◇日記◇
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2011年02月17日(木)

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歌を選んだり、削ったり、並べ直しているうちに

こんなにも時間が経ってしまった。


◇◆

ススム評は、来月分を残すのみとなった。

結局、示された歌だけじゃなくて、全集を読んでしまった。


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「き●と●」ようやく読了。

途中で、何回も眠った。


なんというか…あとあじの悪さが際立った。


時間の感覚のなめらかさが、面白いような疲れるような。

今なのか昔なのか、夢なのか、現実なのか、

すべてがからみあってもつれあっている。

小説のなかで、主人公二人の髪がからみあい、手足がもつれあうのと同じ感じか。



15歳にもなって9歳の子と

じゃれて甘噛みする場面のキモチワルサに

通じる感触であった。


母の不倫も、生まれなかった妹も、髪をひっぱるモノノケも、

紅ショウガも、姉弟の関係も、

語られるすべてになにも注釈せず、そこだけを切り取ったという形で

ぽん、と投げ出して終わる印象があって

それはそれで、書き手に取ってはいいことなのだろうが、

真剣に読んでいるこっちとしては、呆然としてしまったりするのだ。


余韻がないということか。

重層的に主題が語られていくところは、ちょっとらせんの物語みたいだけれど、

きちんとしたらせんになっていない感がある。


つまり、主題間にも、くり返しの中にも関連がない感じがある。

紅ショウガがくり返し出てきても、キーワードにならない感じ。

それはそれでいいのだろうけれども。


キコも、トワコも、読み終えたとたんに、もう「生きていない」感じがする。


例えば「細雪」の「きあんちゃん」が未だに列車に乗ってお嫁に行く途中で

あるのとは、対照的である。







感覚的な小説であった。

こういうのを才能、と呼ぶのだろう。


sai |MAILBBSDiaryINDEXpastwill

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