Rollin' Age

2004年09月19日(日)
 新聞紙と私

 暦通りの3連休に心躍るはずだったのが、体調崩して臥せっていた。2日半寝続けた(金曜は欠勤してた)後の昼下がり、さすがに体も心もそろそろ動きたいと言い出したので、とりあえず洗濯と掃除から始める。一通り片付くと、残ったのは新聞の山。・・・半年分。・・・6紙、半年分。

 それは確かに「山」と形容するのがふさわしい。本棚の半分が占拠された後は、机の下のスペースに放り投げていたら、やがてドンドンはみ出してきて居間の中央まで侵食し、もうどうにもこうにも手を付けられなくなっていた。どうしてそこまで放っておいたのかというと、その山の中には、自分が書いた記事がところどころ含まれているからで、いつかはそれらを選り抜いてスクラップするんだと心に決めてはやウンヶ月、ずっと手付かずだった。

 今日片付けてしまおうと奮い立ったのは、この数日寝てばかりだったぶんだけエネルギーが余っていたからだろう。もはや、その山から自分が書いた瑣末な記事まで取り出すことは無理とあきらめ、主要なものだけ選り抜いたあとは、片っ端からヒモで縛っていった。何時間かかったかは忘れた。

 その成果を披露するならば、まずはチラシ類が3束。これはさほどでもない。新聞のついでに雑誌も片付けた。ジャンプだとかマガジンだとか週刊文春だとかそういった奴ら。いい年してジャンプ。・・・ともかくこいつらが4束。そして一番の元凶、新聞紙が、ひい、ふう、みい、・・・23束。置く場所もないので、とりあえず居間の壁際に5〜6束ずつ何列かに積み上げてみた。

 律儀に巻尺を持ち出してその容積を量ってみると、縦1m、横1.2メートル、奥行き25cmだった。計算してみると、0.3㎥だ。たいしたことねえなと思われるかもしれないが、たいしたことなくはないのである。部屋が狭い。物言わぬ新聞の群れが、壁際からプレッシャーをかけてくる。

 今住んでいる西宮市では、雑誌・チラシの回収日は月2回、新聞紙はなんとたった1回。いっぺんにゴミに出したら近所でよからぬ噂が立ちそうでとても実行できないが、半分くらいは出したい。それでも突如ゴミ捨て場に現れる十数束の(=6紙×3ヶ月分の)古新聞だ。チリ紙交換に出したなら、箱ティッシュ1パックくらいはもらえるのではないだろうか。とにかく来月始めの回収日に出さないと、冗談でなく新聞紙に埋もれて暮らすことになる。

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 ところで、これらの新聞紙をきちっと読んでいるかというと、そりゃあ全部読んでいるわけないのだ。じゃあそんなに購読する必要もないだろうと言われると、いや、うん、たまには読むんです。実を言うと、契約の際に気を大きくして、1年間だとか2年間だとかにしてしまい、あぁー、なんかもうそのままでいいやという心持。きちっと毎朝起きて朝刊に目を通し、毎晩帰宅して夕刊に目を通す。いつかそんな習慣が根付けばよいと思うのだけれど、最初の半年でダメだったから未来永劫ダメな気もする。

 それはそれとして、自分が書いた記事のスクラップはしっかりやりたいと思う。周囲を見渡してみると、新聞記者のうち、入社1〜2年目の新人の大多数が、スクラップをやっている。ベテランにでもなると、書く記事書く記事残しておく気にもならない、もしくは過去のことにかまってなどいられないのだろうか、あまりやっているようには見えない。いずれにせよ、ようやく私はこの腐れた半年にけりをつけ、新聞紙の山を整理して、自分の書いた記事をまとめて眺めることができるようになったのだ。今後は習慣化したい。

 で、眺めていると、とてもおもしろいことに気づいた。なんとはなしに、この1ヶ月に書いたものと、それ以上前に書いたものとに分けて、2冊にスクラップしていったのだが、4−7月に書いた記事の量より、8−9月で書いた記事の量のほうが多いのだ。びっくりした。そういえばしばらく前、俺はぜんぜん仕事してないと思い悩んでいた頃があったのを思い出した。

 その頃よりはマシになっているのかもしれない。ただ、もっと書けるし、書かねばと思う。休み明けに出さねばならない原稿は、まだ下書きすらできていないし、書きますといっていた原稿はずっと手付かずだし、先を思うと休暇中なのに気が重いのは、今も変わらない。ただ、1冊目のスクラップがスカスカなのに比べ、2冊目が量も質も向上してるのには、少しホッとする。


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