インコの巣の観察日記
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2002年12月31日(火) 2002年 最後の駄文 - 私とアルゼンチン代表とW杯、PSGとそしてPochettino...

2002年も残すところあと数時間となりました。
みなさまにとって今年は一体どう言う年でしたか??
何年かたって振り返った時に2002年は一体どういう年として思い出されるのでしょうか??

“W杯が行われた年”と言うものが一番多いかもしれませんね。
えぇ、2002年と言う年を語る上においてこのビッグイベントは外せないでしょう。
W杯のおかげで、多くの人がFutbolに新たに興味を持つようになりましたしね。
アルゼンチン代表も随分とファンが増えたようで...嬉しい限りです。

先日の日本代表との親善試合の時にあるファンの方とお話させて頂いたのですが、
それこそ彼女は今まで全くアルゼンチン代表どころかFutbolに興味なんてなかったのに、
アルゼンチン代表がJビレッジでキャンプを張ることとなり、地元だからと言うことで、
何気なく見に行ったことがキカッケとなったという、そんなステキな出逢いをお持ちの方でした。


私にとってもこのW杯は本当に大きな大きな出来事でした。
だって今年W杯が行われなくて、そしてあんな結果にならなかったら、
恐らくこのサイトは存在していなかったと思いますから(苦笑)
あの時、流した涙が全ての始まり。



あの日、長居にいた私はそりゃぁ酷いもんでした(苦笑)
目の前をBeckhamやOwenが駆け抜けていくのに、何の感動もなかったんです。
それどころか、彼らに憎しみの感情さえ抱いていたのです。
「アンタたちが、アンタたちが!!!」
そして、試合そっちのけでBeckham・Beckhamってキャーキャー叫ぶ
バカな観客達に殺意を覚えました(苦笑)
アンタたちのせいで、アンタたちのせいで...

もう、来年になった言わないから...だから、もう1度だけグチらせて下さいネ(苦笑)

何も、4年待ったのはBeckhamだけじゃないんです。
あの日、フランスでOwenに抜かれたAyalaとChamotだって、
4年間、ずっとあの時のプレーを思いながら闘ってきた。
彼らがこの4年、どんな思いでいたか、
Beckham!!キャー!!って言う彼女達には想像もつかないでしょうね。

アルゼンチン-イングランド
この試合に特別な思いをもって挑むのは、
何もイングランドだけじゃない。Beckhamだけじゃない。
なのに、バカなマスコミとそれを鵜呑みにするバカなファン...


札幌ドームは、イングランドホームでしたね。別に、それは構わないです。
人がどこのチームを応援しようが、それは勝手だから...
でも、私にはどうしても吹っ切れないものが心に残っているです。

それは、PKを与えたのが...Mauricio Pochettinoだったからです。
Redondoがいないアルゼンチン代表を応援することは、
私にはやっぱり寂しくて、ちょっと辛い時期もありました。

でも、南米予選、ずっと応援出来たのは、
今大会、アルゼンチンを一番に応援したのは、
みんな、みんな、Pochettinoのおかげなんです。
その彼が、私の大好きなあの優しいブラウンの瞳が、
哀しみに沈むところなんて...見たくはなかった。

あの、彼のプレーはPKに取られるようなものではないと、私は今でも思っています。
多分、誰もが、あれはPochettinoがOwenを倒したから、PKだって言うでしょう。
でも、私だけは、違うって思ってる。あれはPochettinoが与えたPKではない。
あれは...OwenがもらったPKなんです。


ずっと、ずっと、長い間このプレーが頭から離れませんでした。
今でこそ、前を向いて歩けるようになったけれど、当時は後ろを振り返ってばかりだったから...。
誤審ではないのかもしれない...だって、Pochettinoは抗議しなかったもの。
その代わり、彼はあまりに悲しい色をした瞳でCollinaさんを見返したんです。

途端に、涙があふれてきたんですよ。
あぁ、この人もまた、自分の犯した過ちを背負って生きて行かなきゃいけないって。
でもね、Pochettinoに4年後はないんです。

そんなことない!!!って言われるかも知れないけれど、でも、今年30歳の彼に次はないんです。
おまけに、New Well’s Old Boys→Espanyol→PSGと、“アルゼンチン代表への道”から、
思いっきり外れたコースを歩いている彼は、恩師のBielsaが退任すれば、
代表に選出されることもなくなる...試合の途中、色んな思いが過ぎっていきました。

FKやCKなどのセットプレーの度に上がっていって、
必死の形相でゴール前へ飛び込むMauricioを見ていたら、
ホントに涙が止まらなくなってしまって....
私はこんなにもPochettinoのことが好きだったんだ。
7年前からずっと心にあった思いに気付かなかった自分のバカさ加減に心底呆れた(苦笑)


Redondoがいてもいなくても、私はアルゼンチン代表が大好きです。
最初に出逢って、真剣に応援し始めたのはこの代表チームだったから。
間違いなく、W杯で応援するチームとしては、日本代表なんかよりも
ずっとずっと以前に出逢って、見守ってきたチーム。

私の生まれ育った国で、彼らに輝いて欲しかった...誰よりも彼らに輝いて欲しかった。
私が大好きなPochettinoの、あの優しい笑顔をたくさんの人に見てもらいたかった。



悔しくて、哀しくて、切なくて堪らなくて...
憤りをどこにぶつけたらよいのかわからなくて、
私は自分自身の心を持て余していました。
そして...それはきっとPochettinoも一緒だったように思います。
あの時、長居と宮城で流した互いの涙が全ての始まりだとすれば、
哀しみの涙も、切なさの涙も、決してムダにはならなかったんだなぁ...と、
ちょっぴり嬉しい気持ちになることが出来ます。



2002年はもうすぐ終わる。色んなコトがあった2002年が終わる。
私にとっての2002年とは...それはきっとMauricioに逢えた年と言うことになるでしょう。
私は自分の運の強さを信じていますが、ホントに今回もその強運振りを発揮いたしました(笑)
逢いたくて、逢いたくて、この思いを伝えたくて...後先考えずに“のぞみ”に飛び乗った甲斐がありました。
目の前に立つMauricio Pochettinoは、優しいオーラに包まれた、笑顔がとってもステキな穏やかな青年でした。
あの、彼の優しさを私は忘れない。
私と言うファンの存在を心から喜んでくれたその気持ちに触れて、
私の心が嬉しさと暖かさで満ちあふれたことを忘れない。



このステキな2002年のことを...私はずっと忘れない。


そして...2003年も、ステキな1年となることを願って止みません。
私の愛する人たちが、たくさんの笑顔を見せてくれるような、
そんな幸せな1年となることを、祈っています。

今年1年、皆様方には本当にお世話になり、有り難うございました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。
至らない管理人ではありますが、
どうか、今後ともこのサイト共々、宜しくお願い致します。

そして...これからも一緒にMauricio Pochettinoを応援していきましょう!!


みなさま、どうか良いお年を!!


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