◇日記◇
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2011年08月15日(月)

◇◆◇◆


バレエを習いはじめました。



  突然に見えるだろうが、突然ではない。
  一年前から、レッスンを受けたいと思ってきた。



◇◆


はじめてバレエの教室に通い始めたのは、小学校3年になる頃だったと思う。


それまでのほんの短期間、私は隣の家で日本舞踊を習っていた。

隣に住んでいたカスミちゃんのお姉さんから、

近所の子ども達数人と一緒に習っていた。

日本舞踊を習う話しがどこからどう来たのかは知らないが、

祖母に着物をきせてもらい、連れられて、隣の家に行っていた。

楽しかった。

扇をお人形さんにみたてた踊りも習った。



そんなある日、母がバレエを習わないか、と言いだした。

バレエとはなにかも知らないまま、私は好奇心から、うん、と言った。

そして、私は母の知人の教室に通うことになった。


母からは、バレエか日本舞踊、どちらかにしなさい、と言われた。

アナタはバレエを習いたいと言ったのだから、バレエを習うなら

日本舞踊は止めなさいと言われた。

そういうことか、と思った。


それから、17歳で止めるまで、私はバレエに通った。


◇◆

17歳の私は高校生であった。

勉強が、それはそれはものすごく気が遠くなるくらい大変で

(いつもクラスの底辺をがっちりと支えていた)

バレエのレッスンには気持ちが入らなかった。


今思うと、あれは疲れだったのだと思う。

学校での冬の講習会にも行きたくなかったし、

バレエにも行きたくなかった。

家でゆっくり過ごしたかった。

はじめての感覚だった。


でも、講習会には行かないとならないし、その後にはテストも控えていた。

バレエは、発表会が迫っていて、私はくるみ割人形を踊ることになっていた。



切迫するなか、講習会も適当にさぼり、レッスンも数回休んだ。

2週間ほどだったかと思う。



ある日、母が、私に告げた。

「発表会はおります、って先生に言ってきたから」

突然の宣告だった。

簡単に言えば、高校の勉強とバレエの両立で悩んでいた私には

それは保護であり救いであり、同時に、自由と主体性の剥奪であった。





◇◆



私は、それきりバレエを止めた。

先生にも教室の他の生徒にも顔向けできない、と思ったのだった。



母には、どうしてそれきり私がレッスンに行かなくなったのか、

わからないようだった。




その後長い間、私の中には、

あのとき自分で自分の行動を決断できなかったことへの後悔が残った。

行動を母に決められることに対して反発できなかったことへの後悔である。



いまでも時々考える。

あのとき、あのまま放っておいてもらえたら

私はどうしたのだろうか。

本当は、どちらでも、いいのだ。

バレエを取ってもいいし、勉強を取ってもいい。

必死で両方を追いかけてもいい。

両方、放り出してもいい。

どちらでもいいのだ。

ただ、自分でそれを決めなかったこと、

母の決定に従ってしまったことへの後悔は、いまでも残っている。


ということを、思い出しながら、レッスンを受けてきた。


sai |MAILBBSDiaryINDEXpastwill

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