Rollin' Age

2005年02月10日(木)
 身の丈の夢

 先日、とある会社の社長宅に夜中押しかけるという、夜回りという仕事をしてた。気になる噂について、決定権を持つ人にざっくばらんに尋ねたいというもの。4度目の挑戦で、初めて家の中に入れてもらえた。

 自分の親父より上で、社会を生き抜いて成功している人を目の前に、恐縮しないわけはない。しかも、相手の家の中。差し出された酒を前に、どうすればいいか分からない。仕事として最低限聞くべきことは聞いたけれど、ほかに何か引き出そうというチカラもなかった。何より、もうこれは、仕事として話すんじゃなくて、一個人として立ち向かうよりほかにないと気づいた。

 日付の変わる頃までお邪魔して、何を話していたかというと、まったくもって個人的なことだった。「出身はどこだったっけ」「東京です」といったつまらない話に始まって、今度は相手の若い頃の仕事の話を聞いたり、振り返ってみると、はて、2時間以上も何を話していたのやら、と思う。ただ、その中で、夢について話したことは、強く印象に残っている。

 「あなた、夢はなんですか」と、唐突に聞かれた。「夢ですか」「そう。何を目指して、今の仕事やってるんですか」「・・・」。答えた。精一杯答えた。記者として、こんな仕事をやってみたいんですって。この場などを通じて散々考えてきてることだから、胸張って答えた。どうだ、って感じで。

 「そうじゃないんだよ」「あなたが今言っているのは、当面の目標。もっとさ、バーンと、大きいことを語ってほしかった。『新聞界を変えてやる』とか、『金正日に会って歴史を造ってやる』とかさ」「社長になりたいとか思わないの。この会社を動かしてやる、とか」「・・・それは、まぁ、まったくないと言ったら嘘になりますけど・・・。」「私はね、入社したころ、思ってたよ。周りにもそういう奴はいた。うちはそういう会社だったよ」「・・・。」

 気圧されてて、グウの音も出なかった。「じゃあ社長になって、何をしたいって考えてたんですか」って追い討ちをかければよかった。話はそこから別の話題に流れてしまって、二度は戻ってこなかった。

 前も書いたけれど、自分が何をやりたいか、夢を語れない大人は情けないと思う。夢もなく淡々と現実を続けていくのも、夢だけで一歩を踏み出さないのも、どちらも不完全だと思う。運良く俺は目指すものもあるし、それへ向かって進んでいこうとしているから、自分がダメな点の多い奴だと思うけれど、情けねぇとは思わないですんでいる。

 そこへ、「そんな小さな夢で満足してていいのかい?」と、真っ向からストレートもらって、少しふらついた、そういうことだったと思う。

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 社会に出て思うのは、学生のころに思い描く夢なんて、現実の前では圧倒的に意味を成さないということだ。「これをやりたい」ってエネルギー自体は素敵だけど、「じゃあどう実現するの。今何をしてるの」という質問を投げかけるだけで、会話を終えられる。だって、彼らは手段を持っていないから。

 一緒に学生やってた社会人の友人は以前、こんなことを言っていた。「働き出すとき、いろんな可能性の中から1つを選び取って、すごい狭い世界に入っちまったと始めは感じるけれど、それでもどんな世界でも、けっこう奥が深くて、やりたいことが見つかってくるってのはあると思う」。同感だ。

 少なくとも俺の場合。小学6年生の時に書いた「未来の自分への手紙」は、「サラリーマンにはならないでください」という程度だった。中高生のときは、とりあえず受験勉強をしただけだった。大学生になって将来を考え出したけれど、やっぱりなんとなく、ぼんやりとしたイメージしかなかった。

 繰り返しになっちまうけど、やっぱり、ビジョンと実現性は車の両輪で、くるくる回りながら大きくなっていくんだと思う。俺は、人並みはずれたエネルギーを持つわけでもないし、どちらかといえば実現性にこだわる臆病な性格だから、目先の目標しか見えない。ただ、じっくりと夢を大きくしていきたい。

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 緊張と空きっ腹と酒のおかげで、取材先の家を出た後から完全に記憶が飛んでいた。どうやって帰ったのか、誰と何を話したのか、どこをどう歩いたのか、一切を覚えていない。色々な意味で、初めての体験をした夜だった。


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