕の急所を攻められない。対して少林寺拳法では腕骨を使用し「天井」「清冷淵」を攻める。 ―掛けると痛みで悲鳴を上げる― 

私の腕十字は腕骨を使用するけれども、上腕の二頭筋腱を使って「少海」を攻める順逆の捕り方もある。中野先生はこちらかな…。ようするに、天秤=肘関節と共に急所を攻め、関節が破壊される前に急所の痛みを与え、言ってみれば時間的余裕を与え、降参を促す。あるいは投げに繋げて固める。その点で単純な関節攻めである本逆は、問答無用一発で効いてしまう。しかし壊れる。立ち技の腕挫十字固めや従来の警察逮捕術と、少林寺拳法の腕十字の見た目を比較し、さらに連想して、何か気が付くことはないかな?

「見た目? 技が違うのは当たり前ですが…連想は分かりません」

――彼のもう片方の腕(091127訂正:我のもう片方の腕)、ないし相手の袖を掴んで力を補強する技が無いでしょう!? 閂固を代表とする手を組み合って補完する技はあるのだけれども…なんとも不思議に映る…。まあ締法にある後腕締=裸締め、足締めは該当するかな…。この用法は短棒術に応用が可能で、すでに幾つか教えてあるね。

「短棒の鼎捕りや、腕逆捕り、腕十字がそうですか」

――そうだね。でも話しを本論に戻す。カッパブックスに載っている開祖の武勇伝を読むと、開祖は活殺二系統の技法を持っていたことが分かる。先生は胸落系統の練習をすると、「肘をシャクルなよ!気を付けろ!」と注意されていた。同著には手首を外した!とさえ書いてある。

順逆にも危険な技があり、これは作山先生が指摘するのだが、中野先生が、例えば逆小手、片手投など、手前に回すように倒されるのは、むしろ難しくされるのは、安全面を考慮されているからではないか=教育的配慮の為ではないか、と推論している。合気道の死亡事故は四方投げによる後頭部強打によるものが多いそうで、少林寺拳法の片手投げも、わざわざ膝を着いたり腕を潜るのは、実戦時、練習時の事故防止と、教育的配慮と、さらに技を楽しむ境地に向かうよう目指されたのは確かだろう。開祖は「ワシは皆に教えていないことがまだ沢山ある(多分危険な技を意味するのであろう)」と道院長講習会かなにかで発言され、古い先生方の間で騒動?になったことがあった。

「それなら整法はどうですか? 開祖は壊す技より、治す技を教えられたのですか?」

――整法の存在を考えると、少林寺拳法の本来の(本)逆は、狭義には壊したのを治せる整法と一対であるようだ。これを具現されておられたのは、故坂東先生お一人かな…。故佐渡先生も整法名人の異名を取られていたね…。しかし、あまりに難しく、また安全を考慮すると、急所攻めと順逆を取り入れ、現在の技法体系になったのだろう。つまり活人拳を考察する上で、切り捨てられた技、あるいは改編された技法があるわけで、この辺を注意しなければならないのだ。それから整法については今は置こう。非常に興味深い関連だけどね…。





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