A Thousand Blessings
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2006年11月11日(土) イジメで彼女を自殺へと追い込んだ生徒は殺人者という認識

まだ、30日の午後6時。



イジメによる自殺が相次いでいる。
僕も中学校時代ひどいイジメに遭い自殺を考える日々を送っていたから、
自殺した生徒に「何故、死ぬんだ!」とは、とても言えない。
死にたくなるときは、心の視野はほとんど無いに等しい状態だとおもう。
死ぬことだけが唯一の救いであり、それだけしか見えなくなる。
それは確かに誤った選択なのだが、でも、それが自殺ではなく
“一種の”殺人だとしたら、間違いとかそういう次元の話ではなくなってくると思う。
批判されるべきは、自殺した生徒ではなく、自殺へと追い込んだ殺人者の方であると。

自己保身に走る学校長も教頭も教育委員会もイジメを繰り返した生徒もその親も
自殺した子供を悼み、責任を感じ、自らの命で罪を償うことはない。
何故なら、彼らは、彼女や彼を「自殺させた側」の人間だからだ。
一旦、そちら側に身を置くと、世の大人たちは想像以上に彼らを守ってくれる。
もちろん彼らを守ることで、自分等も守られるからであって、決して彼らに対して
シンパシーを抱いている訳ではない。自己保身のひとつの形である。
加害者はいつだって生き延びる。被害者は忘れ去られる。

教師が生徒に命の尊さをいくら説いたって、そもそもそんなもの形だけの
パフォーマンスに過ぎないのだから、何の意味も無い。

これからも同じ「殺人」は繰り返される。「自殺させた側」の人間は、
自分たちの行為が「殺人」であることに一生気づかない。
そして、彼らを罰する法律もない。
だとしたら、死んだ子供たちは、残された遺族は、どこで救われるのだろうか?

イジメを繰り返した生徒とその親が改心し、
勇気を出して名乗り出て、一生十字架を背負って生きていくことを
遺族の前で誓うしかないだろうが。
それが出来なければ、そいつ等は生きていく価値のない単なる殺人者だ。


響 一朗

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