インコの巣の観察日記
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2004年02月07日(土) 私とエスパニョール、そしてPochettino... その1

さっきフランスリーグ、Ligue1の結果を見たら、GirondinsがNantesに2-0で勝っていた。
Pochettinoの本籍はこれで暫定7位。今日試合を行うLensが勝った場合は両チームとも勝ち点35で並ぶけれど、
得失点差はBordeauxの方が遥かに良いので、7位は確定かな??
シーズン開幕当初、降格圏内をさまよっていたことを思えば、随分と改善されましたね。
Elie Baup監督の首を飛ばしたことは吉と出たってことですね。私にとっては複雑だけれど。


昨日のNantes戦は、元MallorcaのRieraがGolを決めていました。
何だかね...すっかりPochettinoがいなくても良いチーム作りが進んでいると言うか何と言うか...。

1年のレンタル延長の権利は付帯されていたと思うけれど、
買取オプションは、確かついていなかったはず...EspanyolとGirondinsが結んだ契約には。
だから、シーズンが終わったら、Pochettinoは一旦はGirondins de Bordeauxに帰らなくてはならない。
そして、そこで今後の身の振り方を考えなくてはならない。
 
 
 
ねぇ、Poche??あなたはどうしたいの??
またピレネーを越えて、あのワインで有名な町へと帰って、
濃紺色のCamisetaに袖を通して、Jacques Chaban-Delmasのピッチに立つの??

私は、あのユニフォーム、嫌いじゃないよ。
だって、Bleu Marineも、Blancも、貴方をとても気高く見せるから。

でも...あのチームに貴方の居場所はないように見える。
たった半年、そう...貴方がチームを離れるのは半年ですね。
でも、Girondinsのみんなは、そしてサポは気づいてしまったから。
あなたの、Espanyolに対する特別な思いを。
そしてこの半年の間にGirondinsは困難に立ち向かい、
全員で力を合わせてチームを立て直している。
そこに...貴方はいない。貴方なしのチームが出来上がっている。
 
 
半年のレンタルが決まって、Barcelonaの街に帰ってきた時、
貴方はこう言ったわよね??“Vuelvo a mi casa”と。
えぇ、貴方にとっての“我が家”は間違いなくRCD Espanyol de Barcelona。

もう、手放したくない。もう、どこへもやりたくない。
ずっと、ずっと、この手を離したくないよ、Poche。
私はこれからもずっと、EspanyolのPochettinoを応援したい。
それが、私のワガママだってことは、判ってるけれど。
 
 
 
EspanyolにはReal Sociedadからやってきたトルコ代表のTayfunがいる。
だから、このインコチームを応援してくれてるトルコファンの方が居ると言うことに気づいたのは最近のこと。
turkeyさんのところでお話させていただいたところ、思いもかけず、
Liga Española好きな方々にお会いできてビックリすると同時に、とても嬉しかった。
私が思っている以上に、Ligaのファンって増えてることが嬉しかった。
みんなが、あの国のサッカーに興味を持っていてくれることが嬉しかった。

でも、彼女たちは当然知らない。Mauricio Pochettinoという人が、どんな選手なのか。
Liga Españolaにおける彼がどんな存在なのか、Espanyolにとって、彼がどんな存在なのか。
そして、私にとって彼がどう言う存在なのか...。
 
 
ホントは、このサイトのメインコンテンツ??である、“私の神様”を早く仕上げたら良いんだけど...(苦笑)
色々と書きたいことがあって、構成を考えたりすると中々筆が進まない。
大好きな選手だから、大切な人だから、だから中途半端にしたくないって気持ちが強いのかもしれない。
 
 
新たにLigaEspañolと出会い、Espanyolと出会い、
このサイトに来てくださった方のために、そして自分の気持ちを整理するために、
一度、ここで書いておこうと決心いたしました。
私が大切に思うMauricio Pochettinoはどんな人なのか、
そして、私が彼のことをどうして好きになったのか、

