廃。

2018年08月03日(金) 自覚はあれども不安が不安で不安だ






親族の方と会話を交わす機会があった。
偶然立ち寄ったらしい。
その方は社交性に富むと云うか、たぶん話をするのが好きなのだろうと思う。
彼の語る言葉は概ね正論だ。
健全な精神は健全な肉体から、強きは作り上げるもの的な、まぁ健全な主張が多い。
農村に生まれアルコール依存暴力沙汰茶飯事な父親を持ち、多少強さこそ全て的な傾向はあるものの、楽観的で人懐こい所のある人で、苦労も多かったのだろうが笑い話に換えて行ける強さを持った人だ。
というか、強くならねば生き残れなかったのだろうし。
奥さんから離婚調停突き付けられたりもしているらしいが。
まぁ説法と云うか自分の体験を語るのが好きな方だなぁと云う認識で、己も思春期の頃には若干何と返答したものか窮したりもしたものだが現在は一つの理論や意見として聴き流す術も覚えたのでそんなに困りはしないのだが。
彼の語る理論に正論と思いはするが、その正論が万人に有効か?というとまた別で。
彼の子や孫の面々も中々に歪んだ人格形成しちゃってるのを目の当たりにしていると正論で人は正せんですよ等と感じなくもなく。
或いは自らの人生を正しかったと肯定する為の優しい嘘なのかもなぁとも思いつつ。
ヒトとして生きるのは斯くに困難なのだなぁと。



まぁでもそんな正論を語る彼の理論を体験してみるのも面白そうだなぁと思える程度には興味を覚えられるようになったので、日帰りか一泊二日コースとかで誘いに乗って一度飛び込んでみるのも楽しいんじゃなかろうか。
結果事故るか事故らないかはやってみないと判りませんなぁ。
それで彼岸を選ぶ側に転んだとしてそれはそれで願ったり叶ったりではありますし。



等と、そんな事を思ったりしてますよ。




日に依って感情の高低差が激しい状態に於いてどの程度継続する意識なのかは微妙な所ですが。
急逝を願いながら取り敢えず今日も楽な方を選んでしまって居りますよ。



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