A Thousand Blessings
2004年1月〜最新ひとつ先に進む


2004年01月03日(土) 2003年を象徴する恥かしい歌

風邪の悪化で非常に体調が悪い。
それでも日記だ。つけなければ意味がない。
何だか義務感のようなものが沸々と湧き上がってくる!

2003年は、森山直太朗の“さくら”とSMAPの“世界に一つだけの花”が
最大級に評価された恥かしい年として記憶しておこう。
SMAPの場合、彼らには罪はない。
与えられた楽曲を一生懸命下手なりに唄っただけのことだ。
言うまでもなく、問題は楽曲を提供した槙原の小学生並みの世界観にある。
彼には何も見えていないなぁ、つくづく思う。
典型的な「ムードに流されていく」タイプの歌詞だよね、これって。
詳しく分析するのも面倒なので、うっちゃって置くが、
とりあえずは、アメリカのイラク侵略戦争時、反戦歌として
歌われたという事実で、日本国民(の中の多数派)の民度の低さを
再確認できた事が収穫といえば収穫だが・・でもねぇ・・。
この程度なんだね・・。

さて、森山直太朗の場合。
まずは、少なくとも今の若者の中では言葉を「多く」知っている方だ。
中年の我々にとっては手垢のついた、ちょっと使用するのにためらう表現を
それらの言葉を使って、堂々と(ここ、強調ね!)大衆の面前で披露して
しまう。
それを有り難がる連中がこんなにも多くいるという事実。(驚嘆!)
相田みつをの落書きを有り難がる連中と酷似していると思う。
佐高信の本に、「森山良子は相田みつをが大好きである」と書いてあった。
お母ちゃんがそうならかなりの確率で息子も影響を受けていると考えられる。

どうしようもなくダメな若者がいる。
一方ではそんな若者を蔑む若者がいる。
単純に言えば、後者の若者は「真面目」である。
その「真面目さ」につけこむのが、森山直太朗のやり方だと思う。
ダメな若者に対する圧倒的な知的優越感を植え付けるために、
彼は「ちょっとだけ文学チックな(匂いのする)言葉」を
真面目な若者に『ほらご覧。こんな素敵な言葉があるんだよ』と差し出す。
差し出された「言葉」に彼や彼女は即座に感応する。
『森山直太朗ってこんなに文学的な言葉を使えるんだ!すごい!』
ってなもんですわ。ほんと真面目な若者を騙すのは簡単。
(気をつけろよ、新興宗教団体にだけは)
そんな感激する若者を見て悦に入ってるのが、森山直太朗である。これ、断言!
しかし、哀しいかな、彼の詞はさほど文学的でもなく、
意味ありげでもない。
本をちょこっと読んでいれば誰にでも書けちゃう詞なんだなぁ、これが。

アーチストとして、森山直太朗は確実に進化している。
ナルシストぶりはすでにガクトを抜いており、
恍惚の表情で自分の歌に酔いしれる姿は、実に滑稽だ。
そんなに、歌も上手くないしね。ファルセットなんて汚いしさ。

さて、森山直太朗の新曲“太陽”がもうすぐ聴ける。
ちょっとだけ歌詞を読んだが、「おお!これはやばい!」と
即座に反応してしまった(笑)
そのことは、近いうちに書くことにしよう。




















響 一朗

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