少し長くなってしまいますが、宜しくお付き合い下さい。
 
 
 
 
私がスペインのサッカーに惚れ込み、Real Madridを応援するようになったのは、
今からもう10年以上も昔のことです(苦笑)
当時、日本のサッカーファンの間ではスペインと言えば、Barcelonaでした。
そうです、当時のあのチームを率いていたのはヨハン・クライフ。
オランダが生んだ不世出の天才です。

彼の現役当時からあの人のファンは、日本でも多かった。
そんな彼が監督を務めるチームは、本当に強くて、そして美しいサッカーを展開していた。
しかし..天邪鬼な私は“みんながBarcaなら、じゃぁ私はReal Madrid!!”と、
首都のライバルチーム、白をチームカラーとする気高いチームを応援することになりました。
ちなみに、MichelやMartion Vazquezと言った、私好みの男前選手がいたことも、
私があの白いチームにハマった大きな理由です(笑)
 
 
そんな私が、決定的にReal Madridとスペインリーグにハマることになったのは、
1人の選手との出会いがキッカケでした。
それは... 94年のアメリカW杯を目指して戦うアルゼンチン代表の貴公子、
"El Principe" Fernando Redondoでした。

そのRedondoが大会後TenerifeからReal Madridに移籍。
私はどんどんMADRIDISTAとしての血を濃くしていったのです(笑)

そうして、益々真剣に追いかけ始めたLiga Española。
Real Madrid以外のチームにも目が向くようになり...
そこで出逢ったのが、Barcelona第二のチーム、Espanyolでした。
 
 
ご存知のように、Real MadridにとってBarcelonaは不倶戴天の敵(笑)
その反動なのか、MADRIDISTAは案外Espanyolには好意的です。
例に漏れず、同じチームをライバル視する、インコを守り神(?)とするチームに
私は興味を示し、そしていつの間にか好意を抱くようになっていました。

そんなEspanyolの最終ラインに、恵まれたフィジカルの強さを武器に、
少々荒っぽいプレーでゴール前を死守する、一人の青年を見ました。

“プレーもそして見た目も、少々アカ抜けてないけれど...何だか、私、この人好きかも”
その、人懐っこい笑顔を見た瞬間、私はPochettinoのファンになったのでした。
 
 
Espanyolの試合を見るのが楽しみ、Pochettinoのプレーを見るのが楽しみ、
96/97シーズン頃にはハッキリと、彼のことを意識していたように思います。
しかし、私にとって、どれだけ大切な選手かに気づいたのは、ず〜っと後のこと。
そう...2001年の1月、彼がピレネー山脈を越えてしまってからでした。

99/00シーズン、Cenetenario・クラブ創設100周年を迎えたチームは、
念願のスペイン国王杯を手にしました。私、この時の誇らしげに笑う、Pochettinoの姿忘れられない。


当時のキャプテンはArteagaだったから、カップを掲げるのは彼。PocheはVice Capitanだったから。
この写真、一番右にいるの、Pocheでしょ??(笑)
   
 
 
国王杯を手にするも、財政難に陥ったEspanyolには、高額年俸の選手を切るか、売るかしか道は残ってませんでした。
そんな青と白のチームに対して“Pochettinoを譲ってくれ”と熱心に声をかけてきたのが、
当時フランスの首都のチーム、Paris Saint- Germain(PSG)の監督をしていた、Luis Fernandezその人でした。
スペインリーグのバスクの雄、Athletic Bilbaoの指揮を取っていた時から
LuisはPochettinoのことを高く評価しており、ぜひ自分が率いるチームにと、所望したのです。
 
 
どれほどチームを愛し、街を愛し、サポーターを愛していようとも、
別れを告げなければならない時もある。
特に、Pochettinoのような頭の良い人は自分の置かれている立場も良く理解していました。
“Barcelonaを去ることが良いと判断したんだ”
後にインタビューでこのように応えていたPochettinoですが、
あの人は文句1つ言わず、“PSGへ行ってくれないか”と言うチームの願いを聞き入れました。
 
