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2001年12月07日(金) ヒマラヤ杉に降る雪

ヒマラヤ杉に降る雪。。。という映画を見た。
日本人初(?)のハリウッド映画主演(?)の工藤夕貴が出ていたこともあって、ずっと前から見たかった映画で、やっと借りて見た。
彼女の英語は素晴らしかった。

内容は。。。
舞台は真珠湾攻撃前後のアメリカ。
幼馴染のイシュマエルとハツエは愛し合っていた。
けど、日本人への差別や、アメリカと日本の深い溝。。。時代が時代で、その愛が永遠に続くものではなかった。
ハツエはイシュマエルへの想いを経ち切って結婚した。
イシュマエルは想いを経ち切れないままだった。
彼は父の後を継いで新聞記者になったが、父に比べて半人前な自分がイヤだった。イシュマエルの父は、何事にも平等(?)な新聞記者で、その時代には珍しい人でアメリカ人から見れば、「日本びいき」な人だった。
ハツエの夫カズオが、殺人事件の容疑者になり、殆どの人がカズオを犯人だと決めつけていた。
証拠も上がらない、日本人差別。。。判決はカズオを有罪という方向に。。。しかし、イシュマエルが見つけた情報で、カズオは無罪になる。
裁判中、どうしても押さえ切れないイシュマエルは、「君に触れたい」とハツエに言った。でもハツエは、「貴方には二度と触れられない」と断った。
きっと判っていたんだと思う。イシュマエルの気持ちが。
でも最後に、ハツエから駆け寄って、「抱かせて欲しい」と言った。
そして、「優しい心をありがとう」と言って去って行く。
簡単に説明すると、そんな話。

イシュマエルは、その証拠を出すのを躊躇った。
ハツエに対して、経ち切れない想いを抱えていたから。
その証拠のことについて、カズオの弁護士にこう訊ねられる。
「それは何時見つけたんだ?」と。
イシュマエルは、「一昨日」と答える。
弁護士は、イシュマエルに向かってこう言った。
「(略)難しいことだ。自分を執念から解き放つことは。それが偏見でも憎しみでも、また愛でも」
イシュマエルは、「もう吹っ切れました」と答えたんだけど。。。彼が、どうやって吹っ切れたのかは私には判らなかった。
でも、私的に見て。。。ハツエの今の状況(裁判所でのハツエ、夫と子供がいること等)を見つめて、吹っ切れたのかな。。と。
その弁護士は、こんなことも言っていた。
「偶然がこの世を支配する。支配されないのは、人間の心だけだろう」
この弁護士。。。法廷でも中々良いことを言ってた(笑)

「執念」というものから、自分を解き放つこと。。。それは、難しいんじゃないかと思う。
人が生きている限り、少なからずともそういう気持ちが沸いてきてしまうと思うから。
私の、今のこの気持ちも。。。執念なのかなぁ。。。って思った。
ただ執着してるだけなのかなって。
好きとかでなくて、ただ手に入れたいのかなって。
そう思ったら、なんか汚い気持ちのような気がしてきた。
子供のように、純粋な気持ちで好きだと思いたい。
打算とか我侭とか、自分本位の気持ちだけでなく。
ただ、純粋に。
好きだから好きと言える、そんな綺麗な気持ちでいたい。
好きだから見返りが欲しくなるのも判る。
私が思う見返り。。。メールが欲しい、会いたい、声が聴きたい、どこかへ行きたい、一緒に居たい。。。考えたらキリが無い。それが普通だと思うし、当たり前のことだと思う。相手が自分のことを好きだったら、そんなことも苦痛ではなく普通だと思う。
でも、私の見返りは、唯一つ。

私を好きでいて欲しい。

それだけ。
好きでいてくれるなら、それだけで充分だし、それだけで幸せ。
勿論、人間誰しも次が叶ったら次を叶えたくなる。
好きになって貰えたら、その次を望む。当たり前のこと。当然のこと。
でも私は、本当にそう思う。
相手が自分のことを、好きでいてくれることが全てだと。
それが、一番の見返りで他は他愛の無いことなんだと。
てことは。。。結局、見返りが欲しいのか(爆)

( ̄□ ̄;)!!映画の話から、曲がってしまった(いつものこと・笑)
もう1本映画見なきゃ。。。見、見れるかな。。。(焦)

                      AM2:25記。



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