 
 
 
彼が移籍した時のことは良く覚えてる。2001年の1月も終わりに近づいた頃。
Marcaやasに“PochettinoPSGへ??”と言う話が載って
「え!?マジ??」と思ったのが、確か23日の火曜日だったように思います。
でも、マーケットが閉まるまであと僅か。今シーズンは残ってくれると、そう信じていた。

そして...25日の木曜日の朝のこと。
目が覚めて携帯をチェックするとローマ字打ちのメールが届いてた。
Madridに住む友達の携帯からだった。
「ポチェ、決まったねPSG行き」

時差の関係で友人の方が先に知ったのだった。
慌てPCを立ち上げてMARCAをチェック。
“Pochettino se va al PSG”

あまりにあっけない、幕切れだった。
ウワサが出てからわずか数日で決まったPochettino譲渡。
「ウソみたい」私は、こうとしか言えなかった。
 
 
 
PochettinoがPSGへと旅立つ1ヶ月前、
一人の日本人がEspanyolのユニフォームに袖を通しました。
ニシザワ アキノリ...城 彰二に次ぐ、史上2人目の日本人選手。
彼のおかげで、Espanyolの試合は全試合Live中継が約束されていた。
当時のスカパーは、Ligaの放送枠は3つ。それを、Real Madrid、Barcelona、そしてEspanyolが占めていた。
当然のことながら、DeportivoやValencia、BetisやCeltaのファンからは非難の嵐。
私は「コレで、毎週Pochettinoのプレーが見られる!!」と喜んだのだったが...
 
  
 
日本時間では既に28日の日曜日を迎えていた、2001年1月27日の対Zaragoza戦。
いつものようにスカパーでのLive中継が始まった。
「2000/2001シーズン、リーガ・エスパニョーラ 第20節、この時間はエスパニョール対サラゴサの一戦をお送りいたします。」
Montjuicの全景に合わせて倉敷保雄さんの声がいつものように聞こえる。
「ご存知のように、先週EspanyolはPochettino選手がフランスのパリ・サンジェルマンへ移籍...」

瞬間、私は...泣いた。

何故だか、涙があふれてきた。
自分でも、何で泣いているのか判らなかった。ただ、ただ、無性に寂しかった。


この試合、Espanyolは完勝した。Zaragoza相手に5-0。
しかし、歓喜を爆発させる輪の中に彼はいなかった。
「バカ...だよね。今ごろ気づくなんてね。私、大好きだったんだ。
私、Mauricio Pochettinoが大好きだったんだ。
もう、会えない。青と白のCamisetaを着てMontjuicのピッチに立つ、あの人には会えないんだ...。」

 
 
私は自分の愚かさに腹が立った。
どうして、もっとちゃんと見てこなかったんだろう。
どうして、もっと気持ちを込めて応援してこなかったんだろう。
どうして、一緒に笑って、一緒に泣かなかったんだろ。
私は、Pochettinoのディフェンスが、Pochettinoのゴールが、
そしてPochettinoの全てが好きだったのに。
EspanyolでプレーするPochettinoが大好きだったのに...。
 
 
 
 



PochettinoはPSGへと移籍、2001年2月3日土曜日、Nantes戦でLigue1デビュー。
bleu et rouge 青と赤のCamisetaを着て、Parcのピッチを主戦場とする彼のこと、
私は以前のように応援出来なくなった。私は、超えられなかった。
ピレネーの山を、彼と一緒に越えられなかった。

私はスペインが好き、この国が好き。この国のFutbolが好き。
自分の感性に強く訴える、この国から出ることが出来なかった。
いつしか...私にとってMauricio Pochettinoは遠い存在となっていった。
 
 
 
Está más allá de los Pirineos
愛しいあの人は...ピレネーの向こう側にいる。
 
 
つづく...
          
                


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